2020-12-08 34:00

【GMV 269】どうすればタスクシュート の記録を忘れなくなるか?

グッドバイブスの実践中に、平安でなくてもいいやと思うのはどうしてか?
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーとですね、ほぼ毎週のように同じご質問をいただくんですよ。
これは仕事の関係でいただくご質問なんですけど、私の中ではですね、なんて言うんだろう、
これはライフワークじゃないけれども、これがライフワークになってしまっているという感じで、
質問内容はタスクシュートの記録を取り忘れますと。
まあいろんなバージョンがありますが、要はこういうことです。
で、なぜ佐々木さんとか大橋さんはタスクシュートの記録を忘れないのですかというご質問なんですね。
あの、大変良いというか、もうFAQ中のFAQでして、
あの、なぜ忘れるのかというご質問なんですけど、
あ、違う、なぜ忘れないのかですね。
それはですね、なぜ忘れるのかという質問と僕の中では同じなんですね。
で、すべては記憶なんだと思うんですよ。
例えばなぜ私は自分の名前を忘れないのかと聞かれれば、
もし忘れる人がいるとするとですね、
この人は自分であるということに、どこか私ほどは意味を見出してないんだと思うんですね。
この社会の中で、私が、私の名前を持った人間であるということが無意味ならば忘れると思うんですよ。
他に人が誰もいなくなればね、なんかそういうSFよくあるけど、
核戦争でも起こり自分一人生き残りましたと。
名前忘れると思いますね。よほど気をつけてないと。
で、例えばそういう時にカレンダーとかを一切失うと、今日が何日だとかわかんなくなると思いますよ、いずれね。
で、あの誰だったっけな、ノムチユキオさんが、超生理法のノムチユキオさんが、ロビンソン・クルーソーが正気を保つためにカレンダーつけるんでしたっけね。
なんかそういうようなことをするんですよね。
多分そういうようなことをしないと、無人島とかに行き着いた人は言葉とかを忘れる可能性ありますよね。
そういうことなんですよ、これは。
タスクシュートの記録を取るのをなぜ忘れないのかというとですね、
それがどういうものであるかを覚えたから、知ったからですね。
私はタスクシュートに関しては、
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これでなぜ時間の節約ができるのか、あるいは時間管理ができるのかを完璧に説明できると思ってます。
こういう話をすると大橋さんに怒られるかもしれませんが、怒られはしないと思うんですけどね。
時間管理ということをしたいと人が言ったとき、それは何を意味していて、
タスクシュート以外でやると多分どういう結果になり、
タスクシュートをするとどこがどう違うのかが全部説明できると思ってます。
一言で言うと、時間管理をするということがうまくいくためにはですね、
一番いい方法はいつでも時間管理をしていようと思っていて、
かついつでも時間管理ができるという状態にあることなんですよ。
これですね、Good Vibesで倉園圭三さんがよく、
いつでも自分は平安でいたいと一日一回思いましょうみたいな話をされることがあるんですけど、
これと全く同じことですね。
いつでも自分は平安でいたいということを私たちは忘れるんですよ。
忘れるから、専門用語を時々ここで使ってますけど、
創的防衛ってやつが例えばあってですね、
お前らとの関係なんかもうどうでもいいから、
全部関係はぶち壊してやるっていう人っていらっしゃるじゃないですか。
いやもうお前らのことは知ったことじゃないから。
例えば私で言うと原稿とかを書いて、赤入れとかをいろいろ編集さんにされて、
ちょっとこの一章では厳しいですみたいなことを言うと、
もういいっていう風になって、この本出すのはあんたのところでやめるからって言ったら、
創的防衛って感じなんですよ。
俺は別にここで出さなくても平気だから。
あの平気なんですよ、創的防衛の人ってのは。
どんな関係を壊しても全部平気なんですよ。
関係を壊しまくっていくんですね。
で、この平気だと思ったときには、
グッドバイオスのことは忘れているんですね。
少なくとも倉様さんの話の中では、
関係を壊して平気だからという形で、
自分の心、自尊心みたいなものを保とうとするときは、
