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おおさかBookラジオ
中学生の時に、あの、ちょっと哲学書とか読むなって、ドイツのショーペンハーヴァーっていう哲学者で、すごい尖った言葉を使うんですけど、結構真理だなーとか思えるような言葉を投げてる人で、なんか、小中でその3人の作家を追ってて、なんか今の自分もあるような気がしますね。
はい、なんかそこには影響されてますね。未来を描く構想力だったり、それを伝える語彙力、で、そこからそれを論理的に整理する哲学の力みたいな、なんかその3人に影響されて、今の仕事だったり研究だったりをしてたりはすると思います。
あー、定番なんですけど、銀河鉄道の夜好きで、一回あの舞台で見に行ったことがあって、はい、銀河鉄道の夜を舞台でやってるのを、ピッコロ劇団っていう、まあちょっとローカルな劇団なんですけど、そこでの演技をその自分の小説で読んだ時との、なんかちょっと、あ、そここう解釈するんだみたいなとこがあったりして、なんか表現もやっぱり宮沢賢治なんか、結構読者に委ねるような表現もあったりするので、
それを僕がこう解釈したけど、あ、劇団はこういう風な演出をするんだっていうのが、なんか小説込みでの、あ、ここ、あ、でもちょっとわかるなとか、そうなるんだとか、なんかいろんな感想があって、あれは面白かったなと思います。
で、ただ舞台ってやっぱ一発の世界で、その全てがアドリブっていうか、そのミスしても自分らに取り返すような世界で、なんか緊迫感というか、やっぱり演者の方のその白心な様子だったりだとか、舞台ならではの、その、言ってもその、舞台の中の空間固定されてるんで、それを空間をその、
演出上、次の場面つなぐときに暗幕する、その時間の区切り方だったりだとか、ライトの使い方だったり、音楽の使い方だったりだとか、なんかそういう風な、なんか細かな気遣いが、その作品を解釈した上で、多分こういう風な演出になったんだろうなーっていうのが、こう読み取れるような場面が多くあって、多分それは舞台に寄ったりはするなと思うんですけど、そこの劇団はかなりその、呼び込んで、なんか、
上手いことその世界を表現したりするなーっていうのがこう、あれ小学生、高学年ぐらいだったと思うんですけど、そのぐらいでも、あ、わかるっていうような場面が多かったんで、今見たらもっと面白いかなーと思ったりするんですけど、あの作品自体結構抽象的に描いてる場面多いんですけど、その、まあ川に落ちるイコール、まあ死の世界、鉄の中は死の世界っていう風な解釈が多分多いと思うんですけど、
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あの川に落ちるその場面で、やっぱりその落ちた時にはグッと引き込むために、一回静寂を作って、そこから動的な動きを盛り上げるようにガーってやるんですよ。やっぱりその静と動の切り替えが音楽だったり、そのライトだったりで、その演者を変えさずに、その舞台装置だけでその演出するっていうのがすごい面白いなと思って。
私も銀河テレビで見てたやつです。鳥を捕まえる男です。子供の頃はおかしいな、変だなって思ったけど、大人になった時は大好きです。すごいこれ、いろんなものを生物を食べることとかさ、いろんなことをいろんな風に捉えられるように計算して描いてるんですよ。
それだけすごいなと思って。しかも計算を知ってるけど、本人も分かんない、ちょっと事実的な感じで。
分かります。多分結構計算じゃないところも多いかなと思いますね。あくまでも主張はせずに、そうかもしれないというような場面で、こっちに委ねかけてくるなみたいなのは感じましたね。
直感とか無意識とか、そういうのを感じてるけど、それを感じたまま描いた。それが客観的に誰かが見たらこう解釈する。本人も分かってないけど自分はこう感じた。
いろいろこじらせちゃったりしてたみたいですもんね、その本人自体が。そこからのそれを踏まえての表現の場として作品を生み出していって、結果この現代イケる私たちにいろんな考えを巡らせるきっかけで多くの作品を残しているので、素晴らしい人だなと思います。
銀河鉄道も実はすっごい推奨をしてくれるし、ブルターニール博士と語り、最後の最終ポーズを描きたい人材を描きたい。だからそういう、私気になるのはそういう直感の部分と計算の部分。
