1. 空地的ジンブン学
  2. #7 三宅唱監督「ケイコ 目を..
2022-12-22 38:04

#7 三宅唱監督「ケイコ 目を澄ませて」を観る。

話題の新作を観て存分に語っています。●note開設しましたhttps://note.com/openspace_zine
00:00
今、撮り始めました。藤原です。松崎です。中村です。
というわけで、今日、稽古を目を澄ませて、見てきましたが、それについて話し合っていこうなどと。
すいませんね、まず俺が映画の時間をね、伝えるのをミスっちゃって。
そうですね。10時50分から渋谷ユーロスペースって聞いてたら、10時15分だったということですね。
50分足でした。
いやー、前日に怪しいなと思ったよ。
ウェブサイト見た。
ずるい。後出しじゃんけんは。
いや、俺は適当に松崎信用者だから。
すごい、それもなんかずるいぞ。信用してたからずるいぞ。
ということで、新宿でね、タイトル新宿で見てきたんですが。
いやー、良かったね。
どうですか?
感想、もう俺何も話したくねーよ。
あ、そう。
何も話したくねーよ。
撮っておきたいよ、自分の中で。
言っちゃうと魔法が解けちゃうかも。
一歩引いた自分になってはいけないなって。
いろいろ話したいことはあるんだが。
じゃあちょっと藤村くんから話してよ。
映画自体は、まあまあ良かったかな。
俺マジで偉そうだな、こいつ。
すっげー良かったな。
なんならマジで俺の方がオールテンベスト普通に5位以内に食い込んでるかもしれない。
俺も5位以内に入るな。
オールテンベスト普通に良かったな。
16ミリフィルムで撮ってるなっていうのは結構俺の中ではあったな。
それは多分みんなあったんじゃないかな。
基本的に舞台が2020年。
基本的に登場人物がマスクをしている映画っていうのを僕は見てなかったので。
そこはなんか一つ面白いなと思って。
そこは良かったよな普通に。
2020年で荒川辺りの周辺の地域を元に舞台にしてて。
それがうまく機能してるんですよね。
インタビューでもあったんだけど。
その時代を切り取る。
街を記録するっていうことがやってみたかったっていうことが書いてあって。
そういう意味で2020年の今のコロナ時代における生活が始まった時代に。
もちろん作中でも荒川の再開発の話があり。
っていうのがうまく機能してるなって思いました。
あとマスクっていうのが主人公が耳を聞こえないっていうことでマスクを外して
独身的な会話のシーンとかもあったりして。
そこがなるほどよくできてるなと思った。
確かにそうだよね。
ちなみにこの会話ってネタバレあり?なし?
あり。
ネタバレするような映画でもないんじゃない?
確かに。
俺はそのマスクを効果的に使ってるなっていうのは
一つ面白いと思ったんだが
この映画の一番いいところは
様々な葛藤や耳が聞こえないっていうことが前提になってることだなと思ったんだよね。
耳が聞こえないこととボクシングをやるということが
03:01
そこに葛藤を物語に精を見出さないことが
前提としてある感じがいいなと思った。
その稽古の物語の中で稽古もいろんな感情が動くんだけど
耳を聞こえないこととボクシングをやってることが前提になってるんだよね。
そこが俺はすごくいいなと思った。
俺はそれと並べたいのは今年のアカデミー作品集を撮ったコーナーなんだけど
コーナーは逆に主人公が耳が聞こえる
他の家族が全員耳が聞こえない
っていう過程で生まれた子供の話なんだけど
あれもそういう前提における葛藤なんだけど
逆にあれはちょっとしたアメリカ映画的な演出があり
あれはいいものよ。本当にオールドスクールなアメリカ映画的な雰囲気もあるから
物語もすごく大きな話だし、葛藤もあるんだけど
それが今回はミニシアター系の映画でもあって
そういうところがなく淡々と進んでいくのが
本当にいい日本映画って感じがしたな。
話したいことをどんどん続けていくと
あと絵作りが結構特徴なんだよね
基本的に16ミリフィルムで撮ってるから
特にインタビューにも着目してほしいと
岸井幸野が挙げてたんだけど
ジムの埃、そのジムの古い街並みの中の
古いジムの質感っていうのを見てほしいっていうのがあって
フィルムは光と影の感じがより強く出てて
