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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。 最近ちょっと考えまして
このグッドモーニングバイブスを
時々は ファイルをちょっとだけでも分割して
後で合体するということも やってみていこうと思うようになりました。今までは絶対一気課程に喋って撮ってたんだけど
それをやると あまりにも
自分の生活時間の状況に左右されすぎるので 15たす15で30みたいなものもありだろうと。
テーマにもよりますけど、そもそもテーマがすごく曖昧じゃないですか、これは。 だからそんなに
テーマで 途中の断絶がものすごく気になるということもないんじゃないかと。
慣れの問題もあると思うんですけど、実験的に必要であれば、必要であっても今まではやらなかったんで
必要に応じてやっていこうというふうに思っています。 今日はですね、何回か今後お話ししたい、これまでも何回か出てきた
ドコンジョウガエルの娘というコミックがあるんですね。 実はようやく先日
最後まで読み切ったんですよ。 で、大変素晴らしかったんですけど
まあ 言葉様子的に言うと一番最後がやっぱり圧倒的に良くてですね
最後の最後で
娘さんが
お父さんがですね、まあいい加減 何とかしろよって話なんですけど、お父さんが倒れて
倒れる直前まで実はこっそりというのかな マージャンをやりまくってたということが分かってですね
まあこういう生活してては倒れるよねって話になって、もうその漫画を描かなくなり
トイレの清掃員とかになった。さらに後まで彼のギャンブル依存は結局治ってなくて
ひたすら公演とかをしながら、あのドコンジョウガエルの娘たぶん 売れた関係上もあると思うんですけど
いろんな各地を飛び回りながらそういうこう 合間を縫ってギャンブルをするという生活だったんで
まあ体に行きますよね で、倒れて
リハビリをして 回復して、最後の最後で結構なかなかの酷いお父さんなんですよ
ドコンジョウガエルを描いた 吉田康美作かな
まあなんですけれどもその一番最後になってですね あのすごくこう
なんて言えばいいんですかね、みんなが期待するようなお父さんに最後の最後で徐々になっていくんだと
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なるんですよ そのシーンに
至るまでに、まあそのドコンジョウガエルの娘さんは結局このお父さんに虐待されているようなものなので
まああれは事実上虐待ですよね 殴られまくるっていうシーンはあまりないんだけど
あのお金がことごとくこう盗まれるんですよ お父さんにギャンブルで使うから
で財布ごと取って行っちゃうんですね どこに隠しても、まあ隠し方あんまいいんでしょうけど
隠しても持ってかれるという話がありまして、いろんなすごいエピソードがあるんだけれども
最後の最後にその
娘さんが、娘さんもだからそんな 目に遭ってきているので非常にこう
大変なんですよね まあこのガンセリングの中では当時流行ってた言葉
アダルトチルドレンというふうに診断されるんですけど
今ならば発達障害とHSPって言われるでしょうね つまりこの概念は割と昔からですね
別の言葉で流行ってきてるんですよ 共依存とかいう言葉もあったし
多分皆さんの手もご記憶に新しい人格障害というのも 私はこれを言い表す違う表現だったと思うんです
要はですねえっとやっぱり親子関係にかなりこう 自明に近い問題があって
まあ全部が全部虐待じゃないんでね しかも結局家族のことってわからないわけですよ
それを全部写真に撮っておくとか動画に撮っておいて ガンセリングの先生が全部見るというわけにはいかないので
当事者の証言を元にするしかないけど その表現で嘘つく人も当然いますよね だからわからないんですけど
やっぱりこうどうしてもですね親子関係に独特の このケースはちっとも独特じゃないですけど
ギャンブルしまくってるお父さんが娘の金をどんどん取っていくという 授業料も生活費もことごとく盗んでいくという話なんでね
問題が起こらない方が不思議なんですけどやっぱりこう アダルト治療みたいに言われてこれを回復しているうちにここが面白いところなんですけど