その人はもう平安ではないんですよ。
これはですね、何が平安っていう話もしなきゃなんなくなるんですけど、
少なくともこの創的防衛の方法論でいった場合は、
精神分析的でもその人は本当の意味で落ち着いているわけではないし、
満たされているわけでもないとみなすと思います。
創的防衛とわざわざ書いてありますから。
防衛ですからね。
防衛というのは何か恐ろしいとか嫌なものがあるからそれから防衛するわけですよね。
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その場合は関係を失う悲しみから自分を守るための一つの方法論なんだよね。
みんな恋愛で破綻したときにこの創的防衛を使うと思いますね。
振られてものすごく悲しくて抑圧的になった人は別ですが、
振った側とかは多分この創的防衛で適用しているケースはいっぱいあると思います。
これを適用しちゃうということは、
ウェットバイブスのことは忘れますというか忘れているケースが多いと思うんですね。
私なんかの場合に、例えば誰とでもいいんですけど、
ちょっとでもうんって思ったときっていうのはすでにその瞬間はウェットバイブスのことを忘れているんですよ。
だからいつでも平安でいたいということを忘れないようにするっていう、
なんていうのかな、それは仏教でお経を唱えているのと全く実は同じことなんですけれども、
忘れないようにしようと思ってなんか唱えたりするわけですね。
タスクシュートも同じなんですよ。
ただタスクシュートは時間管理のことを忘れないようにしましょうと、
唱えるよりもう一歩いいものがあって、それをタスクシュートというツールなんですね。
それがタスクシュートというツールなんです。
私がタスクマイフォンでやっているのは、
よりタスクシュートが自分から離れられないようにするために、
唱えるっていうことですよね。
自分がそこから離れないようにするわけですね。
タスクシュートというものを身につけているという状態を実現することで、
時間管理ということを実現できるわけですね。
それは四六時中時間管理をしたいと思って、
したいと思えばいつでもできるという状態にあるということなんですね。
ウッドバイオスで言えば、四六時中自分平安でいようと思って、
かつ自分平安でいるための方法も常に知っている。
しようと思えば平安でいられるという状態を実現するということなんですよ。
タスクシュートというものにせよ、ウッドバイオスというものにせよ、
忘れるとか忘れないとかそういうことなんですよ。
忘れるときにはすでに別人になりつつあるんですね。
ナイトのことを忘れるからいっぱい食べちゃうわけじゃないですか。
なんでもそうだと思うんですね。
忘れるということは、その価値、それの価値はもういらないと。
だからここはニワトリと卵になっちゃうんですよね、どうしても。
どうしたら忘れないのかというご質問はですね、
それの価値は認められていませんというのと同義語なんですよ。
何の価値なのか、タスクシュートで時間管理ができるとは信じられませんという意味なのか、
それとも時間管理をするということそのものに価値を認められないという意味なのか、
人によって少し違うんですけれども、状況にもよりますし。
時間管理に価値を認められないのであれば、
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それはタスクシュートであろうと他の何であろうと、
そのときには忘れると思いますね。
例えば時計のことを忘れるというのはそういうことですよね。
タスクシュートが信用できないというのであれば、
おそらくこっちがほとんどのケースだと思うんですけど、
タスクシュートが信用できないというのであれば、
これはもう信用できるような体験を繰り返すしかないんですよ。
つまり忘れるんですよ、それまではきっと。
タスクシュートが信用できないという状態のまま、
タスクシュートで時間管理ができるという認識を
常に持ち続けるのって矛盾しているので、
当然忘却ということが起こるわけですね。
だけれどもそのときに完璧に忘れてるわけじゃないから、
後で思い出すじゃないですか。
本質的にはそれで私はいいと思うんですね。
タスクシュートなり何なりでタスクシュートでいいや。
時間管理ができたという経験を1回でも多くなれば、
