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2021-04-23 29:40

【GMV 363】大人になると時間が過ぎるのは早くなる?

期待と不安によって時間は伸縮するものです
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。 えー、すいもくと飛ばしてしまったんですが、えーと
いろいろ起こるわけです。あのー、そう来たかってやつの、またいろんなバージョンがあると。 現実というのはつくづくいろいろ起こります。
あのーですね。 えー、今日の題とちょっと絡むんですが
なんつうんですかね。こう、時間に関するイリュージョンっていうのは
久しぶりに、こう壮大だなっていうのを痛感させられる。 まあ出来事それ自体は私とは
すごく関係あるんだけど、何の関係もないような。 まあ
事件って外してこういうもんですけども、まあ投稿犯に関することなんですね。 そういうこう
まあ時間にまつわるみんなが 信じていること、実態はないんですけどね。この実態がないっていうのは本当に
ミソだと思いますね。 で、えっとその前に
そのまさに時間をテーマにした
Good Vibes勉強会が5月の8日に開催されます。 えっとこれは第8ですね、第4回になるGood Vibes勉強会の
テーマを時間に設定しているという時間、時間がテーマだということですね。 連休明けすぐでオンラインでやるので、まああの
最近いろいろまた緊急事態宣言とあるようだけど、あの オンラインなんで関係ないですから
えっと興味あるという方はですねチェックしてみてください。 もう多分そろそろ申し込みできるんではないかなと。公式
Good Vibes公式サイトの方から多分アクセスできるし、ツイッターとかですね
まあ私の追っていただいている方にはたびたび出しますんで チェックしていただければ、まだ先ですからねよろしく
ご参加いただければと思います。で、その時間なんですが、時間
今日ですねそうそう今朝、仕事の、まあ私の仕事 パートナーである大橋哲夫さんからお題をちょっといただきまして
あっさりこういただくと早速お題は使っちゃうんですけど、えっと何だったっけかな、新R25というところで
えっとの記事にあったですね 市川誠先生これは時間心理学というところでやっていらっしゃる割と知られている先生
なんですけれども、えっとの記事の意味内容がよく理解しがたいので、えっと何とかあの
理解できるように なんていうんですかね、要するに解説しろってことだと思うんですが
えっとまあ私心理学かじってるからね、なんだと思うんですけど、難しいというよりは分かりにくいんですよ、時間にまつわる心理学というのはですね
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すごく魅力的っぽい言葉、あの用語じゃないですか、時間心理学なんていうのは、なんかこう現代人向きというかね
あの生産性みたいなのとも深く関係して、何と言っても現代人が欲しがっているのは時間ですからね
あのお金っていうこともあるんですけど、お金が切実でなくなってくると次は絶対時間になっていくんですよね
で、えっとお金の心理学も面白いんですけど、時間の心理学っていうのは経済心理学に比べるとまるで発達していないと
私はそれははっきり理由があると思っておりまして、一つはですね、これこれで答えにしてしまうんだけど実はこれで納得する人は少ないとは思いますが
ネットワイプスの言う通り時間というのはないからなんじゃないかと思います
それを言えばお金だってないんじゃないかって話あるけれども、お金はそうは言っても物理的にありますからね
あの物理的にあるものとそのままのものではないからこそそこに心理的なものがすごく介在して面白くなるにせよ
まだお金は目で見える、手で触れられる、時間は一切ないんですよ
目で見えるはずもなく手で触れられるわけがないんですよ
理由は非常に簡単なんですよ
脳には時間やってないからなんですよ
視覚や聴覚や嗅覚や全部あります、互換話ですね
実際それに関連する脳のその領域もはっきり決まってます
だから視覚やがやられると、これも脳ってのは機械じゃないんでね
視覚やがやられると非常にいろんな保管機能が働いたりして機械がダメになったみたいにはならないんですけど
とはいえやっぱ視覚ややられると目が大丈夫でもはっきり言ってものは見えなく