そこが面白いところだなって思った
16ミリフィルムになると
シンプルに原理として精細さが減るわけじゃん
でもその分輪郭が浮き上がってくる感じがする
輪郭が浮き上がるというか
目を細めて見た時みたいな、分かる?街を
フィルター越しで見てる感じ
質感はいいよね、デジタルに比べると
デジタルでもフィルムよりの効果的な
フィルム効果のあるような映像を撮れるようになってるとはいえ
16ミリフィルムになるとやっぱり
素人で見て分かる感じだったよね
明らかにフィルムで撮ってるっていう
俺がまず面白いなと思ったのは
2020年の街を、2020年を切り取りたいっていうか
今の時代だからこそどうあるべきかっていうので
あの作品が作られているのに
フィルムで撮ってるっていうのが
面白いところだなと思ったんだけど
インタビューの中では
フィルムの一回生
何度も何度もリテイクができないとか
現実的な撮影の制限がある中でやっていくのが
面白かったみたいなことが書いてあって
それも一つ面白いところだなと思った
で、でもやっぱね
俺がね、一番の特徴だなと思ったのは
ショットのフィックスなんだよな
俺は前半、最初のところで
30分くらいかな
なんでこんな引きで撮ってるんだろうとか思ってたんだけど
引きが多かった
06:00
引きっていうか
そもそもね
画角を固定してるのもあるんだから
いろんなものを映してるなと思ったんだよ
例えば朝
けいこが起きて
けいこが帰ってくる時でもいいんだが
けいこが階段を上がってアパートに入っていく
ところも階段のところから奥から撮ってるし
そこでいちいち割らないし
けいこが朝ランニングするために家を出る時も
玄関から奥で
弟の寝てるところの電気を消して出てくるところを奥で撮ってるし
けいこが走っていくところも
街の上から撮ってるんだよね
けいこ自体の姿は本当に探さないと見えないような感じなんだ
それは
俺は割ってみると
街がテーマだと思って
なるほどなと思って
だからこそアップが効果的になる時もあるんだよね
そこがなんか面白いなと思った
確かに
数あるアップはそういう印象あったね
だからこそアップが印象的になると思って
であとね
これも面白いと思ったのが
今までボクシング映画を見てくると
もっと
試合のところをもっと割るのよ
もっと試合を劇的に見せるんじゃないかなと思ってた
そこがなんかね特徴的だなと思ったのが
例えば
僕がボクシング映画
一番好きなのがマーティス・コース選手のレイジングブルーって作品なんだけど
あれは試合のシーンがもう
映画史に残るって言われてるくらい
すごいのよ
もう四六の映画なんだけど
まずそもそもリングに上がるまで
視界図からリングに上がるまでが1分以上の長回しで
ワンショットで撮ってて
その試合のシーンも血しぶきが上がったり
汗が飛び散ったり
照明が上がったりっていうのをすごく効果的に撮ってるの
そういうボクシング映画が余ったって
そういう文脈で撮るのかと思いきや
結構引きで撮ってるだけのやつが多いんだよね
あとまぁ女性ボクシングだから
プロになったばかりの女性ボクシングだから
そんな派手な試合じゃないっていうのもあるんだけど
なんかそこら辺のカメラワークがあれなのは
俺はね
途中でそのカットの説明があったんだけど
あれが配信だからなんだなと思ったのよ
最後の試合あれ配信で弟とか見てたでしょ知り合いとか
あれはやっぱり
その配信的な見方っていうか
それが同時代的だなと思って面白いと思ったんだよね
そうだね
そっかでもなんか特になかったな
引いてるなって印象が俺は
俺はすごい見やすかったよ
結構引いてた
てかねなんて言うんだろう
いわゆるアメリカ映画的説明なカットがないな
そこがね俺ねいいと思う
結構ね継ぎ目にあるんだよね
そういう意味ですごいミニマルじゃん
そうそうそうそう
ミニマルだなと思って
それがねなんかね
多分フィルム関係してると
制限にとれる感じがないっていうか
引いてたかな確かに
引いてたってか
なんて言うんだろうね
09:00
ロングショットって言うわけでもないけど
エスタブリッシュなショットが多いなっていう
感じはした
なんかすごく
あの
まあ耳が聞こえないボクシングが
日常に溶け込んでいるように
