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『イン・ザ・メガチャーチ』を4人で語る②|「Beの関係」って、今つくれるんだろう
2026-05-31 57:09

『イン・ザ・メガチャーチ』を4人で語る②|「Beの関係」って、今つくれるんだろう

今回は『イン・ザ・メガチャーチ』を4人で語るシリーズ、第2回目です📚

「役に立ってない自分」って、ここにいていいんだろうか。
友達って、“何かしてくれる人”じゃないと成立しないんだろうか。
効率ばかり求めるこの時代に、どうしてこんなに息苦しくなるのか――。

今回の対話の後半では、
「ちゃんとしていないと居場所がなくなる感覚」や、
誰かと一緒にいることの難しさについて、かなり深いところまで話が広がっていきました。

今回は主に、

✔︎ 「役に立つ自分」じゃないと不安になる話
✔︎ 「友達」と「仲間」って、何が違うんだろう
✔︎ コスパ・タイパで切り捨てられる“どうでもいい時間”
✔︎ 誰かを「待つ」って、なんでこんなに難しい?
✔︎ 最後は結局、「愛」の話になるのかもしれない

…などについて、かなり熱量高めで語っています。

前回よりさらに、
「これ、自分の話かもしれない…」となる回でした。


📖『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウ
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感想

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00:14
どうする?このトークをどうまとめたらいいか、もうなんか、とっ散らかってきたよ。
自己猶予感みたいなの言わなかったっけ、サリーさん。 言ってた、言ってた。ユカンさんが言ってたでしょ。
すごいずっと気になってて、さっきトモヤさんが言わなかったっけ、自分が役に立たなきゃいけないみたいな、マッチングアプリかなんかの話で、すごいそれ気になってて、
なんで私たちって役に立ってるから、いていいんだって思うんだろうなって、生き切るってことに近いなって思ってたんですけど、
ぼんやりして、自分が楽しく日々生きてるだけじゃダメなのかね。 私はこれをやって、こういうことで貢献してるから、役に立ってるから生きてていいんだとか、
そういうのがないとダメなんですかね、人間。 ダメなのかなぁ。
逆に、どうなんですか、職場とかで、ちょっとこう、仕事がポカッとした人とか、ちょっと気持ち悪い人を見た時に、皆さんも少しイラっとしたりすることもしかしたらあるんかなと思うんですけど、
あるある。 だから、どうしてもそのコミュニティになった時に、
何かこう、有用でないと、ちょっと下に見られるというか、省かれるというか、なんというか、
だから、どうしてもそのコミュニティが求める役割みたいなものを提供しないと、そこにいられないみたいなところはちょっとある気がするんですよね。
経済とかやっぱり仕事とかっていうのは、もちろん自分の能力を提供する場であるんで、その能力を適した場所に行くべきだと思うんですけど、
どうしてもそこに有用さを求められると思うんですけど、ただ、例えばね、家帰った時とか、お友達ぐらいは、
DoではなくてBeで見てほしいとは思うんですね。あなたがあるだけでいいみたいな。それもないっていうのが今苦しさなのかなと思って。
今すっごいいいこと言ったね。もう一回言って。
することに対して、それでいいって言うんじゃなくて、あなたでいいよ、Beに対してOKをもらえたらみんな安心できるんだけど、
普段やったら家とか友達とはBeで住んでたものが、友達関係でさえもしかするとDoになってるのかなと思って。
だからみんな安心できひんくって、そわそわするのかなっていうのもちょっとある。
03:05
スミーカーも言ってたよね。自分がありのままでみたいな風潮が今強いけど、ありのままでいたくないんだ、私はみたいなこと言ってたじゃん。
Bでいられないってことだよね。自分自身ですら。人からというよりも自分もBeではいられないっていうことでしょ。認められない自分を。
そう。思いますけどね。
確かに。じゃあなんでそんなにBeでいられなくなっちゃってるんだろう。そんなに。いいじゃないですか。能力主義みたいなのをずっと教育で植え付けられてるかってこと?
コスパタイパーになってきたからと思うんですけど。
なんで働いてると読めなくなるのかっていう本の中で、ノイズって言い方をしてたんですけど、
今はもうスマホとかで要約を見たりとかして情報を得る時代だと。だから本をわざわざ時間をかけて読んで、自分が得たい情報を得るのはコスパが悪い。
でも人間関係っていうのは、本来自分が欲しいものだけを与えてくれる存在ではないでしょう。絶対に関係性っていうものの中にはノイズがあるはず。
だけど、今コスパタイパーが重視されていて、そういうノイズを除去するようになってきている。
じゃあ人間関係にもそうやってノイズを除去するようなことになっていってるんじゃないか。
Bっていうのは、自分にとって有用なドゥをしてくれる存在ではないので、Bを認めるっていうことは、コスパタイパーの今の社会では難易度が高くなってると思うんですよね。
確かに。じゃあどうすればいいんだろうね。
だから僕は、友達が欲しいなって思ったんですよ。この本を読んで逆に。
そういう雑談、それこそこれでもいいんだなって思ったんですよね。
仕事の愚痴とかじゃなくて、ほんまにたわいのない話をしあえたりして、取ってなかったら心配してみたいなことができあえる存在。
本当に僕すごい不安なのは、仕事が定年でなくなったときに、友達がおるのかなって思うと。
いやいや、ともやんさん、本の話とかしてるじゃん。
それはあるんですけど。
なんか飲んだりとかしてるじゃん、家に行ったりとか。
これ聞いたら、ともやんさんのこと友達って思ってる人が。
僕も友達だと思ってますよ、もちろん。
なんていうのかな。男で区切ったらあかんけど、僕が思う。僕が男なんで。
それで言うと、なかなか意味もなく、猶予感もなく、人に時間をいただいたりすること。
06:04
いただくとかね、奪うとかするやん。
いただくってなん?
