1. 終わりかけのRadio ・今夜も最終回
  2. 第220回 素顔のままでMY PROFI..

今まであまり多く語られる事がなく謎に満ちていたTAZAWAの職務経歴と素顔に迫るエモ回。

TAZAWAがエンジニアになったきっかけや、知られざる恩人たちとの感動秘話など。


■ チャプター

オープニング

TAZAWAの経歴

あの時TAZAWAは動いた

二十七歳の夏

IT業界との接触

けんすう氏へのメール

村上福之氏のソーシャルもうええねんに感銘を受ける

佐々木俊尚氏との接触

家入一真氏との出会い

TAZAWAとWATAの出会い

恩人たちへの恩返しについて

エンディング


■ 関連リンク

ソーシャルもうええねん / 村上福之

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こんな僕でも社長になれた / 家入一真

https://amzn.to/3RQEehB


ドットインストール

https://dotinstall.com/


■ 番組への感想・お便りはこちら

https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9


■ クレジット

Opening Theme : Composed by WATA

Cover Artwork  : Designed by WATA

CG Character : Modeling & Designed by WATA

Ending Theme : Composed by TAZAWA

©終わりかけのRadio


#家入一真 #佐々木俊尚 #けんすう #campfire 

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00:03
どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAです。
えーっとね、今日はちょっとね、テイストをいつもと変えて、保存版的な感じで喋ろうかなと思うんで、いつもやってるクラシックの話はちょっと、今回お休みで。
えー、これ楽しい。楽しい。
今日ね、実はカノンの話しようと思ったんですけど。
あー、そうなんですか。
ただちょっとね、今回ちょっとお休みにしようと。
あー、分かりました。
なんかね、最近ここ数ヶ月、なんかいろんな人と知り合うことが多かったりとかして、その度に、仕事何やってるんですかとかね、今までどんなことしてきたんですかみたいな話になったりとかして、話したりするんですけど。
割と僕の場合、経歴がちょっと特殊だったりもしたりとかするんで、その度にこう、説明とかするんですけど。
で、それをなんか繰り返してて、思ったっていうのもと、あと最近なんか働き方とか、キャリアみたいな話、最近よくしてたじゃないですか。
はいはい、してましたね。
その度に、どういう背景がある人間がそういうこと言ってんのかみたいなとこも重要かなと思ったんです。
気になりますよね、そこに。
そうそうそうそう。
実態ね。
そうそうそうそう。
結構やっぱり僕も、自分の経験が結構反映されてるわけなんで、意見にね。
なんで、1回ぐらい、自分の今の仕事とかにつくまでの経歴の話を1本ぐらいエピソード台用意しとこうかなと思って。
大丈夫ですか。履歴書。
なんか、今後ことあるごとに、このリンクを置いとこうかなと思って。
はいはいはい。
そういうなんか。
ボイスプロフィールみたいなことになるわけですか、これ。
1本ぐらいちゃんと用意しとこうかなと思って。
すごいこと考えますね。
そうしたら、働き方とかの話した時に、どんなバックグラウンドかをこれ聞いてくださいって。
田沢こんな人ですみたいな。
それできるかなと思って。
田沢とはみたいな。
そうそうそうそう。
いいですね。
あんまりね、過去の話をそういう一人語りも嫌なんですけど、1本ぐらい作っておこうかなと思って、4年目にしてようやく思いつきました。
すごいですね。エモいこと考えますね。
はいはいはい。
なんか勇気がいることですよ。自分の経歴語るのって。
今日はね、だから一切カッコつけずに、ありのままで。
ありのままで。