お父さんが立ち直るという話なんですよね まあこの中に大事なポイントはいくつもあって
最大のポイントはこのお父さんの酷い書業を全部漫画に書いてそれをお父さんに読ませる ここが最大のポイントになっている漫画です
で最初はそうじゃないんですよこの漫画 最初はですねそもそもドコンジョウガエルの娘というタイトルからして主人公はどっちなんだと
主人公はお父さん ドコンジョウガエルを書いた人だってその娘のことは誰も知らないんで
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当然ドコンジョウガエルの娘というタイトルで描かれるのはお父さんでしかないわけですね 主人公はお父さんなんですよ
だから商業で本が出ると ところがこれが全然売れなかったらしいですね僕不審証はなかったんですけどね
すでに十分面白かったし 私はドコンジョウガエル見たことがあるとは言っても正直主題歌ぐらいしか知らないんですよ
でもまあ主題歌だけ知ってるのはやっぱり非常に人気が出たということだと思うんだけれども とにかくドコンジョウガエルの娘
だけど主人公はドコンジョウガエル お父さんのその後みたいな その後の転落人生を描いたものだったんですけど
その引き受けていた雑誌が打ち切ったんですね まああの売れなかったわけですよ単純に
売れなかったって言っても結構売れたと思うんですけどね まあ打ち切りになったと
それを引き継いだんですね ここで視点の転換が起こって
引き継いだところはすごく良い編集さんで
主人公をドコンジョウガエルの娘にしましょうと というかもともとその視点じゃないですかという話をするんですね
その娘さんが この大変なお父さんと一緒にそれでも家族を辞めずに
頑張っていくというのはこの話の良いところでしょうという話をしたんですね この部分あたりから確かにちょっと
パッとはわかんないんですけど大きな転換が確かにあって 目線が全部娘目線になるんですよね 著者目線に変わるんですよ
で 何が変わったかというとお父さんのヒドさんが
倍増してるんですね 1巻の時のお父さんはドコンジョウガエルを描いた作者はまだこう
ギャンブル強だけども受け入れられるレベルだったんですけど 明らかに3巻以降は受け入れがたいレベルの人になっているんです
こっちがリアルなんだなと やっぱりそうだよなと あんなもんじゃ済まないよなという感じがしたんですね
1巻のレベル あんなもんじゃ済まないはずだと思っていたんだけどなんとなくね やっぱり3巻読んで負に落ちたというか
この人は相当ひどいということがわかった しかもこの娘その間もずっとこう心理的な苦闘の中にあって
しかもご主人結婚した人もまたなかなかすごい方で いろんな問題を抱えまくっていて結局カウンセリングに行き着くんですけど
その中でお父さんに漫画を読ませると お母さんも1巻ではすごい天使のような人なんだけど こういう人っているんだろうかと思ったんですけど
やっぱり結構問題の多い人で 優しいんですけどね 問題が多いというよりはこのお父さんのおかげで心が病んでしまっているという感じの人で
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要するに1巻で心が病みがちなんですよね お弟さんだけがひどくまともなんですけど
病みがありそうな気がちょっとするっていうのは偏見ですけどね わかんないことなんで つまりこれ結局アダルトチルドレになり
HSPなり発達障害なりっていうこの概念の ある意味曖昧さは
わかんないってことから来るんですよね あんな風に漫画に描かれてみたところで それが全部事実かどうか
全部フィクションなんじゃないかと言えば 人の記憶をもとにして作った物語なんだからフィクションに決まっているわけです
だから事実がわからない以上 原因は完全な形では解明されないので
そういう意味でアダルトチルドレンとか 共依存とか全てわからない話を実はしてるんだと思うんですよ
話戻しますと 最後の最後になってお父さんが どう考えても立ち直れそうには見えないお父さんが
でも立ち直るっていうか あえてこういう言い方をするとですね
この人ここで正気に帰ったって感じのシーンがあるんですよね 非常に大ゴマで1ページ丸々かなぐらいで書かれてて
大ゴマにとる書き方の人なんですけど これなんだなって思うんですよ
