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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
最近ずっと読んでいる本が、ホットなのが、例のイヴの三つの顔なわけですけど、
あれはなんて言うんですかね、なんでこんなに世の中でこれほどウケそうな話が広まってないんだろうと、今不思議に思うような本です。
なんて言うんだろう、ムーってあるじゃないですか、今超ムーとかなのかな、オカルト雑誌ですよね。
あれってすっごい息が長いですよね。
私が大学生卒業した頃って、まさに1999年がやってこようとしていたので、
ノストラダムスの大予言ってやつですよね。あれが、あれで何か人間一生送っていけるんじゃないかっていう、私は今やっぱり出版業界に長く属しちゃったんで、
そういうことがすっごく気になっちゃうんですよ。あの時代にですね、
僕の、読んでもいないんですけど、二つありまして、どこのコンビニに行ってもその本があるって本が確実に二つあって、一つは脳内革命って本で、
今のなんて言うんですかね、スピリチュアルとビジネス書と、こう言ったら怒られるかもしれませんけど、オカルトを掛け合わせたような、でも脳科学っぽいタイトルでっていう本で、
何部ぐらい売れたんでしょうね。とにかく脳内革命と、あと脳トレか、なんかその辺に関わっていれば出版界は安泰みたいな感じがするぐらい、
なんかどこに行っても絶対目にすることができる本みたいな。TSUTAYAとかに行っても、TSUTAYAがまだ本屋さんとしてちゃんとやってなかった頃から、
なんかTSUTAYAにでも置いてある本みたいなのがあったんですよ。もう一つが一時、バカの壁ってのがやっぱりそういう感じで、
今はもうなくなっちゃったはずなんですけど、池袋の法輪堂書店では、ワンフロアにバカの壁しか置いてないときってあって、
すごかったですよね、光景として。500万部とかいう話を一時してたんですけど、もっと最後はずっと行ったんじゃないですかね、シリーズではという気がします。
まあちょっとね、法輪堂の今の話は、もしかすると私の目の錯覚で他の本も置いてあったかもしれないですけど、
あのとにかく、視界は全部バカの壁で覆われているみたいな。あとそのピラミッドみたいなのが作られてましたね。
本を重ねて、あれは法輪堂書店だったかわかんないですけど、ピラミッドがあったんですよね。バカの壁だけでできているピラミッドみたいな。
まあ、あのもはや遊びなんですけどね。そういうのがあって、私はイヴの三つの顔ってこれになってもおかしくないぐらいすごい話なんじゃないかと。
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ムーとかがあったら、絶対出てくる話ってあるじゃないですか。
バミューダートライアングルとか、その中に入ってきそうな話だと思うんですよ。あれほど劇的に、しかも人格がなんか200とかある話あるじゃないですか。
24人のビリーミリガンっていう、あれも大ベストセラーになったと思うんですけど、あれも24人も出てきちゃうんですけど、むしろ私逆だと思うんですよね。
何人も出てくるということは結構健全だと思うんですよ。私自身がそうですよね。みなさんの、もうみんなそうだと思うんですよ。
常に一個の人格であるという人は、多分本当に存在したら相当妙な感じがして、何人もいるんですよ。一つの人格、人間の中。
3人しかいないから面白いんですよね、イヴの3つの顔は。最初なんか2人しかいないんで、2人っていうのはやっぱりその1人しか出てこない人みたいに、機械なんですよ。
イヴホイトとイヴブラックっていう人格ってすごく奇妙で、ホワイトはもう真っ白だし、ブラックは真っ黒みたいな、そんなことはないんですけれども、
でもその極端な乖離があるからこそ乖離してしまうんであって、あんまり極端じゃない、200人とか300人とかいるんだったらズレはちょっとずつで済みますよね。
だったら乖離しなくてもいいわけですよね。ちょっと怒りっぽくなったり、ちょっと子供っぽくなったりなんていうことは僕らしょっちゅうありますよね。
それが急にめちゃくちゃ良心的になったり、急に夜な夜な遊ぶようになるからおかしいわけですよね。
その分離の極端さの方がむしろ問題なんだと思うんですよ。
その分離の極端さなんですけれども、要はこれが大変すごい面白いなと思ったんですけれども、