だって相手は、ともやんさんとおしゃべりしたいと思ってるかもしれないのに、
ともやんさんの方で、いや僕なんてだって、みたいな感じだからでしょ。
っていうぐらい、別に奪うとか奪われるとかじゃなくて、
ただ時間を共有するとか、っていうのができたらいいなと思うんですよね。
ただ言い合うみたいなね、普通に。
そうか、そうやって男と女の違いなのか。
ユカコさんとシマさんはどうですか?
その辺、さっき友達ってみたいな話もさっき出たじゃん。
どう思う?ユカコさんとかどう?
友達ね。
ミチラ君が、自分の母親がいろんな人とくっしゃべってんのは、
情報交換とか、いろいろしてるからなんだっていうのを言ってて、
確かになって思って。
確かにたわいもないことを、あでもこうでもって言って、
最終的に帰った後、何喋ったっけってあんまり覚えてないけど、
なんか楽しかったなって思うのって、確かに女性的なのかなって思って。
はいたものの。
意外と女子も多産的であったりはするから、
どこからどこまでが大丈夫で、どこまでが悪かったのかみたいなところは、
なんか分かりにくかったりする。
表面的がやっぱり上手いな女子はって思うし。
でも我々やっぱり大人になってしまったから、
高校生とか大学生の時みたいに、じゃあみんなで行こうぜとか、
気軽に誘ったりとかっていうよりは、相手の事情を汲みながら、
ありがとうございますねみたいな感じで言いながら、
おもんばかりながらコミュニケーションを取るっていうのが、
常識的になって大人になって。
っていうのが一種、弊害になってしまっているところもあるのかなって思いますね。
おもんばかりすぎるところがあるんじゃないかなとか、
想像しすぎるとか。
意外と直球のコミュニケーションが取れないなって思っている。
たぶんみんな今働いてるし仕事があるし、
それぞれ社会人として生活があるからっていうのもあるじゃん。
ファミレスでおばちゃんたちが会話してるっていうのは、
ある程度リタイア、リタイアまでいけないけど、
暇で、みんな同じような感じで暇で集まってるじゃん。
09:04
私たちはまだちょっと家中にいる世代だから、
そこまで平日の昼間にファミレスでこうして、
5、6人でわーわーみたいなことはないけど、
道矢がアイドルを目指したのも将来、
こうなりたくないんじゃない?
今じゃないんじゃない?
今の私たちの世代でいう友達っていう定義と、
トムヤさんにしても今は仕事もあるし、
子供もちっちゃいし、個人の時間もあれだけど、
私たちも仕事も終わって65億になった時に、
友達っていう定義はまた違うよね、きっとね。
その時は大丈夫なんじゃないですか。
私たち友達ですよね。
でもそれが何を返した友達かによるんじゃないのかな。
例えばイズミさんとスミちゃんが繋がってるのって、
道矢…
そうね。リンタロウ?
リンタロウがいたからであって、
リンタロウの活動が終わったら、
もう共通のことがなくなって、
もしかしたら自然に離れていくみたいな感じになったりとか、
何を返した友達かで、
何年付き合えるか、そこに間に何があるかで、
ちょっと変わるのかなって思いました。
我々は本があるから大丈夫だと思ってますけど、
本はなくならないからね。
それこそアイドルであったりとか、
人間の推しとかだと、
グループの解散とか何かがあった時に、
共通の話題がなくなった後に、
そのままの関係が続けられるわけではないんじゃないかな、
というところで、
果たして定年とかした後に、
関係が残るかって言われると、
また別の話かと思う。
残らないね。
渋谷の駅前でさ、
もういいよって言い始めたじゃん、
スミカワさん。
もうなんか、警官に掴みかかってるイズミさんを見てさ、
もういい、もう終わりみたいなこと言ってたじゃん。
あの日を境に、
二人はもう解散する可能性が非常にあるよね。
会わなくなるというか。
それって友達なのかなって思わない?
友達じゃないよ。
どうなのかなと思って、
それって友達って呼べるの?
何かを返さなければ、
すっぴんで11時にアイス食べてるって、
すっごい友達だと思うけど、
でもそれ、
12:00
リンタロウがいなくなったり会わなくなるのって、
友達って言えない気がする。
どうなんですかね、それは。
なんかこの前、
正直不動産の映画を見て、
友達と仲間のお話をしてて、
ヤマピーがイッチハラハエトに、
俺たち友達だよなって言って、
違いますって言われてるんだけど、
でも、仲間ですね。
仲間だったら仲間だと思いますって言ってて、
やっぱり友達と仲間って違うんだなって、
その時思って、
やっぱり目線が、
さっきサリーさんが言ってたように、
こうなってるかこうなってるかの、
配信でこうとか言った。
向き合ってるか、
同じ方向いてるか。
友達だったらお互い向き合ってる感じはするけど、
仲間だとやっぱり同じ方向を見てる。
そうね。
目指す先があるみたいな感じで、
もしかしたら、
スミちゃんと、
イズミさんは仲間で、
目標がなくなったら、
じゃあその関係は解散みたいな感じなのかなって、
ちょっと思いましたね。
仲間はドゥってこと?
仲間はドゥだ。
友達がビーってこと?
そうだね。
すごい。
ドゥの中でも、
友情関係がほんまに気づかれることがあると思うんですよね。
仕事仲間でも。
その時に、
このビーを見合っていたとしたら、
多分解散しても続く関係もあるのかなって思った時に、
それはやっぱりビーを見てたのかなと思って。
仕事が終わっても付き合いがある人達っていうのは、
おそらくそういうビーの部分で繋がってるのかもしれないなと思った。
なるほどね。
仕事の仲間と押し勝つの仲間ってまたちょっと違ってる感じしません?
押し勝つで知り合って、
もう押してないけどそのビーで繋がって、
仕事とまた違う。
そこって何なんですかね?
