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2021-11-30 45:34

【GMV 504】なぜ佐々木のタスクリストはリピートタスクばかりなのか?

ロングスリーパーさんの質問にお答えしました
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイオスです。
12月の下旬、26日だったと思うんですが、
かき上げ塾第5期がスタートします。もう4期終わったんですね。4期ということは2年。
おかげさまでですね、かなり好評いただいていて、もう残り3席とかになってるんですよ、気がつくと。
えっと、なんかこう
ここのところ、常に満席っていう感じがして、
大変
そんなにお安いわけではないんですけどね、やっぱりかき上げられるという
ところをひとつ目指すのと、
えーと、クラズノさんの赤入れのおかげも多分にありますが、質を犠牲にしないと。
この2つを両立させた上で半年で一冊っていうのは結構ですね、
商業をやってる人でも厳しいんですよ、実際のところ。
質を犠牲にせず、6ヶ月で必ず一冊かき上げろって言われると、
条件次第でもあるんですけど、結構きついものもあります。
そうすると、自分としては十分納得の1個本が
少なくとも年に2冊を出せるという計算になりますからね。
それをコンスタントに、例えば5年やれるかと言われると、難しいっていう人は多いと思います。
で、それはそれとして、
かき上げ塾の4、5期を12月下旬からスタートして、
そうですね、電子書籍で一冊書き上げれば必ず出ます。
表紙もなかなかいい感じで、素敵な表紙を作ってもらえるという感じなので、
よろしければですね、
そうですね、
私がこの
かき上げ塾で比較的上手くいくなと思うのが、実はフィクションをやる方なんですよね。
割と
比率が僕の最初のイメージとは全く裏腹なくらい、
フィクションの比率が高いなっていうのがあるんですよ、書き上がった人も。
私はフィクションを書けないので、そもそもちょっとバイアスがあると思うんですが、
フィクションを書き上げたいという人には、
かなりいいんじゃないかと。
フィクションの赤入れって難しいんですよね、
僕の感じでは。
これも多分バイアスがかかっていますが、
フィクションの赤入れをしてもらえる上に、
書き上がるというのは大きいと思うので、
ぜひそこをですね、やりたいといった方に
検討してみていただきたいと。これはですね、私は、これもバイアスかかっているかもですが、
あんまり高くないと思うんですよね、これを可能にするならば。
あれですよ、出したフィクションで十分元が取れるほど売れるぜって話ではないです。今の時代、
03:01
読むものはいくらでもあるので、
なかなかそもそも知ってもらうのが難しい。ある意味、
知ってもらえれば、
アンリミテッドで読むっていうことならば、みんなやると思うんですよ。結構、
高速にどんどん読んでいく人って、今いっぱいいらっしゃいますから。ただ、知ってもらうのが難しいんですよ。
今の時代はもう。
なので、なかなかそう簡単にお金の面で収支が合うかっていうと、そこは難しいかもなんですけど、
価値はあるなっていう感じがします。なぜかというと、
書き上げてしまえばですね、それは割と以下用にもできるじゃないですか。
どっかに応募するとかもそうなんですよ。
ポイントは、書き上げられるかどうかってことと、質が確保できるかどうかってことだと思うんですね。
その2つが確保できるということであれば、
何百万とかはダメですけれども、
そういう金額でなければですね、損はないという感じを私は
持っています。原稿用紙300枚とか200枚とか言われても、100枚とかも今多いですけど、
結構簡単じゃないじゃないですか。埋めるだけなら簡単なんですけどね、4万字ぐらいならば。
でも、本になるレベルで
4万字書くというのは大変ですから結構、そういう意味で
割とおすすめです。
ということで、12月26日から始まるので、
よろしければですね、お早めにご検討いただければと思います。残り3隻なんで、はい。
毎回基本的には満席になってますからね、無理やり閉めてるわけじゃないんで、時々
ちょっとこう、一席ぐらいオーバーしているケースもないわけじゃないんですよ。
だから、割と埋まる、
僕もそんなに簡単に埋まるっていうふうに思ってなかったんですが、実は、埋まるんで、
よろしければ、ぜひご検討ください。
で、今日はですね、テーマをいただいていまして、
