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こんにちは。Mothers Coaching School Internationalチームがお届けするポッドキャストへようこそ。
この番組では、海外で子育てするママや、海外にゆかりのあるお子さんを持つママたちが、聞いてホッとしたり、くすっと笑えたり、明日からも頑張ろうと思っていただける時間にしたいと思っています。
私たちマザーズ・ティーチャーの体験談のシェア、ゲスト対談、リスナーさんからの質問などを通じて、ちょっと子育てが楽になるコミュニケーションのヒントをお届けしていきます。
はい、では今日はフランス在住かなと、もう一人と一緒に話していきたいと思います。じゃあ軽くお名前お願いします。
はい、私はオーストラリアのメルボルン在住のロックとカオリです。よろしくお願いします。
先に先頭に立ってやってきてくださったカオリさんなので、今日のテーマをちょっと、私カオリさんと何話したいかなって考えたときに、人の頼り方っていうテーマをちょっと挙げさせてもらいました。
で、カオリさんと何話そうって思ったのもあるんですけど、自分の周り、ママさんたち見ててとか、自分の過去のことを振り返っても、これ人を頼った方が絶対いいっていう、私の中では結論なんですけど、今日のなんだけど、難しいところがあるから、それをちょっと話せていけたらなと思っております。
はい、そうですね、このお題というかテーマを聞いたときに、いいの選んだなって私は最初にすごい思ったんですよね。
っていうのも本当に私が人に頼れない人の代表みたいな感じだったんですね、以前は。
私は長女だし、結構何でもある程度できてしまうような、小さいときからやったらできるタイプだったので、ほっといても大丈夫かなみたいな、小さいときは手のかからないことを親から言われるような感じ。
先生からも。
ガシガシ感じます。
私も長女だから。
うんうん、ですよね。
この辺は同じ気分を感じるんだけど。
うんうん、そうなんですよ。
でもやっぱり苦手なことがないわけじゃないじゃないですか、小さいながらに頑張るけど、
なんかさらっとできることもあれば、一生懸命頑張ってできるようになることもあるんだけど、そこが親とか周りの人には分からないのかもしれないなって、今になって思うんですけど、何でもできるからって言って。
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頑張れちゃった子でもあるみたいな。
そうそうそう、あんまり頑張ることに苦痛を感じない子でもあったのかもしれないし、なんかその辺がコツコツやるタイプみたいな、実は。
自慢してるわけじゃないんだけど、そういう子だったからこそ中学生ぐらいになって、やっぱり苦手なことってはっきりわかってくるでしょ、自分の中でこれは苦手って。
でも、それを苦手って言えないとか、分からないから教えてっていうのが恥ずかしいとか。
昔からそれ思ってたんですね。
そう、なんか期待されてるんだから、ここでもっと頑張らないといけないとか、なんかそういう思いがやっぱりちょっとずつ生まれてくるのね、中学生ぐらいから。
それでもまだ優等生で頑張ってたけど、その頃は。
ちょっとじゃあ、その崩れたところも、でもいいし、最近でもいいんですけど、どっちがいいかな。
人に頼ったことの経験をこんなところで頼れるようになった時でもいいですし、最近こんなことで人頼ったんだよみたいな話ちょっとお互いにできたらなと思うんですけど。
なんかかなさんはそういうのありますか、最近の話で。
最近だと、やっぱフランスにここに来て、9ヶ月なんですけど、一番悩んだのは、どこまでままともにお願いしようかのところがすごい迷ったポイントで、
私今ここも3人いて、長女は小学校、次女と一番下は同じ保育園に行かせてて、それのお迎えが結構タイトな感じで、幼稚園のお迎え行ったら、はい次小学校みたいな。
かぶってるんですよね、結構。
ずれてはいるけど、なんかのんびりしてたら遅れるよみたいな。
はい次、はい次みたいな感じでね、行かないと。
そこに下の子の習い事とかが入ってくると、すごい行ったり来たり、行ったり来たりすれば行けるんだけど、すごくここが大変だから、
長女のお迎えを、小学校の他のママさんにお願いするかどうか、みたいなところが一番、なんだろう、やっちゃえばできるから、やってもいいんだけど、お願いしたほうが絶対楽っていう。
楽なのが、幼稚園のお迎えは3女がまだちっちゃいから、ちょっとそれはなーって自分の中であって、
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じゃあでも小学校の長女ならお願いできるでしょ、みたいな。
でもこれをして相手に負担じゃないかなとか、いろいろ考えると、何回か躊躇したことがあるんですよね。
今結果頼ってるんですけど、
結果頼ってみてどうだったんですか、頼ってみた結果は。
今すごく安心できる。
例えば本当に今、私が元気で子供も元気だったら、例えばさっきのお迎えとかでも、行ったり来たりは可能なんだけど、
自分が体調悪い時とか、子供が崩って、うまくいかない時とかに、じゃあお願いしようって、すぐに別の選択肢があるっていう安心感がものすごくあって、
最初は勇気いるけど、
そして、やってあげるよって言ってくれる相手が、いい人に恵まれてるっていうところもあるんですけど、すごくやってくれる人と出会えたし、
その人も嫌じゃないく見てくれてるなっていうのも分かったから、
安心です。
安心できるようになった。何でも一人で抱え込んでしまってね、ギリギリラインで頑張れるんだけど、
何かあった時に、ちょっとこう本当にイライラ度が超えちゃうとか、爆発しちゃうとか。
どうですか?