普通に僕らの単なるシンプルに考えちゃうと、ホワイトが非常に良心的な女性で、何だか知らないけど、
詩を読んでばっかりいて、子供の世話ばっかりして、旦那のことは大嫌いなんだけど、
聖書に書いてあるから離婚もしちゃいけないと思い込んでいるというようなタイプであると、一方で出てくるブラックがですね、
当然その夜な夜な遊び歩いていて、男いっぱいいてっていうのはわかるんですけど、大事なのはですね、
ブラックも俯瞰症だという、セックス嫌いなんですよね。これは非常に私は興味深い現象だと思うんですよ。
フロイトってすごいなと思ったんですけど、やっぱりこの基本的に人間のその神経症とか精神症の
奥底には性という問題が、セックスという問題があり、
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その大元にはお父さんお母さんとの問題、そこに三角関係を見出すとエディプスって問題が出てくるんだけど、
そこからそういうところに遡っていくといろんなことが見えてくるということを考えた人は大変すごかったと思うんですね。
その後の精神病理学の発達っていうのは、
医療によっては全部いかにフロイトが間違ってたかを一生懸命証明しているような、例のあれですよね、
ネズミのレバー倒しは完璧にそのパターンなんですよ。
フロイトのみたいにですね、心の奥底とか深い闇みたいなところを一生懸命探しに行かずとも、
全ては目の前の出来事、レバーを倒せばチーズが手に入るという、これだけで説明がつくって言ったのがスキナーだと思うんですね。
あれはあれで画期的だったけれども、完全に逆方向に触れてみたわけですよね。
その奥底とか目に見えない現象を探すのはやめにして、目に見えるところだけ見ようと。
チーズがあるからレバーを倒すと、セックスも気持ちいいからすると。
で、人によってはそれがそこから抜け出せなくなって、ニコチンが気分がいいからタバコを吸うと。
で、それを繰り返しているのが依存症であって、そこにお母さんとの関係があるとか、お父さんがいないとか、
昔のトラウマとか、そういうことを考える人は一切ないというふうに考えたわけですよね。
現世、現世っていうのかな、見えるものが全てっていう考え方と、見えないものに大事なものがあるっていう考え方と、
その極端なわけですよね。そういう流れの中で、まあ行動主義とか、それが行動良好とかいう話になってくるんですけど、
あるいは認知の歪みとかでもそうですけど、認知の歪みは目には見えませんが、その人と話をして、その人の極端な考え方を正せばいいと。
今だから主流になっているのはやっぱりどっちかと言うと、アメリカですごく力を入れてきたということがあって、
アメリカは国力がありましたからね。目に見えるという部分がすごく重視されている。
ただアメリカでフロイトが全然人気がないかというと、そんなことは決してなくて、アメリカでは日本よりはるかにフロイトって尊敬されているし、
重要視もされているんだけど、やっぱり治療の現実という点ではすごく目に見える方が重視されているわけですね。
どういう報酬を与えると人は良い行動を取り出すかとか、自分がダメだという認知の歪みを取り除けばいいとか、これもすぐ目の前で判断できるじゃないですか。
3歳の頃何があったとかいう話、お父さんのことが好きだったのかどうかとかいう話しなくて済みますよね。
そういう話をするとなると、記憶があやふやだったり、奥を掘り起こすのに時間がかかったりするので、要するにあれなんですよ。
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現世実理的になると、どうしても時間の短縮ってことを考え始めるんですよね。一番手っ取り早いのは薬でドーパミンが多すぎるから病気になるので、ちょっとドーパミンを止めましょうみたいな、
そういう話になるとですね、薬を飲めばこと足りるなら、診察時間もすごい短くて済みますよね。
精神分析となってくれば毎日1時間、週に5日とか一歩間違うとほぼ毎日で、しかも1年かかりますみたいな。
お金もたくさんかかるし、時間はもっとかかるし、そういうのはやっぱりどうしてもアメリカ社会の現実、日本社会でも同じですが、
流行らなくなっていくわけですね。ただ、そういう中で、イヴ・ホワイトとブラックみたいに、そもそもそういう報酬でとか認知のえがみとかだけをいくらやっていてもですね、
