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2022-12-26 22:55

ステンレスに特化したバルブ・メーカー/㈱コンサス/創業は平成元年

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ゲストはステンレスに特化したバルブ・メーカーである株式会社コンサスの代表取締役社長・土井靖士さん。製作しているのは、医薬、食品、半導体など、ケミカル系に使用される、錆びにくいバルブ。身近なものでは、水道の蛇口やガス栓がそれにあたる。


【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)

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00:00
改めまして、今晩のゲストはですね、株式会社コンサスの代表取締役社長、土居康史さんです。土居社長、こんばんは。
こんばんは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今晩から3週間にわたってお話をたっぷりと伺おうと思っているんですが。
はい。
まず、コンサスという会社の業務内容といいますか、どういうことをしている会社なのかということを教えていただけますか。
はい。当社株式会社コンサスはですね、バルブでもステンレスに特化したバルブメーカーです。
バルブっていうのは、ライフラインをつなぐ非常に重要なもので、ライフラインに例えば水、電気、ガスのこの3つのうちでですね。
電気は電線を通しているんですけど、あと水とガスっていうのはパイプの中ですから、制御をするのはバルブなんですね。
そういう意味では本当にいなくてはならないものなんですけど、その中でも当社はステンレスっていうふうに特化してまして、ステンレスはステインとレスですから錆が否定型になります。錆ない錆びにくい金属なんですね。
ですから医薬だとか食品だとか半導体とかケミカル系のところに使うバルブを製造販売させていただきます。
錆ないということですから寿命も長いということですか。
そうですね。錆ないというか錆びにくい。ただものすごく塩分が高いところなんかでは錆びることはありますが、他の金属と比べると真っ赤になるということは少ない金属です。
なるほど。このバルブの働きっていうのは要は水とかガスとかの流れを制御するという理解でよろしいでしょうか。
そうですね。流したり止めたり流量を調整したりというものですね。
なるほど。非常に大事な調整薬ということになるわけですね。
そうですね。もしも潰れたらほっとくわけにはいかないので、もうダダ漏れになって周りに被害を及ぼしたりガスだったらそれこそもう死んじゃったりするので、要は修理はすぐしないといけない非常に重要な機器になります。
なるほどね。これ僕たちが日常的に見ることはあまりないものですか。
そうですね。バルブとしては屋根裏だとか地中に多いんですけど、一番身近なのは水道の蛇口だとかガス栓もバルブになります。
あれはそうなわけですか。この製造販売を創業時からされている会社ということですか。
そうですね。平成元年に創業した会社なんですけれども、バルブ業界というのはそこまでニーズがどんどん増えるところではないので、多分平成以降に生まれた会社でそこそこやってるのはうちぐらいが最後じゃないかなと思ってます。
あとはもう本当に古い会社が多い会社の業界ですね。
じゃあ業界では新規参入のほうになるわけですね。
そうですね。非常に若い会社だったと思います。
なるほど。それだけにいろんな挑戦をされていると思うんですが、このコンサスという社名ですね。少し僕も調べさせてもらったら、ドイ社長がお付き合いになったということだそうですが。
私が大学4年生の時に父が前職からバルブを売る商社に独立する。その時に会社名を考えてくれって言われて。
03:09
実は私まだ大学生で就職活動してた時やったんですけど。ただ将来どういう商売するかわからないから、例えばドイ商店とかドイバルブってなるとバルブしかダメだから何にでも業態ができるような名前がいいっていうことで。
それやったらもう横文字にしようかっていうことで。
父にいろいろ聞いたら、信頼されたいとか成功せなあかんとかいろんなことを言ったんで。僕はそれを英語に書き換えて、信頼のコンフィデンスと成功のサクセス、そしてお客様と我々のコンセンサスを見出したいということで、それを作った造語です。
少なくとも3つの願いがこもってるわけですね。
そうそうなんです。だからよく周りから、これトヨタのレクサスの真似したんちゃうんかとか、Googleのレクサス真似したんちゃうんかって言われるんですけど、私ども平成元年からこれ使ってます。
うちの方が古いので、もしかしたらうちを真似したんかなっていうように自分は言い聞かせてます。
なるほどね。大学は英語にそれぐらい堪能だということは、英語専門の。
いやまさかまさか。別に全然堪能でもなんでもないんですけど、ただ大学卒業して外資系企業の方には3年ばかり勤めてました。
なるほどなるほど。分かりました。大学の話でちょっと出ましたんで、就職する際はお父さんが作った会社には最初から入ろうとは思ってなかったんですか?