迷惑にならない範囲で、お世話になった人とか、有名な、知れてる人の名前とかもちゃんと出しながら。
おーまじっすか。
はい。
すごい。それは。
いいですね。
いつもなんか適当に喋ってるから聞かれたときに、適当って言うまでもないですけど。
適当って言うまでもないですか。
なんかはしょって喋ってるから、ちょっと事実が歪んでるとこもあるんで。
03:00
はいはいはい。
で、渡さんにもちゃんと僕喋ったことない話も結構あるんで。
あ、そうっすか。
たぶん。
まあ確かにそれは僕は、あれですよね。まあ結構お付き合いがもう長くなってきましたけど、局所的に聞いてますからね。
そうですね。
言っちゃうと。
まあそうなんですよ。なんでね。
僕が知らないタザワがいるわけですね。そこには。
なんでそういう行動を取ったかみたいなところとか、あんまり喋ってないかもしれないんで。
あの時歴史は動いたみたいな。ってことですよね。
そうそうそう。タザワは動いた。
なるほどね。あ、それいいっすね。そういうシリーズにしましょう。
で、まあそうですね。別にこう誇れる過去でもないですけど、今思うとあの時の行動力見習うところあるなとかやっぱ思うし。
はいはいはい。
こういうのもありなんだみたいな感じで聞いてもらうといいかもしれないなと思って。
はいはいはい。
僕今IT系のエンジニアやってますけど、前は20代後半までアルバイトしながら音楽やってましたから、そこに至るその切り替わりのところの話を聞きましょうか。
それは聞きたいっすね。僕はだから結構かえつばんで聞いてるだけで、実際なんで音楽やり始めたとか、本当になんで辞めたのかみたいなところはそんなにちゃんと聞いてないかな。
この番組聞いてくれてる方はなんで音楽始めたかとかはたぶん興味ないんじゃないですか。
そんなことないよ。
今の僕に切り替わるタイミングの話の方がちょっと需要があるかなと。
なるほどね。不死眼がね。
そこの話をしようかなと思うんですけど。結構僕の中でもなんかこういろいろとあったんで。
でね、時は27歳の夏ですね。
27歳の夏ですね。もう結構前ですね。
今37なんで10年前ですけど。
10年前ですね。
27歳の夏にそれまでアルバイトしながら音楽やってましたけど、そこのタイミングで明確に音楽活動を辞めようと思って、もう辞めたんですよ。
27の夏に。
それなんでかというと、その時音楽のイベントを僕自分で企画して、ライブハウスを一日借りてやるっていうのをやったんですけど、僕の中では大失敗したっていう自覚があったんですよ。
理想がありましたからそこに至ってなくて、僕の不甲斐なさも感じたし、この結果を招いた僕の人間性の未熟さみたいなのも感じたし、
何よりもこの番組でも前に話しましたけど、歌が歌えなくなる症状の進行が決定的になって、そのイベント急遽自分の歌を全部カットしたんで、みたいなのもあって、すごい中途半端なイベントになったってのもあったし、
うまくいかなかったっていうので、すごい落ち込んで、そのイベントが終わってからしばらく立ち直れなくて、4日間くらい食事もしなかったし、その時のアルバイトも無断欠勤とかして。
06:10
ハザードさんらしくないですかね。
そうそう。
それはライブのパフォーマンスに対して。
トータルですね。
トータルすべて。自分の気持ちとか。
で、4、5日ぶりにご飯食べて、我に帰って、その時に僕はパフォーマンスとか人前に出てなんかやるタイプじゃないと思ったんですよね。それは別にネガティブな意味じゃなくて、人によって向いてるものが違うじゃないですか。
僕はどっちかというと、アイデア出したり企画したり、プロデュースっぽいことの方が向いてるんじゃないかと思って、もう音楽活動を一切やめようと思って、そっちに行こうと決意したのが27歳の夏です。
10年前、夏。いや、だいぶでも早い判断だよね。判断としては。若いよね、27でっていうのは。
どうですかね。ただやめようと思ったんですけど、まだITにはまだまだ先なんですよね。で、27歳の夏でもうやめようと思って、僕はじゃあ裏方に行こうと思って。
で、歌手のマネージャーの仕事とかしてみて勉強しようかなっていうふうに思ったんですよ。
それで、求人とか探して、ネットで探したら、ある歌手の方の個人事務所が、結果お世話になることになって。
