『君たちはどう生きるか』の感想
こんにちは、のらじおのMuroです。
こんにちは、かえです。
ちょっと、収録空いちゃいましたね。
そうですね。
なんか、気づいたら1ヶ月以上空いてて、
あ、1ヶ月空いてるっていう感じでした。
ねえ。
まあ、そういうこともあるよね。
うん。
僕はあれなんですよ。
見ました。
あ、見ましたね。
宮崎駿の、君たちはどう生きるか。
私も見ました。一昨日見ました。
ん?
うん、一昨日見ました。
どうでした?
いやー、よかった。
よかったですね。
私的には結構、
なんていうか、
爽やかな感じの印象でした。
最初終わった時。
そうね。
ラストがいいもんね。
うんうん。
なんか、ラストが爽やかに終わるから、
爽やかな感じになるよね。
うん。
いやー、なんていうか、その、
ここからめちゃくちゃネタバレするんで、
『君たちはどう生きるか』とナウシカのコミック版の関連性
まだ見てなくて、あれ聞きたくない人は、
聞いて欲しい感じでいきましょうか。
そうですね、聞いて欲しい感じでいきます。
もうガンガンネタバレしていきますけど、
なんていうか、
まあ全く何も情報がないかったじゃないですか、
そのジブリの意向で。
ポスター以外の情報がない。
かなり私としては身構えていったんですよ。
うんうん。
風立ちぬを一番最初に見た時に、
怒りだったから私が、
最初、この話しましたけど、
結構前に風立ちぬ一回見て、
最近見て感想が変わったみたいな話して、
一回目が、
聞いてないみたいな。
怒りなのが結構面白いんだよ。
そこで怒るの結構面白いんだよな。
そうですか。
だったから、
次何されてもわからんぞみたいな、
本当に何言われるか。
だって君たちはどう生きるかって、
まずタイトルでバーンってなってて、
来るなら来いって感じじゃないですか、
私としては。
来るなら来いっていう感じじゃなかったですよ。
また何を言われるんだろうと思ったから。
僕はあれでした、
ロコシ君ちょっと、
ちょっと研究計画について話そうかって言われて、
研究室に呼ばれた時の気持ちでした。
でもそれ結構怖いですよね。
向こうは軽いけど、こっちはやばいみたいな。
君たちはどう生きるかを、
そういう感じで僕は受け止めました。
そういう気持ちで映画館に行きました。
でもそれに反してっていうか、
意外とこう、なんていうかな、
スルッと落ちたっていうか、私の中では。
で、結構晴れ晴れしく見終わったっていう感じでしたね。
なるほどですね。
なんかこう、めちゃくちゃいろんな要素が詰め込まれて、
詰め込むって感じじゃない、
散りばめられてるっていう印象だった。
今までのいろんな宮崎作品の中からもだし、
なんかそれが、
総集編みたいな印象で、
宮崎駿と視聴者の関係
スッと入ってきたって感じ。
びっくりするような、殴られるようなことは、
警戒していったけど、意外と殴られんかったなって感じでした。
あ、そう。
僕、映画館に着いた時は、
ゴッドファーザーのパート1の冒頭のシーンって、
3兄弟の妹のコニーの結婚式なんだよね。
コニーの結婚式に出席している主人公の、
大学生の時。
どっち?お父さん?
いや、大学生の時。
息子。
息子の方のマイケル・コルレオネの気持ちで入って行ったんだよね、映画館に。
まあ、言うて、みたいな。
まあ、それはうちの家族はそうですけど、みたいな。
まあ、言うて、自分さんなんだし、みたいな。
なんなんだよね、この家族はね。君も嫌でしょ、みたいな感じで、彼のガールフレンドにね、なんか、
してたんだけど、
映画館に出る時は、
ソニーが殺されちゃった時のマイケル・コルレオネ。
やばいじゃないですか。
一番もう、パチンってスイッチ入った時みたいなやつ。
これ、自分がファミリーどうかしなきゃいけないの?みたいな。
なんか、私の、あれ多分すごいいろんな要素が散りばめられてるから、多分人によってどこを撮るかが、
どれを中心に撮るか、いろいろあるなーって思ったんですけど、
私的には、一番感じたのが、ナウシカのコミック版の最終の要素を強く撮った。
庭の話?
庭の話、そう。庭以降の話。庭から墓を破壊するまでのやつだなって思ったんですよ。
庭から墓所までの話だよね。
そうですよね。だから、これあのやつと思って、私あそこめっちゃ好きなんですよね。
コミック版のナウシカ、あそこがもうすごいやっぱり最大クライマックスのとこじゃないですか。
この話、あの話だと思って、メッセージとしても同じものを受け取ったので、庭から墓所までのメッセージと、
矛盾しないなって思ったから、君たちはどう生きるかが。
だから、かなり宮崎駿の初期の、最初期の思いと、今の、かなり晩年の作品になるじゃないですか、絶対に。
それにブレがないっていうの、すごいなって思った。すごいし、ちょっと嬉しかった、私はそれが。
だから、その衝撃はもう済んでたから、庭から墓所までも、あれを読んだときはもう、やべえって思ってたけど、
それを一回済ませたから、あれだと思って、
ああ、知ってるこれ、みたいな感じで。
なるほどね。
皆さんもね、見てる人がここまで聞いてると思うから、あれなんですけど、念のために言うと、
お母さんを亡くしちゃった小学生ぐらいの男の子が、
第二次世界大戦が起きて、疎開先の田舎に行くんだと。で、田舎には父のご妻がいて、ご妻が妊娠していると。
妊娠先で、人間が化けた青鷺っていうのが話しかけてくるんだけれども、
この青鷺っていうのは、田舎の屋敷にある巨大な塔に自分を誘おうとする。
その塔は、気が狂った大王子さんというのが作ったと言われていて、
その気が狂った大王子さんが、自分を呼んでいるから塔に来いっていうふうなことは青鷺に言われるんだと。
行かないんだが、行かなかった結果、自分と関係が微妙だった父のご妻っていうのがいなくなってしまい、
そのご妻を助けるためにその塔に入っていくと。
で、塔の中がワンダーランドになっていて、みたいな。
で、そのワンダーランドを大冒険して、義理のお母さんと一緒に帰ってくるんだと。
物語の大きい構造はそれですよね。
ストーリーの流れはそう。
で、そこで物語のクライマックスになってから、
そのワンダーランド全体がある意味で塔の内部みたいなもので、
その塔からつながっている世界そのものみたいなのがあるわけですよね。
この世界のパラレルな、この世界を映し取ったかのような、ある意味のパラレルな世界みたいなのが広がっているんだから、
その世界全体を支配しているのが、その気が狂った大王子さんなんだってことがわかってくるわけですよね。
物語のクライマックスに。
