それだから後ろ向きの力があるんで、その故郷で立ち返ろうっていう。
うん。
そうそう。っていう風に思って、だからそういう意味でインストとかが多いよね。
そうだね。
歌詞に力がないものが多い。
君島の大空とかでもちょっと感じるぜ、俺。
まあそうかもしれない。
もっとイメージとかでもね。
そうそう。やっぱ君島の大空ね、俺結構聞くんだけど。
だからさ、だからさ、それがどうしたのって2回目言うのあれかなと思って黙ってたけどさ。
いや違う、そしたらさ、君島の大空っていうさ、シンプル中学生ボケが来ちゃってさ。
いやもう、どっちもいいわ、なんだよこいつの話で。今別に音楽の話したいじゃねえんだよ今。
怖い人だ。
怖い人だ。
僕の話も聞いて。
黙れ、お前は。
髪切ったから可愛くなってさ、いろんな人に許してもらえるのかなと思い始めたんだよね。思い上がって。
思い上がってね。
まあでも、髪を切るとかまあ、やっぱ自己認識が変わるってことは、見える世界が変わるってことですからね。
鏡に映った自分がね、まだ未だに0.3秒ぐらい自分じゃないんだよね。怖いよね。
ね、やっぱ。
うん。
髪切ってないとこに訪れるよ。
それはまた別なんじゃねえか。オートですから。
何も見た目が変化してないのか、鏡見たときは。
それってやっぱ、故郷がないからなんだよね。
実地がないんだよ。
原風景。
っていうことをやっぱ僕は思うわけですよ。
うん。
だから、そういう意味でのシューゲーザー的な音楽の、だから、実体のない感傷とノスタルジア。
うん。
ノスタルジア。
ノスタルジア。
タルコフスキー。
ちょっとお前、公開収録で喋ったからって、すごい文脈が巻いてるよ。もうちょっとしっかり説明したほうがいい。
え、分かんなかった?
いや、俺は分かんねえよ。
え、だから。
俺ら分かるからさ、2人とも。
え、でも、今、だからその、もう1回喋るね。
うん。
だから、シューゲーザー的な音楽が呼び起こすその、感傷とかさ、エモですよね。
だから、あの。
糖水感。
うん。
だから、なんか懐かしい気持ちみたいなものが湧き起こるんだけど、特定の懐かしさがないんですよね。
うん。
あの、自分の町の話したときに出たんだっけ、この話って。
そうそう。
そうだよね。自分の地元の話とかをしてるときに、この流れになって。
そう。それでさ、まあ、作家においてノスタルジアっていうのは1つテーマなわけじゃない?黄金にして。
そうだね。
うん。
僕好きなんて、ね、映画館とかの。ずっと自分の少年時代の話とかしか撮ってないわけだよね。
うん。
でもね。
故郷。
故郷。
母性。
母性。まあだから、なんだろうね。帰る場所?
回帰ってことだね。
うん。
まあ。
対抗だ。
基盤だよね。
うん。
まあでも、結局そこに対抗、そこの対抗とまあ前進の間でまあ人間っていうのは揺れるわけじゃないですか。
うんうん、そうだね。基本的にはそうだ。
で、そこにまあ堕落と高潔といろんなものがさ。
うん。
入り混じりって二律背反で。
うん。
まあ今日もね、浪輪浪輪してくわけじゃないですか。
はい。
回り続ける。
回り続けるって言われ、まあ味観だったけどね。
あ、はい。そうだよ。
でも、それさえ架空でないならば、僕らはどこから来てどこへ行くのだろうと。
はい。
はい。
ということを何となく、そしてそういう僕らにとっての文学のふるさととは何ぞやというようなことを最近は考えてるね。
うん。
うん。
ちょっと今気になったんだけどさ、それがないっていうのは、力、後ろ向きの力がないってこと?それともふるさと自体がないってこと?
ふるさと自体がない。
ふるさと自体がない。
ふるさと自体がないのに後ろ向きの力があるってこと?
