2024-09-15 20:57

#229 イエス・キリストの福音 24/9/15

マルコの福音書1:1からの礼拝説教。2024年9月15日録音。来週取り上げる聖書の箇所はマルコの福音書の最大のクライマックスの復活の出来事です。その前に、冒頭の始まりの言葉「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。」(1:1)をもとに、この福音書でイエス様の何が語られて来たのかを振り返ります。1.イエス・キリスト(),2.神の御子(),3.福音()の3つの点から見て行きましょう。

サマリー

このエピソードでは、マルコの福音書の冒頭を通してイエス・キリストの福音について考察しています。イエスという名前の意味やメシアとしての役割、神の御子としての特別な存在について深堀りしています。また、イエス・キリストの福音が持つ深い意味や神秘性について語られ、マルコの福音書がその教えをどのように伝えているのかが解説されています。さらに、イエスが神の御子であることが復活によって示された真理が重要なテーマになっています。

イエス・キリストの福音の始まり
それではお読みします。 新約聖書・マルコの福音書一章一節 神の子イエス・キリストの福音の始めを一緒に読みます。
神の子イエス・キリストの福音の始め、以上です。 今日はこのところから、イエス・キリストの福音と題して二言葉を取り継ぎます。
みなさん、おはようございます。 今日も暑い朝になりました。
9月に入って、空がすごく青くなりましたけれども、 湿度も下がりまして、暑い上に紫外線がきついので、なおさら暑さが身に染みる日々ですけれども、
9月の真ん中、三連休の方もいるかと思いますが、中身に、こうやって二言葉からともに学べることを幸いに思います。
さて、マルコの福音書ですけれども、 来週ですね、イエス様の復活の出来事を、マルコのある意味締めくりの箇所をですね、
取り上げますが、その前にですね、 福音書の主題を一緒におさらいしようと思って、この一節を今日選びました。
一章一節の冒頭ですね、ギリシャ語でこう書いてありまして、
アルケイトゥユアンギリウーイエスクリストゥヒューユーセウと書いてあるんですね。 これ、
元のギリシャ語に即して、ちょっと日本語にもある程度、
なるような訳し方をすると、「福音の始め」と書いてあって、 その後、「イエスキリスト神の御子の」となっているんですね。
一番最初がアルケイ、
始め。 始めに神は天と地を作られたにも似ているんですけども、
よく神芝居なんかにある、始まり始まりという響きですよね。
福音が始まりますよという響きと、また福音の起源という、そのような意味や響きがあるんですね。
その来週、先ほど言いましたが最大のクライマックスの復活の出来事ですけれども、 その前にこの福音書の中で十五章、何が語られてきたのかということを、またこの主題を
取り上げながら 見ていきます。
山登りをしたりですね、
長いマラソンなんかのですね、ゴール前に、
あるいはゴール後、あるいは山頂に至る直前に振り返ると、 景色がまたよく見えたり、新たに見えるようになります。
このように私たちも最初に立ち返りまして、 福音書全体を通して描かれてきたイエス様について再度確認して、復活の来週の出来事に備えていきたいと思います。
イエスの名前とその意味
まず最初ですね、この ギリシャ語の順番で訳していきます。
見ていきます。 ちょっと前後しますが、イエス・キリスト神の御子というところからですが、まず一番目、イエス・キリスト
ということです。 もう一度言いますが、神の子イエス・キリストの福音の始め。
ご存知のように、このイエス・キリストのキリストは称号です。 王とか。
苗字ではありません。 それはですね、旧約聖書のメシアという言葉を、新約聖書のギリシャ語に訳した
クリストスという言葉ですね。その意味は、油注がれた人という意味です。 特に旧約聖書では、
王様とか預言者が神様に選ばれて、その就任式にですね、頭に油を注ぐ。
そのようなことに由来した言葉です。 メシアというね。
ギリシャ語じゃなくて、ヘブライ語の言葉にも由来した意味があるんです。
そしてその神に選ばれたということを、もう少し深く見ていきます。 そこにはですね、名前です。
イエス・キリストのイエスというのが、いわゆる日本語で言うところの下の名前です。
2023年の赤ちゃんの命名ランキングではですね、
男の子はハルト君ですね。太陽のように飛ぶ。女の子はサクラさん。 両方とも2年ぶりの主位を獲得したそうです。
女の子の名前は、ひらがな名が今流行っていて、
昨年ですかね、11人中8人がひらがなだったようです。 この男の子のショーという字は
最近話題の大谷翔平選手のショーという字で、それを使った二文字の男の子の名前が、最近大変人気があると言われています。
まあそのようにイエス・キリストのイエスというのは、いわゆるこのハルトさんやサクラさんのような下の名前なんです。
で、しかしそのイエスという名前は、