そこがさっきサリーさん言ってた、
あだ名とか匿名感なんちゃいます。
なるほどね。
やっぱり完全に自分を明け渡してへんから、
もうすでにビーを見せてないっていう状態で押し勝つは。
なるほど。
どうしても仕事って個人名出して、
それなりに雑談の中でお互いの家庭状況とかを話していくと、
少しずつビーが見えてきて、
この人とやったら仲良くやれそうっていうのが多分出てくると思うんですね。
なるほど。
押し勝つだと、
押しを愛しているという共通項だけに今繋がっている状態なんで、
どこまでビーを見せ合うかみたいなところは個人の裁量による。
確かに。
あだ名だけの呼び合いであれば、
なかなかもしかするとビーが築き上げにくいのかもしれない。
15:04
確かに。
だけど私思うのは、読書会とかで思うのは、
これ本名の集まりだったら話せないなって思うことがいっぱいあるんですよ。
何なんですかね、これって。
自分がプロフィールを明かしてないからこそ、
すっごい思っている本心とかを言えるけど、
本名だったら、
もうちょっと上辺の会話になるなみたいな。
その、だから何なんですかね。
でもこれ、
この泉さんと、
この澄川さんって、
仕事場で知り合ってるよね。
だから本名も知ってて、
だけど比重が落ちかすのが多くなって、
泉さんとじゃあ澄川さんは繋がって、
ビーもあるのかな。
分かんないけどね。
なんか澄川さんが最後に泉さんを見て、
私、泉さんの目が覚めるの待ってますからみたいなこと言ってなかった?
最後のところで。
言ってたっけ。
ちょっとビーっぽいって私は思ったんですよ。
確かに。
澄川さんはもう目覚めてきちゃって、
もういいやってなったんだけど、
まだ熱中している泉さんを見て、
もうバイバイじゃなくて、
泉さんも今寝起こして言ってるんですよね。
私も待ってますからって、
心の声がやっぱりちょっとビーっぽいっていうか、
許してる、許容してるって感じじゃない?
同じ方向を向いてなくても。
そうだね、どれぐらい共有したかとか、
情があるかとか、
不楽を共にしたとか、
なんかそういうところもあるのかもしれないね。
松っていいですね。
別に関係が合わなくなったとしても、
松っていう状態って、
要は関係を切れてないという宣言でもあると思うんで、
それが1年後であるか2年後であろうが、
松という行為があるという状況は、
ビーを待っているような気もするというかね。
そうね、ビーを待っている。
状況だからね。
いいですね。
ここで私もう一回。
ごめんなさい。
待たなすぎなのかもね、
コスパタイパーで忙しくてね。
そうだ、待たなすぎ。
待てないんだ。
待てないね。
ここの2行すっごい優しいよ。
ちょっと読んでみるね。
だから泉さんが全部使い切るまで、
ここで待ってますね。
ここで見てますから、
泉さんが泉さんを全部使い切るところ。
もう一度最初からやり直すしかなくなるところ。
って書いてあるの、この3行か。
すっごく優しいね、なんか。
松っていいんですよ、やっぱり。
松っていいですね。
待てないんか、待てないんだね。
そうなんだ、待てなくなってるんだ。
それ焦らされるもんね、この世間から。
いろんな不安を煽られて。
18:01
なるほどな。
なるほどね。
なるほどね。
しーんとしちゃったけど。
ほっこり。
ほっこりしてる。
いやでも、
じゃあどうする、この話は。
どこに着地するの。
私たちは何を、
どうしていきましょうか、私たちは。
全部が明らかになって。
待ちましょう。
待ちましょう、Bをね。
そうです。
僕たちは仮に財布がぶっ壊れても、
流れ続けるという。
そうね。
別に電波が届かなくなっても、
元気にしてるかなってちょっと心配し合う。
なるほどね、友情確認会みたいになったけどね。
僕もそれぐらいでいいかなと思ったりするんですよね。
ちょっとこう、ふと思い返したり。
特に距離が実際的に離れてるじゃないですか。
とはいえやっぱ実在するなっていうふうに、
なんかすごい認識してるんで。
やっぱふとした時に思い返したり、
また会えたらいいなって思えてたら、
自分的には結構いいなって。
なるほどね。
いい感情やなって思って、自分の中では。
僕も友情ってなんないよと思って、
友情の哲学っていう本を読んだんですけど、
マジですか?
マジで言ってることみんなバラバラなんですよ。
マジで。
切磋琢磨千円型友情じゃないとか、
有用な部分で繋がってたらそれは友情じゃないとか、
男女の友情ありえないとか、
いろんなこと言われるんですよみんな。
って思った時に、
もうなんでもいいんやなって思って。
俺が友達やと思ったら友達じゃないんやなって思ったんですよ。
だから、もう僕はみんな友達です。
よかった。
って言ってしまっていいと思ったんですよね。
なるほどね。
今って友達って言いにくい雰囲気もある気がしてるから、
分かる分かる。
申し訳なさを感じちゃうんだよね。
だから逆に別に、
俺はサリーさんというサリーさんとしか知らんかったとしても、
俺が友達やと思えば友達やっていう、
それこそ推しの定義がいっぱいあるみたいな感じで、
友達との定義があっていっぱいあっていいと思うし、
って思いました。
思いましたけど、
久保太はミチアを友達だと思ってたでしょ?
はい。
そして行ったら、
コンビニの袋抱えて行ったら怖ってなったじゃない?
そこがどうなの?
