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2024-12-12 33:37

14: Casualユーザーから世界的フレームワーク作者へ (yusukebe)

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  • オープニング
  • タイトルコールとyusukebeさんの自己紹介
  • SFC同級生
  • yusukebeとSongmu
  • 個人開発でOSSやサービスを作る
  • Casualユーザーからフレームワーク作者になった今
  • Perlコミュニティでの活動とHonoへのつながり

オープニング

タイトルコールとyusukebeさんの自己紹介

SFC同級生

yusukebeとSongmu

個人開発でOSSやサービスを作ること

Casualユーザーからフレームワーク作者になった今

Perlコミュニティでの活動とHonoへのつながり

サマリー

ゆうすけベイさんはOSSのWebフレームワークやDeveloper Advocateとしての活動について話し、SFC時代やOSSの課題に関する懐かしいエピソードを交えながら、OSS開発者の苦悩や喜びを共有しています。カジュアルユーザーからフレームワーク作者となったゆうすけベイさんの成長過程について語ります。個人開発やAI技術の進化など、ユーザーに愛されるサービスの創造の可能性に焦点を当てています。カジュアルユーザーからフレームワーク作者へ成長した彼の経験は、プロダクト開発における柔軟性や拡張性にどのように寄与しているかを探ります。このエピソードでは、モジョリシャスやプラックなどのフレームワークの進化についても語られ、開発過程での課題や工夫についても触れられています。