娘さんがずっと見たかったお父さんはこれなんですよ 正気に帰ったと そういう表現取ってませんけど
どう見ても読者目線的に言うと これが正気の人だと思うわけです
で これがグッドバイウスだって僕は思ったんですね
あの つまり
イリュージョンに取り囲まれている人のイリュージョンを取り払うってことを
身近な人がすることの意義ってのは 非常に重大だと思うんですよ
だって その人がイリュージョンにいるせいで娘の金まで持ってるんちゃうし
多分このお父さんが完全に体が動かなくなったから ギャンブルに行かなくなったけど
どうだか今後わかりませんけど でも
何らかの形で正気に帰るということが つまり僕の目にはですけど
ずっと正気を失っている感があるんですよね
で あの
そういうところにいて そういうお父さんを抱えていれば
当然自分が正気を保つのも難しいですよね どう考えたって
イリュージョンって共有しちゃうものなんだと思うんですよ
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あんまり身近な人がずっと同じイリュージョンを抱いていると
で そのイリュージョンは究極的には結局その恐怖感から来るものなので
その恐怖感はですね 死ぬのが怖いとかそういう根源的なものだったりもするんで
なかなかいろんな事情がその人その人で難しいんですけど
吉田泰美さんのようなケースは単純で こういう漫画を描かなければいけないと
ドコンジョガエルも続きなり それを超える面白い作品なりという無理な要求ですよね
これに答えなきゃいけないのに 答えられなかったという
そういうやっぱりこう 自虐感のようなものがどっかあるような感じなんですよね
とってもこう能天気に見える人なんで わかんない感じなんですけど
そのそういうのがあったところに
まあ 奥様がとても優しい感じというか
ある意味こう やっぱり心に難しさを抱えつつ優しいんだけども
優しいからそのイリュージョンが残っちゃうんですよね ある意味では
でそういうイリュージョンが残ったまま誰かが犠牲になる
だってイリュージョンイリュージョンイリュージョンでやる以上はですね 現実にどこかで直面するわけだから
まあ誰かが犠牲になる 一番犠牲になっているのは奥さんと娘さんという
そういう構図に見える
そういうイリュージョンをなんて言うんですかね
グッドバイブスじゃないんで当時のカウンセリングの先生で
でもあれは多分かなり力量がある人なんだろうなという感じがしました
ちょっと書かれ方が実に独特でね ある意味怖い感じが僕なんか受けたんだけど
厳しいこと言うとかじゃないんですけどね
そのアタルト・チルドレンだと診断したカウンセリングのおばあさんが
どのぐらいの年齢の方なのかちょっとわかんないけど
おばあさんっぽく表現されてたんでおばあさんなのかなと思ったんですけど
夫を連れてきて3人でカウンセリングをしましょうという話になるんです
私これも最初展開として驚いたんですよ
このドコンジョガエルの娘さんの夫はまともそうに書かれてたなと思ったんですけど
いやそうじゃないって言われて
夫も連れて3人でドコンジョガエルの娘さんとそのご主人と
3人がその2人をカウンセリングするという流れになる
そこから非常にいろんなことが見えてくる感じの話なんです
最終的にはお父さんが正気に戻り
これを見たかったから私は漫画を書いてお父さんに読ませてたんだというお話なんですけれども
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ネタバレっぽく思われるかもしれませんが
これ今の回で喋っただけでは何の意味もないので
気になる人はぜひ読んでいただくといいかなと思います
これを全部具体的に漫画に描写しているということがすごいし
大変だったろうなと思います
思い出したくもないことばっかりなのでそれを絵にするわけですからね
やっぱり大きかったのが一つは視点が途中で変わっていると
わからないような描き方になっているけれども
はっきり違ってしまっているからやっぱりわかるわけですよね
そこから断然面白くなってますね
多分そこから売れたんじゃないのかなっていう気が一つはします
もう一つやっぱり最後のグッドバイブスに至ったところですよね
これを人は見るためにある意味人のイリュージョンをわざわざ取り払ってあげる
それだけの価値があるということなんじゃないかと
