1. グッドモーニングボイス
  2. 【676GMV】反動形成とHSP
2022-09-22 43:21

【676GMV】反動形成とHSP

究極の綺麗好き
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
あまり聞きやすくないと思うんですよ。
その理由は簡単で、下で1回で収録しているせいですね。
これがマイクの差なんですよ。
2回で収録していればこんなことにはなってないんだけど、
なぜ今日こっちでやっているかというと、
どうしても今これ喋っておかないと、多分うまくは喋れなくなるなって、
今晩まで待ったらダメだろうなと、ほぼ違うことを喋りたくなるだろうと。
今ですね、火曜日の朝8時なんですけれども、
あ、違う、水曜日。水曜日だな。
水曜日の朝8時なんですけど、
今日のこの20時まで待って、同じことが言えるかというと、
言えるわけがないので、今もう喋っちまおうというわけなんですね。
もう一つあって、上の収録の時は30分縛りがあるんですよ。
どっちかというと時々ですけれども、
ツイッターとかでコメントをいただく、今回面白かったみたいなのは、
だいたいですね、下の収録ばっかりというか、今まで下の収録はほとんどでしたからね。
つまりそれはだいたい、しかも長いんですよ。
だから30分縛りはいいと思うんだけど、やっぱり長くなるんですよね。
長く喋っている中で喋りきれると。
上でですね、30分縛りの2本撮れば済む話なんだけど、
上の時はそもそも時間がちょっと限られていると。
あともう一つ、これも非常に重要なことなんですけど、
妻が今寝ていて、娘はいないと。
つまりほとんど家でですね、私が喋りたい放題、
つまりこれは生じがが不在だということなんですよ。
これが私がいつも言っている、全意識を自由に使える、
その広大な領域を自由に使えて、
かつ格好良く話を切ろうという、
ろくでもない考えを持たずに済むことが、
どれほど自分の枷を取るかと、枷ですね。
枷を取るかと、ハメを外せるかというのが大事だとやっぱり思うんですよね。
これに近いことはよく村山さんも、
表現をする人は必ず意識していたほうがいいとおっしゃっているのと同じなんですよ。
はっきり言って、言語を読み上げるというのが一番ダメだと思うんですよね。
あれが最低だなというやり方としては、
それをやるのが良くないという話じゃなくて、
それをやる必要がある時ってあるんですよ。
卒業式の式地とか、代表で喋るとか、
その通りに喋ることが一番大事と。
そういう技術もありますよね。
でも私がやるこれとあれは全然別のものなので、
これをやる時に言語を読み上げるようでは絶対面白くないし、
03:03
まず私が一回もできないだろう、それではと思うんですね。
600回もやりたくない。
言語ないから。
この長時間と今言いましたけど、
長時間の話なんだけど、
最近防衛規制の話をずっとしてますね。
防衛適応メカニズムですけどね。
防衛適応のメカニズムの話をしているんだけど、
防衛の話の中には、防衛にはいろんな防衛があるんですよ。
抑圧とか、反動形成とか、反動形成の話をしたりとか、
打ち消しとか、否認とか、変異、脅迫、あるいは知性化、合理化。
合理化はちょっと微妙だなって思うんだけど、
あと隔離ですね、そういうような。
全部で24種類あるとか、どんどん増えるんですよ、こんなものがどうせ。
あれも防衛だ、これも防衛だって絶対後から人が気づくって、
増えるに決まっているんですね。
最初はだいたい6か7歳だったはずだったから、
知らない間に30歳くらいになって、テストで終えるとき苦労するという、
どうしようもない話になってくるんですけど、30歳もいらないんですね。
せいぜい15歳あればいいんじゃないかと、最大でもそう思います。
それくらい身作っておけば、どうせそれカウンセリングのときに
使えるとは思えないんですよね、24種類。
問診票書くとかいうわけじゃないですね。
反動形成というのは非常に単純な防衛の一つです。
防衛ってどれも単純なんですけれども、ある意味思春期レベルのところまでで
確立されるというか、一通りみんな経験するようなものですからね。
現在に適応するための心理的な方法論ですから、
そんなに複雑なものは役にどうせ立たないじゃないですか、
そんな複雑なことをしたいと。
例えば汚いものに触ってしまって、手を何度も洗うと。
これは打ち消しが入っていると思うんですけれども、
こういう非常に単純なものなんですね。
そういう心の中でそういうことをすれば、
実際の行動としても役に立つよねっていう、手がきれいになるから。
だけど行き過ぎると手から血が出ているのに、
まだ手を洗っているみたいな話になるよねっていう、
