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2022-11-16 23:16

97歳の生き字引が語るW杯の魅力 サッカーライター・賀川浩さん

「森保ジャパン」が史上初の8強入りを目指すサッカーワールドカップ(W杯)カタール大会がいよいよ、20日に開幕する。
産経新聞OBで、日本人で初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞した賀川浩さんは1974年の西ドイツ大会から2014年のブラジル大会まで10大会を現地で取材してきたW杯の生き字引的存在。
現役最年長サッカーライターとして知られる賀川さんに数々のスター選手を輩出してきたW杯の魅力と、「森保ジャパン」への期待を語ってもらった。(聞き手・北川信行)

■賀川浩(かがわ・ひろし)

大正13年12月29日生まれ、神戸市出身。神戸一中から神戸商大。陸軍の特別攻撃隊に所属し、現在の北朝鮮で終戦を迎えた。昭和27年に産経新聞に入社。サンケイスポーツの編集局長(大阪)などを歴任し、独立。サッカーのW杯を10度取材し、日本人初の国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞。平成22年に日本サッカー殿堂掲額。

 


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【制作】産経新聞東京本社・運動部
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00:00
産経新聞のPodcastでお届けするスポーツここが知りたい。
本日は、最年長サッカーライターで、産経新聞の大先輩でもある香川博さんの2回目の登場です。
香川さんは、1974年のワールドカップ西ドイツ大会から2014年のワールドカップブラジル大会まで、
10大会を現地取材してきた、ワールドカップの生き地引きとも言える存在です。
香川さんに過去のワールドカップを振り返ってもらうとともに、
かたある大会に臨む森安ジャパンへの提言も語ってもらいました。よろしくお願いします。
今日はね、ワールドカップの話を聞こうと思って。
香川さんは、どれが面白かったというか、ワールドカップって大会ごとに面白さみたいなのがあると思うんですけど。
そうね、僕はおかげで、生まれて初めてワールドカップの大会を見たのが、決勝がヨホン・クライフのオランダと、
それからベッケンバーの西ドイツ、今の人から見れば夢のようなカードで当たりましたからね。
あのおかげで僕のサッカーがより好きになった感じはありますかな。
やっぱり、1974年の西ドイツのワールドカップは、そういう新しいサッカーみたいなのが出てきた大会だったと思うんですけど。
うん、そういうことでしたね。
まあ、74年そのものが、決勝まではオランダの認知が圧倒的でね、
決勝の前の日の晩でも、民間の街中はオランダ人が、オランダが勝つんだという歌を歌いながらね、
みんなで群れて歩いてたぐらいですけども、それが、ドイツだって勝つチャンスがあるよって言って、
僕がドイツ人の泊まっているところのご主人に言うたら、ものすごい喜んでたけどね、
ドイツ人もほとんどオランダで負けるもんやと思ってた。
そういう時ですから、試合そのものも面白かったけども、
全体の雰囲気がね、非常に面白かったですね。
やっぱりそこから10回ね、ワールドカップを現地で取材されていらっしゃいますけど、
やっぱり一個一個が結構たくさん思い出がありますか?
そうですね、どのワールドカップもそれぞれが、
ワールドカップ自体は、なんて言ったっても、世界で最も盛んな競技のトップの選手が、
それぞれの国の代表で出てくるわけですから、
それがワールドカップの回数が重なる程度でね、
03:01
各国ともにワールドカップそのものに対するファンの気合の入り方も違ってきましたから、
そういう意味では年々ささいさい盛り上がって、
それがまた、今度は世界中にもその気持ちが広がってね、
いよいよ盛んになったということでしたね。
なるほど、なるほど。78年はケンペツのワールドカップですね。
ケンペツのワールドカップ、あれはたまたまブラジルワールドカップ、
長く売るチャンスができて、自分的にも面白かった大会ですね。
82年の思い出はどうですか、スペインです。
82年はスペインがね、スペインが24チームになって、
チーム数が増えましたかね。
チームが増えたんでね、ちょっと忙しい大会でしたね。
ですけど、あの頃からワールドカップというものが、