処理できなくなるっていうのが正しいんですよね
情報処理できなくなる
けれども脳内に時間やというものはそもそもないんですよ
で、なんでないのかというと多分時間というものは外在しないからだと思うんですよね
だから時間心理学というものの非常に難しいところは
実体のないものだけでなくそもそも存在すらしていないかもしれないものを扱うから
議論のコンセンサスがすごい取りにくいですよね
私たちは自分日付時刻カレンダー時計みたいなもので
すっかり時間というものに慣れきっているもんですからですね
これなしで動物が生きているということを無視しているんですよ
動物にだって視覚やや聴覚やはあるわけじゃないですか
だから動物との比較みたいな話の中でも他の心理学は成立するんですけど
時間やはどの動物にも全くないから
当然その時間やというものを動物同士で比較することもできないし
そもそも時間に関するコンセンサスというのは他の動物とは取れないんですね
他の動物は時間感覚なんてないわけですから
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時刻もカレンダーもない世界に生きているので
人間だけがこの時間というものを
そういう意味ではお金も言語もおおむねそうなんですけれどもね
だから経済心理学も最近発展してきたもので最初からあったものじゃないですよね
精神分析というのはベースが親子関係ですから
これはもう昔からあるわけですよね
フロイトの時代だから100年以上歴史があって
誰でもすぐそういうところに心理が介在するのは考えつきますけど
お金となってくるとお金すごい心理的だと思ってもですね
扱いは難しいと思うんです
時間はさらに難しいと
そういう意味で時間心理学という割と言葉は魅力的だけど
どういうふうに持っていけば面白く発展していくかというと
微妙なところがあるんじゃないかということなんだと思うんですよ
でこれを持って答えとするというのはつまりですね
お題は新R25で出てきたお題はですね
大人になるとどうして時間は短く感じられるのか
これがですねすでにテーマとして難しいなって思うんですよ
すべての大人がそもそも短く感じているのかっていうところから
始めないといけない気がするんですね
まあそこ大体すっ飛ばすんですけど
すべての大人は子供に比べて時間短く感じているでしょうっていうことにしちゃって
話を進めるんですが
どうかなっていうところあるわけじゃないですか
だって時間が短く感じられるとか
長く感じられるとか測定するのはそもそも非常に難しいですよね
で測定した時とその人が実際に言っていることが
同じかどうかは分かんないですよ
長く感じるとは何なのかとか
短く感じるとはどういう意味なのかと
子供だって長く感じたり短く感じたりしている
そもそも実態のないものなので
伸縮が最初から発生しちゃうんですよね
大人になると短く感じられるというのは
どの部分を指してどんな時の話なのかっていうのが
最初から定義ができないんですよ
で大人というのはいくつからを言うのかと
成人からを言うのかと
いろんな問題が出てきちゃうので
男女差はどうなのかとかね
本当にあと日本人は非常に文化的に時間に貴重面で
ラテン人は明らかにそうでないと
そういう意味ではラテン人の大人と
日本人の大人はどうなのか
もうあの豊富なんですけどね
こうやって考えてみるとテーマだけは
でもこれをですね
論じている本私結構ナイフハックで心理学なんていうと
ここ入りたくなるじゃないですか
好きでいろいろ読んだんですけど
まずそもそも本が少ない論文も少ない研究も少ないです
しかも正直面白いなって思ったのは
ほとんどないみたいな話になっていて
難しいんですねこの分野は
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っていうことがまずあって
で要するにですね
多分僕が思うに
存在しないものについての心理的な研究は
今のところ成立させがたいのではないかと
それがもうほとんど答え
でイリュージョンだってことなんだけど
それにしてもイリュージョン度がひどいというか
お金の日ではないと
お金の日ではないしまして
私たちがそので私がよく言うような
木もイリュージョンみたいな話と全く違う
木はイリュージョンかもしれなくても
私が見る木の像みたいなイリュージョンだとしても
実態は多分ありますが
時間はもうそういうものが背景にないのに
脳内だけががっちりあるみたいな
なんかねじれているんですよ