より信用できるようになるので忘れなくなるんですよね。
これを先に忘れない方法を手に入れるということは
倫理的に無理なわけです。
信用できないものを信用するってできないので、
信用するためには信用するなりの理由が必要なわけで、
その理由を持っていない段階で信用するわけにはいかないんですよね。
タスクシュートが私は唯一これを実現すると思っているのは、
時間管理っていうのは実はシチュエーションによって
3,4種類、もしかすると5,6種類あるんですよ。
やりたいと思っていることは違うんですね。
例えば今から約束の時間に間に合うかどうかを知りたいという形の時間管理もあれば、
今のペースでいいのかどうかを知りたいという形のもあるし、
ちょっと前にやったこれと同じことには何分かかったのかを思い出したいという時間管理もありますし、
毎日これぐらいの睡眠時間だけど、なんとか時間だけど、
それで十分なのかあるいは多すぎるのか足りないのかを知りたいというケースもありますよね。
あるいはついさっきやってたことが思い出せなくなったんだけどどうしようみたいな、これ結構あるな。
あるいは毎朝薬飲まなきゃいけないんだけどそれを忘れずに飲むようにしたいという時間管理もあります。
全部タスクシュート入っているんですよ。
全部入っているからこそ、いつでも時間管理がしたいと思った時にこれを取り出すことができるということなんですね。
だからつまりいつでも時間管理をしていたい自分でいられるかどうかが最終的なポイントで、
それを可能にするためにはいつでも時間管理をしたいと思った時に、
することができないと、いつでも時間管理がしたいと思い続けること自体ができないですよね。
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これをできるようにするためには、
十徳ナイフみたいなものですけど、
それができるようである条件を満たし続けなければならないんですね。
これが可能なので、このツールにおいてのみこれは可能になるので、
他のツールではこれができないと私は思うんですね。
なぜなら全部入りじゃないからですね。
でももっと問題なのはですね、
いつでも時間管理をしていようと思い続けないと、
時間管理って相応にそれとできないんですよ。
で、いつでも時間管理をし続けていようと思えっていうその発想を持ってないんですよ、他の方法論は最初から。
必要な時だけするっていう考え方になってるんですけど、
必要な時だけするってことはできないんですよね。
時間ってその性質上常に流れているから。
果たしてそれが本当にいいことなのかどうなのかっていう話が出てくると思うんですね。
で、これはね、私にはわかんないんですよ。
私はこれをやってみたからこれでできるようになることはわかったと。
で、もう忘れてしまったとしてもいつでもすぐに思い出せるし、
何をしなきゃいけないのかも全部わかっているので、
取り出した時だけやろうと思えばできるんですよ。
でも先にそっちを手に入れたいって言われても無理なんですよね、これは。
あの、多分私のGOOD VIRUSのことを忘れないのはなぜなのかという問いと似て、
これは同じものだと思うんです。
タスクシュートのことを忘れないのはなぜなのかと。
それは、現実にタスクシュートがあったほうがいいというふうに私が信じているからなんですよ。
これが答えなんです。
現実にGOOD VIRUSであるほうがいいと、現実にですね、信じているからなんですよ。
現実にそれがどうでもいいことであるとなると、
どれほどインパクトがあることを体験したとしても即座に忘れます。
人間の頭はそういうふうにできているんですね。
夢がいい例ですね。
夢の中で殺されたり、殺されそうになったり、人を殺したりしても即座に忘れます。
なぜなら、それは現実に自分が殺したとか殺されたとか、覚えておく必要がないからですよね。
それを覚えておく、そういうことがあったと認識することはむしろ現実を生きていく上では邪魔ですよね。
だって殺してないのに殺したかもしれないと思うけど、
頭の正常な認識の妨げになるじゃないですか。
だから邪魔ですよね。
だから夢っていうのは多分そういう意味で、あれが夢だと認識した瞬間に全部忘れてしまうんだと思うんですよ。
忘却されてしまうんだと思うんです。