傾向にアップするんじゃなくて
傾向も街に溶け込んでいるみたいな感覚を
すごい覚えたんだよね俺は
肺が多かったよねだから
確かにそれは分かるけど
俺そういう
あーなるほどな
俺の中でそれが引くって言葉とは特に繋がってなかった
なんかこう全体が
世界が肝心の方の世界が映ってるなと思った
でもなんかカメラとしてそんなにグッと
引いてるイメージはないな
ちゃんと傾向を主軸に捉えてるな
それ思ったよ
引いてるって言い方があれだけど
説明の仕様が難しくて
分かる分かる
とりあえず広めで撮ってるっていうか
でもなんかあくまでもやっぱ傾向を
探すようにできてはいるよね
例えばさっきの
アパート帰るところの
まず掃除のおじさんがいて
掃除のおじさんが何かに気づいて結構分かってくる
だからやっぱこれ結局傾向を
ちゃんと主軸で捉えて
撮ってるなとは思ったね
そこのシーンいいよ
あそこいいね
すごい
説明がいやらしくないやっぱり
そうね
なんかあれだよな
普通の一般人っていう
割とフラットなところの
人が傾向を気づかせるっていう
多分あのおじさんが
観客でもあんだろうな
観客的でもあんだと思う
観客が傾向を見つけるのと
同じ角度で見つけるみたいな
そういうなんか観客の視点を
誘導する同じ立場として
あのおじさんいるような
あと
これはインタビューを持って
確かになと思ったんだが
やっぱ環境音がデカいよね
そうだね
俺はねそこがね
なんかすごく
三宅監督の紳士な部分が出てるっていうか
あの映画館でテアトルで見たんだけど
それもね音響も良かったしね
音響いいからね
結局俺らが稽古に感情移入していくんじゃなくて
少なくとも
映画を見る人は様々だが
僕は耳が聞こえる人間で
聴覚のある人間なんで
その感じで見ていく
その感じで没入していくことによって
より自然にコミュニケーションが取れるようになる
っていうか稽古と
そうだよね
稽古が確かなところがいいんだよね
稽古に移入していく部分はあるんだけど
稽古の進捗もあんまり説明されない
稽古を話さないから
稽古が基本的に文章を書いたりとか
手話とかなんだけど
手話も基本的に
手話で耳が聞こえない友達同士で
カフェで話してるところとかも
その話してる内容は分からないんだけど
会話の雰囲気は分かったりとか
実際の感じがすごく
いいんじゃないかなと思うんだよね
そうだね
確かに
むしろ稽古が耳が聞こえないからこっちが耳が聞こえるんだ
っていうことが観客に意識されるんだ
そうだね
やっぱ耳が聞こえない主役って緊張感がずっとあって
こっちは耳が聞こえて
そうそう
そう
で、インタビュー的には
三宅さんとか最初の10分をかなり意識して映画を作ってるらしくて
12:01
で、その最初の10分で音が
最初はジムがさ
ジムの説明から入って
ジムのこのパンパンっていう
ミッド打つ音とか
っていうのがこう強くリズム的に入ってきて
こっちもそれに感覚が飛び澄まされてくる
で、その次に
あの
稽古が
物を書いてる
で、そこで氷を噛む音で入るんだよね
本編で
氷をガリって噛む音
あれやたら大きかったじゃない
大きかった
あれで入ってくるじゃない
そういうことにこっちが感覚を
飛び澄まされていくこと自体が
稽古が
目を澄ませていくことと同義
っていう構造なんだと思うんだよね
たぶんこういうさ
将来がある人を描くのってさ
あれじゃん
24時間テレビガチみたいになりがちじゃん
女のみんなちょうだいみたいな
そういうのに使われがちだけどやっぱ
たぶん稽古があくまで他者であることを
そういうストーリーで
自分がそこには結局こう
立ち入れないっていうことが大事なんだろうな
それがこの映画のその距離感がちょうどいいんだと思う
そういうセリフあったしね
あと
まあ
その
群像感もあるよね
ちょっとこう
ごめん
だからこうなんて言うんだろう
会長とかさ
いろんな周りが稽古を見る中で
母親とか
そういう人の気持ちにも立とうと思って
そういうこともできるし
その人たちの物語があり
稽古の物語がありっていうのが
いい感じだよね
そこ丁寧だったねすごい
あの
そう
その通りなんだけど
誰かの一人にピンスポット当ててるわけではなくて
っていうのがすごい丁寧だったね