500回記念ということで募集したらロングスリーパーさん、いつもありがとうございます。
質問を
投稿してくださいました。ツイッターですね。ぜひ、あの皆様も、皆様、
聞いている皆さんも、何かあったら、
別にどういう質問でも、グッドバイブス的とか、タスクシュートのテーマでなければならんということはないので、
何かあったら、ぜひお寄せください。
アンケートとかも取ってみたりしましたからね。
どういう自己質問かというと、タスクシュートなんですよね。リピートタスクに設定するほどの意味。
で、ロングスリーパーさんは、
リピートタスクにするというのは、
習慣化したい良いタスク、
習慣化したい良いタスクですね。良いというのは、良い、悪いの良いなんですね。
06:03
という未来思考の意味づけをセットで持ってしまうので、
仕事的なタスクはリピートにしなくなったと。
つまり、どうしてリピートにすると良いのかということですよね。
まず、
グッドバイブスよりも何よりも、
タスクシュートは大橋哲夫さんの、仕事の大橋哲夫さんが開発したツールで、
元々がエクセルベースの、
おそらくは、
作業記録を確実に残していくためのツールだったという、歴史的な、
今となってはね、経緯があるので、
そういうもの、どういうものでもそうなんだけど、ツールというのはですね、
制作者がどういうつもりで作ったというところが大きいんですね。だから、
リピートにするように最初からそもそもなっているんですね、あれは。
なので、
別にしなくても良いようにもできているけれども、リピートにするようになっているという設計上の、
行きがかりがありますから、
あんまり私の考えでは、ツールを使う時にですね、
設計者の意識や方向づけには逆らわない方が良いと。ただ、これは、
使う人の事情に当然よるし、
そもそもそんなの分からないというケースもあるので、
それは別にそこまで強く意識するものではないと思うんですけど、僕はもう、
ユーザーとしては、第1番目に近いユーザーなので、当然その辺のことは全部、
込み込みで使ってきているわけですね。そういう意味で、
リピートにしないという選択は当初は、あまり現実的なものではなかったということが、まずありますね。
ここからは、この話を始めると、
長くなりそうだし、深い話になっていくんですが、このGood Morning Vibesは、
基本的には何でも喋るという、
方針なので、割と深入りして、長くなってもいいかなと思いながら喋りますけれども、
リピートにする意味として、ここにロングスリーパンさんが書いているように、
入力の電話が省けるというのは、これは圧倒的にあるんですね。
1日の見通しが経つというのは、これは、
副次的なもはやものだと僕は思っています。
つまりリピートにしたからといって、1日の見通しが経つわけでも、
ない日も結構あるよなと思いますけれども、
どっちもロングスリーパンさんはそれほど重要だと思っていないから、
リピートにする意味があまり感じられない。で、私はリピートにほとんどしているというのは、
09:02
どうしてなのかと、
いったご質問です。
1日、私は99%はリピートタスクになってますね。
で、ほぼ100%と言っても差し支えないです。
でですね、
なぜなのかと言われると、
Aのご質問なんですけど、まず最初に言った通り、省入力というのがあります。これはもうあるんですよ。
省入力から始めていきたいんですけれども、
そもそもリピートにすると、なぜ省入力になるかというと、
昨日と同じことをやるからですね。
で、
なぜ昨日と同じことをやるのかというのは、僕はその、
ここで考えることかなと思うんですね。
レッドバイブスでも言う通り、昨日と同じ今日はないし、昨日と同じことは絶対にやらないんですよ。
ただ、僕らは
全く違うことを全く違うようにはできないんだと思うんですね。ここは、
僕らが
身体、
少なくとも身体を使って行動するから、
グッドバイブス的に言うとですね、体は道具だから、で、
この体という道具を使わないと、僕らは現実的には何もできないので、
体という道具を使います。その中には、
体そのものもそうなんですけど、一番象徴的なのは脳で、
何が象徴的かというと、記憶をベースにしているということです。
で、体ってそもそも形状記憶だと思うんですよ。
昨日と全く同じではないんだけれども、昨日とほとんど同じように扱えて、
昨日とほとんど同じように見えるわけですよね。つまり、徐々に変わってくるんだけど、
そっちの方はあんまり目立たないように、つまり形状記憶だと思うんですね。