で、この大王子さんが、自分の老いっ子を連れてきて、頼みたかったのは、
この世界というものの維持管理っていうのを、自分の老いに引き継がせたかったんだ。
で、なぜ引き継がせたかっていうと、自分はこの世界の管理っていうのを、もうずっとやってきたんだ。
で、ずっとやってきて、この世界が美しく正常なものであるように、清いものであるように、
悪意のない無垢なものだけで世界を構成してみたんだと。
だけれども、どこからともなく悪意というものが現れて、この世界が崩壊しつつあるんだと。
なので、新しい悪意のない世界の元みたいなのをあなたに渡すので、老いっ子に渡すので、
その老いっ子は、あなたの老いっ子の能力によって、またこの世界を組み立て直すんだっていうふうなことを、
その大王子さんが頼むわけですよね。
うん。
で、なんて言うかな。
僕はこれが、なんて言うかな、大王子さんであるみたいなのが、
だから、おじいちゃんじゃないですよね。大王子さんなんですよね。
だから、自分の直径の線像じゃなくて、
あ、そうか。
こう、ちょっとずれてる線像なんですよね。
だから、あれが大王子さんであるとかが、やっぱなんて言うの、僕は、
あれが大王子さんであるという設定が、僕に何を考えさせたかというと、
あれは宮崎駿の作品を見て育った僕たちと宮崎駿じゃないですか。
あー、なるほど。
主人公のね、真人くんっていう、真の人って書いて真人くんっていうのが主人公なんだけど、
真人くんと大王子さんの関係っていうのが、宮崎駿と僕たちの関係になるわけですよね。
うんうん。
前作の風立ちぬで、
僕が1986年生まれなんだけど、1986年って多分風の谷の直しが公開された年なんだよね。
うんうん。
だから、風の谷の直しが公開されて以降、宮崎駿の作品とともに大きくなってきた僕らが、
20代だった時に公開されたのが風立ちぬで、
風立ちぬで言ってたのが、君たちはもう大人になったので、はっきり言うけど、みたいな話だったよね。
あー、確かにそうですね。
もうおとぎ話の皮みたいなのをかぶらずに、はっきり言いますけど、
働いてくださいと。
世界に美しいものを生み出してくださいっていう話だったじゃないですか、風立ちぬって。
世の中には何かを生み出せる人間と生み出せない人間がいて、
それはピラミッドの頂点に立つ人間と、
ピラミッドに埋もれていく人間なんだっていう話をしてたじゃないですか。
そんなこと言うって思って僕はびっくりしたわけだけど、
ってなったらナウシカのあの話も、ラピュタのあの話も、トトロのあの話も、
もしかして、みたいな話になったのが風立ちぬじゃないですか。
それは、近所の優しいおじさんだと思ってたおじさんが、
大人になったから飯連れてってやるぜって言って、一緒に行ったレストランが、
マフィアが経営してるレストランで、
一番奥の部屋に連れて行かれて、どんって座ったら、
そのおじさんがマフィアのボスだったみたいな。
え?みたいな。おじさんが?みたいな。
そういうショックが風立ちぬにはあったわけですよ、僕にとっては。
ってなったら今回その10年後、30代になってる僕たちっていうのが、
何を問われてるかって話ですよね。
20代の時に出た風立ちぬにおいては、
人生で最も創造的な10年を、あなた方は何に使うのかって聞かれてたわけですよね。
聞かれてた後に10年経って、君たちはどう生きるのかって言われたら、
この10年の宿題みたいなものに関して、
なんか言われるんだろうなって感じじゃないですか。
で、行くわけですよね。
でもこっちはもう、マフィアの親分だってわかってるから、おじさんが。
近所の優しいおじさんじゃないわけですよね。
で、塔の中に入ってみたら、この世界を支配してる。
だからこの美しい世界っていうのはジブリの世界ってわけですよね。
宮崎駿による美しい世界とジブリの観客
ジブリの世界。このジブリの世界が宮崎駿が一生かけて作り出してきたこの美しい世界っていうのは、
インコやね、ペリカンとかに象徴されるような鳥ですよね。
つまり人間の本性みたいな。
みたいなものによって、ダメになりつつあると。
彼が作った美しい塔の中には、うぞうむぞうのインコみたいなのがいっぱいいて、
せっかく美しく作ったのにダメにしてるわけですよね。
これなんかジブリの観客なわけですよ。
あ、そうなんだ。
だから、風立ちぬの時に、
ピラミッドがある世界とない世界どちらがいいかねっていうのを聞かれてるのに、
そのメッセージを受け取らずに、
うわー風立ちぬすげーって言ってたような人たちが、あのインコなんだと思うんですよ、僕。
あ、全然それは思わなかった。
で、それを受けて、
もう俺は力が衰えていると。
これ以上この世界を維持することができない。
ってお王子さんが言ってくるわけですよ。
で、この世界を君にどうにかしてほしいって言われるわけですよね。
それを風立ちぬの時に出た10年の宿題の答え合わせとしてそれを聞かれてるわけじゃないですか。
え?ってなりますよ。
それは真人くんの、映画の中の物語として、
真人くんがどのような選択をするかということとは別に、
僕たち一人一人が、あの大王子さんから、宮崎駿から聞かれてる、
あの真人と同じタイミングで、
真人が王子さんに聞かれたように、僕たちは宮崎駿に同じことを言われてるんだと思うんですよ。
この13個の石をね、集めておいたよと、この無垢な石をね、
集めておいたよって、宮崎駿に言われてるわけですよね。
今まで俺の作品見てきたよねって。
俺の作品の元ネタになったこの児童文学とか世界の美しいもの、
日本の美しい風景、美しい火の描写とか美しい水の描写とか、
宮崎駿が見てきただろうアニメーションとかクレイアニメとか、
いろいろ見せてきたよねってあなた方に。
この石を持ってあなた方はどうするって言われるわけですよね。
そう、全然それは分かんなかった。
えぇ、えぇってなったわけですよ。
僕にってなるわけですよね。
ってなった後に真人くんが、あれがね、その後の真人くんのセリフとかがやっぱすげえなと思って、
真人くんがまだ現実世界にいるときに、
上級生とちょっとこぜり合いになってケンカになっちゃうんですよね。
で、ケンカになったのをちょっと大事にしてやろうと思って、
石でね、自分の頭を殴っちゃうんだよね。
で、その傷が案外大きくて、結構大事になって、
お医者さん呼んで、血もめっちゃ出たし、みたいな。
病気になっちゃうんですよね。
感染症になって。
で、超大事になっちゃうんだけれども、その傷が頭についてるんですよね、真人くんは。
で、そのおじさんに対して、この傷を見てくださいと。
