00:07
おはようございます。
ひく百日セラピー、第1044回をお送りします。
実はこれ、テイク2でして、朝のうちに一度ですね、撮っていたんですけれども、
なんかこう、なんか切れてしまった上に、今ひとつ今日が載ってないなっていうのを感じざるをえずに、
もう没にしたというか、失ってしまったんですね。
このスタンデフになってからですね、いろいろと間違うことがやっぱり多いですね。
しばらく慣れないとダメだなと。
こっちの方がどう考えても便利だと思うんだけど、ところどころやっぱりやり方が違うんで、
そこに慣れてないっていうか、アンカーだった時の方がはるかに分かりにくかったんですよ、実際には。
だけどそれにもう慣れちゃったんでね。
それで多分、そっちに慣れた分、この比較的常識的なスタンドFMの収録の方法にまだカチッとはまれてないんだと思いますね。
はい、お知らせです。
9月15日、約算せずに締め切りに間に合わせるタスク集と時間術というものの完結編をお送りしたいと思っておりますので、
こちらちょっと是非チェックしてやってください。
何をチェックすればいいんじゃっていうところあると思うんで、
ノートかな、やっぱり一番いいのは、
PTXとかでお知らせ言っているという方には見られると思うんですけれども、
お知らせをそもそもしないでどうやって申し込むんだみたいなノートを見ていただくとちょっと分かるんじゃないかと、
出版記念セミナー動画とのタイアップ企画みたいなのが僕が一人でタイアップしてるんで、
タイアップっていうのもおかしな話なんですけど、そういう感じですね。
これで僕がお伝えしたいところはお伝えしきれると思っておりまして、
もうこれでお伝えできないものは、難しいんじゃないかな、自分じゃっていうね。
分かんないですけど、
年末に総決算やるんで、その時までにはまた少し温めておこうと思うんですけどね。
最近3WAYSというのをJ松崎さんとポドキャストで出していて、
彼と喋っていて、いろいろと考えがまとまってきてる面もあると思いますから、
そっちの方からちょっとも押していこうと思っておりますけれどもね、
まだ分かんないことはいっぱいありますんで、
伝えるという意味においてですね、分かってないことがいろいろあると思うので、
そこをうまく伝えられるといいんじゃないかなというふうに思っています。
いずれにしても、もういい加減、分かってきたこともいろいろ出てきてはいると思ってるんですよ。
03:11
タスクシュート使って仕事が進むその訳がですね、いろいろと分かってきてる気もするんだけど、
相変わらず、これがズバッと伝われば、今Jさんが頑張っていらっしゃるプロユーザー癒やすっていうのも
難しい話じゃないと思うんですよね。
というのは、結局仕事が進むということが本当になればですね、
月額1000円などという金額は本当になんてことはない感じがするんですね。
というのも、僕が比較的お金がない中でファン座とかね、
ああいうのを見るのも仕事が進んでないことと常に関係がある。
そしてそれはやっぱり月1000円じゃ済まないなって感じなんですよね。
まあ安い時は月1000円ぐらいで無理矢理済ますんだけど、
本当に300円の3本ぐらいで済ますんですけども、
いやでもやっぱりもっとかかっちゃうよねっていう、それだって900円かかってるわけですよ。
一時ナルシシズムの乱用っていう言葉が松木さんの本の中にあって、
僕はこの言葉いいなっていつも思ってるんですけど、
無関係になんて出てこないんですよ、やっぱり。
私の場合は罪悪感なんですけど、
この罪悪感ってやつはですね、非常に面白い機能を持ってて、
人間ってのは本当すごい、他の動物もそうなのかもしれませんけど、
人間ってのは本当すごい動物で、
例えば母親が私に罪悪感を抱かせる機能ってのは、
さすがにもう機能しなくなりつつありますけど、
本当幼い頃はきちっと機能していてですね、
なんていうのかな、例えば、
勉強しなきゃいけないのに、中間テストが待ってるのにゲームやってたりすると、
その行動に歯止めがかかるんですよね。
すごいことだと思いません?
