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おおさかBookラジオ
押井守 『住み開き 家から始めるコミュニティ』
庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
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庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
庵野秀明監督、です。
言われるお話を作ることができた ことがあくまでも革命家であり
魔法使いだと思うと浅田くんの やってることは魔法使いであり
革命家だと個人的に思う浅田くん の話は古い古いけど早いみんな
知ってたよみんな知ってたはず なのだから突っ込みどころはそんな
昔からやってたやんって思うけど めちゃめちゃ早く昨日から今日
僕が私ができるっていう話を提示 してくれたことによっての早さ
やと思うよね家を開くっていうこと は昔からやってたはずなのに墨
開きってなのにもかかわらず今日 から僕が私ができるんやって思
わせたあの呪文ってすごいよね あの本の本っていうのは呪文や
からああいうことってすごい本人 が思ってるかどうかを押す誰か
に呪文が届いたんよねっていう ふうなことで言うと遠くから見
たらあれは革命家やなって思う 本人は革命するつもりはなくて
ただちょっとしたもやもやした こととかちょっとしたなんか感じ
てることをこの形の中に含めてくれる ことが非常に大事で押井守は何を
したかっていうとちょっとした 形をテレビシリーズの毎週の放送
のうるせえ奴らっていう中に込め たことができたから毎週のように
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放送されると毎週放送されるドラえもん とかもそうインターネットがない
からインターネットがないから 毎週放送されないと本にもなってない
時代やから毎週放送されないと 毎週放送されないとこことここと
も横がつながってないのに毎週 放送されてる毎週放送されてる
毎週放送されてるってなって3ヶ月 ぐらいしてからちょっとしたコミケ
みたいなところでやったらすごい よねとかって言ったり月に1回の
あのアニメ雑誌とかであいつは すごいよねっていうことになる
とすごいっていうことになるって いうことになるとやっぱりテレビ
の能力の時代の人ってことであれ はやっぱり革命家に革命された
人たちの話なんやと僕は思ってる だから浅田くんの住み行きの話
もあれはすごい早いんだよね明日 からできるよっていうことを見て
くれたことがものすごく早かったん やとことですね
その早いは漢字で言うとどっち も早かった
どっちなんやろねあれって感覚 的にはただモヤモヤしてた人が
明日からできるよって思わせて くれたことっていうのは早いっていう
言葉で収まりつくのかどうかも 俺には分からないけど今つかった
からね
明日からできるよって思わせて くれるっていう強度があったっていう
ね強さがあったっていうね向こう の本があるんやから私は明日から
やってもいいんやって思わせる だけの何かがあの本の中にあったん
やと
シン・カメライダーとかシン・ウルトラマン とかシン・ゴジラとかそうですよね
そうそうそれが元々の本名で
でも庵野さんの能力の高さはそこ と混ざってて個人的な話やで
庵野秀明っていう人はものすごく 頭の中に全部の映像が残ってる
人なんですよ
作品見たら分かる
まずは残ってるっていうことを 前提に自分の価値観の中からそれを
取捨選択して全部ガッチャンコ して見せるっていう人なので極論
でいうと映像の中にクリエイティビティ があるただ取捨選択の中にクリエイティビティ
がある
編集に近い
そうそういう能力っていうのは チャゼルララランドの監督とも
とても似てる部分があって
庵野監督は常にすでにあったもの をあの人の中の感覚で映像化した
上で絶対に膨大な量の中から自分の 好きなものだけやりたいと思う
だけをギュッてしてもう一回映像化 して映画にしてるっていうタイプ
だと思うのでその感覚は庵野さん ととても似てるなとは
庵野秀明っていう人は新仮面ライダー の中で一番新しくなったなって
感じたのは今までのものの中から 選ぶんじゃなくてできるだけ自分
で撮ったものの中から選びたい っていう風に変わっていた感じ
が
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ああそうや作り方として
シリーズの中でもあるもんね繋がり とそのブラッシュアップが
自分の中で撮ったものの中であれば どんだけ使ってもいいと思ってる