俺はってとこなんですよ。
サリーさんは違うかもしれないってことは、
自覚しようがないといけない。
なるほどね。
相互じゃないんだ。
共通ね。
そう。
関係性は相互なんだが、
俺が友達やと思うことは俺の勝手という身勝手さ。
ただ、そうじゃないかもしれないという相手がね、
それは別に友情じゃなくても恋であろうが何であろうが、
相手は同じ気持ちじゃないかもしれないってことは、
少し踏まえておかないと絶対に相互は起きるから。
21:03
ということは、
友情というのはだから、
AさんとBさんの間に存在するものというより、
いや、友情はあると思う。
言ってるのは、
友達という名称を僕は使っているだけで、
友情という感覚みたいなものは、
関係性の間に実際あると思う。
ただ、
AはBを友達だと言っている。
Bは友達じゃないと思っている。
で、それを俯瞰した時に、
ここに友情があったかどうかっていうのは、
分析できると思うんですけど、
実際僕はこんだけ友達だ、みんな友達だって言ってるけど、
もしかしたら友情はないかも。
知れない。
それは成り立つって感じですね。
でも、そこが怖いところがあると思うんですよ。
俺は友達だと思っていても、そうじゃないと思うっていうのは確かにあり得るから、
だからこそこっちも友達だなんて簡単に言えない。
だから一抹の寂しさがあるんだが、
もう何か分からないです。
僕はもう一周回って、
もうお前が友達だと思ったら、
友達ねえんちゃう。
言いたいよね。その気持ちは分かるけど、
この久保田の最後の少数式って、
俺が友達だと思ったら、
もうだって敗人のようになってるじゃん。
だからそれが久保田は、
俺たちって友達だよねって思ってたから。
そうなんだよね。
そこは久保田さんが、
ある意味もう一周スタートって感じ。
そうね。
じゃあ友谷さんはさ、
俺はお前を友達だと思ってるっていう人が、
別に俺友達じゃないと思うけど、
反応されたら、
それでも友達と思い続けるの?
それは、そうですかってなります。
そこに友情はなかったかってなります。
そうだよね、そりゃ。
ぶっちゃけに、
あなたは友達ですとは言わないんです。
目の前で。
俺もなんなら怖いんですよ。
友情がほんまにあるんかな、
友達なんかの俺たちって、
みたいなのはあるけど、
別にわざわざ確かめにはいかないんです。
でも、
久保田さんって友達って聞かれたら、
お友達だねって言うって感じ。
確かに。
でも俺たちって友達だよねっていうのは確かめない。
そこは怖いんですよね。
怖いよね、確かに。
怖いし、別に確かめんでもいいかなみたいな。
名称に別にこだわらんでいいかなっていう感じはある。
だから僕の中で一番大事なのは、
何を喋れるかなんですね、正直。
自分の心の何を明け渡させるかっていうのがめっちゃ大事で、
ちょっとでも明け渡されてる時点で、
24:01
僕的には結構友達。
それを例えばSNSとかで書くときに、
結構迷うんだけど、
今日は友達とご飯を食べましたとか書くじゃん。
そういうときに、
私友達って書いてその人がもし読んだら、
友達って思ってると思われたら恥ずかしいっていうかさ、
なんかそういうのね。
知人とかの方がいいのかなみたいなこと考えたりしない?
知人って自分が書かれたら超ショックじゃない?
逆に。
結局そこで遠慮しちゃうから、
お互いじゃあって、
本当はあり得た友情がどうか。
友達でいい。
そうか、そうだね。
どうなんすか、逆に。
友達って言われて嫌な人おるか?
だけどこの道屋みたいなこととか、
あとくにみさんとかもさ、
わかんないけど、
一線引きたいみたいな人っているのかな?
どうなんですかね。
友達じゃないし、
みたいなこと言われたらさ、悲しいよね。
友達やからってこれしていいみたいなのは無しやと思うんですよ。
僕はね、正直。
お前の友達やから差し入れを持ってきたよとかは嫌なんですよ。
正直。
友達だからそれをしてほしいわけじゃなくて、
三ツ谷を見て、三ツ谷が感じていることを見てほしいと思うんですよね。
三ツ谷が感じていることを見てほしい。
だから三ツ谷がこう思って、
俺たち友達だからこういうことをしていいみたいな感じになっちゃった気がしてて。
そうね。
お前は三ツ谷のことを友達だと思ってていいんだが、
向こうはそう思ってるかわからへんし、
あなたとどういう関係を築きたいかっていうのは、
ちゃんと見ておかなあかんよって思う。
その距離感は。
難しいなあ。
難しい。
ユカコさんがもしぶっ倒れたら、
もしかしたら何か送ってあげるかもしれへんねんけど、
もし仮にシマさんが倒れたときに、
僕なんか送ってええかなってやっぱなる。
それは躊躇する。
関係性の。
その関係性までいけてないんじゃないかって思う。
それはそうやけど友達という有意義なところはあって。
なるほどね。
でもそこは別に、そこは見ようよって感じなんですよ。
そっかそっか。
友達だからこれしていいみたいな言い方をすると、
ややこしくなるから。
だから名称は言わない。
なるほどね。
1か0か100かじゃないよね、友達って。
そのグラデーションでさ、
いきなり富田さんからシマさんに送られてきたら、
怖ってなるよね。
何かの勧誘感みたいに落ちる。
走れ持ってきたねみたいな。
怖い怖い怖い。
めっちゃ聞いてもらって、
今まで言えへんかったこと聞いてもらって、
めっちゃ嬉しかった。
だから、
友達になりたいって思うかもしれんけど、
でもさっき言ったみたいに、
シマさんがそう思ってるかわからへんから、
その近づき方とか、
