うん。
1890年にイギリスのね、スペンサーっていう人が横浜公園で落下3で降下するっていうあのショーを行ったんだよね。
うん。
これがね、日本で初めて落下3が使用されたんだよね。
うん。
でね、1940年にいよいよその日本で落下3部隊の研究が開始された。
うん。
この1940年っていうのは、1930年から日中戦争っていうのは始まっていて、
うん。
で、翌年にはさ、アメリカとの戦争になるわけじゃん。
うん。
だからあの日本っていうのはあの戦時体制の時だったんだよね。
うん。
でね、この落下3部隊を開始するにあたって、あのやっぱりヨーロッパとか結構先駆けていたっていうのもあって、
ドイツとか、あとねソ連の文献を参考に試行錯誤していくんだよね。
うん。
で、日本ではね、落下3部隊っていうのは海軍、陸軍でほぼ同時期に別々で導入実験が進められていくの。
うん。
そう、これね、別々っていうのがやっぱり海軍と陸軍っていうのが、なんかその時も共有できてないっていうような実証なんだけども、
うん。
で、今回はね、その様子をまあほぼね、大体似たような感じなので、海軍側からちょっと見てみたいと思うんだけども、
うん。
海軍っていうのは落下3の実験をあの第1001号実験って呼んでいて、
うん。
これね、秘密裏に行われたの。
うん。
で、最初にね、問題になったのが解散率なんだよね。
解散っていうのは?
あ、そう、解散っていうのは開く傘って書いて、パラシュートが開く確率。
あー、その率ってことね。
あ、そうそうそうそう。で、この解散率が当時の落下3は100%開かなかったね。
いや、ダメじゃん。
そうそうそうそう。
あの、バックからこう飛び出して100%開くかっていう実験なんだけど、
うん。
そこで、これだったらさ、人がいきなりさ落下3を使って実験するのはかなり危険だよね。
いや、全然100%開かないんでしょ。
そうそう。なんで、そこで最初は60キロのダミー人形をつけて、
うん。
上空から投下するっていう方法で実験を行ったの。
うん。
でね、これね、内部にね、だから重みを出すのに鉛を入れて、このずんぐりした格好のこの人形なんだよね。
うん。
で、この人形ね、愛情込めて海軍はダミーって呼んだんだよね。
どこが愛情こもってんだよ。
確かにそう思ったけど。で、あの、実験していく中で、毎日ね、1個や2個っていうのは解散しないものがやっぱりあるんだよね。
あー。
これが本物だったらっていうのは、もう当時の海軍ももう、なんだろう、凍りつくようなそんな感じなんだけど、
へー。
これね、なんでこんなに間隔を短くするのが大事かっていうと、
うん。
飛行機ってさ、時速200kmとか210kmで飛んでるのよ。
うん。
で、その時に飛び降りるから、1秒これ差が開いても前の人と約1000mぐらい離れてしまう場合もある。
うん。
だから、できるだけ着陸後にまとまって隊を組みたいから、
うん。
この飛び出す間隔を短くする必要があったんだよね。
あー、なるほどね。
そうそう。でね、こう何回もね、実験をひたすら繰り返したの、数ヶ月っていう隊員で。
うん。
で、その中でね、ある日最年少だった1人の隊員の傘が開かなかったんだよね。
うん。
で、そのまま地面へ撃突するっていう事故があったの。
うん。
で、これ落下した場所にね、隊員が駆け寄ると150cmぐらいの穴が開いてて、