けど自分が撮ったことがないもの を使うのはできるだけよしと
しないっていう風なバランスが あって知ってるあの映像を撮り
たいと思ういやできるだけそれで 撮りたくない
山ほどの見たことがない映像を いっぱい撮ってその中でできれば
新しいものを使うっていう風な 感覚で新仮面ライダーになってる
ので
シンゴジラのときは知ってるもの の中でできるだけ混ぜていった
よね
でウルトラマンは違う監督が撮 ってるところもあるけども混ざってる
部分があるけど新仮面ライダー は正直面白くないって思った人
が絶対多いはずなのに
面白くないと思ったけどでもあれ って10年後でも多分ね同じ映像
を撮る人はいない
なかなかというか新仮面ライダー がオリジナルでしょうねっていう
ような映像になることが多くて
だから庵野さんの中の美学みたいな 話なんですけどそういう風に見る
と面白いんだけど撮りだけとか いろんなことを見ると
でもその感覚ってある世代の自分 たちの作ったものをどうやって
考え直すかっていう話から考えて いくと僕は村上春樹が好きではない
ので読めないんですけどこの間の 村上春樹の新作って自分の作った
ものの焼き増しなんですよ
焼き増しっていうか自分が作った ものからもう一回ブラッシュアウト
するっていう状況の小説らしい のであのなんとかの街とかって
あの小説である意味で参戦案の人 って
自分の作ったものの中からもう一度 作り直す
誰かからの影響を受けたもので 出来上がった映像はもう自分が
作ったって思ってるのかもしれない ですけど
自分が作ったと思っているもの の中から改めてもう一度純度を
強めるっていう感覚っていうのが 強いのかなぁと
実際今のところyoutubeなり何なり あるといくらでもサンプリング
のように小説なりサンプリング のように映像なりサンプリング
のようにあの音楽なりは作れて しまうので
でもなんでそのサンプリングを したかっていう自分の中に価値が
あると
だから理解があると改めその中から 純度を高めたいっていうものを
作りたいっていう感覚があるん やろうなという感じは
何十日とかまさにそれですもん ね
まあそれはしょうがない
それは昔からのその秘書っていう ルールの中にあるんで
当たり前のようにそれはやって 続けてて
あのさんの仮面ライダーは個人的には 美術作品やと思ってみることになる
なと思って
見終わった後に面白いとかどうか ではないよなぁとは思う
でも工業やし面白いかどうかを 大前提で考えたら
シンゴジラよりは劣ってるよって 思う
でもシンゴジラと仮面ライダー を比べたときに10年後20年後に
どれを元ネタにされるかって言ったら 仮面ライダーの方じゃないんかな
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っていうのが個人的今の感覚
もうしならへんかったらそれまで やけど
ただ最前線にいる個人がものを作る っていう人たちの心のモチベーション
の中に
やっぱり新仮面ライダーを作り たいという気持ちがあったん
やとは思うようにはなった
見終わって面白いとは言い切れ へんねんけど
変な映画やなと思って見終わった っていうのは
感覚としてあって
時間が経ってから思うようになる のはそこかなぁと
ほとんどの人は美術と関わって ないから
だから今面白いかどうかを大事 に考えたらまたちゃうんやけど
僕は新仮面ライダーを5回見に行 ったんで
一発で見に行ったとき意味がわから へん
すごいカドニーも
シンエヴァからゴジラもすごい よかったし
ウルトラマンもなんだかんだすごい 好きで
めっちゃ楽しみにして見に行った 後としては
面白いと思えなかった自分がすごい 嫌で
よくそのままやと思う
その通りやと思うよ
みんな困惑したままカップル とかも
彼氏の顔を伺ってる彼女がずっと 面白かったみたいに言ってたり
とか
自分もすごいそうで
なんかよくわからなかったから とりあえず東映の仮面ライダー
を見たんですよ
はいはい
今youtubeに流れてる
あれを見てある程度した調べも もっかいして見に行ったら
まず庵野さんが自分のおっしゃ ったように
記憶の中から作ってるっていう 意味がすごいわかって
その後からいろいろ出てきたじゃない ですか情熱大陸とか
youtubeでもビハインド公開して たりとか
あの辺見れば見るほどもハマって いき
山田玲司のやつ見たり岡田斗司夫 を見たりってなってったら
いつの間にか僕すごい1号が大好き になってて
3,4回目とかも敵倒してから黙祷 するシーンとかでも
無理でもなんかすごいあーって なるし
で最後のあの2号がなんかバイク 乗っていく時も
なんかこれが仮面ライダーだよな みたいな
あの1話仮面ライダーを見た時と 同じ感情になって
映画を見た後っていうよりなんか 感情がタイムスリップした気分