私は夢の記録を取ったりしてますが、本質的にああいうものは速やかに忘れるに限ると思っております。
結局現実認識というのは、私たちよくイリュージョンとか意味付けって話、
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グッドバイブスの方で倉妻さんがされてますし、私もこの番組の中でしてますが、
イリュージョンとか意味付けってものはなければないほど良いと思うんですよ。
現実認識を妨げるものになってしまうので、現実認識っていうのはそう容易なもんじゃないところがあるじゃないですか。
やっぱり自分にとって都合が良いか悪いかで私たちは物を見る癖がついちゃってるので、
都合が悪いものは私にとって都合が悪いという括弧がつくべきなのに、悪いものみたいになってしまいますよね。
今の例えば政府とか、今の首相とか、センサー番別なわけですよ、人によって見方が。
一人の人間しかいないのに1億種類いるわけですよ。全部偽物なんですよ。
本物は見たことがないということになってるんですよね。
私たちはこのことを平気で忘れて、私が見てる通りの人間がそこにいると思うじゃないですか。
この話はよく出てると思うんですけど、これを現象学と言うんだと私は思うんですけどね。
そういうことでしかないので、そういうイリュージョンにまみれているのにそこにイリュージョンを付け加えていって、
現実認識が正しくなっていくとはとても思えないんですよね。
明らかに遠のいていく感じがするんですよ。そこにさらにイリュージョンをくっつけていったらですね。
でも私たちはそれをやめられないんだけど、なるべく早くイリュージョンは捨てていくのがいいと思うんですよ、やっぱり。
現実に生きてるわけなので、あまりにも現実と違うものを見続けると、たぶんそれは発狂後に近い状態になっちゃうと思うんですよね。
まずそういうところまでもいかないのが面白いところなんですが。
でもグラズノさんが時々おっしゃるように、私たちは夢を見ているような生き方をしているんだときっと思うんですよね。
だから自分はもうそのプランニングとか、最終なんとか設定とかをしないようにしているわけです。
夢に夢を重ねていくと、そういうふうにキルケ・ゴールという哲学者が、ケイゲルという哲学者を批判したことがありますよね。
夢に夢を重ねて夢を解釈しているだったっけかな、そういうような言い方をしてたんですけど。
それは不当だなと思うんだけれども、でも私たちはだいたいそういうことになりがちだと思うんですよ。
記録を取るなんて言ったって、記録などというのは夢の記録と同じで、現実に起きたことなんかではちっともないんですよね。
昨日なんとかを食べたとか言っても、すでに食べたものと完全に同じじゃないものについてしゃべっているわけです。
写真を撮ったということにしても、それは表面的な1スナップでしかないわけじゃないですか。
同じように同じ、別の人が写真を撮れば角度も変わるし、見方が変わるから、その写真に反映される内容は変わりますよね。
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つまり私たちってどこまで行っても、記録というのは特にそう見ていると思うんですけど、そこに見えてくるのは自分自身でしかなくて、しかも自分自身の幻覚みたいなものなんですよ。
だから記録を残すということは、現実を正しく認識しているということではなくて、自分という幻想を眺めるみたいなものだと思うんですね、どっちかと言えば。
これが時間管理をするとしかし言うことなんですよ。
時間管理というのは結局、現実に時間というものはきっとないので、私たちがただあると思っているものがどんなふうにあると思っているのかを知るということであって、
それで管理をし続けたいというのは、自分の時間管理という認識の癖みたいなものを常時追っていきたいということでしかないんですよ。
ありますよね。楽しい時間があっという間に過ぎ去る。これも一つの癖ですよ。
そのでもあっという間も人によって違うわけですよ。
このぐらいあっという間という人もいれば、あのぐらいあっという間という人もいて、同じだという人はいないはずなんです。
辛い時間は勉強時間とか長いと。
それも一つの言い方だけれども、全ての子供が同じようにそういうふうに思うわけじゃないわけですよね。