うん。
隊員はそこに埋まっていて、もちろんその即死だったんだよね。
うん。
そう、後で調べるとやっぱり全身内部骨折の状態で、で、このね、事故の件があって、
まあいろいろなぜ開かなかったのかっていうのを調査してたの。
うん。
で、当時っていうのは補助傘式っていうのを使ってたんだけど、
うん。
これは小さな落下傘、パラシュートが先に飛び出して、
うん。
これが風をはらんで、メインの傘をバックからこう引っ張り出すっていう方式なの。
うん。
それで開く方式なんだけど、
うん。
この補助傘が飛び出したんだけど、背中と落下傘を収めてるこの袋の間に挟まれちゃって、
うん。
要はね、その手傘がね、引っ張り出せなくて開かなかったんだよね。
ああ。
で、これによって引き出し解散方式、またはね、軽死式っていう補助式をやめたんだよね。
うん。
これはどういうものかっていうと、メインのこの落下傘の頂上部分と飛行機の機内の中で紐で繋ぐんだよ、直接。
うん。
で、飛行機から人が飛び出すと、その衝撃によってもう強制的に落下傘が引き出される。
ああ。
確実に引き出すことができる。
うん。
ちなみに繋いでいる紐っていうのは伸びきって一定以上の力が働くと分離する仕組みになってる。
ああ、もうそれで引っ張られることはないってことね。
そうそうそう。で、これによって補助傘式よりも強制的に落下傘が開かせることっていうのができて、今まで補助傘式の場合は開くタイミングもまちまちだったのよ。
うん。
これもある程度統一することができて、で、飛び降りてからもう約60mっていう今までよりもかなり早く開くようになった。
うん。
でね、今の自衛隊の空挺部隊もこの方式でやってたよ。
うん。
で、スカイダイビングっていうのは逆に補助傘式に近い原理なんだよね。
へえ。
まあだいぶ使ってる素材とか仕組みは変わってるんだけど。
うん。
でね、引き出し解散方式になったんだけども。
うん。
それでも実験をしていく中で落下傘が開かない事故が起こってたんだよね。
うん。
でね、飛行機から飛び出した直後に落下傘は出るんだけども。
うん。
吹き流しにいた棒状になって、そこから風をはらむんだけども。
うん。
何千分の1かの割合で吹き流し状のまま開かない現象っていうのが起こるんだよね。
うん。
これでね、数人ね、海軍でも亡くなってんの。
うん。
で、これに関しては、もう緊急用の落下傘を別にもう一つ体の前に装着しようっていうことになった。
うん。
で、まあこんな訓練を重ねていって、落下傘部隊っていうのは初の実践に投入されるの。
うん。
これがね、1941年11月26日に海軍によるセレベスト島のメナド降下作戦っていう。
これね、今のねインドネシアなんだけど、まあここに来るまで結構厳しい訓練をしてきたし、
うん。
同じ仲間も亡くなってきてるっていう、まあすごい体験をしてきたわけなんだけど。
うん。
で、メナドっていうのはオランダが支配していた場所で。
うん。
そこにね、あのランゴアンっていう飛行場があって、この飛行場を占拠することが目的の一つだった。
うん。
で、これね、開始前に落下傘部隊っていうのはいくつかの輸送機に分けて、
うん。
約300名ほどが上空へ輸送機で行ったんだよね。
うん。
で、その時にね、1機の輸送機が味方のね、ゼロ戦にね、撃墜されて。
味方に?
