00:06
報道で告知を強めにさせてもらってますが、あの例の山崎隆明さんとの、ちょうど10日後になりましたかね、セミナーが、6月26日土曜日18時開始というところなので、現在6月16日なので、まあ10日後ぐらいですね。
またこれに登録していただいて、その上でご参加いただければと、一番それがありがたいですということですね。
登録していただかなくてもいいんですけど、詳細とかは今後ここから出していくことはあると思うので、
いろいろね、こちらから伺いたいことも、伺いたいというのは皆様にはご質問を募りたいという意味なんですけど、
ご質問というのはつまり山崎さんに聞いてみたいこととか、私にでもいいんですけど、当日要するにこの対談の中で挙げてもらいたいテーマがあったらぜひ挙げてくださいと。
質問じゃなくていいんですよね。挙げてほしいテーマ、トピックみたいなものがあれば、
事前にあんまり細かく用意しませんからとは言っても、今回は一応AIの話をする、3ヶ月チャレンジの話をするまでは決まってるんですよ。
もう一つが皆様から募ったお題を扱うということにしたいというわけですね。
これが告知で、今日だからさっき白雪姫とか言ってたな、白雪姫か。
つまりどうして白雪姫かというと、3ヶ月チャレンジでもそうなんですけど、
僕は3ヶ月チャレンジにご参加いただけないというか、ご参加いただかない方に向けてやってる発信としては、精神分析のことに興味を持ちましょう。
精神分析が日常に入ってくるようにしましょうということなんですね。
私はそういうムーブメントを引き起こしたいと思っております。
これはAI時代でなくてもなんだが、AI時代になれば特に私は必須のことだと思っているので、
精神分析の知識というものが一般教養化するべきだと思っているので、されないでしょうけどね。
これを携えていれば、自分がカルトというものに興味を持ったりするのがなぜなのかも分かりますし、
夫婦間というものが難しくなる、恋愛というのは何なのかみたいなことも、
そして職場になぜ行きたくなくなるのかといったようなことがですね、もろもろ見えてくるところがある。
そのときに心理カウンセリングを受けるとか、それなりに深刻な事態になった場合でもですね、
精神分析を受けようとしているときにですね、
非常に難しいと思いますので、代わりに何をどうすればいいのかというような知見も得られる。
03:01
私は絶対プラ現代を、現代人が現代を生きる上ではよく分からない言い回しですが、
必須だと思うんですよ。精神分析的知見というものはですね。
これをしに行くというのは本当にこう、まるでですね、
わかんないけどよく、RPGのダンジョンに梱包と布の服みたいなので入っちゃうぐらい無茶なことをやっている。
それも、それはゲームだから絶対無理なんだけど、
基本的にもしかすると現実の世界ならば、そういう無謀なことをやっても上手くいく人って、
何でも上手くいく人ってすごいからね、やっちゃうかもしれませんが、普通は無理なんで、
やっぱり、なんかよくわかんないけど、ロトの剣みたいなものぐらいは持って行って行った方がいいんじゃないかと思うわけですね。
それが要するに精神分析だってことですよ。
で、どうしてなのかの話をしようと思うと、たちまち非常に難しくなるのが精神分析の立ちの悪いところなんですけど、
どうしてなのかというとですね、そこで白雪姫が出てきたんですね。
あの話を読んでも普通に意味はわかるんですけど、
あの話はすごく精神分析的に読める話なんですよ。
別にかわいはやむさんは昔よくそういうことやってましたけど、
昔話をあだこだ、象徴的に解釈するんだの、ということをする必要って、
真相心理的に見るんだの、別にいらないと思うんですよ。僕逆だと思うんですよね。
そうじゃなくて、白雪姫は別にそのまま読めばいいんだけど、
あれを使って精神分析を理解するのがいいと思うんですよ。
なんかね、ユング心理学を使って一寸法師を理解するとか、
そういうのは余計だと思うんですよ。逆だと思うんですよね。
一寸法師を通じてユング心理学を、ユングが言わんとしていることを理解するのがいいのであって、
かわいはやむさんがやってたのはそういうことだと思うんですよね。
