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2022-11-30 17:26

〝キャップナンバー1〟が語る草創期 元ラグビー女子日本代表・岸田則子さん

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今年8月、東京・秩父宮ラグビー場で、国際試合に出場した歴代女子日本代表選手の功績をたたえるキャップ授与式が行われた。15人制で〝キャップナンバー1〟となったのは、日本協会に女子部門がない時代から競技の普及や発展に尽力してきた岸田則子さんだった。
岸田さんに草創期の苦労やこれまでの歴史などを聞いた。(聞き手・橋本謙太郎)


■岸田則子(きしだ・のりこ)
1946(昭和21)年3月生まれ、東京都出身。37歳だった83年に世田谷区の講習会に参加後、ラグビーを本格的に始める。88年には日本女子ラグビー連盟を設立し、専務理事に就任。女子ラグビーの普及に尽力するとともに、プロップとして91年の第1回ワールドカップに出場した。2010年に日本ラグビー協会内に女子委員会が発足すると、16年3月まで委員長を務めた。代表キャップは3。


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日本女子ラクビー連盟の草創期
産経新聞のポッドキャストでお届けするスポーツここが知りたい
担当は産経新聞運動部の橋本健太郎です。今回は日本で女子ラクビーの道を切り開いてきた第一人者
岸田瑠子さんにお話を伺いします。岸田さんは1983年37歳で当時は男性のスポーツとみられていたラクビーを始めました。
その後活動を広める1988年に日本女子ラクビー連盟を発足。日本ラクビー協会に女子部門がない中、1991年に始まった女子ワールドカップには自費で参加。
2010年に日本ラクビー協会に女子委員会が発足すると2016年まで委員長として女子ラクビーの普及育成に尽力されていきました。
本日は岸田さんに日本女子ラクビー会の早々期やこれまでの歴史についてお伺いいたします。岸田さんよろしくお願いいたします。
それでは早速ですがこの度は本当におめでとうございます。ありがとうございます。
8月27日のことなんですけれども秩父宮ラクビー場で日本女子とアイルランド戦の際に歴代女子日本代表選手へのキャップ授与式が行われました。
キャップ制とは一般の人にはあまり馴染みがないかもしれないですけれども、ラクビー界では国際試合に出場した選手の栄誉を称えて帽子を贈呈しています。
ただこれまで日本女子にはキャップ制は何年か前に導入はされていたんですけれども、実際に贈呈式を行えたのは今回は初めてということです。
岸田さん実際にキャップを手にした感想はいかがですか。
正直私はそんなに感激したとかはないんですけど、ただこの授与式のためにアメリカからビザとかそういう関係で大変な思いをしたらしいんですけど、
アメリカからそれからニュージーランドから帰ってきた選手がいて、それでその人たちがとても喜んでいたので、それは本当に私にとって嬉しいことでした。
苦労していって何もなかったのが、やっぱりそういうキャップという形でいただいたという本当にみんな喜んでいました。
同感をしています。今回対象者が15日制で197人で、セブンズで112人という結構な人数ですよね。
これだけの人が女子ラッキーウィーカーを支えてきた。
1回、1回、第2回にログアップに出た人はすごく多かったです。出席率が高かったです。
海外から出てくるというのはやっぱり考えがかりなかったですか。
はい、嬉しかったですけどね。やっぱりいい思い出というか、それをやってくださって本当にありがとうという感じですよね。
女子ラグビーの草創期
記者さんがラグビーを始めたきっかけというのはどういうものだったのでしょうか。
ラグビーマガジンに女子がラグビーを始めたという記事を見て、知り合いを通して私もやりたいからと直談判して練習場所まで行きました。
どういう人たちが練習してたんですかね。
はい、それは世田谷の区が主催した体験講習会に男女問わずということだったので、女性が数名参加したそうです。
そこでその方たちが続けている間に、そのことが記事になって出てましたので、それを見て応募したというか、直談判というか入れていただきました。
私は目黒区なので、世田谷区民ではないので、本当は越境だったのかもしれませんが。
その後、世田谷ラグビースクールに女子部ができることになったのはどういった感じだったんですかね。
