1. 推し活2次元LIFEラジオ/3次元喫茶小話
  2. ヤングアダルト編① 〜短大編&..
2025-10-24 43:43

ヤングアダルト編① 〜短大編&新社会人編〜

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#90/後編は戦闘BGM風。

短大から新卒の社会に揉まれての病み期。

何人も辞めてく上司の元に辞めずにいた私偉い!

あの頃って精神不安定だったなぁの20代。

女は泣けば済むと思ってるって言った上司の言葉、許せない!絶対にだ!

お前が泣くまで殴るのをやめないッッ!


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サマリー

水城真琴は自身のヤングアダルト期について語り、短大時代の経験や趣味、情報ビジネスに対する興味を振り返ります。ポッドキャストでは、教育や友人関係、エンタメ文化の影響に触れています。短大卒業後の新社会人としての就職活動や研修経験についても話され、特に厳しい上司との関係や職場環境のストレス、営業業務の実際に深く掘り下げられています。エピソードでは、短大を卒業した新社会人が直面するさまざまなストレスや困難について語り、特に働く環境や上司との人間関係に焦点が当てられ、自身の感情の変化や反抗心が描かれます。ヤングアダルト編では、短大生や新社会人の苦労や経験に関する話がされ、特に転職の理由や人間関係、仕事内容の重要性についての洞察が紹介されます。

短大入学までの経緯
好きなエンタメきっと見つかる 水城真琴の推し活2次元LIFEラジオ
みなさん、おしにじわ。この番組は、生きてるうちの日々のコンテンツ、好きなもの、過去のことなどアウトプットしていき、デジタルタトゥーとして今後の人生を記録していこうとする私、水城真琴がお届けするラジオ風雑談系ポッドキャスト番組です。
今回も企画会ということで、私が主催したポッキャトークテーマ、ヤングアダルト編全編をお届けしたいと思います。
今回で第3回ということで、第1回目小学生編、第2回が中高生編、第3回がヤングアダルト編ということで、今回は参加してくださった方が、初めてリスナーも含めてなんですが、30番組様が参加してくださいました。
本当にありがとうございます。
初日からね、徐々に皆さん日ごとに参加配信してくださいまして、毎回楽しく聞かせていただいております。
そもそもヤングアダルトっていうのがですね、一般的に18歳から30前後らしいんですね。
なので今回は20代をまるっとざっくり振り返ってみようという感じなんですけど、
ヤングアダルトって30手前までぐらいまであるんだって思って、せいぜい20ちょいぐらいまでだと思ってました。
全然違いました。
まあね、いろんな方の聞いてたらやっぱり人によって高校卒業からそのまま就職される方もいれば、
3大大学専門とかいろいろ違うと思うので、それぞれのお話を自由にしていただければなと思いました。
私も完全にこれ企画する前は、自分で個人的に出そうと思ってただけだったので、
それを企画にしてみんなに話してもらったらどんな感じになるのかなっていうので、企画にさせていただいた感じです。
企画なかったとしてもね、私はこの回を一人で振り返るためにあげてるんですよ。
絶対長くなるなっていうのはあったので、まずは前編は短大から新卒。
そして1回転職してるので、その転職するまでの話ができたらなと思います。
長くなりますのでね、最後まで聞かなくてもいいです。
あくまで記録として残しておきたいという自己満足スタイルで残していきたいと思います。
では本編お聞きください。
短大での学びと体験
改めまして水城誠です。
今回はヤングアダルト編で、とりあえずスタートは短大。
私は高校からはいわゆるエスカレーターっていうことではないのかもしれないんですけど、
短大と高校と連携しているようなところに行きました。
なので高校に入った段階で、大学どこにしようとか進路はどうしようっていう悩みはなく、
最初から短大はここに行こうっていうのが高校入学した段階で考えていたので、
比較的に迷うとかそういうのはなかったので、スムーズに行ってよかったなって思います。
高校生が18歳までなので、短大にいたのは19と20ってことですね。
大学4年生に対しては早く2年ですね。
ほぼ面接だけでした。受けるとき。
内部的な優遇入試的な感じですかね。
非抵抗推薦みたいな。
