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ピコズの日常(20220731)
2022-08-04 42:02

ピコズの日常(20220731)

(20220731収録)
今回は、ふと自分の子供2人の年齢差と兄妹の普段の関係性を見ていて、
自分の兄弟たちとの関係性についてジョギングをしながら考えていた
(頭に浮かんでいた)話をしています。
以前はこういう話が出来なかったんですが、「時間が解決」するものって確かにありますね。
また、実体験から考える医療に関する根本的な問題についても語っています。

#スタエフやろうぜ
#思い出
#医療
#屋外収録
#ピコズの日常


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00:06
はい、みなさんこんにちは、ピコズです。本日は2022年の7月31日ですね。
日曜日、7月最後の日ですね。
またね、ちょっとジョギングをした後なんですけれども、5キロぐらいまた走った後に、ちょっと息が切れつつ、
収録をしております。
まあね、もうね、こんにちはとか言いながら、22時24分という感じなんですけれども、
まあちょっとね、またピコズの日常ということで収録をしていこうかなと思います。
でね、ちょっと走っている時にね、色々思った話というか、
まあ何というかね、結構ね、盛りだくさんで話がしてしまいそうなので、
まあちょっとね、1回で納めて内容を薄めにしちゃうんでね、そんな感じでやっていきたいと思います。
で、何の話かというと、
ふとね、うち子供2人いるんですよ。
で、2つ離れて、年が離れてるんですけども、
あんまりね、喧嘩をしなくてですね、喧嘩をしなくてというか、口喧嘩とかはね、しますよ。
で、男女なんで、口喧嘩ぐらいはするしますよね。
僕のね、子供の頃って3人兄弟で、弟が下にいて妹もいたんですよ。
で、弟とどういう年齢差だったかというと、2個下で、
2個下?2個下なので、うちの子供2人と同じ間隔なんですよ。
なんですけど、男男だった関係もあるのか、割とね、昔だったからなのかわかんないですけども、
とっくみ合いの喧嘩したりとか、思いっきり殴ってしまったりとか、なんかそんな感じだったんですよね。
03:01
で、ふとそんなことを思い出して、話したかどうか覚えてないんですけども、
実はね、僕、弟が12年前に亡くなっていて、
その原因が血の癌と言われている白血病という病気なんですよ。
その際にね、子供の頃とっくみ合いしてたなとか、そういうこともあったりとか、
いつの頃からがね、喧嘩とかそんなしなくなったんですけど、
うちのね、多分教育の問題なのかちょっとあれなんですけど、
なんかその、なんか優劣をつけるのが大好きで、
僕、勉強とかは割と得意な方だったんですよ。
で、一番上だったんで、塾とかね、そういったものも、なんかもうよくわかんないけど、
ここを入れとけばみたいな、そんな感じで、実験的にというかね、
なんかそういうので神格塾みたいなところね、入れられてたんですけども、
下二人は地元の塾みたいな、あのチャリンコでね、
10分ぐらい走れば行けるような塾とかに行ってて、
そんな感じでやってたんですよね。
その頃って偏差値とかでなんか学校を選ぶ傾向にあったじゃないですか。
偏差値で言うと、やっぱり僕の方がちょっと上のところにね、行けたりとかっていうのもあったりとかして、
まあなんかだから結局のところすごいね、その優劣をつけるっていうところでいがみ合ってたじゃないですけど、
これは俺がなんか上なんだとか、なんかそういうなんか、
ここは俺が勝ってるみたいな、なんかそういうのって昔はあれなんですかね、
そういうのがあって、高校生の時とか大学生の時とか、
ほぼほぼね、会話もしなかった感じもあるんですよね。
06:05
別に僕の弟が引きこもりだったかというと、そうでもなくて、
もうずっとね、防治園ぐらいかなですかね、もうずっとサッカーとかやってて、
かなり運動神経が良くて、僕はね運動神経があんまり良くなかったんですけど、
要はあれですよ、マラソン大会みたいなのあるじゃないですか、
あの学年でね、ずっとね、それとね、僕だからずっと比べられてて、
親からお前はあんまり運動できないとかね、
そういう感じで、弟の方は運動ができるけどっていうのを、
あんに言われて、だから得て不得てがあるよっていう言い方をされていたのかな、
なんかわかんないですけれども、比べられる方からしたら、
なんだかしらの計測点で比べられるんで、ここは俺が勝ってるとか、
負けてるなとか、劣等感がひどいんですよっていうのをやってて、
大学とかの時とかも、僕ね、言ったと思うんですけど、
本当にね、女気がなくて、本当にひもてだったので、
