阿南惟幾の役割
おはようございます。おぎラジの時間です。今日はですね、6月21日午前7時44分
若干いつもより遅い時間ですね、に収録しています。 今日はですね、歴史上の人物についての話をしたいんですけども
皆さん、阿南惟幾(かという人、ご存知でしょうか。 そもそもなんでその話をしようと思ったかというとですね、
アサドラ・アンパン。 そんなに真剣に見てるわけじゃないんですけど、見ていて
やっぱりちょっと戦争のことがありまして、この前戦争が終わって、 やっぱりその戦争の描き方がなかなか
リアリティがあってですね、非常に良かったんですよ。 それでふと思い出したんです。その阿南惟幾(かという人物のことをですね
阿南惟幾(か誰かと言いますと、太平洋戦争及び日中戦争終了時の1945年の
陸軍大臣です。 なので私の最初の認識はですね
会議で、いわゆる天皇交えて午前会議で徹底交戦を主張した人物
の一人ですね。 だからまあその陸軍大臣で戦争主張したから、戦争大好きおじさん
って思ってたんですずっと、私も。 そういうふうに捉えられてきたし
でもですね、実はですね、この人深みがあって ちょっと違うんですよ
で実はその8月14日までに行われた午前会議、その天皇がいて、内閣閣僚たちがいて行われる会議の中で何回も
阿南惟幾(か、途中で会議の席を立っているんですよ、駐座しているんですよ。
何をしていたかというと 陸軍のところに電話をかけているんですね
陸軍省に。 部下たちに言っているわけですよ
俺が徹底交戦を主張しているから大丈夫だと。 これ何を意味しているかってことなんですけども
当時の陸軍にはまあ必殺技があったんですね それは暴発です
1936年2月26日に226事件というのが起きて これは陸軍の反乱ですね。この反乱自体は
鎮圧されるんですけれども、それ以来人々は 陸軍って何するかわからないという恐怖感があって
事実、陸軍としてもその暴発するっていうのは必殺技としてきたはずなんですね
だからその戦争が終わりそうな時にも、いやそんなことはない、徹底交戦だっていう人たちがいて
陸軍はそういう暴発そうだったわけですよ。 穴見コレチカはそれを抑えているんですよ
電話で。俺が徹底交戦を主張しているからちょっと待てと
言っているわけですね
部下たちにはそう言っておいて、会議では徹底交戦を主張するってことをしてて
わかります? これ皆さん、穴見コレチカ
中間管理職だったんですよ。 2つの立場に相挟まれて
どちらもやろうとしたんですよ。 穴見コレチカも分かってたんですよ、戦争が終わるしかないってこと
戦争を終わらせるしかないってことを分かっていて、でもそこで
じゃあもうこのまま負けを認めるってなると陸軍が暴発した恐れがあるから、そこのバランスをとって調整していたんですよ
なんでそれが分かるかというと、当時実は穴見コレチカにも必殺技があったんですよ
終戦の決断
軍部大臣現役部官補筆制というのがあって
陸軍の大臣は現役の部官、要するに
武士の部に官職の官ですね。 部官じゃないとなれないという変な制度があって
それを使うと陸軍大臣って内閣を退陣させることができるんですよ
要するに陸軍大臣を辞めました、もううちからは大臣出しませんとやったら、大臣が欠けてるからで内閣が訴覚できないって言って
その内閣退陣しちゃうんですよ。 実際そういうこともあって
穴見コレチカはそれができたんです当時。 1945年8月当時も
でそれをしなかったことからも
わかるわけですよね。 その必殺技を使わなかったこと、内閣を倒さなかったことからも
穴見コレチカの進居を見て取れるわけですよ
でまぁ最後に馬津山天皇の言葉があって、じゃあ終戦ということを決めていくわけですね
敗戦を受け入れることを8月14日決定するわけですね。 で当時の
内閣総理大臣鈴木勘太郎首相ですね、官邸をですね 穴見コレチカさん8月14日夜ですね
訪れております。 で謝罪をしているそうです
閣下にはご迷惑おかけしましたと
でも私は国のためを思ってのことでそういった変な 閣下に対して態があったわけではないんだと
いうことをご理解いただきたいというふうに言ったそうです。 鈴木首相はわかっていますよ
あなたは私は日本に対しては悲観してませんよって穴見さんっていうふうに言ったそうです
で穴見さんは一礼をして去っていったそうですね。 で鈴木勘太郎首相はその後姿を見て穴見君は伊豆間越えに来たのだろうね
と呟いたそうです。 それが8月14日の夜ですね
そして8月14日の未明、穴見コレチカは皇居の方を向いて腹を切るわけですね
まあこれしか治め方が確かにないでしょうという形ですね
穴見コレチカって人は陸軍大臣なんだけれども 戦争を終わらせるにはどうしたらいいかというのを
たぶんその自分の立場と その陸部下の立場と考えて調整をマークとって戦争を終わらせた
盾役者なんじゃないかなというふうに思っています はい今日はちょっと長くなってしまいました
小平寺でした