いやもうさすがに大学4年で出来立てホヤホヤの、勝手に55歳で独立しましたから、まさかそんな一緒に仕事するなんて夢を持ってませんでした。だから自分で就活してました。
じゃあ最初はあまり安定性とか将来性にはクエッションマーク持たれてたんですか?
いや、入社した後も安定性将来性はクエッションついてたように思います。
なるほどなるほど。分かりました。最初はどういう会社に入られたんですか?
大学卒業してですね、P&Gっていう外資系の日曜雑貨を売ってるメーカーに就職しました。
そういう分野に最初から着目されてたんですか?
変な話ですね、大学4年の時に例えばモテたいとかかっこいいなっていうので、なんか僕の中ではスーツケースを持って世界中飛び回ってるのがかっこいいなって思ってて、
例えば総合商社とか外資系企業ばっかり就活してたんですよ。たまたまP&Gという会社、アメリカの外資系企業に内定いただいたのでそこに就職させてもらいました。
なるほど。じゃあどっちかというと外見から入った就職活動。
そうですね、かっこええんちゃうかなって勘違いしてですね。
入ってみてどうでした、外資系というと。
むしろ売ってる商品が日曜雑貨なので営業ですから、それこそスーパーの店頭行ったりとかスーパーのバイヤーやトン屋さん行くので、もっともっと日本企業以上に泥臭い企業でしたね。
06:01
ただ本当に値段で売るんではなくて、商品力だとかお客様に浸透しなさいということを一からすごく叩き込まれたので、働く姿勢というのはものすごく学ばせてもらいました。
なるほどね、非常に勉強になったところという感じですね。
だから全然オシャレとかはかけ離れてましたけど、むしろ一生懸命するんやとか嘘をつかないとか、ちゃんと報告連絡相談をするんやっていうところは、外資系企業のほうがはっきりしてて、そういうだらだらしたとこ、ズブズブのところがないんですよ。
だからすごく僕にとっては自己管理もできていい環境だったように思います。
なるほどね、外資系ならではのドライさを身につけたという感じですね。
3年でそこを辞められた形になるんですか?
まあ辞めたと言いますかね、ちょうど父3年目くらいのときにバブル前世紀やったんですよ。
父1人で、ジムの女の子と2人でそこそこ商売やってて、めちゃくちゃ忙しかったらしいんです。
ところが当時すごい景気が良かったんで、誰も手伝いっていうか入社がない。
人手がない。
人手がない。そこで実家に帰る度に母からお父さん大変や言うてるわ。
周りから、あんたとか息子さんを手伝ってもらえやっても他人事のようにみんなに言われて、会う度に言われてて。
将来性とかじゃなしに、親が困ってるんやったら手伝わなあかんかなっていうふうに考えだしたわけです。
その当時の企業の規模ってどのくらいなもんですか?もう2人だけですか?
2人です。
従業員の方と社長のお父さんとかだけ。
そうです。
じゃあそこに3人目の社員として。
せっかくいい会社入ってそこそこ営業成績いいのに入社した。
その一番のきっかけが今の家内と結婚しようと思ってた時で、結婚しようと思ってるって言ったら、結婚費をどうするんやとか言われたんで。
うちの会社来てやったら今より給料渡すでって言われて、来てほしいようなこと言うのでね。
結婚とそういうふうなこと言うのと。
たまたまP&Gから東京転勤の話があって、3つが同時期に重なるのって早々人生でないやろうな、ターニングポイントやなと思って、思い切って一緒に仕事をすることを決めました。
これでもちょっと無責任になるように聞いてしまいますが、なかなかのギャンブル的な選択じゃないですか?