そういう話ですから。
反動形成というのはですね、今の話と、
どれも防衛はちょっと似たところはあるんだけど、
今の話と似ていて、ある欲求を持ってしまったら、
その反対の欲求を持つようにすればうまくいくよねと。
幼い子供もそういうことをすぐ思うわけですよ。
例えば私はとてもきれいな木だから、
お餅なんかにしないっていうふうにするんですよ。
反動形成というのはそういうことです。
とても長寿が芸能的で、現実適応性が幼い子はとてもいい。
この戦略を取るということはですね、
06:01
いい子になる系の戦略なんですけど、
この戦略を取るということは、
私たちは割と大人になっても使える戦略だし、
ほどほどに、何でも防衛はそうだけど、
ほどほどにやればうまくいくわけです。
で、私はこれがですね、この反動形成というのは、
中に、倉園さんがよくグッドワイバスでお話になる話とか、
HSP系のですね、私は怖がりなんですという、
特に対人関係の恐怖感が強い。
対人恐怖でも説明できちゃうんじゃないのって思うんだけど、
とにかくそういう敏感なんですというのは、
反動形成と対抗のセットぐらいに考えると、
説明しやすいなと思うんですけど、
反動形成と対抗のセットぐらいに考えると、
説明しやすいなということに最近思い立ったというか、
だいぶ昔に思い立ったのが、
久しぶりに思い出したことで、メモとか見てて、
最近ほら、IOS16になって、
メモいじるのは楽しいんで、
メモいじっているうちに昔のメモを見つけるんですよ。
それでこのアイデアをそういえば昔持ったということを思い出したんですけど、
何でも長字が長字がで手詰めしていたんですけど、
長字がって正しさなんですよね。
長字がって。
ここが自我心理学の大きな欠点の、
欠点じゃないんだけど、
そういうふうに考えちゃう我々がいけないのかもしれませんけど、
まるで自我とか、まるって私、
まるって書いて、長字がってやると、
なんかキャラクターっぽいですよね。
そういうんじゃないと思うんですよね。
長字がって、正しさの、
それこそクラゾノさんとぶっちゃけ相談やってた時に、
クラゾノさんが書いてくださった、
正しさの憲法みたいにリストされている、
それが長字がだって感じが、私はむしろするんですよね。
長字がって、形成演じはですね、
幼い頃は顔ですよ、人の顔色だと思うんですよ。
親の顔色とかを伺うっていうのは、
長字がの原型にあると思うんですけど、
大きくなってくるにつれて、やっぱり、
憲法のリスト、条文みたいになる。
それが長字がなんだと、私は思うんですね。
だからキャラクターみたいなのがずっといるっていうイメージも、
悪くはないんですけど、
理解しやすいという意味では。
でも、あの感じだとですね、
長字がが長字ががって言っている時に、
なんかこう、ただただ抑え込むみたいな感じになってしまうんだけれども、
長字がって、やっぱり相談屋になるんですよ。
私があくまでもその存在に相談して、
何が正しいか、間違ってるか、
どうエースを抑え込むかを自我がやるんですよね。
それは結局自我がやるんですよ。
その時に防衛というやり方を使う、
メカニズムを使う、
そういった話になるんですね。
で、もちろん長字がは深く関与しているんだけど、半導形成には。
間違いないですよね。
3歳児が、私のおもつ汚いの嫌とか言うのは、
本能では絶対考えにくいんです。
09:00
親が言ったのに、言語をしているに決まってるから、
半導形成の元に長字がが関与しているのは間違いないんです。
つまり、いつものHSTは長字がに罰されるんですっていうのを、
今私は細かい。
その時に、いろいろ抑圧も使われるし、
打ち消しも否認も使われるので、
半導形成大事だなって思った。
ということを昨日、iOS16にアップデートしたメモで見つけたという話を
今日しようと思ったんだけど、
これを夜の9時まで引っ張ると、
多分しなくなるから私は、
今ここでしちゃおうと。
今ここでしちゃおうと。
マイクの貧弱なのはすみませんということで、
これが聞き応えがあるということになるのを、
こういった戦いが大きいんですよ。
やっぱり今私はわりと伸び伸び喋っているんですよね。
夜に比べると。
そんなに意識の上での差はないんだけど、
今こうやって喋ってみると、そのことに気づくんですよ。
ワンフェーズ違う。
だけれどもマイクはワンフェーズどころか、
7フェーズぐらい落ちるから、
そこで相対し合うみたいな、
しばらくは朝夜でやります。
いやいや、朝にいいマイクにしてやろうよって言われるかもしれないんですが、
その環境のセットができないんですよ。
多分そこでマイクが起きるところでこれをやっちゃうと、
妻が起きてしまう可能性があるから、
その可能性を意識すると、