ラジオの出演と手術の影響
なんかビムJPラジオに出られてるのを聞きました。
はい、出ましたね。
なんかチャーハンの話を聞いて、あれと食べに行きたいなーって思って、まだ食べに行ってないです。
そう、中華街にある2400円のチャーハンが食べれるところ。
いや、行ってみたいなーと。
なんかヤプチーハコダテで会えるかと思ってたんだけど、なんか来られなかったみたいですね。
そう、あれはいつだっけ、10月頭?
もう10月か、10月の頭とかか。
8月の中旬に半月盤損傷の手術をして、それで松葉税だったんで、行けないなと思って。
たぶんなんだけど、CFPも通った状態で、出れませんかみたいなこと言われたんだけども、松葉税だから出れませんって言って、本気で断ったっていう流れがありますね。
そうでしたね、なんか。その代わりになんか、クリアがあった人とかもいたっぽかった。
そうそうそうそう。あれは、なんだっけな、OSS開発者の憂鬱みたいなタイトルで。
あ、そんな。
結構自信作だったんだけどね。
え、なんか、え、どんな話する予定だったの?
本当にね、そのOSS開発者の憂鬱っていう題名のままみたいな感じで、そのOSSの開発は結構表だっては楽しいよとか、あとはみんなコントリビュートしようみたいな、
まあそのポジティブなことをイメージもあるし、自分もポジティブに発信してるけれども、なんかつらいよねみたいなのを初めて公で話そうかなみたいなのはあって。
で、その話をするんだとしたら、アプシで話したいなと思ってたのが、それを出してて、でもちょっと行けなくなったんで、
そう、次の福岡でやるんだったら、福岡でまで温存しようかなって思ってる。
ゆうすけベイの活動
なるほど、なるほど、そうか。だから。
もう渾身のネタなの?
いや、渾身のネタな感じがするな。それちょっと話を聞きたい気もしちゃうな。
ここでちょろっとしてもいい?
そうだね、それはなんか普通に、これはもうそう、OSSと一応番組名についているポップキャストなので。
なんか結構その出自がパール界隈だから、なんとなくその課題意識っていうか、なんか共通認識みたいなのが近い部分があるのかなっていう気はしていて、その辺りの話ができると面白いかもしれないね。
いや、大変なんですよっていう話。
いや、ほんとそういうのもあるよね。
ということで、この番組は趣味でOSSをやっているものだという番組で、OSS作家の孫悟がゲストを交えながら趣味や仕事について話すポップキャストです。
ということで、今日のゲストはゆうすけベイさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、ゆうすけベイさん。皆さんご存知だと思いますが、自己紹介お願いします。
はい、ゆうすけベイと申します。よろしくお願いします。
インターネット上でゆうすけベイと語ってるんですけど、最近英語表記というんですか、なんですかね。
正式名称かつ、ゆうすけ和田みたいな感じで英語で書いておくと、ゆうすけ和田さんっていうふうに呼ばれるときがあって。
なんだ、ゆうすけ和田さんって。和田さんっていうのをアルファベットで和田さんとか言って書かれるときがあって。
ゆうすけベイでいいですよって思うんですけど、最近ちょっとキャラ変えしつつあるものです。
そうなんだ。もう別に、それこそ別に海外だと逆に何の問題もない名前だし。
そうですね。
ゆうすけBという説もあるけど。
でもなんか、やっぱみんなゆうすけゆうすけって呼んでくれるから、それは嬉しいというか楽。案外普通に呼んでくれる。
確かにゆうすけ呼びやすい気がするのかな。なんか割とフランクにゆうすけゆうすけって呼んでくれると確かに嬉しそうな気はするな。
あのね、KEが鍵のキーみたいに呼ぶっていう風なのがあるだろうなと思って、つまりユースキーね。
で、よく自己紹介するときに、キーじゃなくてゆうすけだよって言って、僕は鍵じゃないよ、僕は人間だよっていう風に言うと割とウケるんだけれども、結構案外ゆうすけって呼んでくれる。
案外ね。
そうなんだ。そうなんですね。
まあ、ゆうすけBさんは今どういうことをされてるんですか。
今はHONOっていうOSSの、まさにこのポッドキャストのテーマであるOSSのWebフレームワークを作ったりとか、クラウドフレアって会社でDeveloper Advocateっていう今流行りのDevRelをやったりとかしてます。
今流行りのね。
はい、ということでよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大学時代の思い出
で、ゆうすけめと僕はその関係性で言うと、全然絡みもなかったけど、実はSFCで同級生なんですよね。
ゼロゼロだと思うんですけど、最近これも話題の。
変入してきたんだよね。
うん、違う。僕は普通に一浪。
元々SFCだっけ。
そう、元々SFC。
そうそう。T00でしょ。
そう、T00。
同じだよね。
出会ってなかったのか、SFCで。
出会ってなかった。