高校生とかの時もね、一回告白しに行ったりとかして、
ほとんど喋ったことないよね。
なんでそんなことしたんだろうって思うぐらい、
本当に僕がインキャーだったんで、
本当にね、人とコミュニケーション取る能力が本当に低かったと思うんですよ。
かといって、それを知りたいので心理学を学んだっていうところも少なからずあって、
まあ、そんな感じだったんだけど、
勉強はちょっとわかんないけどっていうのもあって、
09:06
とうとう高校生ぐらいの時から、
彼女と羨ましいなって、それを言えないじゃないですか。
優劣つけられてるところで、なんか負けたみたいなね。
そんなこともあるんで、やっぱりそこもね、
あとはその後、イベントとしたら大学に入ったと。
僕は理系だったんで、弟は文系でね。
そこそこの大学の偏差値とかで言うと、比べらんないじゃないですか、理系と文系って。
まあ、文系と文系もね、あると思うんで。
そうなるとその後の就職みたいな、そんなところにまでね、結局優劣が出てくるんですよ。
で、僕はまあね、変な話、あんまりね、成績が良くなかったもんで。
あれなんですね、なんつーかね、あれなんですよ。
大学の先生にっていうのをやってもらって、ようやくで、
そんなこんなで、弟はね、割と成績が多分ね、その学科とかの中では良かったなのか、
あとはなんというかね、ハキハキしてるというかね、
そういうのもあって、受けが結構いいんですよ、人のね。
だから営業向きみたいな、そんな感じで、割と名が知れてるようなね、会社に行きましたと。
そこでだから、また俺が勝ったみたいなね、感じだったんですよ。
12:00
でもずっとこうね、そういう感じで、優劣じゃないけど、していって。
で、僕はだから、会社に入って、1年したくらいの時に、彼女ができた、今の嫁さんなんですけど。
別になんかその、付き合う付き合わないのところで言うと、実はね、大学生ぐらいの時に、
1回だけなんかそういう感じになったのがあったんですけど、すぐね、なんか、実はその弟の同級生だったりとかしたんで。
なんかね、ちょっと気まずくなって、すぐ別れたというかね、なんかちょっと変なうやむやになっちゃったんですよね。
っていうのがあり、そこでもね、多分ね、僕としてはなんか騙された、馬鹿にされたと思うんですけど、なんかそういうのもあって。
で、その、僕がだからそれでね、嫁さんと付き合い始めて、割とね、順調に結婚したということで、
そこがだから、非常になんから、弟としてはすごい悔しかったみたいで、余計ね、口をね、聞かなくなったんですけども。
なんかだから、途中からだから、自暴自棄になって、女の運が悪いみたいなことなのか何なのかちょっとわかんないですけども。
そういうので、結局、そこをね、子供ができたりとか、いろんなしてるね、結婚してだから、すぐじゃなくて、ちゃんと時間を置いてできたみたいな、そんな感じだったりしたんで。
まあなんか、順番通りじゃないですけど、何が順番だっていうのはあるんですけども。
なんか出来込んだなんだとかっていうところもなく、なんかこう、理想的じゃないですけど、スーッとね、なっていったのがやっぱり悔しかったのかなんかわかんないですけど。
っていうのがあったりして、この年になって勝ち負けとか決めてんのもっていうのもあったのか、その辺からあんまり本心は話さないまでも、正月帰った時とかに話をしたりとか、っていうのはね、ちょっと知ってたりとかしたんですよ。
15:12
で、なんか結局ね、その後、僕がね、割と転職をね、1回2回つってしていた時に、負け辞ととともするような感じでなってたりとかしていて、
で僕がちょうど、今の会社の前身のところに入った時に、いや俺も転職をするんだみたいな、そこで差をつけたかったのか、入った時じゃないですね。
入る前か、入る前に、自分がもっといい給料を取れるみたいなところを見せたかったのか、MRっていう仕事であるの、わかりますかね、なんかその薬の営業みたいな。
で、そういう仕事をしていた時に、あれなんですよ、なんかその突然ね、白血病になったっていうのがね、電話がかかってきて、しかもね、割と良くない状況で僕に隠してたらしくて、
あのね、で結構ちょっとね、良くなくなってきちゃった時に、なんかは告げてきて、で割と悪い状況だから、ちょっと初めて多分その辺で頼まれたことがあって、そんだけなんかいがみ合ってたりとかしていて、
だから僕もいろんな思い出がこみ上げてきて、いろんなね、家のものだったりとかね、そういうの僕が買っておいたものとかすぐ勝手に使ったりとかね。
そういう小さい頃から、なんかまあね、いざこざが起きたりとかしたこともあったりとかね、なんかあるんですよ、そういうの。なんか年が近かったりとかね、なんかそういうのを思い出してきたりしたんですけども、