いや、今から考えたら何を考えてたんかなと思います。その後本当に入った後、今度バブルが崩壊してすごい不況が続いたんで、入社してもう5年、10年ぐらいはずっと後悔ばっかりしてましたね。
奥さんはそれに対するサポートとかどういう感じだったんですか?
いやもう家内は決めたことだからって言って、むしろサバサバと、本当にしんどい時も我慢してくれたし、本当にすごく僕にとっては力になってくれました。
09:03
なるほどね。いい奥さんをもらわれてたということ。
ぶち一つ何も言わず、むしろ華やかどころか本当に泥臭い、それこそ仕事と親子関係を重なり、ややこしい世界でも一緒にやってくれたので。
なるほどね。ドイツ社長、関西学院大学ですね、管学ですよね。実は先月にも丸島アクアシステムの島岡社長に来ていただいたんですが、同級生らしいですね。
彼とはもう大学1年生からずっと友達で、同じように就職して、同じように家業を継ぐっていうことでは、今でも月に一回ぐらい切れずにずっと何十年も一緒に飯食って飲みながら、愚痴を言いながらいい友達であります。
なるほどね。じゃあそういう人間の支えというか輪があったから、うまくいったというところもあるんですね。
だからそういう同じ環境でアウトプットできる友人が近くにいてたっていうのは、僕はすごいラッキーやなと思います。他の友達ってみんなやっぱり会社勤めが多いので、若いうちはいいですけど、もう40、50になるとなかなか話が合わないところ。そういう意味では、そういう友人が僕にいてたのは本当にすごいラッキーやなと思ってます。
なるほどね。若い時は愚痴も聞いてくれるし、同じように経営者として成長してきた時には、同じレベルでものがしゃべれるということでしょうね。
それこそ今回ボーナスどれくらい出すのか、そういう込み入った話もよくするので。
なるほど。非常にいいお友達がいたということですね。
そうですね。
なるほど。わかりました。後半は社長になられてからのことを伺いたいなと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
ありがとうございます。
はい、引き続き株式会社コンサスの代表取締役社長、土井康史さんにお話を伺います。今のところ入社までの経緯とかそういうことを伺ったんですが、入社後の苦労が結構あったのではないか。特にバブルが崩壊してからですね。
土井 そうですね。
その辺りのお話を伺いますか。
入社後、世の中がコロッと変わってですね、うちに一番大きかったのは急に円高になったんです。今も円安でバーッと振れてますけど、当時120円ぐらいが一気に80円台になって、それまで輸出産業っていうのは花形だったんですけど、一切合切も日本製品が売れなくなったんです。
割高になりますもんね。
そうなんですよね。当時父はですね、日本のバルブを中国だとか台湾に売る商売をしてたので、もう3分の1ぐらいになっちゃって、全く売れなくなったんです。
その時にどうするんやって言った時に、父が輸出があかんやったら輸入でしょっていうことで、父が1996年に台湾で現地法人FJコンサスっていう会社を作って、台湾でのバルブを日本に持ってくる。
12:00
ところがうちは持ってくるイコールコンサスっていうブランドになりますので、商社からメーカーにならざるを得なかったんですよ。
ところが大手企業の下請けでもなんでもないので、売らなければならない。カタログを作って、商品名作って、サイズを作ってっていうのを僕がしてですね、ドビータ営業でサンプルとチラシを持ってお客さんに回りました。
もう本当に自分で全部1から売るとこまでやるという一貫的な仕事ですね。
そういう意味じゃ僕がピアノ時代にブランディングをしてお客さんのとこに行って商品の良さをPRするっていうスキルがあったのでできたような気がします。だから当時、どっかの仕事をもらってそれを作るメーカーではなかったので。
やっぱり営業も知ってるというところが強みですね。どうやって売ればいいか、どういう商品イメージを作ればいいかというところまで。
そうですね。カタログ作ったり価格表作ったりっていうのから、昔やってたので。そういう意味じゃ業態転換したけど良かったなと思ってます。
なるほど。お客さんと言いますか、売る先っていうのは結構順調に広げられたんですか。