これこれ嘘って思ったんだけど、
うん。
敵とね、誤認されたんだよね。
あー。
で、ここにいた落下傘部隊も搭乗員も含めて犠牲者は約20名ほどここで亡くなっちゃったんだよね。
うん。
だからこれさ、こういうのって結構あったんじゃないのかなって実はと思っちゃって。
うん。
これね、なんでこんな事故が起こったのかっていうと、
うん。
ゼロ戦側の言い分だと、結構やっぱり落下傘部隊っていうのは秘密裏に動いてたのよ。
うん。
で、情報がね、来てなかったっていう証言があって、
うん。
しかもね、こう航空機が勝ち合わせた時に、
うん。
味方の場合は味方識別運動っていうのがあって、
うん。
飛行機の足を出して高度を避けるっていうことをするんだって。
うん。
で、これをね、しなかったっていうのがあって、
ただこの落下傘部隊側の言い分は、
うん。
事前にこのゼロ戦側にも伝えてたって、打ち合わせをしてたって言っているんだよね。
うん。
こっちの方が有名なんだけど、
うん。
スマトラ島にある、まあ今のインドネシアなんだけど、
うん。
パレンバン攻略のこの目的っていうのがあって、
うん。
メダドと同じようにパレンバンの飛行場を抑えて、
制空権を確保したかったっていうのが一つと、もう一つが東洋一って言われてるほど、大油田って言われるあの製油所の入手をしたかった。
うん。
これで日本の必要量の石油を賄っても、
うん。
まだ余裕があるってほどかなりあるって言われてて、
うん。
で、そのためにはさ、敵が負けそうになったら破壊しちゃう可能性もあるし、
うん。
だから奇襲をかける意味で落下3部隊っていうのを投入したんだよね。
うん。
この作戦の結構の日、この日はね、よく晴れてたんだよね。
またかよ。
で、落下3っていうのは降下したのは約300名ぐらい。
うん。
地上でも味方のね、陸軍の38師団っていうのが応戦で向かってたんだよね。
うん。
で、対するね、相手はオランダとイギリスからなる混成軍って言うんだけど、約1000人ぐらい。
うん。
で、パレンバー飛行場には200機ぐらいの戦闘機があったって言われてる。
うん。
で、相手はね、あらかじめね、川に重油を流して、
うん。
火を放って日本軍のこう行く手をね、拒むっていうようなこともしてた。
うん。
でね、この煙で視界は悪かったんだけど、落下3部隊っていうのは敵からのこの発見をね、遅らせることにも繋がったんだ。
うん。
それでも、想定したよりも、この多くのね、対空火器があって、
うん。
18もあったって言われてるんだけど、一斉にね、上空にこう撃たれて、
で、落下3部隊を運ぶ輸送機もこう避けるように飛んで、落下3部隊をこう降下させたんだけど、
うん。
目的地よりね、かなりね、離れた場所で落下3部隊を降下させることになっちゃった。
うん。
予定だったこの飛行場の割と近いところの高原地帯に降りれたのはごくわずかで、その他ね、多くはね、ジャングルに降り立ったんだよね。
うん。
これさ、あの落下3っていうのは、あの丸い傘なのよ。
うん。
で、これコントロールがね、ほぼできないって言っていいぐらい。
うん。
できたとしてもほんのわずかで、操作性がかなり悪い。
うん。
で、パラグライダーとかさ、スカイダイビングっていうのは扇状の傘なのよ。
うん。
ちょっとタイプが違うの。
うん。
この傘は、あの左右のコントロールが可能なんだよね。
うん。
だから、という意味で、あのやっぱ降下して、もう流されるままな状態が多いんだよね。
うん。
で、しかもその上空から落とされた武器の入った物流箱も、ジャングルの中で見当たらないのよ。
うん。
で、敵はさ、水平射撃によって、ジャングルの中でもどんどん撃ってきたのよ。
うん。
で、そこで兵士のさ、集結だったり、兵器の収集が思うようにこうできなくて。
うん。
でね、この物流箱に入った武器の回収率っていうのは40%ぐらいって言われてんの。
40%か。
そうそう、半分以上はね、もう回収できてないんだよね。
うん。
で、あの、なんとかね、こう回収してって、まあ武器でわずかなんだけど応戦してたんだけど。
うん。
陸軍部隊のこう応戦もあったから。
うん。
結果的にはね、1日でパレンバンっていうのは制圧することができた。
うん。
これによって、西遊所の8割が、まあ連合軍の手によって退却するときに爆破されたんだけど。
うん。
結果、あの25万トンほどの石油とその施設が手に入った。
うん。
で、これはさ、石油資源に乏しい日本にとってはさ、結構大きな成果で。
うん。
日本はさ、それまでこの戦争に至る、まあ経緯にもなるんだけど、石油の9割をアメリカに依存してたんだけど。
うん。
それをさ、打ち切られたわけなんだけど。
うん。
だからこそ日本がこう難進をしてって、このインドシネシアの方とか進出していった理由でもあるんだよね。
うん。
で、パレンバンのさ、この石油が確保できなかったら。
うん。
日本は大東亜戦争を1年で降伏することになってたのかもしれないって言われるほど、これは結構重要なとこだったんだけど。
うん。
まあそれがさ、結果的に良かったのかは置いといたよね。
うん。
で、この2月14日に行われたパレンバン降下作戦は、まあ今そのバレンタインの日じゃん。
うん。
これを文字ってね、今でもね、パレンバンデーって言われんの。
え、そうなの?
