教育の新たなビジョン
東京都北区初の女性区長、山田カナコ。
彼女の描く展望や、未来を描くゲストとの対談など、北区の新たなビジョンを語るこの番組。
今日は、どんな北区未来予想図が描かれるのでしょうか。
皆さん、あけましておめでとうございます。北区長の山田カナコです。
本日、2025年1月7日火曜日、今年も元気にお届けいたします。よろしくお願いします。
2025年2年、今年は気の富の年ということで、どんな年かなと調べてみたんですが、
今年は努力を重ね、物事を安定させていくという年のようです。
これですね、私も努力をさらに重ね、職員の皆さん、役人の皆さんと一緒に、
安定的な北区、そして楽しい北区を作っていきたいな、そんな挑戦の年にしたいと思っています。
今年もより良い北区を目指して、皆さんと一緒に北区未来予想図を描いていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今月のトークテーマは、教育先進都市北区ネクストステージでございます。
ゲストは、昨年12月新たに北区教育委員会教育長に就任された福田春和さんにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
はい、新教育長の福田春和です。どうぞよろしくお願いします。
お願いいたします。
皆さん、教育長ってどうやって決まるのかなって聞かれることがあるんですけど、ご存知ですかね。
教育長人事については、区長が専任事項として任命をさせていただき、議会で承認を経て就任をいただく形になります。
1期3年間の任期で就任いただくんですけども、これまで3期9年間全、青少教育長が務められて、北区の教育はかなり前に進んだと思います。
特に学習面、基礎学力の向上が進みました。これまで全国平均以下だったものが、全国、そして東京都の平均を上回るような成績を残す北区の教育になったこと、
また教育委員会と区長部局、そして学校との連携、関係部署の連携がすごく密になった9年間でした。
こういった全教育長の基礎の下、新たな取り組みを進めていく上で、新教育長、福田教育長にご就任をいただきました。
先ほど申し上げたトークテーマであるネクストステージというのはそういう意味です。
これからの北区の教育をさらに前に進めていく上で、福田新教育長のこれまでのご経歴、ご経験をですね、北区の教育現場に生かしていただきたいな、この人だという思いでですね、お声をかけさせていただきました。
ぜひとも改めてご本人からプロフィールを伺いたいと思います。
はい、ありがとうございます。何か身に余る副長からの言葉で緊張しちゃいますけども、簡単にですね、自分の経歴、主に教育のですね、教育長なので、教育に関する経歴を述べさせてもらいたいなと思います。
はい、お願いします。
大学ではですね、特別支援教育を専門で大学を卒業しました。
でも最初の20年間はですね、東京都の小学校の教員として担任を務めてきました。
そしてですね、40近くなって20年間担任をした後にですね、区立の養護学校、特別支援学校の管理職になりました。
教育現場での多様な経験
そこは、区立なので、知的障害、死体不自由のお子さん、もっと重篤な訪問学級、それから学校に入る前の、就学前の幼児教室という、区民のニーズにですね、応える養護学校だったんですね。
ですから、時には亡くなる子もいて、養護学校だから当然教科書はない。
その子に合った教材を作る、その子に合ったやりとりを先生がするという、まさに今言われている、子に応じた指導の最先端というのかな、その現場にいました。
その後ですね、これもまたご縁がありまして、アメリカのペンセルベニア州のフィラデルフィアにある、保守事業校の校長をなって3年間勤めてまいりました。
そこではですね、どちらかというと、自分の娘が現地校に行っていましたので、現地校でのいろんな様子、アメリカのまさにですね、多民族国家ですよね、アメリカは。
ですから多様性を重んじる、可能性を引き出す、そんなアメリカの学校でした。
飛び急があったり、小学校なのに算数ができるから、スクールバスで午後は中学校に行っちゃうと。
