1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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はい、みなさんこんばんは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、こちらのカステラの話をですね、したいと思います。
昨日からですね、お正月の間にですね、
うちの子どもと一緒に新しいポッドキャストをですね、始めまして、
放送というか収録なんですけど、やっていまして、
収録したものを編集してですね、
それでまたBGMとかつけて、ポッドキャストの方に載せるというのをやっています。
いくつか子どもがしゃべれそうな話題を色々探していったところ、
このカステラ屋さん行けるかなということで、
一旦子どもと一緒にですね、子ども新潟のへラジオというタイトルで撮りました。
で撮ったので、その話題をちょっと今日はお話ししたいと思います。
というわけで改めまして、今日はハリートというカステラ屋さんのお話をしたいと思います。
ハリートはですね、新潟のですね、
古町と言われる、昔からある市街地ですよね。
そこの五番町と言われるところ、五番町という場所にあります。
一番町か九番町まであるんですけど、五番町はオーバーアーケードっていうんですかね。
歩行者天国のような状態になってて、上に屋根がかかっている商店街なんですが、
その中にあります。
古町というのは昔からある商店街、いわゆる中心市街地で、
もうちょっと元気があってもいいようなところなんですけど、
いかんせん、新潟市はちょっと、
この昔からの商店街は少し駅から離れてしまったり、
あと駐車場の問題があったりというので、
一番昔からある伝統的な中心市街地、
中心的な商店街の古町と言われるところが、
あんまり元気がないと正直ね、
どんどん歩いてる人も減ってしまい、
大型商業施設もなくなってしまい、
なかなか苦しい状況にあるんですが、
その中でこの五番町という商店街の中では、
元気なお店ではないかなと思います。
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で、カステラ屋さんがあるんですね。
100年の歴史というふうに書かれてましたが、
実際には何年でしょう、もっと古いかもしれません。
100年以上の歴史があると思います。
もちろん新潟でもね、長崎のカステラなんかは、
いろんなデパートとかで売ってるわけですけど、
新潟の地元の老舗のカステラという意味で言うと、
ハリイトっていうのが元気な定番ではありますね。
で、ハリイトって何だろうねと調べてみたんですが、
ハリイトイトではなくて、人の名前だったみたいですよね。
で、もともとはですね、これをやったハリイトっていうこのお店は、
もともとはハリマヤだった。
ご存知の通り、新潟は北米船の寄港地の一つでありますから、
外からいろんな人が入ってきて商売したり、
っていうようなことはいろいろあったわけですよね。
その中でハリマヤというのは兵庫県ですよね。
兵庫県のハリマからやってきて、
で、新潟で商売をしてた人たち。
幕末ぐらいではないかというふうにお店の資料では書かれていましたが、
江戸時代の最後の方に新潟にやってきて、
で、お店を開いたと。
お菓子屋さんではなくて、雑貨屋さんだったみたいですけどね。
というハリマヤさんというのがあった。
で、ハリマヤさんで、
ハリマヤに向こうしに来た伊藤蔵さんというのがこのカステラを始めたということなんだそうです。
だから、カステラを始めた伊藤蔵さんは、
多分新潟の人なんじゃないかなと思いますけど、
お店の起源は兵庫県ということになります。
で、この伊藤蔵さんという向こう氏は、
菓子職人として、
方向をして、
そこで、
そこでお菓子作りを学んだと。
向こう氏に入るタイミングと、
お菓子の修行してたタイミングはちょっと分かりませんが、
とにかくハリマヤさんがお菓子を開業するというのが明治の6年だそうです。
で、この時にお菓子はお菓子屋さんはハリマヤじゃなくて春花堂という春花と書いて春花堂というお菓子屋さんとして開業し、
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行くんですけど、残念ながらこの春花堂という名前は残念ながら定着しなくて、
ハリマヤの伊藤蔵さんの店だからハリイトという風な名前になったということなんだそうです。
で、カステラを作り始めたタイミングはちょっとよくわからなかったんですが、
明治20年と言っていたと思いますね。
明治20年にカステラを作り始めた。
明治20年に作り始めた。
だからだいぶお菓子屋さんを開業してからだいぶ去ってからカステラっていうのを始めたみたいです。
ただその当時新潟にはカステラという食べ物はおそらくはほぼ存在しなかったと思いますよね。
だからなかなか売れなかったみたいですよね。
だからもともとは普通のお菓子屋さんで、このお店にはゆかりっていうお湯に溶くお菓子みたいなのがあるんですけど、
それもここが元祖だというふうに言っていまして、
そういうのもあるし、その他にいろんなお菓子扱いがあるんですが、
でもカステラのお店として今はそれ一本というわけではないですが、
それがよく知られているお菓子屋さんということになっています。
というわけでハリーとのカステラとしていろいろ苦労しながらお店として定着させていったということなんだそうです。
今回調べるまでそこまで話は知りませんでした。
ハリーとさんの解説によるとだったと思いますが、
カステラというのはあんまり新潟のような寒冷地なのかな。
とにかくカステラを作るという意味では長崎が気候都市もあっていて作られたんだろうけど、
それはあまり新潟にカスタマイズするのにやっぱり時間がかかった。
新潟にあった風土にあったような作り方っていうのを作るまでに時間がかかったというふうに書いてありました。
このカステラの作り方自身は法工時代の伊藤蔵さんが修行していたときの修行仲間から教えてもらったということなんだそうですよね。
それを苦労して新潟でも同じ作ってそして商品として売るようになったというものだそうです。
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そういうふうに考えるといやいや新潟でもカステラ作ってるところあるのでぐらいしか思っていませんでしたけどちょっと見え方も変わってくるかなと思います。
今は普通のカステラのほかに地酒のカステラとかあといろんなフレーバーというかココアとか抹茶とかいろんな味のものも作っていてカステラ4姉妹を売っています。
今回調べてて初めて知ったんですがカステラ以外もですね実は主力商品というか昔からのものとしてアリの実というのがあってこのアリの実は梨だった梨をペーストにしてそのジャムが挟んだようなお菓子だと思うんですけど
これはですね昭和22年昭和22年に天皇陛下が新潟に来た際に献上した。昭和天皇が新潟に来た時に献上品として採用されたんですか。
そういうお菓子だということだそうです。本当は梨の実を使ってるんだけど梨の実だと縁起が良くないのでアリの実にしたということなんですがそういうお菓子だそうです。
これちょっと食べたことはありませんがちょっと食べてみたいかなというふうに思いました。そんなとこですかね今日はね。あと何かあったかな。
そうですねあとこのかすれ屋さんはかすれ屋さんのことは知らなくてももっと知られてるのはお店の前にある土下弁の山田太郎の銅像のケツバットガールっていうのが一時期流行りましたけど
山田太郎がバット振ってミートする瞬間を止めている銅像ですね。それが街の中に置かれているんですが、それがお店の前にあるというので、そこがそれでよく知られているところもありますよね。
今はバットで撃たれる真似することはしないように周りに火弾が囲んでいてできないようになってるんですけども、でも印象的なモニュメントが置かれているところです。
というわけで、通りがかってもただの地元のお菓子屋さんぐらいに見えるかもしれませんが、実はカステラを巡るこういうちょっとしたストーリーも秘められたお店だということがわかるかと思います。
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今日はちょっと2回目ですね。1回子供と一緒に一通り喋ったので、ちょっとテンション下がりにかもしれませんが、でも少し情報をさらに追加してお話をしました。ハリーとのカステラについてでした。はい、どうもありがとうございました。
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