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大阪Bookラジオ
小学校5年生の時の遠足で、1970年の大阪万博の太陽の塔の中に入りまして、
その時は行った記憶だけあったんですけど、ずいぶん大人になってから、
なんか岡本太郎がいろんなメディアに出るのを見て、それからなんかちょっと本を読んだりとかしたり、
2018年に太陽の塔にまた中に入れると、ずっとまた中に入ってみたいなと思ってたんですけど、
ようやく入れるんだということで、そこから僕毎年入ってるんです。
最初に入った時は、だいぶ時間が経ったんですか?
経ってますね。
印象とか、中の記憶って?
はっきりとでも覚えてないですけど、真っ赤かな部屋やった、
ちょっとBGMが男の人の低い声でちょっと驚ろしいような、
その色と声みたいなだけが印象があって、
なんか入ってみたら、なんかこんな空間やったということで、
2018年にいうことは何十年かぶりに入ったんですけど、
なんかやっぱりそういうエネルギーを感じるというか、
これはなんか僕の中では初詣的に、年に一度の太陽の塔詣をしようということで、
毎年一回は行くと決めて、それから毎年行ってます。
今僕はこれまで8回入ってます。
人間岡本さん、どんな…
真似しようにも真似できないし、
その人間としての生き方っていうのか、
こういう生き方があるんだっていう、
なんかそういうヒントっていうんですかね。
慣れないんですし、遠い存在ではあるんですけど、
日常に流される中でちょっと立ち止まるというのか、
太郎精神を忘れないでおきたいなと。
そんな存在ですね。
プレギューで見るエキセントリックなイメージと、
実際の太郎さん内面、演じてる部分と本と、
なんか結構確信犯的な部分。
ありますね。
ありますし、太郎は表現を経済とは全く切り離してるので、
生きてるうちに自分の作品を打ったことは一度もないんです。
どちらかというとパブリックな空間。
太陽の塔もそうですけど、
誰もがただで目に触れることができるっていうところに
自分の作品を残していったということと、
僕はなんか芸術家とかいろんな側面あるんですけど、
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実際に太郎はパリに10年間住んでたんですけども、
その時にパリ大学で哲学の勉強をしてたんです。
我々最近その社会の中でも、
ちょっとプチ哲学ブームっていうのか、
そもそも人間とは何なんだみたいな、
生きる目的が何なんだみたいなことを思考する機会が
少しずつ増えてきてると思うんですけど、
そういう意味では、
岡本太郎というのは哲学者として、
人ってこういう生き方ができるんだということを、
自分の身をもって表現した人なのではないかなって思ってます。
昔みたいに岡本太郎とか小松佐郷とか、
そういう全体を見る知識人みたいなのいないじゃないですか。
いないですね。
今日の今回のテーマはあるけど、
昔みたいな人類と何かが、こんな感じだと思うんですけど。
1970年のテーマは、人類の進歩と調和だったんです。
岡本太郎はそれに対して拒否をしてた。
人類なんて進歩してない。
だから太陽の塔の中に作った生命の木には、
38億年のアメーバーから始まる生命の歴史を展示して、
その上にいるのがネアンデルタル人で終わっている。
現代人ではないんですね。
来年の2025年の万博は、それから55年経ちました。
だからテーマが、
命輝く未来社会のデザインなんですけども、
その命輝くというものを、
太郎は55年前に、
これは人間だけが命というな、と。
動物、植物、全ての生命体を、全体を見たときに、
人間なんていうのは、たかが知れた存在で進化もしてない。
でも来年の万博も命輝くというのが、
本来は太郎が提示した、
全ての生命体に対して焦点を当てるべきなんですけども、
つい空飛ぶ車のように、
人間こんなの作ったぞ、すげえだろ、みたいな、
そういう自慢大会になりつつあるというところが、
ちょっと個人的に残念なところであり、
いまいちど命の意味を、人間の命だけに限定せずに、
地球上の全ての生命体っていうふうに考えていくと、
もっと壮大な視点やテーマや表現が生まれても良いのかなと思ってます。
つながってますね。
脈々と、どこかしら太陽の関係性、
デザイナーも少し意識してますね。
やっぱり太陽とかがすごすぎたし、
1970年万博がすごすぎたので、
僕らは昭和のおじさんはインパクトが強すぎたので、
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万博に対する期待は非常に高いから、
だからぜひとも面白いことをやってほしいなとは思っています。
でもそれを超える人が、
多分太陽を超える人が今はまだ現れてないのかな、
未来のことは分からないですけども。
縄文時代の魅力、独自性みたいな。
これはそもそも縄文の魅力は、
岡本太陽が1954年に東京国立博物館で縄文読記に出会ったときに、
何じゃこれはという、
まさに太陽への芸術が爆発している表現だと思ったわけですね。
だから13,000年平和に暮らしていた。
それもこの、
得たら縄文人というのは他人じゃなくて、
日本人の祖先なので、
ご先祖さんの話なんですね。
なおかつ現代人は縄文人のDNAを12%持っているということなので、
我々の体の中にも縄文人の血は流れているわけですから、
それが時代的に野上になって所有という概念ができ、
古墳になって貧富の差が激しくなり豪族できたりですけども、
今や令和でも戦争がいっぱい起こって、
平和な暮らしってみんな言うんですけど、
いやいや、日本は13,000年も前に平和に暮らしていた時代があるんですよと。
ちょっとその辺に着目してみれば、
何かヒントが見つかるかもしれないんじゃないですか、
というふうな観点ですかね。
それは非常に面白いし、
非常に道具や道具のデザインにしても、
もうイケてるというのを超えてて、
何やこれはという、そういう感覚が面白いです。
縄文時代とか古墳のあれで、
ユダヤ人みたいなもみ上げを伸ばした、
ユダヤ人の帽子をかぶった古墳が、
日本全国にたくさん出てきて、
あれは何なんだ、それもともと、
あの時代いろんな民族がそういう風習があったのか、何なのか。
それはちょっとユダヤ人、日本人説はいろいろあるんで、
僕もそこは詳しくないですけど、
一説によると、僕は一番、
要するにエジプト文明とかローマ文明とか、
メソポタミア文明とか、コア文明とかがいて、
日本って東の端で文明的に遅れてた、
みたいな勘違いされてたんですけど、
実はこの世界一古い土器とかが出てきてるというのがあると、
一説によるとその縄文人のライフスタイルがすごすぎて、
逆に日本人が世界へ行って、
いろんなことを流行らせて戻ってきたみたいな説もあるから、
だからその縄文時代も実はすごい日本列島全体で、
黒曜石とか礫水とかの交易をしてたんですね。
今は我々はネット時代ということで、
つながってるように思うけど、
リアルにはつながってないかもしれないんで、
実は縄文時代の方がすごい情報もなかったから、
もう会いに行きたいとか、見てみたいとか、
行ってみたいとかいうような、
そういうネットワークは、
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リアルネットワークは今よりももっともっとすごかったんだと思います。
奥が深いですね。
奥が深い、面白いところです。
ありがとうございます。
いいですか。
ご視聴ありがとうございました。
次回をお楽しみに。
大阪ブックラジオ。