僕なんか最初の方は数学っぽいことっていうか、たぶん理算数学みたいなのちょっとやって、後半は中国語ばっかやるみたいな感じだったので、割と活動域が変だったっていうのがあるんですよね。
ゆうすけベイさんは大学ではどういうことをやられてたんですか。
研究室で最初は映像を撮って、ドキュメンタリーを撮る授業やって、映像を撮ってて、その後も映像系やってて、その後はいわゆるその当時だとマルチメディアみたいな言葉が割とあったじゃん。
そういうやつをプログラミングするっていうので、さらに言うとメディアアートみたいな感じのことをプログラムする。
具体的にはフラッシュをアクションスウィープと書くみたいなことを割と学部の時やってた。
なるほど、そうっすよね。メディアアートって当時よく言われてたし、あとなんかデザイン思考とかそういうのも流行ってたっていうかよく言われてた時期で、そういうのもやってたイメージがある。
そうそうそう。何だろうな。物を作る手法を作るみたいな感じだよね。
なんか最近ピタゴラスイッチを子供とかが見てるんだけど、それこそピタゴラスイッチとか、僕らがSFCにいた頃に佐藤雅彦さんが始めたやつだから、結構考えてみたらめちゃくちゃ長寿番組だなっていうのを思いますね。
なんかダクテンが入った言葉は強いからキャッチコピーにダクテンが入った言葉を使えとか、あとね、地名に著作権はないから、北海道じゃがいもポテトチップスみたいな感じで地名を入れるといいみたいな、なんかそういう方法論を結構言ってたね、雅彦先生は。面白かった。
佐藤雅彦先生の授業は大人気でしたよね。僕も取りました。
人気だよね、確かにね。一番大きな方立派になってたね。懐かしいな。
あの、オメガカンね。オメガカンだった。
オメガカンだっけ?そうそう。
そう、ダクテンにはパワーがあるみたいな話を。
そうそうそうそう。結構覚えてるね。
覚えてるね。
うん。覚えてるよ。
確かにね。あと、そうだね、覚えてるのは、やっぱ村井先生の授業とかも覚えてるな。
村井先生の授業は面白かったね、なんかね。初めて大学にインターネットを引いたときに、その当時だと電話線をインターネットに引くのは違法だから、なんか扉に見張りを立たせて、こそこそやったみたいなこと言ってて、すっげえかっけえと思って。
いや、村井先生当時もすごいでかい体だったけど、あれが結構段上で動き回るから、すごい迫力の授業で面白かったよね、なんか。
やっぱあのときはね、教授がパワーあったよね。
うん。
それこそ年齢的にも、さすがに俺らって、今の俺らってことじゃないけど、ちょっと50歳とかそういうぐらいの平均年齢だったんだろうね、そういう活躍してる先生たちが。
それぐらいだったでしょうね。普通に40代とか、わりと若手の教授が多かった気がするな。
それなりに第一線で活躍してる状態のものを聞いてたよね、絶対ね、俺らはね。
そう、なんかさっき、ちょうど佐藤正彦先生について調べてたら、ちょうど70歳っていうことだったんで、だから僕らのときだからまだ40代だよね、48とか。
もうか。だから僕らがちょっと、ちょっと年齢いったときの状態で話してたってことだよね。
まあまだそうだよね、現役クリエイターだったもんね。
だからまあ多分共通の授業、共通の知人みたいなのはいっぱいいるんでしょうけど、大学時代は全然接点がなかった感じですよね。
なのでなんか僕がほんと、ゆーすけべーと初めて会話したみたいなのは、2010年末に、年末にFacebookオフ会みたいなのがあって、そこで話した。
渋谷の八甲口かなんかで待ち合わせて、八甲前か、みたいなのを覚えています。覚えてないかもしんないけど。
あれはパールカジュアルっていつだっけ?リンクをたどりますけど。2009年だよ、でも。2009年じゃん。
パールカジュアルは僕は一参加者で行ってたから、別にそんなにコミュニケーションはしてなかったんじゃない?
そう?なんか印象はあるけどね。
そうそう、そうかな。
パールカジュアルで話したよね。
まあ話したことは話したと思うな。何度かやってるからね。
なんかこの辺で結構いろんな人たちが、僕を含めて、いわゆるライブラリー作者側じゃない方みたいな感じの人たちが結構喋ったっていうイメージがあって、それは良かったなと思ってる。
そうだよね。もともとやっぱパールって特にOSS、CパンとかにOSSあげましたみたいな人がすごく盛んに発表してて、それはすごいかっこいいなっていう感じだったけれども、
そのユースケベがパールカジュアルを立ち上げて、結構そういうライブラリー作者じゃなくて普通にそれを使ってサービスを作る人たちとかも、もっと発信した方がいいよねっていう、そういう精神で立ち上がった勉強会だったと思うんだけど、
なんかそれはすごい良いムーブメントだったし、それでもっといろんな人が発表したり、なんかうちはこのサービスでこういうところでこういうパールを使ってますみたいな話とかも増えて良かったよね。
結構ちょっとその、なんか大丈夫そうなところから個人名を挙げると、例えばサイコンとかスギャンとか、藤原さんもそうかな、あとはなんとなくその辺りの人たちが喋って、
