インドネシアのスカルノ元大統領の夫人でタレントのデヴィ・スカルノさんは昭和15年、東京・麻布霞町(今の西麻布)で大工の棟梁の家に生まれました。

戦時中は福島県浪江町に疎開し、焼け野原の東京に帰りました。貧しい暮らしの中、都立三田高の定時制に通いましたが、父親の死で中退。女優を目指し、赤坂のクラブでバイトしながら母と弟を養っていました。

インタビューの第2話では、子供のころの思い出と、憧れを実現する方法を語っています。


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00:01
話の肖像画
デビ夫人の独白 第2話
目標を持ってチャンスを生かす
デビ夫人は、昭和15年、今の東京西安座部で大工の当僚の家に生まれ、ご両親と弟と暮らしていました。
戦争中は福島県に疎開されたそうですね。どんな子供だったのですか?
夜空に光る星空を見上げては、小さくて狭い日本ではなく、絶対に世界へ羽ばたきたいと考えていました。
疎開から帰った東京アザブは、やけの原でした。ペンペン草が私の背の高さより伸び、掘ったて小屋がたくさん建っていて、
トタン屋根の掘ったて小屋は石で抑えられ、闇屋のおばさんたちがそこら中にいました。
敗戦後の暗い時代で、食料なんだった。おもちゃもなくて、そのせいかものすごい文学少女でした。
本を読み漁っていました。読書をすることだけが私の楽しみでした。
フランス文学ではステファン・ツバイクのマリア・アンタネットを読みました。
その中で、マリア・アンタネットが犯した随一の罪は、女王として幸せになるより、一人の女性として幸せになることだった、というのはステファン・ツバイクの最後の言葉でした。
それに大変感銘を覚え、私のバイブルとなりました。
一人の女性としてスカルノを愛すのではなく、スカルノ大統領に尽くし、国と国民の繁栄を祈ることが私の道であると。
バルザックの谷間の百合を読むと、私はアンリエット・モルソフ氏になりきっていました。
スタンダラの赤と黒だと、レナール氏になりきりました。
イギリス文学のアラシ・ガオと、私はキャサリンになりきりました。
ロシア文学ではトルストへの戦争と平和、ナターシャになりきりました。
チェーホ・プーシキンまで、モーパスさんの女の一生は3回ぐらい読みました。
結婚前、結婚後、子供を産んでから、そして未亡児になってから。
モーパスさんの女の一生は、それぞれ時代によって見方が違いました。
文学が私の血となり肉になっていたので、後にパリに亡命した時には水を得た魚のように動き回ることができました。
03:00
少女時代から釈放家やお姫様に憧れていましたね。
ハリウッドの俳優さんにも、ピア・アンジェリー、リタ・ヘイワス、デボラ・カー、
あの頃の映画雑誌、スクリーン、映画の友のそれら女優さんの髪型やドレスも夢中になって見て研究していました。
うちの近くに陸軍保衛第三連隊という兵舎がありまして、
白い制服に金モール、金ボタンの将校たちが活歩しているのを見て育ったのです。
戦後そこがハリバラクスというアメリカ軍の駐屯所になって、彼らが話す英語に憧れました。
そして独学。中学の時は英語はクラスで一番でした。
高校生の頃は1日が30時間、1週間が10日ぐらいの感じで、よく学び、よく働き、よく遊びました。
学校に行ってアルバイトをして、オペラ歌手に憧れていたので、ハリウッドで活躍したこともある。
その当時の国際俳優、早川施主の陶芸プロのところで、2期生として演技の勉強などを稽古していました。
父が亡くなってから、時々ナイトクラブでアルバイトし、母と弟の面倒を見ながら、羽生梅志先生に就き、日舞や創月流の稼働を習い、教養を身につけようとしていました。
18歳で、すでにお金のかかる当時のファッショナブルな服装をしていました。
レビィ夫人は憧れを一つずつ実現していかれたのですね。私たちが見習うにはどうすればいいのでしょうか。
誰にでもチャンスはあるんです。そのチャンスに気がつくか気がつかないか、しっかりつかむかどうかなんです。
つかんだら、寝ないで、休日も返事をして仕事をして、努力した人が成功するのです。
どういう人がせっかくのチャンスに気がつかないか、それは目標や目的、使命感を持っていない人たちです。そういう人たちがチャンスを見逃してしまうのです。
気がつかないのは本当にもったいないです。自分で見過ごしちゃって後で不平不満を言い、社会を恨む、これもいけないと思います。
私はいつも自分を戦場の一戦士と思ってきました。この世に生を受けた以上、生き抜かなければならないという業を背負っています。
人間は努力して生き抜かなくてはならないのです。人生は戦いです。
06:01
子供の頃に憧れていたレザル・ステーラーやマリリン・モンローと初めて会った時は感動しました。会えるなんて思ってもいなかった人が目の前にいる運命に変わっていたのですからね。
私、最近選ばれる女におなりなさいという婚活に関する本も書いています。独身女性や結婚した女性の方々にもぜひお読みいただきたいと思います。
デビー夫人の独白。次回はスカレノ大統領との結婚について語っていただきます。
話の肖像画。ナビゲーターは相川優里がお届けしました。
3K新聞社がお届けする戦後紙開封。最後までお聞きいただきありがとうございます。
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