そういうのが20年前のアメリカでしたから、びっくりする。そんな保護者でいて、3年間過ごしました。
そんな40代でしたので、特別支援教育から通常の教育を見る、在外、アメリカから日本の、失礼ですけど、革一的な公教育を見るという客観的な、7年8年を過ごして帰国したわけですね。
帰国して杉並の和田小学校という校長になるんですが、当時、区長もご存知でしょうかね。有名な。
はい、民間からの初の校長先生。
はい、教育界の佐田正史と、本人言ってます。これ本人もちゃんと撮ってますから、現状。
見てますよね。見てらっしゃいますね。
教育界の佐田正史と、本人自称するリクルート出身の民間校長、藤原和弘先生が、和田中学校の校長で、その隣の小学校の校長を6年間勤めました。
これからは、学校運営ではなくて、学校経営、マネジメントなのかなという、すごく民間の風をいただいた感じがします。
帰宅ではですね、もう本当に進んでいる統合進行ですね。杉並の初めての統合進行の天沼小の校長になりまして、統合進行ですから、ハードウェア、ソフトウェアは他校にも充実して、
今、学校でやっているギガスクール構想よりも早くに、一人一台端末が高学年に来ました。
相当早かったですね。
ちょうどその頃にプログラミング教育も始まるぞというので、何かにつけてですね、文科省東京都教育委員会からプログラミング教育をやってください。
情報教育、ICT活用という先進的な取り組みをする傍ら、杉並区が進めるコミュニティスクールのモデル校でもあったので、たくさんの視察等を受けた学校でした。
そこでの5年間の、今の先進的と言ってもいいのかな、経験が今に生かされています。
教育に対する熱意と未来
退職してからはですね、それらの経験を生かして、民間でプログラミング教育を推進する講師として全国を回りました。
当時ね、すごい忙しくて、深夜バスで回る。
60を過ぎて深夜バスで出張ですよ。
体力勝負の起力体力ですね。
そんな生活と、それから自分の専門職である心理史で、大学の更新育成、自治体の今よく言われている発達障害の子どもたちの巡回指導、それから文科省が今進めようとしているコミュニティスクールの推進役などのマルチワークを楽しませてもらったのは、教員の第一ステージからフリーランス的な第二ステージとなっております。
ちょっと長くなりましたけどね。
そんな引き出しだけはたくさん持っています。
先ほど私、新教育長にもこんな人になっていただきたいなと思っていたもの全ては、福田教育長はご経歴の中で持たれていて、記者会見でもお話ししたんですけど、やっぱり学校現場を劇的に、これはいい意味で先生や保護者や子どもたち、
それぞれみんなにとってよくなっていくために、徐々にではなくて、一気にやれることをやらなきゃいけないというぐらい、今教育現場は大変な状況になっているのではないかなということを、私の立場からも感じることがこの1年半ありまして、
ここをある意味、改革に近いリーダーシップをとれる方というと、校長先生、やっぱり学校現場に近い方なので、校長先生経験者がいいなと思ったんですが、でも校長先生の中でもより民間の感覚を持たれている、校長先生らしくない校長先生経験者がいないかなと思って、
ずっと色々と探させていただく中で、たどり着いたのが福田先生でありました。そういった意味では、期待感しか私はなくて、子どもたちにも保護者にも先生たちにも寄り添える、そして現場主義である福田教育長にいろいろと引っ張っていただきたいなと思っているんですが、
今までの校長先生までの教員生活と、それからフリーランスで活躍されていた民間も含めて、そもそもですね、学校の先生になると思われたのはどういう原点ですね。
そうですね。そこはぜひ伺いたいなと思うんですけども、先生っぽくないですよね。
ですよね。
校長先生らしくないのも前に、話しやすくて子どもたちは本当に相談しやすいっていう学校だったろうなって想像がつくんですけど、先生になるきっかけを教えてください。
自分はですね、子どもの頃地図を見るのが好きだったんですよ。電車オタクとかそういうのではないんですけど地図を見るのが好きで。
地図オタク?