別に電撃ショックとか受けてるわけじゃないんですよ、私は。
なのに歯止めがかかる。
なんかこう、たとえゲームをしていても罪悪感を感じる。
これって結局、母親が私をコントロールできてるってことになるわけですよ。
考えられないことだなって後から考えるとね、不思議だなって思うんですよ。
こんなものは所詮記憶であってね。
バレないようにやる方法はいくらでもあるわけで、
でもそこに歯止めがかかるというこのからくりに僕は、
感心させられずにはいられないんですよね。
なんかこう、よくこれを呪いって言ったりするんだけど、
呪いは言い得て妙だと思うんですけど、
オカルトすぎてダメだなと思うんですよ。
現実に機能している以上、やっぱりこれはオカルトなんかではないんですよね。
機能させられてるってところが、
ラジコンの十字キーでラジコンをコントロールできるのって、
06:00
子供の頃には全然不思議なことは何もないけど、やっぱ不思議じゃないですか。
あれを人間に適応できてるわけですよ。
罪悪感なんてものを使ってですね。
今でも僕はやっぱり仕事がはかどらないときは、
絶対に罪悪感が絡んでるわけですよ。
私の仕事の手をとどめるわ。
罪悪感によって。
例えば、対外の人が得意としない税務処理ってやつもですね、
結局あれはなぜ手が止まりやすいかというと、
確信が持てないからなんですね。
これをやってしまうと、
こういうのを例えば非課税対象にしようとすると、
誰かが怒るんじゃないかって思ってるわけですよ。
子供っぽいですよね、この感覚はすごく。
怒るわけないんですよ。
跳ねつけるだけであって。
跳ねつけられることと怒られることが混同されるというのは、
やっぱりこれを対抗というのは微妙な気がしますね。
やっぱり何かこう幼くなっている感じがする。
対抗という言葉を使っておけば、
また楽なんですけどね。
でも幼くなってはいないんで。
幼いのは僕の情緒の幼さが出てるだけなんで。
その時にやっぱ母親に怒られた時の幼児のこの深刻な気分。
これにやっぱり私は歯止めがかけられている。
この歯止めがいいんだって人は思っちゃうんだけど、
この歯止めには副作用がでかくて、
僕はもういいとはとても言えないんですよね。
この歯止めがかかった時に、
僕は母親に対して恥ずかしいという気持ちが芽生える。
現に母親は私を恥ずかしめましたから。
お前のやったことは恥ずかしいことだぞっていう責め方を彼女はしましたから。
だから私はその時に逆襲の気持ちが出て、
母親を恥ずかしめたくなるわけですよ。
だからファンザ見るんですよ。
めちゃくちゃ誤理的なわけですよね、これがね。
そういうマザコン嫌だからっていうのを世間の女性が言うっていうのは、
僕は筋が違うっていうか思うんですよ。
これでファニフにふどいたらそう言われてもしゃあないと思うんですけど、
これが私の良くない点として、
世の中に責められる筋合いではないと思うんですよ。
ファンザが世の中から消えるべきだって話になってくると、
またそれも社会モデルだから別の話になってくるんだけど、
それに僕は頭から反対はしないですけれどもね、
この問題は私と母の問題なんですよ。
私と女性の問題じゃないんですよね。
だからそれを私が女性関係に持ち込まない間は、
私がとやかく言われる女性からにせよ誰からにせよね、
言われる話ではないと思うんですよ。
まして日本の男はマザコンみたいなの、あれは論外だと思うんですよね。
これは私と母の関係なんですね。
こういう課題が世の中の日本以外にはないっていうならまた別ですけど、
これをズバリと言い当ててるのがメラニー・クラインだったり、
09:01
ジーク・ムントフロイトだったりするってことは、
これと日本は関係ないんですよ。
そして現代社会とも関係ないんですね。
ポルノとも関係ないんですよ。
多少関係あるけれど、直接の引き金ではないんですよね。
これはこの直接の引き金を引いたのは母だというべきなんですよね。
男性社会だって言っても間違っちゃいませんよ。
間違っちゃいませんが、やっぱりこれを直接の引き金を僕について引いたのは母ですよ。
母が私を恥ずかめることができるというのは、
私がやっぱり1歳、0歳、2歳っていったところだな、3歳、4歳ももろんそうだし、
母はこの権力を乱用して、私が20歳になっても使えると思ってたんですけど、
使えっこないですよね。
20歳になった頃はもう全然、機能が少なくとも2%くらいまで落ちていて、
30歳になった頃にはほぼ全く機能しない。
だから別に、私は今母に対して思うところはないんだけれども、
こういうからくりがあったと。
だから未だに私は人に恥ずかしめられそうになるゆえに、
仕事を先送りするときにはハンザーを見たくなるわけで、
そのときに見たくなるものは寝取られ者とか、
それこそ療熟者とか、恥ずかしめるものばかりなんですよね。
私が恥ずかしめたいのは女性じゃなくて母親なんですよ。
ただこれに性欲が絡んでしまうんですね。
だからエディプスコンプレックスなんですよ。
私は母を恥ずかしめたいのでは本当はなくて、母に愛されたいわけですね。
母に愛されるというのが、性愛と息子として母親に愛されたいという欲望がごっちゃになるんですよ。
それってスキンシップが直結している時期の話であって、
一切時に戻してくれってことなんですよね。
私を恥ずかしめるぐらいなら一切時に戻してくれってことなんですよ。
2歳になったから恥ずかしめられちゃうわけですよ。
これはシンデレラの問題なわけですね。
シンデレラは掃除しろとか言われたくないわけですよ。
抱っこされていたいわけですね。
だから掃除すると言ってくるのは、これが実の母親としてはひどすぎる。
きっとお母さんに違いないというそういう物語なんです。
姉が私が、あれはシンデレラ女の子だけど男の子になってくると、
