1. グッドモーニングボイス
  2. いつまでも寝ていたい?【GMV9..
2024-05-01 48:14

いつまでも寝ていたい?【GMV974】

本能的空想とはなんなのか?
00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
ついに5月になりましたね。5月1日、水曜日、朝7時31分です。
ちょっとずれましたが、別に大谷翔平を見ていたわけではない。
4月30日をもちまして、3ヶ月チャレンジの募集期間は締め切りとさせていただきます。
すでに述べた通りで、満員オンラインです。
これ非常にありがたいし、これから運営をさらにめっちゃ頑張らないとだなっていう、族っぽく言うとそういう状態でしてね。
やっぱりこれ、いろいろ思うんだけど、なんだかんだ最終的には自分で勉強するしかないなっていう部分もあって、
自分で勉強するんだけど、徐々に自分でやるわけではなくしていくという不思議な話になっていくんですけど、
今日はですね、この3ヶ月チャレンジの内実に関わる、しかもちょっと際どい話をしようと思っています。
際どいというのはつまりフロイト的に際どい、つまり性欲的に際どいって話ですね。
本当につくづく今の時代ってここがややこしくなってるなと思うんですよね。
話しにくくなっているし、書いたらもう炎上覚悟になっちゃうなと。
炎上しとけばいいんですけどね。
そうは言っても、むやみやたらにここで騒ぎをしたいわけじゃないので、
多分このポッドキャストなら喋っても大丈夫かなみたいなところがあるので、
分かりませんけどね、直ちに削除しろみたいなことを言われるかもしれないし、
別に削除しても全然結構なんだけど、
多分そんなに簡単に消す気にもなれないと思うんでね、
喋っていこうと思ってます。
これは僕は非常に大事なことだなって思うようになったんですけど、
うまくまとめられるかっていうと本当に滝に渡るんで、
しかもこうやって時間を無意に過ごしてるんで。
一応お知らせもしておきますね。
これからお知らせがいろんな形でまた続くと思うんですけれども、
5月何日だっけな、
ケンスーさんという古川健介さんという方だったと思うんですけれども、
本名の方と一緒にセミナータスクシュードジャーニーをするという予定です。
ちょっと有名人なんで、どういうつながりなんだよと驚かれるかと、
5月17日金曜日、夜に古川さんをお招き、ケンスーさんですね。
03:03
ケンスーさんの方がオリがいいと思います。
Twitterでかなり有名で、
アットケンスーで検索していただくとヒットすると思いますね。
物語志向という本がすごくヒット。
やっぱりタイトルいいですよね。
すぐ覚えられますもんね、物語志向っていうのはね。
そういうタイトルがやっぱり大事だなと。
よく考えるとどういう意味だっていう感じもするけど、
でも意味よりも先に記憶に残るっていうのがすごいなと思います。
私たちもそこを目指そうと。
作曲に出るも結構ね、タイトルは悪くないと思うんですけど、
なかなか物語志向ほどは売れているわけじゃないので、
これから頑張ろうと思っておる次第ですね。
ケンスーさんの話はいいと思うんですよ。
プロフィール見ていただければ有名な方だし、
アイコンもパッと見ると見たことあるぐらいに思う人が多いんじゃないかと思います。
5月17日よろしければというところです。
とりあえず今日のお知らせはこのぐらいでいいかなと思いますね。
もうさっさと本題に入りたいんで。
先にお知らせを絶対喋るという風にして、
その間に本題が頭の中で少しまとまってくるみたいな。
今日何話すかだいたい考えてなかったわけではないので、
井戸の話なんですけど、井戸です。
井戸はつまりSですね。
Sは何と訳すんですかね。Sはitですからね。
これでは訳したことにならないと思うんですよね。
かわいい俳優さん相変わらず面白いこと言ってて、
エゴがItにやられるっていうのは、わてはそれにやられまんねんって言えばいいっていう。
でもそれもなって感じがするんですよね。
いろいろあるんですが、やられないだろってまず第一に思うんですね。
代表的なものに食欲があるけど、食欲にやられるってどうよって。
性欲って言いたいんでしょうけど、別に性欲にやられないじゃないですか。
だからこれやられるケースもありますけどね。
あんまやられないと思うんですよ。
多くの人は別に特にね。
特に今みたいにそれがタブーでだんだんなくなってきた時代においては、
そんなにそんなにItをどう訳せばいいのか。
本能って言うんだけど、僕は同時に、
ひょろいと本能から人は隔てられているとかあっさり言っちゃってるんで、
隔てられてるならItは本能じゃないんじゃないのっていう感じがしますね。
私はどうしてもね。
そこで本能的空想とかいう言葉が出てくるわけですよね。
本能空想がいいですかね。ファンタジーの世界。
ありますよね。昔からありますよね。
女性で言えば白馬の王子様がやってくるみたいな。
これは性欲ですよね。
しかも非常にファンタジーになってる。
つまり本能的空想っていう言葉で、まあまあぴったりだな。
06:03
昔の時代って大変だったから、やっぱり食にもこういうのがあったと思うんですよね。
テーブルいっぱいのご馳走とか。
今もう本当にね、よほど状況が悪くない限り、
食べ物に一時ファンタジーを描かなくていいという意味では、
人類は恵まれてると思うんですよ。
ちょっとね、ちょっとでも日本でも余裕がある人だったら、
いやテーブルいっぱいのご馳走だったらバフェット行けばいいしみたいな、
