おはようございます。
ひく百日セラピー、第1044回をお送りします。
実はこれ、テイク2でして、朝のうちに一度ですね、撮っていたんですけれども、
なんかこう、なんか切れてしまった上に、今ひとつ今日が載ってないなっていうのを感じざるをえずに、
もう没にしたというか、失ってしまったんですね。
このスタンデフになってからですね、いろいろと間違うことがやっぱり多いですね。
しばらく慣れないとダメだなと。
こっちの方がどう考えても便利だと思うんだけど、ところどころやっぱりやり方が違うんで、
そこに慣れてないっていうか、アンカーだった時の方がはるかに分かりにくかったんですよ、実際には。
だけどそれにもう慣れちゃったんでね。
それで多分、そっちに慣れた分、この比較的常識的なスタンドFMの収録の方法にまだカチッとはまれてないんだと思いますね。
はい、お知らせです。
9月15日、約算せずに締め切りに間に合わせるタスク集と時間術というものの完結編をお送りしたいと思っておりますので、
こちらちょっと是非チェックしてやってください。
何をチェックすればいいんじゃっていうところあると思うんで、
ノートかな、やっぱり一番いいのは、
PTXとかでお知らせ言っているという方には見られると思うんですけれども、
お知らせをそもそもしないでどうやって申し込むんだみたいなノートを見ていただくとちょっと分かるんじゃないかと、
出版記念セミナー動画とのタイアップ企画みたいなのが僕が一人でタイアップしてるんで、
タイアップっていうのもおかしな話なんですけど、そういう感じですね。
これで僕がお伝えしたいところはお伝えしきれると思っておりまして、
もうこれでお伝えできないものは、難しいんじゃないかな、自分じゃっていうね。
分かんないですけど、
年末に総決算やるんで、その時までにはまた少し温めておこうと思うんですけどね。
最近3WAYSというのをJ松崎さんとポドキャストで出していて、
彼と喋っていて、いろいろと考えがまとまってきてる面もあると思いますから、
そっちの方からちょっとも押していこうと思っておりますけれどもね、
まだ分かんないことはいっぱいありますんで、
伝えるという意味においてですね、分かってないことがいろいろあると思うので、
そこをうまく伝えられるといいんじゃないかなというふうに思っています。
いずれにしても、もういい加減、分かってきたこともいろいろ出てきてはいると思ってるんですよ。
ジーク・ムントフロイトだったりするってことは、
これと日本は関係ないんですよ。
そして現代社会とも関係ないんですね。
ポルノとも関係ないんですよ。
多少関係あるけれど、直接の引き金ではないんですよね。
これはこの直接の引き金を引いたのは母だというべきなんですよね。
男性社会だって言っても間違っちゃいませんよ。
間違っちゃいませんが、やっぱりこれを直接の引き金を僕について引いたのは母ですよ。
母が私を恥ずかめることができるというのは、
私がやっぱり1歳、0歳、2歳っていったところだな、3歳、4歳ももろんそうだし、
母はこの権力を乱用して、私が20歳になっても使えると思ってたんですけど、
使えっこないですよね。
20歳になった頃はもう全然、機能が少なくとも2%くらいまで落ちていて、
30歳になった頃にはほぼ全く機能しない。
だから別に、私は今母に対して思うところはないんだけれども、
こういうからくりがあったと。
だから未だに私は人に恥ずかしめられそうになるゆえに、
仕事を先送りするときにはハンザーを見たくなるわけで、
そのときに見たくなるものは寝取られ者とか、
それこそ療熟者とか、恥ずかしめるものばかりなんですよね。
私が恥ずかしめたいのは女性じゃなくて母親なんですよ。
ただこれに性欲が絡んでしまうんですね。
だからエディプスコンプレックスなんですよ。
私は母を恥ずかしめたいのでは本当はなくて、母に愛されたいわけですね。