でね、その方は今もね、イステンで活躍されてる方だし、迷惑になるんでちょっと名前は忘れますけど、やったんですけど、結果ね、僕ね、やっぱ向いてなかったですよね。
やっぱその、芸能マネージャーの仕事ってことだし、あと僕ね、何よりも先輩後輩みたいな関係を経験したことないから、気を利かせてお世話をしたりとかってすることってすごい苦手なんですよ。
やっぱりそのメンタルがやっぱね、大変で。でも結構よくはしてくれて、過去のスタッフの中でもうまくやってくれてるみたいなこと言われてたんですけど、やっぱり僕のメンタルがやっぱり持たなかったりとかして、結果ね、半年ぐらい辞めちゃったんですよね。
でもその仕事は一回辞めた後も、しばらくしてからまた連絡もらって、お仕事させてもらったりとかしたんですけど、一旦半年ぐらい辞めちゃって。
そんで、28歳の春に、さてどうしようと。まだその時フリーターの時代ですけど、その時にITだと思ったんですよね。
おー。
なんかわかんないけど。
ひらめくようにするの?
そうそう。なんかインターネットのサービスで音楽の、僕イベントいろいろ出てたし、マネージャーの仕事とかもちょっとしてたから、そういう負の部分っていうのは知ってたから、そういうものを解決するための音楽のインターネットサービスを自分で作ってしまえばいいんじゃないかと思って。
そういうことですね。就職するとかじゃなくて。
自分で作ってみようと思って。
まあそのサービスの話はちょっとずれるんで端折りますけど、インディーズのミュージシャンとライブハウスと、あとオーディエンスがネット上でマッチングできたりとかして、その過程を見せるっていう、今でいうクラウドファンディングのイベントみたいなものを作ってみようみたいな思ったんですけど、
09:13
僕はIT全然わからないし、プログラミングなんて当然知らないし、知り合いも一人もいないから、ちょっと作ってもらうエンジニアの人、プログラマーの人と一緒にやるしかないのかなと思って調べたんですけど、そしたらなんかもう求人とかあったんですけど、エンジニアって仕事を頼むみたいな、自分の知らない言葉しか並んでないし、すっげえ高いし。
高いでしょ。
マジで怖くなって、マジで怖くなって、もう僕の中ではこっちの領域はもうありえないと思って、もう一切もう、怖くなって本当に胸がキューってなって、PHP、MySQL、なんかランプ案っていうのかよくわからん、わからんワード、今ならわかるけど。
え、本当その時は全く何もない状態だったんですか、知識とか。
僕も28歳の春の時点では全く知らなかったです。やったことないですね。ブログ書いたことがあるぐらいです。アメブログ書いたことがあるぐらいです。全然わかんなくて、いやそれも僕の中ではもうありえないと思ったんですよね。もうわかんなすぎて知り合いもないし、だからもうパソコン外閉じて、もうどうしようと思って。
でも僕の中ではなんかインターネットの業界は全然可能性を感じたんですよ、僕の中では。開発はもう忘れて。で、僕がその時何をしたかというと、まずウェブ業界の人のビジネス書を読みまくって、あとそのカルチャーを知るためにTwitterでインフルエンサー、その業界の人なら誰でも知ってるみたいなインフルエンサーをフォローしまくって。
毎日Twitter見て。で、あとGoogleリーダー、今は無きGoogleリーダーを駆使して、そういう人たちのブログを読みまくってみたいなことをしばらくやってて。で、その時になんかこの業界ってなんか面白い人いっぱいいんだなみたいな。
うんうんうん。 なんか家入カズマさんっていう人がなんか面白い経歴で、この人の発信ってなんか勇気が出るなとか。なんかナナピって会社をやってるケンスさんっていう人はなんか優しそうな人だなみたいな。
なんだケンス。ケンスってあだ名なんなのかなみたいなね。 そうそうそう。でも発信がいつも勉強になるし、なんか優しそうな人だなみたいな。で、まあそんなことをしばらくやってたのかな。でもどうしようって思って。
そんな中、それこそそういうインフルエンサーとかを探してる中で、いろいろ見てる中で知った、それこそケンスさんっていう人。まあ古川ケンスケさんっていう方なんですけど。この人優しい。なんかすごいなんかいい人そうだし、ちょっと相談とかしてみようかなと思って。