不思議なことに高校は違うのに、短大では同じところにいたっていう友達がいて、
やっぱりその子は受験的なものをしたと思うんで、
だいぶ私とは違う感じで入ってきたのかなって思いますね。
情報ビジネス的なクラス、情報科っていうところに入りました。
親も私はパソコン好きだし、そういうのが向いてるんじゃないかっていうので、
私も興味あったし、そこにしたって感じですね。
最初から誰も知らない人しかいないなっていうことはなくて、
実は高校の友達が2人と、小中からずっと一緒の同級生も同じ短大にいたので、
不安っていうのはあまりなかったですね。
高1ぐらいの時に既に短大に分け合っていたりもしてたので、
どういうところかは既に言ってたので、緊張とかはなかったです。
変化って言って短大と高校の違いは私服ですよね。
私服で学校に行くっていうのが、これが短大かみたいな。
でも私服どうしようっていう問題はめんどくさいですよね。
何を着てたのか全く記憶がない。
あとよく漫画とかアニメ、ドラマとかでも、
大学って必ずみんなすっごい講義、テーブルが長い感じで、
先生がすごい見下ろして、一人で喋ってて、
めちゃくちゃ遠いところに黒板があってみたいな。
で、自由席でっていう、なんかああいう感じがあるじゃないですか。
何百人単位みたいな。
あれがないんですよ。
あるにはあるんですけど、
一部屋だけあって、そこに全生徒が集まって話聞くときだけ座るっていう感じで、
普段は普通にクラス制だったんで、
それは普通に学校の高校の延長みたいな感じですね。
クラスがAからDクラスみたいな、
アルファベットで分かれてて、
一クラス二、三十人いるみたいな感じであったんで、
テーブルとか椅子とかも普通にあったから、
高校生だけど制服がない私服の感じでしたね。
さすがに中学生ぐらいの時に個人的にホームページ作成とかしてたんで、
HTMLは分かるんですけど、
プログラミング系は分かんないですね。
もうわけ分かんない。
したいとも思わなかった。
秘書検定とかビジネス実務とかね、
最低限そういうのはしてたかな、
Excelとか。
もはやパソコンも全然関係ない仕事ではあるんですけど、
楽しかったなっていうのは、
動画作成してみようっていう授業とか、
イラストレーターで何か自分の好きなキャラを描いて動かすとか、
楽しいって言いながらやってました。
趣味の延長みたいな授業。
大学とかで卒論とかあるじゃないですか、
あれはなかったんですよね。
それに当たるっぽい発表というか課題的なのは与えられましたけど、
それで覚えてるのが、
高校の時の友達と二人で組んで、
当時3代ぐらいの時からボカロ聞き始めて、
いわゆるMMD。
MMDっていうのはミクミクダンスって言うんですけど、
初音ミクですね。
有名な人が歌うんじゃなくて機械に歌わせるっていうあれですね。
で、あれを友達が効果を歌わすっていうことをしたんですね。
だからミクさんに歌わせるのを調整する役。
私が校内を動画撮影して、
私はミクっていうモデリングを動かすっていう担当だったんで、
初めてMMDを使ったのはそこなんですね。
その後、好きなキャラとかいろんなのインストールしたりしたら、
普通に曲に合わせて踊らせるみたいなことね。
うわー最高、推しが踊ってるみたいな。楽しいっていうのをやってました。
授業で嫌いだったのはボーキーとかエクセルとか、
もうとにかく数字が嫌い。
これはもう小学生ぐらいから数字なんてなくなればいいぐらいで思ってたんですよ。
中学では一番足を引っ張って平均点が下がるぐらい嫌いだったのと、
高校生の時は高2が最後で高3になると数学がなかったんで、
もうやったーってなって途端に平均値が上がったんで、
普通にクラスで割と上位ぐらいまで上がった気がしますね。
そのボキーの最始みたいのがやっぱりあって、
次の日テストっていう感じなのに、前日にテストの対策で
友達の家とかで勉強して、帰りに漫画を借りたんですよ。
それがジョジョだったんですね。
ジョジョは絵がちょっとって思ってたんですけど、
文庫本で第4部を初めて書いて、
次の日テストだっていうのに、帰ったら気づいたら、
読んで6時間ぐらいぶっ通して読み終わってて、
え、時間が溶けた?今起こったことありのまま話して、
何を言ってるか分からないと思うっていう感じでね。
やべーってなったけど、ちゃんと次の日のボキーの最初は受かるっていう感じでした。
あとはこの時期はTwitterというものが生まれたんですよ。
今はもう何個目のアカウントでしょう?