2階でやるのとあまり変わらないレベルになるんですよ。
こういういろんな面実があるんですね。
話が逸れてるんで戻しますね。
反動形成というのは、
僕はやっぱりここでフロイト的に言うべきだと思います。
性的な話、一番この反動形成は分かりやすい。
で、誤解を招くとも思うんですけど、
つまり反動形成じゃないですか、
性って小さい子が、
今はわかんないですけどね、
私の子供の頃は本当そうだったんですよ。
性に興味を持つ悪みたいなね。
性に興味を持つバッスルみたいな。
学校の先生とか親とか、
みんなね、そうじゃない地域とか、
人たちもいたんだと思うんですけど、
うちのほうは本当ひどかったんですよ。
そういうことにちょっとでも興味を持つやつは、
ぶっ飛ばしていいくらいな、
勢いだったんですよ。
これが反動形成。
大人の反動形成やっちゃいけないと思うんだと、
ダイレクトに。
子供が自発的にやるなら、
つまりSは散らかってたり、
エッチなことに興味があったり、
ボタボタこぼしたり、
だらしないわけですよ、Sは。
いいんですよね、それで。
それがすっごい嫌だっていう人は、
すでにちょっとオブジェクションが入っちゃってたんですよ。
ある意味。
本能的に嫌だってことはありえないと思うんです。
だって動物ってみんなそうじゃないですか。
そこでなんですよ。
そこででも人間は文化的な要求があるから、
子供は自発的に反動形成ということを始める子が、
女の子に多いかな。
でも男の子にもいっぱいいます。
12:01
私なんかすぐやっちゃいます。
つまりワンチューンですかね。
おもねるんですよ、簡単に言えば。
いや私はもう子供だけど綺麗なのが好きだから。
反動形成するわけです。
これはもう本当に教育の場では、
特に私が子供だったことは非常にいいことだとみんなされていたんで、
私これ不思議なんですよね。
だって私が子供だったんだってこと。
まだまだ日本でも精神分析は強かったんだけど、
なぜあんな分かりやすい反動形成を、
いや素晴らしい反動形成漫才みたいな、
そんな文化って明らかに変じゃないですか。
分かってないならいいんですよ。
でも分かってないとは思えない。
だからまあ楽だからね、大人にしてみれば。
勉強大好きみたいな。
ゲームするの嫌みたいな。
いやなりますよ、すぐ。
割といい子な子供っていうのはすぐなります。
反動形成というのは至る所にいられます。
大人になると、さっきおもねると言いました。
大人になると言いましたけれども、
例えばすっこいあの部長、
本当威圧的で苦手だって言ってる人に対して、
いやいや俺結構好きだよとか言い出す人、
必ずいないじゃないですか。
いるんじゃないかと思うんですよね。
一定数の中には。
そしてその人たちの中には、
かなり反動形成やってる人がいます。
そういう厳しい人の所に、
ペコペコへり下って叱られるのは楽しいんですみたいな。
そこまではいかないかもしれないけど、
でもそういうことをやることで、
その現実に非常に入っていきつくなるんですよ。
私、フロイト自体、自身から、
これをですね、違う文脈で言っても全然、
多くの人がいろんな文脈でしゃべってるんだけど、
あったんだろうなって思います。
フロイトって人はですね、
弟子が育てられないって、
東原カイトさん言ってたんですけど、
まさにそうなんですよ。
弟子が育てられないって言い方もできるんだけど、
妙な人に、ものすごい浸水するという、
妙な人ばっかりじゃないんだけど、
明らかにフロイトの方が、
ものがわかっているだろうに、
なんかですね、
明らかにわかってなさそうな人に、
単純ですかね、
やっぱり侵伏しちゃうような感じのところがあるんですよね。
これもいろんな解釈があるんだけど、
一番有名なのがユングですよね。
ユングはでも、ある意味、
あの人自体がすごい人なんで、
それはそれでいいんですけど、
いっぱいフリースって人はいますよね。
オランダ人。
多分、フリース知ってますって人は、
相当精神分析、好きな人だと思いますよ。
世代ぐらいであれば。
大概の人、フリースとか、
全然聞いたことないってことになるはずなんですよ。
最初にアネナ・オーノを見たのも、
2人でフロイヤ先生と一緒に、
フロイヤの名前、知られてないですよね。
どう考えても。
フロイト超有名だけど、
フリース全然有名じゃないじゃないですか。
フロイトはもうフリース先生万歳みたいな、
15:01
そういう、ちょっと今はすごいかじょりましたけど、
フリースに手紙いっぱい書いて、
私はこんな発見もしました、
あんな発見もしました、
みたいな感じで、
ほとんど恋愛状態になるんですよ。
これは同性愛的に評判を解釈される、
そういう本も多く見受けられるんだけど、
とにかくフロイトって、