そういうことがさらっと言えてしまうというね、
すごい時代に多分なっているんだと思うんですよね。
これは本能的空想の一つだと思いますね。
ふかふかのベッドで寝るとかあるじゃないですか。
ふかふかのベッドで寝ると肩とか腰痛めるんですけど、
これもまた本能的空想の一つだと思うんですよ。
で、なんでこういうものがいるかっていうか、
いやいやそれが欲望ってんでいいんじゃないのって言われれば、
一般的にはいいでしょう。
でもプロイト的には良くないわけですよ。
なぜか。なぜかというと、
我々はなぜそんな空想を考え出してしまうんだって、
この問題があるからですよね。
その空想いらないだろう。
例えば、うちの目高は、
いやお腹いっぱいのご馳走の夢を見ちゃってさって、
絶対ないわけですよ。そういう脳がないから。
我々はね、このことがよくわかってないって、
僕いつも思うんですよね。
なんで目高は食べたり寝たりしたりできるんだって、
思うかもしれないけど逆なんですよ。
目高に寄せればなんで人間は空想をしちゃってるんだって、
言うわけですよね。言わないけど。
つまり、空想なんかしてないで物を食えよって話なんですよ。
そうしないとお腹すいちゃうでしょっていうね。
非常にこれはね、僕は真っ当だと思うんですよね。
全生物ですよ。全生物が空想なんかせずに、
まっしぐらに食べ物に向かうのに、
人間だけクッションを置くんですよ、ここに。
空想というクッションを置いて、
いやあの、お腹いっぱいのテーブルに、
なんか素晴らしいご馳走があるとか、
そんなわけのわかんないことを言って、
他の動物の世界だったら、
食べ物がかすめ取られるみたいなことが起きる。
そういうリスクを経てまで、
意味不明な空想というものを入れてるわけですね。
脳がでっかくなっちゃったからね、しょうがないんですよね。
ここに空想というものが入ってきちゃうわけですよ。
入る余地があるってことですね。
だから、いきなり食べるってことができずに、
食べ物をまずイメージしてから食べるっていう、
この何の役にも実は立っているようで立っていない、
イメージってものがここに入ってきちゃうしまうわけですね。
これがいちいちいち我々を邪魔しているということを、
我々はですね、あんまり気づいてないんですよね。
役に立っているとでも思う。
寝る前に寝る空想をしない人いっぱいいると思いますよ。
寝落ちとかって言うじゃないですか。
僕も寝る前に寝る空想なんか絶対しませんね。
そんなものは邪魔でしかないと思う。
寝てないんですからね。寝る空想とかしたところで。
寝る空想してるうちに目が冴えてくるとかね。
本当に人間がやってることっていうのは知りめずれず、
普通の生物からすると、
09:00
何をやってるんだろうこの生き物はって感じしかしないと思うんです。
これ非常に性欲の話で僕は超重要だと思いますね。
性色の邪魔になりますから一歩間違うと。
ホログラフィーって完全にそういう世界じゃないですか。
あれで満足しようっていうふうに、
一般に男性文化ではありますけど、
これで満足しといたほうがいいみたいな。
これに女性も賛同するというふうに賛同はしないまでも、
少なくともそこら中で性欲バリバリになるよりは、
家でおとなしくポルノでも観といてくださいよっていうふうに
思われてる気がなくもないわけですよ。
これはですね、やっぱり全生物からすると脅威の倒作ですよね。
何がしたいんだお前らはって感じじゃないですか。
生殖しないと子孫残んないでしょみたいな。
でも人類ってそういう選択を選んでるわけですよね。
ここもコントロールしてしまおうみたいなね。
そしてよくわからない事態を引き起こす。
で、何でこの話が超重要かというと、
僕も最近すごくですね、やっぱり松木さんのこの話ね、
いつも喋ってて変なエクスキューズ入れてる気がするんだけど、
エクスキューズではないんですよ。
接触障害こそ僕らには、何にも接触のことはどうでもいいのに、
接触障害、接触神経症というのかな、
あのまあ、虚食神経症というのかな、食べないってやつね。
食べないっておかしいじゃないですか。
何なのその欲望って感じじゃないですか。
食べないはどう考えても一途ではない感じがしますよね。
食べるこそが一途ですよ。
食欲こそ一途ですよ。
虚食欲なんてありえないですよね。
えっとね、本当にチンパンジーの所行って、
ちょっとこの子虚食欲に悩んでるみたいな。
食べられないのよみたいな。
いや食わせろみたいな。
絶対そうなっちゃいますよね。
わかんないと思うんですよ。
他の生物にはこの食欲がわかないとか、
どんどん痩せ細って命に関わるとか、
何をやってるのか全然理解に苦しむみたいなね。
もしかすると霊長類の超賢い奴は、
本当に欲打つ気味になって食べられないっていうことがあるのかもしれないけど、
まあ一般にはね、爬虫類とかからするととんでもないことですよね。
絶対にありえないと思うんですよね。
過食ってのは、前も言いましたけど非常に変なわけですね。
食欲に過をつけるなって感じですよね。
過睡眠とか言わないと思うんですよ、本来的に。
性欲過剰とかね。
なぜ過剰言うみたいな感じがするわけですね。
そのあって当然の欲望があることに対して、
病気ですっていうことほどおかしなことはないってことですね。
そういうことを言ってると、過健康欲みたいなね。
健康になるという病気みたいな。
盗作じゃないですか、そんなことを言い出すのは。
完全にひっくり返ってるんで、
健康を支えている意図に対して過ぎているぞっていう、
その言い方を出来てしまう。
我々人という生き物ですね。
12:01
