1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第58回「落下傘部隊」大東亜戦..
2022-03-15 34:56

第58回「落下傘部隊」大東亜戦争時のパレンバン空挺作戦、メナド降下作戦

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落下傘部隊とは 飛行機などで上空にあがり、パラシュートで降下して地上の戦闘に参加する軍の部隊。
日本では、大東亜戦争の時に使用されるようになり、「メナド降下作戦」、「パレンバン空挺作戦」などで実戦に投入されている。
今回はそんな落下傘部隊の訓練課程から実戦投入までの歴史について話しています。

00:04
空を飛ぶことは、近代史において唯一、人類が達成した新しい感覚である。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
空を飛ぶってことは誰?えっとなんだっけ、ライト兄弟とか?
あー、これね、まあ、アメリカの詩人のジェイムズ・ディッキーっていう人。
うーん、知らないね。
そんなね、多分世界的にメジャーではないんだけど、今日のテーマがちょっと空に関するテーマだったのもあって。
空ですか。
そう。で、まずね、自分自身がさ、パラグライダーをさ、なんだろ、7年ぐらいやってたんかな?
やってたよね、そういえば大学の時ぐらいからさ。
そう、社会人になってもちょっとやってたね。
そうそう。
パラグライダーだもんな、すげーよな。
で、しかもね、自分はちょっとパラグライダーで緊急パラシュートも実際解散してるんでね。
あー。
そうそうそう、なかなかね、そういう人って少ないと思うんだよ。
うん。
しかもあの、その時強烈なね、横回転に入って、まあそのまま湖に叩きつけられてるから。
えー。
まあそんなね、ちょっと経験をした私だからこそ、分かる部分もあるかもしれないというので。
今日のテーマは、
はい。
落下3部隊です。
あ、落下3部隊ですか。
そうそうそう。
落下3部隊っていうのは、
うん。
飛行機などで上空に上がって、パラシュートで降下して、地上の戦闘に参加する軍の部隊のことなんでね。
うん。
そうそう。で、落下3っていうのは、そもそも英語だとパラシュートっていう意味で、
うん。
日本とドイツは、傘っていう言葉を使った言い方をしてるんだけど、
うん。
高い高度から人が飛び出しても、この落下3によって落下速度を減少させて、安全に人が着地することができる装置なんでね。
うん。
そう、これはね、あの、今のスカイダイビングにどっちかって言ったら近いね。
あー、まあそうだね。なんかそのイメージはある。
そうそう、自分がやってたパラグライダー、もともと開いてる状態で飛び出すから。
うん。
で、この落下3部隊っていうのは、日本では大東亜戦争の時に登場してるんだよね。
うん。
で、あの、ちょっと時代背景から、まず落下3の歴史をこう振り返りたいんだけど、
うん。
世界でね、初めて落下3を考案したっていうのは、実はイタリアのね、レオナルド・ダ・ビンチなんです。
あー、結構昔だね。
そうそう、1485年にダ・ビンチが、人が落下3で降下してるスケッチを残してるんだけど、
うん。
これね、実際にはね、制作はされなかった。
03:01
あー。
そう、考案しただけなんだけど、
うん。
で、それはだいぶ月日が経って、1783年にフランスの物理学者のセバスチャン・ルノルマンっていう人が、
うん。
これぐらいの高さの監視塔から、落下3を使って飛び降りるっていう実験に成功したんだよね。
うんうん。
これがね、あの世界最初の落下3での効果って言われてる。
うーん。