真人くんの選択と宮崎駿からのメッセージ
これは僕の悪意の証ですって言うんですよ。
だから、最も美しい石を集めてきても、
この世界には必ず悪意が入るっていう話を真人くんはするんですよね。
これ、めっちゃ示唆的な話だなって思ったんですよ。
だから、おじさんの世界に悪意があるのは、おじさんに悪意があるからですよね。
おじさんも同じ傷を持ってるわけですよね。
その前に一遍、積み木を積んでるとこを、おじさんが真人くんに見せて、
なんかこうペンでチョンってやったらグラグラっとなって、ちょっと持ち直すみたいな積み木が。
で、この中から1個選んで、この積み木を安定させてみろ、みたいに真人くんに言ったら、
真人くんが持ってられてる石をみんな見て、
で、ふと頭にちょうど良さそうな円柱形の積み木がスッとその塔に入って、
一番上の屋根みたいな三角を支える絵みたいなのがバッて真人くんに浮かんだ後に、
この石にはみんな悪意があるから、1個もダメです、みたいなことを言って、
それが分かるだけでいい、みたいなのを言われたと思うんですけど、
なんかそれも同じ意味だと思った。
石で殴った自分の傷っていうものの争いと、
この中の自分がイメージして、ここに入れるっていう、なんていうかな、
それがもうダメみたいな、そういう意味かなって思った。
なるほどね。だから、
あのインコやペリカンは王子さんが持ち込んだものなんだと思うんですよ。
青鷺は真人くんが持ち込んだものなんですよ、たぶんね。
青鷺は真人くんの本心みたいなもんだと思うんですよ。
ずっと真人くんが本当に喋りたいことを青鷺が喋ってるんですよね。
青鷺と一番初めは対立してるんだけど、その対立を乗り越えることによって、
青鷺と協力することによって、その世界に順応していくっていう物語なので、
自分の中の葛藤っていうのを制御していくっていう話、物語の構造を持ってるなって思ったんです。
だから、いずれにしてもインコやペリカンが王子さんと共にこの世界に来たように、
真人くんは青鷺をこの世界に持ち込んでいるので、
それは自分の本性とか、自分の欲望とか、自分の恐れみたいなものがそこにあるんだと。
なので自分が自分自身である限り、どうやっても世界を無垢に作ることはできないっていう話。
が、あそこで取り交わされたなって思ったんだけども。
うん、わかる。それは。
そういう風に見てるんだなって、そこはそう思ったっていう感じ。
で、真人くんがその辺でもらった石と共に、自分の世界に帰っていくっていう話だけれども。
だから、世界の欠片っていうか、新しい世界を作り出す種みたいなものは、
宮崎駿の老い子たちのポケットの中には入ってるんだよね。忘れてしまったとしても。
何かを生み出す創造の種みたいなものは、僕たちみんなのポケットに入っているんだな。
そうか。だから、なるほどね。そうか。
普通みんな忘れちゃうんだよ、みたいに言われてましたもんね、青鷺。
罠に持って帰ってきたんだ。そんなものを持って帰ってくるから覚えてるんだ、みたいな。
人間の存在と生物の多様性の循環
普通みんな忘れるし、忘れた方がいいのに、みたいなこと言われてましたね、真人くんが。
だから、真人くんの物語としてはいい終わり方なんだけれども、
真人的なるものとしての僕は、宿題が終わってないので、
すみません、宿題終わってません。先生、すみません、みたいな。
この創造的10年間を、僕は空飛しました、みたいな。
何もしてません、みたいなやつ。すみません、みたいな。
別に期待されてないからね。僕は真人くんではないので、彼の後継者でも。
庵野秀明でもなければ、押井守でもないので、別にいいんだけど。
不祥のね、老いっ子の末席にいる者としては、やっぱりじくじいたる思いがあったよねっていう感じ。
なんか、全然宮崎駿の意思っていうか、それは全然考えなかったな。
もっと世界みたいな感じで全部見た。
あの塔の中の世界がすごく、外の現実世界と比べて、
理想的なっていうか、成功線が取れた、バランスの取れた世界として成り立っているみたいな感じではあるけど、
そこにもちょっと歪みみたいなのがあるし、
あの中でもペリカンの話がすごい印象に残ってたんですけど、ペリカンの群れがいて、
なんか、なんかよくわからないけどふわっとした、かわいい、なんか魂の源みたいな、わらわらみたいな名前だったと思うんですけど、
けいこさんって女の人が育たせていく、育たせていくところを見守っているんだけど、そこにペリカンの群れが来て、それを食べ出す、食べ始める。
食べ始めて、それをひみっていう女の子、ひみっていう人は結局ひとくさんのお母さんだったんだけど、ひみが火で焼く。
で、ペリカンだけ落としたいけど、火でやるから、わらわらも結構死んで、
でもペリカンはみんな落ちて、わらわらは全部じゃないけど、ちょっとだけ死んだから残りは生き延びて、みたいな。
で、そこでマヒットくんが、やめろみたいな、そんなことしたらわらわらも燃えてる、火でやったらペリカンだけじゃなくてわらわらも燃えてる、みたいに言うんだけど、けいこさんが、
は、ひみさんを応援して、わぁありがとう、みたいな、これでわらわらが飛べる、みたいに言って、
で、そのうちの一匹のペリカンが、マヒットの目の前に血だらけで瀕死状態で落ちて、
で、マヒットはペリカンを攻めるんだけど、お前がわらわらを食べるからこうやってされるんだ、お前が悪いんだ、みたいなことを言ったら、
ペリカンが、もう自分たちはわらわらを食べていくしかない、って言って、ここには海があるけど、海には自分たちが食べれるような魚がいなくて、
で、その自分たちの食べれる魚を追い求めて、この世界のかなり上空まで飛んで遠くまで行こうとしたけど、どこまで行ってもずっとこの島しかなかった、みたいな、
だからもう、飛ぶのをやめて、自分の子孫たちは飛べなくなってきて、このわらわらを食べていくしか一族の残る方法はないんだ、みたいなことを喋って死ぬ、みたいなとこが、
すごい印象的で、それすごく、あの、生物の、こう、生物の淘汰っていうか、多様性の、生物の多様性の循環っていうか、成り立ちじゃないですか。
あの時、あれで、あ、これ直しかん話だって私は思って、ペリカンにはペリカンの精一杯があって、わらわらにはわれわれの使命と精一杯があって、そこにヒミとかキリコさんがいて、全部の、そのバランスを保とうとしていない、
全員が全力の結果だけが残る、みたいな状況が、塔の中でも起きてるんだなって、いうのがすごいわかるシーンだったと思うんですけど、あそこが。
そこからもうずっと、その視点で見たって感じでした。
