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2024-06-19 08:50

宿題忘れと見えない武器

子どもの宿題忘れ発生。高学年の宿題を教えられない母の関わり方。子どもなりに自分の身を守るために武器を装着しだしてきた話。

サマリー

先生からのラインで塾の宿題をやり忘れたと知った彼女は、怒りを感じています。しかし、それよりも嘘をついたことに対する怒りの方が大きく、子供が得するために武器を装着している成長の過程を感じています。

宿題を忘れた怒り
おうちがいちばん、2024年6月19日、今は2時20分です。
今日はですね、一つ前の回で、私、あんだけ感謝感謝って言ってたんですけど、
昨日ちょっとイカってしまった出来事が起こりまして、
そのことについて、公園日記撮りました。
その出来事なんですけど、子供が塾から帰ってきて、
ちょっと経ったら、塾の先生からLINEが私に来たんです。
その内容が、塾の宿題やってきませんでした。
ということで、先生からは学習の確認や定着のためなので、
やり忘れがあるとその分遅れてしまいます、みたいな内容だったんですね。
帰ってきた子供に、なんで宿題忘れたん?って聞いてみたら、
プリントの間に挟まってて忘れてたって言うんですよ。
でもこれが初めてではなくて、実は3回目ぐらいなんです。
しかも土日とか時間あるときに確認するようには言っててね、
だから水逃すはずはあんまりないって思ってたんです。
で、今回絶対確信犯やなって思っちゃったんですけど、
なぜかっていうと、この宿題のプリントができてなかったよって見せてくれたプリントとは別に、
プリントの束を持っててね、それをコソコソペラペラしてたんですよ。
なんか怪しいなと思って、それで全部見せてって言ったら、
さらにね、1枚白紙のやってないプリントが出てきて、
隠してた感?ちょっと隠してた感があったんですよね。
そこで私の怒りはね、もうちょっと頂点に達してしまったんです。
これまでも宿題忘れのために対策を考えてやってたんですよ。
前回は、前回の時はやったプリントと手をつけてないプリントが、
ごちゃごちゃになっているから分かりにくいんかなって話して決めて、
宿題途中だよって書いたファイルをね、1枚増やしたんです。
だから宿題が完全に終わってないものは、そこに入れるっていう約束をしてたんですよ。
それで今回先生からのそのラインやったんです。
宿題をね、もう高学年やから最後の確認くらいで、あとは任せてて、
声かけてね、宿題あとどんだけ残ってるとか、
あと2日やったらその時にやってた方がいいよくらいは声かけてたんですけど、
それだけじゃちょっと足りなかったってことですよね。
高学年やから、ちょっと自分で責任感持ってほしいというか、
自発的にやってほしいなっていう気持ちも込めて任すっていうことをあえてしていた部分もあるから、
なんかそんなこと考えちゃったらめっちゃ怒りが来てしまって、
雷音してしまったんです。
見えない武器の成長
雷音してしまって、ごめんなさいとか反省の態度がね、
反省の色がね、見れたら私も冷静になれたかもしれないんですけど、
うちの息子は注意された時とか、自分は悪くないような表情をするんですよ。
多分は悪いとは思っていると思うんですけど、
それが表情に全然出ないというか、なんかスンとした顔をしてるんですよ。
そういう表情をね、見てるとまたぐつぐつきちゃって、
まぁまぁまぁちょっと冷静になろうと思って私がコンビニ行って、
頭をちょっと冷やして戻ってきたんですけど、
そうしたら少し冷静になれて、
よくよく考えてみたら、私は宿題を忘れたことに対しても怒ってはいたんですけど、
それよりもちょっと言い訳っぽかったり、
嘘ついているっていうことに対しての怒りの方が大きくて、
そこはね、そこに私は腹立ててたんですよね。
腹立つっていうよりは、ちょっと悲しさもあるかな。
日に日に大きくなる息子と、見た目もそうですし、中身も成長していっている中で、
子供なりにどうやったら怒られへんかなとか考えたりしててね、
子供やから嘘をつくのは下手くそですぐ見破れるんですけどね、
どうやったら自分が得するとか、子供なりに考えてやってるんやなぁと思って、
なんか小さい版の大人を見ている感じで何とも言えない気分でした。
嘘っていうのは時と場合によりますけど、基本はついてダメだと思うし、
言い訳も私はあんまりする大人にはなってほしくないけど、
子供なりに自分を守る武器っていうんですかね、
怒られへんようにとかね、自分に不利にならへんようにとかね、
そういう見えない武器みたいなものをどんどん装着している感がありましたね。
それは大人になっているっていう一つの成長っていうか、その過程であって、
親の私としてはなんか腹立ったし、悲しかったし、寂しかったし、
いろんな複雑な気持ちが混じったような感情に昨日はなってました。
そんな出来事があったんですけど、そういう出来事があった中でも、
講演日記の存在って本当にいいなって思ったんですよ。
いつもやったら怒って、怒りの感情で、
怒りすぎたなとか、後で思い返して反省してた。
ただそれだけだったんですけど、それを声にするっていうことで、
怒りを怒りのままで終わらさず、
怒った出来事の悪かったとこだけじゃなくて、
悪かったとこがほぼ占めてるかもしれへんけど、
数ミリでもいいから、いいところを見れてるというか、
違う面も見れてるなって思うので、すごくいいなと思ってます。
誰かが聞いてくれてるか聞いてくれてないかもしれないんですけど、
声に出すっていう大切さをいつもこの場でいいなって実感してます。
ではまたです。
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