私をちゃんとファイレできないとか、おむつにおしっこしちゃうとかいうことで恥ずかしめないでくれと。
恥ずかしめるぐらいだったら、私はもう2歳になったり3歳になったりして成長するの嫌だから、
1歳とかの頃に戻してくれと。
あの頃のね、甘いおっぱいでミルクを満たされていたあの時期に戻してくれっていう主張なわけですよ。
覚えてないですけどね。
この甘いおっぱいっていうのはまさに性愛的でもあるじゃないですか。
性欲が芽生えてきた頃に、立ちかかった時に私がそういう仕打ちをされたという恨みに対して私が逆襲しているわけだから、
この感覚というものは対抗そのものになるわけですね。
昔は対Aと言ったりもしたんです。A字のAですね。
まさにこれは文字通りだなって思うんだけど、正しくないんですよ。
12:02
2歳時には1歳時に戻りたいという気持ちがあって当然じゃないですか。
2歳になった途端に1歳になった時の気分がゼロになるはずないから。
だからこれは、はい、退いているわけでは決してないんですね。
その時に、その時、今ここで芽生えている感情そのものがそこで問題になっているわけだから、
やっぱり私は同時多発的なものだと思うんですね。
決して戻っているわけじゃない気がする。
故にこの感覚というものが未だにOを引いていて、
私が確定申告の書類嫌だなと思うと漫座に手が伸びるという。
URLでFを打ち始めたくなるという。実際にはDMMですけどね。
この感覚は私にとっては、これは対抗と言われてもしゃあないかもしれないですけれども、
やっぱりそうじゃないと思うんですよね。やっぱり甘いミルクに戻っているに過ぎないと思うんですよ。
そして私が恥ずかしめられるぐらいなら母を恥ずかしめようというこの気持ち。
その時の母は今のようなおばあちゃんでは全然ないから、
ああいう酷く若く見える女の人ということになっていくんですね。
この時、さらに私は父親として性愛というものが出てくるので、母は娘扱いしてしまうんですよ。
だからロリータコンプレックスというものとマザーコンプレックスというものは混ざってくるんですね。
妙に年笠な感じがする、老眼という感じのする、投影する映像というものに、
私の性欲と性愛と幼児的対抗の気分と処罰感情は全て乗っかるということができる。
ただしその場合の乗っかり方は非常に細いものなので、細いですよね。
今言ったようなものっていちいち全部矛盾するじゃないですか。
矛盾しないように矛盾しないように投影像を形成していくと、極めて奇妙なものが出来上がりますよね。
母親であり、娘でもあり、若くもあり、自分より年上でもあり、遥かにね。
そして自分より弱々しいようでありながら、自分より自分に対する強さを持っているっていう人を探し出すのは非常に難しい。
事実上そのような存在は現実的な人間とはとても言えない。
だからこれはジョージ・バーナード・ショーって人が言ってるんですけど、絵と音楽の化け物って呼んだんですよね。
非常に美しいかもしれないが、現実の人間とは到底言えない。
だから芸術家の描くような絵画と音楽の化け物っていうふうにジョージ・バーナード・ショーがある、
ロジョージームスの女性に言わせてるんですけど、そういうことは起こるわけですよ。
ただし今では絵と音楽の化け物は、つまりビジュアル的にも最高級、自分にとってってことですよ。
ビジュアル的にも最高の肉体を持っていて、音声的にも最も自分に望ましい声を出してくれる。
おそらく母親が一番いい声を出してくれたっていうことになるんだけど、そのような図をAI的に作り出すのは不可能ではないので、
15:08
芸術家の力を借りなくても、あるいはそれが芸術ということになるのかもしれないですけれどもね。
その辺のことはラマ・チャンドランという人が、脳の中の幽霊って本の冒頭で書いてますよね。
それはくちばしなんですよ。結局これは幼児と母親なんですよ。
くちばしってのは餌をくれるくちばしの話をしてるわけですよね。
もしすごく知性が進んだ鴨の橋だったかな。
要するにくちばしから口移しで雛鳥に餌をくれる。まさにそうですよね。キスですよね。
キスが餌をくれることにもつながる。フィーリングとキスがセットになってる。
完全にラマ・チャンドランが言ってるのも、実はフロイトが言ってることと変わらないんですよね。この点についてはね。
そういう鴨の橋がものすごく知性が発達して美術館を作るほどになったならば、
必ずその美術館に描いてあるくちばしは非常に抽象化されたくちばしで、
もはやくちばしだかなんだかわかんないんだけど、最も幼児的な気持ちを満足させて、
黄色くてこの鴨の橋にとって大事な三本線が強調されているような絵になるはずである。
ラマ・チャンドランは絶対私正しいと思うんですよ。だからそういうルノワールとか描く絵は、
そういう豊満な女性の肉体が非常に著しく強調されている絵になってるじゃないですか。
で、それをルーブル美術館とかに飾ってるじゃないですか。
全くそういうことが起きるはずだっていうのは、別に驚くようなことでは確かにないですよね。
脳科学者がそういうことを言って、精神分析の師匠がそういうことを言って、
これもごく当たり前ですよね。これをどんどんどんどん抽象化していくと、
なんだかよくわかんないんだけどこの絵は素晴らしいってことが起きる。
脳がそういうものに反応するってことですよね。
長くなりましたけれどもね、まあそういう話です。
そういう話が私はタスクシュートの中に生きていると思っているので、この話を15日にしたいと思っています。
まあ興味がある人とか、100人単位でいる話だとは僕も思いません。
でもこれが私は自分の仕事を滞らせる最大の根源になっていて、
そしてそれは悪いことではないと思っているんですよ。
母親が好きだとか、母親に愛されたいというのは別に悪いことじゃないと思うかと思うんですよね。
ただそればっかりやっていると仕事は進みませんからね。