イヴ・ブラックに合うこともできないわけですよ。その人格変換というものが起こるっていうところまで行き着くには、
医者と患者の関係が深まっていく必要があるので、時間どうしたってかかりますよね。いきなりイヴ・ブラックが出てきやしないわけですから。
ましてこの話はですね、両方出てきただけでは何の解決にもなってなくて、それからもう何年も何年も経って、
患者さんがイヴ・ホワイトが離婚して、その後にジェーンという人格が出てきて、ここに至るまでには何年もかかってるわけなんで、やっぱりこう、
結局どういうアプローチをとるにしても、最初はそれは認知療法とか行動療法で済めばそれでいいんでしょうけど、実際それで済まなくなっていくと、やってることは精神分析そのものでしかないよなというふうに見えてくる気がします。
エムリン・ランカスターの手記っていうのが、つまりその点末を全部内側から見た手記っていうのがあるんですけど、
これなんか分厚い本になってますし、治療歴の本も、これは医者の方が書いた内容ですけど、もっと分厚くなってますから、やっぱりどうしてもそうなるんですよね。そうなるような気が私はむしろします。
子供の頃にあったことを掘り下げていくんでなければ、見えてこないと思うんですよ。そういう乖離などというのは大変な出来事なので、さすがに。
で、やっぱり偏ったものの見方がですね、ただただその人と喋っていて、私はダメな人間でって言ってるのを聞いてるだけで、その偏りを、いやそこは偏ってるから修正しましょうねって言って、あなたはそんなダメな人間じゃないんですって言うだけで、こと足りるとは思えないケースの方が多いと思うんですよ。
で、渡航していくって言うんですけども、戻っていくことを見えてくることとして、要するにイヴ・ホワイトとイヴ・ブラックというのは子供なんですよね。この不感症というのと子供だというのはすごくやっぱり関係が深いと思うんですけれども、子供だからこそ性に興味がなくてもそんなに違和感ないですよね。
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自分が小さい時のことを考えてみるとなんとなくわかるように、セックスってなんだかわけわかんないものですよ。たぶん子供にとってみれば。イヴ・ブラックはまさにそういう風に言うんですよ。あんなのはなんだか小鳥の遊びみたいで悪趣味だと。
非常によなよな露出度のやたら高い、しかも真っ赤なドレスとかを着て歩く人にしては、言うことが全然性的じゃないと。非常にだからイヴ・ホワイトというのは子供っぽいんですけど、イヴ・ブラックというのは大変子供っぽいんですよ。イヴ・ブラックはおそらくイヴ・ホワイトよりなお子供っぽいんですよ。
こう考えていって初めてですね、彼女たちに結婚生活とか育児は無理でしょうと。家事をするとヘドヘドになっちゃうとかですね。家事の手際が悪いと夫に責められるとかですね。一見したところこれはいかにも社会問題っぽく見えてしまいますし、家にそういう面はあるんですよ。女性差別だという話で見てもいいと思うんですよ。
フェミニズムの視点からあれを見てもいいと思うんですけど、私はそれでは足りないと思うのは、イヴ・ホワイトもイヴ・ブラックも子供だという視点が必須だと思うんですよね。
そう見て初めてですね、彼女たちでは結婚生活が保てないのは当然なんですよ。なぜならば子供に子供を育てられるわけがないじゃないですか。子供は大人の男を相手にするのは無理があるわけですよね。
だから不干渉だというのはすごくポイントとして大事で、ここにまっすぐ入り込めるフロイトの考え方というのは大事だと思うんですよね。結局行動療法だの認知療法だのましてや薬理療法ってやつはですね、全部患者を大人扱いしているのが前提だと思うんですよね。
自動心理学とか認知行動療法の子供向けというのもあるんだけど、相手が大人だと多分そういう適用の仕方はしないと思うんですが、それは私はやっぱり十分じゃないような気がその点ではします。
論理療法とかがベースにあったんですけど、あなたのものの考え方には歪んだところがありますと、それをこういうふうに認識してこういうふうに矯正しましょうということで、相手がそれを理解して飲み込んで自分の認知の歪みのあるものを修正していけるというのは単に健常なだけでなく十分大人になってできることだと思うんですけど、
徒効して初めて出てくることが、つまり徒効というのは時代に逆行ですよね。子供時代に戻ってみて初めて見えてくることを探しに行くということは、その人は子供としての問題が残っているという話だと思うんですね。