なるべく同じ形状を維持し続けていると、
それが身体というか肉体というか物質というものの基本だと思うんです。
家もそうなんですが、家って結構実はそういう、何て言うんですかね、
注文住宅にしている家みたいに、
割と豆にけんけんとかさせられるんですよ。そうすると分かるんですが、
日々変化が激しいんですよ、割と。
柱とか壁とかは動くんです。
微妙にですけどね。
ただ、大幅に動くと困りますよね。
大幅に動くと困るんで、
だから冬場になるとやっぱり立て付けが悪くなる場所っていうのは出てくるわけですよ。
自然物だと特に。
そうすると開きにくくなったりってことはやっぱり起こるんですよね。
身体とそこは似てるんです。ただ形状記憶だから開きにくくなることはあっても、いきなり開かなくなることはほぼない。
これがリピートタスクだと思うんですね。
12:00
つまり、全く同じことをしているはずはないんだけど、
全く同じようにやろうとしてしまうんですよね、私たちって。
で、この全く同じようにやろうとしてしまうということが、つまりリピートという意味で、
ある種のリピートっていうのは妥協の産物だと思うんですね。
その日に最善の方法を
厳密な意味で見つけてやっていくのがベストなんでしょうけれども、
なかなかそういうわけにはいかないと。
いくら身体が本体ではないといってもですね、僕の感じで24時間、
ずっと身体は本体ではないと思って生活するのは、僕には無理ですね。
まず寝てる時そういう、
なんて言うんですかね、ある意味
そういう意識を
あえて持っているとは言い難い。
例えば夢を見ている時間は微妙なんだけど、そもそも
睡眠中の夢を見ている時間っていうのは長くはないんですよ。
そうすると夢見ていない時間は、
本体が何であると意識するとか言っても、意識できないんだよね。ほぼ何の意識もない状態なんで。
それを持って本体は体でないと言ってもいいんですけれども、あんまり意味はないような気がするんですよ。
で、結局そこに睡眠っていう私はリピートタスクを置いてるんですけど、
それも大して意味があるわけじゃないんですよ。
俺、睡眠してるわとかって
8時間も考えながら寝ているわけにはいかないし、それじゃ寝てることにもならないですね。
つまり、あれは
測ってみたらそうでしたってものでしかなくて、こういうところにリピート感が非常に出るわけですね。
あれを毎回毎回、今日の睡眠明日の睡眠を別の名前にしてもしょうがないし、
それこそ承入力なんですね。
やることは寝た時間と起きた時間を
記録すればいいわけだから、
それに対していちいち真新しい名称を当てたりする理由もなければ、
そうしなければならないほどの価値もない。
で、
習慣化したい良いタスクではないってことです。つまりリピートというのは全然。
習慣化したい良いタスク、まず一つには習慣化したいからリピートにしているわけではない。
これは、タスクシュートは所詮、所詮というのはあれですが、ツールですから、
人それぞれが好きなように使うのがいいんですよ。
それでもタスクシュートが上手く回っているとロングスリーパーおっしゃってるさんで、
ロングスリーパーさんはそう言ってるわけだから、それでいいんですよ。上手く回ってさえいれば。
僕は、ただタスクシュートというものは、
今タスク管理全域は私はそうだと思ったんですけど、
未来にこうしたいということを、
そういう意図を実行するツールではないと思っています。
15:01
タスク管理というのもそうです。未来に
ある
行動を実施するための、
そういう目論みを実現するためのツールではないと思っています。
つまり、これは結果なんですね。
一番僕と違うなと思うのが、
習慣化したいとか、そういう行為はないってことなんです。
習慣化してしまう行為はあると思うんだけど、
習慣化したい行為とかは
ないんですよ。
昔からよく言いますよね、習慣化と。
で、習慣化ってことが
できないとは思わないんですけれども、
私は習慣化を目論んで
できるかっていうと、それもずいぶん疑わしいなというのを
以前からずっとわりと感じてきました。まあ、そう言いながら習慣化の本とか書いてるから微妙なんですけどね。ただ、
習慣化ってのは
常に結果です。
私たちは習慣化というものをつい自動化だと勘違いするので、自動化ではない。
習慣化というのは常に結果であって、
何かしらのそこには意図が働いているから習慣というものが続いているのであって、
私の考えでは、ここはもう
タスク集と一般とすごく乖離しちゃうのは承知ですが、
私の考えでは習慣とリピートは関係ありません。