母に愛されるというのが、性愛と息子として母親に愛されたいという欲望がごっちゃになるんですよ。
それってスキンシップが直結している時期の話であって、
一切時に戻してくれってことなんですよね。
私を恥ずかしめるぐらいなら一切時に戻してくれってことなんですよ。
2歳になったから恥ずかしめられちゃうわけですよ。
これはシンデレラの問題なわけですね。
シンデレラは掃除しろとか言われたくないわけですよ。
抱っこされていたいわけですね。
だから掃除すると言ってくるのは、これが実の母親としてはひどすぎる。
きっとお母さんに違いないというそういう物語なんです。
姉が私が、あれはシンデレラ女の子だけど男の子になってくると、
私をちゃんとファイレできないとか、おむつにおしっこしちゃうとかいうことで恥ずかしめないでくれと。
恥ずかしめるぐらいだったら、私はもう2歳になったり3歳になったりして成長するの嫌だから、
1歳とかの頃に戻してくれと。
あの頃のね、甘いおっぱいでミルクを満たされていたあの時期に戻してくれっていう主張なわけですよ。
覚えてないですけどね。
この甘いおっぱいっていうのはまさに性愛的でもあるじゃないですか。
性欲が芽生えてきた頃に、立ちかかった時に私がそういう仕打ちをされたという恨みに対して私が逆襲しているわけだから、
この感覚というものは対抗そのものになるわけですね。
昔は対Aと言ったりもしたんです。A字のAですね。
まさにこれは文字通りだなって思うんだけど、正しくないんですよ。
2歳時には1歳時に戻りたいという気持ちがあって当然じゃないですか。
2歳になった途端に1歳になった時の気分がゼロになるはずないから。
だからこれは、はい、退いているわけでは決してないんですね。
その時に、その時、今ここで芽生えている感情そのものがそこで問題になっているわけだから、
やっぱり私は同時多発的なものだと思うんですね。
決して戻っているわけじゃない気がする。
故にこの感覚というものが未だにOを引いていて、
私が確定申告の書類嫌だなと思うと漫座に手が伸びるという。
URLでFを打ち始めたくなるという。実際にはDMMですけどね。
この感覚は私にとっては、これは対抗と言われてもしゃあないかもしれないですけれども、
やっぱりそうじゃないと思うんですよね。やっぱり甘いミルクに戻っているに過ぎないと思うんですよ。
そして私が恥ずかしめられるぐらいなら母を恥ずかしめようというこの気持ち。
その時の母は今のようなおばあちゃんでは全然ないから、
ああいう酷く若く見える女の人ということになっていくんですね。
この時、さらに私は父親として性愛というものが出てくるので、母は娘扱いしてしまうんですよ。
だからロリータコンプレックスというものとマザーコンプレックスというものは混ざってくるんですね。
妙に年笠な感じがする、老眼という感じのする、投影する映像というものに、
私の性欲と性愛と幼児的対抗の気分と処罰感情は全て乗っかるということができる。
ただしその場合の乗っかり方は非常に細いものなので、細いですよね。
今言ったようなものっていちいち全部矛盾するじゃないですか。
矛盾しないように矛盾しないように投影像を形成していくと、極めて奇妙なものが出来上がりますよね。
母親であり、娘でもあり、若くもあり、自分より年上でもあり、遥かにね。
そして自分より弱々しいようでありながら、自分より自分に対する強さを持っているっていう人を探し出すのは非常に難しい。
事実上そのような存在は現実的な人間とはとても言えない。
だからこれはジョージ・バーナード・ショーって人が言ってるんですけど、絵と音楽の化け物って呼んだんですよね。
非常に美しいかもしれないが、現実の人間とは到底言えない。
だから芸術家の描くような絵画と音楽の化け物っていうふうにジョージ・バーナード・ショーがある、