だから仕事を進めるために必要なものは、言うならそういうことだと思うんですよね。
言うならこれに対する自覚をどれほどはっきり持てるかにかかってくるだろうと思っています。
絶対これ、私はこれでゼーム処理も原稿も100日チャレンジのコメントであれなんであれですね。
手がFに伸びたとしてもすぐに戻ってこれるようになったんですよ。
18:01
すぐに戻ってこれないこともあるんだけど、その時には罪悪感が強いというだけなんですよ。
あるいは羞恥心が強いというだけ。
羞恥心という、罪悪感もそうなんだけど、キーワードはとても大事です。
恥ずかしいという気持ちのために仕事が進まなくなるというのはしょっちゅうあります。
先日、和原きなさんという方がお話になっていらっしゃいました。
そのものズバリだったんで僕は驚きました。
この話もぜひさせていただきたいと思うんですけど、非常にびっくりでしたね。
当日忘れていたら誰か、これを聞いている人が質問していただけるととてもありがたいです。
さすがにこの話はいつまでも続けてられないんで、915はよろしくお願いします。
以上です。
この話では本題に入りたいんですけど、もっとこの話を進めたような話になりますけど、
欲打つの精神分析的アプローチという、中古で7700円もする本体定価3780円の本がありまして、
これは松木邦博さんと、なんて読むんだろう、角博光さんなのかな。
ちゃんと読めないといけないと思うんですけどね。
でも、加賀の賀に来るっていう字なんですよね。
だから角とは読めると思うんだけど、悪いわな。角ですね、角博光さん。
多分これも有名な先生、有名なのか有名でないのかわかりませんけど、先生がいらっしゃってて。
僕のところに今後出版さんの本ばっかりで、なんか今後出版さんにすごい貢献してるようでいて、古本も多いんですよね。
絶版になっちゃってるんでね。だから7700円もするんだけど。
道楽としては高いお値段だなって思いますね。ある意味道楽ですからね、これね。
この本の中で僕、なんでか思い込みがあったんですよ。
欲打つの精神分析的アプローチ。画像を出すとわかるんですけど、このシリーズね、みたいに。
わかる方にはわかる。精神分析臨床シリーズってやつの一冊なんですけど。
これずっと欲しくて買ったんで、早速読んでみてるんですけど、
1つこれのシリーズについての誤解があって、ここで取り扱われている臨床例は、基本神経小水準だと僕思い込んでたんですね。
ところが、ずっと読んでて神経小水準が確かに多いんだけど、
治療の実際のですね、どの症もすごい面白かったんですけどね。
Hさんっていうのが出てくる第6症の相打つ病における同一化の抗体っていう、
非常にこう、視点によってはすごく興味深い物仕事の話なんですけど、
中川慎一郎さんって方の論文らしいんですけどね。
この症例がどこをどう読んでも精神病水準なんですよ。
あれ?おかしくない?とか思ってたんだけど、考えてみると相打つ病って書いてあるんだから、当然精神病水準なんですよね。
21:00
で、何が精神病水準かってやりとりがもう全然意味わかんないわけですよ。
なのに面白いのかって言われると面白いんですけどね。Hさんの例は。
非常に何言ってんだかわからんっていう話がずっと出てきていて、つまりこれはですね、精神病水準の話だからわからんわけですよ。
神経症水準のお話はわかるようでわからないなってあって、わかるような気がするんですね。
でも精神病水準はわからないようでわからないから全然わからないわけですよ。
ものすごく興味深い話なんですけれども、わからないですね。
で、私最近わかったんですけど、何がわかったかっていうと、この税務でも何でもいいんですけど、先に進みにくいなって思った仕事があって、これは仕事が嫌ではないんですよ。
もう周知心外なのは100%明らかなんですよ、私の場合。
だから必ず恥ずかしい系のものを見に行けば、見に行くことになっちゃうんですよね、仕事が本当に嫌だった場合。
でも私はだったらば、この精神病水準の臨床例も絶対同じ効果を発揮するはずだって思ったんですよ。
で、精神病水準、神経症水準じゃなくて、精神病水準の話を読めば絶対同じ効果出るはずだって思ったんですよ。
時間かかるかもしれないけど、でもファンザンの方が時間短く切り上げられるって保証ないから、時間かかるかもしれないってのはおかしいと思って。
で、最近臨床例読んでるんですけど、間違いなく効果絶大なんですよ。
必ず、しかも仕事に良い効果を及ぼすのはこっちなんですよ。
この話どうやって9月15日にしようかと思ってるんですけどね。
神経症水準じゃダメっていう意味じゃないんですけど、精神病水準の方がはるかに効果大なんですよね。
で、例えばなんですけど、これ何言ってるのかわけわかんないかもしれませんが、この話はファンザン見る話と同一線上に僕の中でありますからね、間違いなく。
だってですよ、私はこの時精神病状態に入っているわけで、だから僕は対抗って言いたくないんですよ。
僕は精神病活性化状態と言いたいんですよ、自分の状態を。
母を恥ずかしめてやりたいという気持ちって精神病状態なんですよ。
どうしてかっていうと、判定もいいんだろう、これは。
同じなんですよ、精神病の人が怒ってることとか落ち込んでる理由って、結局。
これは幼児的状態で、幼児ってやっぱり恥ずかしめちゃダメなんですよね。
そういう意味で母のやったことには若干問題がある。
まあそんなことは別にいいですけど、私の母が私にやったこととしてはOK。
OKだけど、なぜなら今分析できてるからOKなんだけど。
本当はやっちゃいけないことだと思う。
でもやっちゃいますけどね、親は多少ね。
僕も娘にやったことが全然ないとは言わない。
24:00
なんていうのかな、子供ってねやっぱり深刻に答える。