だめ戻ってってかスルーされるの覚悟で、公開してるメールにメール送ってみたんですよ。28歳の男で今までこういうことやってきて、こういう音楽のサービスを思いついたんですけど、エンジニアもできないし知り合いも一人もなくてみたいな話をメールで送ったら、もうものすごい丁寧な返事が割とすぐ返ってきたんですよ。
12:24
すごいことですよね。やっぱりその時、2008年頃のケンスさん、そこそこあれでしょ。そこそこのフェーズに来たよね。
2013年ぐらいですね。
2013年か。2013年7Pとかもう結構成功して、あれもう結構社長さんになってることだよね。
そうなんですよ。その時にメールしたらまさかものすごい丁寧な返事返ってきて、僕のやりたいビジネスに対するご指摘も丁寧な指摘もありつつ、エンジニアのどの道ウェブ開発しなきゃいけないから、まずは自分のオススメとしては100時間ぐらい自分でプログラミングを勉強してみることがいいですよと。
そうなんだみたいな。でも何よりも、そんな有名な人からちゃんとメッセージが返ってきてアドバイスしてもらったってことが、ものすごい感動して僕は。
何よりもやっぱり頑張ろうと思ったんですよ。ちゃんと見てくれてる人いるなと思って。でもすごい前向きになって、その時期にある本に出会って、割と僕かなり影響された本があって、それが村上福之さんのソーシャルもうええねんっていう本なんですよ。知ってます?
読んだことないけど、なんか福さんね。
日本でものすごい影響を受けたんですよ。やっぱりあの人も何ですかね、何もわからない状態で会社設立して、とりあえず役所の人に相談しながら会社作ったみたいな話とか、あとプログラミングも今だったらドットインストールっていうサービスがあるから、ドットインストールで最初の十分なんじゃないかみたいなこと書いてあって、
村上福之さんの何でもとりあえず大丈夫だみたいな雰囲気にも感化されて、それで会社まず作ってみようと思って、僕もよくわかんないけど役所に行って相談しながらやってみたら会社っていうのが作れたんですよね。株式会社を。
株式会社。
始めたっていうところが僕の始まりですね、プログラミングのね。
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そうですよね。今の仕事に直結する最初の一歩ってことですよね。
そうそうそう。28歳の春ぐらいかな、だからそれが。
村上福さん始まりだったんですね。始まりはすごいですね。
そう、あそこでドットインストールを知って、本当に本人は勇気づけられて。
で、ドットインストールもひたすら毎日やってて。
だからドットインストールの動画を解説してくれてる社長の田口さんに会ってみたいなと思って。
当時ユーザーヒアリングのイベントやってたんで、もうすかさず応募して田口さんに会いに行って。
で、同作戦に紛れてこういうサービスを作ろうと思ってるんですけど、どういう勉強したらいいですかとかいろいろ聞いて。
だからドットインストールの使い方、そのサービスを作るならこのレッスンをこういうふうに勉強した方がいいよとかってすごい丁寧に教えてくれて。
その通り僕も勉強したりとかして。でね、結局ね、1年そっからね、初めてドットインストール触ったから1年弱ぐらいでそのサービスを作りきったんですよ自分で。
ただ28歳の終わり頃には音楽イベントを企画するためのサービスを何とか一人で作りきって出して、結局ねそれね事業提携する会社とか出てきてくれたりとかしたんですよ。
えーあ、そう。すごいね、最初の一歩で。
まあでもまあね、その出してやっぱり僕も未熟だったし、エンジニアとしてもね。でやっぱりサービス運営とかやっぱ大変だし、でそのサービスはやっぱりフェードアウトっていうかなんかこうメンテナンスもしなくなっちゃって。
で、僕もウェブ開発自体をしばらくモチベーションが上がらなくてやってなかった時期があったんですよね。それ29歳。
で、ほんであれですわ。29歳でしばらくして、そろそろまたサービス作ってみようかなと思って。29歳の冬ぐらいですかね。
作ったサービスがリストバンドっていうサービスになってて、インターネット上でね、YouTubeの動画組み合わせてCDのアルバムが作れるっていうサービスをね。