性欲というものに限らないんですけど、
まあだから、摂食を僕は考えたというか、読んでるわけですね。
なぜこれを読むかというと、
これやっぱり精神病水準というふうには思われない。
でも実は結構重症ですよね。
重篤なケースにおいては。
本読むとよく分かります。
いやこれ、なんかこう食べられない、
痩せたい神経症みたいに思ってるのはとんでもなくいいなってぐらい、
やっぱりことがややこしくなっているわけですね。
でも私はこのことそれ自体を問題にしてるわけじゃないんですよ。
これと先送りがまあまあ言ってますけど、
日常にそっくりだって思ってるだけなんですね。
だから私はこれを我々一般の、
一般という言い方はダメだな。
とにかく精神障害、一般を見ているカウンセリングの話に比べると、
ものすごく参考になる。
だから不登校と接触障害、もう神一重だなって感じがするんですよね。
そしてそのことがちゃんと書いてある本を読んだ方がいいなって思う。
なんか別々のものになっちゃっていない方がいいと思うんですよね。
登校のなんとかみたいな本と、
食べられないというなんとかみたいなのが別々になってしまっているよりは、
やっぱりどっちかでいいんだけど、
どっちかのタイトルでいいんだけど両方入ってきて、
だから学校行かれないとか会社行きたくないとかって普通にあるじゃないですか。
それとちょっとずれるけど食べられないっていうのは、
実はもうすごく接近しているっていうことさえ分かれば、
とりあえずいいのかなって感じがするんですよね。
そこからすると重度の精神病みたいなのは確かに、
たとえグラデーションだとしてもやや遠い。
そしてその話になってくるといよいよ専門的になっていくんで、
大事だと思うんだけれどもそっちに行かない方が話は分かりやすいなって感じが今します。
だから私は全ての人に勧める気はしないんだけど、
自粛障害の本って一般的に読まれた方がいいなっていう感じが。
ただそれを興味持てないとは思うんですよね。
興味持てないと思うんですよ。
でも興味持てるといいなみたいな、そういうものがあります。
これ3ヶ月チャレンジとどう絡むんだって話なんだけど、
3ヶ月チャレンジでこれをみんなで読むのも悪くはなくもなくもないぐらいには思う。
結局ここで基礎的な知識がいるっていうのと、
自分に関係ない、あるいは関係あるかもしれないけど、
関係が斜め上を行ってるみたいなそういうところで、
やっぱり最終的にはどうしたらいいんだろうってのはまだ、
さっき言ったお勉強中なそういうことの話ですね。
一つの答えにグループセッションがあるんですよ。
僕は3ヶ月チャレンジの、これ昨日ちょっと話したんですけど、
3ヶ月チャレンジの一番の目玉にグループセッションを置きたいなって思うようになったんですね。
15:05
しかもこのグループセッション、理想言うと私抜きっていうのがベスト、
理想だなって最近思うようになったんですよ。
だけどそれは無理なんで、立て付けとしてもおかしいので、
私はいるがほぼ発言しないっていうのがセカンドベストって感じかなっていう。
ここを最終的に目指しながら、皆さん参加するしないが、
心理的な理由で参加しないっていうことのない状態を一つの理想とする。
多分それが一定期間続けばですね、
この回の目的は達成されるのではないだろうかというのが最近思うところなんですね。
物理的な理由、つまりちょっと今日その日は会社があってとかは、
むしろ来ちゃダメな感じなんですよ、僕の感じではね。
だけど心理的な理由、この日は何にもなくて全く問題ないんだけど行けません、
みたいなことが起こり得ると思うんですね。
これが起こらないというか、そういうふうに最終的にはないという状態が達成できればいいと思うんですよ、私は。
これが3カ月チャレンジの最終的な理想形だなって思えるようになってきたんで、
来期からここ、3チャレのグループセッションあるよっていう、これに参加できるようになりましょうみたいな。
ちなみにAAみたいなんではないっていうのは言っておきたいんですよね。
あれはすっごいいいシステムだというか思うんですけど、巨大だし、
ああいうデカい会にはデカい会でしか得られない何かがあるんですよ。
我々のは小さな会なんですね、むしろ。
2桁には届かないほうがいいと思ってます。
あんなに深刻にはなっては困るって思ってます。
深刻になってもいいんだけど、ギャンブル依存とは違う。
僕はやっぱり依存とはちょっと違うと思うんですよね。
依存と接触はやっぱりちょっと違うなって思ったんですよ。
このちょっとの違いが意外に大事。
我々は依存にもちょっと依存的な神経症水準っていうのは、
僕らには非常に関係が深い。
だから私今すごい考えてるのは、
依存のことをもう少し勉強するのと、
接触のことをもう少し勉強するんですが、
接触も依存も別に直接関係ないと思っているぐらいがいいんですよ。
直接は関係ないと思うんですよね。
そしてそこに性欲というものがもう一つ、
すごく大事なファクターとしてあるんだというのを意識できればですね、
意識っていうのかな、十分認識できるようになれば、
我々成人の入院ではないメンタルの問題の人たちは、
なんとかいけるんじゃないか、これでっていう。
いけないにしても、これプラスカウセリングと、
18:03
ちょっとした一時的な内服みたいなもので、
いけるんじゃないかなって思えるようになってきたんですね。
それは医療の話なんで、
仕事術としてはもっとメンタルな方、いわゆるメンタルに寄せていけると思うんですね。
非常に際どいようなぐじゃぐじゃなような話になってるじゃないですか。