深刻だから、しゃあないんですけど、深刻にことを捉えるよねっていうのはありますよね。
だからですね、こういうことが起きたであろうことをどうやって現実界は取り扱ってくれるのかに対するある種の信頼なんですよ。
これはいけないんですよって。
こういう心は痛んだら、やっぱり癒してあげなきゃダメなんですよっていうことが本に書いてあるってことが救いになるわけですよ。
結局僕は救われたくてファンザ見てるんですよ。
ただあれは救われてないからはっきり言ってあれでは。
だからあれよりもこれの方が遥かに効果がでかいのは当然なんですね。
僕にとっての結局それはトラウマになってるってことなんですよ。
だからしばしばポルノみたいなものは麻薬的倒作効果っていうような言い方を臨床の本ではしてるんだけれども、それは全く正しいと思うんですよね。
麻薬的な倒作効果なんですよあれは。
結局あれはお母さんの心を入れ替えさせようと思って、ある意味なんて言えばいいのかな、結局SMの世界なんですね。
お母さんが心を入れ替えるっていうことが、例えば税理士の人が心を入れ替えるとか、税務署の人が心を入れ替えるとか、そういうことに倒作的に僕が期待しちゃっているわけですよ。
なぜなら私のことを恥ずかしめるからさ。
だからこういうことを仕事の場でも絶対しちゃダメだってことなんですよ。
仕事ができないとか、どっかに書き間違えたとか、そういうことでも恥ずかしい思いをしちゃってるわけですよ。
当事者は。
なのにそこに追い討ちをかけて、傷口に塩塗るような真似をすると、それをやった人は悪いお母さんなり悪いお父さんなりが投影されて、こいつ絶対、あの、ただではおかないみたいな。
その時の復讐心っていうのは明らかに動向してしまうんで。
あの、ちょっと謝らせるとかで、現実は済まされますけど多くの場合。
でもいかにこの精神病水準の人のこの恨みの。
あの、だからいきなりハイルヒットラーとか言い出すわけですよ。
ヒットラー万歳みたいなことを。
なぜかっていうと、いやお前らもう全員強制収容所に入れてやるからなってノリなんですよ。
この恨まれ方って何でもいいのかな。
あの、ま、これは、なんつーか、バランス感覚は著しくおかしいんですけれども。
おかしいんですけれども。
ここまで恨まれたくなければ、人の書き損じとかに対して一言も発するべきではないなって私は思いますね。
ある意味、倉園さんのやっぱりグッドバイオスは正しいなと思うんですよ。
怒りとか攻撃を向けるってのがどれほど割に合わないことかってのを。
この精神病水準の人の怒りを読んでるとわかるんですよ。
普通の人はこれ隠すし、意識しないから、どれほど相手が怒ってるかに気づかないから、いやちょっと困りますよとか言っちゃうじゃないですか。
27:08
僕はでもこの本繰り返し繰り返し読むようになってから、もう絶対言わないようになってきました最近は本当に。
例えばレジとかですっごいミスするとか、えらいモタモタするとか、つい言わないにせよ態度に出そうぐらいに態度に出しちゃうじゃないですか。
そこはもうなるべく出しませんね。出ちゃってるってのはしょうがないとしても本当なるべく出しませんよね。
だってそんなミス知らずの人にその程度の5秒とか10秒とか長くてもせいぜい3秒。
僕だから昔ですね、駅でなんかすっごい新人の人がモタモタしていて、40分ぐらいロスしたってことがあったんですよ。
その時にうちの奥さん、うちの奥さんそういう時にちょっとカリカリしちゃう方なの。
方でもないんだけど、私がすごく応用にしていたのに対して怒ってたんですよ後でね。
ああいう時にもっと言わないと早くしてくんないからって言いながらもううちの奥さんが、でもちょっと感心させられるわと言われたんですよ。
どうしてそんなに寛容でいられるの。私無理だからやっぱ感心させられるわって言われたんですよ。忍耐強いよねと。
そうじゃないんですよ僕にはすると。すごく損臭いと思うんですよ。相手ブチ切れたらどうすんだってやっぱり思うんですよね。
ブチ切れる権利とかは関係なく、人はブチ切れる可能性がやっぱり僕は感じるんですよ。精神病水準っていうのは人はすべての人が持ってるって僕は過程で生きているので。
でもやっちゃうっすよ私でもやっぱりね。攻めちゃいけない人を攻めちゃう。それはやってしまうんだけど、こういう本読んでいるとですね。
やっぱこれはあの割に合わないんだなっていうね。やっぱりこう書いてあるんですよ。
Hは必殺への鬱憤を一気に爆発。必殺、治療者ですよ。
きっとら万歳と叫ぶなり狂ったように、連合軍によって人体解剖が行われたことや、近代兵器の開発が間に合っていれば、
ナチが連合国との戦いに勝利していたことや、日本軍の神風特攻隊はナチの近代兵器に比べれば呪縛テロのようなものだと、
くどくどと膜仕立てた。で、言いつつもこのHさんは激しい興奮が収まると先生が狂って暴れ出すのではないかと心配していました。
つまりですね、このよく昔倉園さんが、昔ではなく今もなんだけど、
グッドワイブスの中で、同害報復のことをおっしゃってるんですけど、罪悪感を持つとHさんみたいな、
この騒鬱の人って罪悪感をまず持ってるんですね。そうするとちょっとした罪悪感がすごい強いから、
昔多分このHさんの場合はお父さんがブシ切れちゃうんですよ。ものすごく切れるみたいな感じなんですね。
30:04
だけどそれはよくないんだけれども、お母さんがいきなり装的に切れちゃうっていうことが時々あったらしい。
でもそれもお母さんが切れるのが良くないじゃなくて、お母さんは普段お父さんがあまりにも凶悪的だからめっちゃ我慢してるわけですよ。
このHさんのご両親というかそういう関係なんですね。古い時代ですから。
お母さんが我慢して我慢して我慢していて、その時はもうほとんど欲打つ状態になってるんだけど、
あまりにもお父さんの強権がひどいというか我慢の時間が長いから急に争点してそれを争点って言うんですよね。