グリムドは難しいからユング心理学で理解しようよっていうのはおかしいと思うんですよね。
それはなんかこうですね、この小学生の受験の問題ちょっと難しいから、
微分析文使いましょうみたいな。それ逆だろって感じ。逆じゃないかこの場合は。
でもそれはやっぱりおかしいと思うんですよ。
それぐらいグリム童話は子供が読んでもわかるから童話なのであって、
その奥に隠れた意味を引き出すためにユング心理学で検討するんではなくて、
ユング心理学ってのはどうも錬金術とか何とか言ってよくわかんないから、
グリム童話を通じると、ユングはそういうことが言いたかったのねとわかる。
こういうのが普通だと思うんですよね。
私も白雪姫を理解するためにフロイトが必要ですってことはさらさらないと思うんです。
そうじゃなくて、フロイトを理解するために白雪姫が使えますなんですよ、やっぱり。
白雪姫は読めば、5、6歳の女の子でも、
うーん、なるほどって言うか先を継ぎ、続きをせがんだりするじゃないですか。
それからっていうやつを聞くじゃないですか。つまりわかってるわけですよ。
わかってないわけじゃないんですよ。書くわかってないとか、そんなことはいいんですよ、別にお話なんだから。
06:05
で、私は白雪姫はいろいろと素晴らしい象徴に満ちているとは確かに思うんですけど、
一番最初にやっぱり我々があっと思い浮かべるシーンといったら、
あの鏡よ鏡だと思うんですよね。あれは名言ですよね。
で、鏡よ鏡、あれはAIになってる気が私はするんだけど、
この鏡よ鏡って不安ってことだとまず何よりも思うんですね。
まあ自分の美しさに不安を抱いているということだと思うんですよ。
鏡に聞くってことは。自分の美しさにほぼ安心して自信を持っていれば、
鏡見てそれで鏡にしか問い合わせは立てないと思うんですよね。
やっぱり私は、例えば自分の文章をAIに読ませてどう?って聞くけど、
そういうことをやってますけど、そういうことを。
つまり私は多くの人がどうやってるのか知りませんが、
AIに文章を書かせて私が読むっていうのはナンセンスだと思ってんで、
いやそれを私の文章っぽくしてっていうのは楽だようだけど、
なんかやっぱりなんか方向性が狂ってるという感じがある意味するんで、
だってなんで向こうが書いたものを俺が読まなきゃならないんだって思っちゃうんで、
いや自分が読んだものを読ませるんですよ、あの人に。
で、それは不安ってことですよね、結局はね。
でもね、もちろんご自分の指摘をしてくれるのが一番大変ありがたいんで、
この間、あ、昨日もですね、
損なことっていう標語、僕あれやっちゃうんですよ、よくタイプでね。
損得の損が当たってるんです。
なんであんなのか言いたいんですけど、いろいろと変換に。
そこは開いたほうがいいですよねっていうか、
これは多分誤記ですねっていう極めて正しい指摘がですね、
すでに誤記であるということが分かっているけど、
そうでなかったとしてもここは開いたほうがいいみたいな、
あらゆる意味で正しいんですけど、
まあそういうことを言ってくるんで、
大変ありがたいわけですが、要はそういうことです。
読ませるということです。
で、AIをAIをなんですけど、
鏡を鏡っていうこの心理における不安は、不安だと思うんですけどね。
メラニ・クラインっていう人の分類によると、
抑鬱不安か迫害不安ですから、不安というのは大筋。
つまり多席に向かうべき不安。
要するには誰かが私を攻撃してくる嫌だっていう不安か、
自分がやらかしてしまうっていう不安。
このまま会社でこういうふうにExcelに入力、
あんまり最近しないですよね、AIがいるから。
Excelに、それこそあれですよね。
いや、いいや。
Excelに入力している自分がミスを犯すのではないか。
私がやらかす自責的不安ですよね。
これを抑鬱不安というんだと思うし、
他社が迫害してくるのは文字通り迫害不安というわけですよね。
で、鏡よく鏡は不安になってるんだけど、
どっちだって方になったら、
これも迫害不安、だからここからスタートだと思うんですけど、
09:01
まず僕はこれ迫害不安だとある意味思うわけですよ。