ちょっとその、要は割とシンプルな面白サイト的な感じのサービスを作ったんですよね。それを頑張って作って。そしたらなんかその時に、僕その時期にTwitterでためになる音楽ブログを紹介するTwitterアカウントやってたんですよ。個人的に。
その時に色んな音楽ブロガーの人の音楽ブログを結構紹介してたんで、その時に繋がりのあった音楽のブログを書いてる人たちが、僕が作ったそのリストバンドをすっごいみんな記事に書いてくれたんですよ。
で、そうすると、やっぱりその周りでは結構こう面白いサービスって感じになったりとかしてて、ちょっと今までとは違う感触があったんですよ。で、その中これもっと僕の中で広めたいなと思ったし、その時にね、その時もTwitterで色んなインフルエンサーの人のブログとかはずっと追ってたんですけど、佐々木敏直さんっていう方がいらっしゃって。
18:12
なんか最近も聞きますよ。この間話しましたけど。佐々木さんのTwitterとかは当時もすごい勉強させてもらってて、佐々木さんにちょっと見て欲しいなとかと思って、メッセージを開放されてたんで、メッセージをしてみたんですよ。
で、私こういうもので、こういうサービスをこういう思いで作りましてみたいな。で、ちなみに他のブロガーの方が書いてくれた記事がこちらだったりするんで、よかったらちょっと見ていただけませんかみたいな。そしたら割とちゃんと返事くれてありがとうございますって。
そしたら後日、佐々木さんのTwitterで紹介してくれたんですよ。
すごい。
佐々木さんって今ね、調べたらフォロワー数79万人いるんですね。
すごいですね。
当時ですら結構いたと思うんで、もうそれで結構、いわゆる佐々木法って言われたりとかしてたんで、当時の。その佐々木法が結構あって、かなりアクセスがガーッときて。それでね、僕の中ではちょっともうアドレナリンとドーバミンがガンガン出て。
そうですよね。
そうそうそう。
体験としてもなかなかできない体験じゃなくて、それがもう最初の体験でしょ。
そうなんですよね。
佐々木さんって感じで僕の中で。
なるよね。抱いてくださいみたいな。抱いてほしいよね。
その時期にちょうど、僕それこそさっきも話出ましたけど、ウェブに興味持った時に知った家襟一馬さんっていうね、今キャンプファイヤーの社長されてますけど、家襟さんだったら自分のサービスどういうふうに思ってくれるのかなと思って、やっぱり家襟さんにも見てもらいたいと。
多分その家襟さんの方が先に僕、佐々木さんよりも先に連絡したのかな、もしかしたら。公開してるメールアドレスにダメ元でメッセージを送ってみたら、割と速攻で面白いですねって一言返ってきて、僕マジで飛び上がって喜びました。
喜ぶでしょそれはもう。
マジかと思って、そんでありがとうございますって言って、一度会ってお話しましょうって話になったんですよね。それで家襟さんも実際Twitterで僕のサービスを紹介してくれたりとかして、それでもずっとガーンとアクセスして。
すごい、家襟さんもだって、もうあれキャンプ立ち上げた頃ですかね。
あの頃は、都知事選とか出てた頃で、ネット業界では誰もが知る有名人ですよね。
めっちゃ一番お騒がせなインフルエンサーって感じだよね。
僕としてはやっぱり家襟さんの本を読んで勇気づけられてサービス作ってみようとかと思ってたから、いや本当に僕は嬉しくて。
だから結局佐々木さんとか家襟さんとか、あと各ブロガーの人とかもみんな紹介してくれたりとかして、それでだから割とね、界隈では話題になったりとかして。
21:06
すごいな。
ウェブメディアとかでイケてる話題になったサービス何線みたいなやつに取り上げられたりとかしながら、結構いい感じでなったんですよね。
その流れで家襟さんと知り合って、一緒にお仕事するようになってっていうところから今に至るって感じですね。
だから家襟さんと知り合ってから家襟さんと働いた以降は、割と業界的な内部の話になっちゃうから、別にここで話すような話じゃないんですけど、っていう感じですかね。
だから本当にその3年ぐらいの話っていうのが。
すごい濃密な3年ですよね。
そうなんですよね。