まあその頼みがあるっていうところで、何の頼みかというと、骨髄移植をさせてくれるという話をね、僕のイメージで言うと骨髄ってどこって、骨髄なんて知らないですよね。
18:20
まあ背骨のなんかね、なんかそういう髄液みたいなのがあるところに流れてる。それをね、移植できるかどうかっていうね、やつを確認したいということで、
まあもう、どなーっていう形ですよ。どなーだから、親もね、生きるか死ぬかの問題です。僕としてはね、なんかすごい複雑な気分なわけじゃないですか。
すごいもうなんか、ネハローとかって、もう一時期はこいつ本当にもういなくなっちゃえとか思ってたわけなんでね。本当にね、本当にそういう状況になるってなると、僕がなんかそう思ってたからそうなのかなとかね、いろんなことを考えてしまったりとかっていうこともあったりしていたんですよね。
で、まあその骨髄のね、移植ができるかっていう検査をしたんですよ。僕もね、会社休んで、入院する、移植を行ってくれる病院っていうのがあんまりね、なかったなのか。
弟がね、仕事をしてた時に住んでたところが、その時ね、実は結婚式はしてないんだけど、内縁のというかね、もう多分帰籍も入れた嫁さんがいたんですよ。
で、そこで暮らしてたんですけど、あんまりだから交流もなくてね。で、実はだから結婚した時にはもう子供がお腹の中でもう生まれそうな状況になってて、で、もう生まれたぐらいの時に病気になっちゃって。
っていうすごい状況でね、まあなってたんですよね。だから、まあね、そういうのを見てね、結局検査進むしょうがないしたよっていうふうに思ってしたらですね、
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なんかあれって何パーセント適合とかっていうね、感じでチェックができるんですけど、効果不効果というか、パー適合したんですよ。
あの時はね、弟もだから僕のことを救世主だと思って、もう崇め立て祭ったというかね、僕もまあね、生き死人のところで役に立てるっていうことを考えたらやろうかということでやったんですけれども、
結局のところね、移植してもうすぐ元気になったんですよ、一回。なんだけどその後ね、僕がちょうど転職して間もなかった時ぐらいかなに、また再発したって。
今度はなんか調子悪くなって、静岡かなんかの病院にいるんだと赤十字のところで。で、そう具合が悪くなったところで言ったら、なんかその、まあそういうね、白血病の患者ってもうすんごいね弱いんですよ。
免疫がね、本当になくって。で、普通のね、パンのカビってあるじゃないですか。ああいうカビで肺がやられちゃうんですよ。っていうぐらい免疫が弱っちゃってるんですよね。
だからそのままでは抗がん剤とかってやってたりとかしてたっていうのも多分あるんでしょうけども。でもそうなっちゃったら、アスペルギルスって言うんですけども、そういうのにかかっちゃったら無菌室に本当は入れないといけないとかね。
そういうことだったりするんですよね。で、それだけどこうね、あの静岡の赤十字はもう無菌室なんかもう空いてないから入れらんないんだみたいなことを言って、あの無菌室に入れてもらえずにどんどん悪化してしまったと。
で、まあそういう状況で、もうかなりやばい状況で、で再発してるっていうところもあるから。で、僕のこうじゃあ、あのー、赤十字ね、もう一回入れればっていうこともあると思うんですけど、一回入れたやつだとね、もうダメなんですよ。
もう体制がそのがんの方についちゃってるから、100%できたって言っても、体制がついちゃってて、もうダメで。で、僕はだから、あの部分なんとかって言うんですか、輸血みたいな。
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八血球だけ分離して、あのーって言うのを、あのー最後ね、あのー虎ノ門病院っていうね、ところに、もう本当にね、あのー名医がいるということで頼みに行って、病院入れて、で、そういう状況でももうなんていうの、最後の望みをかけるんですみたいな。
治療するんですみたいなところで、あのーやってたんですよ。でもやっぱりね、あのー最後の望みっていうところで言っても、ちゃんとしたこう治療法も確立してないから、どうしようもないっていうね、ところもあって。
で、もう最後の駆け込み寺みたいなところなんですよ、そこ。で、まあ僕もだから、もう最後まで色々付き合ってやるしかないなみたいな。車も色々出してあげたり。そして最後ね、あのー筋肉が食べたいなとかね、あの寿司食いたいなっていうところをね、あのー食べさせてあげればよかったなみたいな。
本当はだから、落としても生きてくれると思って言ってたんで、そういうのは多分筋がすごいから、食べた瞬間にかなりね、体に毒だっていうところは言われてたりとかしていたので、絶対なんかこう治って帰ってきてくれるんだってずっとそう思ってたんで。