そうそう。でね、その後ね、落下3っていうのは、その当時飛行機っていうのはまだ存在しないから、
うん。
熱気球とか飛行船の時代なんでね。
うんうん。
で、これもやっぱり時たま事故があって、
うん。
この緊急用の脱出救命器具として、この落下3っていうのは注目を浴びるんだよね。
うーん。
そうそうそう。で、その後飛行機っていうのが出てきて、
うん。
それにもやっぱり緊急脱出用に落下3っていうのはこう使われて、結構あの重宝されるようになる。
うん。
で、実際に戦争でこう使われていくっていうのが第一次世界大戦からなんだよね。
うん。
ドイツやフランスなどが、まあ少人数を敵地に送り込んで敵をこう撹乱させたりとか、
で、まあこれでね、ある意味成果を出してるんだけど、
うん。
その後ね、ドイツやソ連では早くから落下3部隊っていう、まあ大きな組織を作って、
うん。
研究が進められていったんだよね。
うん。
そう。で、特にね、ドイツは先駆けて取り入れてて、
うん。
第二次世界大戦時に、まあ積極的にこの落下3部隊を投入したんだよね。
で、最初はね、こう奇襲でうまくいってたっていうケースもあったんだけど、
うん。
ノルウェーに対する進行作戦の時なんかは、
うん。
落下3部隊を投入したんだけど、敵のね、真上にね、降下してしまうっていう失敗が起こった。
うん。
で、降下したこの150名の落下3部隊は、
うん。
約ね、7割から8割はね、もう亡くなってるんだよね、その場で。
うん。
で、まあアメリカとかソ連も落下3部隊っていうのを投入したんだけど、
うん。
これもね、あまりね、うまくいかないケースが多くて、
うん。
半数以上が亡くなるっていうケースもあった。
うん。
そう、だからね、こうやって見ると落下3部隊っていうのは、
奇襲っていう意味では画期的な作戦なんだけど、
うん。
かなりね、リスクが高いんだよね。
まあそうだよね、だって空に浮いてるっていうかさ、こう降りる間って無防備なわけじゃん。
そうなんだよ。
で、ね、まあ自分が撃たれないでもさ、そのパラシュート部分撃たれたらそれで終わっちゃうわけじゃん、穴開いて。
ま、正確には何発か穴開いても大丈夫なんだけど、
うん。
反撃ができないからね。
狙い撃ちにされちゃうね。
しかも身動きもほぼコントロールっていうのはできないからね。
うん。
でね、日本ではどんな歴史なのかっていうと、
06:02
うん。
1890年にイギリスのね、スペンサーっていう人が横浜公園で落下3で降下するっていうあのショーを行ったんだよね。
うん。
これがね、日本で初めて落下3が使用されたんだよね。
うん。
でね、1940年にいよいよその日本で落下3部隊の研究が開始された。
うん。
この1940年っていうのは、1930年から日中戦争っていうのは始まっていて、
うん。
で、翌年にはさ、アメリカとの戦争になるわけじゃん。
うん。
だからあの日本っていうのはあの戦時体制の時だったんだよね。
うん。
でね、この落下3部隊を開始するにあたって、あのやっぱりヨーロッパとか結構先駆けていたっていうのもあって、
ドイツとか、あとねソ連の文献を参考に試行錯誤していくんだよね。
うん。
で、日本ではね、落下3部隊っていうのは海軍、陸軍でほぼ同時期に別々で導入実験が進められていくの。
うん。
そう、これね、別々っていうのがやっぱり海軍と陸軍っていうのが、なんかその時も共有できてないっていうような実証なんだけども、
うん。
で、今回はね、その様子をまあほぼね、大体似たような感じなので、海軍側からちょっと見てみたいと思うんだけども、
うん。
海軍っていうのは落下3の実験をあの第1001号実験って呼んでいて、
うん。
これね、秘密裏に行われたの。
うん。
で、最初にね、問題になったのが解散率なんだよね。
解散っていうのは?