カジュアルユーザーからの成長
そういう人たちが今後喋っていくきっかけに、あとコバ04さんとかね、になった気がするんだけど、そうだよね、割とね。
いや、そうだと思うな。でもそれこそ当時は、だから2010年前後は、DNAさんとかがモバゲーとかでかなりこう、そういうパールで作ったオープンプラットフォームみたいなものだったりとか、
そういうところでかなりそういうパールを利用したノウハウみたいなものがかなり表側に出てくるようなイメージがありましたね。あとライブダーとかかな。まあそれこそ僕がいたかやくとかカテナとかもそうだけど。
そこからあとホビーレベルも含めて、まあいい感じにみんな話せてたんじゃないかなと思うけど。
個人開発って結構みんな言ってはいるけど、昔って本当になんかまさにインディーみたいな感じでさ、あのツイッターのAPAを使って動向するとか、なんかマッシュアップってことがあったりとか、結構自由にやれてた、もっと自由にやれてた時代で、その趣味のプログラムとかでも結構生き生きできてた気がするな。
たしかにやっぱりツイッターがあったのが大きかったっていうのと、結構あの頃は割と何も考えずに多くのウェブサービスがAPAを公開してくれてたから、なんかもう今から思うと結構ありがたすぎるおかしい話なんだけど。
だからなんかその、僕らからするとその、当時の僕らの感覚からするとそのウェブサービスがAPA公開してくれないと、なんで公開してくれないんだよみたいに思っちゃうけど、でもよくよく考えてみると普通にや、APAレスポンス返すのお金かかるから、そうそう。
まあ、そう、そんなにね、なんか開放したくないよなっていうのは思うよね。
あったねー。でもとりあえず楽しかったね。
楽しかったね。だからまあ当時はやっぱCGMみたいな感じで、とにかくそういう、なんていうか、ユーザーを集めて、そういうこういろんなAPAを掛け合わせて面白いものを作って、まあユーザーが集まれば、なんかちょっと盛り上がって楽しいみたいな、そういう雰囲気はあったね。
そうだね。なんかまあボケてもそうだし、あとトゥギャッターとか、ツイログはもうちょっとやめちゃったのかな。なんかそういう、本当に個人開発からもっと大きなサービスに行ったし、ユーザー集める、どんどん増やすってサービスも作れたし、なんか結構夢がもっとあった気はするよね。
そうだ。まあ当時は当時なりの夢があったし、まあそれでそうだよね。ツイログもなんか多分また、ツイログはだから結局、トゥギャッターが変わったんじゃないかな。
そうだよね。
だしトゥギャッターはずっと続いてるしね。
そうなんだよね。
でも最近はAIとかそういうのを使って、かなり一人でできることも増えてるから、それでまたインディーな開発ができそうな雰囲気もちょっとあるのかなっていう気はしている。
AI技術の影響
そうだね。それは面白いね。
今やっぱチャットGPTとかああいうやつって、まだ安いじゃん、安く出してんじゃんすごく。あれ一発で裏側で回ってるマシンリソースとかがどうなってるのか、多分めちゃくちゃすごいことになってると思うんだけど、なんか普通にチャットインターフェースだったら月額数千円使えるし、API使ってもちょっとしたものならそこそこの値段でできるからみたいなのはあるなっていうのは。
知り合いの大学生と高校生のグループなんだけど、クラウドフェラーの関係のイベントとか、あとホーノーの関係のイベントやってて、ホーノーとクラウドフェラーをめっちゃ使ってるAI系のサービスをやってる高校生、高校生、大学生の3人組がいて、そのサービスがすごい面白くて、花火って言うんだけど、
V0ってプロンプト、例えばTwitter風のX風のUIを作ってくださいみたいなプロンプト入れると勝手にコンポーネントを作ってくれて、利用できるみたいなのがあるんだけども、それのAPI版で例えばTwitter風のウェブサービスを作ってくださいっていうと、すらツイートとかすらポストみたいなエンドポイント勝手に配置してくれて、
Mockデータまで作ってくれて、ウェブ上で全部プレビューできるみたいなのを簡単に作れて、かつ、それをデプロイみたいに押すとクラウドフェラーに直接すぐデプロイできちゃうみたいな、とんでもないものを大学生と高校生2人が作ってて、それがすごい。
たしかに今時の個人開発から今後もっと先に行こうとしてるものなのかなと、今思いましたね。それは面白かった、すごい。
またちょっと個人開発の扉が開いたとこなんじゃないかなっていう感じはちょっとしているかな。それこそセコンさんとかセカンドライブさんとか、ちょっと前にどっかで話してたと思うけど、しばらく悠々時的な生活をしてたけど、また会社員に戻ってそういうAI関係の開発をしてるみたいなのがあったから。
そういうWeb 2.0例明記の人たちをなんか熱くさせるような何かがやっぱり今の時代にはあるのかもしれないからなのを思った。
そうね。たぶん本当に個人で言うと、いわゆる個人開発に行くか、それこそOSSのソフトウェアを開発するって、個人サービスを作るかOSSを作るかってこの2つが面白いアプローチだろうなとはいつも思ってるけどね。