関係の築き方みたいなのは、
27:00
絶対に、
僕は見たいなというか、
緊張になってしまうなっていうところがある。
それはあるね。
それが、
推しだとやっぱり、
許されるというか、
友達関係だと結局そういうことが起きるんですよ。
そういう、
アンバランサーが起きて、
関係性に傷が入って、
傷つくみたいなことがやっぱり、
リアルだと起きて、
推しにはどんだけスキルをアピールしても、
傷つかさせられないっていうのがあるから、
だから余計にちょっと安心する方に
行くんかなっていう。
なるほどね。
今すごい感銘を受けました。
友達って思っていいのかなとかさ、
この人友達ですって、
言える人いるかというと、
そんなに胸張って、
この人友達なんだって言える人
そんなにいないなって思ってて、
でもさ、
自分の心の内を、
見せられるっていうか、
この話、
自分の心を明かせれば、
それは友達っていうか、
友情らしきものが存在して、
自分の友達って思えるっていう、
思えるってすごいなんか、
めっちゃ感銘を受けました。
凝り固まりすぎてた、
友達ってなんだろうとか、
友達って呼んでいいのかなってことに対して。
すごいなんか、
いい考え方ですね。
嬉しいです。
ここも一周回っても、
そういう考えもなんでもいいわと思って。
この考えを聞いたら、
今この瞬間の中で、
友達がめちゃくちゃ増えました。
確かに。
嬉しいね、なんかすごい。
確かに。
俺ってこんだけ明け渡せてたんやって、
ちょっと思えるんですよ、逆に。
僕の場合はちょっとでも、
全部じゃなくていいんですよ。
なんなら、ゆかこさんにはこれ話せる、
友達のゆうへいさんにはこれ話せるとかは、
あるけど、
でもちょっとでも、
Bのちょっとしたものを明け渡せたら、
また会いたいなって、
単純に思えるから。
ということは、
Doではなく、
Bをどんどん明け渡していこうぜってことだね。
本当はね。
それができないと、
苦しい。
そうだね。
それができないと苦しいし、
孤独になっていく。
そこって勇気がいることなんだよね、きっとね。
めちゃくちゃね、たぶん。
Bを明け渡すことって、
やっぱ、
役に立たないじゃん、別に。
相手のためにならないっていうか。
そう。
あと、傷つく。
傷つくよね。
なになに、ゆかさなさん。
自己防衛。
離さないければ、
傷つかないところもあるから。
相手がやっぱり、
理想的な反応を返してくれるとは限らない。
そうね、そうね。
急にドーンと明け渡されても、
あえてびっくりするのはもう、
この歳になると自明なことで。
うんうんうん。
30:00
じゃあやっぱ徐々にしか出せへんねんけど、
それも相手の反応が
かんばしくないと、やっぱ言わんかったらよかった
っていう風になっていくし。
わかるー、わかる。
むずい。
むずいんです。だからそのむずさに
耐えられへんのかな、今は。
そうね。
今はっていうか、たぶん
世界とか社会がもう速度が上がってるから。
うんうん。
そうね。
探ったりなんかする時間がないんだね。
待てないってさっき言った、それだね。
おそらく。
だから一番最初の話に戻ると、
自分は
MBTIで何々ですとか、
推しは何々です、
みたいなことを、最初から用意しとけば
セットレバーやって、
最初のところに戻るけどさ、
それで友達として繋がっていこうとするんだね。
たぶん。
そういう時代なんだよ。
どういうタイプと
上手く友達になりやすいとか、
こういう人とは合わない
みたいなところを、
そういう診断で
打ち筋を立てて、
だからそういう人と
付き合おうみたいな、
もう探らないというか、
準備されたものを
から選んでいくみたいな
時代になってしまったんだろうね。
そうだね。
スローダウンしていきましょう
みたいなことなのかしら。
待つってことは、
私たち自体が待てないよね。
スマホとかもグルグルしてると
パーってなるじゃん。
何秒待てないんだっけ。
なんかあるよね。
人は0.何秒待つと
イダッとするみたいなのがさ、
どんどん短くなってるみたいなのがあるじゃん。
そういうのが。
そこに抗っていくって相当難しくない?
文明に対して逆にいくって。
最近はだから丁寧な暮らしとか、
スローライフみたいなのが
逆に流行り
ってか本句とかが
オススメさせてるのは
やっぱりそういう
抗いみたいなところなのかな。
そうね。スローライフ。
かと言ってだよね。
下がったものはさ。
下がんない。
新幹線で行ってたらさ、
新幹線に乗るじゃん。
核液停車で行った方が
スローライフって言ったって、
新幹線で行くよねみたいなことに。
しかもさ、
次リニアモーターカーも
始まったら新幹線も遅いってことでしょ。
そういうことでしょ。
リニアモーターカーがみんな乗ってるのに、
じゃあ自分はリニアモーターカーに乗らずに、
いや、私は
人との
いろんなこと言って、核液停車で行く生き方を
待ちたいんだよ。
人みたいな。
そうやって抗っていかない限り、
置いていかれるってことでしょ。
置いていかれるんだよ。
そう。置いていかれたくないんだよ。きっと。
だから待てないんじゃない。みんなが行っちゃうから。
一人になりたくない
っていうことだよね。
33:01
だからこの隅川さんが
泉さんを待ってるっていうのは、
一人になってもいいっていう
ある意味
勇気が出たんじゃないのか。
私、置いていかれてもいいや。
なんなんだろうね。
怖くなくなってきました。
って言ったじゃん。
あんまり。
なんで怖くなくなってんの。
時間めっちゃ過ぎてるけど大丈夫?