ずっと画面の最後にその人を映してそこでとかあったし
ちゃんと世界全体が見えてる感じがあって
だからやっぱり
そういう意味でなんか
いい意味で引きなんだよね
基本的には
引きって言い方が正しいのかわからないけど
あれなんだろう
Googleマップじゃないけど
往復いる中で稽古にピンを立てるだけなんだよね
そういう感じにするかもね
全体いろんな人がいる中でそれぞれ人生があって
例えばすぐジム辞めちゃう彼が行ける
そういうわけじゃん
早めに
そういう後はもちろんね
コーチたちとかもいるで
そういう人生
最後コーチの娘映ってる
で撮影するじゃん
あれはそうじゃない
でも出てこないじゃん
それ以外に
だって会場には子供がいないもん
特に出てこないじゃん
あのシーンだけで娘映ってくるけど
あのシーンいいなそう思うと
引っ越しの手伝いしてたりする
ああいうちゃんとそれぞれの人のドラマが
ちゃんとこう
人生が並列で描かれてる中で
ただ今回はその
稽古にピンが立ってるっていう
風な見方ができるのもいいよな
あとそういういろんな意味で
いちいち大げさな演出がないよね
人々の葛藤や人生に
15:01
やっぱりうるせえ感はないね
うるせえ感がない
それはすごい
こういうものってうるせえ感出がちじゃんやっぱり
さっきから何度も言ってるけど
うるせえよってなるよね
うるせえよってあんまり
そう言いにくいしね
こういうジャンルは
うるせえよって
だからその
耳が聞こえないことを
ドラマ化することによって
逆に他者性が浮き彫りになっちゃうじゃない
こっち側からの暴力性も払うし
彼らを特別視すること自体が
我々のこれからの社会に対して
あちらとして正しいのかっていう部分もあるので
そこら辺が面白いと思う
そういう意味では
階段のところで人にぶつかるシーンも
割と印象的だったね
1回目は
大人の親父にぶつかって
でもその声聞こえず
慶子は立ち勝って
2回目カップルっていうか
夫婦
夫婦にぶつかるっていう
あの流れもすごい
そういう意味では有機的だったよね
そこら辺がやっぱり慶子にとって
日常であるっていうのがいいよね
慶子はそれに対してどうこうって
そこでドラマが起きるんじゃなくて
慶子はそういうことを日常的に繰り返してる
っていう感じが
コンビニとかね
そう
コンビニのところもすごかった
慶子はすげーよな
なんかちょっとあれずれちゃうけどさ
普通にただ慶子の日々を定点観測的に映してるだけでさ
ちゃんとドラマになってるってさ
いやーあれ俺ショットが強いと思うよ
映画ってね
いや多分意外と映画もストーリーじゃねえのかもしんないなとか
ちょっと今日思ってた
うん俺も思った
なんかこう淡々とそのものを続けていくだけで
ちゃんと見れるものになってる
なんか絵にすごい緊張感がある
逆に淡々としたところに何かを見出した結果だからじゃないの
それをなんかさ
大げさに映してないだけで
淡々としたところに何かを見出す力があれば
ちゃんとできるって感じもある
いやっていうか多分そういうことなんだよ
俺が言いたいのも
その
なんだろうな俺愛がなんだが良かったのも実は同じ理由でさ
愛がなんだって
ストーリーもいいんだけど
公園で弁当か何か食ってるシーンなんだよね
それもこれ岸井幸野だねこっちも
それいいんだけど公園で弁当食ってるのちょっと遠目に撮ってるんだけど
そういえば弁当食うシーンってめっちゃいいよなと思ったの
多分日常を活かすことでむしろ日常感がさ
感が強まるみたいな
そういうなんだろうこう
ちゃんと日常を凝視することでさ
日常の中にドラマがあるんだってことを発見したんだなっていうのが
俺が愛がなんだが良かった理由なんだけど
でも傾向もそれがあるかなそういうイメージは
なるほど
うんやっぱり
ちゃんと真正面から描くことで
実は日常の中にもそういうね
なんだろういろんな感情とかを救い上げられてるのかもしれない
あと基本的にボクシングや暴力が
一般的な人間の中では以下されてるんだけど
傾向の中ではこの前提になってるってところもなんか俺はいいと思う
そこの説得力強かった
その弟がやっぱ殴ったり殴られたりするの怖くないみたいなこと言った時に
傾向には怖いって決まってるでしょって返すところがあるんだけど