その段階で無理があるという感じがするんですね
でも伸縮の話だけに絞ればですね
大人になるとどうして短くなるのかと
これはですね
僕が思うに退屈することが許されていないからだと思ってます
つまりですね
子供も大人も伸縮はあるわけじゃないですか
どんな時に長くなるかを考えてみると
すぐわかると思うんですよね
例えば刑務所とかに入れるとさぞ長く感じると思います
なぜなら出たいからですよ
つまり時間ってのは空間とバラバラには考えるわけにいかなくて
市川先生は出来事ってことをすごく重視するんですが
出来事でも経験でも空間でも同じだと思いますが
その状況を早く脱したいと思えば思うほど
その状況は長く感じられるに決まっているわけですよね
脱したいわけですからね
つまりある状況に置かれて
変化しろ変化しろって思ってる時ほど変化しないわけですよ
期待がそこにあるということですね
あのオフィスの中にいて
いつも3分おきに時計を見る人にとって
オフィスの時間実に長いですよ
大人になったからとか
大人になるとあっという間とか関係ないですよね
非常に長いわけです
1年と1年じゃないや
あの1日が5時はいつまで経っても来ない気がする
あの見つめる鍋は煮えないってのと同じですね
この状況に早く変化が訪れてほしいと
でできれば脱したいという時に
時間は長く感じられるわけですね
逆が全くそうで
なんか楽しい時間すぐ過ぎ去る
それは当然なんですよ
なぜならその状況がいつまでも続いていて欲しいと思うから
いつ終わっても早すぎるわけですよね
あのさっきと全く逆で刑務所と全く逆で
ディズニーランドと刑務所を考えてみれば
すぐ答えはある意味出るかなと思うんですよね
ディズニーランドは一瞬で終わる
なぜならばその状況に長くいたいから
ここで当然ですけれども
個人差があるわけじゃないですか
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ディズニーランドだって結構自分には苦痛だって
人にとっては長いはずなんですよあれ
つまり期待がそこにあるかないかは大きいということですね
で何を期待してるか
そこから出たいのか
そこにいたいのかと
だから空間と切り離して考えるのは
あんまり意味ないと思うんです
これ一つとってもですね
私たちは時間というものを
単独で考えることはできなくて
必ずそこには空間と経験と出来事が
介在してしまってる
つまり時間矢がないんですよね
空間に関する視覚矢
だいたい視覚矢ですけれどもね
視覚矢とか触覚矢とか
そういうものが全てなんですよ
楽しい時間はすぐ過ぎる
当然なんですよ
で苦しい時間でも
すぐ過ぎることはしかしありますね
例えば仕事が大量にあり
締め切りが狭くて同じなんですよね
何を期待してるかによるんです
この時間が早く来てしまっては困ると
いう時間は早く来ちゃうわけですよ
これを自家心理学では
しばしば枠の中に入れる荷物が多すぎる
みたいな表現するんですけど
あの状況が限定されすぎていて
意味があんまりないかなっていう気もします
確かに枠の中に出来事いっぱい詰め込むと
その時間早く過ぎる気がしますが
その枠を動かせるのかどうかも
大きな問題ですからね
例えば5時絶対5時
5時以降になったらアウトだっていう時は
かなり早く過ぎるでしょうけど
5時なんだけれども
7時までは許されるみたいなのって
あるじゃないですか
仕事では往々にしてある
枠を拡張できるかどうかによって
感じ方ががらっと変わっていっちゃうので
やっぱりそこを厳密に設定しようとしてもですね
実験心理学ではしばしばここ
どの程度厳密性を持つかと
厳密性を持てば持つほど生活から
日常生活から遠のくみたいな
そういう話もありますが
要するに何で時間が早く過ぎるのかというと
その状況が早く過ぎ去って欲しいのか
早く過ぎ去って欲しいんだけれども
早く過ぎ去っては困るのか
あるいはいつまでも過ぎ去らないで欲しいのか
それによって大きく違ってきて
当然かなと期待する内容によってですね
その空間から出たいか居たいか
居たくないんだけれども
その空間に居なければならないか
その辺で判断されるのところが大きいはずです
大人になるとっていう話は
ちょっとこれとはしかも違ってる気がするんですよ
これらの辺が多分市川先生がおっしゃってるところだと思うんですが
大人になると結局時間って何によって
私たちが測ってるかというと
記憶以外は考えられないだと思います
時間って記憶なんだと思うんですよね
