お気持ち表明の否定的なニュアンス
どうも、オオワダ発声練習です。よろしくお願いします。
はい、今回は、お気持ち表明とロジック探しというテーマが、
今日ね、一日過ごしていて、いつかな、朝かな、午前にね、思いついて、
ちょっとこれなんか整理できるかもって思ったんだけど、昼間は全く忘れていて、
夜になって思い出したので、文章で書いて整理するか、
喋ってみるか、どっちにしようかなーって考えた上に、喋ってみることにしました。
はい、一人発声練習会です。
お気持ち表明ってありますよね。社会でね、よく言われる。
元々はさ、あのー、あれかね、皇室?だから天皇様とか皇后様とかが、
お気持ちを表明されましたっていう、そういう報道でさ、見かける表現だったと認識してるんだけれども、
それがね、最近のSNSとか見てると、なんかそのー、ある種の、こう、
自分がこういうのは不快だから、この世からこういうことする人を消し去りたいみたいな、
そのー、個人の不快を理由に何かを排除しようとする動きとかに対して、
それを否定的なニュアンスで指さすときに、
お気持ち表明という言葉が、フレーズが使われているようなそんな印象を持っています。
皆さんはどうですか?僕はそんな風に思っていて。
だからちょっと、まあ相手をね、相手の意見、意見というか相手のスタンスに反対するときに、
また出たよ、お気持ち表明が、みたいな、そういう風にね、使われることが多いように見えています。
んでー、僕もね、まあ、そう、気持ち、まあ気持ちっていう言葉があるけど、
まあそういう表明されることに対して、なんかををつけてね、
お気持ち、あ、お気持ちが出たな、みたいな風にね、使われると思っているんだけど、
うーん、これね、確かにと思って。
で、僕も、なんていうか、そういう、
うーん、これは、まあこの人はそういう気持ちなんだなってね、
何かしらの書き込みとか、こう、主張を見たときに、
あ、そういうお気持ちなんだなっていうところまでは、そうなんですねって言って、
こう、なるべくそういう人もいるんだなって、こう、理解したい、
めちゃ排除したいとかは思わないからさ、そういうのが出るんだけど、
それが、その、何かしらのルール、そこからルールを作ろうとか、
その人のお気持ちに合わせて社会の形を変えようとされていると、
それはちょっと慎重になった方がいいんじゃないのって思うんですよね。
あなたは、そういう風に社会が変わったら、
ハッピー、幸福度が上がるのかもしれないけど、ある意味ではそれは、
特定の条件を満たす人を排除するとか、
特定の文化を根際足にするとか、そういうことにつながるから、
お気持ちが理由かどうかは別として、
簡単に排除とか、エクスクルーシブな行動につなげてしまうことが危ういからね。
だから、危ういよっていうことを止めるために、
お気持ちとかお気持ち表明っていう、対抗する力として生まれたのかなと、
そんなふうに思うわけです。
自身のお気持ちの整理と伝え方
昼帰って、自分のお気持ちについて考えてみたんですよ。
例えば、妻と2人で暮らしてるからね。
2人で一緒に行動することも多いんですよ。
家の中で一緒にご飯食べたり、あるいは一緒に買い物とか出かけて、
今年2023年だから、もうすぐ結婚して丸9年になるのかな。
出会ってからは10年ぐらい一緒にいるから、
一緒に過ごしたら、それはお互いにね、
今のちょっと嫌だったなとか、面白くないなっていうことはあるんですよね。
皆さんのご家庭とかはどうですかね。
僕はあるはあるんですよ。
でね、自分の行動の癖として最近気づいたのが、
嫌だなって思って、それを伝えるか伝えないかっていう判断があるわけじゃないですか。
嫌だなっていうモヤっとした感情が湧き上がってきて、
それを自分で認知したときに、
この感覚どうしようってなったときに、
伝えるとか伝えないとかあるわけですよね、判断としてはね。
伝えるのか大きくは伝えるのか伝えないのかっていう選択肢があるじゃないですか。
で、全然大したことないことであれば、
そのまま5分ぐらいしたら、5分もかからず、
一瞬なんかムッと思っても、
次の瞬間にはもう別に大したことないかと思って消え去るような、
すんごい些細なこととかあって、
そういうのは伝えなくてもいいかなと思っていて、