それはもう疑わず信じてたんでね。でもそういうことでやってて、でも今考えたらね、ちょっとそういうことをもね、結果論で言ったらあれなんですけども、本当はね、食べさせてあげればよかったなとかね。
っていうのを、ちょうどだから本当ね、あのー12年も経って、またね、そのー感情とかがそんなに込み上げないような、割とだからね、あのー亡くなってからね、2年3年ぐらいはダメだった。この後は話できなかったんですよ。
けどまあ、ちょっとそういうのも思い出したんですよね。そのー、まあ喧嘩をしないなっていうね。まあね、よくよくだからそのー、今のね、医療理研の話とも繋がっていて、
27:09
そのー、血病だって言ったときに、あのー、もう、うもうやさずね、抗がん剤って多分売ってるんですよ。あとそのー、なんでしょうね、えー、なんとか線みたいなやつ。
まあ、もうそこって結局ね、がんのなんかそのー、始めの方に乗ってね、見つかったらそういうことをするって決まってるわけじゃないですか。でー、まあそこも結局ね、えー、そうしろっていう、まあこの今のね、西洋医学というか、まあロックフェア理研ですよね。
うーん、そういうのがあって、そうなっていて、でー、ね、今のだから、えー、医者のね、えー、判断って、結果のところから言うと、ほぼ間違ってるんですよ。
だから僕がね、受けてきたいろんなもの、なんかそのー、昔ね、えー、医者の言うことをいろいろ聞いて、医者はね、えー、ちゃんと治すためにやってるもんなんだと。
ということって、まあね、疑いもせず思ってることじゃないですか。医者なんでね。なんですけど、あのー、よくよく考えたら、おかしいなってことに気づいたんですよ。
で、僕が昔ね、えー、した後ぐらいかな、後ぐらいに、後ぐらいじゃないや、えー、結婚して、えっと、子供ができたぐらいの時に、まだね、タバコを吸ってたんですよ。
で、タバコをね、やめなきゃいけないと。本当はね、あのー、タバコを吸っててもいいかなって思ってたんですけども、まああのー、これ言うと怒られるかもしれないですけども、僕が、実はそのー、肺がね、奇境って、自然奇境っていう、あのー、ちょっと破けてる、自然にね、破けてる病気というか、だったんですよね。
30:00
で、タバコを吸ってたからかなんだかわかんないですけども、すごいね、咳喘息みたいなことになっちゃって、それが、あのー、結婚した直後ぐらいに起きて、本当につらくて、でもね、僕がタバコをやめてるのに、嫁さんはね、ずーっと横で吸われてて、で、本当にしんどくって、っていう状態だった。
やめてくれって言っても、全然やめてくれないんですよ。本当に死ぬかと思ったんですよね。でもそういった状況で、子供ができたら、僕はやめるんだと。
まあね、家庭園版の方がいいかなっていうところもあったんで、僕はね、あんまり抵抗もせずにやめたんですけど、そんな時にね、そういう状況があったからなのか何なのかはちょっとわかんないんですけど、
年齢病っていうものにかかってしまったんでしょう。ストレスが本当にひどかった時期で、別に結婚生活の話をしてるんじゃなくて、仕事上の話で、普通の現場に出ているのに、
仕事はかなりハードですよ。いろんな成果をつながらつかんなくちゃいけないと。その後に帰ってから、自分の家の事業計画を作って、発表原稿資料を作ったり、やらないといけないみたいな。
そんなね、すげーハードなことやってて、僕の部下の各現場のね、そういったリーダーみたいなところにこんな状況なのかとか、こんな影響情報あんのかっていうのを15年前ぐらいにやってたんですよ。
ほんとね、何してたのかってちょっと思うぐらいなんですけども、15年ぐらいですね。15年ぐらい前にそんなことやってて、本当につらくてね。夜帰ってね、11時とかでそこからそういう資料を作ったりだ、なんだって言ったらもうね、起きられないぐらい、体調悪くなるぐらいになってて。
で、そんな中ね、煙草を吸ってふーってなってたっていうところが、そこで多分、なんていうかね、ほっとついてたっていうことはあるんだと思うんですよ。
で、まあそれもなくなってしまって、そんな中ね、だから耳がね、本当に聞こえなくなってるっていうのがあって、地美科とかに行ったら、まあこれメニエル病ですねっていろんな大学病院とかも行ったんですよ。
33:15
やっぱりメニエル病ですねって言われて、じゃあ地美科に行って治してもらってくださいみたいな、別にここ来なくても大丈夫なんでということも言われたりとかして、で、イソバイドっていう薬をね、それで治るからということ言ってたんですけど、それで治ったから治ったっていうことではないんですよ。