そうですよね。だからそれこそユースケ米なんかはめちゃくちゃサービスをバンバン作って、最近何十ものWebサービスのスライドがバズってましたけれども、そういうどちらかっていうとカジュアルユーザー側の人間だったわけじゃないですか。
でもなんか今は、完全にフレームワーク作者みたいなところがメインになっていると思うので、逆にそういうカジュアルユーザーみたいなところは今も意識はされているんですか。
そうですね。してるし。結構炎で言うと炎を使ってくれる人って、すごい幅広いからね。ホビーの人も多いし、実際会社で使ってるっていうところも多いから、全部は考慮したほうがいいんだけど。
昨日か一昨日に炎アドベントカノンで書いてくれた人が、炎はゼロイチを作るためにはすごい向いてるフレームワークですって言ってくれた人がいて、オリバーさんって人なんだけど、そういう感覚はすごい嬉しいなって思う。
いや、本当にシュッと始められるというか、普通におもてなしもすごくいいし、普通にコマンドラインからひな形も作って、わりとすぐデプロイできるものができるので、すごく始めやすいなっていうのは僕も思いました。
僕もちょっと今趣味プロダクトを一個炎で作ってるやつをクラウドフレアにあげてるので、もうなんかその体験はすごく良くて驚きましたね。
体験、体験いいよね。クラウドフレアも含めて体験はいいと思う。
制作の体験とコミュニティ
クラウドフレア含めていいですね。あと、ターミナルでできるのがいいよね。パッと。
あれはJSの文化だと思う。NPXかNPMクリエイトなんたらっていうのは結構JSの文化であって、あれは面白い。
特殊なコマンドになってるんで、npm runとかnpm execとかっていうふうな、第2コマンドっていうのが、クリエイトっていうのは特殊なコマンドがあるんだよね、npmで。
それに対応する方法でパッケージを作ると、npm create 炎っていうのが実行されるようなパッケージを作れるっていう。
そうだよね、そうそうそう。それすごい便利だなって思いました。
面白い、面白い。結構だからね。
これも全部パッケージにできる。
なんかJSのエコシステムも割とパッケージJSONだるいみたいな感じで言う人いるけど、なんか割とよくできてる気がする。
いや、よくできてるよね。あと、割とそのインターフェースがもうある程度スタンダードなものが出来上がってるから、それこそ最近のその新しいやつもそれを踏襲してるみたいなのがあって。
まあそれこそ、僕は最近その版で開発したんだけど、その版はもう版コマンドで大体その辺のことができるようになってるから、すごい体験がいいなってなりました。
バンを使って。
バンクリエイトとか。
バン。
そういうコマンド名変えるだけで全部動くから便利でしたね。
バン、バンいいよね。大体。
なるほどね。
うん。
その、なんか、パールで言うとあとは、そう、yapcuとかに行ったよね。
行ったね。
それも10年くらい前なのか、だから。
yapcu2015年ですね、書いてあった。2015年だ、yapcu2015。9年前。
9年前だね。
超面白かったね。
超面白かったね。
超面白い、超面白かった。
そう。
うらなだね、いいとこだったね。
うらなだいいとこだったね。すごい天気も良かったし、あともうちょっと時間間隔がおかしくなる感じだったよね。
時差が、時差っていうか、結構夜の9時くらいまで明るいみたいな感じだったから。
なんかそうだね、夜の外とか、夜のホテル内とかで、なんかサングリエを飲んでた気がする。
飲んでた。
そう、だからこの年にyapcuのエイジアの方では、ゆうすけベイさんはポッドキャストの話してたんだよね。
してたね。
9年前に。
9年前、そう。
この資料を改めて読み返してみると、すごくわかりやすいなって思いました。
なんか今読むと、9年越しにすごく今の僕が理解できるっていう感じになりました。
コロナでオンラインのミーティングが増えた時に、みんな結構オーディオインターフェースを買ったりとかマイクを揃えたりしてたけど、
全部あれを見ながら僕は、何年前かにやったやつだと思って見てた。
そうなんだよね。
そうそう。
今もやってないってこと。
収録環境を整えるとか、編集どうするかとか、そういうのがね。
これ何、グラナダ行ったの9年前ってことでしょ?
ってことは何、32、3歳だってこと?
34じゃない?
34か。
僕が35。
衝撃だな。
衝撃だな。
その頃はまだ比較的若いつもりでいたな、35歳。定年の年齢とはいえ。
そうなんだよね。年齢の話をしなくちゃいけないかもしれない。
年齢の話?
昔、ダンさんが老化っていうテーマで、やっぱシーカーなんかで話してて、
おーって思ったけど、そろそろ俺らもその話をする時がやってきたんではないかなっていう。
老いについて話さなきゃいけない。
経験と開発の柔軟性
最近みんな老いについてよく話してる気がするけどな。
健康とかね。老眼と腰痛で。
老眼と腰痛。