オタクでもない。旅行会社に勤めたいなって思いがあって。
なるほど。
高校の時はですね、全く大学受験考えてませんでした。
そうなんですか。
だから高校3年の時は、車の免許と旅行会社行くからには語学だって言って、英会のスクールに夏に行ってました。
そうなんですか。
ですけど、担任の先生とすごく相性が良くて、担任の先生がすごくよく見てくださって、福田くん。
女の先生ですね。
古典の先生で髪の毛が口調よりも長い。
福田くん、これからはね、生涯を持った人も旅行に行く時代が来るから、福田くん、そういうスペシャリストになったらって言われまして。
すごいですね。
福田、特別支援だっていう。
その福田教育長の性格とかを見て、人のために生涯ある子どもたちにも優しく旅行を連れていってあげられるような、最初に見抜いた先生すごいですね。
そうですね。
その一言で、ズキュンと。
当時もうずいぶん古いので、なかなか特別支援を専攻する大学そんななくて、幸い教育系の大学にありました。そこに入りました。
入ったら周りはみんな教員志望の学生ばっかりで。
でも実際に教育実習とか行くと、今、区長からお褒めの言葉じゃないけど、結構愛されちゃったんですよ。
と思います。
教育もいいなってなって、実際に教育系の大学なので、旅行会社から全くリクルートまでないんです。
なるほどね。
親はやっぱり親で、先生いいよっていう何かステータス的に考えたのか、そんな後押しもあって、教員になりました。
なったらハマりました。
ああそう。
以上です。
私も実はあまり言ってないんですけど、小さい頃の夢は、保育園の先生か小学校の先生だったら、みんな集まれみたいなことを子どもたちとやるっていうのが楽しいですよね。
もしかすると旅行会社っていうのも、旅行に参加する人の夢を実現させる、安心・安全にっていう。
それがある程度集団をまとめるっていう必要ですけども、似てる部分はあんのかなって今考えると思います。
本当に学校教員時代、校長先生時代からいろんなことされてきて、私実は一番最初知るきっかけになったのは、和田中和田賞。
和田中の藤原先生の講演を繰り返し時代に実は参加したことがありまして、さまざまな小学校との連携を含めて話を聞いたことが数年前にありました。
その辺からも実はきっかけがありまして、なかなかないご経験だなって注目をしてました。
さまざま改革の中で特別支援、それからプログラミング教育、教育DX、経験されてると思うんですけど、さまざまな中で福田先生の中でこれが一番楽しかったとか、教育現場でやってこれた実績だな、印象深いものを教えていただきたいんですけども、いかがでしょうか。
大きく二つあります。一つ目はですね、やはり今、副長がお話しされた藤原和弘さんとの出会いは大きいですね。ここまで校長やっていいんだ。
なるほど。
先生だったものだったからもっとやっていいんだよっていう後押しがあって、まさにこれは大きかったと思います。
民間の活力ですね。
福田元校長の教育理念
ちょっと一例を挙げるとですね、DS、ゲームのDSで国語算数の授業をやったんですね。子供たち大好きですから、見る見るうちに漢字計算、認知の方ですけどね、学力の認知の方が上がりまして、子供たちも当然自己肯定感が高まるっていうような思いがあって、ここまでこういう教育でできるんだっていうのが一つあります。
二つ目はですね、ちょっと2校目の校長で少しは落ち着いたのかなって言うんですが、やはり不登校が増えてきました。
はい。
不登校でも特にですね、ギフテッドと呼ばれるちょっと引い出た能力が。
そうですね、能力高い。
その子がですね、不登校傾向になって、じゃあ校長室で一緒に将員やろう、委員をやろうって、僕より強いんですよ。
すごい。
だんだんコミュニケーション、ラポート関係性が取れるようになったら、なんで君は学校嫌なの?だって先生の助詞の使い方が下手なんだって。
すごい。
IQのすごい高い奥さんで聴覚、本当に言語学校に入って、それが煩わしいって。
ああ、ごめんね。
すごいね。
でもね、やっぱりみんなに教えるからね。
じゃあもう歌唱太郎くん、太郎、お前もう無理して学校来なくていいから、来たい時だけ校長室で、校長先生にいい音、将棋教えてよって言って、それで彼は来るようになって。
なるほど。
結局今はですね、著名な、ある業界のゲームのトップになって、世界大会に行ってテレビにも出てます。
そうですか。
彼とは今でも、とりあえずっていう合言葉で、時々ショートメール、電話って、とりあえず頑張ってるっていうのがね。