ロジョージームスの女性に言わせてるんですけど、そういうことは起こるわけですよ。
ただし今では絵と音楽の化け物は、つまりビジュアル的にも最高級、自分にとってってことですよ。
ビジュアル的にも最高の肉体を持っていて、音声的にも最も自分に望ましい声を出してくれる。
おそらく母親が一番いい声を出してくれたっていうことになるんだけど、そのような図をAI的に作り出すのは不可能ではないので、
芸術家の力を借りなくても、あるいはそれが芸術ということになるのかもしれないですけれどもね。
その辺のことはラマ・チャンドランという人が、脳の中の幽霊って本の冒頭で書いてますよね。
それはくちばしなんですよ。結局これは幼児と母親なんですよ。
くちばしってのは餌をくれるくちばしの話をしてるわけですよね。
もしすごく知性が進んだ鴨の橋だったかな。
要するにくちばしから口移しで雛鳥に餌をくれる。まさにそうですよね。キスですよね。
キスが餌をくれることにもつながる。フィーリングとキスがセットになってる。
完全にラマ・チャンドランが言ってるのも、実はフロイトが言ってることと変わらないんですよね。この点についてはね。
そういう鴨の橋がものすごく知性が発達して美術館を作るほどになったならば、
必ずその美術館に描いてあるくちばしは非常に抽象化されたくちばしで、
もはやくちばしだかなんだかわかんないんだけど、最も幼児的な気持ちを満足させて、
黄色くてこの鴨の橋にとって大事な三本線が強調されているような絵になるはずである。
ラマ・チャンドランは絶対私正しいと思うんですよ。だからそういうルノワールとか描く絵は、
そういう豊満な女性の肉体が非常に著しく強調されている絵になってるじゃないですか。
で、それをルーブル美術館とかに飾ってるじゃないですか。
全くそういうことが起きるはずだっていうのは、別に驚くようなことでは確かにないですよね。
脳科学者がそういうことを言って、精神分析の師匠がそういうことを言って、
これもごく当たり前ですよね。これをどんどんどんどん抽象化していくと、
なんだかよくわかんないんだけどこの絵は素晴らしいってことが起きる。
脳がそういうものに反応するってことですよね。
長くなりましたけれどもね、まあそういう話です。
そういう話が私はタスクシュートの中に生きていると思っているので、この話を15日にしたいと思っています。
まあ興味がある人とか、100人単位でいる話だとは僕も思いません。
でもこれが私は自分の仕事を滞らせる最大の根源になっていて、
そしてそれは悪いことではないと思っているんですよ。
母親が好きだとか、母親に愛されたいというのは別に悪いことじゃないと思うかと思うんですよね。
ただそればっかりやっていると仕事は進みませんからね。
だから仕事を進めるために必要なものは、言うならそういうことだと思うんですよね。
言うならこれに対する自覚をどれほどはっきり持てるかにかかってくるだろうと思っています。
絶対これ、私はこれでゼーム処理も原稿も100日チャレンジのコメントであれなんであれですね。
手がFに伸びたとしてもすぐに戻ってこれるようになったんですよ。
すぐに戻ってこれないこともあるんだけど、その時には罪悪感が強いというだけなんですよ。
あるいは羞恥心が強いというだけ。
羞恥心という、罪悪感もそうなんだけど、キーワードはとても大事です。
恥ずかしいという気持ちのために仕事が進まなくなるというのはしょっちゅうあります。
先日、和原きなさんという方がお話になっていらっしゃいました。
そのものズバリだったんで僕は驚きました。
この話もぜひさせていただきたいと思うんですけど、非常にびっくりでしたね。
当日忘れていたら誰か、これを聞いている人が質問していただけるととてもありがたいです。
さすがにこの話はいつまでも続けてられないんで、915はよろしくお願いします。