相関関係ぐらいはあると思いますが、
リピートにしていることは習慣だからでは全然ない。
し、リピートにするましてリピートにするのが習慣がしたいからというのは全くそうではない。
つまりリピートにするというのは
一定の妥協であって、
前の日と違うことを同じようにやってしまうから、それはリピートタスクと呼ばれる。
で、習慣化というのは
僕は言葉のあやだと思っています。
例えばシートベルトをするのを習慣化するとかってよく言うじゃないですか。
しかしですね、あれはまずやるのが非常に簡単だというのがありますが、
それでもですね、パッと座ってすぐするわけじゃない人って結構いるんですよ。
実は私も急いでいるときはそうなるんですね。習慣化というのは決して自動化じゃないんですよ。
しないと気持ちが悪いっていう言い方をするじゃないですか。
そして朝勝とか英語の勉強とかを習慣化しましょうって、全然話が違うと思うんですね。
シートベルトは簡単なんですよ。
で、何が気持ち悪いかというと、しないと怖いんですよね、するようになると。
つまりあれ守られているというイリュージョンを作り、まあイリュージョンじゃないんでしょうけど、こういうとあの交通、
安全の話から怒られると思うんですが、
18:00
でもあれが万事私を守ってくれるわけではないんですよね。
それ以上のものを勝手に期待してしまう。つまりあれは怖いから、
しないでいると怖くなるのも気持ち悪いって言ってるんですよね。
英語の勉強しなくても怖くはなんないんですよ。
だから同じ効果なんて全然期待できないんですよね、習慣化してみたところで。
習慣化というのは、
良いことだけに起こるわけでは全然ないですよね。
どんなことでも習慣化というものは起こるわけじゃないですか。
良し悪しはわからないんですけど、例えば
アルコール依存とかってあれは習慣じゃないですか。
あれだってそうなんですけど、やめることが不可能なわけではないっていうのは常に言われることなんですよ。
どういうことかというと、酒は自動で飲むもんじゃないってことなんですよ。
あれほど強く、その人がその習慣から離れられなくなっているように見えるものですら、
実は意思が働いているのであって、
ましてや仕事とかですね、良い習慣というものを意図的に身につけるっていうのは、
あくまでも言葉の過やだと思うんですね。
そんなことが実際には起こっていないと僕は思うんです。
だから習慣化した良いタスクというものは、
僕の中ではイメージがつかない、
そういうことを可能にする方法も
心理的なベースも根拠も何もないような気がするんです。
あくまでも習慣化した良いタスクというものが
あったとして、それは翌日もやる。
それしかないと思うんですよ。
それが続いたら習慣と呼ぶ。
それは結果であって、
いつでもその行為は消える可能性があるし、
また消えられるようじゃないとダメだと思うんですよね。
習慣化したものは決して消えないということになったら、
私たちはどんな条件になってもそれをやり続けることになってしまう。
例えば、ジョギングの習慣を身につけたとなったら、
ほぼ半自動的に体が動き出すということになってしまったらですね、
例えば、
津波が来て、
空にも困ってますと。
朝になっても救助を待ってますという時も、
ある時間が来ると自動的にジョギングを始めちゃうということはありえないじゃないですか。
危険極まりないですよね。そういうことが習慣化によって
確実なものになっていくんだったら、
その人、ある時間が来ると自動的にスクワットをどういうシチュエーションでも始める。
奇妙、極まりないですよ。
自分の足が折れててもしちゃう。そうはならないですよね。決してそうはならない。
ということは、つまり習慣化というのは、
状況に合わせた選択なんですよね。それ以上のものでは決してなくて、しかもそれは、
21:01
実は、
全く新しいことをその場で始めてしまうんだけれども、始めるんですが、
ただそれを昨日やったようにやるということを、体がある程度覚えておいてくれるので、
実行にあたる時に、昔は感じていたかもしれないハードルとか、
うまく動かなかった部分がうまく動くようになったから、
楽に進められているような気がすると、
たったそれだけのことだと思うんです。
だから、リピートタスクにするということに、これといった意味はないんですよ。
これといった意味があると思っては、
あんまり良くないと思うんですよね。今言ったような理由で。
リピートタスクになっているものは絶対やるとか、そういうことでは全くないので、