とても頭が良くて学校が退屈で進みが遅いという子もいれば、すごく学校の勉強が辛くてついていけなくて、やっぱり同じように辛さは辛いという意味では似ていると。
時間の進み方が遅いと。でもその2人が考えていることは違いますよね。
多分時間の進み方も違いますよね。
そういう癖が一人一人あって、私にももちろんあって、その癖を認識するんですよ。
そうすることで、その癖に合わせた時間の認識というものを次から次へと畳みかけるように手術というのはできるんですよ。
ありとあらゆる角度で。
それをやっているうちに常にここではこういうことに気をつける、ここではこういうことに気をつけるということが、意識していたらとてもできないレベルでできていくんですね。
でもそれをすることが本当にいいことかどうかはわかんないですよ。
ただ、自分がこれをやると便利だと思うならばやり続けることができると。
これを携えながら現実に生きていくということは、ないよりいいもんだとなんとなく考えると。
多分多くの場合はそれは他人とのいざこざがそれによって防げているという感覚を得られるんですよ。
防げている面もあるかもしれないですね。
例えばうちで言えばそうですね、目高に夜になったら布をかぶせる。朝になったら布をとるんですよ。
誰かがやらなきゃならないと。
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私はタスクシュートを使えばですね、どのタイミングで布をとり、どのタイミングで布をかけるかということが何の苦労もなくやれる。
だから私がやる。これで私がしかしやらなくなればですね、誰かが私に文句を言うかもしれませんよね。
そういう話なんです。時間管理というのは全部こういう話なんですよ。
絶え間なくそのことに気づくことができる。でも絶え間なく気をつけよう気をつけようと思うだけではすぐ忘れます、こんなことは。
だから気をつけようと思わなくても気をつけさせてくれるツールが手元にあると。
これがありとあらゆる角度からできると。
10分後に出る電車に乗るとか、その前に準備をしておくというごくごく短時間のうちの未来のシミュレーションみたいなケースもあれば、
さっき何かを食べたばかりだから今これを食べるのはちょっと控えておこうみたいな、
そういう過去の記憶を引っ張り出した上での経験管理みたいなもの、記憶の管理みたいなもの。
もう時間管理ですし。
ここのところはずっと何かの薬を塗っているから今日は塗らなくても大丈夫みたいな、そういう判断にも使えますし。
全部そういうことなの。これは全部時間管理なんですよ。
密用によってはですね。
で、忘れないと思っているだけでは絶対忘れるんですよ、こんなことは。
で、生活が同じような単調な繰り返しであればあるほど簡単にできるんだけど、これがどんどん複雑になって、
火曜は可燃ごみだけど水曜は空き缶ごみですみたいな、忘れるじゃないですか。
あるいは間違いますよね。
で、これを全部入れておくことができるんですね。
だから忘れても大丈夫なようにしている。
ただタスクシュートに記録を取ることだけを忘れなければ大丈夫。
ただ、そういうこと。
これは本当にいつでも平安でいたいのかどうかっていうのと本当によく似てると思うんですよね。
いつでも時間管理をしていたいのかどうかと。
で、時間管理というとタスクシュートのようなツールがないととにかく覚えて気をつけておくことしかできないので、
いつでも時間管理をしていたいというとものすごい窮屈な感じがするんだと思うんです。
この感じを最初に決別できるかどうか。
これは別に、よーく考えてみると息苦しいとかいつもそわそわして落ち着かないということとは何の関係もないということに
気づけるかどうかが多分最初のハードルになっている気がします。
いつでも平安にいたいという話もよく似てます。似てるところがあります。
そうするといきなり聖書みたいな文句が出てきて、
右のほうを撃たれたら左のほうを差し出さなければいけないのかとかそういう話になるんですけど、
それとこれとは関係ないってことを、何ならばですね、
右のほうをかつて撃たれたのは何年くらい前だったのかを思い出すだけでもいいと思うんですね。
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グッドバイオスをやったからって急にバシバシ殴られるってことは起こらないんですよ。