だってそれは白雪姫でございますとか言って激行するわけですから、
明らかに白雪姫のせいで私の幸せが台無しになるという
不安になってるわけですよね。
だから白雪姫は外人に行くわけじゃないですか。
迫害には迫害をっていうわけで、
迫害不安を持った人はまず非常に多色的になるので、
あいつが全て悪いってことになって、
そいつを取り除けば私は幸せになれる。
私はあれを子供の時に読んだ時からすでに違和感があって、
いや、すでに美しさが失われてきたということは、
より美しい奴を亡き者にしたところで、
なんか自分が得るべきもの、
つまり王様からの愛なんでしょうけど、
得られたんじゃねって感じが、
当時もした、当時何歳くらいかな、
3、4歳だと思うんですけどね、
当時もしたんで、そんなことは本人はわかってると思うんだけど、
もう許せなくなった時ってああなりますよね。
そこが物語のいいところだと思うんですよ。
多色思考になった時というのは、
それが有効かどうかっていうことに関する検討が、
もう相当怪しくなると思うんですよ。
だから現実検討が怪しくなるわけですよね。
白雪姫でございますって言ってるっていうのは、
もちろん自分の心の声だと思うんですけれども、
というふうにフロイトを理解していくわけですよ。
話としては別に鏡に人格を与えて、
鏡がAI化していて、
鏡が本当に白雪姫でございますって言ってるってことで、
子供にとってはそれで十分だし、
しかも物語としてはそれでいいわけですよ。
面白ければいいわけですからね、物語なんて。
ただ、あれをフロイト的に読むと、
これは心の声だということになると思うんですね。
心の奥底で白雪姫が自分を美しく凌駕していく
というのが恐ろしいということですよね。
この恐れの中にはかなりのものが含まれていて、
言うまでもなく自分が老いていくっていうことも
恐れの一つですし、
王様が要するに若い女の子のところに行っちゃうとか、
そのうち自分の地位が姫だからね、乗っ取られると。
自分は黒いわけですよ。
相手は白雪のように白くて、
自分は真っ黒なわけですよね。
という気候があるわけですよね、そこには。
つまり結構悲惨な話になってくるわけだけど、
この迫害というのはですね、
要するに他者が迫害してくるから多席的なんですが、
よろしくないとされてるわけですよね、現代では。
僕はまずここでフロイトの使いどころというか、
知っておく価値があると思うんですよね。
多席に走るということは、
その人は不安だということだってことが、
これはもう別にフロイトの力借りるとも、
そんなのは分かりきってるというふうに
おっしゃる方もいるかもだけど、
私はそんなことはないと思うんですよ。
自分が多席的になってる時っていうのは、
非常に自分が不安になっているんだというのを、
パッとこうですね、
そういう思考に返っていけるかっていうと、
そんなに簡単じゃないし、
その割にだってSNSとかで
あれは多席思考だみたいなこと言って、
12:01
多席思考になってる人は三流みたいなことって書かれてる、
平気で書くじゃないですか。
本人不安になってるのに、
その不安にますます迫害をさらに与えるようなことを、
分かっててやるのやめようよって感じが、
しなくはないわけですよ。
分かってるって言うんだったら、
分かっててやるのやめようよって感じがしますから、
やっぱり私はこの知見って役に立つと思うんですよ。
多席してる人が不安になってるって分かってるんだったら、
多席してるやつは給流とかやるのやめたほうがいいと思うんですよね。
傷口に塩を塗るのが私の生き甲斐ですって言うならしょうがないですけど、
あんまりそれをやっていいこと起きないような日がするはずなんですよね。
知ってればね。
だから知らないんじゃないかって気が時々やっぱりしちゃうんですけどね。
知らないんだったらある意味しょうがないことなんで、
実は多席してる人っていうのは不安になってるんです。
迫害不安ですけどね。不安になってるわけですよ。
で、この不安はやっぱり実は自分の無力感というものをものすごくですね、
反映してると思うんですよね。
だって白い姫の王、お妃様はまず狩人に殺させに行くじゃないですか。