学者に言わせればですよ、当時ありふれた名前だったそうです。 今でもですね、スペイン語系の国で割とイエス・ウスという名前が多いんですね。
ある伝道者が、
イエス様信じますか?と伝道集会で声をかけたら、はいと自分の名前を呼ばれたと思って、みんな手を挙げた人が多かったと言うんですけれども、
そのように当時もありふれた名前がイエス・ウスという名前だったそうです。
で、これは英語でイエスがジーザスという風に音が変わりますように、
イエス・ウスがですね、旧約聖書ではヨシハという発音になります。
ヘブル語ではヨシハという発音です。
日本語には漢字に意味がありますね。
同じようにヨシハにはですね、ヤハエは救いである、つまり主なる神様は救いであるという意味なんですね。
音に意味があると簡単に言うと、それがヘブル語なんですが、
ヤシャのヤがヤハウエですね。
ヨシハには主はヤハウエは救いである、神は救いであるという意味が込められています。
で、皆さんご存知のように
その意味はですね、その人物が神様の救いを実行するために、神様によってこの世で選ばれた人、
そういう意味があるんですね。
例えばヨシハはヨシワキに旧約聖書に出てきますけれども、
エジプトから神の民が猛勢を通して救出されました。
で、その救いの完成として約束の地にイスラエルの神の民を導いたのがヨシハでしたね。
猛勢がなくなった後、後を継いだのがヨシハ。
彼らを約束の地に導いて救いを完成させたと言ってもいいかもしれません。
それがヨシハだったわけです。
ですから、このマルコの福音書で私たちが触れてきたイエス様の数々の奇跡とは一体何だったかというと、
イエス様が神の救いを神の民にもたらしてきたその記録だったわけです。
ヨシハという名前が表しているように、イエスはこの地に現れて、
神の救いを当時の人々に表したり授けたそのような存在だということをイエスという名前が表している。
その記録がマルコの福音書に数々記されて、
神に選ばれたヨシハだということが明かしされているのがマルコの福音書だということなんですね。
神の御子の特別な存在
ですから、マルコの福音書の中の数々の奇跡には、そのような神の救いの御業であり、
それがイエスが神の救いのために使わされたヨシハだということの明かしだったわけです。
そしてイエス様が十字架の死を成し遂げることによって、イエス様は罪からの救いを成し遂げてくださったということが、
一つのクライマックスとして書かれていますし、そして復活は最後の敵である死から私たちを救ってくださるヨシハ、
救いのしたヨシハだということを表す出来事だということを覚えておきましょう。
そして来週はその最後のクライマックスを共に見ていきます。
2番目、神の御子という言葉ですね。
じゃあ一章一節皆さんで読んでみましょうか。
神の子イエスキリストの福音の始め。
この神の子、神の子日本語ですね。
神の子、英語ではThe Son of Godとなっていて、ザという言葉に続いてソン、息子のSが大文字になっているんですね。
それはこの御子という息子という言葉が特別な響きを持っているということを英語の表記で表しています。
これは元のギリシャ語ではフィオスという言葉なんですね。
これは息子という意味なんですけれども、その中でも親の相続に預かる特別な存在を指す言葉がこのフィオスという言葉なんですね。
実は、新約聖書の時代にはそのフィオスという言葉が、父なる神様の御性質を宿した人、そのような神の性質を宿した人となられた神の子という意味を表す言葉となったんです。
実は、少し後でも出てきますが、非常に難しい概念なんですね。
英語でこれをディバインという表現をするんです。
ディバイン、あえて日本語に訳すと神的な存在を表す意味です。
一言では説明しにくい非常に深い広い言葉なんです。
日本語に神っているという言葉がありますが、それよりももっと神聖な響きがあって、神っているというのは割とすごいという意味でも、気安く使われてしまうという過言ではないと思いますけれども、そうではなくて神聖なという言葉です。
正しいことではないんですけれども、例えば皇帝のような神的存在を指すときにこのディバインという言葉を英語ではありませんが、ローマではそういうニュアンスで使った。
あえて私流に訳してみると、ディバインという言葉には、人間には見ることも人間が知り尽くすこともできない神を人間に表して知らしめる存在。
そのような意味が特にイエス様について英語でディバインと説明する場合に考えられるのではないかと思います。
人間には見ることも知り尽くすこともできない神を人間に表して知らしめる存在としてのイエス様を表すときにこのディバインという言葉を英語の解説では使うわけなんです。
実はこの神の御子という言葉は繰り返し申しますけれども、もう少し詳しく見ると非常に神秘的で捉えるところが難しい言葉なんですね。
イエス・キリストの神秘的存在
そのような意味を踏まえて、いわゆる聖書の学者がどう御子という言葉、イエスが御子である神の御子ということを解説するか、あえてちょっと難しい言葉を引用してみますね。