以上です。
この話では本題に入りたいんですけど、もっとこの話を進めたような話になりますけど、
欲打つの精神分析的アプローチという、中古で7700円もする本体定価3780円の本がありまして、
これは松木邦博さんと、なんて読むんだろう、角博光さんなのかな。
ちゃんと読めないといけないと思うんですけどね。
でも、加賀の賀に来るっていう字なんですよね。
だから角とは読めると思うんだけど、悪いわな。角ですね、角博光さん。
多分これも有名な先生、有名なのか有名でないのかわかりませんけど、先生がいらっしゃってて。
僕のところに今後出版さんの本ばっかりで、なんか今後出版さんにすごい貢献してるようでいて、古本も多いんですよね。
絶版になっちゃってるんでね。だから7700円もするんだけど。
道楽としては高いお値段だなって思いますね。ある意味道楽ですからね、これね。
この本の中で僕、なんでか思い込みがあったんですよ。
欲打つの精神分析的アプローチ。画像を出すとわかるんですけど、このシリーズね、みたいに。
わかる方にはわかる。精神分析臨床シリーズってやつの一冊なんですけど。
これずっと欲しくて買ったんで、早速読んでみてるんですけど、
1つこれのシリーズについての誤解があって、ここで取り扱われている臨床例は、基本神経小水準だと僕思い込んでたんですね。
ところが、ずっと読んでて神経小水準が確かに多いんだけど、
治療の実際のですね、どの症もすごい面白かったんですけどね。
Hさんっていうのが出てくる第6症の相打つ病における同一化の抗体っていう、
非常にこう、視点によってはすごく興味深い物仕事の話なんですけど、
中川慎一郎さんって方の論文らしいんですけどね。
この症例がどこをどう読んでも精神病水準なんですよ。
あれ?おかしくない?とか思ってたんだけど、考えてみると相打つ病って書いてあるんだから、当然精神病水準なんですよね。
で、何が精神病水準かってやりとりがもう全然意味わかんないわけですよ。
なのに面白いのかって言われると面白いんですけどね。Hさんの例は。
非常に何言ってんだかわからんっていう話がずっと出てきていて、つまりこれはですね、精神病水準の話だからわからんわけですよ。
神経症水準のお話はわかるようでわからないなってあって、わかるような気がするんですね。
でも精神病水準はわからないようでわからないから全然わからないわけですよ。
ものすごく興味深い話なんですけれども、わからないですね。
で、私最近わかったんですけど、何がわかったかっていうと、この税務でも何でもいいんですけど、先に進みにくいなって思った仕事があって、これは仕事が嫌ではないんですよ。
もう周知心外なのは100%明らかなんですよ、私の場合。
だから必ず恥ずかしい系のものを見に行けば、見に行くことになっちゃうんですよね、仕事が本当に嫌だった場合。
でも私はだったらば、この精神病水準の臨床例も絶対同じ効果を発揮するはずだって思ったんですよ。
で、精神病水準、神経症水準じゃなくて、精神病水準の話を読めば絶対同じ効果出るはずだって思ったんですよ。
時間かかるかもしれないけど、でもファンザンの方が時間短く切り上げられるって保証ないから、時間かかるかもしれないってのはおかしいと思って。
で、最近臨床例読んでるんですけど、間違いなく効果絶大なんですよ。
必ず、しかも仕事に良い効果を及ぼすのはこっちなんですよ。
この話どうやって9月15日にしようかと思ってるんですけどね。
神経症水準じゃダメっていう意味じゃないんですけど、精神病水準の方がはるかに効果大なんですよね。
で、例えばなんですけど、これ何言ってるのかわけわかんないかもしれませんが、この話はファンザン見る話と同一線上に僕の中でありますからね、間違いなく。
だってですよ、私はこの時精神病状態に入っているわけで、だから僕は対抗って言いたくないんですよ。