これ話止まんないよね。
でもなんか、
一回行くとこまで行くと
フッてなるんちゃうかな。
ってことだよね。きっとね。
使い切ったって言ってるもんね。
自分を一回全部使い切ったって言ってる。
勇気
って言葉すごくいいな
と思って。なんか最近
昼間の
スターゲイザーっていう
占いと心理学の
合わせ技みたいな本を読んだんですけど
占いも心理学も
その人に勇気を与えるものだ
みたいな。
それで
何かって言ったら、結局
社会の流れとか速度に合わせてた
合わせることから
降りる
ことの背中を押すのが
占いであり心理学であるみたいな
心理学というか
カウンセリング
カウンセリングとかは
カウンセリング占いも正直
あなたはっていう
風な言い方をして
あなたを見つめさせていくんですけど
その時に
社会の速度ではなくて
あなたの速度
っていうものを
提示して
そこから降りる勇気
っていうものを
提示するんだよみたいなことを
書いてて
勇気、そうかもなみたいな
やっぱ勇気出ないんですよね
みんなの流れから
降りるっていうものの
勇気。自分でもしかしたら
これ好きじゃないかもしれん
って思ってるけど
その辺の勇気が出へんから
誰か叩いてほしいってやっぱ
誰かに叩いてほしいって
思っちゃうし
そういう
勇気な
そうだからね
孤独になっちゃうからなんだよ
可能性もあるからね
坂口杏子も言ってたもん
一人荒野を行く
っていうことが
ものすごいやっぱ
しんどいっていう。だけどそこを
推奨してるけどね
とにかくその
孤独にならなければ一回自分自身に
帰るためには
みんなと群れて
みんなの誰かの作った物語の中に
居続けたんでは
本当にその偽の着物を着たまんま
ですよみたいなことは言ってて
それはやっぱり孤独とセット
日記が流行ってんのもそういうことなのかな
わからんけど
36:00
自分の速度というか
自分の速度を取り戻すみたいな
Bというか
なんか見つめ直したり
あと人の日記を読むという行為が
そういった
なんか
Bを見れたり
することでちょっと逆に自分も安心
するというか
ってことはみんな
やっぱりBの部分で繋がり合いたい
と思ってるんだね本当は
虚しさは感じてるかもしれないですね
その辺
結局
することで
繋がるっていうのは
そのすることが代用されてしまえば
自分じゃなくてもいい
ということでもあると思うんですよ
だからこそ
自分じゃなきゃさ
みたいなものをどうしても求めてまう
のかな
っていうのが多分ないんでしょうね
自分じゃなきゃさ
代用可能な
でもそんなことないよ
って言いたいけどね
って言いたい
実際はさ
ドゥーされながらもBじゃん
その人がやってくれることが
嬉しかったりもするわけで
ただ一緒にいてくれるとかね
ただ実際的にドゥーだけを
搾取することもあるからこその
虚しさみたいなの
あるんかな
じゃあさ何もしなければいいんだね
みんな
なんていうの
なんにもしないで
ただいる
何から始めたらいいのかな
と思ったら
じゃあさひさんが
アパート3号室で
本も持たない
ただのピクニックに行きましょう
っていう会を開いて
ただ山に
行って自由に過ごしてもらって
大丈夫ですみたいな
そうすると私がたぶん
この花の名前はとか
なんか役に立たない
それはそれでいいと思うんですよ
そういう風に
何をしてもいいし何もしなくてもいい
なるほどね
人来ないかも
そこで人来ないかもって思っちゃうっていうのは
自分が何か
ドゥーしてないからって思っちゃうから
それじゃ申し訳ないと思うんだね
私もそうなんだねきっと
アパート3号室で
何も企画がなく
部屋だけ例えばね
ピクニックってのはちょっと違うけど
例えば部屋を借ります
何もしない会ですって私が言うとするじゃん
人来ない
ちょっと興味あるけど
何もしない会
来ないでしょみんな
お忙しいし
何すんの何をくれんのって思うでしょ
そうなるよね
何をするんですかっていう
何がもらえるんですかって
そう
それは
考えたんだけど
サリーさんが自分自身に
価値っていうかを
ちゃんと認めてあげられてないんじゃない
だってサリーさんが呼んだら
39:02
サリーさん呼んでるから
行こうかなみたいな
確かにそうかも
一人ずつなんだよ
私今回すっごい分かったことがあって
コミュニティに対して
皆さん来てくださいって言うじゃん
そもそもみんなで来ないの
あーってなって
一人ずつにDMするじゃん
何会さん何日に来ない
って言うと行くってなる
僕なんかが行ってもいいと思わなかった
みたいな返事が来たりするわけ
すごい不思議だなと思うんだけど
言われた
言われた方も
そんなに自分の価値
いや私が行ってもそんな喜ばんやろ
みたいな
そう
思ってるでしょ
そう
自分の価値みたいなのを
私と一緒にいたところで
そうみんな思ってるじゃん
そうそうそうそう
そうかもね
ずーのつながりだからだよねきっとね
お互いにずーがないと
いやいや
ってなっちゃうっていうかさ
個別に誘われたら
Bを誘ってくれてる感がして
そうなんだよね
だから本当に
それをすっごい最近思う
オプチャで言っても誰も
何にも言わないのに
一本釣りに行くと
あ行けます嬉しい誘ってくれて嬉しい
とか言うわけ
なんであの時はいって言わなかったのって思うんだけど
でも真理としては分かるよね
あ私が必要とされてる
って思うってことなのかな
私が呼ばれてる
っていう風に思うと
喜んで行くんだけど
っていうその違い
やっぱり否定されないことを
担保されてるからじゃないの
でもさ私否定しないよ
そんなオプチャでさ
例えばオープンチャットで
なんかこうあの
やった時に
例えばいやそれは違うよとか
あの
まあ
親指じゃなかったみたいなのを
言われる可能性が
ある中で手を挙げにくい人って
確かに
親指じゃないって
表現がさ
ちょっと失礼
そういう感覚になっちゃう
ないけど多分今までの
人生の経験の中で
何かしらそういう
ことがあったかもしれない
人たちは
大勢の中で手を挙げるっていうのは
難しいんだと
そうだよねきっとね
個別に声をかけられれば
否定されていないっていうことが
担保されてるから
もう容易にイエスって言いやすい
だと思う
でもさみんなにさ
呼びかけてる時点でお呼びじゃない人は
一人もいないから言ってるじゃん
だけどそれなのに
そう思っちゃうってことなんだよね
やっぱりあれなんじゃないのかな
相互に価値観が違う
っていう
ことで捉え方とか
上下っていうのかな
42:00
グラデーションが違う
っていうこと
私も実際
参加する側のコミュニティでは
同じ現象で
呼びかけられても
やっぱなんか
私は違うかなみたいな
思っちゃうもんね
だけどその呼びかけてる人が逆に
サリーさん
オプチャでも呼びかけたんだけど
サリーさんに来てほしいって言われたら
行っていいんですか?