一方で今後もこういうこと続くようだったら、
嫌だなーって伝えるとか、
これにちょっと話しといた方がいいかなーって、
そういう判断をとるときがあるんですよ。
そのときに自分の考え方の傾向として、
伝えるようになったって、
ロジックが見つかれば、
そのロジックに基づいて伝えるんだけれども、
こうこういう理由で、
これは良くないと思うからやめちゃほしいとかね、
例えばだけど。
なんだけど、
お気持ちをお気持ちのまま表明して、
相手に受け取ってもらうっていうことを、
自分あんまりやれてないかもなーって、
下手くそ。
多分下手くそだなと思ったんですよね。
なんでなんだろう。
だからお気持ちだけ表明してね。
もうなんていうの、
イライラするとかって、
それだけ言って、
そこからどうするかを相手に、
完全に委ねてさ、
あーイライラするとか言ったり、
例えば扉をバーンと閉めたりさ、
大きい物音を立ててみたりして、
それで向こうが、
こちらに都合のいい態度とかを出すのを、
ただ待つとか、
それは良くないと思うんですよね。
不機嫌で人をコントロールしようとするのは、
誰が相手でもやるべきじゃないと思っている。
そんなことやったら、
関係性がどんどん荒れてくと考えてるからね。
なんだけれども、
お気持ち、
まず私は、
あ、今ちょっと嫌な気持ちしたとか、
ネガティブな感情湧いた、
っていうことをまずは伝えて、
で、じゃあその気持ちは何なんだろう。
なんでそう思うんだろう。
今後どうしていくといいんだろうっていうのは、
一緒に話して見つける。
ロジック探しとか、
アクション、
今後どうするを考えるのは、
つまり手伝ってもらうっていうのを、
もっとやってもいいんじゃないかなってね、
思ったんですよね。
どうもね、
お気持ち表明の重要性と相手との協力
まず気持ちを認知して、
ロジックを見つけて、
今後はこうして欲しいっていうところまで、
自分で捉えることができたら、
なんかこう伝えに行けるんだけども、
それって、
なんか相手のことを、
もっと頼った方がいいんじゃないって、
客観的に自分を見たときに思ったんですよね。
皆さんはどうですか?
何かこう、
家族でもいいし、
チームメンバーとかでもいい。
だから今後も、
短くない時間を一緒に過ごすであろう相手、
みたいなのを想定したときに、
自分こういうの嫌だな、
こういうことされたくないなとか、
そういうときに、
穏やかでいられないなと思ったときに、
そこからどういうふうに、
行動を組み立ててますかね。
だからお気持ち表明とか言って、
バカにするような文脈でね、
誰かをバカにするような文脈で、
使われるときはあるんだけど、
お気持ちの表明自体は、
どんどんやった方がいいんじゃない?
って思ってね。
それを、
お気持ちを表明しました。
はい、じゃあ今後のことは一緒に考えましょう。
それでいいんじゃないかな。
お気持ち表明自体を、
ダメなことにする、
社会において良くないことにするって、
結構ね、危ういなって思ったんですよね。
僕ね、
自分もこうやってポッドキャストやっているのもあって、
いろんなポッドキャストを聞くの好きなんですよ。
その中で、
超相対性理論っていう、
ポッドキャスト番組がすごく好きで、
それのね、あれはいつだ?
結構前だったと思うけど、
今年の1月か、
2023年1月に公開されたシリーズで、
組織での感情表現を考えるっていう、
全4エピソード、
4回にわたって、
組織での感情表現について、
ホスト2人とゲスト1人で、
合計3人でね、
やるっていうね、
会があって、
感情を表明することの難しさ
それもね、結構面白かったんだけど、
そこで思ったのは、
僕、1983年に日本に生まれて、
40歳になるまで育って、
今ですと。
やっぱり、
気持ちとかね、
自分の感情を表に出すということが、
あまり歓迎されない、
歓迎してないよという雰囲気の中で、
40年くらい生きてきたんじゃないかなと、
感じています。
特に、
最近はね、そうでもないんだよね。
例えば、
感情はないものにせずに、
適切に表明するといいと思っていて、
それが歓迎される。
だから、これまで働いてきた会社でも、
今はすごい寂しい。
例えば退職するっていう人がいたときに、
その報告を受けたときに、
めっちゃ寂しいですとか言う?