要するに逆切れするわけですよ。
そしてワーッとなった時にお父さんがグーッと押されるんだけど、やっぱりお父さんが今度それに対して争点してめちゃくちゃ怒ると。
によってお母さんはまた首を落とされたようだっていう風にHさんっていう人は言うんだけども、
この繰り返しがある中でHさんは罪悪感を貯めていくわけですね。
こういう事態を自分が招くことってあるじゃないですか、子供はどうしたって。
招いてないんだけど本当は。
でも自分のせいなのかもしれないと思う瞬間ってありますよね。
よくこう毒親論者でこの辺出てくるんだけど、そうではないんですよね、これは。
ただそうやっているうちにやっぱりHさんはこのお父さんが最終的にガッとやって黙らせることができたっていうのでスッキリしちゃうわけですよ。
どうしても事態を収集したいという気持ちがあるから、このお父さんの猛烈な長時間の怒りっていうのは最終的に有効なんだという風にそこの部分を取り込んじゃうわけですよね。
これがこのHさんの課題として出てくるわけですよ。
どうしてもイライラっていうのが募った時にドーンと爆発させて、わけわかんないことでもなんでもいいからお父さんそっくりに撒き立てて、めちゃくちゃ周りの人攻撃しまくるとみんなが落ち着くと。
だけどそれはみんなを無理やり落ち着かせているような無茶苦茶な論理なんで、さっきのヒットラー万歳みたいな論理なんで論理になってないんで、撒き立てて黙らせてるだけなんで、相手がいつ反撃してくるかと気が気じゃないわけですよ。
それだけに攻撃して攻撃して攻撃してっていう状態になってしまうわけですね。これが精神病状態っていうやつなわけですね。
これをずっとHさんはあらゆる人に対してやり続けていたもんだから、何が現実で何が正気なのかがよくわからなくなってしまうわけですね。あらゆる人に対してこれをやっているから。
だから先生が狂って暴れだすのではないかと心配していましたとなるんだけど、これは正気なのか狂気なのかっていう意味がないわけですよ。
もう自分が撒き立てすぎて相手の人が本当はどう思っているのかわからなくなっている疑心暗鬼のど真ん中で生きている人にとっては、自分がもう何て言うんですかね。
やむを得ず狂気になっているのか、それとも意識的に狂気になっているのか、それが多分ですね。
33:04
多分ですね、沢層していってよくわからない状態になっている。それがこの人にとっての相鬱という問題になってるんでしょう。
こうやってわーっとやった後あまりにも恐ろしくなって、シュンとなってなんとなく正気になった時には欲鬱がやってくる。だから鬱になっちゃうわけですよね。
正気の時は鬱だし、だからすごい嫌じゃないですか。ずーっと鬱々として正気でいるのはもう耐えがたいから。
とりあえずもう何でもいいから、周囲をどういう話でもいいからガーッと言って攻撃していって、怒りまくることによって周りを少なくとも静かにはさせることができるという状態ですよね。
だからこういう人にとってはやっぱり治療者の人に対してもですね、異性よく言ってしまったことに対してこの治療者はきっと苦々しい思いを抱いているに違い、ここは正気ですよね。
だから欲鬱的になっていく。その理由でしか正気に戻れないわけですよね。正気に戻った時は周りの人はみんな嫌な思いをしているに違いないっていう形でしか正気に戻れないっていうことがあるわけですよ。
だから言っていることが常にですね、いろんな意味で病棟での人間関係がズタズタに引き裂かれ、病棟生活が味気のないものになって病棟での流れに全く乗れなくなりましたみたいな、これは正気の訴えなんだけどすごく残念な状態ですよね。
でも一旦この残念な状態でみんなが自分のことを白い目で見ていると思い続けることには耐えられなくなってしまうので、いきなり争点する。気分が高揚して言うことが尻滅裂になっていくっていうのの繰り返しなんですよね。
これに対する治療者の答えっていうのが、いつもいつも独特で、結局相手に合わせるようなことを言いながら正気の態度を取り続けるってことができているわけですよね。すごい不思議な感じのやり取りになるわけですよ。
例えばHさんっていう人が、「自分は核戦争のような両親の結婚生活の結果、やけの腹をさまぬ戦争小児になった。」って言うんですよね。これはもう、なんて言うんだろう。ほとんど正気とは言い難いセリフですよね。普通の人、これ突然言われてもよくわかんないですよね。
でもこれは正気なんですよ。お父さんとお母さんの結婚生活はほとんど核戦争だったっていうのは、子供心から見るとやっぱり正気なんです。しかもこれは子供心から見てますよね。こういう意味で私がファン座に行っているときの感覚と実は似てるんですよ。
この状態というものをきちんと取り扱ってくれる人が社会の中にいるって思えることが大事なんですよ。そのために僕これ読んでるんですね。だから自分としては、Hさんのセリフですね。
36:03
いぼ兄弟を自分と同じ惨事に合わせたくないので、つまり結婚生活の核戦争の中に置きたくないから。父親の新しい家庭を破壊するつもりはないし、生母のことは誰にも言わず墓場まで持っていくつもりですと語った。
この語りは非常に正気だし、思いやりに満ちているようでもあるんだけど、治療者はそれだけとは取らないんですね。Hさんは離れ小島に一人取り残されて、すごいじゃないですかこれ。相手に話合わせてますよね。
Hさんは離れ小島に一人は取り残されて、非常に上苦しんでいるが、核爆弾のようなその激しい欲求不満に火がつくと、私との治療的な関係のみならずHさん自身をも破滅させる恐れがあるので、それを良くしさせるために私と治療的な関係を築こうとしていると解釈した。