これも結構面白いというか、面白くはないけど面白いというか、
自分でやりに行かないですよね最初ね。
なんか強そうな奴に頼みますよね。
ということは自分の力というものがすでにかなり及ばなくなっているという不安があって、
しかもあのお妃様はちゃんと懸命にも本当に殺したのかこいつはということで
確認をするみたいなことをやるじゃないですか。
鹿からの心臓を取ってくるんですよね狩人は。
白い姫殺すのかわいそうだから。
というこの話ってすでに白い姫に自分が負けつつあるというか
事実上負けてるということをアンに言ってますよね。
で、白い姫何にもしてないじゃないですか。
ただ可愛く育ってるだけですよね。
あの話最後に非常に重要な靴を白い姫に贈られるという重要な話があるんだけど、
要するにこの多色思考に陥ってる時の人間というのは非常にメラニー・クライン的な世界に入ってるわけですよ。
悪いおっぱいが自分を攻撃してくるからそいつと戦うみたいなことを赤ちゃんがやってるというメタファーを使うんですけど、
悪いおっぱいっていうのは要するに自分の空腹を満たしてくれない、
お母さんがその場にいないとかいろいろあるんですけれども、
要するにその悪いおっぱいっていうのはもうゾンビみたいな、ゾンビみたいっていうか悪鬼みたいなやつで、
キシボジンのイメージだといいと思うんですけど、悪いおっぱいめちゃくちゃ怖いわけですよ。
で、でも悪いおっぱいっていうのは幻想の世界に生きてるから赤ちゃんは空想って言うんですけど、
この空想の世界に生きてるということはつまり自分で自分と戦っちゃってるわけですよね。
だって戦ってない人は自分の空腹ですから。
で、自分と自分で戦ってるということはものすごくこう、なんていうのかな、
これをなんて言うんだ、要するに一人の世界に生きている。
15:04
だから最後に白雪姫は何かの作品の中では、あれ非常に残酷なんですけど、
靴をくられるんですよ、白雪姫から最後に起きた日さまは。
この靴を履くと踊り狂っていくんですよ。
ひたすらひたすら自分だけで踊って死んじゃう。
死ぬまで踊り続けるみたいな、そういう靴なんだけど、
目高は結局あのお妃さまの生き方を象徴的に表しているってことだと思うんですよね。
要するに全部一人でやっちゃってるわけですよね。
ひたすら自分一人で頑張っちゃっているっていうか、
要するに白雪姫は何もしているわけじゃないし、
白雪姫に向かってなんかいろいろするんだけど、
それがことごとくうまくいかないわけですよね、結局。
つまり何かと戦ってるんだけど、その人は自分と戦っちゃってるわけですよね。
それがそのメタファーなんですが、そういうことが起きがちになるわけですね。
多色思考に入ってる時っていうのは。
つまり無力だってことなんですよ。
だって悪ちゃんって無力じゃないですか、完全に。
そんな悪いおっぱいにやられるって思ってるのは自分の空想なんだけど、
自分の空想と戦っている自分というのは、
つまり外界と戦うというところまでには行き着けないわけですよね。
外界に対して赤ちゃんにできることはなくぐらいだから。
だからつまりできることは何もないということ。
お妃様は白雪姫がどんどん美しくなるのを止める術は何もないし、
既に美しくなっちゃっていて、
狩人とか王様とかみんなを引きつけるのを
彼女に止める術は全くないわけですよね。
で、自分はこれから美しくなるっていうのもそれも難しいので、
だからこそ白雪姫を害するっていう作戦になるわけですよね。
美容液買ってくるとかそういうわけにはいかないわけですよ。
そういうことをしても無駄なのか何なのかわかんないんだけど、
多色思考に入っている時というのはこういうふうに、
実は自分の無力感というものに非常に強い不安を抱いているんだろうと。
で、しばしばそれによって、
僕らは気抜くしかないっていうことがあるんだけど、
ここに壁があるわけなんだと思うんですよね。
という話だと思うんですよ。
考え方によっては鏡見てるわけだから、
要するにここで自責に転換できるかどうかっていう話。
で、なんで自責っていう話とビジネスの話が相性いいかというか、
いいのか知りませんけれどもよく出てくるのか。
つまり多色思考はやめて自分で責任取りましょうみたいな、