リピートタスクになっているものは自動的にできると、そういうことも全く起こらないので、
起こってしまっては、やっぱり困るんですね。
だから、ここに書かれている通りで、
単純に入力の手間を省けるというのが何よりも大きいんですね。
で、もう一つ、まあそうですね、ただこれはタスクショートクラウドでは私使ってないからあれなんですが、
直近にやったタスクの入力方法が出るから手間はそれほどではないと、
だったら別にリピートにすることもないかなと自分は思います。
ただ、こういうことは言えます。
前の日に
と同じことではないんですよ。同じようにやることとして圧倒的に強いのが食事。
で、この食事というのは、
ずーっとタスクシュートつけてて思うんですけれども、
かなり理想的な時間の幅というものが
小さい。
1時間前後が理想的だというのはあらゆる意味で理想的で、
そういう身体状態にあるときにはですね、
あんまりこれを短くしたりすると、後々なんかやっぱり
なんていうんですかね、ツケを払うことになります。睡眠と似てるんだということですね。
これは長らくやっている人はだいたい知っているはずのことです。
ただ、
短くすればするほどいいという価値観の下でやっている方は、もしかすると
数年やっててもそうは考えられてないかもしれませんけど、
これはグッドバイブスだけでも同じ効果になると思うんですけど、
ゆっくり丁寧にといったときに、やはり理想的なタイム、時間の幅っていうのがあって、
これはグッドバイブスでありながらグッドバイブスと反するんですけどね、
時間帯状に捉えてないわけじゃないので、ただ、
例えば、睡眠が僕の場合でいうと8時間前後、8時間弱
というのがやっぱり理想で一つの。
これよりやたら長かったり、酷く短かったりする日が、一日ではないんですが、
続くとなんかやっぱりきますよね。
同じことが食事にもほぼ確実に言えて、
24:03
身体がはっきりと要求している。お風呂はね、
必ずしもそうじゃないんですよ。
身体がはっきりと要求するもの、睡眠とやっぱり食事ですね。
あと、まあ、拝節か。
ここは、
理想的な時間の幅というのが、
一生通じてではないですよ。
季節、
一つの季節の中であって、
そこを大きく逸脱しないということが大事だし、
ゆっくり丁寧にというのが非常に大事だなって思うんですよ。
これは私は依頼と呼ぶにふさわしいと思うんですね。
意思でやってるかというと、そんなことはない気がするんですよ。
じゃあ意思でご飯食べるのやめられますかって、無理ですよね。
飢え死にするって形じゃないですよ。多分食べちゃいますよ、食べ物があったら。
だからもう、ほぼ依頼だと思ってるんです。寝ちゃうじゃないですか、私たちは。
時々大きな事故が起こりますよね。
睡眠というものは、場の状況に関係なく、
強烈な要求を突きつけてくることがあって、
なかなかそれに意思で逆らいきるって難しいと思うんですよ。
だからこれは、決定的な依頼だなって思うんです。
そして依頼に応えるという話はですね、
こういうふうに、結構生ぬるくないっていう場面があると思います。
依頼に応えていては自分の時間がとか、
依頼に応えていて相手がつきあがるといった話は、
実は私はやや生ぬるいかなっていう気は持ってます。
強烈に依頼が入ってきた時は、そうそうそんなことは言ってられなくて、
私たちは依頼にも最優先で答えざるを得なくなってしまうんじゃないかと、
大礼の話をよくするのはそういうことなんですよね。
その時に、私たちはやっぱりそうは言っても、
私なりの事情がどういう状態にあるとか、
トイレだって、トイレなんか特にそうで、
シチュエーションを選ぶわけですよね。
どうしてもある程度こっちの意思を通さないわけにはいかない。
だから強い依頼を受けた時ほど、この種の攻め合いってのは大きくて、
そのためにリピートってものがあるんだって本当は思ってるんですよ。
どどこおりなくなるべくやるために、
お互いの事情をかなりの部分考慮しながら、
それでも総合の依頼を通していくためには、
相当の条件ってものがあって、
むやみにそれを動かさない方がいいと思うんですね。
こういう言い方をすると不自由じゃないかって言われるかもしれないんですけど、
これですね、難しいんですよね、この種の自由と法則みたいなものとの攻め合い。
法則ですよね、私たちが眠くなる、
トイレに行きたくなる、お腹がすくってのもあるし。
27:00
太陽がですね、太陽というのはだいたい日の出日の入りの時間で言うと、
2分弱ずつ、今の時間帯で言うと短くなる。
2分弱ぐらい遅くなるのかな?