そうそう、遺族の方とかパレンバンデーって言ってパレンバン降下記念日っていう日にしてんの。
へえ。
なんか祝ったりとかなんかそういうのはあるんだよね。
へえ。
で、あのパレンバン作戦ってその後ね、映画化されてこれで有名になってんの。
うん。
で、これはさ、当時戦時中に実際の陸軍の落下3部隊が俳優としてこの映画に出てるからね。
え、そうなんだ。
そうそう、これは多分ね、PR活動の意味もあって協力したんだと思うんだよ。
うん。
で、だから日本ではかなりこの当時有名な出来事なんでね。
うん。
もうすごい英雄として扱われてたから。
うん。
でね、日本の落下3部隊っていうのはこうやってね、アメリカやヨーロッパに比べると、結果その任務を達成してて。
うん。
で、被害もね、比べると少ない方なの。
うん。
たださ、反面さ、アジアの南進してる時ってこの大東戦争始まって最初の頃って。
うん。
日本軍っていうのは圧倒的にこう割と勝っていて制圧していた時なんでね。
うん。
そう、だから戦艦や飛行機でこう上陸して他のとこも制圧してるのに比べると。
うん。
落下3部隊は状況によっては狙い撃ちされるリスクがあって。
うん。
こんなにね、危ない降下作戦は無理にするものではないっていうね、意見がね、上官からもこう当時出てたんだよね。
うん。
で、それ以降ね、落下3部隊っていうのはクーパン作戦とか他に少しあるんだけど。
うん。
ほとんどね、使われてないの。
うん。
で、連合軍側っていうのも落下3部隊を使うっていうよりは、あの例えばウィンゲート兵団の挺身作戦っていうのがあって。
うん。
これ滑空機で空挺部隊が強行着陸して。
うん。
着陸場を整備した後に、大きな輸送機で来て、約9000人とか人を送り込んで、で、しかもその大量の物資を送り込むっていうような、そういうね、あの大規模な航空機を使った投入に乗り出すんだよね。
うん。
そうそうそう。
まあ、こうしてさ、落下3部隊っていうのはまあいろいろあった中でまとめると、メリットとしてはさ、奇襲には向いてるんだよね。
うん。
敵のさ、陣地付近に一気に展開できるのよ。
うん。
で、飛行場のようなこう整備されてない荒れた場所でも降りることができるっていう。
うん。
ただ反面デメリットがあって、中村も言ったようにパラシュートで降下してる間、ひたすら敵の攻撃に耐えるしかない。
うん。
しかも武器の入った物量箱を思うようにこう回収できないという事象が多くある。
うん。
で、落下3っていうのは当時ね、絹を使ってたんだよ。
あー。
そう。これかなり高価だよね、当時。
うん。
今はね、ナイロン製が主流なんだけど。
うん。
だから落下3部隊っていうのは結構お金もかかって、他の国っていうのはそれも原因で軽減してるんだよね。
うん。
あとはね、天候条件に結構左右されるの。
うん。
これによって実際日本軍も断念してるケースもあったり、
うん。
暑い雲にこう覆われてるとさ、降下地点が見えないから。
うん。
ただね、こう忘れてはいけないのは、この落下3部隊でこの多くの犠牲があって、今に活かされてる物っていうのも数多くある。
うん。
それはさ、スカイダイビングやパラグライダーとか、自衛隊の空挺部隊においてもなんだけど、
一つ目はさ、そのメインのパラシュートは背中で背負って、背中から投下されて開くタイプが一般的な。