そこでやっぱなんかこう傾向の中では前提になってんだなっていう
それはこう普通の
18:01
ボクシング映画もボクシングに対するいろんな切り取り方があるんだけど
そういう意味では面白いなと思った
全員誰も超人じゃないのがいいよね
そう
でコーダーまたコーダーの話をすると
コーダーはネタバレになってしまうんだけど
コーダーは主人公が音楽を誇らす話なんだよね
耳が聞こえる女の子が
なんだけど途中でその家族を呼ぶところから
家族を音楽会に学校の発表会に呼ぶ時があって
その時にすげー綺麗な歌が流れてすげー音楽に観客が感動する中で
家族のショットがアップになった時に音がバッて消えるっていうエッセンスがあるんだよね
いいね
それもまあ面白かったんだけど
今回は逆に聞こえない女の子が主人公だからこそっていうのはあるなと思った
なるほどな
音すごい有機的だったよね
そういう意味で見て面白さはあったよね
結構聞いてるとわかるんだけどね
タイマーないんだよねずっと
流れがすごいある
ショットの流れと音の流れがこう同一だから
すごいこうなんだ
音楽聞いてるみたいな感じで安心して聞けるっていうのはある
見てないっていうのはあったね
そうそう
90分っていうのも良かったかもね
あんまダレる感じがないっていうか
淡々としてて
でちょっと最後らへんの日記のところでグッといきなり語る必要が来る感じもあるんだから
なんなら日記のところで終わっちゃってもいいかもなと思ったけどね
試合行かなくてもいいんじゃないの?と思ったら
試合行ったわ
と思ったけど歌入って終わるよりも歌無しで終わった方が良かったから
そういう意味ではそのままちょっとダラッと続けて終わるっていうのもあの映画っぽいなと思った
日記で終わっちゃってもいいなと思ったのと
あと配信の最後の試合が終わった後に会長が車椅子漕ぐところで終わってもいいなと思った
と思ったら最後の岸由紀の表情がすごくて
なるほどなと思った
最後俺ここで終わるのかと思ったら終わってなんか俺的には
パーフェクトだったね
ハマった?
あそこだなと思った
いやー俺結構エンディング好きだなやっぱり
あそこでだからコンセプト分かりやすいよね
エンディングがちょっと良すぎたよね
エンディング良すぎて流れがすごく綺麗だったしね
100人中100人いってるエンディング
あのエンディングの作りは良いね
綺麗だしやっぱでも歌使わないっていうのが良かったな
街のショットだけ並べてってね
ずるいよと思った
街の音だけね
あれをやっていいっていうまでの宮城ちゃんとキャリア積んできたのずるいよと思った
道当たり系っていうのが俺は逆に良さ出してるなと思った
あれは東宝シリーズは大手しねこんでやるような映画ではないし
なんだ見る側もね結構大変だと思うんだよ
疲れたね映画はそういう意味では
見る側にも一緒に素質はちょっと求められてる部分もあるかもしれない
21:02
こっちも画面と耳を澄ませる必要があるから
いわゆるしねこんでやるような映画じゃないからこその良さもあるなと思った
それに規模感だなと思う
その演出がなさすぎてもなくてもいいっていうのも規模感だなと思う
確かに
良い規模感だったと思う
東京でも4巻しかやってないんだっけ
今はね
なるべく長くはやってほしいですね
これから広がるかなぐらい最初は4巻ぐらいなのがなんか俺いいなと思った
まあマイナーだしね
いやーちょっと良かったな
普通に
俺見終わった後だって空見上げてうわーめっちゃ良かったなーって俺一人言ってたもんね
お前がタバコ吸ってる間
でもこの撮影時期がいつなのか分かんないんだけど
今公開されてるってことで
ちゃんと2020年ぐらいか2021年とかに撮ってる
俺はそのなんか映画っていうものの共持性ってこういうことかと思ってさ
同時代性っていうか
映画が一つの記録映像として残ってるっていうのはあれはなんかね
多分ね今これからの時代がどうなっていくのか分かんないけど
10年後見たらまた違う要素あるんだろうなーって思う
まあそれもあるだろうし
あとあれだよななんか
やっぱ今コロナがないの撮るのって嘘になっちゃう気もするじゃん
それがすごい今コロナがあるっていう全然撮る方がすごい自然なんだなってなんか思った
だってなんか自然に入ってきたじゃんコロナあるってこと