ヨーロッパの本当のサッカー好きにも定着していた頃ですからね。
82年というとイタリアのロッシュとかの活躍がありますね。
ロッシュのね、その前に八王朝問題があって、
サッカーもいろんなことを言われてね、
その中でワールドカップがあって、
その八王朝で都閣の話があったイタリアが勝ったわけですから、
まあ面白かったですね。
あの時のイタリアの勝ち方なんか、
なんかこんなのでいいのかなという勝ち方でね。
だからその中でワールドカップは自衛戦があったり、
なんかいろんな話題が出てきましたよね。
86年のメキシコがマラドーナのワールドカップですね。
これはもうマラドーナ大会ですよね。
デーゴ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ。
僕はあの日は車席にいましたけど、
車席でもうカメラ持って行って、
上からマラドーナを撮るチャンスがあったぐらいでね、
もう余計に印象が強いですよね。
あの5人抜きの写真をご自身で撮られてましたもんね。
撮りましたよね。
こうこうこうこうこう、
ここからこう来てこういう生き方で、
最後右に出て、左に出た。
まあああいうことを、
デーゴ、マラドーナというのはやれる選手なんですね。
やっぱり特別な選手ですか。
うーん、そうですなあ。
またそういう特別なチャンスというか、
特別な運を持ってますよね。
それがみんなマラドーナことだけ言いますけどね、
ペルさんもね、マラドーナもね、
一試合の後半の中頃になってね、
06:04
両方が盛り上がっていくときにね、
彼ら自身も盛り上がるわけね。
ああいう大戦災はね。
彼ら自身が盛り上がってきてね、
それが爆発するわけですね。
そこがね、面白いと思うんですよね。
それはそういう見方を見ているわけでは少ないけどね、
やっぱりそういう特別な、天才的な、
才能のあるプレイヤーが、
自分だけ才能を持っている人が、
そういう大きな大会で力を発揮するというのも、
まだワールドカップの面白みではありますね。
そうですね。
やっぱりそれが周りの観客だとかスタジアムの雰囲気で、
スター選手も自分を高揚させて、
すごい活躍をするということですね。
上から見ていると、
彼本人が盛り上がっているのがわかりますよね。
なるほど、なるほど。
そういうのはやっぱりすごいですよね。
1990年を覚えていますか?
ベッケンバーガーが監督としてドイツが優勝した大会ですが、
1990年。
1990年の場所は、
イタリアですね。
イタリアで、
決勝自身も運が面白いわけではなかったですね。
1点だけ点の入り方で。
そういう、どういうのか。
例えば、1974年みたいに点の入れ合いで、
あれは3対2だったかな。
そういう点の入れ合いで、
勝負を発揮して面白いのも、
ワールドカップだし、
あんな1点だけしか入らない大会でも、
その1点の重みのね、
それが面白かったですね。
彼が勝ったから、
テレビ、場内のテレビにも大きい映った時に、
あれだったら、
イタリア人からブーリングも出ましたけど、
そういう、自分が世話になっているそこの国で、
マラノーナが勝ちというのも、
またマラノーナの強さではありますよね。
ちょっとこう、悪役のヒーローみたいな感じ。
悪役になったよね、マラノーナ。
彼が所属してたのがナポリだったから、
南の方のナポリだったから、
ちょっとこう、逆に北の方の人とのこう、
感情の違いみたいなのもあったような感じがしますね。
そういうことです。
そういうのがね、
いわゆる大戦士というね、
同じスター級のスターであっても、
やっぱりそういうふうに、
ワールドカップの中で、
その本番で、しかも決勝で、
ちゃんと活躍できるという、
09:01
そういう運命的なものを握っているところにね、
やっぱり大スターの出口がありましたよね。
それが手で山田どうやら、
ただ単に普通の、
そこの国の代表のスターだと言うだけじゃなくて、
やっぱり世界のスターだったと、
後から思い出してもね、そうなりますね。
そこはやっぱりワールドカップの決勝とか、
そういう大舞台で活躍できるかどうかっていうのは、
大きいかもしれないですね。
そうそう。
だから、そこで、あの場で活躍できる選手というのは、
別格のものをどこかで持っている可能性がありましたね。
94年のアメリカの大会はどうですか?
アメリカの大会はね、
僕は自身、アメリカの大会は非常に期待していたんですけど、
やっぱり後から思うと、
ちょっと物足りないところはあったんですよね。
ですけど、やっぱり、
アメリカという国の中で、
あの広いところで、
東の端で決勝に勝ったチームと、
2008年までやっている試合をするわけです。