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だから未来の時間は
すっごい適当になってしまうと思うんです
過去の時間ならまだしも
あのこの時間帯は長かった感じがするとか
まあそれも相当怪しいもんですけど
例えば先日クラスの圭三さんと一緒に
動画を撮った時に矢部さんとお話ししたんですけど
小学校時代長く感じたと
これも絶対個人差はあると思うんですけど
私も全く同意だったんですよ
小学校というのは長く感じる
何でか記憶がそうなんですけれども
だって今から振り返っての話ですから
あれ長く感じた気がしてるだけですからね
で長く感じた気がしてる理由を
よくよく考えてみると
やっぱりですね
経験不足に尽きると思うんです
経験不足というのはどういうことかというと
これから何が起こるかわからんという状態が
続くんですよ
小学生というものは
あの中学生になってみると
結局のところ学校生活というものは
何かの焼き直しに過ぎないということが
もうだいぶわかってくるわけだから
あの特にちゃんと小学校以来を過ごしておくとですね
中学高校というのは
要するにその発展系でしかないようなものだから
わかるんですよね
なんとか祭とかなんとか会とか
音楽会とか運動会とか
あと授業があってそんなにバリエーションはない
でも小学校1年生にとっては
さっぱりわかんないわけで
だから次に何が起こるかが
さっぱりわかんないという
期待と不安が絶え間なく入り混じっているとですね
やっぱりそこに使われてる精神エネルギーは
でかいですよね
あとはその人がその子が
どんな小学校生活を経験したかですよね
すごい楽しければですね
期待と不安の中でも
期待の方が優先になっていくから
まだしもですが結構いじめられたとか
きつい思いをした人はですね
期待と不安の不安が
どんどんどんどん増幅する中で
6年間を過ごすから長い
で一体いつになったら終わるんだ
っていうことになるわけですよね
勉強が得意かどうかも
大きく作用すると思いますね
小1小2の頃はまあいいでしょうけれども
でも漢字100回書くとか大変じゃないですか
で大体ああいう時間は長いわけですよね
で先生は何を言い出すかわからない
子供にとってはですけどね
なんか急に機嫌が悪くなって
漢字100回書けとか
校庭受習しろとか
言い出すわけじゃないですか
この先が読めない上に
いきなり大きな苦痛がやってくる
恐れがあるという時に
私たちはその経験を長いもんだと
感じるのが当然だと思うんですよ
あの突然逮捕されるようなもんだから
早くここが去ってほしいって思うで
そういうことが先々いくつあるか
わかったもんじゃないっていうことになった時に
その時間はその1年なりは長いわけですよね
だから大人になって早く過ぎ去るって
ある意味大変いいことなんですよ
18:01
えっとここをですね
都合よく解釈しすぎると思うんです
子供の頃はすごい楽しくて充実して長かった
それはただゴールデンウィークの時とか
一部楽しかった思い出ばかりを思い出す時は
そう感じられるでしょうけど
子供にとっては大体1年が長いのは
大変だからであって
大変だからなのは不器用だからです
これから来るべきなんとかくさいとかも
結構大変なんですよ
私もそうなの経験したんですけど
劇の練習とかするじゃないですか
ちょっとふざけてて
先生にボコボコ殴られてる子っていました
昔は本当にいたんですよ
結構だから劇の練習とかも
油断ならないわけですよね
今は絶対そういうこと
絶対と言わないにしてもないじゃないですか
そしてあったら結構大変ですよね
会社のなんとかイベント
ちょっとうまくいかないからって
上司がボクシングの相手みたいにして
一方的に殴られるとかまずないと思うんですよね
訴えられますよね
だからそういうとてつもないことは起きない
でも子供はでかい先生に
なんかバンバン殴られて鼻血とか
すごい盛大に流してたわけですよね
あんなことがあればですね
しかもこれはうちの学校が
ちょっと特殊だったかもしれませんけど
運動会の練習とか結構あり得ないぐらい
気合入ってて
夜6時とかまでやったりするんですよね
うまくいかなかった
うまくいかないというのも
今思うとどういう状態だったのか
よくわかんないんですけど
なんかもう校庭に
学年全員で星座させられるとかね
結構すごいんですよ
ああいう結構すごいことを
繰り返しやってるものだから長い
つまりこういうことが起こらない