あ、そう、解散っていうのは開く傘って書いて、パラシュートが開く確率。
あー、その率ってことね。
あ、そうそうそうそう。で、この解散率が当時の落下3は100%開かなかったね。
いや、ダメじゃん。
そうそうそうそう。
あの、バックからこう飛び出して100%開くかっていう実験なんだけど、
うん。
そこで、これだったらさ、人がいきなりさ落下3を使って実験するのはかなり危険だよね。
いや、全然100%開かないんでしょ。
そうそう。なんで、そこで最初は60キロのダミー人形をつけて、
うん。
上空から投下するっていう方法で実験を行ったの。
うん。
でね、これね、内部にね、だから重みを出すのに鉛を入れて、このずんぐりした格好のこの人形なんだよね。
うん。
で、この人形ね、愛情込めて海軍はダミーって呼んだんだよね。
どこが愛情こもってんだよ。
確かにそう思ったけど。で、あの、実験していく中で、毎日ね、1個や2個っていうのは解散しないものがやっぱりあるんだよね。
あー。
これが本物だったらっていうのは、もう当時の海軍ももう、なんだろう、凍りつくようなそんな感じなんだけど、
09:01
うん。
なぜ開かなかったのかっていうのをその決定をね、一つ一つね、調査していって、
うん。
で、こう、改良を重ねて解散率っていうのは99%までこぎつけたのよ。
あー。
ただね、このダミー人形では補えない問題っていうのがあって、
うん。
で、やっぱり生身の人の場合、実際に着地した時に念座とか骨折をするんじゃないかっていうのがあったの。
あー。なるほど。
そう。で、これはね、対策としては体を鍛えたんだよね。
それもすげー話だな。
いや、だから当時の、まあ体の鍛え方もでも結構ね、合理的というか、
うん。
柔軟な体づくりをすることで解決を目指したの。
あー。まあ、わかるけどさ。
そうそう。
具体的にはね、体操とかマット運動とか、飛び箱を使って、毎日ね、2時間以上ぶっ通しで行う。
もう、これ結構ね、激しい運動だったんだよね。
うん。
そうそうそう。でね、もう一つ問題があって、
うん。
落花さんが開くまでの間に失神するんじゃないかって、人間の場合は。
あー。
当時、だから日本ではそういう事例がなかったから。
うん。
で、人間が失神しないで耐えられるGの限界っていうのは、3から4Gって当時考えられてたの。
うん。
まあ、これ3から4Gって具体的に、例えば山梨県の富士急ハイランドの富士山の最大Gが3.5Gだから、大体そんぐらい。
あー、じゃあ富士山が限界に近いんだ。当時のその考えでいくと。
そうそう。実際にはさ、その一瞬だからさ、失神はしないんだよね、結果的には。
うん。
で、飛行機からこう急降下する場合は、この3から4Gを超えて6から10Gっていう数字が出てたの。
あー。
そうそう。だから問題になってたんだけど、
結局これも実際に飛び降りてみなければわからないなっていう結論になった。
もう人体実験だね、なんか。
そう、だからね、最初の実験っていうのは相当怖かったと思うよ。
うん。
で、これがね、1941年1月16日に初のね、人間を使った降下実験をね、開始したの。
うん。
でね、その日はね、よく晴れた日でした。
あー。
ただそのフレーズが何か言いたかっただけ。
でね、飛行機で高度350mから降下するわけよ。
うん。
見事ね、開いて全員これね、無事に成功したんだよね。
うん。
これによって着地の不安だったり、失神の心配もないってことが立証されたの。
うん。
でね、訓練を重ねるうちにこう精度をどんどん上げてったんだけど、
飛行機が飛び降るときにさ、前の人が飛び降りて、次の人が飛び降りるっていう間隔を0.5秒まで短くしてたんだよね。
12:08
へー。
これね、なんでこんなに間隔を短くするのが大事かっていうと、
うん。
飛行機ってさ、時速200kmとか210kmで飛んでるのよ。
うん。
で、その時に飛び降りるから、1秒これ差が開いても前の人と約1000mぐらい離れてしまう場合もある。