ちょっとね忘れちゃったんですけど、多分2分ぐらいだったような気がするんですよ。
で、これはすごく法則的ですよね。
だけれども、太陽にせよ地球にせよ深淵ではないですよね、少し楕円。
で、軌道にせよ完璧な円を描いてるわけじゃない。
つまり、完全に機械的なわけではないので、
若干ズレがあるはずなんですよ。
というかあるんですよね。
で、このことをよく思うんですね、私は日の出の時とかに。
法則が支配してるわけではないんですよね。
やっぱり、何らかの意味で自由にやった結果がこうなっていて、
それが法則めいたものに見えるほどきっちりしているのは、
そうじゃないやっぱり生き方をした時の、なんていうんですかね、無駄な影響が大きい。
リピートっていうのは、突き詰めるとそういう意味で、
別にいいんですけど、寝る時間が日によって5時間になっちゃうとか、
トイレなんかそうですよね、かなり我慢しなきゃならないことがあったりするじゃないですか、電車の中とかで。
でも、何らかの形でリピート的にしておいた方が、
全体の通りとしてはいいから、
なるべくリピートに沿うということがあってもいいわけですよ。
そうすると、その折り合いをつけるポイント、
だからさっきも一種の妥協って言ったのはそういう意味なんですが、
折り合いをつけるポイントというものがあるはずで、
駅に着いたらするとかね、あるはずで、
そういうものを全部検討してみるとですね、
私はタスクシュートを使ってたから、そういうものを全部は無理だけれども、
相当の部分を検討してみたんですね。
そうすると、こうなるんですよ。
ほぼ決められたように動くことと、
自分が目一杯自由に動くことは一知点が見出せる。
ここのところで、実はタスクシュートについてですね、
多くの人と私と意見があってなくて、
でも私は最終的にはこの意見のそごは、
所詮架空の問題だと思っているんです。
私が自由自在に、お金の心配もあらゆる心配もなくて、
ありとあらゆることが今好きなようにやれるとした場合と、
現状のリピートに沿って、他の人たちの都合に合わせて動く状態と、
おそらく大した違いはないと思っているんです。
というか、大した違いはないんです。
30:01
つまり、自由ってのは何の条件もない中で、
ただただあるものではないんですよね。
私よく朝食・昼食・夕食を立て続けにとる人はいないでしょう、
っていう話をよくしてた時期があるんですね。
それはお腹が空いて、程よいタイミングで食べたいからでしょうって、
それはただそれだけのありきたりの話です。
つまり自由自在にできるからといって、
日に日に食べていたい人っていないじゃないですか。
朝と昼と夜はこのくらい間を空けてとりたい。
少なくとも現在の身体の、これもやっぱり年齢とかあるわけじゃないですか。
そしてその人の体重とか体重もありますよね。
そうするとこのくらい空けて食べると、
人によっては4回食べると、そして寝ると、
そうしてしまったら、もうある程度の高速というのかな、
時間割りができてしまうんですよね。
その間にやりたいことをやり、やってと言われていることをやって、
仕事をするとやると、
ほとんどそこには変更の余地がないほどカチッとしたものが固まってしまう。
ここで、それでは自由ではないとよく言われましたよね、私は。
自分の時間がないんですと。
じゃあ全部自分の時間にしてみて、1日ね、好き勝手にやってみましょうと。
そしたら朝食、夕食、夕食を立て続けにとりますかと言うと、
多分とらない。
すっごい眠いと思っていた人は半日寝ちゃうかもしれませんが、
それは要は睡眠不足を補ったというのであって、
すっきりした頭で1日動いたら半日寝ることはしないじゃないですか。
つまりそうやって自分の自由に、完全に自由にできるんだと思ってやってみると、
結局朝食、夕食、夕食を5時間か4時間折にとって、
そして7時間か8時間、僕の場合は多分8時間寝て、
そしてお風呂に入る時間と、子供と遊びたいから遊ぶ時間と、
多分ね、私なんかそれを時々旅行とかに行った時に、
これは完全に自由に使おうって思って使う時があるんですけど、
ほとんど同じようなことをしていて、時々仕事もしたくなる。
まあ自由だからしちゃいますけどね。
そして見てみると大して違いないんですよ、ほとんどの人。
で、この2つを見比べてみた時に、
片方は自分の時間がない。
片方は全部自分の時間です。
で、やってることはほとんど変わらない。
これを見た時にですね、
この議論にどういう意味があるんだろうと思うんですよね。
確かに忙しくなってくると自分の時間がないんだけど、
自分の時間がある時にやってることでも、
この時間じゃないと、こういう暇がある時じゃないとできないなと思ってやってることって、
33:03
例えば私の場合、漫画を読むことだったりする。
でもそれはものすごく忙しい時に、
参考資料として、漫画を引用しようとして読んだ時間とほとんど同じ。
しかも読むものもほとんど変わらない。
この議論に何か意味があるだろうかって思うんですよね。
ほとんど何もないんじゃないんだろうかと。
自分の時間がないっていう人が、
自分の時間が100%に近づいた時にやることと、
果たして自分の時間がない時にやる1日はそんなに違うだろうかというと、
