2024-09-25 18:33

02-05-うしろ向きラジオ

"「うしろを向く」という言葉はネガティブな意味だけでなく、人生を振り返るという言葉に言い換えられる素敵な言葉です。

『反省はしても後悔はするな』

ってなことでうしろ向きな反省会、ここでやってます。"

"20年間続けてきたもの...それは野球です。

野球をしてきて楽しかった時なんてほんの一瞬で、辛さと苦しみの連続でした。

僕が人生で初めて挫折したのも野球でした。

その挫折した時と挫折から乗り越えられた時の事をお話ししています。

ね?うしろ向きでしょ!?"



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サマリー

日本ポッドキャスト協会の20周年を祝う中、DJうしろは自身の20年間の野球歴と、その中で経験した挫折について話します。特に高校生活における厳しい練習環境やホームシックの経験が強調されます。高校時代の挫折と支えの重要性について語り、鈴木監督の助言が大きな影響を与えたことが明らかになります。最終的に、周囲のサポートを受け入れることで困難を乗り越えるきっかけを得たというメッセージが強調されます。

20周年の配信
反省はしても、後悔はするな。うしろを向くことは、人生を振り返ること。 そんな日々の反省会をしていく、振り返り系トークプログラムです。
みなさん、こんばんは。うしろ向きラジオのDJうしろです。 日本ポッドキャスト協会、並びに関係者の皆様、
20周年おめでとうございます。 20年という長い長い月日を経て、今日この配信ができたこと、
みなさんの並々ならぬ努力とご縁を必死と感じております。 さて、今回の7日間連続耐久配信リレーの2日目、
静まぬ枕さんのバトンを受けて、全力でこの時間を突っ走っていきたいと思います。 静まぬ枕さん、大変お疲れ様でした。
また、耐久リレー2日目のコンセプトが、 スピーカーで聴いてほしい、またリビングで聴いてほしいということなので、
僕もリビングでゆったり収録をさせていただいております。 この配信リレーには、3つのテーマがありまして、
それが、音声配信、二重、日常の小さな喜び、楽しみ、 この3つのテーマがありまして、今回、
後ろ向きラジオでは、二重をテーマに話していこうと思っております。 この二重はですね、おそらく日本ポッドキャスト協会が20周年ということになぞられているんだろうなというふうに
思っております。 この日本ポッドキャスト協会さんが20周年ということで、 僕も何か20年続けてきたものはあるのかなというふうに考えてみたところですね、
たまたま一つあったので、これをちょっとテーマにしていこうと思っているんですけども、 それはですね、僕の野球になります。ベースボールですね。
でも、ただただ僕の20年間の野球歴を話すだけでは、 やっぱり聞いていただいている皆さんも飽きてしまうし、誰の得にもなりませんので、
ザ・後ろ向きな出来事ということで、僕が野球を20年間今もやっている中で、 挫折をしたこと、野球をやめようとした時の話をしていこうと思います。
それはですね、僕が高校1年生の春、 僕今年31歳になるんで、16年前の話になります。
僕はですね、関東にある今では野球の競合校に野球推薦という形で入学をしました。
ただ、高校が設定している推薦のレベルはですね、 僕ギリギリのラインで何とかレベルに達したということで、
推薦で入学ができたというところがあるんですけども、 ただ僕が野球で、しかも推薦をもらって高校に入ること、
そしてまた親元を離れて寮生活をすることが決まっていたので、 今までの自分とこれからの未来がかけ離れすぎていたこともあり、
当時の中学生の僕はですね、何かこう右頂点になってたんですね。 何か俺はこれからやるぞっていうのがですね、
ボンボンと出ていたのかなというふうに思っておりまして、
高校の入学式がある1週間前にですね、仮入寮ということで、仮に寮に入ると書くんですけども、
そういう仮入寮という形で、一旦入部を1週間だけお試し期間というか、という形で入りました。
僕の高校からは、ここから野球部のグランド、あと寮がですね、バスで40分ほど、結構遠くてですね、
ただ野球するには完璧な環境で、室内練習場も完備しているし、野球専用のグランドがあるし、
野球が大好きな人にうってつけな高校だったんじゃないかな、グランドだったんじゃないかなというふうに今思うと、そういうとこがありました。
ですが、僕の高校の寮の周りにはですね、コンビニだったりとかスーパーはないんですね。