僕は精神病活性化状態と言いたいんですよ、自分の状態を。
母を恥ずかしめてやりたいという気持ちって精神病状態なんですよ。
どうしてかっていうと、判定もいいんだろう、これは。
同じなんですよ、精神病の人が怒ってることとか落ち込んでる理由って、結局。
これは幼児的状態で、幼児ってやっぱり恥ずかしめちゃダメなんですよね。
そういう意味で母のやったことには若干問題がある。
まあそんなことは別にいいですけど、私の母が私にやったこととしてはOK。
OKだけど、なぜなら今分析できてるからOKなんだけど。
本当はやっちゃいけないことだと思う。
でもやっちゃいますけどね、親は多少ね。
僕も娘にやったことが全然ないとは言わない。
なんていうのかな、子供ってねやっぱり深刻に答える。
深刻だから、しゃあないんですけど、深刻にことを捉えるよねっていうのはありますよね。
だからですね、こういうことが起きたであろうことをどうやって現実界は取り扱ってくれるのかに対するある種の信頼なんですよ。
これはいけないんですよって。
こういう心は痛んだら、やっぱり癒してあげなきゃダメなんですよっていうことが本に書いてあるってことが救いになるわけですよ。
結局僕は救われたくてファンザ見てるんですよ。
ただあれは救われてないからはっきり言ってあれでは。
だからあれよりもこれの方が遥かに効果がでかいのは当然なんですね。
僕にとっての結局それはトラウマになってるってことなんですよ。
だからしばしばポルノみたいなものは麻薬的倒作効果っていうような言い方を臨床の本ではしてるんだけれども、それは全く正しいと思うんですよね。
麻薬的な倒作効果なんですよあれは。
結局あれはお母さんの心を入れ替えさせようと思って、ある意味なんて言えばいいのかな、結局SMの世界なんですね。
お母さんが心を入れ替えるっていうことが、例えば税理士の人が心を入れ替えるとか、税務署の人が心を入れ替えるとか、そういうことに倒作的に僕が期待しちゃっているわけですよ。
なぜなら私のことを恥ずかしめるからさ。
だからこういうことを仕事の場でも絶対しちゃダメだってことなんですよ。
仕事ができないとか、どっかに書き間違えたとか、そういうことでも恥ずかしい思いをしちゃってるわけですよ。
当事者は。
なのにそこに追い討ちをかけて、傷口に塩塗るような真似をすると、それをやった人は悪いお母さんなり悪いお父さんなりが投影されて、こいつ絶対、あの、ただではおかないみたいな。
その時の復讐心っていうのは明らかに動向してしまうんで。
あの、ちょっと謝らせるとかで、現実は済まされますけど多くの場合。
でもいかにこの精神病水準の人のこの恨みの。
あの、だからいきなりハイルヒットラーとか言い出すわけですよ。
ヒットラー万歳みたいなことを。
なぜかっていうと、いやお前らもう全員強制収容所に入れてやるからなってノリなんですよ。
この恨まれ方って何でもいいのかな。
あの、ま、これは、なんつーか、バランス感覚は著しくおかしいんですけれども。
おかしいんですけれども。
ここまで恨まれたくなければ、人の書き損じとかに対して一言も発するべきではないなって私は思いますね。
ある意味、倉園さんのやっぱりグッドバイオスは正しいなと思うんですよ。
怒りとか攻撃を向けるってのがどれほど割に合わないことかってのを。
この精神病水準の人の怒りを読んでるとわかるんですよ。
普通の人はこれ隠すし、意識しないから、どれほど相手が怒ってるかに気づかないから、いやちょっと困りますよとか言っちゃうじゃないですか。
僕はでもこの本繰り返し繰り返し読むようになってから、もう絶対言わないようになってきました最近は本当に。
例えばレジとかですっごいミスするとか、えらいモタモタするとか、つい言わないにせよ態度に出そうぐらいに態度に出しちゃうじゃないですか。