うん。
だから、できるだけ着陸後にまとまって隊を組みたいから、
うん。
この飛び出す間隔を短くする必要があったんだよね。
あー、なるほどね。
そうそう。でね、こう何回もね、実験をひたすら繰り返したの、数ヶ月っていう隊員で。
うん。
で、その中でね、ある日最年少だった1人の隊員の傘が開かなかったんだよね。
うん。
で、そのまま地面へ撃突するっていう事故があったの。
うん。
で、これ落下した場所にね、隊員が駆け寄ると150cmぐらいの穴が開いてて、
うん。
隊員はそこに埋まっていて、もちろんその即死だったんだよね。
うん。
そう、後で調べるとやっぱり全身内部骨折の状態で、で、このね、事故の件があって、
まあいろいろなぜ開かなかったのかっていうのを調査してたの。
うん。
で、当時っていうのは補助傘式っていうのを使ってたんだけど、
うん。
これは小さな落下傘、パラシュートが先に飛び出して、
うん。
これが風をはらんで、メインの傘をバックからこう引っ張り出すっていう方式なの。
うん。
それで開く方式なんだけど、
うん。
この補助傘が飛び出したんだけど、背中と落下傘を収めてるこの袋の間に挟まれちゃって、
うん。
要はね、その手傘がね、引っ張り出せなくて開かなかったんだよね。
ああ。
で、これによって引き出し解散方式、またはね、軽死式っていう補助式をやめたんだよね。
うん。
これはどういうものかっていうと、メインのこの落下傘の頂上部分と飛行機の機内の中で紐で繋ぐんだよ、直接。
うん。
で、飛行機から人が飛び出すと、その衝撃によってもう強制的に落下傘が引き出される。
ああ。
確実に引き出すことができる。
うん。
ちなみに繋いでいる紐っていうのは伸びきって一定以上の力が働くと分離する仕組みになってる。
ああ、もうそれで引っ張られることはないってことね。
そうそうそう。で、これによって補助傘式よりも強制的に落下傘が開かせることっていうのができて、今まで補助傘式の場合は開くタイミングもまちまちだったのよ。
うん。
これもある程度統一することができて、で、飛び降りてからもう約60mっていう今までよりもかなり早く開くようになった。
15:05
うん。
でね、今の自衛隊の空挺部隊もこの方式でやってたよ。
うん。
で、スカイダイビングっていうのは逆に補助傘式に近い原理なんだよね。
へえ。
まあだいぶ使ってる素材とか仕組みは変わってるんだけど。
うん。
でね、引き出し解散方式になったんだけども。
うん。
それでも実験をしていく中で落下傘が開かない事故が起こってたんだよね。
うん。
でね、飛行機から飛び出した直後に落下傘は出るんだけども。
うん。
吹き流しにいた棒状になって、そこから風をはらむんだけども。
うん。
何千分の1かの割合で吹き流し状のまま開かない現象っていうのが起こるんだよね。
うん。
これでね、数人ね、海軍でも亡くなってんの。
うん。
で、これに関しては、もう緊急用の落下傘を別にもう一つ体の前に装着しようっていうことになった。
うん。
で、まあこんな訓練を重ねていって、落下傘部隊っていうのは初の実践に投入されるの。
うん。
これがね、1941年11月26日に海軍によるセレベスト島のメナド降下作戦っていう。
これね、今のねインドネシアなんだけど、まあここに来るまで結構厳しい訓練をしてきたし、
うん。
同じ仲間も亡くなってきてるっていう、まあすごい体験をしてきたわけなんだけど。
うん。
で、メナドっていうのはオランダが支配していた場所で。
うん。
そこにね、あのランゴアンっていう飛行場があって、この飛行場を占拠することが目的の一つだった。
うん。
で、これね、開始前に落下傘部隊っていうのはいくつかの輸送機に分けて、
うん。
約300名ほどが上空へ輸送機で行ったんだよね。
うん。
で、その時にね、1機の輸送機が味方のね、ゼロ戦にね、撃墜されて。
味方に?