そういうところがあるんですよ。
やたらと男に惚れ込むみたいな。
なんだけど、
相手はそこまでじゃなくない、
みたいな、
そういう感じがすごく感じられる
やりとりというのが、
いろんな人といなって、
いずれは必ずですね、
ユングが育って、
仲互いして素縁になって、
最初の熱意はどこへ行ったんだ、
ぐらいな感じになっちゃうんですよね。
これはなんとなく反動形成をやっている、
少なくとも途中ではやっているような、
フリース明らかにその辺分かっています。
分かってなくても、
フリースは分かったことにしちゃって、
フリースは賢いから分かっているぐらいの、
そういうノリにしてしまって、
ユングもそうなんだけど、
できるだけ男通りやって、
なんとか仲良くしても、
もう無理っていう感じに、
お互いがなって破綻するみたいな、
そういう気配が濃厚にある。
この反動形成というのは、
今の反動形成の説明は、
正しくないかもしれませんけれども、
私自身には身に覚えが、
結構あったんですよね。
今そんなではなくなりましたけど、
うちの父にあったんですよ。
明らかに自分、
みんなにあまり好かれていない、
同僚の坊さんとかのところに、
自分だけは分かった人のようにして、
近づくんだけど、
いずれ破綻するんですよね。
そしてその時は、
必死にある意味、
らしくもなく自分を曲げる、
みたいなところをやって、
相手にすっこり合わせて、
無理になっちゃうみたいな。
それは無理になるよな、と。
みんな無理になってるから、
近づけてないのに。
だからそこには、
一種自分には特別運命の思いが、
そういう女性もいるじゃないですか。
あの男は、
みんなにダメ男って言われてるけど、
私だけは彼のことが分かる、
みたいな感じで、
どんどん近づいていく。
その時にどこかに、
反動形成があると思う。
嫌っていうのを、
無理矢理逆転させる。
そういうことをやれるんですよ、
私たちは。
そうやって人と近づいていくんだけど、
最後は、
みんながやがってるところに、
その人だけ。
だから、ある意味その人は、
すごいのかもしれないんだけど、
獲物には限度があって、
カウンセラーとかそこを頑張らなきゃならないから、
大変なわけですよね。
だからその人と恋愛とかしちゃうと、
やっぱり大変なわけで、
そういうことを言うんだけど、
やっぱりお金にだらしなくて、
暴力的なところに苦しむわけですよね。
そういうことも、
反動形成ではよくあるんだと。
18:00
私はやっぱり、
性的なところでこれが、
無実に出るケースがあると思う。
その一番分かりやすいのが、
リズムってやつだと思うんですよ。
なんか変じゃないですか、あれ。
どれも変なんですけど、
女性は露出を100点満点なのに、
男性の方は、
タキシードの形で、
虫とか持ってるじゃないですか。
あれ、絶対おかしいですよね。
あれはどういうことなのかと思うんです。
エスが性欲を出しますと、
これも絶対あります。
エスは性欲を持ってますと。
持ってないという人は、
ほぼいないと思いますよ。
動物がこれを、
ほとんどの個体を持たないってことになると、
もう死滅してるはずなんで、
2万年など3万年など生きてきた種っていうのは、
当然その子孫が、
性欲がみんなあると考えるのが妥当ですよね。
妥当みたいなものですよ。
ところが、性欲はあっちゃいけないという
反動を形成するんですよね。
いろいろ理由はあると思います。
あんまり持たない頃から持ってると、
結局子供できても、
育てようがないですから。
だから、抑え込む理由は分かるんだけど、
そこで反動形成するわけですよ。
ある種の宗教ってそうじゃないですか。
性欲を持ったら、
自分を鞭で打つみたいな。
これ完全に反動形成で、
しかもめちゃくちゃ極端ですよ。
この時に、
Sの欲求と長時間の欲求を
同時に満たせるわけです。
だから、すっごい本人の中の気持ちって、
不思議な感じになると、
こんな性欲を持ってる。
だから、際どい格好をさせたいみたいな、
あるいは恥ずかしい格好をさせたいみたいなのがある。
格好をすると相手を後打つみたいな。
これは、
持っちゃいけない欲求を
自分が持っちゃったから、
ここで自罰に出ると、
つまり魔像になると。
ここで自分を打ち打ちたいとは、
別に人が思わないと思うんですよ。
同時に、
Sには色んな欲求がありますけど、
非常に典型的なのに、
性欲と攻撃力っていうのは、
普段抑えられている欲求としては、
この二つを同時にまとめて満たせるじゃないですか。
だから、
言いがかりみたいになりやすいですよね。
SMの世界、
すっごい言いがかりっぽいなって思うし、
いつも、
お前はそういう性的な欲求を持っていて、
手しからんみたいなことを言って