3つ4つ目のアカウントぐらいかな?分かんないですけど、
基本的にコロコロアカウント変える派だったから、
名前はずっと基本的に変えてはないと思うんですけど、
初めて世に出てきた時からもずっと続けてるんで、
そう思うとTwitter歴って15年ぐらいってこと?って思うとやばい。
2009年からですね。2009年からやってるみたいなんで、
16年ってことかな。えぐっ。
好きな推しのボットとかもやってましたね。中の人がいるタイプで。
ゲームしてたり、この頃から携帯サイトとかを運営してましたね。
短大に入学した時についにお祝いに買ってもらったんですよ。
ノートパソコン初めて。
家族にね、オタクがいないし、パソコンが得意な人も誰もいなくて、
ずーっと化石に扱いされてるWindows98をね、ようやく手放せたわけなんですよ。
その時ってみんなもうWindowsVistaぐらいかな?みんな。分かんないけど。
なのに私はずーっと顔に値されないわけですよ。
パソコンなんてっていう親の価値観ですし、使う人がいないから。
なんで、入学祝いにノートパソコン買ってくれって言って、
ついにWindows98から一気に7に飛ぶっていうね、
柄系からスマホぐらいの進化を体験しました。
なんせWindows98できること少ない。スカイプもできない。スカイプは2000から。
その頃からようやく人と話せるってこれなんだ感動っていうのは覚えてますね。
みんな今更?みたいな感じですよ。みんなスカイプなんてやり慣れてるし。
電気屋行った時に、え、まだそんなWindows98使ってる人いるんすか?みたいな。
馬鹿にされる。化石使ってるんすか?みたいな感じですよ。
その時はね、声部とかもやり始めてて、そんなに激した記憶はないけど、
仲良い人とずっと通話したりとかそういうのはしてたかな。
ニコニコは一応高校からは入ってましたけど、
本格的にニコ生とかやり始めたのはこの頃ですね。
MMD杯とかもね、見るの好きだったな。
この頃が一番ピークで見てたかも。
夜更かしとかも短大ぐらいが初めてしたかも。
でもその頃って、おばあちゃんが老朽したりとかして、
部屋を譲ることになったりとかしたら話すところがなくて、
私は縁側の廊下とかで話すか、台所とかで話してましたね。
ニコ生ね、実況とかしてました。
ゲーム実況したり、書いてみたしたり、なんかラジオっぽいことしたり、
その頃から今みたいにいろんなことしてたんだなって思います。
エンタメはそんな感じかな。
大学といえばゼミとかサークルとかあるじゃないですか。
うちは何もなかったから、そういうのに逆に憧れましたね。
そういうのなかったし、みんなもしてなかった気がするし。
あとお酒とかは19、20歳とかだから、
お酒に興味もないから別に飲みたいともないけど、
偏見ですけど、やっぱ大学は飲み座で遊んでて、
チャラいみたいなイメージ。
サボって寝てるみたいなイメージ。
バイトは一切してませんでしたね。
せいぜい高校の時に短期間で1週間ぐらいとか、
季節でアルバイトする郵便局と地元の笹寿司を巻くっていう、
2つしか経験したこともなかったし、
別に家にあるパソコンとかでずっと、
ゲームとかでずっと時間を過ごせる人だったから、
ホームページとかのほうが忙しかったから、
そんな時間ねえよみたいな。
働いてる時間ねえよ。
趣味でやりたいこと、こいつらいっぱいあるんだよみたいな感じで、
その時から過ごしてたんで、
エンタメ文化との関わり
暇だって思ったことはない。
時間が空いたらこれをするみたいなのは、
この時からもうすでにあったんでね。
暇って何?みたいな。
空いたらこれをするみたいなのは、
勝手に私の中で自動化タスク化されております。
ちょっと短大卒業ぐらいからかな。
なんかポレントとかが流行っててね。
ちょっとね、違法的なアニメというかね。
見てた。
忘れもしない2011年の3月11日。
あの東日本大震災の揺れみたいなやつ。
あれね、やってる日は覚えてるんですよね。
短大から帰ってきて、
昼ぐらいからニコ生してて、
一番最初にリスナーさんで、
北海道の人がいたんですね。
うわ、すごい揺れてるって言った後に、
徐々に下に地震で、
こっちも揺れた、あっちも揺れたみたいになって、
マジ?ってなった時に、
私もなんか気持ち悪くなってきたかもって思ったら、
え、洗濯物揺れてる。
これ地震か?みたいな感じで。
テレビつけたら、え?みたいな。
だからその間ね、しばらく、
その後ずーっとなんか、
ポポポポーンとかのCMずーっと流れてて、
もうなんかテレビで、
ずっと災害のことしかやってなさすぎて、
みんなテレビ見ないみたいな。
テレビ別につまんないし、ニコ生やろうみたいな。
今状況みんなどうですか?みたいな、
そういう話をしてた気がしますね。
そして短大終わりかな?
短大は家から車で30分ぐらいだったかな?