いや、もともと商社だったので、バルブとか継手を扱ってる商社さんは結構知り合いが多かったんですよ。まず最初に、そういう商社さんに売り込みに行ったら、やっぱり個人的に顔知ってるんでね、話は聞いてくださるんです。
いいじゃないの、買おう。でも一向に注文こないんですね。なんでかなっていうと、結局そういう大手の商社さんっていうのは、我々と同じ違うメーカーの販売店や代理店や特約店してるので、何も新しいところを売る必要が全くないんですよ。
結局、むしろ僕らが持っていった見積もりをネタにして、従来のところに値段を下げたりするとは言いつかれたけど、全然実需がなくて。それならばということで、その先のユーザーさんをですね、僕がダイレクトメールを送ったりとか飛び込みで行って、一つ一つ紹介してまいりました。
なるほどね。じゃあもう人任せにはできないので、自分で販路を開拓していったということですね。
徐々に徐々にそこら辺の垣根が取れていったと思います。
なるほどね。非常に足腰が強い営業されたので、商社も動かせることができたということですね。
そういう意味でいろんな人から紹介いただいて、大手商社さん、なかなかですね、飛び込みでなんてなかなかできる業界じゃないんですけど、どっちかというと僕いろいろ報酬活動をやったり、人のせっかいを焼いていたので、わりとそういうので、個人的なつながりから紹介してくれたユーザーさんから常に広がっていたように思います。
15:02
なるほど。そういう作業をしながら、最終的には2代目の社長になられるわけですが、何歳の時にバトンタッチというのをされたんですか。
社長になったのは今から12年前で、46だね。
6歳、12年前ということですか。入社が大体28歳くらいですから、38、40、18年くらい。
ただ実際、父はですね、1996年以降は台湾で過ごすのを大半でしてたので、その時代から僕はほとんど専務っていう名前で実質社長的なことをずっとやらせてもらってたんです。
ところが営業行くときには専務的な営業をしますけど、決済も持ってるので、一旦ちょっと帰って相談しますって言いながら帰ってゆっくり考えて自分で出すっていうことができたので、
立場は専務やけど実際社長的な決済権持ってたので、それも良かったかなと思います。
じゃあ若い時からもそういう責任ある仕事させてたんですか。
そうですね、もう社長業はしてましたし、銀行員も全部持ってましたんで。
それはやっぱりお父さんがもう信頼して全部任せてるということでもあるわけじゃないですか。
僕しかいなかったのもあるし、父は台湾の方でのものづくりに集中したいということで、もう大体3分の2、年の3分の2ぐらいは台湾におりましたんで。
なるほど、自分はものづくりの方に専念したいという意思も見えるような気がしますね。
そうですね。
ちょうどやっぱり分隊ができてるという感じもしますが、ものづくりと売るというか。
当時は本当に二人三脚で会社を大きくしていったように思います。
なるほどね。今の経営環境ということもちょっと伺いたいんですが、バブルが崩壊した後そうやって地道に販路を拡大されて、ものづくりの拠点も台湾に作られてということをされたわけですが、円高が多少マシになってからはかなり経営環境というのは変わってきたんですか。
円高になるとむしろコストが安くなるので、むしろ円高になって今まで安く買いたい、しかもバルブの専門メーカーで。
実はうちの商品のブランディングというのはメイドウィズジャパンって言ってるんですよ。メイドウィズジャパンというのはうちのブランドで、メイドインジャパンではないんですね、台湾で作ってるところが、日本の品質管理などが日本の設計でっていうことなので、メイドウィズジャパンインタイワン、メイドウィズジャパンインチャイナ。
要はいいところどこで日本が関わるよっていうところで外国の商品を持ってきてたんです。だから外国直接買うのは怖いし輸入品買うのは怖いけどっていうお客さんが当社に結構問い合わせがあって増えていったように思います。
なるほどね。安いのはありがたいけども信用がある製品でないとというところですね。 そうです。だから値段的には輸入品よりか高いけれども日本よりか安いという真ん中を狙ってやってたし、それだし潰れたときにはちゃんと日本の会社が保証してくれるとか、最後まで品質の面倒を見るっていうところが強みだったように思います。