打ち打つんですよ。
自分が持っているのは自分なわけですよね、
これを。
それを相手に投影すると。
そして、無知で殴ると。
自分の性欲と自分の攻撃力、
つまり、
普段から抑えておかなきゃならないとされているものを
一度に、しかも極めて劇的に満たすことができて、
大変満足と。
そういった話なんじゃないかと思うんですね。
これを、
我々はですね、
ここまで、
これをやるとなると、
もはや今じゃと、
どっかのクラブに行って
お金いっぱい払わないとできないから、
そうじゃなくてですね、
これを、
21:01
昼間に堂々とやるというのが、
私は、
それが逆に出ちゃうというのかな。
そういう、
攻撃をしたいという欲求と、
罰したいという欲求で、
代替えすると。
そういう時にですね、
カワハラとHSPみたいな問題になって、
現れるんじゃないかなと。
基本的にですね、
私たちは攻撃というものを
抑えておかなければいけないものじゃないですか。
だけれども、
出していいとされる瞬間というのから、
文化的な条件というのがありますよね。
つまり、
こいつは罰せなければならない。
みんなが、
概ね合意が取れた時に、
誰かそこで、
罰したい欲を持っている人が、
しかも罰していいと思っていがちな人が、
あるいは、
どっちかというと、
そういう感じよりも、
耐えられなくなるんでしょうね。
つまり、悪は罰さないとダメだみたいな、
そういう気持ちに、
かりとてられるというか、
そういうことってしばしばあるじゃないですか。
例えば、
みんなでカワハラ課長を、
思い知らせようみたいな、
そういう気持ちの中が埋まった時に、
人ってやっぱり、
これを抑えられなくなりますよね。
その時に、
攻撃は日頃抑えているんですけれども、
攻撃が出せる、
罰することができる、
という状態になった時に、
特に、
反動形成ってやつが、
すっごくやっぱり、
役に立つような感じがあるんですよ。
何点ですかね、
その時の心理状態になってみないと、
何をどう反動させているのか、
反動ってのは要するに、
HSPなんですよね。
でも、
HSPの人っていうのは、
HSPの人じゃないんですよね。
HSPは条件なんだと、
僕は思うんですよ。
その人は気が弱いんじゃなくて、
気が弱くなっているんですよね。
つまりそれは、
自我がいつも、
この番組で最近ずっと言っている、
自我機能が対抗を起こしているわけです。
だから、
悪い、
悪いものを罰したいんだけれども、
我々は普通、
なんていうんですかね、
S、
Sですよ。
欲動というものは、
いろんなことを引き起こすんですけれども、
引き起こすというか、
引き起こそうと、
いつもある意味している。
それはいつも、
いつも抑え込まれているんです。
欲動の側にしてみればですよ、
思いのままにやるってことは、
何一つある意味、
思いのままにやってみたい。
つまり、
性的なだけではなく、
絶えざる欲求不満というものは、
ある意味ではあるわけですよ、
ある意味では。
時間はその絶えざる欲求不満に、
いつもある意味、
突き破られているというのがあるわけですから、
24:01
ほとほと疲れていて、
対抗というのは、
いつでもどこでもすぐ起きるわけですよ。
一休みさせてくれよと。
一休みすると、
Sが出てくるわけですよ。
Sが出てきた時に、
一番楽なのは、
反対の欲求をSが持っちゃうことだったと思うんですね。
つまり、
だからここで善悪というものが発生するわけです。
Sがやろうとしたことは、
悪じゃないんだけれども、
文化的にいろいろな理由があって、
それを調整しなければならない自我としては、
とても疲れるから、
そういう疲れをですね、
一気にひっくり返すわけです。
こういうことしか望まないものにしちゃいたいわけです。
非常にHSP的な条件というものだと思うんです。
さっき言った通りですが、
つまり、パンツは汚れてないのが好きなのか、
これを言うと、
HSPの話がすごく幼稚っぽく聞こえるかもしれないですが、
これは大人になったタイミングで、
こういう話になっていると思ってほしいんですね。
つまり、すごく良心的じゃないですか。
HSPの方が、
いつもすごく良心的って話になるかもしれない。
これは私は反動形成というものが、
ここにすごく関与していると思うんです。
つまり、良いことしかその人は望まないわけですね。
良いことしか望まないという人にしてみると、
ここが反動の非常に重要な点なんだけれども、
これがうまく機能していたらいい。
そうですよね。
お物が汚れていない。
これ自体も良いことですよ。
問題なのは、
ちょっとお物を汚しちゃったと言った時に、
取り替える。
ちょっと汚したら取り替える。
服もそうなんですよ。
そういう子っているんですよ。