だから、あの、塔、大王子さんが保ってるバランスっていうのは、何かをこうしようって言うんじゃダメ、みたいな。
いろいろな結果があるだけで、だからマヒトが、あ、ここにこれを入れたらうまく支えられるな、みたいな、そういうのがもうダメ、みたいなことを、あの積木がやってて、
一番最後その、お前にこの仕事を継ぎたいの13個の無垢な、集めるの大変だったこの無垢な石を積みなさいって言って、マヒトが渋ってたら、インコの大王が適当に積んで、ぐらぐらして、バーンってもう破壊してしまう、みたいなのが宮崎駿の考える人類なのかな、みたいな印象でしたね。
こうやればいいんだよって思ってめちゃくちゃにして、結局自分で壊す、みたいなのを人間の、なんか、ゴーみたいな、人間の様子として、インコ大王として描いてるのかなっていう感じかな、だからナウシカの話も全体的に結末はそうだったと思うんですけど、
でも、それでも、で、マヒトが帰るって言って、王子さんが、今からお前の帰る世界は戦争中だから、火の海になるってわかってるのに、それでも戻るのかって、破滅するとわかってる場所に戻るのか、みたいな問いかけをして、で、マヒトさんを、マヒトは、
ナツコさんを連れて僕は帰りますって言って帰る。で、また扉の前で、
ヒミとマヒトの関係
ヒミはマヒトのお母さん、小さい時のマヒト、なんか時間も多分タイムトラベルみたいになって、いろんな時間軸から人がやってきてるから、もう死んだマヒトのお母さんの小さい時、小さい時1年ぐらい神隠しにあった時のお母さんがそこにいて、
あの、マヒトは最初そのお母さんを自分の世界に連れて行こうとするんだけど、小さいお母さんを、あの、ヒミが、いや私の帰る扉はここじゃないから、行けない、私は私の扉に帰るって言ったら、マヒトがそっちに行ったら、あなたは火の中で、火の病院の中で死んでしまうよ、みたいに言って、
でも、戻らなくちゃあなたが生まれないでしょってヒミさんが言って、帰っていく。だけど、そういうなんか破滅するとわかっていても、私たちは今を切るしかないんだっていうメッセージ。死ぬとわかってても、破滅するとわかっても、今をやっていくしかない、みたいなのを私はナウシカの漫画からすごく強く取った。
メッセージだったんですけど、それをもっとわかりやすく、何度も念をして言われたって感じだったから。
あの、君たちはどう生きるかは、もうこれぐらい言ったらわかるよね、みたいな、もうこの中でも何度も言ったよ、みたいな感じで言われたから、で、まあ個人的には、それは10年ぐらい前に、コミックスの風手の谷野ナウシカを読んだときに、もうショックを受けた部分だったから、
でもまあ、この10年ぐらいかけて、自分の中で落としてきたっていうか、そうだな、確かにそうだな、みたいなのを強めてきたことに、またバーンってきたから、同じメッセージが、わかりましたって感じ、気持ち、みたいな。
なるほどね。
はい、わかった、っていう気持ちで、晴れ晴れしく帰りました、家に。
確かに。
だからその、バランスを保つ、世界のバランスを保っているのが、あの積み木だっていうのも、なんか、なんていうか、
あのインコ一族は、インコたちの今後未来とか、そのインコたちの暮らしとか世界を守っていくのは、意思だったわけじゃないですかね、インコたちの、こう、我々にも力があっていいはずとか、そういうなんか論理みたいな、主張とか論理とか哲学みたいなやつだったんだけど、
蓋開けてみたら、この世界を保っているのが積み木、みたいな。
メッセージとは何か
で、インコ大は怒るじゃないですか、なんか、そんなもんに任せたのか、みたいな。
でも、そういうもんかもね、って思った。
確かに、そういうもんかもね、って思った。
うん、そうなんだよね。
で、最後までインコ大は、その自分の責任感とか、インコ一族の王としての誇りとか、で、あの積み木を積んだり、剣で真っ二つにしたりするんだけど、そういうものが世界を破滅させる、みたいなの。
なんか、具体的に上手に説明できないけど、あ、説得力あるっていう感じ、みたいな。
風の谷のナオンシカでも、世界を滅ぼしたのはそういう人たちだって明示されてるからね。
収集つかなくなって、自分たちを朝廷する者としての朝廷者を作ったら、それが世界を滅ぼしたっていう話だから。
火の七日間っていうのは、戦争を止めるために、超強力兵器作ってみたら、滅ぼされたっていう話だから。
そういうもの。
インコ大王が、インコ大王が塔を登って行って、おじさんに会おうとする時に見送りに来てる人たちの旗がちょっとドイツ風だなって思ったんですよ。
あ、そうなんだ。そこまで見てなかった。
ドイツ帝国が成立した時に、不服戦争でプロイセンがフランスに勝って、プロイセンの王様がパリでベルサイユ宮殿で大歓迎するんだよね。
で、その時の絵っていうのがあるんだけど、なんかそういう感じだなって思って。
あ、そうなんだ。
だからある意味での帝国主義っていうか、パシゾンみたいなのがインコにあり、それはやっぱりその大衆性みたいなものとおそらく彼の中で結びついてんだろうなって思ったんですよ。
クリエイターとしての生き方
大衆の気球みたいなものがそういうものを生み出し、さらにはそれが世界を破滅に導いていくっていう話だなと思っていて。
つまり、やっぱり世界を支配しようとするのではなくて、世界に何かを想像しようとする人っていうのが大事なんだっていう話なんだと思った。
結構一貫してクリエイターの話だと思うんですよ。
宮崎駿のフィルムグラフィーって。
何かを見つけ出したりとか何かを生み出す人っていうのが。
そうですね。
価値を生み出していて、それは彼がクリエイターだからだと思うんだけど。
だから想像的10年間が大事なんだっていう。何を作り出すんだお前はっていう。
何かを作り出すというのは、さっきかいちゃんが言ったような、生態系の中、生き延びようとするメカニズムの中で、
僕たち自身が生き延びようとすることによってしか、何かが生み出されるっていうことはないみたいな話だと思うんですよ。
だからこの10年間、風立ちぬから約10年間、何を作り出そうとしましたかって感じに受け止めた。
どのように生きましたかみたいな。
生きようとしてきましたか。いざイケメンやもですよみたいな。
イケメンやもってやってきました?みたいな。
そうか。だから風立ちぬは、あのペリカンとか、そういう、何て言うかな。
命を燃やせみたいな感じだったと思うんですけど、風立ちぬ。
生きろっていうのは、生存しろっていうんじゃなくて、命を燃やしなさいみたいな。
生き延びろっていう意味ではなくて、今ここで命の輝きとなれっていう話だったよね、風立ちぬは。