はい、やっぱりたくさん若い女性がラグビーをやりたいと思っていたんでしょうと思うんですが、そういうことで東京中あるいはもう本当に埼玉や神奈川からも女性が集まるようになってきて、とても人数が多くなりまして、30名ぐらいになりましたので、一応女子部ということになりました。
そのラグビーを女性がやることに対する反発といいますか、なかなかそのすんなりと受け入れてもらえない雰囲気もあったかに。
まあそうですね、社会的には男のスポーツという概念が強いですし、当時は総名戦国立でやったのには満員になるくらいラグビー人気で、
それから新日鉄釜石の松尾さんやなんかがすごい人気だった頃なので、本当に男性のスポーツっていう感じでしたので、
なんで女子がっていうのは、ラグビー協会やなんかの方もそう思ったんじゃないでしょうかね、なんで始めなきゃならないんだっていう。
それでもずっと続けられたのは何か。
まあ認められないので、実績を作っていくしかないと思って、組織を作ったということですね。
それが1988年の日本女子ラグビー連盟ですか、これは記者さんが中心になって何人くらいで作られたんですか。
最初は4人ですが、世田谷隣立にいましたので、スクールは面倒くさい校長とかがいるんですよね。
男性なのでそういう方たちとやっぱりちょっと考え方が違って、組織を作って私たちはできる人がやればいいっていう考えだったんですけれども、
男性陣はきちんとした組織を作って、まず表向きっていうか、トップも男性がなるべきだとかそういう考え方だと思うんですけど、
世間知らずという意味もあったんですけど、やれる人がやればいいんじゃないかという考えで、女子でやり始めました。
あと失礼ですけれども、37歳で始めたっていうところもすごいなと思うんですけども。
本当ですよね、今思えばそうです。
大変でしたか、体力的にも。
体力って大変でした、練習きつかったです、世田谷の練習は。
男性女性関係なく37歳でそれだけつらかったら続けないと思うんですけども。
そうです、本当に。
ワールドカップ出場の草創期
だから選手としてのことは身の継ぎっていうか、組織とか、プレーヤーなんかではやっぱり引け目があるわけですよね、年齢的なもので、いつもそうで。
ただ組織はきちんとやっていこうっていう気持ちはあったので、いろんな方に助けていただきましたけども。
そういう状況下で1991年のワールドカップに出場されたじゃないですか、これもどういった経緯で。
はい、その前の1990年にニュージーランドに、実はオール東京って、これもう本当に2チーム作って行ったので、40人ぐらいでニュージーランドに行ったんですけども。
そこで来年ワールドカップがあるっていうことを聞きまして、それでコンタクトを自分たちで取って大会に出場したわけです。
どうする、IRBとコンタクトを取られたってことですか。
IRBは監視していないんですよ。IRBはやっぱり女子認めていないので、第3回のワールドカップからIRBは主催になるので、
第1回と第2回は、これまた女性たちが主催して自分たちがやり始めます。
実際にワールドカップに行かれて、簡単じゃないですよね、書類とかも結構。
今はちょっと思い出せないくらい、多分ファックスと電話だけでやったと思うんですけども、メールとかなかったので、パソコンは使ってませんでしたから、
よくどうやってやったのかなって思います。
選手選考とかどうされたんですか。
選手選考は実際は、本当に2週間仕事とか行ける人で、
なおかつ3,40万円の自費を払える人がいたわけです。
全額自費ですか。
大変ですね。今振り返っていかがですかね。
時期相性って言われるのはわかってたし、自分たちの実力もそんなないのはわかってたんですけども、
やはり早く世界を見た方がいいだろうっていう感じで、
その人と一緒に行った選手たちも、やっぱり自分たちでやろうっていう感じが強かったので、
何しろ全部自分たちでやらなきゃならないので、向こうに行ってもコーチも、それから
メディカルとかドクターもいないので、本当に自分がやらなきゃっていう感じの人ばっかりで行ったっていうことですね。
社会人、学校の先生、インストラクター、そうですね。
いろんな職業の方がいましたね。
あとキャップ常識の話に戻るんですけども、
岸田さんからキャップの話を伺ったのっていうのは、私2016年の春頃に伺った記憶があるんですけども、
当時亡くなられてしまいましたけれども、裏切り研究科の秋山陽一さんの協力を得ながら、
キャップ対象者への認定というか、そのための資料を岸田さんが今整理されているんだよというような話を伺った記憶があるんですけども、
練習場や条件の難しさ
記録っていうのはちゃんと保管されてたんですか?