行っていいんですか?って一回確認
するっていうか
それなんなんですかね
自信がないんだね
みんな全員自信がないんだね
Do
ないと悪い
Bだけ持ってっていいんですか?
って感じなんだよね
ダメなんじゃないですか?みたいなのって絶対あると思う
絶対あるね
てかさIn the Nega Churchどこ行った?
あはははは
二次会見られてるもんね
そうそうそう
アフタートークになっちゃってるよ
そんな感じで
じゃあちょっと締める
寂しいね
寂しくなっちゃうよね
寂しくなっちゃうんだよ
寂しいんだよみんな
寂しいよね
この寂しさはちょっといい寂しさやけど
俺的には
もっと話したいなとか
楽しかったなっていう寂しさで
なんかあるものがない
くなるっていう状態の寂しさで
ずっとないっていう寂しさではない
というか
確かに
いい寂しさと悪い寂しさがあるわけ
いや分からへん
でもなんかそうやね
悪い寂しさではないなって感じ
寂しく感じられることが逆に嬉しいとは思う
そうね
これは配信を聞いてる人はさ
こいつら何言ってんだよって思うのかな
寂しいとか言ってやがるぜみたいな
どう思うんだろうね聞いてる人も
聞いてして終わんないで
この4人の会話寂しい
終わんないでって思うのかな
まだ切れへんのって思ってる
寂しさを感じてるのはこの4人だけなのかしらね
そう
でもこの
コスパタイパー無視した話ができて
よかったんじゃないですか
もし一回に長いって
思われたら
コスパタイパーですねって
僕たちの話に
コスパタイパーはありませんっていう
そうね
それでいこう
そうしましょうかね
終わるか
最後に一言したこと
二言四言
言って締めるか一応ね
一人ずつ
寂しいですけど
しべんそう言葉を
お願いして
ゆかこさん泣いてるから
寂しすぎて
涙を拭ってるんじゃないの
寂しい
寂しいよね泣いちゃうくらい寂しい
じゃあゆかこさんからお願いします
ありがとうございました
45:00
目かゆか
そうですね
SNSとかで
繋がりすぎることの寂しさみたいな
ところとか
タイパーコスパっていうところで
個別の時代になっても
やっぱり
カテゴライズされたほうが楽だな
とか
何かのコミュニティーにいたほうが
自分が
自分の名刺が終わりになる
じゃないけど
そういうのが分かりやすいなみたいなのが
いろいろ感じた
ところでした
いろんなキーワードが
出てきて
夜べなさとか
推しとか
自宅協会とか
寂しさとかアイデンティティとか
友情の話もすごい厚かったな
って思いますけど
なんかこう
結構軽率に
推しとか
友達とか
って使ってもいいんだろうな
って思いながら
聞いてました
そうですね
自分で
生きていく道標を
決めていかなくちゃいけない
っていう時代になって
それを
見つけにくい人たちが
どうしても
いたりとか
それがみんなに理解される
形じゃないとか
やっぱり第三者の
自分以外とか推し以外の人たちの
目線っていうのが
ちゃんと入ってしまうのが
難しいところなのかなって
思いました
でもなんか
推しを見つけたら楽しいんじゃないかなって
思い始めてきたので
何か見つけたいなと思います
はい
今日はありがとうございました
ありがとうございます
島さん行ってみますかね
はい
そうだなありがとうございました
なんか色々喋りすぎてね
何人で締めたらいいのかなみたいな
友達トークはすごい
感銘を受けて本当に
私の人生感が若干ね
ちょっとこう変わったんで
すごいいい話を聞けたなって思って
なんかそれで言うと
このインザメガチャーシの
この話
クボタさんおじさんが
ミチア君を友達だと思い込んで
ちょっと暴走しちゃって
痛いおじさんやってなったけど
でもあれってやっぱちょっと
いいね
そういう風に思えたんだもんね
おじさん今まで
友達もいないし
娘にもほっとかれて
寂しい味噌汁
冷めた味噌汁飲んどるみたいな
すごい悲しかったけど
そんなおじさんがさ
正直ちょっと暴走しすぎて勘違いだったけど
一方的にでも
友達かも友達だと思いたい
48:00
っていう人いて暴走できたってやっぱ
そんなやっぱちょっと
痛いやめなよ
もう迷惑だよってやっぱ言えない
っていうかなんかちょっと
その
視野共作感がやっぱり私たちには
必要なのかも私なんて
いやいや必要ないですよとか
そんなこと言ったら失礼だから
言わんとこう
困ってるんだけど
声かけてあげたいけど迷惑かな
いやちょっとやめとこみたいな
そういうのがやっぱ
やめてちょっと
視野共作して
声かないと
本当に
慣れないのかもね
そういうキラッていうものがね
なんか取れないのかもね
ってちょっとワッてなりました
本当に
今日読書会の皆さん
さっぱさんの皆さん
あと今宵の皆さんもその中でも
一気に友達に格上げされましたので
やったー
やったー
友達友達
みんな友達
みんな友達だね
終わりでいい?