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多分、精神分析というのは色んな流派があるんですけど、おおむね全てに共通して言えることは、子供時代の問題というものを子供時代にあったことというのを探しに行くという点で似ていて、子供時代に何かがあったということになれば、やっぱり親との関係を一番真っ先に疑うしかないじゃないですか、常識的に考えて。
親子関係というのは結局何かしらありますよね。探りに探れば完璧な親ってほとんどいないんで。むしろ逆ですよね。
リブ・ホワイトがそうであったように、子供同然の親に育てられる子供は、結局大人になるのにえらい苦労するか、なりきれずに終わりますよね。それが世代に受け継がれていくのではないかという気がするんですね。
リブ・ホワイトの話を結局遡って見てみると、親の未成熟というのが見えてくるわけですよ。
親の未成熟ということは、その親は成熟していたのだろうかという話にだんだんなっていくじゃないですか。
そうすると大変不思議なことに、子供っぽい親が育てて、子供っぽい子供が大人になって子供っぽい親になって子育てをすると、やっぱり子供っぽい大人ができていくというこういう連鎖がどこかにあって、
これはあくまでも推測の域は出ないんですけど、3代も渡航することは大体不可能でなくなってますからね。
ただ、記憶に遡れば遡るほど結局出てくる話はそういう話なんですよね。
リブ・ホワイトの話、これ催眠療法で、催眠療法というのもまた面白いんですけど、
催眠療法をかけると自分の子供時代のことを鮮明に思い出すみたいなのがあるんですよ。
これは一種の精神分析の技法なんですけれども、あるんですね。
催眠術というのはそういう風にして使っているんだ、この業界ではって。
非常にあの種の本を読むと何度も何度も同じような話が出てきて、考えさせられるんですけど、
要はリラックスしてください、10数えるとあなたはってあれですね、あれやってると子供の時代に戻ってくるんだけど、
とても面白いなと思うのが、特にイヴ・ブラックはそうだけど、イヴ・ホワイトなんかもそうなんですよね。
こうしてもこうしても大して変わんないんですよ。
つまり遡っても遡っても大して言ってることに違いがないような感じがあるんですね。
ちょっと言葉遣いが子供っぽくなる程度で。
これは子供だったという、私はいい証拠だと思うんですよね。子供のまま大きくなっちゃいましたと。
それにしちゃイヴ・ホワイトって頑張ってるよねっていう感じがだんだんだんだん本読んでると実感として湧いてくるんだけれども、
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だから非常に独特の感動があるんですよ。一生懸命頑張ってる子供みたいな、そういう感じなんですよね。
良心的というか親の言い付けに逆らえないというか、何かというと聖書を頼り出すというのは、
全部ですね、10歳前半ぐらいの人が結婚して子供を作ってしまって必死になって頑張るみたいな、そういう印象なんですね、あれは。
だからイヴ・ブラックみたいな自分の部分を徹底的に抑え込もうと頑張るしかないという面が見えてくる感じなんですよ。
それでも乖離は説明できないですけど、少なくともこれである程度自分の半分を抑圧して生きているっていうのは分かるような感じがするんですよね。
結局遊びたいわけじゃないですか、10代前半だって。遊びたいしいろいろやってみたいことがある。
それを全部やっているのがイヴ・ブラックなわけですよね。
ドレスを買って見るとか、髪を短くするとか、散財するとか、あれ時代が時代になったらなんでしょうけど、ろくでもないやつだと、とんでもないやつだと言ってるんですけど、そういう感じが全くしないんですよね。
それ、主旗の後半で出てくるんですけれども、あれはちょっとおてんばな女の子であって、悪いところは何もないんじゃないかという意見の人が結構多く出るんですけど、そういう感じしかしないんですよ。
やることといえばですね、これは確かにそういうことが現実に起こっちゃえば問題なんですけれども、
例えばホワイトが一生懸命職を探すわけですね。離婚しちゃうんで。離婚する前に別居しちゃうんで。
夫の世話になりたくないんで。この辺が大変社会問題的なんですけど。
一生懸命職を探して、やっと職を見つけるとブラックが登場して、報告書に落書きをすると。それを見つかってホワイトはクビになると。