その一つ一つがペリカンだったり、わらわらだったりとかすると思うんですけど、
だから風立ちぬはミクロな感じの、クリエイトとしてはミクロの話で、
君たちはどう言ってるか、もっと引いた視点の話かな、もっと世界。
確かにそうかもしれない。
ズームアップしたやつと、もうちょっとズームアウトっていうか、もうちょっと引いて、全体として見た感じの印象、イメージです。
世界を問うみたいな。この中で生き、この中でどうする?みたいな感じ。
全体を見せて、で、でどうしますか?みたいな。
あの、風立ちぬでさ、飛行機の設計会議を軍部と一緒にやるっていうシーンがあるじゃん。
で、軍部がずっと何か喋ってるんだけど、僕たちには何言ってるかわかんないみたいなシーンがあるよね。
あれは堀越二郎が聞いてないっていう。
で、会議が終わった後に、どうだった?って聞かれて、いや聞いてもしょうがないからって堀越二郎が答えるシーンがあるんだけど、
あれがね、たぶんね、インコが喋れないとかが同じなんだと思う。
聞いてもしょうがないね、この人たちの話をみたいな。
もう通じないからね、みたいな。
そうそうそうそう。想像性のない人たちみたいな。
それはピラミッドの下部にいる人たちなんだよねっていう。
だからこの映画も結構悲劇的なんじゃないかなと思っていて、ある意味ですげえ鮮明思想的な話をしてると思うんだよね。
そうだと思いますね。それはかなりそうと思う。
あなたは真人ですよね。真の人になるのか、もしくはインコなのかっていうことを聞かれてるんだけど、
それは絶対そうと思う。
多くのインコは自分のことを人間と思いながら生きていくっていう話でもあると思うんですよ。
僕は風立ちぬの時にそこが一番ショックだったんですよね。
宮崎駿ってもっとインクルーシブルな人だと思ってたから、
僕は結構子供の時に風の谷のナオシカの漫画版も読んでたから、
ナオシカの博愛的なところ?虫を助けるとか。
ああ、そうなんだ。
年金のために頑張るとか、そのようなところに着目していたんだけれども、
虫を助けたり、年金を助けたり、人間を助けたりした結果、虚無に晒されて、
なんかこういうんじゃねえなってなっていく。
ちょっと違った。こういうのあんまり意味ねえんだなってなってくるわけじゃないですか。
映画では完全にそこがナオシカの主戦として描かれてるのに、漫画の中では迷いみたいな部分なんですよね。
ナオシカの。
で、結局最後庭に行って、庭でナオシカ改造されちゃうわけじゃないですか。
で、庭から出ていくときに、庭の主に向かって、
あなたは残酷だけど優しいっていうんですよね。
あなたは生命を奪えないので私を殺さないっていうんですよね。
ナオシカは逆なんだね。
ナオシカはいざというときに誰かを殺すことをためらわない人間だから。
そうそう。
だなっていう。で、それとかを、風立ちぬを見て、気がついたって感じなんだよね、僕はね。どっちかというと。
あれ?って思ったわけ。
博愛とかじゃないんだみたいな。
で、なんていうの、この、その後に全部を見てみると、博愛とかじゃねえっていう話になってくるから。
僕たちみんなが頑張ればバズーみたいになれるみたいな話では全然ない。
頑張ればキキみたいになれるみたいな話じゃないっていう。
生き延びようとしなければキキにはなれんっていう話。
生き延びようとしてさえなれん奴はいっぱいおるっていう話。
魔女の宅急便ではキキに一番初めに会う魔女の女の子が。
だからあの子はキキになれなかったですよね。
ああいうふうに自由に生きようとしてうまくいかなかった。
結局その花町に行くっていう話だし。
なんていうかな、パズーのお父さんとかね。
人生どうにもならなかったわけですよね。
だからどうにもならない人はいるみたいな。
ってなった時に、どう生きるのかか、みたいな。
私、20歳か19歳か20歳かぐらいの時に、風の谷のナウシカのコミック版を全部読んで、
その時に私に最も強く残ったナウシカっていうのは博愛だったから、博愛の方じゃなくて、博愛と慈悲。
博愛の方が先で、
博愛と王様がナウシカを見てすごく気に入って、
気に入ってというか賞賛して、気に入った。
お前は博愛と慈悲の混沌だって叫ぶシーンがあって、そこがめっちゃ好きで、
博愛と慈悲の混沌かと思って。
博愛と慈悲の混沌としての墓所を破壊するナウシカの慈悲みたいなものをずっと考えて今まで来たので、
君たちはどう生きるかで、これでもかっていうぐらいそれを何重にも重ねて、
もう一回やってもらって、決意を固めたって感じ。自分の覚悟を決めたみたいな。
そういう感じでした。君たちはどう生きるか見て。
確かにね。ちゃんと着目すべきところに着目してるな。
僕何年も同じシーンで最も着目してたのはあれだもんな。
同家が乗っ取られるじゃないですか、墓所の主に。
で、乗っ取られた後に、同家の頭巾にくっついてる鈴がチリーンって鳴って、
どの真実をだねって言うんですよ。
あれが一番好きだった。そこじゃなかった。
注目すべきなのは。そこじゃなかった。
あとなんか、やっぱりその庭、コミック版のマウシカの墓所に、
人間を墓所に行かせないための罠としての美しい庭と図書館みたいなのがあって、
足止めを、王様たちは夢中になっちゃって、音楽とか古い、ここには全ての音楽があるみたいな、全ての本があるみたいな。
なんかそのイメージは、あの塔の中の本がきっしり詰まった壁みたいなのを、
なんかすごいおんなじだなと思って、この中すごい、あの庭みたいな感じなのかなって思ったし、
一番その、なんか宙に浮いてる石みたいな、大おじさんが。
世界の中心みたいな。
あそこに行くまでに、楽園みたいな庭園があって、インコたちは、
天国だ、天国だーって。
これ庭だって思った。あの庭だこれと思いましたね。
墓所での決断と美しい絵
で、墓所を、新人類のための卵を全部破壊してしまって、ナウシカが。
もうその、滅びゆく世界だとわかっていても、私たちは生きるしかないみたいな決断をするのと、
魔人が、そのおじさん、大おじさんの仕事を継ぐのをシーブルっていうのが、なんか同じ意味かなと思った。
確かにね。ナウシカ庭の主にスカウトされてるんだよね。
一緒に永遠に生きて、この庭でこの世界の管理人になりましょうって言われるんだけど、断るんだよね。
墓所へ行かねばならないからって。
墓所で行って何をやるかっていうと、
世界の汚染っていうのが終わった後に、その世界で生きるべきだった、
遺伝的に操作されて、争わない人間たちがいるんですよね。
それの培養層を全部ぶっ壊すってことやるの?