たぶんその時その時のトレンドがあったりするかなと思ってて、銀河鉄道は海の沈没船のやつ、タイタニックがあったりとか、ある意味トレンドがあってそこに対して思ったことだったりだとか、今までの経験を重ねていって描いたりだったりするかなと思ってて。
詳しく調べてたりしないところがありますけど、たぶん追ってったらこのものに影響されてるんじゃないかとかは、ちゃんと調べたらあるんでしょうね。それこそ本当に自分の身近な生活の中だったりとか、近くに住んでる人の話だったりとか、そういうものもあったりするかなと思いますけど。
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建築関係の勉強をずっとしてるんですけど、建築物を建てるだったりとか、そういうものを作るっていうのが好きで、今はガンプラとか模型とか建築模型だったりとか、そういうものを作るのがすごく楽しくて、それはずっと何かを生み出すっていうものから、子供の頃の体験だったりとか動きだったりから、今の何かを作るっていうところにすごく重きが置いています。
結局は妄想だと思っていて、実現できるとかできないとか置いておいて、まずこうしたら楽しいだろうとか、こうしたら世の中はもっと変わるだろうみたいな、理想でいいので、そういうことから始めて、じゃあそういう理想とかを叶えるためにはまず何をするのかなみたいな、ちょっとずつリアルなスケールに落としていくっていうのが大事かなと思います。
理想系をまず、まず自分が楽しくないと、建築物を建てる時も自分がそこが好きだという場所じゃないと、作った時に何か面白みだったり説得力がないかなと思っているので、まずこうしたら絶対楽しいみたいなビジョンを描くのが大事かなと思います。
最近あった面白い話っていうか、僕がこれから先やろうとしていることがあって、廃止活用を行っていこうと思ってお寺。お寺ってコンビニよりも数多いんですよ。めちゃくちゃあるんですけど、その多くが、一人の住職さんが何個か見てる形が多くて、自分のお寺以外は結構放置になってて、結果的に空いた形になってて、活用ができないような形になってて。
お寺は潰せないんですよ。もともと本段のものなんで、だからただただ空いたものが残ってしまっている状態がこの世の中には続いてしまってて、それを僕はお坊さんの一緒に建築石器を学んできた大学の同期のお坊さんの友達がいるんですよ。
彼はもう2年間修行を大学卒業にして、住職になった。その彼とお寺のそういう現状で、空いたまま置いていると人が住みついたりだったりとか、物が盗まれたりだとか、そういうふうな現状で良くないものが建ててて、街の中のものなのに街に悪影響をもたらすものになっているんですけど、
お寺は本来今ちょっと閣位の高いようなものって思われがちですけど、寺小屋だったり、物を継承する場であったりだとか地域の駆け込み寺だったりとか、もっとローカルな場であったはずなんですけど、それがいつの間にか閣位の高いものになってきてて、今の若者は全然お寺なんか行かないですし、身近なコンビニの場所は知っていてもお寺の場所はわからないほとんどです。
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お寺ってものをもっと街に使えるものに戻していって、それを地域をつなぐ道具としてお寺ってもののあり方をもっと変えていかないといけないよねっていうことを考えていて、それは今動き出していて、この先ちょっと改修をして地域で使える場所としていくつかのパターンも考えられると思うんで、それを考えて地域にお寺をつなぐ場を作っていこうと思っているんですよ。
で、ちょっとそれは期待していてほしいかなと思う。
いや活用とかも言ってますけど、これって結局自分とはちょっとの関係がないみたいな感じで、お寺だったら行けそうだし、変えたらお寺に巡ったり行けるし、すごい良いですね。
なんかね、あくまで公共の場として誰でも来れるような場所として地域の場所として作りたくて、なんか今はね、結構お坊さんが面白いことしようっていうふうなことはね、結構してはいるんですけど、それだいぶソフトによってて、なんかハードで解決するっていうことはあまりされていないので、
なんか、ある意味ハード的に組み替えて、で、結果それを地域の人だったり、来てくれる方に向けて、居心地の良い場所として空間できるように提供していけるようにしようかなと思っています。
ぜひ。
はい、やっていきます。
超ありがとうございました。次回をお楽しみに。大阪ブックラジオ。