ちょっと服汚れたときでも言いましたが、
取り替える。すぐ取り替える。
極端な着入れ好きの態度。
少し対抗を起こすと、
自然こういう話になっちゃうわけですよ。
反動形成というものをしていると。
反動形成というものに、
あまりにも過剰に頼った場合には、
簡単に言うと、
ものすごく綺麗好きな人は、
とても汚い世界に住んでいる。
これはカウンセリングでよく出てくる
命題なんですけれども、
まさにそういうことが起きるわけです。
ちょっとした汚れが耐えられなくなってくる。
ちょっとした、
家庭語で言えばお金のズレが
耐えられなくなってくる。
その辺が非常に脅迫っぽくなってくる。
オブセッションと見分けがつきにくいんですよ。
オブセッションと反動形成はやっぱり
お隣さんなんです。
防衛は何でもお隣さんですね。
こういう人が大人だと考えましょう。
反動形成をきっちりやっていると、
とても良心的になっています。
そうですよね。
27:00
なぜならば、その人が望む悪いこと、
悪いことというか、悪くはないんですよ。
要するに本能的なことは
常にひっくり返されているわけです。
どんどんお腹が空いた時に
ご飯を食べたいという欲求があれば
いつもお腹がいっぱいだから
あんまり食べたくないとか
そういうある種の弱々しさみたいな
あるいはだからこそ繊細という感じ
上品な感じみたいな
そういうものの集合体に
自分をしておくんですね。
そうすることで
自我が消耗せずに済むんですよ。
いちいち汚いから
これはこう
攻撃したい時は押さえて
こういう風にやるみたいな
ある意味大変すぎる。
そこで自分の本能というのを
いろいろ前にしてしまう。
ぐるっとひっくり返すんですよね。
そうすると自我は休める。
でも自我が休むと
対抗が空きやすくなるわけです。
というか自我が休むということは
既に対抗なわけですよ。
子供っぽいところがどうしても
セットでやってくると
そうするとですね
少し人的で
やや子供っぽいっていう人が
むつをちょっと汚れると
すぐ取り替えたり
というのが起こるわけです。
何事もそこで起きても
悪いことばっかりなんですよ。
そういう風になるわけです。
反動形勢はそういう事態を
引き起こしやすいわけです。
きちっとしていたいということは
きちっとしていないところが
目につきやすくなるわけじゃないですか。
絶対に閉じまいを
しなきゃいけないと思うからこそ
何度も何度も確かめたく
計算を何度も何度も
確認したくなるというのは
非常にオブセッションっぽいんだけど
エクセルとかそういうのでもそうですよ。
あるいは手帳の記入とか
ダブルブッキングだけ絶対ダメだと思うと
何度も何度も確認したくなるじゃないですか。
そういう事が反動形勢と
オブセッションと
セットみたいな形で起きる。
そうすると非常に良心的な人
世の中を良心的に
生きていきたいと思う人は
世の中が悪意に満ちているようにしか
見えなくなってくるわけですよ。
だから例えば課長とかが
ちょっと気になっていくんですね。
反動が形成された以上
私だったらああいう言い方は
絶対しないみたいな
そういうのが発生するから
もちろん敏感になるし
過敏にもなるわけです。
そして私だったら部下
新入社員とかに
とても優しく接するという風な
良心的に意識している人からすると
あの新人への指導の仕方
本当ひどい。
ああいう威圧的な態度で
やられたら
会社休みたくなっちゃうみたいな
30:01
そういう事まで気になってくるわけですよ。
これを言うとですね
何て言うんですかね
何かを悲観しているように
思われるかもしれないんですけど
これは私は反動形成というのを
僕もやるし
誰もやるし
やらずに
社会生活を送るのは不可能だと思う。
ただ反動形成というのは
自分の生き方そのものに導入して
それって要するに
自分は疲れているから
そういう事が起こるんだけど
それらセットがあって
やっぱりこういう人だと
HSPだったというよりは
やっぱりこれは条件が整ってしまっている
という感じの方を
自我心理学的に見るからですよ。
精神分析的に見るから
大元に長寿があったんだけど
この際
ことさら長寿が出して来なくても
つまりこれは自我の防衛規制
防衛メカニズムに
適応するための戦略だと
考えてみると
非常に理にかなっていると
もう言えるわけですよ。
だって人は良心的に生きていこう
ほうがいいって
みんな思っているじゃないですか。
それは文化的な要求です。
とはいえみんな知っていることですが
良心的に生きていくって
言っているじゃないですか。
そこで自我がつかれずに
かつ良心的に生きていこう
という戦略を選択した
結果として
HSP的な条件が
完全に揃ってしまって
したがってその人の目には