高3の最後ぐらいに免許を取ったんですよ、本当に。
2ヶ月ぐらいで。
それは取った理由は、
家から車で短大に行くための車の運転の免許を取ったので、
よくあるじゃないですか。
免許取ったのに、わーって調子に乗って、
春休みとかにガシャーンって事故とかあって、
泣いてドリケージみたいな。
そんな愚かな人間にはなりたくなかったから、
全然しなかったですね。
学校にそろそろ行かないといけないくらいの時に、
親と近くの広い安全そうなところをね、
一応運転練習して通うっていう感じで。
なので別に寄り道もしたいとかもなかったから、
割と田舎道みたいなところでもあったので、
帰る時はもうすぐ帰るって感じで、
帰り道どこ寄ろうとかそんな何も特になかった気がするかな。
普通に友達の家に車で行くくらいかな。
短大文化祭楽しかったな。
なんか食べ物とかした気がする。
たまに大人になって久しぶりに行くと楽しいですね。
割と今は家の近くにあって、
そろそろの時期なのかな、もしかしたら。
一回行くとね、あの葉書が来たりするんですよ。
で、何百円とかのクーポンとかもくれて、
なんかまた久しぶりに行きたくなってきたな。
で、なんで実家暮らしでしたね、普通に。
で、そこから就職活動。
で、私はまあ運良く一点集中の一回だけ受けて、
無事受かったっていう感じでした。
面接と作文だけみたいな感じだったかな。
就職活動経験はほぼない。
厳しい職場環境
との就職活動で入ったのは住宅業界でしたね。
両親の友人でもそういう住宅業界の社長をやってる人とかいて、
別にそこに入りたくはなかったからそこにはいかなかったんですけど。
うーん、会社はでもなんでこの会社に決めたんだっけ。
もう覚えてない。
受かったって言われた時はマジかってなって確かに嬉しくはありましたね。
専門学校とかのところに出てなくても問題ないっていう感じだったんですよ。
最初はちょっと営業をやって一通り通ってもらえますみたいな感じで。
もう入ったら何でもやりますみたいな。
今よりめちゃくちゃ小見性なのに。
そう、親に怒られただけでピーンって鳴くようなやつなのに。
バイト経験もないのにっていう感じなんですけど。
いやーそう思うとすげー。
それこそ若さへの勢いというか無謀というかそういうのを感じますね。
同期は6人いて男が4の女2って感じだったかな。
女性が営業前入れるのが初っていうので私ともう一人だったんですね。
でもみんな大学生とかだったんで短大生は私一人だけだったんですよね。
あんまり年の離れた人とか先輩後輩っていう関係もほぼ経験してないから
何を喋っていいかあまりわからないみたいな。
オタクの人とかいたらその人と喋れたけどっていう感じでしたね。
これからは女性の時代だからっていうので入れたんですよね。
研修にはのとの香谷っていう日本のトップの旅館とかで1位を取ったりしてるんですよね香谷って。
プロが選ぶ日本のホテル旅館100選みたいなことで36年連続で1位を獲得してるんですよ石川県で。
おもてなしとか施設とか料理とか企画とかいろいろあるんですけど
そのもてなし部門で1位を取ってたんですよね。
まあかなり高い1泊いくらだっけ。
2名1部屋1泊2食で十数万とか多分ねそういう感じかな。
ちょっとねノートの自信があってからは情報を追ってないからわからないんですけど
まあその香谷でおもてなしを学ぶみたいな。
実質石川県のアニメの花咲くイオハ的な感じでしたね。
それはね体験しようと思ってもできないことだから
まあ今考えるとそういう研修ができてよかったなと思いますね。
メーカー経営だったので東京に本社があってテストをするみたいなのとか
怖い講師たちがいて電子交換とか
すげーこれが社会人が怖いみたいなみんなで怯えてるみたいな空間とか
でもまあなかなか経験ないできないことだから
まあよかったかなって思います。
大体入ってから3ヶ月は机の上で耳からいろんな会社の歴史を学ぶとか
なんかねそういう感じがずっと続いててめちゃくちゃ眠いなっていう感じでしたね。
なんか学校の単体の延長みたいな感じは感じてましたね。
3ヶ月くらい経ってからお隣の県に配属されたりとか
自分たちは地元の県にっていう感じだったんですけど
新人の1年目って本当に
配属されてもすぐやることとかないのに
配属される前もかな
0時超えることがザラでサービス残業とかだったんですよね。
やることもないのにただ出たら出されるっていうか
みんな帰らないから帰らないっていう感じ
今もあるんですかそういう会社は
何も与えられてないし何もすることないから同期6人集まって
喋って時間潰しするくらいしかないねみたいな
そして上司の人事のおっさんの話
これいつまで話すんだこのおっさんみたいな