大人の生活は
1年間が短くて当たり前だと思うんですよね
起こる出来事の範囲が
大体想像がつくじゃないですか
ひどいことがあるにしても
私は今でもちょっと悩んでおりますが
親知らずを取るとかなんですよ
ひどいことがあるとしてもね
先日あったので言うと
ガラスを割っちゃったとか
そういうレベルなんですよ
しかも殴られたりはしないんですよね
でも子供はもっと触れ幅がでかいんで
楽しい時は確かに大変楽しかった気もしますが
大変な時結構相当大変だったりして
しかもその出来事一つ一つの意味付けがですね
これ意味付けなんですけど
だから記憶なんですけどね
はっきりさせられない
なぜなら経験が足りないから
一体この運動会の練習で組体操で
なんか寒いのに半分裸みたいにさせられて
なんかタオルとか巻いてる
これは何なのかというのは
結構子供には最初の体験だった時は特にですね
よくわからないですね
これが所詮これはこういう意味なんだというふうに
簡単に意味付けることができればですね
そこに投入されるエネルギー量は
当然節約されるので
21:01
そんなに大変じゃなくなっていきますよね
大人って何だ全ての出来事ある程度
そうやって処理しているから
1年に起きる出来事がさほどのインパクトを持たないので
当然1年は短くなるわけです
これある意味グッドバイブスと
かなり逆のことを言ってるんですけれども
つまりグッドバイブス的に言う
現実の解像度を上げるということの
全く逆のことを私たちは
意味付けということによってやるんですよ
なぜそういうことをするかというと大変だからですよ
子供は大変じゃないですか
解像度高いですからね
そして一つ一つの出来事の意味は
とてもはっきりしないものばかりになっている
だから1年は長いわけですよね
そういうことでしかないと思います
しかし1日という単位でとってみると
大人の方がしばしば長いし
逆にあっという間というのも
楽しいからとは限りません
さっきも言った通り
9時5時の中にギュギュ詰めになっていると
割とあっという間ですよね
9時5時は
ただしそれは大変です
ディズニーランドにいるわけじゃないですから
ディズニーランドだって
やろうと思えばそういう形にしようと思えば
大変ですよね
園内全アトラクションを回るとかいう計画を立てたら
ただあっという間だけじゃなくて
あっという間の二乗みたいになって
しかもすげえ疲れますよね
だからそういうことはあり得るわけですよね
楽しいから一瞬で過ぎ去るとか
そう単純なものではないと思いますね
で最後にそもそもこの
水目がスキップし
今日もちょっと違うところで
収録しているわけですけど
要は時間というのはですね
実態がないなぁとつくづく今回思ったのは
まあ要するに娘がですね
学校に行く時間が狭いというか
この時間とこの時間の間っていうのは
わずか5分なんですよ
それよりも早く来ると早すぎる
遅く来ると当然遅すぎるって言われるんだけど
この5分を間に合っているのかどうかというのが
投稿班で議論になっちゃったんですね
お母さんはまあ心配しますよね
間に合わないでうちの子は
まあ一応班長なんで投稿班では
でもまあいろいろ頑張ってるわけですよ
途中にある銀行の時計みたいなのをチェックして
このペースだとこの5分の間に入れると
子供の大きな問題は誰も時計をしてないと
時計は学校で禁じられているから
わかんないわけですよ
かつもちろんスマホも持ってないと
1回も持って歩いたことがないので
一体どのくらいの時間が厳密にかかるのか
というのもわからないわけですね
ペースも一切読めないと
しかも自分のペースでは歩けないんですよ
投稿班だから
最低学年のペースに合わせなきゃならないと
その子がゆっくり歩き始めたりすると
24:01
どうしてもゆっくりになりますよね
他の班との兼ねりもあるので
それらを全部紙した上に
5分の中に入れなきゃならない
入るかどうかが半然としませんよね
それはここに不安が投入されると
じゃあ早く集まりましょうということになるんだけど
早く集まったからといって
早く出発できるとは限らないわけですよ
一つには
早く出発しすぎると
早く着きすぎて
それはそれで指導の対象になると
実技校難しいんですよね
でさらに面白いことに
まあ面白いと言ったら
かわいそうかもですが面白いことに
学校の何時から何時までっていうのがあるにも関わらず
学校に正確な時計はないんですね
だから校舎についてる時計と
教室についてる時計は