今のところこういう状態だってことですよ、僕の頭の中身はね。
全然生理がついてない。
この生理が全くついていないものをしゃべるというのが、
本当にこれの僕は今価値だと信じているので。
なぜなら世の中に出ているものは生理がついているものばっかりですからね。
すっごい整然と書かれてますよね、最近ブログとか。
ブログではない気があればもうしちゃうんで。
あんなに整然と書いてしまったらパンフレットになってしまう。
僕あれ読んでてですね、情報があるところから得ますよ。
でも面白いとはなかなか思えないんですよね。
書いてる人本当にある意味気の毒になってくるぐらい、
これって仕事になっちゃってるよなっていうか、
俗に言う仕事、good vibes的に言う仕事ではなくて、
本当にこう仕事になっちゃってるよなとしか言いようがない。
気の毒だなって思う。
余計なお世話ですけどね、完全にね。
私が言いたいのはですね、
本能から我々は隔てられているっていうのはやっぱり、
重く受け止めるべきだと思うんですよね。
重くっていうか真剣に考えるべき。
完全にそうだとは思わないけど、
本能で直接的に行動できないんですよね。
直接に行動が取れない。
ヘルマイヘッセが公家の狼で書いた通りなんですよ。
狼に言わせれば人間のやってることは意味不明だみたいな。
ああいうね、食いたいものがあればさっさと食えばいいだろう。
まさにそういうことなんですよ。
我々はそれができないわけです。
できないから何が起こるかというと空想を始めるんですけど、
ここのところで我々はですね、
井戸がないわけじゃないね。
でも井戸が何らかの形で非常に回り道を、
迂回をさせられてしまっているために、
井戸が強化されるタイミングにおいて、
つまり思春期においてなんだけれども、
あるいはいろんな井戸が強くなったり弱くなったりしている
タイミングにおいて非常に困った事態を引き起こす、
招く可能性があるわけですよ。
空想というのは多分に環境依存的なところがあるわけですよね、当然。
例えば食欲というものが本能由来のものであるならばですね、
どんな状態になっても食べようと頑張れると思うんです。
ところが本能と隔てられてしまったところに長寿が入ってくるので、
いやもう、植えるのがこんなに難しいなら、
食欲というものを減らそうみたいな、
そういうことが容易に起こり得るわけですよね。
21:00
食べるのは良くないことだってことにしちゃおうみたいな話が容易に起こるわけです。
ただこれは今の日本では起こりにくい。
でも起こりにくいとは言い切れないんでね、やっぱりね。
こういうことが可能になるっていうのは、
まさに我々が本能から隔てられている証拠です。
本能から直に本能にガチャンって繋がれていれば、
食べるのが難しかったろうがなんだろうが食べるべく、
最大限の努力を常に払うと思うんですよ。
そういうことを他の動物は明らかにしてるじゃないですか。
一日中食い物を探してますよね。
でもああいうことをやっているようでは文化は成り立たないですよね。
なかなか文明とかはおぼつかないですよね。
だから文明がおぼつくということはつまりそういうことなんですよね。
本能から隔てられているメリットっちゃメリットなんだと思うんですよ。
その分生きるのがめんどくさくなっていくっていうことですよね。
で、やっぱりこう、基本は生きるということと子孫を残すのは良いことだっていう、
この大前提を動かさないことなんだけれども、
まあ容易に動いちゃうわけですよ。
これって本能に直結していれば確実じゃないですか。
一般に言いますよね。人間以外の動物は自殺しないってあれですね。
あれがもうそれを意味していると思うんですよ。
本能に直結、直につながれているために、
どんなに生きることがつらいからといって、
そうそう簡単に抑圧になったりしないんですよね。
生きることは良いことだから。そこに疑問はない。
我々は生きることが良いことだという言葉を必要としちゃうわけですよね。
本能から間接的にしかつながれていないために、
生きることは良いことなんだっていう理念を前に置いてですね、
一生懸命すると解かなきゃいけない。
これも他の動物からすると、ああ?って感じがすると思うんですよ。
生きること以外の選択肢って何なの?みたいな感じしか、
多分しないと思うんですよね。
だからこの生きることに意味はあるんだろうかとかね、
そういうことを言い出すじゃないですか。
人生の価値とか給を得ると思って、
全部?って感じですよね、他の動物からして。
給を得る運動は関係ないだろうって感じがするんですよね、
彼らからすればね。
価値が高かどうか低かどうか、意味があろうがなかろうが、
それ一択でしょっていう風になってると思うんですよ。
多分そっちが圧倒的に健全だと思うんですよね。
ここを図ろうなんて、ありえないよねっていう感じがすると思うんです。
イドというものは強化されなければ我々の中ではまずいってことなんですよ。
強化されないということは強化されてきちゃうんだけど、
例えば思春期って何を意味するかっていうと、
イドが一つは非常に活性化されていく時期だと体がでかくなりますし、
いわゆる生殖器というものが発達するということになってくると、
強化されるわけですよね。
赤ちゃんの食欲に比べて18歳の男性食欲とかめちゃくちゃあるじゃないですか。
24:04
イドがどんどん強化されていくわけですね。
ここで厄介なことが起きる可能性があるわけですよ。
環境がそれにふだわしい状況になっていたりしないと、
つまりうまいこと刺激されないと、
我々本能を空想で考えるというわけのわからないことをやる生き物なので、