ただただ聞く無駄な時間みたいな
サービス残業だから時間給じゃないっていうのはねやっぱブラックだよね。
営業業務の体験
私が一番最初に配属されたところがもう
ザ・モラハラパワハラ
今じゃもう即追放って感じのおっさんで
配属される前にその人の上司の下で働くことになるよって言われた時に
まあいろんな人に聞くわけですよ
あの人ってなんかどういう人なんですかと聞いたらみんな
もうみんな揃って
あの人は気をつけた方がいいよとか
もうなんか理不尽に怒られるとか
もうみんな言うわけ
気編みつけはもうそいつを最後殴ってやめてったやつもいるとかさ
聞かされるわけ
怖すぎるじゃん
そんな奴のとこにいるのうわーってみたいな
ガチャ外れだわみたいな感じだよ今
まあそいつはもううちのアイデンティティを見事にねぶっ壊してくるみたいな感じ
もうパブロフの犬みたいにそいつ見ただけで
ってこう発作が起きるんじゃないかぐらいの
もう目も合わせられない怖すぎて
頭体もでかいし身長もでかいし
もうとにかくでかいし威圧感があるし
もう全てがいや生理的に無理
そんな上司
そんな上司と1年もいなきゃいけないっていう決定
いやー毎日のように地獄でしたね
まあ辞めますっていうのもね
当然1回行ったことはありますけど
伝えているわけじゃないですか
いや他に行ったって一緒だみたいな
いやでもその人も一箇所しかいないですよね
今じゃ転職が普通の世の中ですが
まあ親からもいや3年はいかないとみたいな
もう今考えると3年もとかほんとにね
時間の無駄でしかないし
入ったら最近の退職代行みたいな
いやーほんとあったら当時使ってたかもねっていうくらい
いやでも使う勇気はないかな
親に怒られるっていうのもあれだしね
まあ1年間ずっと泣きながら行ってたって感じだったので
化粧は途中でしませんでしたね
救いだったのはその営業だから
自分の車を使って自由に一人で行動できる
これがまあメリットですね
気まま
救いだったのはその優しいおじいちゃんとか
おばあちゃんのお客さんのところに行って
まあお茶とか飲んでぽっこり雑談して
何かないですかみたいな感じ
カレンダーとか冊子とかをなんか
3ヶ月ごととか定期的に届けなきゃいけないから
周りの人も忙しい人ばかりだから
その人たちが時間なくて届けれないから
私たちが代わりになんか届けに行くとか
はいピンポーンとして
新人の○○ホームの伊豆城ですみたいな感じで
訪問しに行くみたいなことをして
あとはしばらくひたすらピンポーンを押しまくるみたいな
でも見知らぬ家に別に行くわけじゃないから
あくまでそこの会社で建てたお家のところに
もう人に会いに行くって感じだから
まあさほどハードルは高くはなかったけど
一番最初ら辺はねやっぱきつかったよね
クソ上司の前でやらなきゃいけないっていうのが
そういう人ほどね
意地悪な質問するのも好きだし
そういうシュミレーションみたいなやるからさ
めちゃくちゃやだったよね
圧がすごい
とにかく圧圧圧って感じ
圧出してくるやつほんと嫌いなんだわ
そこでもう人見知りの
私ももう人見知りとか言ってる場合じゃないから
強制的にさせられるっていうことはね
体験したんで
家族で営業したいことある人もいないし
ある意味社会に揉まれたこともないやつが
急に強制トレーニングさせられたって感じでしたね
スーツを着て基本パンツスタイルでやってました
ドライブしてる時からかな
その時から初めてラジオの
アニラジとか声優のラジオみたいなのを聞き始めたり
アニソン聞き始めたりっていうのをしてましたね
とにかくね見積書とか作るの
これもねエクセルだけど
勝手に打ち込んだら計算できるから
それでいいじゃんってなるんですけど
それを分解して理解しろみたいな感じ
もう数学大嫌いだって言ってんのに
まだ追いかけてくるかみたいな感じだったんですけど
もうねその嫌な上司の前で言ったと
おミスも
みたいな感じで打ち込んでるから
ミスにも全く気づかなくて
悪循環で
まだミスあるぞみたいな感じで言われて
こんなのも書けんのかみたいな
バサーってされて
みんな他の人は計算できてるだろうみたいな感じ
もうエクセルで自動表記計算あるんだからいいじゃん
分からなかったらなんかドリルやれみたいな感じで言われてさ
学校通って
でまぁこの会社はね
全部全てを一人でやれって
そういう感じだったんですよね
だから水盛りも一人で営業も一人で
工事現場の管理から完成して引き渡すのも自分でやれみたいな
何も右も左も分からないのに
えーって
分担制じゃないんだっていう感じ
でまぁね最初だから
せいぜい水盛りとか
あとそのクソ上司とか他の先輩とかのところについていって