でもやっぱり思うのは、報道力というか、これ僕だったらなんですけど、ちょっとやっぱり当時のけんすさんもそうですし、いえいえさんもそうですけど、ちょっと天井の、もう本当、芸能人みたいな天井人感があるから、とてもじゃないけど個別にコンタクトできんだろうなっていうのは。
すごいな、ちょっとバカっぽいなと思うんですけど、よくやったなと思って。
それが良かったなと思う。
だから僕やっぱり、自分のその辺りのことを振り返って思うのは、要するに努力してる人とか頑張ってる人を応援する人がいなかったら、今の僕ないんですよ。
本当にだから、家入さんしかりね、佐々木さんしかりね、けんすさんしかりね、やっぱりそういう人を、後押しをしてくれようとしてくれた結果だと思うんですよね。だから僕本当にそういう人にお世話になって、今に至るって本気で思うから、割と僕そこの価値観すごいありますね。自分がそういう人に救われてお世話になってきたっていうのはすごい強いから。
しかもなんていうんですかね、言っちゃうと一流の人たちじゃないですか。だからそのラインの人があれですよね。もちろん佐々木さんが作ってるプロダクトにクオリティを感じたからっていうのは絶対だと思うんですけど、結構向き合ってくれる感というか。
それが本当なんか、当時結構僕やっぱスタートアップとかって良かったなっていうものは、そういう空気感があったというか、誰でもファンチャンある感じというか、それにちゃんと向き合ってくれる人たちがいるみたいな、その包容力があるみたいなのは感じてたから、まさにそういう一流の人がそういうふうにやってたから、あの当時盛り上がってたんだろうなっていうのはすごい思います。
だからやっぱりあの時すごい思ったのは、そういう一流の人たちの一流の仕事って善意で成り立ってる部分ってすごいあるなって思ったんですよね。
24:02
だから本当そこは利害じゃなくて、やっぱりこう情熱の部分だったりとか感情とか、あとはやっぱりなんかこの人にベッドしたいっていう、なんかその繋がりの部分っていうのは大きかったんでしょうね。
だから佐々木さんの、どこの馬のお猫もわかんないようなやつに急にメッセージされて、それちゃんと読んでくれて、紹介もしてくれてって、いや良い人すぎるでしょ。
良い人すぎるね。良い人そうな見た目はしてますけど、確かに。
そうそうそう。今代やらそうですね。本当に感謝してますね、佐々木さんに関しては本当に。家入さんとかは当然その後でやってるし、ケンスさんに関してもその時にやっぱり遅いなったっていうのもあったから、僕の転機のタイミングでは勝手に僕メッセージを送らせてもらって報告させてもらってますし。
なんか最近ケンスさんがテレ東経済なんとかのチャンネルあるじゃないですか。あれでリハックじゃない番組でって言っててさ、まさにこの話してて。あの人やっぱいいなって思うのは、すごいクリエイターを応援したがってて、
それをね、お金で判断してない感じがすごいしたんです。それなんか自分でも言ってて。結局その面白さをどこに見出すかってお金じゃ判断できないから、それをちゃんと見る目があるっていうのをすごいその番組見てて感じて。
だからあの人いまだにあれやってるんだよね。個人投資家として。で、いまだに自分の会社でもそうだし、中止してる会社もそうなんだけど、あの頃と変わってないんだよ、あの人たぶん。そこはなんかすごいね、今話聞いて、そういうとこやっぱケンスさんいいなっていうのは思いますね。
たっぷりなんだろうな、そういう頑張る人とかを、だからこそ僕もそういう人がいたら全力で応援したいなって常々思ってますよ。だから本当に。だから結局ね、なんかこう割と自分の力で努力でやってきたとかって思い込むようなことも結構やっぱね、人にこう影響されて、人にお世話になりながらやってるっていうことなんて基本的にはね。
だから僕結局あれですわ、今の話でプログラマーになろうとして勉強した話一切してないと思うんですけど、実際そうで、あのなんかこれいまだにそうなんですけど、僕エンジニアプログラマーになろうと思ってなったわけじゃなくて、なんかその自分のそのやりたいことをやろうとしたら結果的にせざるを得なくて。
そうですね。
27:17
あの時、僕やっぱりその、あの時は田沢さんエンジニアとして僕は会ってるんですけど、ただすごい印象的に覚えてるのは、僕エンジニアではなりたくないんですよねってなんだかすごい言って。