タスクシュートのさっきのそわそわっていう例で言うと、忘れまいとしなきゃいけないからそわそわしなきゃならないのであって、
タスクシュートっていうのは全部タスクシュートがやってくれるんで、
その辺のことを覚えておこうという努力をしておく必要がなくなることを言うんですよ。
だからそわそわとは何の関係もなくなっていくんだけれども、
この話はいくらやっても無理なんですね。
気をつけなければいけないんじゃないかっていう認識が入っている限りは、
息苦しくなるに違いないというふうにしか思えないと思うんですよ。
人を攻撃しないということに決めるということは、
正義が通らなくなり、人に殴られどうしになり、
搾取されまくるんじゃないかという恐怖感がある限りにおいては、
いつでも平安でいようというのは根本的に悪いことなんじゃないかという感覚が、
抜けないケースでは抜けないかもしれないと思うんですね。
私が最初に聞いた時はそういう懸念がきっと出るだろう、自分の中からと思いました。
タスクシュートもそうでした。
ずっと一番最初に帰ってみると、大橋さんはよくこれができるなと思っていました。
やってみるとそういうことは何の関係もないんですよ。
グッドバイブスにしてもタスクシュートにしてもですね。
何の関係もなかったんだけど、やらないと分からないんですよね、そういうことまでは。
私は一応こういうことについて一生懸命、特にタスクシュートについては、
そうはならない、絶対ならないということを喋ってますけど、
毎週のように息苦しさについての問題は、さすがに毎週は来ないですけど、
忘れるということについては毎週のように来るし、
息苦しさについても定期的にいただきます。
それも相当な頻度で。
多分、そういう質問されない方も息苦しいに違いないと思っている方がいらっしゃると思うし、
数字と使っている中にもこの息苦しさから抜け出せていないという方は、
それなりにいらっしゃるんじゃないかと思ってます。
ただ、それは誤解なんですけれども、誤解だというだけじゃ解けないだろうなとも思ってはいます。
こういうものって全部最後はこうなるんですよね。
現実にそれがあることがいいと思えるかどうか、信じられるかどうか、
最終的にはそこにしかかかってこないんですよ。
信じられないならばできないわけです。
ただ今の話を、もしある程度追っていただける方にはわかると思いますが、
自動で思い出したのでは何の役にも立たないんですよ。
タスクシュートじゃなくて、忘れるから何をした、
うがいをした、歯磨きをした、センサー全部くっついていて、
全部自動で記録してくれたらいいのにと。
大橋さんがそれを使うならいいと思いますが、それでも微妙だと思います。
27:03
これは自分でやるから意味があるんだって、勝手に記録が残ることには何の意味もないんですね。
記録が残ることそれ自体に意味があるわけではないので、
時間管理をしたいと常に思い続けていることに一番の意味があるので、
ここがなくなっちゃったら何の効果力も発揮しません。
グッドバイブスで言えばですね、
何て言えばいいんだろうな、グッドバイブスでこれを言うのは無理があるけれども、
自動閉園の薬みたいなものを飲むという分では多分何の意味もないんですよ。
多分ですけれども、ドーパミンを活性化するのをブロックする、
糖合子中傷のような方に抗不安薬という薬でも、弱い薬ではあるんですけれども、
それを飲めばあるいは少なくとも攻撃的な欲求をアクティベートすることができなくなるという意味では可能かもしれない。
でもそれではグッドバイブスにはならないと私は思うんですね。
多分せいぜい元気がなくなるという程度であって、
それはそっくりです。タスクシュートの記録を全自動で取るという発想は。
あれ、それは何とかログにはなると思うんですけど、タスクシュートにはなり得ないと私は思うんですよ。
なぜならば時間管理というのは単一のことを意味しないんですね。
もうさっきも言った通りなんで繰り返しませんけど、少なくとも数バージョンはあるわけです。
で、やりたいと思う時にそれができなきゃダメなんですよ。
ただ記録が残っとけばいいというものではなくて、
記録が残っていて、このほうには邪魔だったから二度とやらないようにしようと決意して、
不適切な行動を未来においてどんどん削除していくというだけではちっともダメなんですよね。
そういうことでは何一つ実現しないだろうなという気がしますね。