特に違和感もなく
俺はちょっと映画だからびっくりしちゃったけどね
俺は最初はパッと思ってたんだけど
映画でマスクしてるって思った
俺はもう逆が起きてるからさ
昔の映画の映像とか見てさ
お前らマスクしてんじゃないよ危ない危ないってめっちゃ一瞬思っちゃうんだよ
昔のロッキンの映像とか
ギリギリのやつがねそう思うんだよ
2021とかの
俺はこの前2003年とかのアジカン見ても
なんでこんなマスクしてないんだよって一瞬チラッと思ったんだよねやっぱ
だからそういう意味で俺はちゃんとマスクをしてることを
撮った方が真摯っていうか嘘がないなと思った
多分そういうところで非常に物語的じゃなく撮ってんのがいいんだろうな
全体的に物語的じゃないじゃん
作ってる感がない
リアルに実体あるものとして向き合うべきなんだっていう姿勢が出てるよね
そこに脚色をしたい変に物語性を生み出すのではなく
あるがままとしてのドラマ性というか
そういう意味でこのリアルを描く的な作品ではないかもしれないけど
一緒のリアリティはあるよ
基本使わなかったりとかね
これもあれなんだろうな多分
ちょっとずらすことで位相が違って見えるとか
だから16フィルムってのもあるじゃないかな
普通の映画的な映像撮ったら
たわいもなさすぎるけど
16で撮ることでちょっと距離感とかが
映っても変わるから
見え方が変わってくるみたいなのもあるんだろうな
24:00
あと単純に環境音ちょっと大きくするだけでさ
警告アパートから入って
自分の部屋入ってさ
ドア閉めた瞬間に外の音がミュートされるじゃん
あれも負担あるけどさ
映画でわざと音を大きくしてるから気づくじゃん
全体的にフィルムの選択とかも
気づきが得られるっていうか
気づきが生まれるようになってるのかもしれない
大きく演出されないからこそ
当たり前な耳が聞こえないという事実って
俺いいと思ったんだよな
あの扇風機のタイマーで目を覚ますシーンすごいなと思った
あれ普通にやってんだもんな
そこら辺を調べてる
ちゃんとした向き合い方をしてるっていうのが
逆にステルゴタイプじゃない
あれはなんとなくじゃ作れないなと思った
朝タイマー聞こえないからね
扇風機のタイマーで風で目が覚めるっていうの
そういうシーンはいっぱいあったね
やっぱ書くところもそうだし
書くだけじゃなくて
書いた後にさ
時間差がいいよね
時間差がぽいなと思って
結構ちゃんと間を空けてから話すじゃん
でもそういうもんなのかなと思ったよね見てて
言葉の重みが多分さ
ちょっと違うのよ話すことと書くことだから
書くともう一回ペンを入れて書かないといけないから
一旦落ち着いてからもう一回書くみたいな流れが
すごいリアリティがあるかどうかわからないけど
そういう風には感じられたな
あと傾向への語りかけ方も人それぞれだったところが
弟は手話ができて
手話を覚えようとする人もいれば
仕事先で手話を覚えてくれてる人がいて
それが全く関係なしにしてる仕事をしてる人もいて
事務では当たり前にやってたりとか
っていうところが面白いなと思った
でもなんかいいところはさ
どれが一番伝わってるとかじゃないんだよね
見てると
どれも均一には結構場所には届いてるなっていう感じがする
手話を一切使わない会長とか
会長と手話を使う弟の声どっちが近いかといっても
比べられない感じがね
すごいいいところであって
そこがなんかそういうコミュニケーションに頼らない
稽古の人との接し方っていう感じがあるかな
稽古にとっては周りが手話を使わないことが当たり前なわけだから
全体的にあれだよな
対立構造とか構図を作ってないってことなんだろうな
物語が生まれるような構図を作ったりできるけど
そういうことを何もしない
それぞれの人がそれぞれ普通に生きてるのが
交わり合ってるみたいな書き方なのがいいんだろうな
新しいジムとかってさ
普通のスポッコンとかだとさ
嫌な感じで描いたりできるじゃん
27:01
あれもその人も普通に
それの人なりに稽古に接しようとしてるみたいな
全体的に善とか悪とか
そういう二項対立じゃないことがいいんだろうな
二項対立にしちゃってないところがいいんだと思う
単純に落とし込んでないよね
ジム辞めたやつもさ
辞める理由がさ
わかる?