ちょっと見てください。神の御子は主として人間的な姿ではなく神的な姿である。主としてというのは主にですね。神の御子は主に人間的な姿ではなく神的な姿である。イエスの御言葉とミヤザが神的であるだけでなくイエス自身の本質も神である。
神的というのはディバイン。イエス様の言葉とミヤザはディバイン。そしてさらに続けてこう解説するんですね。究極的な意味で神のことはイエスだけが解明できる神秘的な言葉である。御子が何を意味するかはイエスが何であるか、どんなお方であるか、何をなさるか、何を語るかによって決まる。
マルコの福音書の主題はこの啓示である。
ですからマルコの福音書がずっとイエス様の奇跡や言葉を記してきました。そこにはですね。神の御子と言って人間でありながら神の本質を宿して神を人々に示す。
そのような神秘的な存在のイエス様をずっとですね福音書を通して明かししてきた。皆さんが今まで見てきたイエス様の奇跡や御言葉にはそういう意味があったということでまた今日理解していただければと思います。
そしてその神秘的で謎めいていてしかし真実であるイエス様が神の御子であるその真理をですね学んできたんですけれどもそのクライマックスが百人大長の十字架の前での告白ですね。
この方は本当に神の御子であったと違法人の百人大長がイエス様の十字架のお姿を見て告白した。先々週の説教ですが取り上げました。
そしてイエスが神の御子であるということのこの決定打がですねまさに復活である。それが衝撃的に衝撃的に語られているわけです。
最後、ちょっと見にくいですが福音という言葉ですね。福音の始まりの福音。福音はギリシャ語でユーアンゲリオンと言います。でよくご存知のアニメのエヴァンゲリオンがこれですね。
そしてユーという窃盗語はですね良いという意味でユーアンゲリオンで良い知らせを意味します。ユーオーディアというねキリスト教のアンサンブルありますけれどもそれは良い香りですね。オーディアのオーディアってオーデコロンと似た同じ語源ですけれどもユーというのは良い。
元々ですね旧約聖書の時代では戦争中に届く戦争が終わったという良い知らせだったんですね。話変わりますけれども日本で一番売れているとされている三聖堂の国語辞典は毎年ですね信号を募集しています。
そして辞書に載せるべきかということを編集員で議論してトップ10を決めて載せるんですけれども、なぜそういうことをするかというとそのホームページにこんな風に書いてあるんですね。
新しい言葉の誕生や用法の変化は新たな環境や価値観を映し出します。言葉の変遷を辿ることは私たちの生活や社会の変化を辿ることでもあります。
何が言いたいのかというと、実はこのユワンゲリオンという言葉、これはもともとこの戦争の終わりの知らせ、勝利の知らせみたいな良いニュースのことを表すんですが、
まさに神の御子、救い主イエス様によって私たちに救いがもたらされたということが、イエス様によって神の救いがもたらされたということが当時のキリスト教にとってとても新しい真理だったんです。
それを何とか表現しようと思って当時の教会が作り出したというか考え出した言葉がこのユワンゲリオン、当てた言葉がユワンゲリオン。
実はそれほどイエス様による救いというのは当時の人々にとって衝撃的であり、新たな出来事だったということを私たちは改めて知るわけです。
そしてそのことをマルコはどれだけ新しいことなのかということを、そして幸いな良い知らせがあるかということを福音書の中でイエス様を描くことによって、その起源、その始まりを伝えたというのがマルコの福音書だったんですね。
良い知らせの記録がこのマルコの福音書であって、その最大の衝撃でありクライマックスがまさに復活したということなんです。
そのことを来週皆さんで見ていきたいと思います。
パウロがこのイエス様に十字架と復活による救いをこのように表現している、そのことを最後に読んで終わりにしたいと思います。
第一コリントの2章の9節です。少し難しいかもしれませんが、ともに読んでいましょう。
目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は神を愛する者たちに備えてくださった。
お祈りしましょう。神の御子イエスキリストの福音の始め、それを今日ともに学ぶことができたことを感謝いたします。
私たちはイエスキリストというお名前も、またイエス様にある救いも、当然のように今受け取り日々歩んでいます。
しかしそれが当時の人々にとって衝撃的な良い知らせであるということを今一度確認しました。
その足取りや証言をマルコの福音書を通して学んでこれたことを感謝いたします。
どうぞ私たちがその素晴らしさや奥深さを新たに今週知りながら、またあなたの復活の救いの知らせを聞く備えをしてくださるようにお願いいたします。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
それでは1分ほど、それぞれ黙祷して神様にお答えする時間をとりましょう。
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