当然グッドバイブスではないので
こういう言葉も概念も何にも伝わって表現はされていないけれども
わかるのはやっぱり当然お父さんが正気に戻ることが
これほど有意義だということがあるならば
自分だって当然同じなわけじゃないですか
倉田のケイトさんがよく言うところの
一人じゃこれはできないっていうのは
ああいう時にはいかにもよくわかるんですよね
でもう一つ
なぜわざわざこの人のイリュージョンを
私が取らなきゃいけないんだというその理不尽感
この理不尽感強烈ですよね
だって親のイリュージョンですからね
しかもその親のイリュージョン
そのお父さんのせいでひどい目にやってきたのは自分で
散々ですよねひどい目どころではないので
自分の部屋のカフェに穴開いてるんで
カフェに穴開けたのは当然お父さんが殴ったから
言ってるんでそういう状態で
そのお父さんのイリュージョンを
娘が取ってやる義理はどこにもないじゃないですか
逆ですよねこれはやってることは
ところがそれをやる価値があったということが
最後に表現されていたんですね
ここだなと思うんですよ
これが今風に言うならばですけど
AIじゃ無理なことですね
一つ大事な大事じゃないけど
なんかこう余計な話なのかもしれないけど
AIがいろんな仕事をとっていくという話をする中で
人は最近この話も次回ぐらいにしたいんですけど
ブルシットジャブっていう言葉があって
人はこう人が余ってるから
しょうもない仕事クソみたいな仕事をやらされていて
それを作り出していてこんなに無駄なことはないから
AI時代になったらそういう人たちは
経済的には不要なものとみなされて
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職を失うとそういう話をした時に
やっぱりAIにできて
人にしかできない仕事って何なんだろうみたいな
そういう話になるじゃないですか
あの話をしている時にですね
これを想像できるほど私たちの想像力って豊かかなと思って
つくづく違和感を持つんですよね
あの価値を示すということは
例えば苦しむってことがあると思うんですよね
このお父さんは苦しんでたわけですよ
でも正気に戻るということは価値があるんですよ
これはAIには無理だと思うんですよね
AIは苦しまないのでね
カウンセラーとか先日ちょっとで
倉園さんと話しててこの話が出たんだけど
坊さんとかね
坊さんとか
私も家に坊さんが一人父親がおりましたんで
この話は散々されたんですよ
あの坊さんの無価値論みたいなね
そういう話を好んでする人は子供にもいっぱいいてですね
1990年代というのはまだまだ
今よりもなお生産効率万歳な世界だったんで
坊さんって何のためにいるのかと
いう話をよく聞いたもんです
あの逆なんじゃないかと時々思うんですよね
坊さんに仕事を出せるのは人だけなんですよ
坊さんはAIの苦しみ取り除こうとは絶対思わないです
カウンセリングのトレーニングとかをしたいと思っている
坊さんなんていやしないですからね
ここはカウンセラーと坊さんの違うところだと思ってるんですけど
あの坊さんの仕事っていうのは定義できないんですけれども
多様すぎてですね
そのうちの一つに全部じゃないですよ
一つに人の相談に乗るってのはあるんですよね
でもそんな定義はないんですよ
何時から何時まで個人カウンセリング
1時間5000円なんないんですよ
うちの親父もそうでしたけど
ただですよ8時間用6時間用と話聞いてあげて
でじゃあそれは仕事なのかというと
わかんないですね私には
わかんないですが仕事のようにみんな思っていたし
仕事のように見えます
何があそこにあるのかなと思うんですけれども
あれを無駄だと敗意すると
あれを引き受ける人は誰なんだっていうのは
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猛烈にあります
つまりですね父はですね
畳にどういう人の目に見えるのか知らないですが
非常に忙しかったんですよ
私はその父の僧侶というんですけどね
僧侶の業を見ていてやりたいとも思わなかったし
好きではなかったんですが
そのうちの一つに暇で意味がなさそうだからと思ったことはないです
むしろ忙しすぎるこれはっていうのがありました
もう要するにあれですよね
書類の整理とか情報の整理の一番難しいのは