それはつまり自責ってことじゃないですか。
自分で責任だから。
なんでそういう話をするかって。
今美容液って言いましたけど、
年齢いってもアンチエイジングで頑張れば大丈夫だからみたいな、
そういう話を始めるのはビジネス的な理由なんですけれども、
ビジネス書だけに。
ということあるにしてもですね、
これはやっぱり自分に力を取り戻すっていうことなんですよ。
だから自責して自分を責めがちな人というのはですね、
こっちが欲打つ不安につながっていくんですけど、
18:01
ここにだからジャンプするべき壁がありますよっていうのが、
精神分析では非常に重視しているわけです。
ジャンプするべき壁があるということは、
ここは乗り越えがたいんですよって言ってるわけですよ。
多色を自責に引っ張ってくるというのは、
赤ちゃんのことを考えると容易に理解できるわけですけど、
お腹が空いたというのは、
自分という存在がいるってことを認識しなきゃいけない。
すごい難しいですよね。
動物はほとんどそんなことをしないで生きてるのに、
人間は自分がここにいるっていう認識を持たなきゃいけないんですよ。
しかも自分のお腹が空いているってことも、
自分で認識しなきゃいけないし、
泣いてお母さんがおっぱいくれるのを待っていた人生だったのに、
自分でお腹が空いているから、
なんならミルク買ってくるみたいなことまでやらなきゃいけないわけですよ。
すげえ大変なんですよ。
この時に自責ってものが当然出てくるわけじゃないですか。
いやいや、悪気が攻めてきているから、
このお腹に苦痛があるんじゃなくて、
自分のお腹が空いているから、
自分で何とかしなきゃいけないんだということですよね。
こっちにだから欲打つ不安という、
これに失敗したらどうしようという不安が今度は出てくる。
これには容易に失敗しうるから、
一人でできるものの世界だから、できないわけだから。
一人でできるものならば、
そんなに簡単にできないから、
ああいう番組が成立するわけですよね。
できないわけだから。
その前にメラニー・クライフの世界はもっと過酷なんで、
おっぱいを攻撃しておっぱいをやっつけてしまったために、
自分でしなきゃなんなくなったんだっていう、
これはシンデレラの世界なんですけど、
ちょっと話飛ぶんですけどね。
やっつけてしまうという、
自分でやんなきゃなんなくなるわけですよ。
いいお母さんはもうどこにもいなくなる。
おっぱいをくれている優しいお母さんがいなくなって、
悪いママ母が代わりに登場して、
自分でやんなさいっていうわけですよ。
これは成長物語ですよね。
本当にママ母が来たのかもしれないんだけど、
でも事態は同じですよね。
同じではないかもしれないけど、
同じような意味になります。
失落園の物語ですね。
ユートピアのように、
おっぱい飲んで年齢していればよかったはずなのに、
掃除をしろとか、自分で買ってこいとか、
理不尽なことを言い出すわけですよ。
それは実母が言う場合もあるし、
ママ母だから言うのかもしれないんだけど、
とにかくあの優しいお母さんはどこに行ったっていうことになるわけですよね。
で、白雪姫に戻すんですけれども、
とはならなかったから、
お妃さんは黒いままだったし、
PSポジションって言うんだけど、
ここはそこは飛ばして、
多色思考から出られなかったので、
彼女は最後に毒リンゴを作って、
狩人信用にならないから自分で行くべしっていうことになったわけですけど、
依然として自分に責任になるとは全く思ってないわけですよね。
自分が原因で、
自分が美しくなくなったとか、
もうちょっと王様に優しくしておくとか、
そういうことをしておけば、
だからこれが自責の考え方なんですよね。
ビジネス書が好む、
自己責任的な発想、
好まないけどね、別にね。
私ビジネス書作家ですけど、
別に自己責任論とか一度もぶったことないつもりですし、
21:01
好まないんだけど、
好むことにされている、
新自由主義とかいうところから、
勝手にビジネス書はそういう主張の人たちで、
集まってるんだということになってんだけど、
別にそんなことはないんですけど、