ブラックはとんでもないって話になるんですけど、どう考えてもあれは子供っぽいんですよね。
多重人格というものは我々だってまあまあ目にすることはないんで、すっごい真面目そうで、めちゃくちゃ真面目で、
現に休憩時間も羽目を全然外さない女性が仕事をしていて、ジムでいきなり落書きをワーッと書いてきたら、それはまあびっくりしますよね。
我々はそういうことまではしないですけれども、でもなんかすごい真面目にやっていた人が不意にいなくなって、近くのところで遊んでいる、私会社員時代そういう人いたんですよ。
表面からはそういう風な感じは全くないんだけど、いきなり不意にいなくなっちゃうんですよね。
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こういうことって多分、よく観察しているとですね、懐理はないですよ。懐理を目にすることはまずないと思うんですけど、これに近いことをやる人は結構いるんじゃないかという気がします。
会社員やって、私がつくづくわずかな年数なんですけど、やってよかったなと思うのは、世の中の人っていうのは本当にいろんな人がいて、ある意味では正気な人って本当にえがたい人材なんだなっていうふうにある意味思いました。
私の課には12、13人いたんですけど、正気だ、この人は正気だなと、とりあえず常識的だなと言える人は1人でした。
で、その1人は課長になっちゃうんですよっていうぐらいな感じがするんですよね。どっか今回みんな、私も含めてですが、変。
だからある意味課長にはなれないんですけれども、そういうもんなんだなっていうふうな気がしました。
でですね、なぜこういう話を延々したかというとですね、単に面白かったからってこともあるんですけれども、一言で言うと、
イヴ・ホワイトって人はHSPなんですよ、多分、現在の基準で言うと。もちろん彼女は乖離性同一性障害だからHSPでは済まない。
HSPは病気じゃないですからね。でも性格特性だけを見つけてイヴ・ブラックの出現を認識できる人がいなければ、
たぶんイヴ・ホワイトはHSPないしは乖離性人格障害という診断でとどまると思いますね。
良心的であると、内向的であると、小さな物音にもすぐビクッとすると、怒られるとすぐものすごく暗くなってしまったりすると、やたら落ち込むと。
でも自分は正しいという思いにとらわれている、その正しいはベースに母親の正しさがあり、かつ全部聖書から来ている正しさなんですけど、
何時何々すべからずってやつで、モゼの十回みたいなものなんですけど、そういう時代ですから正しいというふうに思っている。
私はHSPの人は非常に面白い一つ思い込みがあると思うんですけど、自分はダメ人間であるということと同時に、
あるいは自分は頼りない人間であるというふうに言っておきながら、その自分に関する自分の見解は絶対に正しいという点で曲げないんですよね。
この本、イブの三つの顔の本でも手記でも繰り返し出てくるんだけど、ホワイトは非常に頼りなさそうに見えて、ひたすら従順なようで実に頑固だという話があるんですけど、
あれは私はいわゆるハイセンシティブな人たちにはよく特徴的に見受けられることだと思うんですよね。
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自分がダメだとか弱いということに関しては一歩も譲らないですよね。実に不思議なんですけど。
そのことが当人に大してメリットというかほとんどデメリット以外何ももたらしてないようなんだけど、だからなんですけれども、そこに関しては確信めいたものを持ってますよね。
例えば人を怒れないという話もそうなんですけど、怒る人間はみっともないというふうに思っている人がかなり多くいて、私はあんなみっともないことをする人間ではないというところがありますよね。
それは強いプライドだと思うんですけど、意外にそういうところがあって、これは決して弱いとか人に従順であるということだけを意味はしないと思うんですね。
で、さっき言った通りホワイトというのは子供なんですよ。それが多分彼女の秘密だと思うんですね。
だから不感症であるとかブラックを抑圧していると、これは大変大事な点だと思うんですけれども、言うのはHSPの人にもきっと似たようなところがあるだろうなと思うんですよ。