迷ってた時ですから、だから本当に。自分なんなんなって思って。
ただね、そのせいで逆にすごい壁にぶち当たって苦しかったです。だから僕はエンジニアになろうと思って、エンジニアリングをしっかり勉強してきてないから、逆算で必要なところだけをかいつまんでやってきたから手段として。
全然ついできなかったんですよ。それこそ、だから初めて人とチームでやったりとかした時に、僕全然できないと思って。だからそれこそね、いえいえりかずまさんとかに、僕エンジニア向いてないんでやめますみたいなこと言ったりとかしたことあるぐらい。
エンジニアというものをね、やめようとしたことがあるぐらい、めちゃめちゃつらかったですね。だから要はエンジニアとしてずっとやってきてる人にかなうわけがなくて、当時。全く。で本当にもうなんか絶望感でみたいな。で何度ももう、心の中で不敵されてた時期があって。
和田さんと出会ったってから、しばらくエンジンかかってなかった気がするけどな、でもそうですね。
僕がやってた時は弱ってました。まあいろいろあって弱ってる時期だったんですけど。だからなんかそのエンジニアっていう触手に対してどうっていうのはやっぱ当時あまり感じなかった。ただなんか野望としては一つなんかこう物を作って、それを表現して成功するみたいな。それに渇望してるっていう印象はすごいあって。
それは今もそんな変わってないとこではあるんだけど、でもなんていうんだろうね。なんかそういうとこにやっぱりさっきの佐々木さんもそうですし、エイリーさんもそうなんですけど、強く惹かれたっていうのはあるでしょうね。なんかエンジニアになりたいですっていう人と、プロダクトなんか作って世の中にインパクト与えたいって人だと全然見え方が違うんで。そこはやっぱ和田さんのすごいアドバンテージ大きいとこだったんじゃないかな。
でもまあそれはね、今この話を今回しようと思って結構振り返ってたときに、結構当然憂鬱になりながら罪悪感にも苛まれながら結構辛かったんですけど。
一番思い出したくない時期の思い出とかもあるでしょうか。
30:02
今の話がまさにそうなんです。今日の話が。っていうのは、せっかく期待してくれてた人たちに対して、僕期待に応えられてなかったっていうのがまず一番強いですわ。
いずれに、僕はそういう人の善意で引き上げてもらったっていうことしかないんですよ。ないというか、別に僕は何もリターンしてない気もするし。だからそういうところの、それは未だにあるんですよね。何もしてないなっていうか、僕自身はね。だからそこの、ありますねそこね。
ちょっと僕風情がね、何か言えるところはないんですけど、期待に応えてないというか、一緒に時間を共にしたっていうことがやっぱり最大のバリューなんだと思うんですよ。要は、特に家入さんとかは一緒に仕事していたっていうところがあると思うし、そこの相対関係とか。
あとは、例えばケンスさんにしても、何かワクワクするからタダさんにベッドしたわけですよね。それをしたっていう行為が生まれたこと自体が、ある種、一番その人たちに対して、何かリアクションというかフィードバックを返せたっていうコツだから、成功したからどうとかでは僕はないとは思いますよ。
いやいやいや、でも僕は。
厳しい。
いやいやいや、本当に。やっぱりそれはそうですね。だから逆に僕としては、本当にシンプルな感謝の気持ちだけが残ってる感じですね、本当に。だから頭が上がらないなと思ってますね、いまだにそれはね。
だからそれが大事なんですか。いまだにそう思ってるってことは、これからもまだチャンスはありますもんね。だから全然、もしかしたら3、4年後にわからないです。そのお三方と働いてる可能性ですらあるんですからもう。だから全然わからんでますよ、未来はね。
大事なのはその気持ちを今持ててるっていう。だからなかなかできないのは、この気持ちを維持できる人ってなかなかいないんですよ。これは相対する人間だから僕は言えるんですけど。だからなかなか人にそんな感謝できないですからね。
少なくともそういう善意で引き上げてもらった僕として、僕も割とそういうことの素晴らしさっていうのをすごい肌で感じてるから、自分もそういう人間になっていこうっていうのはすごいありますね。
