食の未来の可能性
ノト丸
毎日未来創造、本日もまだ見ぬ未来のプロトキャスト、可能性を探ってみます。
今週のテーマは、食と資源の未来です。
今回はですね、ある近未来SFショートショート〈赤い海の畑〉という物語をちょっと手がかりにして、
食と資源、それから私たちの価値観、これがどう変わっていくのか、その可能性の一端を深く掘り下げてみようと思います。
まず、ちょっと想像してみてください。
もし、食べ物の価値がですね、味とか香りじゃなくて、たった一つの数値、甘さ、これだけで決まる世界になったとしたらどうでしょう?
物語の舞台は2040年です。
まあ、遺伝子編集技術とAIによる栽培の最適化、これでなんと糖度50を超えるっていう驚異的な砂糖イチゴが開発されます。
糖度50ですか、すごいですね。
これはもう私たちが知っている果物っていうより、なんていうか、砂糖に代わる新しい資源、つまり果糖の塊みたいなものなんですね。
ブク美
なるほど、加糖そのものとして。
ノト丸
そうなんです。このイチゴのおかげで日本の農家が果糖経済圏っていう、果糖を基軸にした新しい経済システムの頂点に立つと、世界市場をリードするような存在になるんです。
ブク美
経済圏まで。
ノト丸
主人公のケンジはドーム型の巨大な植物工場、通称赤い海で働いているんですね。
そこではAIマネージャーが土壌から水、光、温度、全部を完璧に管理して、イチゴの糖度を最大化することだけを目的に栽培が行われているんです。
見渡す限りの棚に真っ赤なイチゴが実っている光景は、本当に赤い絨毯というか赤い海みたいで。
そしてそのイチゴの価値っていうのが、糖度指数として市場でリアルタイムに変動して取引されているんです。
ブク美
株価みたいですね。
食の本質と価値観の変化
ノト丸
まさに。村はこのイチゴで溝入の好景気に湧いて、人々は物質的にはすごく豊かになるんですけど、でも主人公のケンジは満たされないんですね。
彼は自問するんです。
俺たちは本当に果物を育てているんだろうかって。
それとも、ただひたすらに甘いだけの、まるで工業製品みたいな糖度を生産しているだけなんじゃないかって。
ブク美
うーん、なるほど。
この物語が非常に巧みに描いているのは、やっぱり技術が進むことで、食に対する私たちの価値基準そのものが根底から変わってしまうかもしれないっていう、そういう未来の可能性ですよね。
ここでは甘さっていう、本来は多様な食の魅力の一つでしかない要素が技術によって極端に増幅されて、経済を動かす中心的な資源に変貌してしまっている。
ノト丸
まさにその効率化とか経済合理性が突き詰められた結果、食の本質的な部分が見失われていくような、そういう感じがしますね。
ブク美
そうですね。
ノト丸
物語の中で飲料メーカーの担当者がイチゴを味見すらせずに、糖度計の数値だけ見て、これは良い原料ですねって評価するシーンがありましたけど、あれはちょっと強烈でした。
ブク美
あのシーンは非常に象徴的だと思います。
食が香りとか食感、見た目、あるいはそれにまつわる文化とか記憶とか、そういう複雑で豊かな体験から切り離されてしまって、単なる成分とか数値として扱われるようになってしまう。
この砂糖イチゴの世界では、糖度指数っていう市場価値が、私たちが本来感じていたはずの食の喜びとか多様性みたいなものを覆い隠してしまうかもしれないと、そういう可能性を示唆していますね。
ノト丸
過糖経済圏っていう言葉もすごく印象的でした。
甘さが経済の中心になるっていうのは、なんだか今のエネルギー資源とか金融市場みたいな構造が、食の世界にも現れるっていうことなんですかね。
ノト丸
そう捉えられますね。
ブク美
特定の成分、この場合は過糖ですけど、それが国家間の経済力とか貿易バランスを左右するほどの戦略的な資源になる未来。
遺伝子編集で特定の成分だけを強化して、AIで生産効率を極限まで高める。
こういう技術が食料をまるで工業製品みたいに生産して流通させるシステムを生み出すのかもしれない。
その結果、経済的な成功とか効率は手に入るかもしれないけれども、ケンジさんが感じているようなあの違和感。
つまり伝統的な農業とか、食を通じた人間らしい営み、あるいは精神的な充足感みたいなものが失われていく、そういう懸念はありますよね。
ノト丸
効率化と経済的な成功を追い求めた先に、私たちは具体的に何を失う可能性があるんでしょうか。
物語ではケンジの葛藤が描かれていましたけど、社会全体としてはどうですかね。
ブク美
そうですね。一つはやっぱり食の多様性の創出でしょうね。
市場価値が高い特定の数値を持つ作物ばかりが生産されるようになれば、地域固有の品種とか、栽培に手間はかかるけど独特の風味を持つ作物というのは淘汰されていくかもしれません。
ああ、なるほど。
それに、食に対する感謝とか、作り手への敬意みたいな文化的な側面も薄れていく可能性はあると思います。
全てが数値と効率で管理されるようになると、食卓を囲む楽しさとか、旬を味わう喜びとか、そういう数値化できない価値がどうしても見過ごされがちになるんじゃないかと。
ケンジの孤独感というのは、そうした人間的な繋がりの希薄化を象徴しているとも言えるかもしれませんね。
ノト丸
なるほど。技術の進歩がもたらす恩恵って、もちろん大きいですけど、その一方で私たちが無意識のうちに大切にしてきたものが、なんかこう変質してしまうかもしれないと。これはすごく重要な問いかけですね。
では、ここでこれを聞いているあなたに問いかけてみたいと思います。
あなたにとって、食の価値とは一体何でしょうか。
それは単なる栄養摂取とかエネルギー源ですか。それとももっと別の何かがあるでしょうか。そして技術がこれからどんどん進化していく中で、その価値はこれからどう変わっていく、あるいはどう変わって欲しくないと考えますか。
ブク美
この物語を一つの思考実験としてですね、ちょっと身近なところで未来リトマスを試してみるのも面白いかもしれないですね。
ノト丸
未来リトマスですか。
ブク美
今日1日、あなたの周りにある食べ物とか食習慣を少し意識してみて、あれ、昔はこうじゃなかったなと感じる変化を探してみてください。
例えば、スーパーに1年中並んでいる驚くほど形が均一な野菜とか果物。
ノト丸
ありますね。
ブク美
あるいは、昔ながらの季節感が薄れてきているなとか、ファストフードのメニューの変化とかでもいいです。
日常の中に潜む小さな変化が、もしかしたらこの物語が示す未来の兆候なのかもしれません。
ノト丸
富とか効率性を追求することが回り回って、私たちが本質的に求めている豊かさの感覚、そのものを変えてしまうとしたら、これはちょっと立ち止まってじっくり考えてみる価値がありそうですね。
明日も食と資源の未来をテーマに、まだ見ぬ未来のプロトキャストをお届けします。
ぜひ、#毎日未来想像をつけて、あなたが今日感じたことや発見した変化、ぜひシェアしてください。
お待ちしています。