そうそう。あれは結構最初の時衝撃でしたね。ナウシカね、みたいな。
そこまでは私も、博愛のナウシカをまだ捨てきれてないから、
卵を全部ぶっ壊しはみ出めて、こいつやべえ、みたいになった。
あの卵と、卵の中から生まれてくるはずの人たちっていうのと、
キリコさんが魚を捕まえて、配る時に影みたいな人がいっぱいいて、
あの人たちは自分で殺せないから、もらうことしかできない、みたいなことを言う。
あの影の人たちと、卵から生まれてくる人たちがすごい同じかなって思った。
なるほどね。死人なんだ。
うん。生きていない人たち、みたいな。
死人の方が多いとか言ってたし、この世界の死人の方が多い、みたいにキリコさんが言ってて。
高度にめちゃくちゃエスカルな人たちっていうのは、
それはそれで生きてると見なされてないんだ。なるほどね。
だから、あの影、接触ができないっていうのは、
ペリカンや、わらわらや、キリコさんや、
全力で生きるのができない人たち。
分け前をもらうことしかできない人たち。
確かにね。
そんなものは生きてるとは呼べんって、そっちかな。
そんなものは人間とは呼べんってブオウも言ってましたもんね。
これ、君たちはどう生きるかの中の、君たちはこう生きるなの部分と思った。
死人か。死人、ペリカン、インコ、大おじさんがいるわけだ。
うん。そうそう。
大おじさんでいることも、別にいいこととして描かれてないもんね。
うんうん。
苦しみの中でやってるからね、あれをね。
しかもそれは、ある意味で無意味なことをやってるんだよね。
滅びが宿命づけられた世界みたいなものを、
延長してる。
どうにかこうにかやってるだけで、
そこに特に意味があるわけでも、達成できる何かがあるわけでもないんだ。
っていうことだもんね。
あれについてはどう思いました?
女性性。つまり夢の世界で出てくる人物っていうのが、
僕の考えでは、3種類しかいない。
鳥、魔人、お母さん。
で、鳥は魔人自身なので、
鳥と魔人は同一のもんである。
でなると、基本的に世界の中に魔人とお母さんしかいない。
だから、あの世界に出てくる人っていうのは、
具体的に言えば、鳥、魔人、キリコさんっていう魔人の家の使用人だった人と、
あとヒミっていう魔人の産みのお母さんと、
あとナツコさんっていう魔人の義理のお母さんと、
大王子さん。
6人いるんだけど、
この6人のうち、大王子さんと魔人はおそらく同じなんだよね。
別々の時間軸の同じ人物。
で、鳥も魔人の本心だと考えると、
鳥、魔人、大王子さんは一律なんだよね。
で、残りのナツコさん、キリコさん、ヒミさんは、
その3人とも、やっぱりお母さんなんだよね。
女性性についての一考察
だから、あの世界の中には、自分とお母さんしかいないっていうのはどうだったですか?
あんまり。
なんていうか、もうその、もうなんか、元も子もないっていうか、
ちょっと放棄になるかもしれないけど、
ちょっと宮崎作品の中で、女性について考えることは結構諦めてるから。
意味ねえから。
もう80超えてますからね。
80超えてんのかな?超えてるよね。
まあ、今までの歴代の作品としても、
彼が母とか、母とか少女とかに何か特別なもの、投影をしているっていう部分については、
なんていうか、どうしようもないっていうか、
宮崎駿の世界では、その、なんていうかな、
女性感とかじゃなくて、
あの映画の中に限ってですよ。本人のあれは知らないけど、
なんていうかな、女性性とかじゃなくていうより、
なんかちょっとナンセンスな気がする。
彼の作品の中で女性性について、
何かを、そういう視点で見ること自体が、
あんまり意味がないかなっていう気がする。
なるほどね。
そういう部分、そういう、なんか、
彼の作品において限って言えば、
すごく表面的な施策っていうか、そこについて考えるのは、
あんまり意味ないかなっていう。
実りあるものにならないか。
なるほどね。
言おうと思ったら何でも言えると思うんですけど、
今、反対に言おうと思ったら、
めちゃくちゃ言えると思うけど、
それについて言おうと思ったら、
とても表面的な話になる気がするっていう。
あとやっぱ、映像表現と画面の美しさが、
結構すげえって思った。
一番初めの、お母さんの病院が火事になって、
まひとくんが病院まで走るシーンの、風と火の表現とか、
あれなかったよね、これまでに。
確かにそうですね。
かなりデフォルメがきつかったけど、
リアルって感じでしたね。
風立ちぬの地震とかも結構デフォルメだったけど、
もっときたなって感じでしたね。
それもよかったし、あと、大叔父さんの部屋に入る、
その天国みたいな庭の部分と、建物部分との間に、
何もない回廊があって、
デキリコっていう画家がいるんだけど、
僕デキリコの絵が好きなんですけど、
見たいだなって思ったし、
あと、全体的にすごい絵画っぽいっていうか、
なんかバシーンバシーンと絵がある。
死の島のシーンもそうだし、絵があって美しいなって思った。
一番初めに青鷺が、
本家のおもやの座敷の中に入ってくるシーン。
あそこに、庭の池の上から、
おもやの軒下にスーッて飛びながら入ってくるんだけど、
飛びながら入ってくる一瞬前に、
青鷺の目の部分みたいなのがアップで映るんだけど、
その時の絵描き込みとかもすごいすげーなって思ったし、
あと、これちょっと絵画的な絵作りとはまた違う話になっちゃうかもしれないですけど、
本家の表玄関からの表座敷が、ずっと豪華絢爛で美しいんですよね。
すごかった。
ふすまに花の葉みたいなのがあって、
日本画の金箔の貼られたふすまみたいなのがザーッてある。
どこどこ金持ちなんだろうこの人。
そうそうそう思った。
で、そこから使用人区画みたいなのが入っていくときに、
階段を降りていくんだけど、
裏側に入った瞬間に、壁が崩れてるんですよ。
ソウル見てなかった。
階段のね、右上から左下に降りてきて、
左下に廊下がスーッて伸びてたじゃないですか。
この廊下になる、階段の接している壁のところが崩れて、
藁が出てるんですよ。
土塀が崩れて、漆喰が剥げてて。
で、裏側が壊れてるんですよ。
これ、藤の世界に入ってからもずっとそうなんですよね。
藤の世界って表側はすごい美しいんだけど、裏に入ると汚いんですよ。
隕石の生存区画とかね。隕石の生存区画も墓所の内部みたいですよね。