他人は非常に威圧的
裏があり
心にも悪意とか
荒黒いものがあって
私をいつも
いじめようとしているとか
あるいは良心的な人を
見ると
そういう恐ろしい世界なんだと
見えるのは
その戦略を選択した
結果なんですよね
というふうに思うんですよ。
これはどうですかね。
話として
こみ入っていたなと
自分でも思うんですけれども
伝わっているのかどうか
というのがちょっと
気にはなりますけれども
でもこの多分
反動形成で説明するのは
わかりやすいかなと
思います。
もちろん環境としての
顔色とか
それこそ顔色みたいな話
あるいは甘いみたいな話でも
全く同じ話をしていたので
そっちからのアプローチで
私は全く
本質的な違いは
何にもないなと思うんですよ。
ある意味言葉を変えただけ
言葉を変えただけなんだけれども
言葉を変えて
概念を取り替えてみる
というのも
あるんだなと思うんですよ。
特に今の感じでは
これが伝わったかどうか
わかんないですけれども
33:01
ある種HSPとか
先生さんとか両親的な人が
色眼鏡が強いように
多分片目から見える部分があるんです。
世の中そんなに腹黒い人ばっかりかな
みたいに思う人はいると思います。
それはこういう事情を通して
見るとですね
若干わかりやすくなると
つまりいつもおむつを
拭いた汚れがすごく気になる
というのは
割と理解しやすいじゃないですか。
それとほぼ全く同じことが
大人社会の中で起きていると
HSPというようなものを
理解しやすくなるんじゃないかと思うんです。
こういう人がですね
例えば
例えばですよ
柚子入りのバスタブとか
耳に心地いい音楽を聴いて
優しい世界で
ゆっくりと薬みたいと思っていると
無理ないと思いません。
非常にわかりやすい話だと
だってそんなに
薄汚くて腹黒い人たちに
取り囲まれた会社に
4時間も8時間もいればですね
誰だってそうなりますよね。
そこでもやっぱり
同時に考えられるのは
そうして自我に急速を与えたい
これがさまざまな出発点でしたから
自我が少しぐらい対抗しても
大丈夫な戦略としての
良心的な私というものの形成ですよね。
反動形成なんだけど
形成ですよね。
そして意外に
意外ではないんですけれども
意外と腹を立てて
あの威圧的な課長
パワハラ課長は
許せないみたいになるというのも
わかりやすいじゃないですか。
自我が少し元気になってくると
反動形成ですからもともと
これは僕の解釈ですけど
反動形成だったとして
自我が少し元気になってくると
全部を反動にする必要なんかないと
感じますよ。
やっぱり私の本能としては
こういう許し難いやつを攻撃したいと
HSP的じゃなくなる瞬間が
多々あるわけですよね。
その時に腹が立ってくるわけですよ。
普段はむしろ
犠牲的に感じられていたのかもしれないけれども
いつもいつもいつもいつも
その人の自我を消耗しきっているわけじゃないから
いつもいつも対抗しているわけじゃないから
たまには自由が全面に出てきて
現実に私だって対応できると
なってくると
パノパワハラハチを訴えようみたいに
なっても別に全然不思議ではないですよね。
つまり元気になってきたら
反動じゃなくて
普段の機のままの
Sですね、移動
欲動を出してきて
攻撃してやりたい
というふうになっても
別に全然不思議な話ではない。
これはこの辺りは両立すると思う。
で、そういう
ゆず入りのバスタブ
ゆずじゃなくて
ラベンダーとかでもいいんですけど
それで心地よく慣れているときは
まあまあいいわけです。
36:04
だけれども
そういう人が直接誰かに怒られたという話になってきた時には
今までの世界とはまた
違う世界が出現しますよね。
話長くなってますよね。
30分突破して
これが30分突破して
これが30分縛りのあれなんですよ。
一旦30分で切れると
この話続けるのは
それなりに困難なところが
この辺は私の
まだ不全なところなんでしょうね。
まあいいや。
つまりどういうことが起こるかというと
課長に怒られましたと
しかも自分のミスでした
ということになると
悪が自分の中に入ってきちゃうわけです。
この言い方は
私が悪い存在なんですよ。
悪い存在
反動形成して
良心的な私という存在に
非常に
消耗して
抵抗を引き起こしている
抵抗とは抵抗体なんだけど
後ろに退いている状態としては
すごい辛い感じですよね。
あれですよ。
だからつまり
また同じ話で恐縮なんだけど
この例ばっかりで悪いと思うんだけど
綺麗にしているおむつなのに
やっぱりいっぱいおぼらししちゃった。
しかもそれをしばらく
履き続けてなきゃなんだよみたいな
そういう状態が出現しちゃうわけですよね。
課長に直接
それも厳しく怒られる
それも自分がやらかして
人に迷惑をかける