そういうことにさせられていると言いますか、
そういうことになっちゃってるんで、
でも、
できるところを
自分でやるのは、
多分、
幸せになれそうな気がしますよね、
ぐらいの感じにはしますよ、さすがに。
だってライフハック言ってるってそういうことですから。
自責っていうのは、
しかし、
自己責任論のいろいろな問題が言われますけど、
この文脈で一番
自責の何が難しいかというと、
そのジャンプ自体が難しいってこともあるんですけど、
一旦入ると今度は、
全コントロールを
自分で引き受けようとしちゃうわけですよ。
つまり、
自責って自信があるってことなんですよ。
他責は無力で、
そして、他人が攻撃してくる不安に
怯えていて、
つまり白い姫がどんどん美しくなるという、
どんどん美しくはならないはずなんだが、
どんどん美しくなって、
自分はどんどん見にくくなって、
鏡を鏡ってやってるんだけど、
鏡までついに裏切って、
めちゃくちゃ恐ろしいわけですよね。
そして、自分にできそうなことは
おそらく何もないという不安なわけですよね。
だから、この不安は
絶望的だし、非常にでかい
不安で、
どうしようもないと。
だけど、自己責任論は違うんですよ。
美しくなくなるのも、
だからアンチエンジンがね、
踏みとどまることができるかもしれないし、
別に白い姫を泣き者にしなくったって、
美容液とか、
王様に優しくするとか、
そういう手を打てば、
なんとかなるかもしれない。
これが、
自責にまつわる不安ですよね。
愛で、それに失敗したらどうしようという不安があるんだけど、
ここには、
自責の表れというものがありますよね。
状態は自分がコントロールできる。
言ってみれば、王様の愛でしょう。
この場合問題になってくるのは。
それは、自分がつなぎ止められるって思ってないと、
自己責任って出てこないんですよ。
自責ということが
心配になってくるのは、
アシャは関係ないって意味なんで、
白雪姫がどんなに美しくなっても、
関係なくて、
私がしっかりしてればいいんだ、みたいなのって、
つまり、
私頼みじゃないですか。
つまりこれは、自信があって、
無力感というものから抜け出しているわけですよ。
だから欲打つ不安は、
自立の象徴なんですよね。
ただ、これは、
それは当然、
良しとされるわけですよ、現代では。
つまり現代って、
その辺が自己責任なんですよ。
主体戦をもて、みたいな話ですよね。
ただ、これは、
誰もが知っている通り、
辛いじゃないですか。
これをやろうとすると、しんどくなってくるし、
歯止めが効かない時があるんですよね。
欲打つって言葉は、
なんでここに出てくるかというと、
欲打つ不安、
欲打つポジションという言い方は良くないから、
歴史的ポジションにしましょう、
っていう風に、
クラインのお友達というか弟子みたいな人は、
24:02
ウィニコットさんね、
言うんですけど、それはそれとして、
欲打つって言葉は、
なんでここで出てくるかというと、
これやっぱ、鬱につながっていくんですよね。
つまり、過剰に
自己責任に突っ走っていくということは、
ある意味、
状況コントロールの責任は、
全て私にあります、
っていう考え方なんです。
これ、自覚していない方は、
不思議に思われるんですけど、
鬱でしばしば出てくる、
精神病性鬱みたいな話ですけど、
現実見当が微妙になっていく、
形の鬱っていうのは、
つまり、
責任半径を拾っていくわけですよ。
そういう人って、
いらっしゃるわけじゃないですか。
例えば会社とかで、
なんとか、
あんまりその人に関係なさそうなトラブルなのにな、
と思っていても、
私があの時、ああいう風にしておけば、みたいなことを言ったり、
新しい人が入ってきて、
なかなか仕事を覚えない、みたいなことを言っているのに、
それは新しい人の責任じゃん、
って感じなんだけど、
私がちゃんとマニュアルを作っておけば、とかって、
マニュアルを作り出して、仕事が増えていくわけですよ。
で、なんか燃え尽きてる、みたいな。
まさにこれは、鬱っていうものが、
抑鬱不安から来ている、
割と典型的なパターン。
だからこういうのの説明をするときにも、
フロイドって有効なんですよ。