私はほとんど変わらないというのが今、結論としてあるんですね。
あれですよ、
なんかこう、
どこかの国の独裁者みたいになれば違うかもしれない。
でもあれは、
自分が使える人の人数が全然違うから言えることであって、
これは自分の時間がない云々の話を大きく超えてると思うんですね。
この話は自分の時間がないんじゃないんですよ。
自分の権力がないんです。
自分の権力が絶大だった場合は、
生活が変わるだろう。それは変わるでしょうね。
でもそれはタスクシュートと間違いなく相当関係ない話を始めちゃっているわけですよ。
お金をふんだんに手に入れたからといって、権力が絶大になるわけじゃないですからね。
だいぶ違ってきますけどね。
タスクシュートは家計簿じゃないんでね。
そうするとリピートタスクというのは、つまり処分入力なんですよ、結論は。
今の言った通りで、自由にやっても、
普段と同じように生きていても、
時間の使い方に劇的な変化、多少の変化ありますよ。
最大で2時間弱の変化というのが僕は現実的なところだと思っています。
これはだいぶ5、6年前に大橋哲郎さんとわりと議論してみたことがあったんですが、
やっぱり2人とも1時間38分から1時間50数分の間みたいな結論だったんですよ。
彼が覚えているかどうかわからないですけど、そういう話をしたことがあるんです。
前にこのタスクマの制作者の方とも話したことがあって、
1時間2、30分の間から1時間4、50分の間、ほとんど一致する。
生活環境がやや似ている3人であると年齢もあるにせよ、かなりの一致点がある。
僕はあの辺の話以来、自分の時間という概念はほぼいらないって思うようになったんですよ。
ついでに言うと、未来とここに書かれている通り未来思考の意味付けというのは、
僕の感じではそれはあくまでも架空の議論だと思うんですね。
未来思考であろうと、今ここであろうと、過去思考であろうと、過去の記録思考ですね。
その思考の違いによって、グッドバイブス的に言うと違いますよ。
36:02
今ここの思考で言うって事自体が違いを生むから。
ただ、このタスク修道的に言うならば、その時の結果に大きな違いは多分出せません。
未来思考で生きても、過去記録思考で生きても、今ここ思考で生きても、
ほとんど生活の記録は変わらないでしょう。
それは、私たちが生理的にまず突きつけられてくる時間に、
咲かなければならない時間というのが決定的にあり、それはかなり膨大だというのが一つ。
もう一つは、私たちが未然を稼ぐためにしなければならないことは、
それほど大きな幅がないし、また毎日の中でそんなに大きな幅があっても困るというのが一つ。
もう一つが、私たちの生活環境が物質によって支えられているので、
物質は形状記憶をベースにしているから、それも日々大幅な変化があっては困る。
家が不思議のアリスの家みたいに伸びたり縮んだりするようじゃ困るんですよ。
だから私たちはそうはならないところで生きていて、
しかも物質は劣化するタイミングを持っているから、
そのケアをするためにも一定の時間を好むと好まざるとに関わらず使わなければならない。
移動手段に使う時間とか、その時にかかってくるであろう時間、お金もほとんど変貌がないんです。
そういうものを全部加味すると、リピートタスクというものを使っても使わなくても、
結果がそう大きな違いを生むはずがないというのが一つです。
これを全部足し合わせて、なお毎日大幅に変化させるんだという意志を持った場合に、
変化し得る時間というのが、僕がさっき言った1時間半前後が最大限。
おそらく多くの場合、その日々の変化をトータルに鳴らしてみて、
統計をとってみると、その変化は数分の中に落ち着いてしまう可能性もあります。
日々が安定していて、人間関係に大きな変化が起こらない人の場合、
例えばここで結婚しました、離婚しましたがないという仮定をした場合は、
数分の変化すらないという可能性もあります。
それでも僕たちは、毎日が全く違うように感じたりするんですよ。
だからこそ、自分の時間が大事ですってみんな言うんですよ。もっと欲しいと。
それは願望としてあるのはよくわかるんですけれども、
その願望を実現したからといって、
毎日の時間の使い方が劇的に変わるってことは、
その劇的を何に劇的と捉えるかによって違いますし、
おそらくそう言っている段階の方には、
劇的というような変化は見えてこないんじゃないかと思うんですね。
39:00
私はもう今みたいな観点を取っちゃっているので、
数分の変化は劇的に見えるんですよ。
1時間半も違ったらすごい違うなって感じを抱くんですね。
私が本を書くときもそうですけど、
原稿を書くには1回のタイミングとして十数分あれば十分だという意識を持っています。
それは毎日の時間の使い方を大きく変えられないんだから、
10分、10分使っているのは大したことで、
私たちはだからこそカツカツになってくるとそのことを意識するんですよ。
6時40分に起きなきゃと思っている人が、
でもここでもうちょっと6時50分までは寝られるってみんなやるじゃないですか。
10分ですよね。
しかも寝た時間が6時間に対して6時間10分というのは、
比率にすると10分伸びたっていうだけな上に、
比率にするとほんのちょっとでしかない。