ここでどんな空想ができるかによって、
すごくイドの強化というものがいいものになったり、
畑迷惑なものになったりしかねないわけですよね。
現に思春期の人たちはみんな日本のある文化状況のおかげで
すっごい困ってますよね。
これは性欲の話じゃなくて睡眠の話ですね。
早く起きろとか宿題いっぱい出されるとか、
こういうですね、睡眠欲というものの、
睡眠欲が高まっていくわけですよ。身体でかくなっているので。
ところがそれに必死というか睡眠欲は違うか、
やや下がっていくんだな。身体でかくなるんだから。
だから本能的には睡眠欲が下がっていくんだけど、
文化的状況はもっと激しくこう睡眠をファージしてくるので、
越夜するとかね、そういうことがいいことのようにだんだんなっていってしまうわけですよね。
眠る時間を減らせば減らすほどいいみたいな。
これは本能空想が先行してるんですね。
例えば24時間起きてるとスーパーマンになれるみたいな、
そういう空想を始めてしまうと寝られなくなるとかいうことが、
現実に起きるわけですよ。
やっぱりこれも本能からの距離が広い、
人間ならではの事態だと思うんですね。
今の話を一段とややこしくするのが、
僕は一つは性欲だって思うんですね。
当然性欲は強くなってくるんだけれども、
それに適応した環境が果たして用意されているのかっていう、
適齢期の男女がそこにいるって話ではないですよ。
家族なんですよ、これは僕が思うに。
ここで今の時代一段とややこしくなってるなって、
こういう話がなかなかしにくいんですよ。
不思議なほどなんだなって僕は思うんですけどね。
特に接触障害に登場する女の子っていう、女の子ですからね、
女性ではないですからね。
非常に重要ですよね、ここはね。
ここでいちいちジェンダーの話をただただしていて、
もう何もならないんですよ。
女の子がいますと。
普通にですよ、女の子ですからね。
強調しておきますけど、ここは。
普通にそこに男性、大人の男性でその女の子が魅力を感じて、
しかもさほど問題が起きない。
父親以外は考えにくいですよね。
もちろん年の離れたお兄ちゃんとかいうケースありますから、
いくらでも例外はあります。
が、父親っていうのがやっぱり一番可能性として高いよね、
っていうのは言えると思うんですよ。
ここで緯度がどんどん強化されていくにもかかわらず、
父親が不在ですってなると何が起きるんだろう。
いろんなことが考えられますよね。
27:02
ただ、いや勢力強めてもなという風になる可能性はありますよね。
この場合何が起きるかというと、
僕が思うに一つやっぱり対抗が起きると思うんですよ。
これは精神分析の用語ですけど、
つまり成長がそこでストップするっていう方向にある程度向かうのが、
むしろメリットだっていう風に本人が考えても不思議はないと思うんですね。
しかも非常に面白いことに、これがですね、非常に面白いことにですよ。
文化的にという面もあるんでしょうけれども、
家族的に自立を意味しかねないっていう話になってくるんですよね。
これは非常に追いにくいですよね。
私も追いにくかったんですよ、この文脈は。
とっても追いにくかった。
どうしてお父さんがいない女の子にとっては、
成長が止まることがむしろ自立につながるんだろうっていう、
これは不思議だなって思ったんですよ。
でもですね、考えてみると、
自立というのは様々なものの意味しますけど、
一番のものがやっぱりですね、
私、家を建てるみたいな。
で、家を建てるのに結婚相手はいないってことになってくると、
目の前にお父さんがいないんで、
なんでいないのかっていうと、
例えば中国に出張行ってますとか、そういうことなんですよ。
これは非常に現実的な話なんですよ。
でも目の前に一家を支えてくれる、
一応魅力的に見えておかしくはないと思うんですよね、
その子にとっては。
魅力的な男性がいませんということになってくると、
周りにいるのは同世代の男の子ばっかりです。
これに期待できないだろうみたいな感じになったとき、
結構その女の子が活発だったり、
よく出てくるんですね。
クラスのリーダー的存在。
違う表現ないのかって思うんですけどね、
クラスのリーダーやってる程度で、
会社とか建てられないじゃないですか。
ここ非常に大事なところなんですよ。
背景にあるのは異動の強化なんですね。
本能欲動が強まってくる。
食欲と性欲が増してくる。
これは絶対普通の生物にとっては、
このままいくことが自立につながる。
でも人間の場合は必ずしもその限りではないわけですね。
周りに結構適当な男性も見当たらず、
しかもある文化的状況の中では、
私がむしろリーダーになって、
ここで男女平等の話が出てきちゃうんだけど、
ここはカットしたい。
ここで私はリーダーになるんだっていう、
それでいければいいと思うんですよ、全然ね。
お金も稼げると。
そしてお金を使わないと、むやみにね。
そのためには私の異動をコントロールしなければいけないってことになったときに、
自立ってものが出てくるんですよ。
これから自立しようと。
今まではこの万能なお母さんべったりだったけど、
私は一人でお母さんになろうと。
一人でお母さんになろうとね。
これがすごいんですよね。
私はお父さん兼お母さんであるっていう意味になってくるわけですよ。
30:01
これで自立を目指しているのに、
方向性としては対抗が始まるわけです。
不思議ですよね。
でも一方では自立していくわけです。
今まで万能だったお母さんというのは、
お父さんが不在だから万能なんですよ、お母さん。