この場合、クラインなんですけど、
でも精神分析って有効だと思うんですよね。
つまり、
アンチエイジング大変なわけですよ。
アンチエイジングも、
王様に美しく亡くなった分、
優しくするとか、
王様はそういう適当な人間だけど、
その分を含み込んでですよね。
王様は、なんか、昔は自分若かったときには、
自分にチヤホヤしてたくせに、
白雪姫の方にフラフラと言っちゃう、
いい加減な人間なんですよ。
しかしそれは、他人がどうであろうとも、
私が努力をすれば、
王様は繋ぎ止められるんだ、
っていうこの自信っていうのは、
つまりその不安っていうのは、
なんでも自分次第だっていうことになっていくわけですよね。
だから、新人が仕事を覚えなくても、
マニュアルを作る責任とかを、
自分にも背負い込んじゃうし、
こうやって、こうやってる人は、
そのことそんなに変だと思ってないんですよ。
最初はじわじわっといくんで、
破石よりも自石っていう風な、
常識を使って、
常識っていうのは現代の常識ですけど、
じわじわっといくから、
このぐらいなら自分できるな、
このぐらいならできるなっていうことで、
少し残業時間を増やして、
少し早くいって、
そういうことって推奨されるし、
みんな良しとするじゃないですか。
だから、少し早くいって、
少し遅く帰って、
少し自分の責任環境を広げてってやると、
もしかすると昇進とかもするかもしれないし、
お金回りも良くなるかもしれないし、
だからそういうことで、
アンチエイジングもできるかもしれないし、
こうやって少しずつ自分の、
コントロール環境を拡大していくわけですよね。
でもこれの歯止めは一体どこにあるんだっていうことが、
ないんですよ。
そんなもの、
最初から別に。
どっちみち近づいていけばいくほど、
その責任関係などというものは、
所詮はグラデーションなので、
27:02
だからこの話を、
精神病者の話にすると、
普段にそれは私には関係ないんじゃないでしょうか、
っていう方がいらっしゃるんですけど、
そんなことはないんですよ。
精神の話をしているんで、
現実の話をしているわけでは、
必ずしもないですから。
だって責任がどっちにあるかって結局、
結局のところ、目に見える話ではないじゃないですか。
目に見える時もありますけれども、
目に見えないことの方が、
ずっと多いんじゃないですか。
この責任どっちにあるんだというのを、
自分が取る、自分が取るっていう方向のベクトルを、
つぐめればつぐめるほど、
気がつくとその人は、
世のコンセンサスというようなところからは、
ほどといった幅広い責任を、
追っていることにしてしまっているんですよ。
本人の中で。
だから、やたら究極形態にあるのが、
先日ホルムズ海峡が封鎖になりましたけど、
あれも実は私のせいなんですって。
ここまで行くと精神病性ってことになるんですけれども、
それは私とは関係ないでしょうって言っている人が、
信じ難い関係の責任を勝手に追い込んで、
自分を追い込んでいるっていう話は、
実は結構あるんですよ。
私が結局この欲打不安の話を、
ぱっと思い浮かべて、
そしてそういえば、
そういう臨床例あるなって思い出すということは、
すでにその人は、
自己責任の関係が異常に広がっているんだけど、
本人は、
いや、私にやっていることは実務的に常識で、
ホルムズ海峡を言っている人は、
お気の毒だけれどもそういうことなんでしょう、
ではないんですよ。
その距離は広いように見えるけれども、
自分で歯止めも効かせずに、
どんどん自己責任を広げているということは、
結局のところ、その人にとっては、
アイデンティティとか自信とかいうものと、
それは絡んでいるので、
意外にそこに、
地に埋めるとか、
この辺までにしておくとかって、
そういう選択を取るのは、
難しいことなんですよ。
だからホルムズ海峡までは、
まだ結構距離があるように見えるんだけど、
そうは言っても、他席から自席に行く、
そのジャンプに比べると、
そっちに行く方がはっきり言って、
近いように見えますっていうケースは、
ないわけではないんです。
そのぐらい非現実的な責任を、
もうすでにあなたは負っていらっしゃいます、