あとまあ、そうね、若者に対する態度、どういう振る舞いをするかみたいなのとかはあるよね。
若者ね。本当、ホノオで中学生コントリビューターとかいるとさ、本当になんだろう。
やっぱり、同じ土俵で話せるから、考えてることとか立派だし、
何より向こうは時間と体力があるから、正直負けるのよ。
本当に負けるから。
で、おじさんの経験値ってそんなに役に立たないじゃん、実は。
だから頑張るしかないなと思って。
まあ役に立つところと役に立たないところがあるよね。
あるけど、そんな役に立つかなって思う時も結構あるからね。
まあ、戦う土俵とか、そうだね。
すごい大雑把に言い方だけど、匂いを嗅ぎ分けるみたいなのが多分、おじさんの勘みたいなのがありそうだけどね。
そうだね。匂いを嗅ぎ分けるみたいなのはある気がするな。
し、それが行き過ぎると、昔これと同じやつじゃんみたいになって、
新しいアイデアが出てきてることにならないみたいなことはあるよね。
ありそう、ありそう。
でもなんか炎なんかは、まさしくこれまでのゆうすけべの経験があったからできたプロダクトなんじゃないかなというふうに思っていて、
やっぱりそれこそそれまでのパールとか宮川さんの作ったブラックとかができた過程を見てきてるとか、
割といい感じにシンプルで、いい感じに拡張できるみたいな、
そういう全体の設計の良さみたいなものは、やっぱりこれまでの経験にかなり裏打ちされてるものなのかなっていうふうに見えているんですけどね。
JSでサーバーサイドやるっていうことで、JSはもうそのWebのAPIっていうのがブラウザのAPIなんだけど、もう揃ってるから。
それが揃ってるってことは、宮川さんとかが苦労して作ったTrackとかPSGIのスペックがもうすでにあるっていうことだから、
なんかそのJSでAPIが揃ってるありがたさみたいなのが身をもってわかるっていう感じで。
だからそこを作ってて楽しいなっていうのはちょっとあったかな。
そう、なんかそこにやっぱ上手く乗っ張る、強調する筋の良さみたいなのがあったのかなっていうのは見てて思います。
結構、そうね、今の構造は本当にコアがあって、ミドルウェアがバーってあって、バリデーターがあって、ヘルパーがあって。
結構その構造がシンプルになるし、拡張したけどミドルウェア作ればいいみたいな感じになってて、なんかそれも結果的に上手くいったなっていう感じはする。
あとなんか結構面白いなって思ったのは、最初は結構そのサードパーティーのライブラリとかも組み合わせながら作ってたけど、
フレームワークの進化
だんだん自前で実装し始めるみたいなところが増えていってるみたいなのも、フレームワークの正常進化みたいなのも感じられるなっていうのは思いました。
モジョリシャスはですね、モジョリシャスというフレームワークがあって、それはあれなんだよね、モジョリシャスってHTTPのユーザーエージェントみたいなのを実はモジョなんとかっていって、自分で自作してたりするんだよね。
モジョネームスペースだよね。
そうそうそう。で、あとテンプレートエンジンとかも自分で自作したりとかしてて、なんかちょっとそれに似てるなって思った。
確かにそれに似てるかも。あとなんか僕近しいものを感じたのは、なんかそのプラックとかができた頃に、最初はある程度その既存のライブラリを使って作ってたんだけど、だんだんそれのパフォーマンスみたいなものがボトルネックになってきたから、
結局当時の日本のパールハッカーたちがめちゃくちゃ新しいものを作りまくったみたいなのがあったと思っているので、なんかそれに似たものを感じてるかな。クッキーとかも多分HTTPクッキーとかを元々使ってたのを、風風呂さんがクッキーベーカーを作ってとか、
多分そのHTTPボディのパース処理もHTTPボディっていう、そのシーパーモジュールがあったんだけど、それも多分時広宮がHTTPボディパーサーっていう、もうちょい高速なやつにしたりとか。なんか割とそういうこう、最初はある程度ありものを組み合わせつつ、そのボトルネックをだんだんもっといいやつに差し替えていくみたいなのをやってたのはなんかすごいこう、
プラックのその開発を見てて面白いところだなって思ってたところだし、まあ炎でも似たようなのを感じるところではあるかな。
まさに同じことやってて、クエリ、キーバリュー、キーツーバリューツーみたいな感じで、はてななんとかイコールなんとかイコール、クエリストリングっていう、クエリストリングのパーサーを実は自前で書いてて、それは本当は標準のライブラリで全然できるんだけど、結構割とマイクロなんだけど、
ベンチマーク取った時に、やっぱそこがネックになるから、自分で書いてるね。で、それがちゃんと動いてるね、今。
けっこうやってる。同じようなことやってる。カツカツにやってる。
はい、じゃあまあちょっと中途半端かもしれないんですけど、もうちょっと炎の話を聞きたいですが、前半は一旦後編で切ろうかなと思います。ということで、はい。
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