これは私やっぱりすごいなって思うんですよ。相手に話を合わせておきながら治療者としての発言を取ってるから正気なんですよね。だからこれ解釈なんですよ。僕はこの解釈というのが治療になるってところがやっぱり精神分析って偉いなーって思うんですよね。つくづく言ってることはこのやりとりを旗で聞いてたら完全に強靭同士のやりとりなんだけど、かたや正気なんですよね。
相手を正気の位置に置こうとしているからこういうセリフになるわけですね。
結局のところこの話ってHさんは確かに正気だし思いやりにも満ちてるし欲打的でもあって立派なんだけど、でもある意味傲慢なことを言ってるわけですよ。
だから結局自分は核戦争のような家庭生活を送っていると。だから自分としてはそういう目に異母兄弟を合わせたくないから、父親再婚したからですね。父親の結婚生活を壊さないように気をつけたいと言ってることは立派なんだけれども、そんなことにはあなた耐えられないでしょうと治療者は言ってるわけですよね。
だからHさんは離れ小島に一人取り残されて愛情に飢えて苦しんでると。苦しんでるからあなたは核爆弾みたいなその欲求不満に火がつくと爆発してここの治療関係も病棟での入院生活もぶち壊しにしようとしちゃうじゃないですかっていうふうに言ってるわけですよね。
それをHさんの言葉を使うことによって伝えてるわけですよ。あなたは言うほど立派なその態度の振る舞いで生きていこうとするといずれ欲求不満に火がついて爆発して結局父親なり治療関係なりをぶち壊しにしてしまうんですよっていうことを伝えてるわけですよね。これやっぱすごいなって感じがするんですよ。
Hさんの言葉を使うことでHさんの世界に乗っかることでこれはなんて言うんですかね。あなたそんなに耐えられませんよねって言ったら多分めちゃくちゃ傷つくじゃないですか。たちまち爆発するじゃないですか。だからこういう言い回しを取ることによって爆発しないようにしつつでもあなたそれをやろうとすると爆発しますよっていうことは言ってるわけですよね。
39:10
だからつまりHさんの気持ちを代弁する。それもHさんの言葉遣いを利用することで代弁することに精をやりつつも、実際にはHさんがやろうとしていることは少々無謀だという話も伝えてる。これが難しいんですよ。僕が思うに。大抵無理なんですよ。だから僕らは反座に走っちゃうわけですよ。
あの世界だったらば、そういう私には税務申告で書き間違いをした時に母親に責められるというあの気持ちになることには耐えられませんという現実には直面したくありませんから。
母親のおっぱいを吸っていて、そしてかつ母親のおっぱいを吸うということが母親に対する恥ずかしめになるような復讐心を満たすという気持ちで現実逃避をしたいんですというのをそのまんま受け止めてくれるわけですよ。反座はね。
でもそのまんま受け止めてくれるんだけどそれは非現実なので、いずれ現実のもう1回税務処理に戻んなきゃなんなくなるわけですよ。これを直面化と言ったり、欲打つ的なものが戻ってくる。考えられない考えは宙に漂うんだけれども、いずれあなたはそれについてもう1回ちゃんと考えなきゃならない日がやってくると一番嫌なことなわけですね。
これが私が元気で正気の時ならば別にどうってことはないんだけれども、これを奥さんと喧嘩するなり、娘の成績が良くなかったということについて奥さんに私が責められるなり、理不尽な目に遭うということが起きた上に家族関係もどんよりしたものになって、そういう日に得意としない確定申告の書類に書こうとして、
その時にちょうど奥さんが買い直した新しい電気製品は、これは税が通るんだろうか通らないんだろうかについて頭を悩ませるということがですね、いかに私が気が乗らなくなるかっていうことについて、この核戦争みたいな話が書いておいてくれてるわけですよ、私から見るとね。
これがこれの僕がする、聞くでもいいですが、百日セラピーの効果として目指している方向性なわけですね。だって奥様がそういう家電を買わなければ、私はそもそもお金儲けなくてもいいわけですよ。私がお金儲けなくても良くなれば、私は確定申告のことなんかで頭悩ませなくてもいいわけですよ。
そうすると、つまり何を言いたいかというと、娘の成績が落ちるか上がるかなんて、娘の将来と関係ないと思っている私から見ると、ほぼどうでもいいことなんですよ。
だけれども娘の成績が落ちると、うちの奥様は、うちの奥様がお母さんに怒られた時の欲打つ的な気持ちを思い出してしまう。将来お前どうするんだって言われ散々多分攻撃されたりしたんでしょう。これも恥ずかしめの一種ですよね。
42:10
そういう目にあったという恥ずかしい気持ちを思い出させられてしまうから、いつも良い成績を取る娘でいてほしいという自己愛的な気持ちがあるわけですよね。
その自己愛的な対象に同一化しようとしている、それを跳ねつけてしまう娘の、例えば勉強しないとかね、そういうことによって耐えられなくなっていくその罪悪感を私に投げるわけですね。
お前がちゃんと勉強させないからだと、そういう仕事ばっかりしてね、というふうに投げかけられると私は罪悪感を持つわけですよ。奥様の罪悪感を私が持つ。
私は何を罪悪感として抱くかというと、仕事ばっかりしてちゃいけないのかと。そもそもでも仕事をしているのは誰のためだというんだっていう話になってくるわけですよ。
その時に節税とかも全部そうなんですよ。その台所の用品を買いたいという気持ちを満たすためには節税できればできるに越したことはなくて、すべてが繋がっていくわけ。
で、そういうところの罪悪感が繋がってくる。これを全部ぶちまけると何が起きるか。核戦争が起きるわけですよ。私の娘にとってね。
その時にこのHさんの話に繋がってくるわけですよ。結局のところこの核戦争状態。私に対する日頃の鬱憤に火がついて興奮状態になると。
そうすると、孤立無縁で見えざる敵と戦うよりも先生と同盟を結びたいみたいな表現になってみたりするわけですね。