言ったほうがいいなって、
今は自分はそういう気持ちでいるんですよとか、
正直今、こういうことがあるとしんどいですよね。
今後なくしていきたいですよねみたいな。
だいたい今後のために、
感情を話す。
感情はないものとせずに、
感情をうまくセンサーとして活用することで、
より良い状況を作っていこうという意味で、
感情も含めて仕事の一部として、
うまくやっていきましょうねっていうのが、
それが許されるというか、
歓迎される現場にいたなと思うことが多かったですけど、
でもどうですかね。
小学校の時とかは、
もうちょっと動物的に感情を出して、
嫌になっちゃったなってなっちゃったりしたけど、
中、高、大みたいな、
だから10歳から20歳ぐらいまでにかけて、
いわゆる成長段階みたいな時期においては、
ちょっとずつちょっとずつ感情を出さずにいけることが、
成長とか大人になるというふうに、
擦り込まれた感じはしますね。
その結果、
お気持ちの表明みたいなことが、
しづらくなってるんだとしたら、
これがデメリットもあるような気がするな。
僕と妻との間で長期に渡って、
感情を認めて良い状況につなげる
何かをすごいため込んじゃって大爆発みたいなことは、
今のところないし、
少なくとも、
自分自身は何かを言えずにためちゃってるという感覚はないし、
妻は妻で、
お気持ち表明が上手いと思います。
僕よりはるかに上手いというか、
ちゃんと頼ってくれてるなっていう、
嫌な時は嫌だ。
なんで嫌なんだろうね。
それを受けて、
なんで嫌なんだろうねとか、
じゃあこういう場合はどうかな、
嫌だかねとか、
これは嫌じゃないんだとか、
じゃあこういうケースは嫌だ。
じゃあこういう時に嫌な気持ちするんだね。
じゃあこうしようかって話せてるから、
僕から見て妻は、
思ってることあれば話してくれてると思う。
そう感じられる。
実はためてることあるんだとしたら、
完全に僕の目が不自然だということなので、
そうかもしれないということは、
ちゃんと可能性としては捉えた上でやっていかなきゃいけないですけども、
世の中見てるとね、
仕事じゃなくてもチームとか、
誰かとの関係において、
何か我慢できることが大人とか、
仕事なんだからそのくらい我慢しろとか、
大人なんだからしょうがないこと言わないでよみたいな風になりがちじゃない?
そんな気がするな、僕はね。
それで楽しくやっていけるならいいんだけどね。
それで半年なり1年なり2年3年経って、
もう限界だみたいになるんだったらさ、
破綻してるわけだからね。
本当は無視してはいけないものを、
ないもののようにして扱って、
どっかのタイミングで破滅するっていうのはさ、
全然持続可能じゃないってことだから、
それよりはお気持ちを表明して、
それを受け止めあえて、
お気持ちに振り回されるんじゃなくて、
振り回されてね、例えば物壊しちゃったりとかさ、
暴力振るっちゃったりとか、
ひどい自暴自棄になって、
ひどい意思決定をしちゃうとかね、
そういうのは振り回されてよくないと思うけども、
感情があるということを認めて、
そこから望ましい未来につなげていくっていうのは、
スキルとしてすごく大事なことなんじゃないかなと思っている。
もともと思っているんだけれども、
それをね、自分はロジックが見つかればね、
ロジックが見つかって、
自分なんか整理ついたなってところまでいければ、
さかのぼってお気持ち表明から、
その後の提案までできるんだけど、
ロジックが見つかる前の段階で、
お気持ちのまま表明するっていうことが、
自分はね、どうもできてないのではないか、
スキルがそこのレンドが低いのではないかと感じたんですよね。
なんかまとまってないでしょ、この話。
なんかしゃべりでやってみることにしたんですよね。
皆さんはお気持ち表明、自分は上手にできてるよって感じありますか?
何か工夫してることとか、
あるいはね、うまくいってないんですよみたいなあれば、
ぜひ聞いてみたいなと思いますんで、
お気軽にお声かけください。
このオワダハセ練習でね、
お気軽にお声かけくださいって多分何回か言ってるんだけどね、
全然声かかんないんでね、
引き続きひっそりとやってきつつ、
こっちから声かけたら、
結構応じてもらえるケースは多いんでね。
いろんな人に声かけて楽しくやっていきたいと思っています。
今日のお話はそれぐらいです。
また次のエピソードでお会いしましょう。
それじゃあバイバイ、おやすみなさい。