私はね、だからやっぱりそういう頼れない人間だったから、ずっと結構、もう本当に最近まで一人で頑張るタイプだったんだよね。
子供も一人しかいないし、うちは。
もちろんその旦那さんのお母さんに子供を預けてどっか行くとか、そういう頼み方とかはできるんだけど、
でも何だろう、子供に関することは一人しかいないし、私が全部できるみたいな感じでやってた。
でも3年前にね、マザーズコーチングの代表をメルボルンに招いて、
公演会を鏡の中の僕っていう絵本に書かれていて、その絵本の公演会をしようって思いついてというか企画をして、それでやり始めたんだけど、やっぱりね、それだけの企画って今までしたことがなくて、
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全然勢いだけでやり始めたら、やっぱり一人でできることって限られてるし、
もう絶対無理って思った時にチラシ配りも一人じゃ無理だから誰かに頼まないととか、どっかのお店に持って行ってもらいたいとか、宣伝してほしいとか、
当日も一人じゃできるわけじゃないから、オンラインじゃなくて会場でやるから会場の設定とか役割分担とか、私だけじゃできることじゃないから、
もう本当にすいませんお願いしますみたいな私だけじゃ無理ですっていう状況で頼んだのね。
でもその時、コーチングスクールの仲間がいるわけじゃなく、一人だけティーチャーさんがネルボルニアその時いらっしゃったんだけども、
他は私全員友達、ただの友達っていうかコーチング関係ないと思ってたと思うので、
でも手伝うよって当日ボランティアでもね受付やるよとか写真撮るよとか言ってくれて、その時に言われたのが、
なんか一人で頑張ってるから助けたいなってなんとなく思うんだけど、助けがいらないのかなって必要とされてないのかなって感じたとか、
本当は助けたいと思ってるんだけど、一人で頑張りたいって思ってるのを邪魔したらダメかなって思ったとか、
そういう声を聞いたのね、その友達から。
だから、なんかその時に私が人に頼れないことによって、助けたいって思ってる人たちの気持ちをないがしろにしてたんだなってことに気がついたのね。
周りから見たらやっぱり、私だって役に立ちたいって思ってる人がきっとたくさんいるはずなんだけど、
それをいやいや大丈夫大丈夫私が全部やるって言ってやってしまっていたんだなってことに気がついたのね。
そこを頼れて気づけてなんか変わりました?
そう、やっぱりそこから、人に頼るって人に迷惑かけるんじゃないかなとか、自分からの視点っていうか自分からの見方で、
これは弱さじゃないけど人に頼ることは弱いことって思う人もいるかもしれないし、自分自身がね。
他の相手に迷惑かけたら申し訳ないなと思うとか、そういう理由で頼めないってあると思うのねちょこちょこ。
でもそうじゃなくて相手の目線から考えるってことを気づけた。
頼むってことは相手にチャンスを与えることだし、その相手が助けたいっていう思いを実現できるチャンスだったりとか、
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なんか一人で全部やってしまっていることによって相手の成長とか相手のチャンスっていうのを全部奪ってしまっているってことに気がついて、
あ、そりゃそうだよねって。
自分が苦手なことを頼むと相手もいやいややってんじゃないかと思うけど、実は相手はそれは好きだったりしますもんね。
そうなんですよね。
自分の苦手と自分の得意、相手の苦手とか得意とか違うから、適材適所っていうのもあるしね。
そうですよね。
かおりさんの今の話、会場大きなイベントをするときの話って、何かをやり遂げたくて、それに協力者を募っていったみたいな、そういうパターンですよね。
私、人に頼るときって、頼るときって大体3パターンぐらいに分かれるんじゃないかなと思ってて、
私がお迎えのとき、お迎えお願いしようとか思っているときは、レベル真ん中、自分がここお願いしたらちょっと楽ちんなんだよなみたいな、
っていうレベルのところで、かおりさんのはちょっと高めのレベル高い方で、大きな何かを成し遂げたくて、自分一人じゃ無理だから、お仲間を作ってみたいな。
あと低いって言うとあれですけども、3パターン目が、自分一人でやってたけど、もうどうしようもないみたいな、
限界を超えちゃったみたいなところなんですね。
限界を超えちゃった、子供一生懸命やってたけど、子供の熱でもう思考停止みたいな、どうしたらいいのみたいになっちゃう。