家の中のことは一切お母さんが取り仕切ってます。
お父さんは中国にいます、みたいなね。
別にお父さんが悪いって意味じゃないですよ、これは。
でもお父さんは中国にいるわけですよ。
そうするとお母さんはお金の采配から、
家のことから、子供を甘えさせることまで、
お母さんが一切采配を取り仕切っておいて、
しかも完璧にやれているように子供の目には見えるわけですね。
万能なんですよ。
だから私も万能になろうっていうふうに考えたとき、
10歳に行くか行かないか、
総熟な女の子が、リーダー的存在な女の子が、
自立に向かう、そして万能感を得るということをしたとき、
何が起こるかなって考えたときの、
一つの答えが、食べないってことになるわけですね。
で、食べない。
食べないことが自立につながるのは赤ちゃんだけですよね。
ほら、おっぱいって言われたときに、
いやもういい、今お腹いっぱいだからみたいなこと言ってぐずるってことが、
一つの自立につながっていく、
つまり出されればいつでもミルク飲んじゃって、
後でゲーするとかいうのは、
まだまだ赤ちゃんの中でも初期赤ちゃんだわけですよ。
後期赤ちゃんになってくると、そういう分類ってあるけど、
後期赤ちゃんになってくると、ちゃんとそこで判断できる。
これは自立ですよね。
この自立的な判断が、そのまま巨食につながっていくわけですね。
お母さんから出されたものは食べない。
でも私は食べなくても、ほら、こんなに元気っていうね、
よく出てくるんですよ、巨食化活動って言うんですね。
そして痩せていく。
巨食してめちゃくちゃ活動すれば、それは痩せますよね。
でもそれも今の時代って面白いことに、
いいことみたいにされるじゃないですか。
例えば体脂肪率10%切ってるみたいなね。
そういう本もそういう子が読んだりしますからね。
早熟だったりすると。
行ってる方向はものすごく対抗気味なのに、
ほとんど2歳児ぐらいまで戻ってるのに、
方向性としては20歳ぐらいを目指すわけですよ。
こういう不思議な分裂が、
僕はでもやっぱり食欲の増進と性欲の増進と
自立心の増進っていうものに支えられて
進行していくっていう、
松木さんの本に書いてあるんだ、そういうことなんですね。
松木邦博さんかな。
の精神分析で、多分どのタイトルの中で、
この人の得意テーマはね、
著者は書ければ3冊も4冊も書いちゃうんで、
似たような本が何冊か出てくるんですけれども、
どれ読んでも似たような話が多分絶対出てくると思うんで、
興味がある方は読んでいただけるといいと思うんですけど、
この父親の不在、母親の万王冠、
子供が早熟で女の子である場合、
男の子の場合もあるんですけどね、
でもある意味似たり寄ったりなんですよ、結局。
33:00
男の子の場合も結局はその父親の不在で、
ちょっとそこまでリーダー的じゃないんだけれども、
やっぱり非常に対抗気味のところが、
性欲は当然増進しますね。
男の子の性欲という男の子ですからね、
非常に大事なポイント、男性ではないという。
今回はお父さんが不在の場合、当然その性欲は、
当然ではないけれども、
一般的にその性欲は母親に向かいますよね。
しかしここがですね、
あんまり僕は世の、
それこそ男女平等の話の中でも誤解されているし、
女性一般にも理解されていない気がするんだけど、
すごく自然な話だと思うんですよ。
男の子が9歳か10歳ぐらいで、
性欲が増進してきたとき、
女性に向かう欲望は、
普通にそのまま母親に向かってしまうんですよね。
つまり対抗が自然と起きるんですよ。
この点では女の子に比べても、
男の子はこの年頃は不利だなって思うんですよね。
目の前に母親がいて、この母親はあの母親と同じだ。
私におっぱいをくれたあの母親と同じだってことになってくると、
性欲なのか食欲なのかが分からなくなっちゃうと思うんですよ。
性欲なのか、
自分が安心を得たい欲気なのか。
だから男性よく言うじゃないですか、
安心感のある女性って、
あれ多分言われている女性はよく意味が分からないと思うんですけれども、
これは私が赤ちゃんになっていったときの、
お母さんになってほしいっていう意味なんですよ、情緒的には。
ここを、いやそれはキモいって話になって、
成熟した男性っていう話をされるんだけど、
この成熟した男性っていうのはね、
私がよく思う清潔感のある服とか言うのと全く同じで、
飛躍がはなはなしい、
それを言われて分かるはずがないっていう感じがするんですよ。
タスク管理の話にカコつけて言えばですね、
別にタスク管理の話にする必要はないんだけど、
プロジェクトXをしましょうというタスクを書いても
分かれないっていう話と似てるんですよね。
分かる人には一発で分かるんで、
プロジェクトXって書いてあったらその中で必要な
ネクストアクションやればいいんですよっていう、
ジェイン松崎さんみたいに、こなれた人ならそういうことが
さらっと出てくるんだけど、
そこで戸惑っちゃう人はプロジェクトX何したらいいか分かんないから
先送りするわみたいになるじゃないですか。
それと同じで、清潔感のある服言われてもさっぱり分かんないから
そもそも服買いに行かないわみたいになっちゃうわけですよ。
分かんない人には分かんない。
その話をされたからといって、
何かのアドバイスにはなってないっていうケースがあって、
そのうちの一つが成熟した男性はそんなことを望まない。
そうなのかもしれないけど、
望まなくなる方法を教えてくださいみたいになってしまうんですよね。
これは私たちの、
3ヶ月チャレンジとかでも頻繁に
36:01
いろんな形で出てくる。