乖離はないと思います。乖離はないと思いますけれども、自分の中のブラック的なところを抑圧して、しかもおそらく男性の場合ちょっと非常にわかりにくくなるんだけれども、性的には不感症に限りなく近いんじゃないかと。
例えば男性の場合ですとこういうことがありますね。本人は性欲というものが十分あると思っているかもしれないけど、非常に限定的かつ非社会的な形でしかそれを発揮できない。
端的に言うと、例えばSMのような形でしか、しかも自分がサディスティックにならないと性欲が発揮できないということがあり得るような気がします。HSPの人に。これはものすごく推測を膨らましましたよ、今私は。しかも多分全ての人に当てはまらないです。
ただ言いたいことはですね、つまり性欲というのは普段は、普段の自分であれば発揮するべきではないものだと信じ込んでいるとするじゃないですか。
でもそういう機能は体の中にあるわけだから、条件が揃えば発揮できると思うんですよ。その条件というのを自分が抑止しているとするとですね、その条件の中にさっき言いましたけれども、怒る人間はみっともないと思っていると怒りに近いものを持った時には性欲が発揮できるみたいな、そういう条件付けってあり得ると思うんですよ。
怒りに近いものを持った時は性欲が発揮できるんだけど、その人は怒らない人なので、つまり発揮できないということになるということは十分ありそうな気がするんですよね。
だから怒りと性欲が一緒になって登場する時っていうのは多分に犯罪的な面があるじゃないですか。あるいは一歩間違うと障害的な面がありますよね。障害というのは傷つける、害するですね。
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だからこういうのって普段は発揮できないんですよね、むしろね。そういう結びつきがなければ自分は何にも性欲みたいな、みっともないものを出さずに済むみたいな、そういうのがあって、そうやって抑止するものの中にですね、人に攻撃されるとひとたまりもないっていうのがあるんじゃないかと思うんですね。
そこからちょっと小言を言われただけでも、つまりオプションがないので自分の中に、小言を言われればシュンとする以外の手がないのでひたすらシュンとするとかそういうことになるんじゃないかと。
ここでもやっぱりシュンとしているというのはですね、多分手がないとか子供だからということのほかにですね、みっともないっていうのがあるような気がしてしょうがないんですよね。
すごくホワイトは座り方とか服装とか、あんな服を着て歩けるはずがないような服をブラックが買うっていうセリフ何度も出てくるんですけれども、つまり人がどう自分を見ているかをものすごく気にしてるんですよね。
彼女が不感症なのは多分それと関係が深くあると思うんですよ。
みっともないという感情にすごく苛まれている気がするんです。
私はHSPの本を読んでいて、よく出てくる表現として調子に乗っていると思われたくないというのがあるんですよ。
つまり自分が無能であるにもかかわらず有能であるかのように振る舞うというのは恥ずかしいことだということだと思うんですね、それは。
この考え方と派手な服を着て歩くなどということができないというような話って、時代が変わるとよく似た感情になってくるんじゃないかなと。
多分イブ・ホワイトの時代であれば何しろ聖書ですからね。
そういう方が重要なんだと思うんですよね。調子に乗ってはいけないとかそんなことではなくてね。
身なりをきちんとしているとか地味な服を着るとか歩き方をちゃんとするとか、だからブラックはいちいち逆を行くわけですよね。
すぐ足組むし、動画を見るとわかるんですけどすぐ足組むし、色も全然色の好みが全く違うんですよね。
言ってみればあれですよね、ショッピングピンクみたいなのが好きってことですよね。
この話を僕は前編を通して思ったことが、きっとこういうことなんだろうと。
身体的特徴まで変化するということがあったからますますそうなんだろうと思うんです。
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知覚過敏とかって言うじゃないですか。それは身体的特徴の一種だと思うんですけれども。
寒いのが耐えられないとかそういうのもそうだと思うんですが、自分の中のブラックと限りませんけれども、
そういう生き生きとした部分というのかな、陽気な部分、陽気な部分ですよね。
陽気な部分を全部否定すればですね、身体的特徴として出ても不思議はないですよね。