はい、例目作った時から記録はきちんと取ろうということだったんですけど、
全部あるわけではないし、
後退とかもあるので、でも本当秋山さんはね、よく細かいのまで撮っておいてくださって助かりました。
ビデオとかも?
はい、あの第1回のワールドカップの8ミリですよね、当時。
それを秋山さんが自分のお家でCDに直してくださったので、本当にありがたいと思っています。
そのCDを見てトライとか出場選手確認したりとか?
ありました。
IRBからも問い合わせがあって、スペイン戦が何点対何、ちょっと2点差ぐらいあったんですけど、
それを見てトライがいくつって感情しましたね。
第一回ワールドカップの時とかは、実際に世界と対戦して手応えはいかがだったんですか?
最初のフランス戦は60点差がついて大変だったんですけど、
スウェーデンは20点とかいくつでそれほど差がなかったので、
ただイングランドとアメリカの決勝戦を見た時は、やっぱり衝撃を受けました。
女の人がこれぐらいできるんだっていう、パスは速い、走るの速い、キックはすごい、
女性でもここまでできるんだっていうので、それを見ただけでもいった価値があったんじゃないかなと思います。
当時の練習はどうされていたんですかね?
もう何もないし、私たちが借りているグラウンドでやるしかなかったので。
グラウンドはどこを使っていたんですか?
いろいろですね。
行為に甘えていろんなところに行きました。
企業のグラウンドを借りていたり?
大学の、埼玉大学のグラウンドを貸してくださった時もありますし。
その交渉というのも、汽車さんたちが?
誰かが、親切な方とかのつてを頼って、練習場は確保しなきゃならない。
大体、年間に何日くらい練習できていたんですか?
ほとんど毎日曜日と、ワールドカップに行くときはちょっと多かったかなっていうので、
あとは自習練ですね。自分たちで体を作って走ってということをしないと。
これはもうちょっと続けられないなと思ったことはありましたか?
現在の女子ラグビーの状況
連名設立でやっぱり3年は大変でしたね。
石の上にも3年と言いますけど。
だから大会だけは、年1回の大会だけは続けてきたんですけど。
それで2002年に日本協会に官名したじゃないですか。
それで状況ってだいぶ良くなったんですか?
いや正直そんなに変わらないというか、変わったのはオリンピック種目になるっていうことがわかってからです。
2009年。
2010年に女子委員会が立ち上がって。
岸田さんたちのそうした苦労の積み重ねがあって、今の日本ラクビー界の女子の進歩というか進化につながっているかと思うんですけども。
今、日本協会副会長が浅見さんという女性なので、彼女なんかはよく昔じゃないですけど、そういう話をしてくださっているので、すごくありがたいことだと思います。
今年の秋ですね、10月、11月に第9回ワールドカップがニュージーランドで開催されてですね、日本女子も出場しました。
どのようにご覧になられましたか?
とてもよく戦っていたとは思うんですが、やはり勝つということの難しさ、一生の難しさを私も感じましたし、関係者一同そのように勝つということの難しさを感じたということを聞いています。
確かに結果としては本当に3戦3敗で勝ち点が一つも取れなかったという結果だったんですけれども、
それでもですね、1994年の第2回大会でアメリカとは100点ゲーム、0対121で負けていて、
今回17対31まで近づいてきて、歴史を積み重ねとともに進化してきているという手応えはありますかね?
はい、やはりとても選手の環境も良くなっていますし、強くなっていると思います。
またコーチも素晴らしいですし、女子ラグビーの環境そのものがだいぶ良くなっているんだと思います。
頼もしい後輩たちですか。
はい。
ラグビーの魅力
改めてラグビーの魅力というのはどのようなところにあると思いますかね?
やっぱり面白いスポーツなんだと思うんですよね。
何でもあり、私は運動能力がないですけど、運動能力のある人は面白いだろうなと思いますよね。
走って投げて、キックして、あとは判断。判断はどうでしょうね。一瞬の判断とかそういうものを求められますよね。
わかりました。本日はお忙しいところどうもありがとうございました。
いえ、どういたしまして。ありがとうございました。
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