うん。
これさ、当時はね、最初は体の前にかけるタイプっていうのもあって、
それだと体に巻きついちゃったり、姿勢が安定せずに実際に亡くなっちゃってるケースもこの当時あった。
うん。
で、二つ目が、メインのパラシュートの他に予備のパラシュートを持って飛ぶっていうのもこの時からなんだよね。
うん。
で、あとはパラシュートは直接こう、最初ね、バックに入れてたの。
うん。
そうじゃなくて、一度小さな袋に入れてから、それをバックにしまうっていう風にしたの。
うん。
これによってより安全に開くようになって、今でもこれは使われてるから。
うん。
こんなのがね、ちょっと駆け足で話したんだけど、落下3部隊の歴史でした。
はい。
いかがでしょうか。
まあ落下3部隊自体はさ、なんとなくさ、ああ、あんな感じかなみたいなのは多分知ってるけどさ、具体的にその歴史とかさ、追うってことは今までしたこともないし。
パレンバンの話はさ、まあ有名だからもちろん知ってたんだけど。
うん。
その前になんだっけ、えっと、目。
目など。
目などか、それは初めて知ったな。
ああ、そうそうそう。
まあなんかそこでさ、実践投入されて、で、一応戦果を挙げてるわけじゃん。
うん。
いろいろこうね、大きな犠牲は出しつつも、やっぱりそういう戦果に繋がったっていうのはさ、努力の賜物なんだろうなっていうのはすごい思ったけど。
まあ確かにね。
でもね、まあやっぱ個人的に、これすげえ戦略としてどうなのかなっていうのはすごい思うんだよね、やっぱ。
ああ、そうだよね。
日本はさ、開戦当初は物量もあったしさ、なんか押せた戦いにわざわざ落下戦で奇襲する必要あったのかなっていう気はするよね。
そうなんだよ、結果的に見ると結構そういうのは見られるんだよね。
なんか、神風特攻隊じゃないけどさ、追い詰められて奇襲っていうのはまだまあなんとなくね、わかるんだけど、普通にいけば普通に勝てる戦いにわざわざさちょっとリスクの、まあリスクが高いっていう言葉も出てたけど、やっぱりリスクの高い戦法を取ったわけじゃん。
うん。
まあなんか多分そういう理由もあるんだろうけど、なんかそういうところまでこうなんつーの、知っていきたいなっていう気持ちもありつつでもそれってすげえ、もうなんかハマったらどんどん抜け出せないようになっちゃうのかなっていう気もするよね。
ああ、知っていきたいっていうのは?
ああ、だから、なんでそんな、戦略的にってことだよ。
ああ、そういうことか。
うん、でもなんかもうそっちの方に行くと俺らさ、近代史じゃなくて単なる軍隊マニアになっちゃうじゃん。
ね、確かにね。ちょっとあるんだろうね、いろいろね、考えた末に。
うん、だからここの時にはこれが良かったみたいなのがあってさ、でも言ってもさ、これ目論みどおりいかないわけじゃん、きっと。
まあそうだよね。
それはそう、結果論として、まあ犠牲が出ちゃったとかそういう話なんだろうけどさ。
うん。
ね、でもなんかこれそういう戦術的なところもこうね、知ってけたらさ、結構こう、戦争をトークするときもこうね、おってなるところは出てくると思うんだよ。
確かに。まあそんなこんなで、まあリスナーの方もね、結構落下3部隊ってそんなね、馴染みもないものだから。
うん。
これを聞いてね、まああなたのパラシュートを詰めるのは誰ですか。