っていうか
なんかこれは面白いとかでもなんでも ないなって
なんか昔にあったものが今来た みたいな感覚があったから
それが多分今おっしゃった早い って言葉だとすると
僕すごい納得いきます自分の感情
世の中がもう少しゆっくりやったら あんなに早くなくてよかったん
ですよね
でも世の中が早いんですよ
だからああいう映画になって
世の中はもう少しゆっくりなら 違う映画になったやろうなという
気分もある
仮面ライダーって特に集合理仮面 ライダー実写
そうやってずっと来たから余計 に
とか庵野さんは多分漫画はもちろん 読まれてる
もう全部知ってるのに
全部知ってるのに改めて考え直 して
あれに落とさないといけないって 本人が思ったっていうことが
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早いけど戻れっていう意味での 遅いっていう部分と混ざってる
か
の感じかなとは思っているという 感じだと思います
名シーンがあるわけでもなく
かれつい名言があるわけでもなく
2時間見なきゃいけない
なんか君の名はとかなら
ラットウィンプスがかかる瞬間 とか
おーって思ったときに言うとね
2人が繋ぐ瞬間とかが破境なわけ やけど
だからそこを見に来るみたいな のがあるけど
多分そういう意味でサビがない し
なんかあの映画を作るときのいく つかの要素として考えられることは
宇多田ヒカルのpvを作ったって ことの一つはあるなと思ってて
まさに
宇多田ヒカルのpvって宇多田ヒカル から送られてきた素材を作り直した
っていうことが
庵野さんの監督の仕事なんですよ ね
だから庵野さんの意図していない 映像がいっぱい送られてきた上
で
庵野さんがあの映像に
あの音楽に合わせて映像作った できるだけリップシンクしてくれ
って言われたから
リップシンクしてる上で
なので歌ってる瞬間の声は全部 合ってるってことになっている
と
ラジカルとミドリカルリコもしくは 浜南がほぼ同じやなって思える
ぐらいに
あのやばい気配パーカーの女子 っていうのはすごいなぁと思って
パーカーの女子っていうのに
心打たれたよなぁ庵野さんは今 って思ったよな
あの私は今からこう歌えるよって こうやってねあの画面に向かって
喋ってる
画面に向かって喋るって言って 庵野さんに送った映像ってこと
じゃんね
そしてその中で編集を加えるっていう のはあれはおそらく歌の人から
送られてきた映像を作ってる庵野 さんのなんか気分があの映画の
中には一部混ざってるんやろう なとは
じゃないと浜南にパーカー被せない ですよねっていうのが僕の理解
だからいろんな角度でいろんな 機材でいろんなことして
昔からとはゆえそういう部分が ある
でなんかほぼ使わんとか
そう使わない
そうなんですよね
なんかそれで
繋がってるもんね
それでなんか炎上を軽くしてた じゃない
そういうねあれはねあるけど
あれは仕事としてなんだみたいな
仕事としてどうなんかっていうこと と美しさを求める行為っていう
のは
あの同一にならないことが多い ので
そういう意味で庵野さんの今回の 映画に関してめっちゃ美術に近い
ことをしようとしてるんだなって いうか
結果としてそうなる人なんやとは 同じ
新シリーズの中で一番やりたかったことは
一番一番やりたいことに近いと思う
ゴジラは雇われ仕事だし
ウルトラマンは真ん中に立ってるし
仮面ライダーは自由にしていいって言われた結果
現場が混乱するっていう
一番難しいことが起こったんやと思うけど
エヴァはどう思う
エヴァは
あのエンドは世代の皆さんは納得するんですか
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個人的にはその前からそうなると思ってたから
これが2005年に
庵野もよこの書いた漫画の後書きなんや
もうこうなると思ってた
庵野もよこの影響ってやっぱり相当ですか
おそらくそうだと思う
庵野さんっていうパーソナリティから考えると
庵野もよこっていう人のパーソナリティは
でかかったんだろうなぁとは思いますね
どうしても
庵野さんの映像の作り方って
本人の中には
昔から聞いたりとか色々と踏まえれば
オチがないんですよ
極端に言えば
誰かに言われた内容で落としてもいいと思ってるぐらいに
個人がないといえば個人がないし
オチがない
その中で軸を持たないといけないことがあった時に
自分には軸がやっぱり
取捨選択の軸は好き嫌いはあるけど
お話の中での軸というか
大きな軸っていうのは
自分自身がないっていう気配があった時に
庵野もよこと結婚するっていう筋っていうのは
決まったんやと思って
庵野もよこと共にっていうのが
自分の仕事なんだっていうので決まったら
新劇場版の庵野さんの作り方は
