2025-08-10 11:36

#208 「浮いた存在」になって良かったのか?

サマリー

本エピソードでは、澤田智博の新著『人生にコンセプトを』を通じて、浮いている存在になることの意義について語られています。特に、個人の生存本能や生存戦略としての浮くことの重要性に焦点が当てられています。

浮いている存在について
おかさん、ハイ、このチャンネルでは、都のほとり、滋賀県に住むあらかん、まもなく60歳、定年を迎えるはずだった会社を、希望退職でやめて、セカンドキャリアを歩き始めているおかさんが、仕事、生活、人生について、ゆるーくお話しします。
改めましてみなさん、こんにちは、おかさんです。
今日は、8月10日、2025年8月10日、多くの方は年夏休みに、お盆の年夏休みに入られているんじゃないかと思いますし、私は3連休です。
3連休の中日、日曜日ですね。
私、土日と休みの日でね、予定が特にいない日は、だいたいいつも、朝、自宅から4キロぐらい歩いて、隣駅のマクドナルドに行って、コーヒーを飲みながら、本や雑誌を読むみたいなルーティーンをやって、
今日はね、朝、少し雨が降っていたので、雨が小雨になるのを待って、ちょっと遅めに4キロ歩いて、マクドナルドに行って、本を読み始めました。
今日、読み始めた本は、人生にコンセプトを、という新書で、澤田智博さんという方が書かれて、ちくまふりま新書から出ている新しい本ですかね、7月に先月出たばかりの本です。
澤田智博さんってご存知の方、おられるんじゃないかと思うんですけども、結構話題になったマイノリティデザイン、弱さを生かせる社会を作ろうという本を2021年に出されていました。
私もその本で読んで、いいなと思って、今回も新たに本を出されたので、読んでみようということで、今読み始めました。
人生にコンセプト、という、冒頭で、夢がなくても大丈夫、という本の帯に書かれていて、この夢がなくても大丈夫というのを見ただけで、この本買ってよかったなというふうに私は思ったんですけども、
冒頭に、夢とは目標、目的地ということで、コンセプトというのは道だというふうに書かれているんですね。
あとは、コンセプトというのは、社会で浮き続けるための芯のようなものとも書かれています。
例えば企業は浮いたほうがいいということで、他社とは違う独自の立ち位置、つまりちょっと他のメーカーや他の商品よりも浮いているという商品コンセプト、サービスのコンセプトを確立できるとビジネスとして成功しやすいわけですよね。
企業というのは浮くというのをマーケティングで、戦略でやっているけども、個人というのは、なんで浮いてはいけないんだろうと、今まで浮かないほうがいいよねというふうに言われていることが多かったのかなと思うんですけども、
これからは浮いている存在になるほうがいい、もしくは浮くことを期待され始めているんじゃないか、みたいなことが書かれているわけです。
確かに浮くというのは他の人とは一味違う、前向きに捉えればユニークというふうになるのかもしれないですよね。どうでしょうかね。浮くというとなんとなくみんなと一緒に活動しづらいとか仕事しづらい人みたいなイメージがあったりするのかなと。
確かに私も浮いてますねとか言われると、私ちょっと変なこと言ったのかなとか思ったりするときもあるんですけども、最近というか45歳を超えたぐらいからですかね、浮くというのはあまり気にしなくなったなというふうにこの本を読み始めていて思いました。
じゃあいつから浮くというのが気にならなくなったんだろうみたいなのを思い起こしていた、見たんですけど、小学校のときにいろんな事情があって、一時期小学校5年生のときかな、一人だけ廊下に机があった時期がありました。
さすがにね、それはすごい怖くて嫌だなって思って、学校行きたくないと思っていたんですけども、一方で私が行っていた小学校って制服がない、自由な服で学校に行ける学校だったのに私は制服を着てたんですよね。
隣の小学校のブレザーみたいなやつをずっと着て学校に行って、卒業式もそれ着て出てたなというふうに思います。
それは全然怖くなかったですよね。確か周りからするときっと浮いてたんだろうなと思うけど、私自身は全く気にしてなかったなというふうに思ったりもします。
あと中学校のとき、例えば今夏休み中ですよね、学校はね。夏休みだとラジオ体操って朝ありますよね。
だいたいラジオ体操って小学生以下が、今でもそうなのかな、当時は対象になっていたんですけど、私中学生になってからも毎日ラジオ体操に、友達と二人で通っていたなと。
周りからすると確かに、なんであの人たち来てるのって浮いてたような気もする。今から思えば浮いてたのかなと思うんですけど、私とか一緒にいた友達は全然気にもしてなかったというふうに思うわけです。
なので当時からね、浮くっていうことはあまり気にしてなくて、その後もそんなふうに生きてきたので、浮いているとか人と違うようなことをしてたりし続けていくことで、だんだん浮くということが気にならなくなって、
いつしかこのようなおじさんあらかんの人間になっちゃいましたということなのかなというふうに感じるわけです。
浮いているっていうのはどうなんですかね。浮いていることを気にしない人生になって良かったのかって言われると、良かったのか悪かったのかはよくわからないぐらい気にはしてないんですけども、
改めて考えると、これって生存本能?生存戦略みたいなものだったのかなっていうふうに思います。
私ね、引っ込みじゃんって行動力もあんまりなくて、あと体力、運動もすごい苦手で、マラソン大会とかがあったり、一番後ろとかを走っていたりしたぐらい体力がなかった。
あとはコミュニケーション能力とかも高くないと、なかなか人と関わるのも苦手で、母親なんかが、私が大学で一人暮らしを始めるときに友達ができるか心配だって言われていたぐらい、なかなか人とコミュニケーションをとらないタイプだったりしたので、
そのような私が社会の中でやっていくための生存戦略とか、生存本能が浮くとか、ちょっと変わっているっていうことだったのかなっていうふうに今で感じています。
今ね、めちゃめちゃ何と比べてうまくいってるかどうかっていうのは非常に言いづらいんですけど、それなりに幸せに暮らしていけているのは、この浮くとかちょっと変に生きてきた生存本能に従って生きてきた結果なのかなっていうふうにも思うので、
ちょっと浮いてて変で良かったなと思うし、これからも人生も残りの人生もこのまま浮いてて変なままいっちゃうからなんて、今日もこの人生にコンセプトという本を読み始めて改めて思いました。
ということで、今日は沢田智博さんの新しい本、「人生にコンセプトを」で浮いている存在になりましょうと書かれていたことを読んで、ちょっと思ったことをお話ししてみました。
浮くことの生存戦略
はい、いかがでしたでしょうか。
今日も最後まで聞いていただいて本当にありがとうございました。
それではまた次回、農家さん配でお会いしましょう。
さようなら。
11:36

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