これこれ嘘って思ったんだけど、
うん。
敵とね、誤認されたんだよね。
あー。
で、ここにいた落下傘部隊も搭乗員も含めて犠牲者は約20名ほどここで亡くなっちゃったんだよね。
うん。
だからこれさ、こういうのって結構あったんじゃないのかなって実はと思っちゃって。
うん。
これね、なんでこんな事故が起こったのかっていうと、
うん。
ゼロ戦側の言い分だと、結構やっぱり落下傘部隊っていうのは秘密裏に動いてたのよ。
うん。
で、情報がね、来てなかったっていう証言があって、
うん。
しかもね、こう航空機が勝ち合わせた時に、
うん。
味方の場合は味方識別運動っていうのがあって、
うん。
飛行機の足を出して高度を避けるっていうことをするんだって。
うん。
で、これをね、しなかったっていうのがあって、
ただこの落下傘部隊側の言い分は、
うん。
事前にこのゼロ戦側にも伝えてたって、打ち合わせをしてたって言っているんだよね。
18:01
うん。
で、敵のね、もうほぼ上空だったから、
うん。
高度を下げてこの味方識別運動は行うことはできないでしょうっていうような、
食い違った感じになっちゃったんだけど、
うん。
そんなこんなで、ちょっと残りのメンバーはそのままね、上空から降下して、
まあ真っ白い落下傘が無数にこう、上空に開いたわけ。
うん。
そこでオランダ側っていうのは、下でね、約400名ぐらい待ち構えていて、
うん。
降射砲とか降射機関銃っていう、まあ長距離を撃てる銃で、
うん。
一斉にね、この上空のね、落下傘に向かってね、撃ちまくったんだよね。
うん。
そう、これね、何で割と待ち構えられていたのかっていうと、
うん。
第二次世界大戦でオランダっていうのは、
ドイツ軍の落下傘部隊にだいぶ痛い思いをしてきた。
うん。
だからね、事前にね、落下傘部隊のパンフレットを配ったりとか、
うん。
で、この落下傘部隊っていうのは、蜂の巣のごとくかなり撃ち抜かれていったんでね。
うん。
で、落下傘がそのまま真っ赤にね、染まっていったものもあったっていうのもあって、
うん。
後のね、調査によって分かったんだけど、
うん。
最も撃たれた落下傘は、96発穴が開いてたっていう。
うん、96発ってもう飛べないじゃん。
うん、いやだからもうすごい状況だよね。
うん。
で、そこで亡くなる落下傘部隊の人も実際にいて、
うん。
で、無事さ、これ着陸したとしてもさ、
うん。
今度は敵が水平に撃ってくるわけよ。
ただ敵の銃撃によって身動きが取れないね。
うん。
そう、で、ここでさ、落下傘部隊が最初に持ってる武器っていうのは、
うん。
降下するから大きいもの持てなくて、小さい拳銃一つと、手榴弾をね、いくつか持ってるぐらいな。
うん。
で、他の機関銃とか銃火器って大きな武器っていうのは、上空から後で箱に入れて落下傘で投入するのよ。
うん。
だから落下傘部隊っていうのは、無事に着陸したとしても、落下傘を着脱して、
なおかつすぐに武器の入った物量箱を探して、しかもその箱の中って武器はあるけど、
組み立てなきゃいけないものもあって、
うん。
組み立てた上で応戦しなきゃいけないのよ。
うん。
だからかなりリスクが高いんだよね。
ただまあ、なかなか身動きが取れない中、なんとか武器を少しずつ手に取って、
で、この時は応戦していったんだよね。
うん。
実際ね、ゼロ戦の応戦とかもあって、
うん。
敵はね、徐々になんだけど退却してって、約1時間半でね、飛行場を占領することができたんだよね。
うん。
まあこれがね、ざっくりすごい早くいっちゃったんだけど、メダド降下作戦の方なんだけど、
うん。
もう一つね、今回その1942年にあった2月14日の陸軍によるパレンバン作戦っていうのがあって、
21:00
うん。
こっちの方が有名なんだけど、
うん。
スマトラ島にある、まあ今のインドネシアなんだけど、
うん。
パレンバン攻略のこの目的っていうのがあって、
うん。
メダドと同じようにパレンバンの飛行場を抑えて、
制空権を確保したかったっていうのが一つと、もう一つが東洋一って言われてるほど、大油田って言われるあの製油所の入手をしたかった。