それはありますよね。一つだから、逆にその報いる価値で、自分がその立場になっていくみたいなすごい夢がありますよね。結局そうやって繋がって連鎖していく。実際、僕はですよ、旗から見てて、田田さんもすでにそのポジションに結構行ってるところがあって、いろんな人にいろいろ還元しているんですよね。
33:00
それは僕は、本人はわかんないと思うんですけど、旗から見るともうそのラインには乗ってるんで。だからある種そういう状況は、特にイエーリさんとか覗いてたじゃないですか。だってエンジニア辞めようとしてたんですよ。
あの時辞めてたら。 いやいや、でも今やってるんだからいいんだよ。 そうなんですけど、もう思い返すとね、いや、だっせえなって思いますね。だから僕もね、結構どうだろう、今日話した話って、この番組聴いてる方からすると、わりと僕の印象と違うのかもしれないですね。
タザラさんはね、この番組の印象で言うと、めちゃめちゃガチムチな感じのイメージだと思う。 だから、なんかドライな感じみたいな、あるかもしれないんですけど。
自分の、なんて言うんだろう、あんまり失敗とかそういうのを、ものともしないようなハードメンタルな人って思われてる。
実際は結構そういうなんかもう、アホみたいなバカみたいな行動を結構してたんで、そういうもんですね、だからね。
うよ拒絶説あって、いろんな影響を受けてこうなってるっていうことではあるってことですよね。
確かにそれは、これを聞いてる人は印象が変わるんじゃないですかね。
そんなタザラは悩んでる時期あったんかい。
だいぶ泥臭い感じですよね、本当に。本当苦悩の20代って感じですね、僕は。
だからそれが今のタザラさんに裏打ちされてるっていうのはありますよね。その苦労を経験したから。
そうそうそう。だから割とその、僕がこの番組で言ってる意見っていうのは、この背景があるっていうふうに思ってもらえるといいかなというふうに。
そうですね、そうわかりやすいかもしれないですね。
だから結構その、強い立場の意見というか、軟弱な考え方が僕嫌いだから、結構そういうの厳しい言い方をしてると思うんですけど。
だから割と僕自身がそういうところで苦労してきた部分があるっていうか。
育ってきた環境がね。
あるんですけどね。
それはね、わかりますよ。でもなんかその、やっぱりもちろんそのハードな一面もあるけど、やっぱりそのウェットな。
何かに対して感謝してるとか、あとなんかその罪悪感の話。これはもう過去、僕らの番組で何回もしてますけども。
そういうなんか、そのヒューマニティが溢れてるんですよ。だから結構こういうのって、人はキャリアを積み上げていくとどんどん忘れてっちゃって、機械的なロボットみたいな感じになってくるんで。
で、なんか感謝というよりも、どっちかというと利害の話に振っていくわけですよ。で、だいたいそれでやみ落ちしてっちゃう、あるんですけど。
それがモチベーションになってるっていうのはやっぱ大きいですよね。なんかあんまりこう、何て言うんですかね。もうなんだろう、ちょっと今スタートアップネスとかがちょっと下がってるっていうのはあると思うんですけど、あんまり業界にない空気なんですよ。こういう情熱でどうとか。
36:06
結構、聞いてていいなと思いますけどね。なんか今逆にそういう、なんかね。そこにはなんか青春も含まれてるから、それがいいですよね。
今日はね、僕のWeb青春歴史編ですね。ほんとだから、分からないままもがやきながら気づいたらって感じだったんですよね。結局その3年くらいはね。だから僕、そういうふうに思うのは、そのときやってることをなんとかクリエイティブに乗り越えようとすると、結果的に面白くなるんじゃないかなっていうのはやっぱありますね。
ということでですね。今日はちょっと保存版的な感じで僕も。
めっちゃエモかったですね。
今度は渡さんやってくださいね、ぜひ。
やりましょうか。
全然しょうがない話しかできないですけどね、ほんとね。
下ネタしかないですけどね。
渡さんの青春自身。
違う、なんか別の青春話したりそうですけどね。
ということでですね、そんな話をしつつね、今まで本当にありがとうございました。
ありがとうございました。ごちそうさまでした。いいお話でした。さようなら。
37:53

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