違う時刻を示している上に
全教室の
まあ昔僕らもそうでしたよね
時計はバチバチなわけです
なのに何分よりも前
何分よりも後と言うんだけど
それはいったい誰の時計で言う話なのかと
これが半然としないわけですよ
こうなってくると何が起こるかというと
とにかく正しい時刻に来ましょうってことにはなるけれども
その正しい時刻が正確に言える人は
学校の中には誰もいないと
こういうことになった時に私たちって
みんな一斉に集団不安みたいになるんですね
他になりようがないですよね
決まりはあるけど守る手段はないわけですから
そこにもちろん正しい時計を
投入すればいいのかもしれない
でもよく考えてみるとそれっておかしいですよね
正しい時計さえ投入すればいいのかと
問題なのは結局みんなが
だいたい同じような時刻について欲しいわけじゃないですか
厳密な時計に沿いたいわけじゃないんですよね
その厳密な時計に沿ってみたら
みんながずれていましたでは困るんですよ
現状に問題はないわけだから
現状を大幅に動かすわけにはいかないんですよね
うちの投稿班だけがおかしいのかもしれないという不安を
みんなが抱えちゃったので
だから私の収録時刻で
収録時刻すなわち
奥さんの二度寝の時間なんですが
この時間がなくなってしまう
奥さんが投稿班にくっついていってしまうので
その時間だけで収録するのは難しいわけです
これがスキップの理由なんですけど
なぜこんなことをしているのかと
何にも問題なかったはずのところに
問題が作り出されちゃったんですね
問題なかったんですよ
うちの子の言い分を信じるならば
一度たりとも教室の時間で遅れたことはないはずだし
早すぎるという指導を受けたこともないと
実際のところ何分についているのかは分からないと
なぜなら全ての時計が狂ってますからね
だけれどもおそらく毎回毎回ついている時間を
27:01
ついているポジションですよね
他の班との兼ねを考えると
それほどずれたことが起こっているとは思えないと
多分これしかないんですよね
ところがこのかなり曖昧な
曖昧にしか定義できないけど
曖昧な状態に不安になったので
払拭する手段がないわけですね
だから何が起こったかというと
みんなで集まって早く出ましょうということを言って
みんなが早く出ているということを確認すると
ただしそれには私が思うんですよ
これを言うと怒られるんだけど
私が思うにこれには何の意味もないんですよ
なぜなら早く出ればいいってもんじゃないからですよね
早く着けばいいんだったら
まだだいぶ話がわかりやすいんだけど
今結構難しい時代でして
私の時代より難しいなと思うのはこの辺で
早く着きすぎれば着きすぎたで
管理しきれないというか
安全を確実なものにできないから問題で
もう開けてる時間も決まってるので
まあこの決まってるってじゃあ誰が決めてるんだって
つまり誰がどの時計で測ってるんだって話になるんですけどね
でも入れてるってことはいいってことなんですよ
逆に言うと
どの人の腕時計でやってもいいわけですからね
つまりこういうことは起こるんですよね
現実ならなんとかなるのかもしれないし
現実というのは驚くようなことが起こるというふうにも言えますし
みんながイリュージョンを見てるとも言えます
いや正しい時計あるだろうって言われるかもしれないけど
問題なのは正しい時計じゃないんですよね
正しい時計に沿って動くことが全てであれば
全校生徒がそうしなければならないけど
そうはしないじゃないですか
今不安にとらわれたのはうちの登校班だけなので
これにこの問題に沿って正しい時計を投入して
全校生徒の動きを変更することは
実質的には不可能ですよね
だから全校生徒の動きに合わせなきゃならない
それは時計によってるとは言い切れない
だから結局ポジションで決まる
でもそのポジションは今までずっと正しかった
でもみんなが不安になっちゃったから
変更しなければならない
ような気がするんで変更してみてるんだけど
実は変更されてないんですよ
という流れが今回出来事が起こりまして
いやーすごいなぁ
イリュージョンってすごいなっていうふうに思ったわけです
まあその煽りを食らってですね
私はこのグッドモーニングワイブスの
収録場所と時間が今変更余儀なくされてる
多分元に戻ると思ってますけれども
スイモックスキップしたな
そういう事情によったりします
29:40

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