そこはもうなるべく出しませんね。出ちゃってるってのはしょうがないとしても本当なるべく出しませんよね。
だってそんなミス知らずの人にその程度の5秒とか10秒とか長くてもせいぜい3秒。
僕だから昔ですね、駅でなんかすっごい新人の人がモタモタしていて、40分ぐらいロスしたってことがあったんですよ。
その時にうちの奥さん、うちの奥さんそういう時にちょっとカリカリしちゃう方なの。
方でもないんだけど、私がすごく応用にしていたのに対して怒ってたんですよ後でね。
ああいう時にもっと言わないと早くしてくんないからって言いながらもううちの奥さんが、でもちょっと感心させられるわと言われたんですよ。
どうしてそんなに寛容でいられるの。私無理だからやっぱ感心させられるわって言われたんですよ。忍耐強いよねと。
そうじゃないんですよ僕にはすると。すごく損臭いと思うんですよ。相手ブチ切れたらどうすんだってやっぱり思うんですよね。
ブチ切れる権利とかは関係なく、人はブチ切れる可能性がやっぱり僕は感じるんですよ。精神病水準っていうのは人はすべての人が持ってるって僕は過程で生きているので。
でもやっちゃうっすよ私でもやっぱりね。攻めちゃいけない人を攻めちゃう。それはやってしまうんだけど、こういう本読んでいるとですね。
やっぱこれはあの割に合わないんだなっていうね。やっぱりこう書いてあるんですよ。
Hは必殺への鬱憤を一気に爆発。必殺、治療者ですよ。
きっとら万歳と叫ぶなり狂ったように、連合軍によって人体解剖が行われたことや、近代兵器の開発が間に合っていれば、
ナチが連合国との戦いに勝利していたことや、日本軍の神風特攻隊はナチの近代兵器に比べれば呪縛テロのようなものだと、
くどくどと膜仕立てた。で、言いつつもこのHさんは激しい興奮が収まると先生が狂って暴れ出すのではないかと心配していました。
つまりですね、このよく昔倉園さんが、昔ではなく今もなんだけど、
グッドワイブスの中で、同害報復のことをおっしゃってるんですけど、罪悪感を持つとHさんみたいな、
この騒鬱の人って罪悪感をまず持ってるんですね。そうするとちょっとした罪悪感がすごい強いから、
昔多分このHさんの場合はお父さんがブシ切れちゃうんですよ。ものすごく切れるみたいな感じなんですね。
だけどそれはよくないんだけれども、お母さんがいきなり装的に切れちゃうっていうことが時々あったらしい。
でもそれもお母さんが切れるのが良くないじゃなくて、お母さんは普段お父さんがあまりにも凶悪的だからめっちゃ我慢してるわけですよ。
このHさんのご両親というかそういう関係なんですね。古い時代ですから。
お母さんが我慢して我慢して我慢していて、その時はもうほとんど欲打つ状態になってるんだけど、
あまりにもお父さんの強権がひどいというか我慢の時間が長いから急に争点してそれを争点って言うんですよね。
要するに逆切れするわけですよ。
そしてワーッとなった時にお父さんがグーッと押されるんだけど、やっぱりお父さんが今度それに対して争点してめちゃくちゃ怒ると。
によってお母さんはまた首を落とされたようだっていう風にHさんっていう人は言うんだけども、
この繰り返しがある中でHさんは罪悪感を貯めていくわけですね。
こういう事態を自分が招くことってあるじゃないですか、子供はどうしたって。
招いてないんだけど本当は。
でも自分のせいなのかもしれないと思う瞬間ってありますよね。
よくこう毒親論者でこの辺出てくるんだけど、そうではないんですよね、これは。
ただそうやっているうちにやっぱりHさんはこのお父さんが最終的にガッとやって黙らせることができたっていうのでスッキリしちゃうわけですよ。
どうしても事態を収集したいという気持ちがあるから、このお父さんの猛烈な長時間の怒りっていうのは最終的に有効なんだという風にそこの部分を取り込んじゃうわけですよね。
これがこのHさんの課題として出てくるわけですよ。