みたいなように見えるということは、
結構あるんですよ。
しかも年月経ちますから、
歯止めが効かないまま年月経っていきますから、
お家の中でも、
いらっしゃるじゃないですか、
すっごく家事とかが得意な、
お母さんですよね、
お母さんが、
育児のことも、子供の進学のことも、
全部責任を負っちゃうみたいな、
その子がうまくいかないのは、
全部私のせいだっていう、
夫が愛情がなくなろうと、
昇進できながらおうと、
全部私のせいだということをやっていて、
そういう、今は減ってきてると思うんですけど、
精神分析、
多分心理カウンセリングの世界にも、
犠牲的事故、
自己犠牲的万能感とか、
30:00
そういう言い方ってあるんですよ。
私がもうちょっと頑張れば、
この事態は丸く収まって、
うまくいくっていう方向に、
どこまでも向かっていくという、
だからそれを、
最初にやってる時は、
ミリ単位でやってるから、
そんな分かんないんだと思うんですけども、
これが30年、40年とやっていて、
しかもそっちの方向をやる限りにおいては、
誰も文句を言わず、
むしろみんなが喜んでくれて、
何か本当にうまくいってるような感じがしている、
ということをやってるから、
いずれそういう話が進行していくんですよね。
読んでると、
ブログとか昔、
今ではやっぱり、
ブログを書いてる方には、
この種の思考に入っている人って、
普通にいらっしゃいます。
絶対これを自分に全部化して、
仮にこれを実現させたら、
この人死んじゃうんじゃないかな、
っていう感じがするぐらいの人っていうのは、
昔のブログを読んでる限りは、
割といっぱいいらっしゃった気がするんですよ。
その通りやるかどうかは、
また別ですけど、
そういう思考的な価値観を持ったまま、
やっぱり10年、20年と、
過ごしていけば、
割とそうなるんですよ。
もちろん、美しい奴には毒リンゴ食わせようっていうのは、
悪いかもしれないんだけど、
でもですね、
だから、
自分が美しくあるために、
自分が毒リンゴを食べちゃおう、
みたいなようにならないっていうのは、
割と考えておく価値があるんじゃないかと、
そういう風に思うんですね。
そういう風に思うという時に、
さっきも言いましたけど、
冒頭の方で言いましたけど、
フロイトを理解する上で、
チラエキヒメとか、
シンデレラとか、
略に出すんですよ。
略じゃないんですよ。
難しそうな、
スノーブースみたいなのを理解するために、
ユングを読みましょうみたいな、
そういう話にすると、
すげえつまんなくなるような気が、
私はするんですよね。
話自体は、話自体だけでも、
竜文を面白く完結させられるわけだから、
そっちではなくて、
あれでもなんでもいいんですけど、
映画でもなんでもいいんですけど、
使ってでも、
私は、
不安ですよね。
特に、
多色思考って、
嫌かもしれないけど、
多色思考ってのは結局、
ある意味、
謙虚なわけですよ。
そういう言い方も普通されませんけれどもね。
謙虚だっていうことはつまり、
人流にあるんですよね。
自分のせいで謙虚ってのは結局、
なんでも自分のせいにする謙虚って、
確かにあるんだけど、
その人は相当な自信家でもあるわけですよ。
周りの人の、
スキルとか態度とかを、
フォローするだけでなく、
周りの人の気持ちを盛り立てようとしていますから、
あの人は勝手に、
どんどん不機嫌になっちゃう人だけど、
私がこうして、
機嫌を取っていれば、
この職場の雰囲気は和やかになるから、
あの人の機嫌を、
私が取ろうみたいになってるっていうケースが、
もちろんそこには恐怖がないってわけじゃないと思うんだけど、
でも究極的にはですね、
33:01
自分がこれを
閉じる失敗ってものを、
圧倒的に拡大しているわけだから、
やっぱりそこには、
その場を自分が支配できるとまでは
言わないまでも、
自分がその場を取りしきれるっていう、
その取りしきっているってことに、
気づかせないうちに取りしきることができるぐらいな、
自負心ってものが、
必要だと思うんですね。
そういう意味で、
その多色思考から自責にジャンプするっていうのは、
やっぱりハードルが高いんですよ。