その他って項目を作っちゃダメなんだよ
その他が7割ぐらいに一方違いとなるわけですね
分類できない
僧侶の仕事ってそれに近いんですよ
死んだ人の弔いとかするわけでしょ
それはその他なんですよ
その他は多いですよね
まともにやったらですけどね
この世にはその他ばっかりなんで
もう本当にその他ですよね
そしたら一日中仕事してることになるわけです
年中無休なんで
だって人が死なない日とかってないじゃないですか
いつ死ぬかわかんない
医者と近いんだけれども
医者よりも無差別なのはですね
ここに専門職という概念がまだない時代からのものなので
来ようと思えば誰でもいつでも来れちゃうわけですよ
それと苦しんでます
何でだかわかりませんとか
夫が沸きましたとか
子供が交通事故で亡くなって葬式は済んだけど
とても辛いですとか
カウンセリングだよねっていう話もあるかもしれませんけれども
カウンセラーの人にはお金を払わなければならないし
そのカウンセラーは一緒にお墓参りはしないでしょう
するケースもあると思うんですけど
お葬式はあげないですよね
こういうものをその他のものってのはトータルで来るんですね
切り離せなくなるわけじゃないですか
納めが欲しいのか相談に乗って欲しいのか
葬式して欲しいのか
それって切り離したらおかしいですよね
葬式は坊さんにしてもらって悩みはカウンセリングに行けば
万事解決するってならないからこそ
その他って項目が出てきちゃうわけですよね
そういうところにいるとですね
一つ一つの料金を別々に設定するのはほぼ困難なんですよ
だから設定料金はないんですね
いくつかのものはほぼ全部無料なんですよ
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何時間働こうとね
あれを羨ましくて
果たしてAIに人は
ここで私が言いたいのはこういうことですよ
AIでは相談に乗れないという話じゃないです
AIの方がむしろ的確な答えを出してくれる可能性ありますよ
慰める言葉にしてもですね
うちの父よりもAIの方がいいかもしれないです
そうじゃなくて
人はそれをAIに頼みに行きたいかってこと
これが一つですね
AIに葬式をあげて欲しいと思うかということ
もう一つもっと大事なことはですね
父は何でやってるのかってことなんですよ
僕はこれでもやりたいとは思わなかったんですよ
やっぱり
何でやってたんだろうって思いましたね
それしかできないからという考え方もありますけれども
ドコンジョウガエルの娘を呼んで思ったのは
あの父のあの姿を見たいと
人は思うよなと思ったんですよね
漫画読んでる人は結局そういうことだったんですよ
正気にイリュージョンから帰った人を見たいんですよね
あれAIだったら僕らは見られないんですよね
AIが苦しんでるふりをして
AIがイリュージョンから立ち直ったというのに
感動を覚えないじゃないですか
つまり一番できないことは
AIには坊さんまでできるかもしれないけど
坊さんに相談しに行く人をAIにはできない
と思うんですね
さっきも言いましたが
うちの父はそうでしたが無償でした
無償だっていうのは無償なんで無償なんですよ
有料だという概念がないからね
で
あれやる報酬何なのかと
人にあれをやらせる動機づけって何なのかというと
吉沢康美さんが正気に戻るシーンを見るためですよ
それが僕はグッドバイブスなんだと思うんですね
あれを見る価値は高いんですよ
AIが悩んでてもあれを見られないわけですよ
つまりそれってその他ではと思うんですよね
結局娘さんは父からお金なんかもらわなかったから
取られるばっかりでしたからね
でもイリュージョンは取り除いてあげたんですよね
あれほどの苦労をしてるんですね
父の得ていた報酬はおそらくそういうことに近いだろうと
父はそんな話しませんけどね
思うんですね
そういうふうに考えた時に
価値っていうのは相当
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つまらない概念だなと思います
そうは言っても
私は父のようになりたいとは思わなかったんですけど
思わなかったんだけれども
そういうところで分けられる
つまりその他じゃないところにはっきり分けられるものの
価値の有用性って差も高そうに見えますが
そうではないんじゃないかと思うんですよね