18:18
うまく日本の信頼度も使いながらということですね。 そうですね。
伺ってて非常に興味を持ったのは、外国に売る場合は円高はデメリットだけども輸入するとこれはメリットになるという発想の転換が素晴らしかったような気がしますね。
しかも輸出してたのはバルブを輸出してて、今度はバルブを輸入する。だから実は台湾にはそういうふうに売り先はあっても仕入れ先って全然なかったんですよ。衣物屋さんにしろ機械加工屋さんにしろ組み立て屋さんにしろ。
だからうちの父は台湾にどっぷりだったんで、向こうに友達いっぱいいてたんですね。その友達が聞いたら、いや衣物屋さんやったとか加工屋さんやった、女土屋さんいつも飲み屋さんで知ってるから手伝うわっていうことで広がっていったので。
なるほど。じゃあお父さんもそういった意味での人脈がすごくお持ちで、その強みを発揮されたのでこのビジネスのスタイルができたような気がしますね。
そのように思います。
なるほど。あくまでも伺ってると本当にちょうどいい二人三脚のように伺えますか。
そうですね。その頃は二人三脚でやってましたね。
なるほど。そうそう時間ですね。最後にそうした充積を若くから担っておられるんですが、それでしんどいなとかもうちょっと遊びたいなとかそういう気持ちになられたことってあんまりないですか。
いやそれはありますよ。ただもうやらなあかん仕事が山積みされてたので、僕も終わってからじゃないとできないタイプだったのでね。そういう意味じゃ気がついたらもう月曜日になってたから。
それと僕は若い頃から結構保守活動をやってましてね。土曜日日曜日にもう頼まれてる予定がどんどん入っていったので、なかなか遊ぶ時間はなかったですね。
だからむしろそれが30代の時にそういう時間があったので、もう本当に遊ぶ時間がなかったっていうのも良かったかもしれません。
だから変なのに僕ゴルフを8年目たのももう40半ばぐらいなんですよ。だから30代は本当に仕事と保守活動をやってましたね。
それが本来のね、僕は日本人ってだいたいそうだったと思うんですよ。若い頃はがむしゃらに働いてということで、それが最近ちょっと弱まってるような気もするので、ちょうどもう昔の日本人の美しい姿というのを聞いているような気がしますね。
ああそうですか。最後に保守活動ってのはだいたいどういうことをされてるんですか。 僕はボーイスカートの隊長をずっとやってまして、だから子供の頃から入って大学の時に隊長をしてて、就職活動も良かったのはそれをずっとやってたからで。
就活やって、サラリーマン時代は休んでましたけど、要は父の会社に入った時に周りに友人が、会社の同僚がいないじゃないですか。その時に地元でもう一回ボーイスカートの隊長をやりだして、するとやっぱりそこら辺で知り合いがコミュニティーが入れたので、やっぱり人間はコミュニティーが必要なんですよ。社長って孤独じゃないですか。
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だから休みの日なんかはその保守活動をしながら、子供たちとキャンプ行ったりハイキング行ったりしたりやってましたね。 なるほどね。もともとはそれはご自身でボーイスカートを子供の頃からやろうと思われたんですか。それともお父さんが勧めたとか。
子供の小学校2年生の時は父も仕事人間だったので、どこにも連れて行くことができへんからボーイスカートでも入っとけやというふうにとは聞いてます。 なるほどね。お父さんも仕事人間ならではですが、そういうところでもきちっとした教育ができるんだなということを今話を伺ってて。
私も隊長をやってて、自分の子供たちもそうしたら入りって言って入れて、一緒に他の子供と一緒にうちの子供たちと一緒にキャンプ行ったりしてましたね。 なるほどね。お話を伺って人間って時間は使いようだなということを実感しますね。
わかりました。今週はそろそろ時間のようですので、また来週はですね、バルモについてもっと詳しく伺ってみたいと思いますので、来週もぜひよろしくお願いします。ありがとうございました。
アップルポッドキャストでは高評価とレビューをお待ちしております。ぜひ皆様のご感想をお聞かせください。
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