働く環境のストレス
見て学ぶとか
いろんなメンテナンスとか見てたんですけど
まぁ何かしらあったらね
その上司になんか手招きされて
透明の個室の部屋みたいな
でも透けて見えるから
誰が入ってるから分かる部屋に
箱詰めされて
1時間ぐらいずっとなんか意味分かんないことで
怒鳴られ続けたり
なんで呼ばれたと思うとか
なんでこれができなかったと思う
永遠になんか分解されて家詰めされて
死んだ顔をして
死んだ魚の目でいる状態みたいな感じで
まぁ親にも愚痴るわけですけど
いや本当に忙しかったらそんな時間ねえだろ
人怒ってる時間もねえだろ
もう家で家族にないがしろにされたのかな
ストレスあったのかな
怒るのにもエネルギーがあるっていうけど
そいつは何なんだろうね
でも怒るでも自分のためを思って怒ってるとか
なんかそういうのって感じるじゃないですか
いやー1ミリも感じないね
自分のためを思って怒っているっていう
正当化しただけのただのやつあたりか
なんかサンドバックなんじゃないのっていう感じしか
感じてないし
死ぬほど嫌いだったよね
私とそのもう一人の女の子
その子は何だろう
ちょっとギャルっぽい感じで
でもなんかしたたかでこう
なんかのらりくらりと
弱たり上手で生きてくのうまいなっていう感じの子
物覚えもいいし容量がいいみたいな感じの子だったんですね
私とは違って
でもその子結構強気な女の子なんですけど
でもそんな子ですらめっちゃ泣かされてて
この子でも泣くんだみたいな
結構サバサバしてた子だったから
でできてたりしたのに
なんかわざといじめられたりとかもしてたから
こんな子も泣いてるんだって思った
私も途中なんかピタッと
すんってなって
一切なんか涙泣かさなくなるみたいな
泣き晴らしすぎて
逆に涙泣かさなくなる
感情なくなるみたいな時ありましたね
どうやったらもうこの会社に来なくて済むんだろうみたいな
職場での人間関係
思いましたよね
これが自殺とか願望とか
そういうのがあれなのかなって
もう病気入ってましたよね
多分
方向音痴なんでね
最初から車買ったタイミングで
ナビをつけてたんですけど
マジ今考えても分かんないんですけど
車を普通は車用車とかあるじゃないですか
そういうので影響じゃなくて
自分の車で回るみたいな感じだったんですけど
その入った時は
元々姉から譲り受けた車で運転してたんですけど
かなり古いから
もう新しいの買わなくちゃいけないってことになったんで
新車を買うってなって
カラフルな車の人もいるんですよ
赤乗ってる人も青乗ってる人も
黄色乗ってる人も確かいたから
もう別に好きな色選べばいいやって思って
パソのね
割と茶色めな
小豆っていう色を選んだんですよ
ほぼほぼ茶色って感じなんですけど
それで申請したら怒られて
いや黒か白かシルバーだ
いやいやそんな規定ないだろうと思って
しかも別に茶色じゃん
ただのなるじゃないですか
で他に赤とかの人いるじゃないですか
なんか部長とかのって言っても聞かなくて
いやでももう申請したから通すしかないよ
だからなんかしゃーないなみたいな感じとかだけど
いやマジ意味わかんない
茶色じゃん
茶色は別にいいだろ
割と無断な方だろ別に
赤でも青でもないだろって
思って
そのナビも入れてたんですけど
最初からも地図の見方とかもあまりわかんないし
短大の時からも
家の往復ぐらいしかしてなかったから
道も詳しくないからナビ入れたけど
もうすげーおっさんの考えだから
ナビなんてダメだみたいな
一人でいる時はナビで入れてましたけど
なんか後ろにこう偉そうにどかって座って腕組んで
好きなルートでいいから行けみたいな言われた時に
まだあの道覚えてないんかとか言われてさ
怒鳴ってくるしさ
どこからでもいいって言われても
方向音痴で道もわかんないのに
はぁ?みたいな感じ
常に後ろから威圧してくるから
ほんと存在が消えればいいって思ってましたね
その頃ね
私はね地獄少女っていうアニメを見たことがあって
夜0時になると地獄通信っていうね
本物じゃないんですけど
嘘のホームページがあって
0時になると地獄通信っていうホームページがあって
そこに地獄に送りたい人の名前をつくと
地獄に流されるっていうね
もうそれを見て打ち込んでいたよね
そんくらいあいつ許さねえみたいな
闇気入ってたから仕方ない
手を食ったら
あー驚いたことにその
1年耐えてその拷問に耐しのいだ私たちの
次の年にね辞めますってなって
そいつそんな意地悪するずっと偉そうなやつって
絶対自分から辞めないじゃん
まあクビになったのか分かんないけど
確か私たちが離れた後も
結局その他の人が何人か辞めたりしてて
そいつ嫌われすぎたから
あーだからお前辞めさせすぎって思って