うん。
これで日本の必要量の石油を賄っても、
うん。
まだ余裕があるってほどかなりあるって言われてて、
うん。
で、そのためにはさ、敵が負けそうになったら破壊しちゃう可能性もあるし、
うん。
だから奇襲をかける意味で落下3部隊っていうのを投入したんだよね。
うん。
この作戦の結構の日、この日はね、よく晴れてたんだよね。
またかよ。
で、落下3っていうのは降下したのは約300名ぐらい。
うん。
地上でも味方のね、陸軍の38師団っていうのが応戦で向かってたんだよね。
うん。
で、対するね、相手はオランダとイギリスからなる混成軍って言うんだけど、約1000人ぐらい。
うん。
で、パレンバー飛行場には200機ぐらいの戦闘機があったって言われてる。
うん。
で、相手はね、あらかじめね、川に重油を流して、
うん。
火を放って日本軍のこう行く手をね、拒むっていうようなこともしてた。
うん。
でね、この煙で視界は悪かったんだけど、落下3部隊っていうのは敵からのこの発見をね、遅らせることにも繋がったんだ。
うん。
それでも、想定したよりも、この多くのね、対空火器があって、
うん。
18もあったって言われてるんだけど、一斉にね、上空にこう撃たれて、
で、落下3部隊を運ぶ輸送機もこう避けるように飛んで、落下3部隊をこう降下させたんだけど、
うん。
目的地よりね、かなりね、離れた場所で落下3部隊を降下させることになっちゃった。
うん。
予定だったこの飛行場の割と近いところの高原地帯に降りれたのはごくわずかで、その他ね、多くはね、ジャングルに降り立ったんだよね。
うん。
これさ、あの落下3っていうのは、あの丸い傘なのよ。
うん。
で、これコントロールがね、ほぼできないって言っていいぐらい。
うん。
できたとしてもほんのわずかで、操作性がかなり悪い。
うん。
で、パラグライダーとかさ、スカイダイビングっていうのは扇状の傘なのよ。
うん。
ちょっとタイプが違うの。
うん。
この傘は、あの左右のコントロールが可能なんだよね。
うん。
だから、という意味で、あのやっぱ降下して、もう流されるままな状態が多いんだよね。
うん。
で、しかもその上空から落とされた武器の入った物流箱も、ジャングルの中で見当たらないのよ。
24:02
うん。
で、敵はさ、水平射撃によって、ジャングルの中でもどんどん撃ってきたのよ。
うん。
で、そこで兵士のさ、集結だったり、兵器の収集が思うようにこうできなくて。
うん。
でね、この物流箱に入った武器の回収率っていうのは40%ぐらいって言われてんの。
40%か。
そうそう、半分以上はね、もう回収できてないんだよね。
うん。
で、あの、なんとかね、こう回収してって、まあ武器でわずかなんだけど応戦してたんだけど。
うん。
陸軍部隊のこう応戦もあったから。
うん。
結果的にはね、1日でパレンバンっていうのは制圧することができた。
うん。
これによって、西遊所の8割が、まあ連合軍の手によって退却するときに爆破されたんだけど。
うん。
結果、あの25万トンほどの石油とその施設が手に入った。
うん。
で、これはさ、石油資源に乏しい日本にとってはさ、結構大きな成果で。
うん。
日本はさ、それまでこの戦争に至る、まあ経緯にもなるんだけど、石油の9割をアメリカに依存してたんだけど。
うん。
それをさ、打ち切られたわけなんだけど。
うん。
だからこそ日本がこう難進をしてって、このインドシネシアの方とか進出していった理由でもあるんだよね。
うん。
で、パレンバンのさ、この石油が確保できなかったら。
うん。
日本は大東亜戦争を1年で降伏することになってたのかもしれないって言われるほど、これは結構重要なとこだったんだけど。
うん。
まあそれがさ、結果的に良かったのかは置いといたよね。
うん。
で、この2月14日に行われたパレンバン降下作戦は、まあ今そのバレンタインの日じゃん。
うん。
これを文字ってね、今でもね、パレンバンデーって言われんの。
え、そうなの?