つまりそれは分かったけどどうしたらいいのかが分からないってやつなんですよね。
これは分かってしまえば簡単なんだけど、
分からないときにそれを言われても困るという回の一つで、
つまり成熟している男性かどうかという話と、
未熟である状態に望む
固着というものは、
全く愛入れてないんだけど、
最終的にはそこを目指すべきなのは
当然なんですよ。
母親に向かっていてもしょうがないんだね、性欲が。
ところが、
9歳や10歳の頃には結局性欲というものはまだ強化されている最中であって、
それが何を目指しているのか本人には分かっていないわけですよね。
なんとなく女性というものを目指す。
あ、お母さんいたじゃんみたいにすぐなってしまう。
しかもそれは頭の中では拒否しているんだよ。
お母さんとくっついて気持ち悪いじゃんということになっているので、
自立に向かっていますからね。
お母さんは拒否しようと。
そうすると、心の中では赤ちゃんだった自分が
お母さんに向かったように性欲を使おうという
こういう発想になっていくんですよね。
本人はほとんど意識しない中に。
さっきの女の子の自立とこれはとってもよく似てるんですよ。
結局何を始めるかというと、
お母さんに向かうべき、
お母さんに向かってしまう性欲というものを
なんとかコントロールしたいわけです。
自立を求めている。
ここで全く同じことが起きるんですよね。
食べ物を、もらう食べ物を拒否しよう。
男の子にとってはもう一つ厄介な段階が
僕はあると思いますね。
おっぱいを拒否しよう。
これが俺は偉い人間だという風になっていくんですよ。
そういう男の子の方がモテたりするから余計そうなんですよ。
自分は性欲に興味ないからっていうね。
これは母親に興味をないというのを
性欲に興味はないに置き換えてるにすぎなくて、
何にも意味のないことを本人は言ってるとは全く思いませんよね。
そこで何をするかというと、
まず肉体を鍛えますよね。
体脂肪率を下げますよね。
早熟なんてそのぐらいのことはできる。
もちろん毎日自転車で乗り回して、しかもパン1個で済ませるみたいな
そういうことをすることがものすごく
俺イケてるわみたいになるわけですよ。
自立に超向かっていって、ホリエーモンにだってなれるくらいになるわけですよ。
万能感がここに生まれる。
毎日毎日数字として現れますよね。
このもやっとした
母親に向かう性欲が無意識でどうのこうのみたいな
そういう人文学的な話じゃなくて
日々体重が0.5キロずつ減っていって
この線のグラフの通りになると
しかも自分性欲もコントロールできてるし
おっぱいとか求めてないしみたいな
そういうふうになるわけですよ。
体重がメキメキ減っていく。でも活動量はどんどん増えていく。
39:01
どっかで倒れるみたいなことが起こるわけなんだけれども
これは対抗なんですよね。完全に。
母親のおっぱいを拒否するということに
意味がある年齢ぐらいまでむしろ戻っているわけです。
だからすごく行動が単純化しているし
全然これで自立できないんだけど
本人これで十分自立に向かえている。
筋肉ムキムキだし、ほんのしか食べてないし
その割に元気いっぱいだし、リーダー的存在だし
このリーダー的存在絶対良くないと思うんだけど
古いんだよね。昭和的だし
しかも今これ、たぶんこんなことやってるだけじゃリーダーになれないと思うんですよ。
でもこのリーダー的存在ってのは要するに
実業家になれますとか社長になれますとか
そういうことを延長線的には意味しているわけですね。
この延長上にこういう意味があるわけですね。
だからこれは性欲の増進と
深く関わっていて、父親の不在というのとも
非常に深く関わっているわけです。
結局のところは非常に強烈に
母親を求めるという段階に戻っている。
女の子がここで同性愛的になっていけば
やっぱり自分赤ちゃんに戻って、お母さんに抱っこされていた
幸せな時代というものを風想する。
これでどんな異度が
何によって満たされるかというのが
いちいち決まってくるっていうのが
ちょっと発達段階的で僕は気に入らないんだけど
もうやむを得ない。ある程度は言える。
例えば私、よく眠ることはできますというのは
赤ちゃんの頃に満たされていた異度
つまりよく寝てますよね、赤ちゃんはね。
あれは理解しているという意味なんですよ。
次に異度が
例えば排泄というものは自分は全然OKですと
そこに拒否的なものはないですと
こだわりはないし拒絶もないですと
なってくると、つまり排泄している限りは
自分が生きているという感覚を肯定できます
という場合はトイレトリーニングの時が
うまくいったってことなんだと思うんですよね。
こうなってくるとワンナフロイトの世界になっちゃうんですけど
あとは食べるってことですよね。ここで結構つまずくのは
食べる食べないの選択というものがですね
情緒的なこだわりというものと関係しやすい
ということを意味していると思うんですよ。
自分の食欲と身体のコントロールというものに
意味があるって思ってしまうと
本能というものをうまく肯定できなくなる
本能を受け入れられなくなる。本能を受け入れれば
ただ食べておけばいいわけですよ。食べたくなったらね。
それで済むのに、それでは済まなくなってしまうんですね。
ここにコントロール出てくる。
ここに過剰なものをある意味求めると
例えばね、食べていた頃におっぱいもらっていた自分を思い出して
すごく幸せになれるとかね
他のものが入ってきちゃったりするわけですね。
こういうことをコントロールしなければならなくなると
この辺の時間に自分の気持ちが舞い戻っていってしまうので