そういう、今までヨーロッパという国の大きさと、
同じ、アメリカ一国ヨーロッパの大きさみたいなところがありますから。
面積的に言えばそうですね。
そうそう。
だから、そういうものを乗り越えても、
結局、ワールドカップというものは成功してしまうというところにね、
サッカーそのものの大きさというものは、
改めて感じましたけどね。
今まで、それまでアメリカというのはサッカーあんまり人気がなくって、
不毛の地だって言われてたけど、
そこで開かれたワールドカップで、
やっぱりこのサッカーというものの、
世界性みたいなのが改めて出たのかなとは思ったりします。
そうですね。
と言って、あれでよってね、
アメリカがその後滅茶滅茶にサッカーに人気が出たというのでもなくね、
アメリカという国は自分らの国のスポーツ、
自分らの国で自分らがスポーツを勝手にやってるなという感じが、
なんとなくしてましたね。
ですけど、やっぱりそのアメリカでさえあれだけのお客が入って人気になるんですかね。
それは面白かったですね。
なるほど。
ナンチのどの大会でも、
それまでの大会よりもお客さん多いんですからね。
いかにアメリカというのは、
世界中の人間が集まっている国かということがね、
12:02
あの時分かりましたね。
なるほど。
いろんな国。
いろいろと言ったらね、
そこの応援に来てる人間だけでね、
母国の人間がみんな来てるわけですよ。
なるほど、なるほど。
偉大な国。
僕は偉大な国だなと思ったね、アメリカというのはね。
人種のるつぼって呼ばれますけど、
どこの国やろうと、
そんだけたくさんの人が来てくれる。
そうそう。
だから南の方で、
ブラジルと、
どこからやってもね、
応援になるしね。
それは面白いところですね。
98年はフランスが優勝しました。
日本も初めて出場しました。
98年ね、
あの時ね、生まれて初めてというわけですよ。
我々にとっては、
ワールドカップに行って、
そこで自分の国の代表チームが試合をするような、
なんか嬉しいような、
帰ってそのために、
木がそちらの方に半分向くからね、
いつものようにワールドカップ全体を楽しむという、
僕らはワールドカップそのものの楽しみが多かった。
そこで日本というものが大好きになる。
そういう意味でのね、
非常に変わった、
僕自身にとって変わったワールドカップではありました。
だけどそれはそれで、
自分の国が試合に出たらこんな感じになるね。
嬉しいのか悲しいのかよくわからない。
はっきり言うたら、
日本が勝ってくれるのは困るけど、
日本が勝つような大会ではつまらないしね。
大会のレベルとしては、
あの時のまだ日本のレベル。
そういうね、
ワールドカップというものに対する、
僕自身のワールドカップに対する思い入れと、
日本に対する思い入れが重なり合って、
複雑な大会でしたね。
結果的に日本は一つも勝てなかったんですね。
勝てなかったけど、
それがやっぱり実力で、
あのまま出て行って、
勝てるチームをもう持って行けなかったというところに、
まだあの頃のね、
日本のサッカーの弱さがありますよね。
やっぱりワールドカップに行くためには、
出て行けばそこで勝てるチームをね、
ソチランもスカルタンも勝てるチームを作らないとね。
ソチランがグランデーに入ってね、
日本選手がグランデーに出てきて、
バーっとグランデー切った時にね、
日本選手が全体として、
雰囲気で押されているわけですよね。
だからその日本選手が出てきてね、
さあやるぞってパーっと力がいかんのがね、
15:02
日本の選手が出てきてもね、
なんとなくね、どんなにすんねんという感じでね、
日本の選手の意地もね、雰囲気に伸ばれてね。
最初のフランスの時はですね。
そりゃあこっちの北の方もね、
なんとなくね、心細い感じ。
なんか伝わってくるんですね。
次が2002年の日韓大会、
日本と韓国でやったワールドカップあったでしょうか。
これは日本と韓国でやるというね、
僕らにとってはありがたい大会。
最初は韓国で最終党の試合を見て、
それからこの北海道へ飛んで、
という風な動き方をしたんです。
やっぱり日本でやるという点では、
非常にありがたかったけれども、
それだけに、僕らにとっては非常に
日本の運営の仕方もね、
しっかりしてるし、
世界に対して顔が向けられた大会ではありましたよね。
日本代表も決勝トーナメントまで進んだでしょ。
そうですね。
仙台のまで行って負けたんですよね。
あれが惜しいですよね。
やっぱりちょっと運営上がる段階のところで、
やっぱり、
自分の持っているものを全部出せるような
チームに来てくれてないとね。
やっぱり本番に出る以上は、