良心的な私としては
絶対あっちゃいけない反動形成したから
無理なことを自分に要求しちゃうんだけど
したのに
無理にもいって
このパワハラの課長に怒られる
どっちが悪いんだってよく言うじゃないですか。
どっちが悪いんだと
つまりこの世界では
悪ってものの存在が
非常に認められがたいもので
どこに悪があるのかっていうのは
すごく大事な問題で
より良いものにすると
自分にあるってことになったら
もう一大にパニックになるんですよ。
トラウマに近い状態になっちゃう可能性も
あると思います。
とにかく早く綺麗にしたい
っていうことになるわけですよ。
早くおむつ取り替えて
綺麗にしないと
大変なことになると
これが反動形成をしてしまったときは
一つの処置のしがたさがあるんですよね。
もともとそれは
自分が望んでいいことだったのに
それを望む自分自体を否定してしまっているので
つまりここには打ち消しとか否定もあるんですけど
本当に汚いものが耐えられない人が
ドブに突っ込んだような感覚
っていうものになっちゃうわけですね。
こういうことが起きるたびに
家に帰っても
バスタブとかラベンダーとかでは
39:00
ドブにされないようなものが出てくると
どうしても自分が悪であると。
だけども
反動形成して良心的になった後だから
やめられないようで
良心的な存在としては
自分がやらかしたということを
簡単に否定はできないし
自分が悪くなかったということを
思うために
もうだいなく条件を
用意してこなければなりません。
そのために非常に時間をかけて
私は悪くなかったのではないかという
ありとあらゆる可能性を
探んなければならないんですよ。
だからそこで
例のですね
時間は常に揺れてますからね。
いつもいつも対抗だけしているわけじゃないんで
やっぱり前に出てきて
あの課長のあの怒り方にこそ
問題があるんじゃないかとか
いろんな可能性を
検討することだけはできますよね。
検討することしかできないとも
言えるんですけれども
検討することはできるので
とにかくそういうふうに前へ行ったり
後ろに戻ったりヘトヘトになるわけです。
ヘトヘトになってしまうということは
つまり弱ってくるということなので
弱ってくるということは
自らしに言えば
対抗がひどくなってくるということなので
もっともっとここで
本当はですね
冷静になって
その戦略に問題があるんじゃないかと思えると
いいんだけど
そうは弱っているときほど思わないんですよ。
弱っているときほど
今までの戦略をより強化した戦略に
頼りたくなるんですね。
もっともっと良心的な自分になろうと
もっと反動を形成しようと
こうなりそうじゃないですか。
綺麗なおむつにそそうをしてしまいました。
三歳児ですよ。
二度としない。
そうなりそうじゃないですか。
汚いものを本当に許して
つまり
一段目と世の中は
危険で
悪意が満ちたところに
見え始めるわけですから
そういう経験をしたのだから
そうです。
だから自分がやらかしてしまうと
ここが他人の目には不思議なわけです。
自分がやらかしたのだから
そういうこともあり得ると思うので
反省すればいいと思うので
反省ももっと
悔しいわけですよ。
深く深く反省して
世の中は本当にひどいところだと
こういう結論になりやすいわけです。
一段と繊細良心的になってしまうわけです。
それがつまり
こうなるとですね
会社に行くのは非常に苦しいですよ。
もう一回同じことが起きればですね
一段と自分の苦しみというのは
今後増すということが予想されますからね。
このからくりというものに
理解が及ぶのはですね
42:02
やっぱり最終的にはなったけど
ポイント
一番の基本は恐れと不安があるし
恐れと不安にありますよね。
汚いとか悪いとか
そういったものに対する恐れと不安が
この事態を引き起こしていくのが一つと
もう一つは
どこでも言われている
許すってやつが
どうしてそんなに大事なの?
許すってのはつまり
私たちはやらかし振るもの
それ自体悪いことなんじゃないかと
これ難しいですよね。
ここまで思い込んだ人にしてみれば。
でも反動というものは
つまりものを逆転させているということだから
本来悪くもなかったものを
悪だというふうにみなして
それを徹底的に封じ込めたり
違うものにしようとするから
そもそもこういう事態が起こったんだと
これをたとえこの構造を知っていたとしても
納得するのが難しくなって
今しゃべっていて思いました。
思いましたけれども
それ以外の方法はやっぱり
こうやって考えてみても
ないんじゃないかなとも思うわけですね。
43:21

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