要するにうまく回らないわけですよ。
42:01
その辺のところについては。
つまり生きていくためにやるべきことは
全部黙って受け止めておけばいいわけじゃないですか。
空気吸いたくないとか思ったら大変なことになるわけですよね。
でも空気吸いたくないとかは普通の人思わないどころか
空気吸いたいとさえ思わないぐらいで
住んでいるから一番いいわけです。
井戸が乱されていくことを黙って認めていって
それがいいものだと思っていられる
呼吸していいものだと思っていられるっていうのは
いいわけですよ。
性欲は一番面倒くさいですよね、この中でも。
一番面倒くさいものだとは思います。
いろんな意味でコントロールしなければならないし
今のようないわゆるジェンダー的な話になってくると
どこの子が母親を求めるってこれはただの工作的対抗なんだけど
そこに未成熟だとか人間としてなってないとか
気持ちが悪いとかいう話まで盛り込まれてくると
いよいよそこの性欲ってものを
自分の中でもないものにしようみたいなことに
意味を認めてしまうんですね。
そうすると亡くなりは絶対しないので
井戸が亡くなるっていうのはもう生きてないってことになってしまうんで
亡くなるってことは絶対ないわけだから
こういうものつまり
何らかの形で拒否的に操作しなければならなくなったときに
問題が起きるわけですよ。
父親の不在とかね。
母親の不在とかね。
そういう話なんだと思うんですよ。
不在ではその対象に向かうことができませんからね。
最終的には結局これは
全部OKにしようねって話なんだけど
そもそもそれが邪魔をしてるということに
その前に気づきましょうという話です。
だから性欲が嫌だから食欲に行きましたみたいな。
あるいは性欲が嫌だから睡眠欲に行きましたみたいなことを
やんないってことなんですよね。
これをやってると例えば朝が起きられませんとか
この話僕ノートで途中まで書いてるんですけど
ここまで書かないと実は話がまとまらないために
まだノートでまとめきれてないわけですよ。
いやもう性欲もめんどくさいし
食欲をやめて自立とかも大変だから
いつまでも寝てますっていうぐーんと戻ったわけですね。
ぐーんと。
どこまで戻るんだよっていうぐらい戻ったわけですよ。
そこは受け入れられる。
どこかで異動を絶対受け入れなきゃいけないってことなんですね。
なぜなら生きてるからですよ。
生きるってことは異動と共にありますからね。
生きることができるはずがないので
加活動でパン1個で済ませます。
何ならもうこれからチーズ1個で済ませますみたいな。
そのうちチーズも食べませんみたいな。
これもう異動を拒否するというのはそういうことだ。
本人これで全然正気なつもりでいますから
それどころか理想の自分に向かってるぐらいな気分で十分にいますからね。
この辺のことが接触というものを通して
非常によく見えてるんですよ。
45:02
これはなかなかやっぱり
抑鬱の話だけでは
抑鬱は抑鬱ですごい重要ですけれども
人生で離別っていうあるいは対象喪失っていう事態は
必ずみんな経験しますから
あれは例えば会社という理念の喪失みたいな形で
対象喪失を受け止める人は結構いますよね。
私は一般の中年の聞きとはまさに
それを意味するんだと思うんですけどね。
会社っていうものに入って
わりわりやっていこうと思ったんだけど
本当に嫌な世界でしかなかったみたいな
これがお母さんがいなくなってしまったっていう心理に
非常に酷似してきて
なんでいなくなってしまったんだろうっていうのがね
なんでこの理念っていうものが役に立たないんだろうみたいな
そういう非常に深く期待しただけに
その失望感は大きいというのが
そういう物の話には必ずと言っていいぐらい
特に今は多く見受けられる気がするんですけれども
そっちの話は置いといて
とりあえず今私が思っている
私が読んでいるのはね
異動を受け入れられないからといって
対抗して異動を受け入れるということをやる
という話には
多分リスクが伴うんですよね
それを絶対やるべきでないとは全然思わないですよ
たまにはどこまでも寝るとか
そういう日があったり時があるのは
全然OKだと思うんだけども
このやり方っていうのはつまり
私でも絶対そっちは受け入れられないからっていうのは
多分やめたほうがいいと思うんですよね
私は絶対性欲は受け入れられないからとかいうのをやると
やるよりはですね
どっかで
結局のところ我々は荒野の狼みたいに
直接的にそれを満たすわけにはいかないんですよ
そんなことは今は我々には到底無理じゃないですか
そこら辺歩いてて椎茸食いますみたいな
そんな人はいないじゃないですか
いない子はないのかもしれないけど
我々には難しいと思うんですよね
だからそういう風にならないにしても
本能的空想を使ってでも満たすじゃないですか
そういう風に持っていったほうがやっぱりいいと思うんですよね
無下に否定しないみたいな
無下に否定して対抗して昔の
満たせる欲望で満足しないみたいな
あんまりそういう人聞いたことないけど
一日中トイレにいるみたいな
排泄浴で生きていきますみたいな
それはやっぱおかしいと思うし
すっごく不便だと思うんですよ
でも要するにそういうことになっちゃうんだと思うんですよね
そういうことばっかりどこかに行ったところで
そこを受け入れるのだけはやめますみたいな
話を終始しているという話になってしまうと思う
48:02
それが今一番考えている付近でした
48:14

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