庵野もよこと共にという答えに
ものすごく近く進んでいってる感じがします
キャラクターがどうとかではなくて
庵野もよこと共にいっていくのであれば
この答えであると
シン・ゴジラの答えもそうやったと思うんで
こうなったらシン・ナウシカほんと作ってほしいですね
そうね
そういう
シン・ナウシカの
クシャナ殿下が
庵野もよこ感があれば
出来上がると思うし
クシャナ殿下が庵野もよこと違うのであれば
ちょっと違う答えになるような気はしますね
庵野さんにとったら
一番ウケるものを取り作りたいと思うところはあると思うし
それが本人の希望になってるところやと思うので
庵野さんってどちらかというと
本人の中に軸がないので
庵野もよこといたことによって
私は彼女を支えていきたいと思ったっていう
その上で
自分がいるのにも関わらず変化するのではなくて
庵野もよこと欠陥した結果
上乗せされるという風に理解したっていう
この考え方がもう完璧なんです
自分が変わらない
変わらないのに上乗せされるっていう考え方になったってことは
めちゃめちゃデカいですよね
変化の上にもう一個変化を出せたってことやから
そうなるとエンヴァンゲリオンのエンディングになるやろうなというのは
2005年の段階で
想像は個人的にはしてて
だからあのままになるわなっていうのは
あれじゃない変化になってたら
わーって思ったけど
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あのままやったってことは
庵野もよこと庵野さんの関係性は悪くはなかった
庵野さんはそのような考え方をしてるんやなと
劇場版以前の旧の個体とか
その前の巨人兵東京に現るとか
あのあたりの個体の出し方
やっぱシンゴジラの個体の出し方は
庵野さんの中にはなかったけど
新しく庵野もよことを好きに出た
個体なんかなっていうような感覚は読んでた
でもそれは個人的な勘やし
個体に出るかどうかは分かれへんし
でもどっちでもいいんですよ
もう20年30年新しくこの人の作品がもし見れるのであれば
楽しいなと思って言ってられるっていう個体なので感じてた
2005年とかでこの本が出たって今見たけど
やっぱり発表される10年以上前から
そうなるだろうなと思って
めっちゃ納得しました読んで
こんな存在やったんや
言うときどんだけ鬱になったかどうかとか関係なく
やっぱりパートナーが変わってないならそうなるよって思ってて
一個軸ができるとやっぱり話が早くなるってますよね
主者選択の答えが早くなるから
こっちはしないとかこっちだけをしようとか
そういう話は早くなると思うので
監督とかしやすくなったかなと
でもねこんな監督さんは正直いないんだね
だから同じような考え方で他の監督見ても仕方がないし
こんな個人的に作っていいんすか?
周りにそういうことが起こるんよっていうことしか言いようがないよね
なるほどそうか
だから仕方ないのか
それを好きやと思ってしまった人たちがそれなりの量いたら
出来上がってしまうから
その人の人生に寄り添うんじゃないけども
そういう考え方かなと思うから
個人的にはこれも見てるし
あの日焼けを見てれば押井守も見てるし
その他の各個人の富野さん、富野由悠季のガンダムも見てるし
その他も見てるけど
それとは別でアニメの大きな文脈みたいなのも
個人的には見てる部分もあるので
そんな世界がどんな変化をするのかなと思う
っていうのが古本屋さんを知ると
思い入れをちょっとだけ遠くしないといけない
ヤバい人たちに寄り添ったらヤバくなるから
自分もおかしくなる
だからこの人の政策に偏ってたらおかしくなると思うけど
何も関係がない
高校生の時にエヴァンギルを見てしまったっていう
自分のゴーみたいなのと関わってるだけなので
エヴァをアニメで見てた人たちが大人に会ったエヴァを見るとか
生でこの人の生き様を追ってたんだっていう感覚が多分ないというか
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それはしょうがないし
またあるんよきっと自分の知ってる中で
何か追いかけてるものが
あと10年後くらいにしたらそうやったんやって思うのに
出会ってることはあると思うので
それはどれなんだろうと思って改めて考えてみたらいいじゃないですか
だって高校生の時にエヴァンギルを見て
20年も30年も付き合うなんて思ってなかったよ
でも付き合うしかないわって思ったっていうのが
そういうのはやりたいな俺
そういうものに実は出会ってる可能性もある
時間経ってからじゃないと分からないから
あるねあるね
あんねんけど自分が今どのところに巻き込まれてるかということが
巻き込まれてるよく分からない
あーそっか
エヴァと一緒付き合うんやって見てきたわけじゃなくて
見続けてた