そして核戦争のような両親の結婚生活の結果、やけの腹をさまよう、千歳古人になったというふうに、あなたの娘になるよっていうふうにこの本に私は言われているような日がするんですよね。
これ何とかしなきゃいけないよなと。だから結局核戦争をやらないように頑張りますねっていう気持ちに、これHさんになっている気持ちと私の気持ちは同じなんですよ。
だから自分としては自分と同じ三次に合わせたくないので父親の新しい家庭を破壊するつもりはないとか、かっこいいことを言ってるんだけどあなたそんなことには耐えられないですよねっていうふうにこの治療者は言ってるわけですね。
こういうことを読むというのが私にとっては非常に繰り返し繰り返し同じ話になってますけれども、
犯罪を見ているのの効果の良い部分みたいな感じ、理想的にこういうふうであってほしいという部分がようやく見つかりつつあるなっていうのが今ですよね。
だから私はですね、一時ナルシシズムを乱用するという人をとても責める気がしないですね。
何が苦手だっていうのは人によって違いますよね。確定申告なんか全然余裕だって人はいます。
でもそういう人でも何かが苦手だったり多々するんですよ。
その時に男性であればフォルノみたいなものに突っ走るというのは非常によくあることなんですよ。
なぜならばそこに自分が復讐したい感情というものを復讐できるような何かがきっちりと用意されているから。
45:10
それが発言こまちみたいなものであったりヤフー知恵袋みたいなものであったりする可能性は十分あるんですよ。
そこにはリベンジ感というものが豊富に用意されていたりしますから。
もともとそういう理由で用意されたものではないかもしれないし、
ここにくればあなたの幼少時代の残念感、無念を晴らしてくれる何かがありますよとは書いてませんけれども、
人は嗅覚でそれを嗅ぎつけることができますよね。
それとそういうことと全く実は同じようなことを精神分析というのはやってる方法論だと私は思うんですよ。
これは決して簡単なことだと僕は思わなくなったんですよ。
マインドフルネスで心を鎮めることができても、これを何て言えばいいんだろうな。
根源的に払拭するのはそれだけではなお十分じゃないと思います。
結局最終的には自分はそういうリベンジをする必要もなければ、
その弱々しく屈辱感を与えられたということによって傷つく存在でもないってことを、
瞑想みたいなもので見出していくしか最終的にはないんですよ、最終的にはね。
だから何て言えばいいんだろう。
最終的には自分はそれに対して復讐するだけの力もないし、
必要もないんだってところに行き着くことにはなるんです。
しかないと思うんですよね。
だいたい自分の親と自分の関係を今考えてみても、もはや屈辱を与えられた云々というの自体がナンセンスですから、
頭でそれを分かるのは簡単なことです。
で、それを心でも分かるためにやるのが、たぶん存在しているのの一つの方法論が瞑想ってことなんだろうと思いますね。
なんだけれども、即座にそこにまだ行き着けないんですよ。
我々瞑想始めないじゃないですか。
時々瞑想するかもしれないけど、たぶんそういうところの目的を達するまではなかなか至らないと思うんですね。
そして私がよく思うことはですね、
さっきの奥様との関係もそうでしたけれども、
私たちの置かれている状況っていうのは、
なんか新しい生き方ってものをクリエイトしていく必要性があるんですよ。
さっきのような話ってよくあった話じゃないですか。
誰が稼いでると思ってるんだみたいな話ね。
でもこれを言うのはもう古いって言われるようになりましたよね。
大概は共働きだからなんですけど、
うちのようにそうでない家であったとしても、
もうお金を稼ぐということがお父さんの特権を維持する理由にはならないんだっていう時代がやってきたじゃないですか。
ならないのでいいと私も思うんですよ。
でも理不尽さは残ります。
この時に私たちはですね、犯人、今までとは違うんだから、
もう家で働いているだけで専業主婦だとしても対等なんだっていう、
48:00
この抽象的な指針を示されるだけではもう十分じゃないって私は思うんですよ。
この指針が示された後で一秒一秒、
ライフをリアルに送っていかなきゃならないわけですよ。
で、これはね、いろんな意味でさっきも言ったように楽な話じゃないんですよね。
奥さんが理不尽なことを言うっていうのが、
それは良くないよねって言っただけでは進まない状況にあると僕は思うんですよ。
新しい生き方ってものを模索していかなきゃならない。
僕がいわゆる主婦に対する、
主人の夫って書く主婦っていうものをやるって言うんでも、
やっぱり解決にはならないと思うんですよね。
僕はもう少し自分だけで、そういう意味で昭和のお父さんみたいに、
一世帯分丸々稼げるっていうことをやんなきゃなんだって、
しかもそれでいながら全くそういうことをしないという人からの要求に対して、
なんて言えばいいんだろうな、
道外報復はしないっていうね、
PSポジションにはならないっていう、
核戦争は避けるっていう、
しかもそれを避けつつも抑鬱ポジションに入るってことになるんだけど、
しかし抑鬱的にはならないっていうルートを探り当てるなり、
作り出すなり、できるようにならなきゃダメだと思うんですよ。
これはやっぱり簡単なことだとは僕は思わないんですよね。
簡単にできるっていう話には乗れないって気がします。
これをやるためにはやっぱり自分としてのこの情緒的な抗体というか対抗というか、
あるいは精神病部分ってものが活性化されるっていうのはもう含みつつですね、
活性化されるんだと思っていて、
そしてこれが活性化されても、
要するにこう罪悪感の投げ合いというものを避けつつ、
しかも抑鬱というものにもはまり込まないっていう、
そういう結論に達することができないんだったら、
むしろ昭和のお父さんと別に何も変わらないんじゃないかって息すらしなくはないんですよ。