墓所の内部もほら首がいっぱいあったりとかしてさ。
表側美しいんだけど、中に入ると壊れてるみたいな。
それが進行している。滅びが進行しているみたいなのがあったなって思った。
抽象的な場面と足音の細部
なんかその画面の美しさみたいなのはすごい印象的だったっていうか、
話も全体的に抽象的だったけど、
絵も結構抽象的な部分が多くて、
今までのどれよりも、なんかその話の流れの中で美しい森とか、話の流れの中で美しい景色とか、
そういうのは、とか、千と千尋の夕焼けの感じとか、
風立ちぬのは風にかぶっと吹いて、傘が飛ぶみたいなのとかはあったけど、
あの建物の中がカオスっていうのもあるけど、塔の中が君たちはどう生きるか、塔の中がカオスなのもあるけど、
なんか本当にこう、美しい絵みたいなのが、抽象的にいきなりポツンポツンと出て、
なんか双周辺感があるっていうか、宮崎駿が描きたい絵を描く、みたいなことだったのかな、みたいな思いました。
場面から場面への繋がりがないんだよね。
たとえば、風立ちぬの時に被災してから家に帰るまでの道とかっていうのが結構ちゃんと描かれてたし、
ムスカから解放された後にパズーが家に帰る間、その家に帰るまでの道みたいなのが描かれてたんだけど、
君たちはどう生きるか、場面から場面への移動シーンがないんですよね。
確かにそうですね。ポツ、パチ、パチ、みたいな感じですね。
だからものすごく抽象的に見えるし、場面が移り変わった時に景色みたいなものが絵画的にバッて出るから、美しいってなる。
一番初めに塔に入ってから、その塔の床が溶けて落ちていくんですよね。
落ちていった後は大海原で死の島があるんだけど、何のあれもないですか?
唐突ですよね。
パッて死の島になってますからね。
落ちていって、みたいなのないですもんね。
あと最初のお屋敷から、特にお屋敷の中、夏子さんのお屋敷の中の足音がすごい印象的でした。
足音超リアルって思った。下駄で歩く、外を歩く足音とか。
そこから、夏子さんが表の大きい玄関から上がって、履物を持って行きましょうねって言って、下駄をカンカンって合わせるとこすごい好きだったんですけど、
あそこから板間を歩く、板間をスリッパで歩く音と、裸足で歩く音と、そこから畳に入るとか、
それがすっごい細かく分けられてて、すっごい気持ちよかった。足音が。
なるほどね。そうだったかもしれない。
僕、アトビー…ん?
ドルビーアトモス?
ドルビーアトモスだった。
って見ました?あ、そうなんだ。私普通のやつだった。
すっごい足音が心地よくて、スリッパで歩いてるなとか、すぐ分かるみたいな感じが面白かった。
全然どうでもいい話なんだけどさ、僕、ほら、あれが好きじゃないんじゃないですか。
で、一番初めに青鷺が、
あー。
地獄での最悪の状況
クマヒト君を塔に招待したときに、青鷺が来たときに、
あれ、地獄でしたね。
あー、ほんとだ。
最悪の状況ですね、クマヒトさんにとって。地獄。地獄でも最悪のタイプの地獄ですね。
動け!クマヒト!動け!って思った。
ほんとだ。
平気な顔をするな!って思いました。
あー。
あのシーン嫌だった。
坊ちゃん、坊ちゃん、行こう、行こう、みたいな。
嫌だって思いましたね。
良かった、面白かった。
面白かった。パンフレット買いに行きたい。
須田まさきさんが良かった。青鷺の声が。
クレジット出ても、須田まさきって名前出て、どれが?って思いましたもん。
あれ、ちょっとにわかには信じられなかったな。
あのキムタクとかは、聞いた瞬間にバッて顔が浮かぶから、あ、これキムタクだわって。
あと柴崎孝とかも、キリコさんが若返って、あ、柴崎孝これだ、みたいな顔が出て。
で、私、あの、ひみは橋本かんなちゃんだって思ってたんですよ、ずっと。
そしたらあいみょんだったけど。
でもなんか声聞いて、顔が浮かんでしまう人が結構いっぱいいたけど、
須田まさきだけは、これは声優さんだなって思った。
から、めちゃくちゃもう馴染んで、なんか人の顔が浮かばなかった、もう。
ぴったりすぎてていうか、違和感がなくて。
で、最後クレジット名前出て、どれ?って思った。
で、帰って検索したら、青鷺だったから、マジでって思った。
すいません。声で人間を見抜く能力が低くて。
うたくですら気がつかない。
たぶんね、この間気づいたんだけど、映画を見るときに、かなり限定的な情報を僕処理してると思ったんですよ。
あれ見たんです。これだ、ひろかずの怪物。
あー、見たい。見てない。
で、僕がやってるゼミの中で、怪物の専用のカギ付きのチャンネル見て、怪物見たい人だけが来るっていうチャンネル作ったんですけど、
僕基本的に、セリフとか人間の表情とかをずっと見てる。
だけど、僕とディスカッションしてくれた方が、ずっとその画面の中にある、象徴的なものだけをずっと喋ってて。
おもしろい。
なんていうんですか、ダビンチコードみたいな。
ここにこのコップがありましたとか、赤いワンピースが目立ちました。
この折り紙が兜ということはみたいなのとか、ずっと嘘の話で、全然それに着目してなかったの、僕と思って。
着目してるとことしてないとこがあんだなって、今なんか声優の話、誰が声をやったかっていう話されて、分かんなかったですね。
最後、クレジットを見て、へーって。
なんかね、ペリカンが日野翔平だったのかな。
違う、ペリカンは。
遠藤。
違う、えっと、
深夜食堂の。
深夜食堂の。
分かんないけど分かった。
顔出る。
あの、日野翔平は、
王子。
王子か。
全然分かんなかった。
日野翔平は分かんなかった。
全然分かんなかった。
あと、大竹忍が、
大竹忍、おばあさんの桐子さんかな。
そうなんだ。
それは分かんなかった。大竹忍さんが何かをしているのはクレジットで出たけど、どれだったんだろう。
なんかさ、
あの映画が終わった後に、クレジットの後とかにさ、
メッセージが流れるのかなと思ったんだよね。
私も待ってた。
この映画について、
よそで喋らないでください的な。
そういうのか。
だって誰も感想喋んないじゃん。
ツイッターとかで。
だから、
メッセージ出るのかなって思ったけど出なかった。
みんな自主的にやってるんじゃない。
すごいね。
みんなの空気を読む力がすごい。
えらい。
面白かったね。
面白かったですね。
どう生きるんでしょうね。