できるけどちょっと楽になる、余裕を作るっていうよりかは、本当に無理なんですみたいなレベルってことね。
3つくらいにレベルに分けるとあるのかな、自分の気持ちがね。
パターンがね、そっかそっか、そういう風に考えたことなかったな、確かに。
そう、もしあるとしたら、一番つらい状況、自分がどうにもならなくなった時に、いきなり人に出るってすごい難しい気がしてて。
難しい、今までやったことない場合は本当に難しいと思う、そこで選択肢の中に入ってこない気がする。
ね、なんかもう本当にだから多分頭の中止まるからピタッみたいな感じで。
だからなんか、もしなんかに頼るの苦手だなって思う人は、自分の日々を楽にするっていうこの真ん中のところ。
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それにそこをやろうって思えて、そこで人を頼ってると、もし思考がピタッて停止しちゃった時に、もうちょっと人が頼りやすいのかなって思ったりとかして。
そうですよね、なんか日本でもきっとね、多いと思うんですよ、そういういっぱいいっぱいになるまで頑張ってしまう人。
ですよね、なんかそのいっぱいいっぱいになるまで頑張っちゃうっていう理由は、やっぱり人に迷惑になるっていうのもあると思うけど、
なんか自己犠牲というか、お母さんだから自分を犠牲にしないといけないとか、
そういう思い込みって言ったらあれだけど、なんかお母さんはこうあるべき、お母さんなんだから我慢しないといけない、ここまでねやらないといけないとか、
周りの人もこれだけやってるんだから、私が辛いとか言ったらダメとか、そういう思いがだんだん積み重なって言えない状態になってるんじゃないかなって私は思うのね。
できとか、確かにあの母親、勝手な母親像、勝手なって言っちゃうから、やりそうな母親像みたいなに縛られてるパターンありますよね、きっと。
なんか周りがどうとかっていうよりかは、本当に自分が辛いとか、自分が大変っていうのって、自分の中でしかレベルがわからないはずなのね。
他の人ができてることでも、同じ一人、二人子供がいても、その二人の子供がどれぐらい手がかかるとか、どれぐらい食べないとか、どれぐらい寝ないとかも違うし、きっと性格だって違うし。
だから、だれだれちゃんのお家はできてるのに私はできないっていうのは、完全に一緒にして比べることはできないはずなんですね。
できないです。自分の、母親の置かれてる状況ですらいろいろ違うじゃないですか。なんか旦那さんの協力具合だったりとか。
そうそうそうそう。
全て一緒なものはない、一個もないから。
だからやっぱり自分が辛いなって思う感覚をね、大切にしてほしいなっていうのはあって。
なんか辛いなって思ったときに、自分の頭の中で何を最初に言うかってあるじゃない。
なんか今日しんどいな、でもってなんかこうでもてんてんてんって言い訳がきっと出てくるでしょ。
そこで何を言ってるかなんじゃないかなと思うね、その人の思い込みというか、その人のなんかこう自分を苦しめてる理由。
なるほど、確かにでもってつらいけど、でもあの人はやってるから自分も言ってるから。
絶対自分も言ってるし。
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でもやっぱりそのでもを言う前に、辛いんだなって自分大変だって思ってるんだなっていうその感覚をやっぱり大切にしてほしいというか、自分を痛まってあげるチャンスにしていくと。
じゃあ辛いんだったら今日は人に頼るっていうよりかはもう出前でいいやとか、出前って言わないね最近はね。
デリバリーかな。
どこの昭和のおばちゃんみたいになってるけど。
だからまあそれでいいなとか、なんかちょっとね、なんか自分の基準でここまでは本当はいつも頑張りたいと思ってる基準を1個下げてもいいと思うね本当に。
なるほど、自分で決めてる基準、なんか意識的に無意識に決めてる基準ということですよね。
そうそうそうそう本当に毎日ご飯作らないといけないとか、作らなくて私全然作ってないからね毎日。
毎日冷蔵庫の前に立って、今日はこの冷蔵庫の中にある残り物で3人どうやったら食べれるかなって思ってるもん。
だから食卓にもう息子は昨日の残りのパスタちょっとだけ食べてねとか、私はもうお昼ご飯の残りのサラダ食べるからとか、3人違うもの食べてたりとかする日があるの。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
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