知覚が過敏になっても不思議はない。気にする気にしないというのがとても大きなことなので。
私静電気ってダメなんですけど、陽気な人って静電気とかって気にしない人いるじゃないですか。
でもあれが電気ショックを受けないとか痛くないってことはないと思うんですよ。
ただ気にしないんですよね。気にしないということがああいう時は大事で。
知覚過敏なんていうのはまさにそういうものであって、気にしなければ気にならないんですよね。
気にならなければ存在しないんだと思うんです。
ところがこういう話ってまた非常に逆説的なんですけど、
イブブラックはナイロンの靴下を履くとジンマシンが出るという特徴があるんですよ。
イブホワイトになっちゃうとそのジンマシン消えちゃうんですよね。
気にしてるのは必ずしも過敏な方じゃなかったりするんですよ。
ないしはこういうことがあるんですよ。
HSPのような人は我慢するということが非常に重要なので、調子に乗っているところを見られちゃダメとか、
無能なのに有能なフリしちゃダメとか全部我慢するということを意味しますよね。
ナイロンの靴下は確かに履き心地が誰にとっても悪いのかもしれないけど、
ホワイトすら我慢するべきだと思ってるから反応が出なかったりするんだと思うんですよ。
ブラックは我慢ということが耐えられないのですぐ反応として出ちゃうんだと思うんですね。
で、ナイロンの靴下脱ぐんですけれども、ホワイトは人前で靴下脱げないので我慢をするわけですよね。
それがジンマシンの有無になるというのは、いわゆる心身症であって身体反応なので非常に無ですよね。
オカルトじゃないですか、それって。
そういうことはあり得ないようなことに今までずっとなってきましたね。
唯物的って言うんですかね。
肉体と精神がそこまでジンマシンに出るってすごいですからね。
赤い物質がウワッと出たりしますからね。
それが性格が変わるだけで出なくなっちゃったりするわけですよ。
こういう話をすると皆さんにオカルトだって思われる。
頭のいい人には特に思われるんですけど、私何度かこの番組で言っておりますけれども
グッドバイブス以降アトピーが出ないんですよ。
私アトピーが治ったとは思ってないんですよ。
なんとなくなんですけどこれは身体感覚としてアトピーはまだあると思う。
ただ出ないんですよ。
これを言っても信じないと思うんですよ。
頭のいい人のことですね。
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もう一つ僕に起こった出来事として腰痛がないんですよ。
これも納得できないと思うんですよ。
ここでなんですけれどもさっきのナイロンの話とよく似てくると思うんですが
もし私の人格がグッドバイブスによって少し変わったと
それによって腰痛やアトピーが消えたんだとすると
それは嫌だっていう意見の人はきっといると思うんですよ。
ものすごく教信的な、なんでもいいですよね。
信仰宗教みたいなのに入って
入った途端に喘息が治っちゃったのよって話が聞いて
確かにその人はずっとそれまで喘息だったのに急に元気になった。
でもあれは嫌だって思うじゃないですか。
思う人いっぱいいると思うんですよ。
つまりそれはですね、たとえ喘息で弱々しくて
アトピーが出てジンマシンもあって
腰痛もあって肩こりがあってちょっと病気であったとしても
しかも自分は責められてすぐ怒られると泣いちゃうような人であったとしても
会社休まなきゃならないような人であったとしても
それが正しい方でありたいというぐらい
正しさというものに私たちがこだわるってことなんじゃないかと思うんですね。
ホワイトは結局最後の最後になって死ぬわけですね。
死ぬことでジェーンに受け継がれる
ジェーンという人格に引き継がれるんですけど
もうその頃には母に言って娘のことがあって
感動的な詩を書くんですよ。やっぱり詩なんですね。
で、私は死んでいくんだけどっていうような詩なんですけど
こうまでしてでもやっぱり自分の人格というものであり続けたいわけですよね。
多分そんなの手放せば死なずに済むんだけれども
死んでもいいから病気でもいいし弱くてもいいし
とにかく死んでもいいから自分であり続けたいと思って死んじゃうんですよね。
こういうところが私たちってきっとあるんだろうなと
あれを読んでつくづく思ったんですね。
だからHSPの最大の難しさというのは
実はそれによって受けるいっぱいあるデメリットをですね
全部正当化したいという欲求から恐らく来るんだろうなという風に思った。