普通のだからいわゆるスポッコンだとさ
不真面目にやるか
他流に行くかじゃん
あそこだと他流に行くとはあるけれども
その怠惰な姿をその前に我々は見てるわけじゃん
っていう流れがあるし
その後稽古も同じようなことをするから
二項対立っぽく見えて
二項対立じゃないっていう
あと稽古自体には
ジムがなくなるとか
ボクシングを続けるか続けないかとか
家族がどう思ってるとか
いろんなことの物語があるんだけど
それが前面に出てこないんだよね
それが街に溶け込んでるショットもそうなんだけど
全体的な大きな登場人物の物語の中に溶け込んでるんだよね
稽古の葛藤自体が
あの映画撮るのめっちゃ大変だなと思うと
シナリオむずそうだな
シナリオ読みてないな
どうなってんの
めっちゃ読みたいな
逆にむずいよね
物語は結構あると思うんだよねこれは
稽古が最初の試合を
物語が前提になってるってとこもあるけど
稽古が最初の試合して勝って
ジムが閉鎖して次の試合があって
みたいなところが結構物語はあるんだけど
そこが自然なんだよね
多分順当にいってるんだよ全てが
だからそこに例えばこう
いろいろこの方法論的なよく言うけど
最初に何か獲得してあるいは喪失して
それを回復するとか
獲得したから喪失してまた違ったものを獲得するとか
途中で何か邪魔が入るとか
そういうのじゃなくて日記的に
本当に稽古がこのジムのトレーニングの日記をつけるように日々が進んでって
試合を迎えていくっていう感じが
本当に我々の生活のごとくというか
そこギリギリ触れないんだよね
日記をギリギリ超えないあたりでこう来るんだよ
やっぱ良かったな
どこのカットが一番良かった?
普通に良かったですよ
俺はあれ
病院から帰ってきた会長と会長の妻が
歩いてくるとこで橋渡るところで電車がかぶってる
あそこ良かった
あれはみんな良いって言うでしょ
ゆっくり歩く老人と
その夫婦の姿と
我々が見てる16フィルムの画面と
後ろの電車の
配置じゃないんだよね
配置が良かった
すごい荒川のあたりのところをよく理解して撮ってるっていうか
30:04
ちゃんとご批判してる感じが
無情感が良いよな
別にだって本当はあそこ撮りたいじゃない?夫婦
夫婦にスポット開けて会話とか撮れるのに
そこに被ってきちゃうっていうのが
そういうもんじゃんみたいな
だからやっぱ手抜いてないよね
世界って
病院のロビーで
妻が夫のジップを開けるシーンすごい覚えてるんだけど
あそこのシーン俺すごい良かったなと思うんだよ
あそこもだからすごい
説明の量がちょうどいいよ
関係性が一瞬で分かる
自然なんだよね
全部こう自然
すごい良いと思う
あれだね
結局物語がスムーズに進むために
いらない要素を排除しちゃわないことが良いんだろうな
それが自然に繋がるっていうか
それは多分ね結構意識してるんだと思うんだよね
昔の映像を見た時に
監督が昔の映画を見た時に
こんなのあったなって映り込んでるものを見て思う
そういう映り込んでるものに対する
時代の強制性みたいなのが結構感じるっていうことで
映り込んでるものに対しても
全部意図的なんだろうけど
あれ良かったよね
いきなり正規
いきなり正規
覚えてない?