どうしてもイライラっていうのが募った時にドーンと爆発させて、わけわかんないことでもなんでもいいからお父さんそっくりに撒き立てて、めちゃくちゃ周りの人攻撃しまくるとみんなが落ち着くと。
だけどそれはみんなを無理やり落ち着かせているような無茶苦茶な論理なんで、さっきのヒットラー万歳みたいな論理なんで論理になってないんで、撒き立てて黙らせてるだけなんで、相手がいつ反撃してくるかと気が気じゃないわけですよ。
それだけに攻撃して攻撃して攻撃してっていう状態になってしまうわけですね。これが精神病状態っていうやつなわけですね。
これをずっとHさんはあらゆる人に対してやり続けていたもんだから、何が現実で何が正気なのかがよくわからなくなってしまうわけですね。あらゆる人に対してこれをやっているから。
だから先生が狂って暴れだすのではないかと心配していましたとなるんだけど、これは正気なのか狂気なのかっていう意味がないわけですよ。
もう自分が撒き立てすぎて相手の人が本当はどう思っているのかわからなくなっている疑心暗鬼のど真ん中で生きている人にとっては、自分がもう何て言うんですかね。
やむを得ず狂気になっているのか、それとも意識的に狂気になっているのか、それが多分ですね。
それが発言こまちみたいなものであったりヤフー知恵袋みたいなものであったりする可能性は十分あるんですよ。
そこにはリベンジ感というものが豊富に用意されていたりしますから。
もともとそういう理由で用意されたものではないかもしれないし、
ここにくればあなたの幼少時代の残念感、無念を晴らしてくれる何かがありますよとは書いてませんけれども、
人は嗅覚でそれを嗅ぎつけることができますよね。
それとそういうことと全く実は同じようなことを精神分析というのはやってる方法論だと私は思うんですよ。
これは決して簡単なことだと僕は思わなくなったんですよ。
マインドフルネスで心を鎮めることができても、これを何て言えばいいんだろうな。
根源的に払拭するのはそれだけではなお十分じゃないと思います。
結局最終的には自分はそういうリベンジをする必要もなければ、
その弱々しく屈辱感を与えられたということによって傷つく存在でもないってことを、
瞑想みたいなもので見出していくしか最終的にはないんですよ、最終的にはね。
だから何て言えばいいんだろう。
最終的には自分はそれに対して復讐するだけの力もないし、
必要もないんだってところに行き着くことにはなるんです。
しかないと思うんですよね。
だいたい自分の親と自分の関係を今考えてみても、もはや屈辱を与えられた云々というの自体がナンセンスですから、
頭でそれを分かるのは簡単なことです。
で、それを心でも分かるためにやるのが、たぶん存在しているのの一つの方法論が瞑想ってことなんだろうと思いますね。
なんだけれども、即座にそこにまだ行き着けないんですよ。
我々瞑想始めないじゃないですか。
時々瞑想するかもしれないけど、たぶんそういうところの目的を達するまではなかなか至らないと思うんですね。
そして私がよく思うことはですね、
さっきの奥様との関係もそうでしたけれども、
私たちの置かれている状況っていうのは、
なんか新しい生き方ってものをクリエイトしていく必要性があるんですよ。
さっきのような話ってよくあった話じゃないですか。
誰が稼いでると思ってるんだみたいな話ね。
でもこれを言うのはもう古いって言われるようになりましたよね。
大概は共働きだからなんですけど、
うちのようにそうでない家であったとしても、
もうお金を稼ぐということがお父さんの特権を維持する理由にはならないんだっていう時代がやってきたじゃないですか。
ならないのでいいと私も思うんですよ。
でも理不尽さは残ります。
この時に私たちはですね、犯人、今までとは違うんだから、
もう家で働いているだけで専業主婦だとしても対等なんだっていう、