そう。
そうだね。
うん。でもなんかその、あんだ、量子的覚じゃないけど、後ろ向きの力があることは、ふるさとがあるというふうに言い切ることもできるじゃん。
いや、あるのが架空なんで。
量子的覚ができる。
そうそう。
それがあるのに、存在しないってことでしょ。
うん。
架空がある。
架空がある。はいはい。わかるわかる。架空だってことだから、自覚的ってことだよね。
うん。そう。
はいはい。なるほど。
やっぱね、一人暮らしだからっていうのもあるね。
あるいはそれを目に見えて名前を付けられないってだけなのかもしれないけどね。
うん。
まあ。
最近思うね、普通に。帰る場所がない。
あの、そういえば。
絶対足りないじゃん。なんか。
タイムリーな話なんだけど、その実家に帰ってさ、実家の海見てみたのよ。これ結構、しらと海って言葉使うから、わりとこう、なんだ、それこそふるさと的な意味があるのかなと思ったのよ。
うん。
で、見たら全然そんなことなかったのよ。早く家帰りたいしかなかったのよ、立川の。
ああ。
っていうふうにやっぱね、ふるさとってたどり着いちゃうと、
うん。
深海のものになっちゃうのよ、距離が近くて。
うん。
っていう話もあるよね。あの、なんだろう。その、文学のふるさと論でよく言われてることだけど、あの、暗号ってふるさとって富士山だっていうのよ。
うん。
やっぱり、近づくと深海のものとして、人間が立ち入れない自然として現れると。
うん。
遠くから見ると風景の中に入る、入り込むと。
うん。
で、その、だからそことの距離感の中に人間が揺れ動いていくわけで。
うん。
その対象物がないことは多分問題じゃないんだよ。ないということが自覚されている今の状況が多分おかしいんだと思う。
そんな存在しない異境が得意な、記憶が得意だとすれば。
うん。
うん。っていうふうに思うね、なんか。
あれは存在しない、その、ふるさとに対する感覚ってのは後ろ向きじゃないのかもしれないしね。
ああ。
うん。
うん。
後ろ向きじゃなかったらふるさとじゃなくなっちゃうんじゃないの。そこ難しくない?
そしてふるさとが創出される。
うん。メイヤーが。
ふるさとが前向きの力にかかったときも。
うん。
で、だからさ、そのさ。
うん。
その、戻りたい場所としてじゃなくて、その行きたい場所、その回帰、その後ろ向きっていうんじゃなくて、存在しない人にとってはそれが行きたい場所かもしれないしね。
でも。
まあ、あるいはそうなのかもしれないな。
でも、俺結構思うんだけど、あの、今、松崎が挙げたミュージシャンの話、聞いて思うって話なんだけど、ここではない、どこかに行こうではないんだよね、明確に。
うん。
あの、明らかに後ろを引いてる感じがするんだよね、やっぱり。
うん。
その。
そうだね。
なんか、感覚的なもんなんでうまく話せないんだけど、だからやっぱり後ろにあると思うんだよね、前というか。
うん。
それじゃないぐらい抽象的な話になってる。
ね。
ほんとだよね。
これまずいんじゃないの?
いや、でもなんかどうだろう。でも、あれ。
でも、なんか今聞いてる人にもなんか分かると思うんだよ。
うん、もうちょっと話せる気はする。なんかそんなになんかこう、分かりづらくはなってるけど、やばいくはないかな。
やばくはない。
喋ってる実感だと。でも、だからなんだろうな。そうなんだよ、その、こうさ。
うん。
だから架空のノスタルジーだっていうのはさ、あるというよりは作り出してるんだよ、きっと。
うん。
何かで自分を縛っておきたいんだろうね。
うん。
自分がどこかへ飛んでいってしまうから。
うん。
浮遊しないようにとか。
そう。
世界と自分をつなぎとめるっていうか、ことなのか。安心の問題?
そう、安心の問題だと思う。
うん。
どこかに自分がつながっているのだという実感。
はいはいはい。
何かさ、今までは割とさ、社会の中でさ、普通に、それが何かあの、実際に行われてたと思うんだよね、割と。
ウォームとかもそうだけど。
うん。
世界と自分をつなぎとめるという行為が、社会生活に割と根ざしてたのかなって今思ったのよ。
それは普通にあれだよな。
うん。
モダンの大きな物語っていう。
そう、その話の流れで。で、それすらも許されなくなった結果、そうなったのかなっていう。
でもそういう意味で、物語が何かを回収するってことが。
うん。
の危険性っていうものが、ウォームだったわけで。
うん。
うん。
まあそこに対する忌避感が、日本人に対して強く残った結果、物語が失われてって。
そうだよな。完全に、モダンに終止符を打ったわけだよな、ウォームっていうのは。
うん。
反社発大震災、ウォーム。
うん。
大きな物語っていうのが、その、社会学とか哲学的なレベルの問題の次元での崩壊じゃなくも、
うん。
もっと。
生活レベル。
生活レベルで崩壊した瞬間だもんね。
生活、もう風俗レベルだよね。
うん。
文化、風俗。文化ですらない、もう風俗レベルで失われてると。まあそういう意味で。
だから松崎に、そこから地続きなのかなと思った。
まあそうだね。
日本における。
最近思うもんね、やっぱり。でも最近思うんだよ、やっぱり。すごい自分が、どこにも属していないなと思っちゃう、なんか。
うーん。
まあ、それは、まあ。
うん。
ここがさ、ベッドタウン生まれが揃い過ぎてるっていうのも一つ。
ある。
ある。そしてここが東京だからっていうのもですよ。
うん。
すごい。割と局所的かもしれない。
局所的な話なのかもしれないけどさ。そうなんだよな。もうちょっと多分、地方の方だと変わってくるのかもしれないけど。
感覚はね。
感覚はね。
うん。
いやでも。
そこはなかなか難しいよ。
難しい。
我々、我々の若者がそんなもう、地方の臨時が。
手に負える範囲としてね。
自分と、今この3人で割とそこは、多少は共有できてるんじゃない?