だから医者が治すって言ってるのは症状を治すだけなんですよ。だからその状況が作り出しているものを減らせば本当は治るわけじゃないですか。
っていうことではないんですよね。だからそもそも話なんですよ、その医者に行く行かないのところの話で部位を治そうとしてるわけじゃないですか。耳っていうところに何というか症状が出てしまったので、その耳っていうところ、耳とかめまいとかそういうのを治すっていうところに特化して薬を出されただけなんですよ。
なので、結局のところね、医者ってそういう対象療法なわけじゃないですか。だから治そうとしてないんですよ。で、本当だったら多分そういうことがなる一番の原因ってストレスなわけなんですね。
だからストレスの何かしらのところをどうこうしてくれるところに行った方がいいですよっていう方が多分正しい処方というかになるはずなんですよね。
だからそういうケアってないですよね。っていうのもあった。海洋性大腸炎になる前って過敏性超症候群っていうものになっていたと。それは症状だけでそう言ってたんですよ。
で、それがひどくなりすぎてるからっていう話をしたら、もしかしたら海洋性大腸炎かもしれないですねって言われて。
で、その時に安倍元総理がね、キャンペーン的に多分広告等じゃないですけど、なってた時期だったりするんでね。
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すごい増えてた時期なんですよね。そういうのもあったりしたんで。検査したら炎症があれば海洋性大腸炎っていう話になりますよね。炎症があればね。
だからもうそれを直すっていうことなんですよ。でももうなんかそこになった経緯のところの話って僕はうすうす勘づいてるんですよ。
でもじゃあそういうのをね、ストレスを減らしなさいって言ったところで、ストレスの減らし方がわかんないから困ってるわけじゃないですか。
だとしたらなんかそういうね、じゃあカウンセリングみたいなところを受けた方がいいですよとか言われた方がまだあれなんですよ。
っていうところで言うと西洋医学っていうのは直そうとしてないなっていうのは本当に思っていて。
だから今もうねそういう流れなんで、今だから本当になんか薬だとか薬剤を使うとかワクチンもそうだし予防接種とかそういうものをね。
っていうのは多分もう西洋医学バリバリで医療利権に全部でいいものというよりも病気にさせるためのものだと思った方がいいなと思ったんですよ。
たぶん弟の場合の時もその時に僕がだからそういうね、医療利権がどうのってのを知っていたら確実に止めてたと思うんですよ。
僕に相談してくれたかっていう話もあるんですよ。
自分で何とかしようっていうのが多分強いと思うので、本当に困って僕に頼ってきたんだと思うので、骨髄移植の話もね。
っていうのもあったりとかしていて、実体験から僕本当にね医者って信用できないなっていうのをね。
改めてね、今走りながらもね、そういうことを思いつつ、医者に本当にだから何か治療を求めていくって。
39:10
医者じゃないと行っちゃいけないのかなっていうふうにちょっと思ったんですよね。
本当の医者ってのは本当に治そうとしてる人。
薬剤がどうのとか、症状ベースの薬剤って考えてる人は本当の医者じゃないんで、テンプレの医者なんで。
マジでね、腹が立ってますよね。
別にそれもね、結局のところ大学医学部とかで教えてるものなんだと思うんですよ。
でもそれを教えてる側もそうだし、結局それを広めてる側のロックフェラーとかそういうね、医療理研のところっていうところもやっぱりね、何とも思ってないんですよね。
人の真似なんて。だからもうね、僕がこれからもしそういった病気になってる人がいたらと。
自分がそういうふうに診断されたら、おそらく僕は海水療法をやってくれるところの医者を探すと思います。
今でも本当はやってほしいぐらいです。海水療法っていうね。
まあね、そういうことをね、走りながら考えていて、これたぶん一か八かなんかやってみるんだとしたら、体力のあるときにね、やるんだとしたら海水療法が一番かなみたいな。
あと絶食。絶食して海水療法っていうね、あれかなとお話ししてるのかなって。
今年がだから弟が13回期だったりするんで、それもちょっと思い出してたりとかしたのもちょっとあったとかっていうのもちょっとあり、そろそろやめようかなと思うんですけども。
ということでね、ちょっといろいろ昔話を話してしまいましたけれども、以上とさせていただきたいと思います。
ということでピッコツの日常でした。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではバイバイ。
42:02

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