素敵ですね。
やっぱり大変なのは義務教育の時大変だと思うんですよね。
そういう時に何か居場所があって、まさに自分が福田くん、これからはね、じゃないけども。
先生の。
本人の居場所もあって、本人に何か支えになる。
それが後々卒業して、何年か後に帰ってくる。これは嬉しいですね。
そうですね。
教師みよいですね。
やっぱりこう、在り方が、みんな一緒じゃなくていいっていうね。
そうです、そうです。
それをもう本当当時から、今秋田区でも頑張ってますが、不登校対策で校内、別室、それの先駆けを交渉室でされてきたというところがすごいなって思いますし。
やっぱり本当極めて子に、それぞれの個性、能力を生かす教育をされてきたっていうのは、本当に素晴らしいなあっていうふうに思います。
子どもの権利と未来の教育
帰宅が目指すこれからの教育ということで、第2話の方で詳しくお話ししていきたいなと思いますが、
教育先進都市北区ネクストステージとともに、区長部局としては教育委員会も含めて、北区の子どもたちが一番幸せだよ、子どもの幸せナンバーワンを掲げさせていただいて、
昨年、令和6年の4月1日には、北区子どもの権利と幸せに関する条例を施行しました。
これは未来を担う子どもたちが、誰一人取り残されることなく、それぞれの夢を、希望を持って成長していってもらいたいな、勉強ができればいいから、何かできて、それに向けて生きていける、
そういった子どもの権利を保証しながら、可能性をみんなで広げていく生活を、北区内ができたらいいな、なんて思いで設置をしまして、それに伴った取り組み、とにかく子ども目線の事業もつくる、
それから事業の評価も子どもたちに入ってもらって、こんな事業だったらもっといい、という意見をもらうような仕組みづくりまでやってきました。
その中で、通称子ども条例と、子どもたちの一番最初にクリアしていくには、学校現場、学校やお母さんたち、家庭、個々の連携という教育現場、これが教育委員会と区長部局が連携していくということが、本当にこれから重要だな、
その意味では、北区を一緒に二人三脚で前に進めさせていただきたい。私は区長部局で、そして福田教育長には教育現場で、それぞれ頑張って勉強していきたいというふうに思っています。
渋沢くんFMをお聞きの皆さんに、ここでお知らせがあります。北区では、この4月から、子どもの権利と幸せに関する条例、通称子ども条例を施行しました。
皆さんご存知ですか。この子ども条例は、子どもにとって大切な子どもの権利、11の権利を保障するとともに、子どもが幸せな状態で生活できる社会を推進するため、区や学校、地域がやるべきことなどを定めています。
そんな子ども条例を、より多くの方に知ってもらいたいと、YouTubeのショート動画を作りました。実はこの動画、すごいんです。何がすごいかというとですね、動画のテーマ決めから動画出演まで、すべて区内の中学生が担ってくれたんです。
キャッチコピー、私の声が未来をつくる、をもとに子どもたちの悩みや思いを子どもたちの声で大人に伝えることの大切さを描いた動画、全部で5本です。
帰宅の公式YouTubeにアップしています。短い30秒の動画ですので、今すぐお手元のスマートフォンなどで、帰宅、子どもの権利と幸せと検索してご覧いただきたいと思います。
あわせて、子どもの権利を守るために、子どもの権利相談窓口も作りました。相談員が相談に乗りますので、気楽に相談してくださいね。
これからも、帰宅が子どもの幸せNo.1実現できるよう、一生懸命取り組んでまいります。皆さまのご理解とご協力、どうぞよろしくお願いいたします。
次回、第2話では、ぜひ、新福田教育長のもとで、教育先進都市帰宅ネクストステージ、具体的にどんなことをやっていこうかというその思いを、次回は聞かせていただきたいと思っております。
福田教育長のお仕事のお話を、今日はたっぷり伺ってまいりました。次回は、ぜひ具体的なこれからの帰宅の教育を伺っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さん、いかがだったでしょうか。福田教育長の人となりがたくさん伝わったと思います。楽しみですね。本当に、これからも2人で頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。
次回もぜひ、お楽しみに。素敵な1日をお過ごしくださいね。パーソナリティ山田香菜子でした。