そうそう、遺族の方とかパレンバンデーって言ってパレンバン降下記念日っていう日にしてんの。
へえ。
なんか祝ったりとかなんかそういうのはあるんだよね。
へえ。
で、あのパレンバン作戦ってその後ね、映画化されてこれで有名になってんの。
うん。
で、これはさ、当時戦時中に実際の陸軍の落下3部隊が俳優としてこの映画に出てるからね。
え、そうなんだ。
そうそう、これは多分ね、PR活動の意味もあって協力したんだと思うんだよ。
うん。
で、だから日本ではかなりこの当時有名な出来事なんでね。
うん。
もうすごい英雄として扱われてたから。
うん。
でね、日本の落下3部隊っていうのはこうやってね、アメリカやヨーロッパに比べると、結果その任務を達成してて。
うん。
で、被害もね、比べると少ない方なの。
うん。
たださ、反面さ、アジアの南進してる時ってこの大東戦争始まって最初の頃って。
うん。
日本軍っていうのは圧倒的にこう割と勝っていて制圧していた時なんでね。
27:00
うん。
そう、だから戦艦や飛行機でこう上陸して他のとこも制圧してるのに比べると。
うん。
落下3部隊は状況によっては狙い撃ちされるリスクがあって。
うん。
こんなにね、危ない降下作戦は無理にするものではないっていうね、意見がね、上官からもこう当時出てたんだよね。
うん。
で、それ以降ね、落下3部隊っていうのはクーパン作戦とか他に少しあるんだけど。
うん。
ほとんどね、使われてないの。
うん。
で、連合軍側っていうのも落下3部隊を使うっていうよりは、あの例えばウィンゲート兵団の挺身作戦っていうのがあって。
うん。
これ滑空機で空挺部隊が強行着陸して。
うん。
着陸場を整備した後に、大きな輸送機で来て、約9000人とか人を送り込んで、で、しかもその大量の物資を送り込むっていうような、そういうね、あの大規模な航空機を使った投入に乗り出すんだよね。
うん。
そうそうそう。
まあ、こうしてさ、落下3部隊っていうのはまあいろいろあった中でまとめると、メリットとしてはさ、奇襲には向いてるんだよね。
うん。
敵のさ、陣地付近に一気に展開できるのよ。
うん。
で、飛行場のようなこう整備されてない荒れた場所でも降りることができるっていう。
うん。
ただ反面デメリットがあって、中村も言ったようにパラシュートで降下してる間、ひたすら敵の攻撃に耐えるしかない。
うん。
しかも武器の入った物量箱を思うようにこう回収できないという事象が多くある。
うん。
で、落下3っていうのは当時ね、絹を使ってたんだよ。
あー。
そう。これかなり高価だよね、当時。
うん。
今はね、ナイロン製が主流なんだけど。
うん。
だから落下3部隊っていうのは結構お金もかかって、他の国っていうのはそれも原因で軽減してるんだよね。
うん。
あとはね、天候条件に結構左右されるの。
うん。
これによって実際日本軍も断念してるケースもあったり、
うん。
暑い雲にこう覆われてるとさ、降下地点が見えないから。
うん。
ただね、こう忘れてはいけないのは、この落下3部隊でこの多くの犠牲があって、今に活かされてる物っていうのも数多くある。
うん。
それはさ、スカイダイビングやパラグライダーとか、自衛隊の空挺部隊においてもなんだけど、
一つ目はさ、そのメインのパラシュートは背中で背負って、背中から投下されて開くタイプが一般的な。
うん。
これさ、当時はね、最初は体の前にかけるタイプっていうのもあって、
それだと体に巻きついちゃったり、姿勢が安定せずに実際に亡くなっちゃってるケースもこの当時あった。
うん。
で、二つ目が、メインのパラシュートの他に予備のパラシュートを持って飛ぶっていうのもこの時からなんだよね。
うん。
で、あとはパラシュートは直接こう、最初ね、バックに入れてたの。
30:04
うん。