イヴの三つの顔の話を何度もしているんで、事前の説明なしにしちゃいますけれども、
あれをよく読むと時間管理に失敗するということの意味は全部あそこに書かれていると思います。
イヴブラックにとってイヴホワイトの全ての行動は無駄です。
だからイヴブラックにとってはイヴホワイトがいることが時間管理の妨げです。
イヴホワイトから見ればちょうど真逆です。
イヴブラックのやることは全部ナンセンスで、しかも時間の無駄でしかないんです。
イヴブラックが死んじゃえばイヴホワイトにとっての時間管理は完成します。
で、どっちかがどっちかを殺せば多分両方死んじゃいます。
あの話はそういう話ですね。両方死んじゃうんですけどね、最後は。
別人格が出てきて。
このことが全てだと私は思うんですよ。
例えばトイレに行く時間が無駄ならば、トイレをしなくなれば私たちはその時間を有効活用できるんですよね。
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余計なSNSを見たくなくなればその時間を有効活用できます。
多分全てを止めれば私たちは機能を完全に不全に陥りますね。
そういうことなんですよ。
多分これが私は答えだと思ってます。
だから時間管理を完全にするなどということは目標にもならないし目的にもならないと思うんですね。
ただタスク集団をするということはできます。
それは結局イブの3つの顔で出てくるんですけれども、私はこれをお勧めするわけじゃないですよ。
ただ出てくるんですけれども、ノート、日記を書くようになるんですよ。
そうすると日記の中で三人格が、ジェーンというのが出てくるんですけど、ホワイトとブラックとジェーンが喧嘩するんですよ。
日記の中でお前のやったことはこうだとか余計なことを言うなとか本当にそういうふうに書いてあるんですよ。
あれと同じようなものですよ、タスク集団というのは。
ただ私たちはそういう会議が起きてないからそれほどあからさまにはならないというだけです。
あれと起きてることは多分ほとんど同じです。
で、それをするっていうことに意味を見出さなければ忘れますよね、日記をつけるなんてことは。
忘れない方法を手に入れるのではなく、この日記によって三人の行動をコントロールできるというふうに、少なくともある程度の妥協点ですよね。
それは見出せるということに期待するならばあの日記は続くでしょうし、そうでなければ続かないでしょう。
っていうことがタスク集団でも全く当てはまる話なんですよ。
ただ先ほども言った通り単なる日記ではないのでね、シミュレーションもできちゃうんで。
そしてずっと昔の日記でもできるかもしれませんけど、ありとあらゆることを思い出せるのでいつでもあれができると。
日記だと書いてあったことについてのことしかできないけど、タスク集団ならあらゆることについていつでもできるんですよ。
そういう点ではね、いつでも平安でいたいとか言うと私は割と似てると思うんですよね。
どんなタイミングでそれを損なうことが起こるかわかったものじゃないんですよ。
時間って常時流れてますからね、イリュージョンですけど。
それと全く同じなんですよね。平安って何で壊されるかわかったものじゃないんですよ。
そうきたかっていう言葉が、パラドンさんに教わった言葉なんですが、なるほどとつくづく思うんですよね。
なぜこんなことまで起こるんだろうっていう、大したことじゃないんですよ、しかも。
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大したことじゃないんだけど、明らかにこれが平安を乱してくるっていうことが起こるんですよ。
多分これは究極的には自分の未熟さによるんですよね。
この程度のことで平安を乱されるんだなということを思い知ることが起こるんですよ。
毎日のようにですね。
こういうことが起こるから、一つには創的防衛ってダメなんですよね。
創的防衛で、いやこんなくだらないことでいさかいが起こるなら、この関係はいらないやってやってると、
おそらく極めて近い将来に全ての人間関係を破壊しにかかることになっちゃうんですよね。
なぜならば、やっぱりそこまでに成熟してないからじゃないかという気がします。
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