はい
友谷さんお願いします
ありがとうございますめちゃめちゃ
楽しかったというかなんか
飲み会みたいな感じになりましたけど
すごい良かったですね
なんかいろいろ話せて
とりあえずその
In The Mega Churchで言うと
やっぱりその
ファンダム経済っていうものを
社会が形成しているのもあるし
僕たちも求めているんだな
っていうのが
じゃないと回り続けないので
なんかそれがよくわかったな
っていう回になりました
島さんがおっしゃってたんですけど
経済に合わせることによって
よりルフされやすい状態である
っていうところが
なるほどより仕組み化された
ものなんだなっていう風にちょっと感じました
とはいえね
僕自身は常に
Bを見て欲しいという
欲求がちょっとあって
だからといって
ストリートキングみたいに
パッて出すわけではなくて
ほんまに徐々にしか開け渡せれないんですけど
僕どっちかというと
国的な感じだったんです
今まで
ちょっとこうフォワーっと
俯瞰して
何が楽しそうやなみたいな
ずっと見てる感じだったんですけど
最近は
感情が揺れる方がむしろ
楽しくて
起こることもさえし悲しいこともさえし
楽しいことも
揺れたものに対して
なんで自分がそう感じるんだろうってことを
振り返っていくと
自分の像みたいな
それこそアイデンティティみたいなものが
少し掴める感じがあって
そういうものが
最近すごい楽しく
なってきました
あの
あの
えっとね
ずっと前の本屋大将の本で
51:00
川のほとりに立つ者は
っていう小説があって
あの小説
僕そんな好きじゃないんですけど
あれの中で感銘が受けたのは
川のほとりに立つ者は
沈む石の数とか形を知らないみたいな
文章があって
どういうことかって言ったら
人の心は全然わからないよ
本当に何が起こってたかってわからないよ
っていうことで
だから想像しましょうねって本なんですけど
まあでも僕は
想像力だけで終わらせたら
何も始まらないんじゃないかって
その小説を読んで思ったんですよ
だからもしかして友達じゃないんじゃないかとか
友達って言っていいんかな
で終わらせてたら
ずっとそのままでしかない
相手をモンパカにすぎればすぎるほど
何もできないということに
がんじがらみになる気がして
いやじゃなくって
そう思ったが
思ったことを前提に
石を投げ入れてみることの方が大事なんじゃないかな
って思ったんですよね
投げ入れたときにどんな波紋が
起きるかとか
っていうのは見ることができる
だから久保田が
暴走して傷つくんだけれど
俺は友達だと思った
だけどこういうことをしたら
こうなったっていうこと自体は見れると思うんで
そこ一回
傷つきはあると思うんだけど
やっぱそういう風に行動しないと
傷つきもきらめきも
得られにくいんちゃうかな
って思ったときに
自分も想像だけで
おもんぱかりすぎて
安心ばかりを求めて
何もしないことを選ぶんじゃなくって
ちょっと不安だけど
勇気を持って石を投げ入れてみる
っていうことをやっていきたいな
っていう風に改めて
思いました
今日はありがとうございました
いつもさ
友谷さん素敵なこと言って
終わるじゃん
でもあなた主催者じゃないんですよ
私がすごく喋りづらいんですよ
そういうこと言われると
綺麗にまとめてくれるんだよね
いつも友谷さんで
しかも島さんの話もちょっとウケてるのじゃん
上手いよ
ゆかこさんと島さんの話もウケてるの
っていうところが上手なんですよ
友谷さんっていう人は
これで終わりますけど
私も最後に一言言わせていただきます
本当にそうだなと思った
やっぱなんか
今回4人でお話ししてみて
意外な方向にいったなっていう印象で
友達とか友情
っていうことがテーマになるとは
全然最初予測してなかったんだけど
結局やっぱり
それが何なのかって思うと
人が人を思うこと
とか
人と人が隣にいる人と
同じものを見つめること
みたいな
そういうところから
生まれてくる
ものがあるってことを
浅い量書きたかったのか
わかんないけど
サンテグジュペリさんっていう
星の王子様の人いるじゃないですか
その人がこういうことを言ってるんですけど
54:01
愛するとは
見つめ合うことではなく
同じ方向を見つめること
っていう言葉を言ってて
なんかその言葉をすごく
思い出したんだよね
結局こういうんじゃなくて
向き合うことじゃなくて
同じ方向を
見つめることが愛すること
だから友情もイコール愛するっていう
言葉にもしかしたら
言い換えられるのかなと思ったら
なんかこういう他者と
精神的に深くつながりたい
っていうような欲求が
世の中に溢れてるとすれば
その愛が足りてないっていうか
その愛情を感じたり
感じ合えたり
みたいなことが
足りてないのかな
っていうふうに思ったんだよね
友情も愛の一種と考えてっていう感じ
だから
さっき島さんが言ってた
視野共作していった
クボタは
ある意味
愛することっていうか
人を愛するっていうことの
いじ口に立った
みたいなことなんだろうし
友谷さんが今言ったような
川のほとりから
石を投げるっていうのも
愛することなのかもしれない
人って思ったら
周りの人を
自信を持って愛していくっていうか
愛を伝えていくというか
あなたのことが大事だと思っているよ
みたいなことを
やっぱり
表明し続けていくことが
なんか
doじゃなく
beでつながり合える環境を生んでいくのかな
みたいに思ったりしましたね
だから
推し勝つっていう文脈で
言うとだから
愛にあふれた世の中だったら
そんなに推し勝つは問題にならないっていうか
こういう
ハッピーな世界線で語られるんだけど
愛がないから
痛々しく見えるのかな
みたいに思ったりして
やっぱり愛ですねっていう
そういう趣味でいいですか
だってさ
友谷さんよりいいこと言わなきゃいけないと思ったら
私張り切ったよ
それでも友谷さんを超えられないけど
めっちゃしんみりしました
本当に
ラブですよ
ラブですわ
まさかの方向で終わったでしょ
そういう感じで
最後までありがとうございました
長々だね
すっごくない
2時間以上喋ってるよ
前編後編に湧いてますけど
神回になりました
ありがとうございました
ありがとうございました
おやすみなさい
57:09

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