でもこの10分が大事だって感じるわけですよね。
それは僕らの単位の中で1時間だ2時間だというのがデカすぎるんですよ。
10分、15分っていうのは比率として24時間に対して決して小さくはないので、
この種の変化を小さいと捉えている間は、
たぶん自分の時間なんてものはないんですね。
この種の変化が小さくないってことを知るには、
リピートタスクっていうものがいるんですよね、どうしたって。
そういうことなんです。
これがタスクシュートでいうところの時間を大事にするっていう感覚であって、
ちょっとGood Vibesとは僕は違うとは思います。
ただ非常にタスクシュートを突き詰めてやっていくと、
現在思考になっていくなというのは、
これもお箸さんとかタスクマンの制作者の方とかと一致しないかもしれないけど、
Jさんとかタスクシュートクラウドも一致しないかもしれないけど、
僕はやっていることの感覚に違いはないと思うんです。
十数分っていうのはデカい。
この感覚は今ここ思考だなって思うんです。
多くの一般的な方が考えていることの時間を確保したいとかいったときは、
その単位が極めて大きい。
一般的なことは4時間とかおっしゃってしまう。
1日の時間の使い方を4時間変えたら、
もうそれは僕らの手には追えないと僕は思うんですね。
4時間、普段の使い方と違う時間の使い方を4時間してしまったら、
大きく生活リズムが狂うって変わってしまって、
その人はその4時間を十分有効に使えるコウさんは小さいと思います。
そして、そのツケが数日と経たないうちに回ってきてしまうんですよ。
僕の経験ではね。
そういう日はあったんですよ。
あの地震の日。
あの日私は6、7時間渋谷に留まっていて、
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その時は大橋さんの世話になったんですけど、
6、7時間。
もう違いますよね。
全然違う。
全く違う生活になる。
それをやるとどうなるかというと、
その後の2、3日はまともに体が機能しにくくなりますよ。
しょうがないですよね。
それはね。
やむを得ずそういうことになったわけです。
で、あの日に起きたことからしても、
その行為はリピートでは全然ないですよね。
6、7時間渋谷で黙っているっていうリピートではありえない。
そういうことは我々は繰り返そうとは思わないし、
繰り返し想像できるものでもないです。
つまりリピートとリピートでないというのはそういうことであって、
あのリピートタスクにするというよりはリピートタスクになってしまうと。
リピートタスクであってしまうっていうのが私の実感ですね。
だからこれからやるべきことみたいなものは僕のリスト上にはないんですよ。
一個もないです今は。
あの今日のリストの中にも一個もないです。
だから終了予定時刻も現段階で極めて早いです。
実は19時ぐらいにはもう寝ていいことになっちゃってます。
だけどそうはいかないですよね。
なぜなら夕食は19時どころか20時以降に僕は撮っているんでね、毎日。
つまりどんどんどんどん入ってくるわけですよ、いろんなことが。
で、奥さんがこれをやってとか、祭典をやってとか、
クラウドのね、庭の木を切れとかいろんなことが入ってくる。
あの、脱校したばっかりなんですけど、
脱校についての説明をメールでもらったりもするし、
つまり仕事にもついてもそういうのが入ってくる。
気がつくと23時を過ぎるんですよ。
で、最初からこれがリピートになっていようと、そうでなかろうと、結果変わらないじゃないですか。
こういうことがつまり僕はリピートタスクにしておくことの意味なのかな。
全部一から入れ直して全く同じものを入れるぐらいだったら、
最初からそうなっていた方が、まあ入力する手間は結局省けますよね。
ここに手間をかけたいとは別に思わないと、そういうことかなと。
ある意味では面白くもなんともない結論なんですけど、
非常に現在思考になっていて、リピートタスクというのはその補助に使っているということです。
そして単発のタスクを未来に置くというのは、約束とか、
明日水曜日ですから収録とかをするときにはカレンダーに書き込みますが、
それは人と同じ空間に、人と同じ時間に、人と同じことをあるんだよね。
一緒にやるというケースにおいての話であって、
こういう時間って大きいじゃないですか。
大体2時間とか、セミナーとかやれば3時間とか、
このバカでかい単位がドーンと入ってくるというのが、
人とやるということの価値なんだと思うんです。
逆に言うとリピートタスクであれば、そんな時間を必要とするようなものって、
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ほとんどなくて、長くて食事、であとは睡眠、そんなものなんですよね。
だからそれ以外の時間の、自由度みたいなのを僕らは過剰に大きく見積もりがちなんですけど、
それはほとんどゼロだと思っておいた方がいいんじゃないのかなと思うんです。
最初のうちにリピートタスクで埋め尽くしておくのがいいのは、
それがゼロだということを確信しやすいからなんですね。
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