自分の国の準々決勝を目指すだけでなしに、
準々決勝まで行くのに、
もうちょっとしたら引けたな、
惜しかったな、というぐらいの勢いがありましたね。
なぜなら。
見てる方も、
勢いがつきますからね。
なるほどね。
他の国はね、
だいたいサッカー王国というのは、
あかんでもね、
準々決勝のあたりの辺までね、
ホームチームがね、勢いがつくんですけどね。
日本にはホームチームであっても、
ホームチームの勢いがね。
なるほどね。
日本のお客さんの方も、
ちょっと遠慮してね、という感じがあってね。
これは日本独特の感じですね。
文化的なものがあるかもしれないですね。
次が2006年のドイツの大会です。
僕も一緒に香川さんと行きました。
ドイツという国は、
サッカーを自分が強いだけでなくて、
みんなが楽しむというか、
みんながサッカーを本当に好きだし、
よく知っているからね。
大会そのものを、ゲームそのものを
見ることそのものが、
ドイツの国全体の楽しみになりますよね。
18:00
それが日本みたいに、
ちょっとマイナーなところから行ったで、
行ったお客さんにも反応してね。
レベルの高いサッカー国で、
サッカーの試合を見るというね、
その面白みはありましたね。
次の2010年の南アフリカは、
ちょっと体の調子が悪くて行けなくて、
南アフリカはね、
あれはもったいなかったね。
最後が2014年のブラジル、
10回目行かれたですよね。
ブラジルのワールドカップはね、
ブラジルのワールドカップは、
あの前から、ペディピョン、
マラドーナを呼ぶという話に、
僕はその前に関係して、
いろいろプロの呼び屋の練習とも、
いろいろと仕合が来たもんだから、
マラドーナを呼ぶかもしれないということを
やったおかげで、向こうで、
マラドーナの関係者と、
随分仲良くなってね。
マラドーナの当時の、
アルンチの監督だった、
ある程度仲良くなって、
おかげでサッカーの顔が増えて、
いろんな意味で、
プリキュアが広がりましたけどね。
最後に質問があるのはですね、
今年、カタールでワールドカップがあるでしょ?
日本代表は、
だんだん良くなっていると思いますか?
そうですね。今の日本のサッカーは、
16から言うとね、
出たらね、準優決勝を目指すぐらいの
力にならないといけないところですからね。
また、
なっては当たり前の時期ですわ。
まあ言うたらなんですが、
こんなにサッカーを一生懸命、
ワールドカップの優先でも、
ワールドカップの強化対策でも、
こんなに一生懸命やっているところは、
世界にないと思うんです。
世界もみんな一生懸命やっていますけど、
日本人の、
ワールドカップに対する、
日本の教会の力の入れ方なんてね、
ちょっと普通から考えたら異常みたいに、
一生懸命やっていますからね。
それは日本人の気まじめさだとか、
そういうのがあるかもしれない。
そういうところがあるかもわかりませんね。
ワールドカップは、
サッカーでみんな集まって大会をやるだけなんですけど、
日本の教会は、
ワールドカップの予選に行くと、
プロレスラーが真剣になって取り組んでいるんですよ。
だからそれが、
21:00
そのうちに本物になってこないと、
せっかくなんですが、もったいないです。
やっぱりそういうのが、
努力が身を結ぶと、
サッカーももっともっと日本で盛んになるかなと思いますよね。
やっぱり日本人はね、
世界の大きさとか、
世界でどれだけ盛んなのか分からないからね。
ワールドカップのあそこに出ているということが、
どれだけすごいことかもね。
いろんなことで、みんななんとなくそう思っているけどね。
口では、僕らも書いてみんな言っているけどね。
世界中の事件からしたらね、
日本はサッカーのあそこでね、
あの場合に出てきてね、
ワールドカップの本番で試合していると言ったらね、
ものすごい大きなことなんですよ。
それがどれだけでかいことかということは、
あんまり分かっていないんですよ。
実際はものすごいでかいことなんでね。
やっぱりそのことから思えばね、
ここまで来ているんやからね、
もう少しちょっと上に上がればね、
世界で認められれば、
逆に世界から跳ね返ってくるんで、
日本のサッカーもまた今度は、
日本人が世界に向いて、
自分のところのサッカーをできるね。
そういう時期が来ると思うんですけどね。
そうなっていけばいいですね。
分かりました。ありがとうございます。
ありがとうございました。
小川博史さんにワールドカップの歴史を振り返ってもらいました。
ありがとうございました。
23:16

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