うん。
だからやっぱそれをやっぱ、俺らという個人をやっぱ文学で、何らか歴史に接続できればいいという、
うん。
目論みを持ってしゃべり続けるけども。
うん。
だから、なんだっけ?だから、その自分がどこにも属していない感があるよ、やっぱり。
うん。
それで、何か、よりどころを見つけようとしても、それはやっぱ。
それはやっぱ、過去に、存在しないノスタルジア的なるものに縛られて、でしか縛ることができないから、
存在していないから、結局縛ったことにならないみたいな。
うん。
結び目じゃなかったんだよね。
まあ、自分がその、どっちかっていうと、その、もうそうなってくるとさ、結局問題意識はさ、そのさ、架空のノスタルジアじゃないのかもしれないし。
そうそう。
どっちかっていうと、本当に問題ないのは我々が一人じゃないということなのかもしれない。
そう。
うんうん。
そもそも、それぞれの孤絶がやっぱあるんじゃないか。
そうだね。
社会には。
やっぱ、日本文学精髄史の戦後文学編で、
うん。
高橋源一郎が、
うん。
付けてるタイトルが、今夜は一人ぼっち会だからね。
うーん。
一人ぼっちですよ。
現代通じたいは。
なるほどね。
うん。
それはそうだな。
と思うね、やっぱり。一人暮らししてるからね、単純に。
多分ね、それね、社会人になってもそうだと思う。
うん。
今さ、社会の流れがそういう方向に向かってんだよな。
うん。
その、多分、資本主義とか実力主義になってきてるけど、
うん。
その、結局近代は職業と社会が一致してないから、
うん。
そのさ、職場に行ってる自分と家にいる自分が別だから、
そうだね。
うん。
仕事人間になったらさ、家にいる時の自分って誰もどうしてくれないからね。
うん。
だから、職業としての自分の成功と、
うん。
自分の人間としての成功、別物っていう世の中になってきたじゃん。
うん。
うんうんうん。
そうなってきたから怖いよね。
うん。
結局。
ケアしてくれる人いなくなっちゃう。
そう。
うん。
で、自分に残るのって、
うん。
帰り良しの役って僕でしょ。
で、家庭もなくなるわけでしょ。
うん。
で、
怖いよね。
そうなってきた中で、人に何が残るんだろうと思って。
うん。
でも、そういう時にさ、共同体が、
うん。
そういう時にさ、共同体が、
うん。
共同体とまで行かなくても、その小さな臨場を信じるしかないみたいな、
うん。
そういう時にさ、共同体とまで行かなくても、その小さな臨場を信じるしかないみたいな、
うん。
そういう時にさ、共同体とまで行かなくても、その小さな臨場を信じるしかないみたいな、
うん。
そういう時にさ、共同体とまで行かなくても、その小さな臨場を信じるしかないみたいな、
うん。
そういう時にさ、共同体とまで行かなくても、その小さな臨場を信じるしかないみたいな、
うん。
信じるしかないみたいな ことを
前の小説で書いたんだけど 未来参考では
だからそれも 限界があると思う
コロナとかもあったし
なんか結局最終的に共同体 小さな共同体が残るっていう感覚
あるいは各家族が残るという感覚 血縁ではなくても家族が残るという感覚
あるのかもしれないけど そこがなんか広がりを持ってるような感じ
それぞれの人生のあり方でしかないけど
やっぱ小さな共同体だから 力も小さいわけだからな肯定する
だし 簡単に崩れるもんだからね
そういう意味で 共同体としての家族じゃなくて
人と人との小さな繋がりでしかない 家族っていう今のあり方が
今の社会の救いになってる部分は 俺はあると思うけど
救い?
そうだね
もはやそういう浮遊とか 何にも信じられるよりどころがない
根拠もない 家族もないっていう状況が
今一番の安心を生んでるっていうのが
若者の安心を生んでるっていうのが 割とネット入手する見解ではそうだよ
そうかい?
自分に当てはめてみると
俺は どうだろう
俺は結構分かるよ
別の感覚を
でもやっぱ なあ きちいって一人は
やっぱり俺は切実に寂しいと思う
多分だから 寂しささえも別の何かに 追いかぶさっていくんじゃない?