唯一買い物できる時間というのが10分間だけありまして、寮の前にある個人商店、本当にご夫婦がやられている小さい商店があってですね、
そこに毎週日曜日の晩御飯食べたあと10分間のみ、買い物が許されてですね、アイスを買ったりポテチを買ったりしていた私服の時間でした。
そんなガチガチな環境の中でですね、僕は仮入部で新1年生ということで入りましたけれども、もちろん先輩はもちろんのこと、僕の一緒に入る中学3年生ですけどね、同級生も
本当に全国大会経験者だったりとか、関東地方のいろんな各県から揃っていた精鋭ばっかりだったんですね。
練習に参加させてもらう中で、同級生もだし、先輩たちの投げるボールのスピード、あと打球の速さというのがですね、本当に今まで見たことないぐらいのレベルで、圧倒されてポカーンというね、口がずっと開いた1週間だったんですね。
あとやっぱり寮生活っていうのもあってですね、すごい高いレベルっていうのに加えて、慣れない自立した生活にもやっぱり苦しみまして、本当に今まで親にお弁当だったりとか、ユニフォーム洗ってもらったりとか、背番号縫ってもらったりとかして準備してきてもらったし、
あとは家に帰ればご飯は好きな時に好きな分だけ食べれていましたけれども、これからは寮の規律に従って時間通りに生きていかなければいけないというのがですね、本当に寮生活でして、今は違いますけど当時の寮の規律というか規則が本当に厳しくて、
あくまでも16年前ですからね、今は寮は当時平成ですけども、携帯禁止、携帯電話禁止、当時ガラケーでしたけどもね、携帯禁止、眉毛剃るの禁止、1年生は柔軟剤禁止。
匂いがいい匂いさせちゃダメっていうことだったらしいんですけど、あとご飯の時のドレッシング禁止、あとお風呂、広い風呂がですね、全員で共同で使う風呂があるんですけども、1年生はシャワー禁止なんですよ。
だから溜まっている風呂の水で、お湯で洗わなくちゃいけないっていう、本当にめちゃくちゃな規則がありまして、しかも寮の部屋はですね、3年生、2年生、1年生で一部屋。
もうそれで3人で10畳とか12畳とかだったんで、しかも1年生の自分だけのスペースなんて本当に2、3畳あるかないかだったんですよ。
プライベートなんてまるでないし、本当に今までゆるゆると生活してたけど一気に生活環境が変わりすぎてしまって、環境が変わってしまったことと先輩だったりとか同級生の野球のレベルが本当に高くて完全に場違いだと。
僕は場違いで、なんでこんなところに来てしまったんだろうかっていうのをタラタラタラタラ自分を責める毎日1週間だったんですね。
僕はそんなに野球が元々上手いわけじゃなかったんですけども、なんとか推薦という形で入れたんですけどね、とにかく自分は練習で声を出すことしかできずに、自分のレベルの低さ、あとは周りのレベルの高さに本当に圧倒されてですね、
本当に入って2日目とか3日目ぐらいに心が完全に折れてしまったんですね。
あとはそれに加えて、親の優しさ、ありがたさ、今まで自分がどれだけのびのび生きてこれたのかっていうのを痛感してですね、心が折れてしまったのにプラスホームシックになってしまったわけですね。
これちなみに仮に医療機関の1週間だけの話でこんなにいろんなことを思った、こんな苦しい1週間はですね、今振り返っても本当にないなっていうふうに思ってまして、
いわゆる僕はホームシックと心が折れてしまったことによって挫折をしてしまったわけですね。
家族とのつながり
高校1年生の春、15歳、16歳ですよね、まだまだ。
挫折をして、初めての挫折をしてですね、どうなったかっていうと、とにかく自分に自信がないんですね。
あともう親が、家が恋しくて恋しくて、まだ入学してないですけどね、入学式してないけども、もう学校辞めたいっていう気持ちで、とにかく実家に帰りたい、お母さんのご飯が食べたいっていう一心でですね、とにかく自分を責める毎日だったんですね。
さっきもちょろっと言ったんですけど、僕、携帯が、みんな携帯がないので、親から渡されたテレフォンカードですよ。
今の若者は公衆電話で電話できないなんてよく聞きますけど、僕はですね、本当にテレフォンカードで泣く泣く親に電話をした1週間の中の毎日だったんですけども、
結果的に何とか1週間の帰り入浴期間が終わって、実家に帰省をしました。
その後もう本当に親にもうすぐ、もう無理だ、もう無理、もう野球部辞めたい、野球部推薦で入っちゃってるんで、野球部辞めるイコール学校辞める、転校するっていうところですね。
高校入学する前にまさかの親に懇願するという、親からしたらたまったもんじゃないですよね。