そうじゃなくて、一度小さな袋に入れてから、それをバックにしまうっていう風にしたの。
うん。
これによってより安全に開くようになって、今でもこれは使われてるから。
うん。
こんなのがね、ちょっと駆け足で話したんだけど、落下3部隊の歴史でした。
はい。
いかがでしょうか。
まあ落下3部隊自体はさ、なんとなくさ、ああ、あんな感じかなみたいなのは多分知ってるけどさ、具体的にその歴史とかさ、追うってことは今までしたこともないし。
パレンバンの話はさ、まあ有名だからもちろん知ってたんだけど。
うん。
その前になんだっけ、えっと、目。
目など。
目などか、それは初めて知ったな。
ああ、そうそうそう。
まあなんかそこでさ、実践投入されて、で、一応戦果を挙げてるわけじゃん。
うん。
いろいろこうね、大きな犠牲は出しつつも、やっぱりそういう戦果に繋がったっていうのはさ、努力の賜物なんだろうなっていうのはすごい思ったけど。
まあ確かにね。
でもね、まあやっぱ個人的に、これすげえ戦略としてどうなのかなっていうのはすごい思うんだよね、やっぱ。
ああ、そうだよね。
日本はさ、開戦当初は物量もあったしさ、なんか押せた戦いにわざわざ落下戦で奇襲する必要あったのかなっていう気はするよね。
そうなんだよ、結果的に見ると結構そういうのは見られるんだよね。
なんか、神風特攻隊じゃないけどさ、追い詰められて奇襲っていうのはまだまあなんとなくね、わかるんだけど、普通にいけば普通に勝てる戦いにわざわざさちょっとリスクの、まあリスクが高いっていう言葉も出てたけど、やっぱりリスクの高い戦法を取ったわけじゃん。
うん。
まあなんか多分そういう理由もあるんだろうけど、なんかそういうところまでこうなんつーの、知っていきたいなっていう気持ちもありつつでもそれってすげえ、もうなんかハマったらどんどん抜け出せないようになっちゃうのかなっていう気もするよね。
ああ、知っていきたいっていうのは?
ああ、だから、なんでそんな、戦略的にってことだよ。
ああ、そういうことか。
うん、でもなんかもうそっちの方に行くと俺らさ、近代史じゃなくて単なる軍隊マニアになっちゃうじゃん。
ね、確かにね。ちょっとあるんだろうね、いろいろね、考えた末に。
うん、だからここの時にはこれが良かったみたいなのがあってさ、でも言ってもさ、これ目論みどおりいかないわけじゃん、きっと。
まあそうだよね。
それはそう、結果論として、まあ犠牲が出ちゃったとかそういう話なんだろうけどさ。
うん。
ね、でもなんかこれそういう戦術的なところもこうね、知ってけたらさ、結構こう、戦争をトークするときもこうね、おってなるところは出てくると思うんだよ。
確かに。まあそんなこんなで、まあリスナーの方もね、結構落下3部隊ってそんなね、馴染みもないものだから。
うん。
これを聞いてね、まああなたのパラシュートを詰めるのは誰ですか。
33:01
なんじゃいそれ。
これね、結構調べるとわかるけど有名な言葉だよ。
え、そうなの?
そうそうそうそう。まあそれはね、ちょっとあの調べていただければ、きっと感動する物語だと思うんで。
まあということで、これを聞いてフォローしてくれたり、まあ評価の星をね、ポチポチっと輝かせることで、この番組は輝きを取り戻せるのかもしれません。
取り戻せるって今すげー輝いてないみたいじゃん。
てか輝いてたことあんのかよっていうの突っ込まれそうだけど。
いやでもほらサムネはちょっと輝いてる感じになってきてるじゃん。
サムネだけね。
うん。
まあということで最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
34:56

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