クビにされたのか知らないけど
とにかく辞めて違う職業に行くことになったから
えーってびっくりしましたね
そんな今まで転職もしたことない
ずっとその感じで来てた人が
仕事を辞めるだってみたいな
びっくりしちゃったんで
地獄追伸の影響かなって思いましたよね
別に死んではないんだけど
もう嫌いなバイオハザードのゾンビを
新たな挑戦と転職
上身に立ててゲームをプレイしていた気がします
夜中は0時に終わって
帰ってきてほんとご飯シャワー
寝る朝7時仕事行く
これが刑務所みたいな感じかみたいなね
唯一平日の休みがアニメとゲームで
現実逃避できて幸せな日みたいな感じでしたね
土日休みが月に1回の家族サービスでみたいな感じで
少なすぎるだろって思いました
私の周りで3年続けてるって子も
すでにあんまいなかったです
みんなすぐ辞めてた
いろんな会社最初の会社って
ほぼほぼ洗脳みたいな生活だったな
言い訳してたよその上司は
いつか今何言ってるかわからないと思うけど
いつか俺に感謝する日が来るからみたいな
おごりすぎ
そんな全然そんな存在じゃないから
そういうこと言うやつ嫌いだわって感じだったね
初めて反抗心を覚えたの
その上司に対してだわ
今まで反抗しようなんて思ったことないけど
社会に出てその一人目に一番反抗したくなっちゃったね
こんな親の下で絶対生まれたくないよね
何されるかわかんない
でも感謝はあるかもしれないですね
こんな愚かな人間がいるんだなっていう
こんな奴が存在してるんだ
悪が存在してるんだっていうのを
気づかせてくれてありがとうっていう意味ではね
あるかもしれませんね
完全に反面教師
だって中堅とかいろんな人が言うほどの
そんなハズレ上司に当たりたくなかった
辞める時も
今まで男女平等にするために
お前たちに厳しいことを言ってきて
こんな扱いしなかったけどみたいな
そういう男女平等パンチいらねーわ
初めての給料は家族にご飯をご馳走した記憶がありますね
でも変なイキった先輩もいたな
キモい先輩はいたな
チビで偉そうで
別に仕事できるわけでもないのに
ドヤ顔しながら私に
営業って何があるべきか知ってるかとか
言ってくるやつ
生理的に無理だったな
イキってるやつほんと嫌いかも
イキってる人の方がダサいかも
ダサいっていう感覚って
私あんまり服装以外に思ったことなかったけど
ああいうのがダサいっていうのかも
この時期仕事しながら数ヶ月間だけ
ヨヨギアニメーションの声優体験みたいなやつ見てたかな
あれはちょっとね
なかなかアフレコとか体験
なかなかできないことをして
楽しかったっていう記憶があります
そこでエチュードをちょっと学んだ気がする
1年目の時だったんで
初めてお金が当たるわけですけど
有給っていうのもすぐには当たらないわけですね
半年以降みたいな
せいぜい1週間くらい
初めてゲームイベントにいたんですね
テイフェスっていうテイルズのゲームのイベント
それもやっぱり1年目だったんで
有給の理由とか細かく聞かれて
うぜえなーみたいな感じはあったんですけど
いつ、なんで、なんでそこに行かなきゃみたいな
書くのがあれだから
適当に品籍がどうのこうのって書いて
なんとか無理やり1日取って
イベントなんて土日しかないから
1日しか取れないっていうところがあれですよね
家族とほぼほぼ出かけられなかったっていうのが辛かったですね
友達とも全然土日休みのことは会わないし
土日休みの会社に行きたいってなりました
お盆休みも全然ずれ込むし
なんかずっと今まで生きてきたカレンダーと
違いすぎて無理ってなりました
この頃からかな
2011年の頃から
ワンクールとかリアタイでアニメを見始めるようになりましたね
休みのその平日休みの時とかに
アニメ見たりゲームしたりしてたけど
ニコ生で本当に愚痴とか聞いてもらったり
ゲーム実況したりするのが
ストレス発散って感じだったし
その人たちにマジで救われたって感じ
じゃないと心は死んでた
毎日泣きながら帰ってくる私の愚痴とか
受け止めてくれた母もいなかったら
心は死んでたと思う
一番最初の初日は
短大とかお世話になった先生に挨拶しに行くみたいな感じで
行ってきなさいって言われたんですよ
一番最初の本当
配属された初日ぐらいかな
その時にまさかのタイヤバーストして
後ろがほぼアルミだけになってて
黒いゴムがもう後ろを見ると
チリジリになってて焼け焦げてて
もう中からでかいゴスンクゲが出てくるっていう感じになったんですけど
全然会社が何か出してくれるとかなく
もうただただジャフでっていう感じで
そういうなんか容姿も一応読んだけど
会社がどうのをしてくれるからとかそういうの一切なくて