入学金払って、教科書代、制服代、寮の入料代、もう何から何まで入学金も払っているのに子供が辞めたいなんて言うなんて、今思うと本当に何やってんだよって言ってやりたいぐらいですけどね。
そんなことを当時の高校生の僕は気にしてもなく、もう辞めたい、辞めさせてください、すいませんでしたっていうことを親に話をして、
分かった、とりあえず監督に、監督のところに行こうというところで、介入料が終わって、高校入学式になる1週間ぐらい時間が多分あったと思うんですけど、その期間に親と父親と一緒にまた車で寮に行き、最悪ですよね。
一応僕の心の中ではもう辞めますっていうのを監督に辞書しに行ったんですね。
当時、もう今監督変わっちゃったんですけど、当時の僕の高校の野球部の監督は70歳の超ベテランおじいちゃん監督で、もう辞めたいです、すいませんでしたっていうのを監督に言ったときに、監督はお前が一番新1年生の中で声が出ていたし、
そんな辞めたいなんて思ってるなんて思ってもしなかったというふうに言ってくれていて、そこで監督から一言言われるわけですね。
辞めるな、戻ってこい。部員にはお前が異界王になったって言ってやるから、休部してまた考え直して戻ってこい、待ってるよっていうふうに監督から言われてですね。
僕はもう完全に辞める気でいたので、そんなことまさか言われると思わなくて、何ならもうお前が病気になったことに急いでやるから、ちょっと部活休んで頭整理してこいというふうに言われて、放信状態だったんですよね、本当に。
結局その場では退部部活辞めずに、休部するってことになったので、一旦寮の荷物はすべて持って帰って実家に父親と帰ることにしまして、
結果的に5ヶ月間、8月まで休部という形で5ヶ月間過ごして、僕の学校はスポーツクラスというかいろんな部活の生徒がいるので、
クラスメイトに大勢野球部がいる中、そして学校が終わって下校するときには、下校途中に野球部のバスが通るっていう最悪なシチュエーションですよね。
先輩からしたら、こいつもうすぐ休んで実家帰ってあがるわって、当時思われてたんだろうなと思いますけど、とにかく気まずい学校生活だったんですけれども、
当時の3年生が引退した8月のタイミングで、もう一回野球部に戻ろうと決心して、いやいや泣く泣く戻りました。
戻った後は、僕は選手とプレイヤーとしてじゃなくて、マネージャーという形でチームを支えるというふうに決めて、監督も了承してくれたので、マネージャーという形で野球部に戻りました。
結局僕は選手じゃなかったので、1回も高校時代は試合に出ることもなく、バッターボックスに立つことはなかったんですけれども、
当時の苦しい厳しい両生活、マネージャーでも両生活は待ってますので、逃げずにもう一回戻ってやるって決心した自分の気持ちっていうのは、当時の16歳の自分に感謝しかないし、
あとは病気になったことにしてやるから、もう一回考えて戻ってこいって言ってくれた、当時は何言ってるのか、何言ってるのかこのおじさんって思ったけれども、
おじいちゃん監督の僕の恩師ですよね、今となっては。本当にこの監督の鈴木監督っていうんですけどね、鈴木監督のおかげで今の高校無事、野球部も卒業して、学校も卒業して、今があるっていうところがあるので、本当に鈴木監督には感謝しています。
周囲のサポートの力
僕が今回の配信で伝えたかったこととしては、挫折っていうテーマを取り上げましたけれども、挫折をしても周りのサポートがあれば絶対に乗り越えられるっていうことを伝えたいと思ってます。
挫折をしたら本当に自分を責めて周りが見えなくなってしまって真っ暗で、そういうどうすればいいか全然わかんないっていう、そういう時こそ周りの人に、僕だったら野球を辞めたいっていうふうに人に話す。
そして鈴木監督から戻ってこいっていう風なアドバイスを受け入れて、しかもアドバイス通りに行動するということ、これが結果的に僕にとっては挫折をした後うまくいったというところでございます。
これが一番言いたいんですけれども、絶対にあなたは一人じゃないということを本当に言いたいです。絶対周りが見えなくなってしまっても、絶対周りにあなたを見ている人は絶対にいるから、そういう時こそ周りに相談してみてください。
そんな厚苦しい思いを込めて、後ろ向きラジオ会話を終了させていただこうと思います。
次の配信は、こんな僕の厚苦しい20年間の野球の話をゆるゆると緩めてくれる、メイプルインメルボルンのメイプルさんにバトンを出したいと思います。
メイプルさん、一つよろしくお願いいたします。
以上、後ろ向きラジオでした。
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