クレジットでの声優の特定
いずれにせよね。
生き延びようとしなければいけない。
破滅に向かうと分かっていても、明日をやるしかないですね。
なんか私的にはね、結構許し感があるんですけどね。
それ、そのことは。
許されてるっていうか、
破滅に向かっても明日を生きることしかできんみたいなのは、
結構晴れやかなんですけどね。
印象としては。
それ自体はね、いいんだけど、
やっぱり意思を託されてますから。
意思を託されてる感がないかな。
勝手にやりますって感じ。
ああ、そうか。
そうそう、まひとくんはそうだもんね。
勝手にやりますって思って。
そうそうそうそう。
映画見た後に何人かと喋ったんだけど、
僕以外は全員勝手にやります派だったから、
あんまり13個の意思を託されたことに関して、
いやーってみんな思っちゃって。
こっちはこっちでやるんで、みたいな感じなんだ、みたいな。
だなって思いましたね。
勝手にやろうが勝手にやるまいが、
ピラミッドがある世界に生きているので、
この想像的10年間を何に使うのかっていう問題は、
依然として残ると思うんだけど、僕は。
だなって。
そうそう。
だから、その結果、火で落とされるペイカンになるかもしれんけど、
それでも生きる、みたいな感じですよね。
そのようにしてみんながやるんですよ、みたいな。
落とされてもやるんです、みたいな感じ。
この世界には他に島がないからね。
うん、そうそう。
そうなんだよな。
この世界には他に島がないんだよな。
いやー、あそこめっちゃ良かったな。
火でペイカンを落として、わらわらも結構死ぬっていう、あそこがめっちゃ良かったな。
で、真人くんだけが慌てて、きりこさんが、やったー!みたいに言って、
やったー!ひみさんだ!やれやれ!みたいな感じの、
あそこめっちゃ良かったな。
置いたペイカンの死にざまも良かったし。
あそこかなり好きな部分でしたね。
この全編通しても。
ペリカンが死ぬシーンすげー良かったんだよな。
僕はあのシーンすげー好きだった。
うん、良かった。
なんというか、ああいうものから学ぶよねって思った。
ペリカンの埋葬において、青鷺と初めて共同作業するじゃないですか。
とかもやっぱそうだよね、と思いましたね。
そうなんだよね。
教えるとか教わるとかじゃないんだよなって思う。
それはかなりありましたね。
あのペリカンの、なんていうの?
これ教えてもらってる?と思ったら散漫な話ですよ、あれ。
何の話だろうって思うんだけど、
あそこからしか学べないからねって感じ。
なんかそれは、
君はどう生きるかを見てから思い返したら全部そうだったなってすごい思ったけど、
宮崎駿の映画の童話的な部分ってそれですよね。
私があなたにこれを伝えますっていうのが明示されるんじゃなくて、
なんとなく残って後々わかるみたいなやつやりたいって感じがするっていうか。
示唆、明言したり、あなたはこうするべきですとか、
私はこれが美しいと思いますとか、世界とはこういうものですみたいなのを直球で言うんじゃなくて、
全体としてそのようなことになる要素が散りばめられてて、
今のこれ何だったんだろうみたいなのが残ってほしいみたいな。
子供なり大人なり見た人にあのペリカンの言葉とかがなんとなく残って、
その人自身が生きていく中でふと思い出すみたいな、そういうのをやろうとしてるんだろうなって思った。
確かに。
子供の時は何かわからんかったけど、あれってもしかしてこういうことなのかな、みたいなのを作るってめっちゃ難しいと思うんですけど、
それって起こっていくこと、あの世界の中では人にペリカンが出会ったみたいにして起こることだけど、
そのなんとなく残るっていうのを意図的にやるっていうのすっごい難しいんじゃないかな、みたいな感じがしたし、
それをやろうとしているのかなって思った。
確かにな、そうかもしれない。
ペリカンの埋葬と意味のある映画
僕はあんまりあの映画に対する批判的な分析を聞いてないんだけど、聞いた?
映画館から帰る時に後ろの人たちは全然意味がわからなかったって言ってた。
そうか。なんかな、残酷だな。宮崎駿の目にはだってインコとかに映ってるでしょ?それが。
インコか。
だけど、わからないでしょ。
死人として映ってるんでしょ?
見てすぐは全然意味がわからなかったでいいって思ってるかもしれないなっていうのを。
確かにね。あれがね、石だからね。ポケットに入った。
で、何かその人の人生の中で何かがあった時にふと繋がったり、ふと想起されたら勝ちみたいなのをやってんのかなみたいな。
確かにね。そうだね。その通りだと思う。
それぐらいの野望はありそうと思った。神話っていうか。
恐ろしいじいさんですね。
恐ろしいじいさんだし、なかなかその余裕持てないですよね。
それこそクリエイターの人で、今すぐ結果が出ないものを作るって。
めちゃくちゃ勇気と地位もいると思うけど、宮崎駿はもうその地位を持ってるからできる部分もあると思うけど、でも勇気がいることだと思いますね。
勇気か諦めかわかんないけど、余裕がないと。
あと2つの位置作れるよねって感じですね。
作りそうですしね。だって終わるって言ってからもう2個作ってるからね。
でも結構これでもか感はなかったですか?これでもかっていうか。
まあとはいえ結構わかりやすく言えてるなって。
なんかね、こういう言い方すると聞かれてる方はめっちゃ傲慢と思うかもしれないけど、
すげーわかりやすい映画だと思った。
それは思った。もっとポニョから感じてほしいこととかよりずっとわかりやすいと思った。
ポニョは何回だと思った?
難しい。ポニョは難しかった。
ポニョが難しかったからだろうね。
だってその次に作ってるのが風立ちぬとこれだもんね。
ポニョは本当にそれをやってんだと思う。
全体として感じてくれみたいなのをやってるから難しいっていうか。
難しく作ったらマジでついてこんなって感じ。
そういう感じ。そういう感じだった。
だからすげー親切な映画だなと思った。
台詞もわかりやすかったし、その台詞を言わせる場面とか、
そういうのもとっても案内されてる感じだった。
あなたこれを見てこう思うんですよって感じだった。
頑張ります。
頑張りましょう。
生き延びようとします。こんなもんすかね。
それではまたお会いしましょう。ご機嫌ようむろでした。
ご機嫌よう。