ああ?みたいな感じでしたね
そのクソ上司の後は
一応リフォームに2年間ぐらいいて
でも今度はそういう上司とかはいないんですけど
今度は営業の結果を出さないといけないみたいな感じだから
自分で取ってきたりとか
次何百万稼いでこいみたいな
いやいやいや無理だよーって
利益が何百万の仕事しても利益がこれだけだから
この1件だけじゃなくて数件持ってきて
ようやく自分の給料ぐらいに値するとか言われても
無理無理無理無理っていう話
ノルマとかひたすらきついし
毎週の会議みたいなのつらかった
みんなもう逆にね
そんなクソ上司みたいに
毎回怒ってくるような人はいないけど
みんなガチで忙しいから
新陳教育すらできないから
新社会人の苦労
特に教わりもできないって感じだったよね
ようやく仕事もどうみたいな
若いしまだ他のところもあるけどって言われて
他の選択肢もあるけど
どう続けていくみたいなの言われて
転職するときって3つの柱があるって言うんですよね
それが人間関係、金、仕事内容
このうちの2本が絶えられたらもう転職だっていう感じで
Cと言うなら金ぐらいですけど
今考えても金でも別に
語られたことがないし
お金っていう意味では
めちゃくちゃもらえてたって当時は思ってたけど
サービス残業すぎるし全然見合ってないと思うと
今とそこまでじゃないっていう感じだから
3本とも倒れてる可能性がある
仕事内容が一番嫌だったかな
1年目の時はもうひたすらその人間関係って感じ
2年目とかは完全に仕事内容が嫌っていう感じでしたね
なかなかできないことをできたっていう意味であったけど
毎日毎日起こることがトラブル続きすぎて
同じパターンが一個もない
いくらやってても同じパターンで出てこないっていうのがきつかったですね
あと電話も嫌だったな
新人のうちは電話をみんな強制的に
とにかく取りなさいみたいな感じだったけど
若い世代ですら電話は嫌いみたいなのもあるけど
みんなどうしてるんだろうねって感じだよね
上の人ほどメールとかめんどくさいから
電話した方が早いみたいな感じで多分出るけど
今となってはもはやテキストの方が早いっていうのが普通だから
電話しても人の名前も覚えられないし
取り継ぐ作業めんどくさかったよね
何々課長何々参加です
その電話相手の滑舌次第じゃん
まぁそんな感じでね2年半ぐらいいて
ようやく3年目入る手前ぐらいに辞めれたんですよ
もう辞めれるんだってなった時にはもうすーっと楽になって
同期もね3ヶ月ですぐ一人男の人が辞めて
で私と同時期ぐらいに一人辞めて
で私も辞めるってなって
その時点で残り3人だったんですけど
まぁ100%今もいないだろうなぁと思いますね
あー残らずにみんなより先に辞めれて最高みたいな気分でした
なんか飲み会も会社で初めて体験したわけですけど
普段真面目な人がめちゃくちゃ酒でなんか暴走してるのを見た後に
次の日普通にキリってなっても
いやいやいや無理あるよみたいな感じでしたね
なんか女の人に抱きつく人とかさ
普通に女の人で暴走してる人ってあんま聞いたことはないな
私の周りでは
金曜日に普通に飲み会っても土日休みじゃないから
普通に土日あるっていうのがきつい
辞めた後は本当にスッキリしました
あーもうあんなところに行かなくていいんだって
もうトラウマの塊でしかないから
乗る間もない休みの日に電話もかかってこない
あんだけ苦労したから
いやいやながら行ったんだし
秋ぐらいに辞めたんで
春ぐらいまでゆっくりすればいいんじゃないっていうのをね言われて
その間ね家でゆっくりニートしてました
家事洗濯何でもやります
料理習ってやりますみたいな感じで
で後編に続くっていう感じです
社会の現実
長くなりました
おしにじ
いやー今回もね闇気が入りましたね
これやっぱ人生を振り返っていく感じだからこう
ダークな感じもね入りますね
まぁある意味責任知らずなところはあったんでね
社会に揉まれることはね覚悟はしていましたけど
まぁそこで揉まれた経験があるから
あーこれが社会か
これが社会ってクソなんだなっていうのがね理解しました
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あとはハッシュタグ今回はボキャトークテーマでもお願いします
エンディングの最後はいつも漫画やアニメ
ゲームキャラの名言で締めています
今回はPAワークスのアニメの白箱という
アニメの主人公宮森葵のセリフで締めたいと思います
そのうっかりをちゃんと覚えておいてね
覚えておけば次の失敗はないから
記憶が
43:43

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