稽古が行き前歩くシーンで遠目に撮るじゃん
最後いきなり正規いきなり数まで映ってきてるんだけど
めっちゃ看板が映ってんだよね
看板とか
俺めっちゃいきなり正規気になっちゃった
俺がね映画で割と
そういう風景のいきなり正規が映画の中に映る時にさ
いきなり正規って良いよなってなるでしょ
別に好きじゃないのに
そういう見方が変わるみたいなのがあるから
看板とか結構気にしちゃうんだけど
良かったよいきなり正規が映ってんのが
めっちゃ切り取ってんな
それすごい自然じゃん
いきなり正規って最近増えて
ちょっと減ってきてる
どこにでもできちゃったもん
それで言うと俺オイコスも良かったよ
コンビニでオイコス買うシーン
全部そういう同時代性じゃないけど
そういうのがノイズじゃん
言ってしまえば
でも実はそこまで
今があるっていうのが
撮れてるのが良いなって思ったな
ショットは
ごめんショットはちょっと
思い浮かぶのが
全体的に割と似た感じの
雰囲気のショットが多くて
でもさっき
引いてるっていう話をしたんだけど
引いてるっていうか街に溶け込んでる感じが
すごいするって言ったんだけど
最後のシーンで
岸行のアップが
バンと長くあるんだが
そこは
良いなと思った
画面動かさずと
岸行の
稽古自体が
33:01
感情なり動いていて
それが映像からビシビシに伝わってきて
最後
対戦相手が出てきて
その後川のところを駆け上がって
走っていくところで終わるんだけど
そこのね俺ね
テンポ感が良いなと思った
土手を駆け上がるってこういうテンポ感だよな
あそこの終わり方からの
最後までの流れは凄かったね
土手の駆け上がりって
こういう感じだよなってあの駆け上がり方
本当に
本当に良いって思ったね
あと最後に残るのが通行人なのも良いよな
そう
通行に映り込んでるの良いよね
出してるんだろうが
いやー
出すの良いよな
あとね
普通にね日記のところで
日記のところで
それじゃなくて
話してる会長の奥さんが会長に
読み貸してるってところが
基本なんだけど
会長とさ帽子のやり取りが
あったじゃん
あそこのシーンは見事に会長の傾向に
対する考えみたいな
気持ちみたいなところが出てて
あと傾向の会長に対する気持ちみたいなのが出てて
あれは普通になんか
普通に良いシーンっていうか
逆側に被らされてでも最後
普通に戻してるっていうところが
稽古の人も出てるし
会長の人も出てるし
最後のカットでもちろん稽古はその帽子を
被っててっていうのがなんか良いな
と思って
それはなんか
会長の選手に
所属してる選手に対する
考え方とかっていうのも出てて
良いなと思うね
そこがやっぱ稽古がジム辞めようって思って
言いに行った時にさ
視力悪くなった会長が目めっちゃ近づけて
稽古の試合見てるとかさ
そういうところが
そこら辺はすごく良い物語性があるというか
感じがしたなって
そのシーン良かったな
ショットで言うとでも
やっぱりさっきの言ってることは延長になるけど
元試合相手と会うシーンは
俺結構好きだよ
上から見て
稽古側から上から撮って下に立って
元試合相手の工事員
作業員かなんかしてんのかな
あそこもだから物語性ないの
めちゃくちゃ良いなと思ったのよ
通り過ぎていくだけで
それを見下ろして
稽古
画面外に行くんだけど
っていう流れが
この稽古が
いなくなった状態
なんだ
俺らの視点とすごい合ってる気がした
合うっていうのが結構物語やってきたなって
俺ちょっと思ったけど
いきなりちょっと違和感あったっていうか
そこはね
そこはちょっと
潰ってるなって感じはした
あの意外性さえも
現実って意外なもんじゃんと思って
あと俺あそこですごいって思ったのが
ロングショットがなかった
あそこ稽古と
試合相手の
位置換気を示すショットがなかった記憶があるんだけど
稽古が
気づいたらもう目の前から
36:01
対戦相手が来るのよ
だから稽古が
土手のどこの辺に座ってて
試合相手がどこにいるのかってところが
分かんないまま出会うのよ二人は
そこの説明のショットがないっていうのが
説明のショットがないから
こそいいなっていうか
確かにな
あと俺結構全体的に
ちゃんと空舞台映してたよね
人がいなくなった後の
あのところが
稽古が
いなくなった後のところでも
ちゃんと何コマか
ちゃんとそのショットが続いて
カットに行くっていうのがあって
それが全体的にその編集をしっかり丁寧に
やってるからこそ
全体としてのテンポ感がいいなって結構空舞台
映ってるなと思った
なるほど
テンポ感?そろそろ時間なんですね
そんな喋ってる?
結構喋ったかな
結構喋っちゃいました
40分くらいかな
今?
まあいい映画なんで皆さん見てください
そんな終わりか
普通にもう一回見てやな
俺DVDBOX
出たら買おうかなと思う
俺ちょっと良かったな普通に
いいよお前の良かった話はもう
本当に良かった
これだけ最後に言わせてくれよ
はい
38:04

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