1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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はい、みなさんこんばんは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、ちょっと長めのタイトルをつけました。
ピッカラな町柏崎という手話と、それからもう一つが、ぬったりの小舟勝太郎という人のこと。
2つ実はつながっているんですけど、その話を今日してみたいと思います。
で、先週ですね、ラジオの放送で、柏崎のFMピッカラというところで番組をやっている新潟産業大学の放送部の皆さんとお話をすると、
皆さんというか一人だったんですけど、お話をするという企画を、FM柴田の番組でやりました。
で、その時に、FMピッカラというですね、柏崎のFM局の名前が話題になりまして、その由来についてちょっと調べてみたんですね。
ピッカラっていうとですね、あんまり売ってないような気がしますけど、でも多分まだあるはずですが、ブルボンのお菓子にもピッカラっていうですね、お菓子があって、
カリッとして、煙灯系のベーカーだったっていう記憶がありますが、カリッという感じの音で子供の頃よく食べてた記憶がありますので、そのカリッとした音でピッカラっていうのかなと思っていたんですが、
結論から言うと違ったんですよね。で、FM柴田家もピッカラと。どういうことなんだろうというので、そんなに興味を持ってたわけじゃないんですけど、番組の中でFMピッカラのことも紹介するというので、少し調べてみたところ、実はこのピッカラっていうですね、のがですね、歌詞だったんですね。
で、この歌詞は何の歌詞かというと民謡で、柴崎ゆかりの民謡ですね。三外武士と。実は三外っていうのも実はわかってなくて、先週の番組では出演した学生たちはみんな三外武士って言ってたんですけど、三外が正しいみたいですね。
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三外というのは建物の1階2階3階というときの3階と書いて三外ですね。三外武士というんですが、この三外武士という歌がの中にこのピッカラっていうのが出てくる。
で、歌詞としては米山さんに雲が出て、それで雷がなって、それがピッカラピッカラパッカラになるんですけどね。ピッカラっていうことで、カメラの雷が鳴るっていう歌詞が出てくるんですよね。それでピッカラ。
で、それが由来で、でもそのピッカラっていう音が特徴的なので、FM曲の名前にもピッカラっていう名前が付けられたし、それからブルボンのお菓子にもピッカラっていう名前が付けられたんだと。
全く子供のときね、ブルボンのお菓子を食べるときに全くそのことを気にしてなかったと思うんですが、そうなんですね。ということがわかりました。
これ民謡なので、いろんな人が歌っているんですが、先行だと美空ひばりさんとかですね、ザピーナッツの山外武士とかですね、あと民謡歌手の人が歌っているものがいろいろ出てきます。
で、なんでこの新潟の市地方の民謡が有名、そんなに歌われたのかということを調べていくと、実は民謡って大体どっかの地方のものですから、そういう意味では別にそんな特別なことではないのかもしれませんが、
でも調べていくと、このですね、もう一人の今ぬったり繋がっていくところなんですが、小宇多勝太郎というですね、この写真の女性ですね、この人のところに行き着くんですね。小宇多勝太郎という人が昭和の初期に山外武士を歌って、歌ってってレコードに入れたんでしょうね。
レコードとして売り出して、ヒットさせたというか、日本国内でいろんなところで山外武士が聞かれたということで、全国の歌として知られるようになったということなんだそうです。
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全く知らなかったです。
で、この小宇多勝太郎さんですね。この人は柏崎の人かというと、柏崎の人ではないですね。
でも新潟の人だということで、新潟県内のいろんな民謡ですよね。佐渡の佐渡家さんを歌ったと言ったかな。いろんな歌を歌われてヒットさせています。佐渡思えばとかですね。いろんな歌を出してるんですね。佐渡家さん、佐渡思えば。
東京音頭って後に、東京音頭ってあれですよね。ヤクルト・スワローズの歌うやつ。あれですかね。ちょっとわからないですね。1933年に東京音頭って書かれてますね。
という方で、とにかく一世を風靡した方なんですね。この方、でも新潟からどうやって出ていくかというと、芸妓さんっていうことになるのかな。
ただ、古町の芸妓さんというよりは、ぬったり町ですね。ぬったり町を新潟市内の地理に詳しい方は、ある程度お分かりの方はお分かりと思いますけど、今は新潟市中央区の一地区という感じではあるんですが、
ぬったり町で栗の木川という川を挟んで対岸というか、古町の新潟の河外の反対側にもう一つの町、ぬったり町、柴田藩の場所ですけど、元柴田藩の場所だと思いますが、そこにあった町の出身で、
見ると両手角禅というのか鶴禅というのかですね。これがぬったり川にあった両手で、そこの養女になったというところから、そこから芸を磨いて、角禅で芸妓さんになったってことですかね。
その後、東京に出て、東京でまた日本橋人形町の辺りの芸妓さんをやって、そこで勝太郎という、男性のような名前にも思うんですが、勝太郎という名前を名乗り、さらにそこからレコード会社からデビューして、
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歌うようになるということだそうですね。その芸妓さんとして磨いた芸で歌手として活躍された、こういう方なんだそうです。戦後も活躍をされて、
1971年、昭和46年に四十法書を受賞したということで、1974年に亡くなってますが、その間ずっと歌の世界で活躍されたようですね。
戦争中は戦地への異聞にも行ったというようなことも書かれています。戦後も活躍したということですね。
戦後も活躍されたというようなことも書かれています。戦後も活躍されたというようなことも書かれています。
ただ、私自身もこの小宇多勝太郎さんという名前は、実は今回初めて知ったというものなんですけども。この小宇多勝太郎さんの聖地じゃなくて、今先ほどちょっとお話しした
鶴禅と読むのか核禅と読むのか、ぬったりの陵亭があった場所に、この勝太郎の遺霊碑というのか、懸賞碑というか、生誕100年を記念して建てられた像が建てられている
生誕100年記念懸賞碑というのが建てられていて、何て言うんでしょうね。三味線を持った芸妓さんのような形をした、人の形をした銅像ですね。顔とかはないんですけど、銅像を建てたところがあるようです。
これも言ったことがないので、今度探してみたいと思いますが、そういうのが建てられているということで、ぬったりの皆さんの間では少しこの戦前から戦後にかけてずっと活躍した歌手の小宇多勝太郎さんのことを覚えて、それを検証しようという動きはあるようです。
いろいろ調べていくと、ぬったり界隈では勝太郎サンドというハンバーガーがあると。検索してみたら写真も出てきて、あんまり詳しいことはわからなかったんですが、
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ウィキペディア上ではロースカツとキャベツを挟んだカツバーガーだということなんですね。なるほど、全く知らなかったんですけど。イベントの時なんかに売られているということなので、ぬったりでぬったりテラスっていうイベントをですね。
休日の午前中とかにね、定期的に行ってたりしますけど、ああいう時なんかにまだ売ってるんじゃないかなと思いますけど、でも見たことない。そもそも勝太郎さんというのを初めて知りましたから、私も気にしてなかっただけかもしれませんが、ありますということなので。
今度ぬったりの方に行ったら食べてみようかなと思っております。ということで勝太郎さんもですね、実は結構奥深いんじゃないかなと思いますが、あんまり昨日今日で見つけたばかりの情報ですので詳しいことはわかっておりません。また少しいろんなことを調べてわかったらまたお話ししてみたいと思います。
今日は遅い時間ですけれども聞いていただきました。どうもありがとうございました。
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