1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
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はい、みなさんこんにちは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は日中日の昼間、ちょっといつもとは違う時間帯ですが、少しお話ししてみたいと思います。
昨日ですね、昨日長岡の方に出かけまして、今ここに書いてある母親戦争記念碑ってあるんですけど、
長岡の新組っていうところにある、タイトル長い、長岡市北越母親戦争伝承画という非常に長いタイトルの施設があるんですが、
そこをちょっと覗いて30分ほど見てきたので、そのお話をしたいと思います。
実はここ、長岡っていうよりは長岡から三つ県の方に抜けていく道沿いにあったのかな。
とにかく三つ県の方に行くときによく前じゃないな、近くよく通ってて、一度行ってみようと思っていたんですが、
走行しているうちに三つ県に行く仕事も今あんまりなくなりまして、
行かないまま結構長い時間が過ぎていて、ずっと気になっていたところだったんですよね。
ちょっとたまたま長岡の方に行くタイミングがありまして、昨日ちょっと30分ほど見てくることができました。
母親戦争の話をどこまでどう説明するか、説明できるかという問題もありますが、
まず長岡というのは母親戦争で新政府軍と長岡藩が結局最終的には戦うことになってしまい、激戦が行われると。
その中で長岡藩は最終的には新政府軍に敗れるのですが、長岡城を巡る攻防というのがあって、
一度長岡城を新政府軍に落とされるのですが、もう一回一回奪還するんだけど、またもう一度新政府軍に攻め落とされるという、
長岡城を巡るやり取りが何回も続いた地域で、その間にいろいろな犠牲も出ているということなんですね。
今回行ったのは新組という場所で、もともと新組村なんだと思いますけど、本当に農村です。平たい、ずっと見渡す限り田んぼみたいな、そういう村なんですけど、
そこも激戦地になったということが背景にあるんだと思いますが、この伝承館、農村の中にポツンとあって、ここを目指していかないとなかなかいかないような場所にあるんですけど、結構面白かったです。
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若干にじんでいるのは、長岡の人にとっての母親戦争というのが、悲劇の戦いではないですけど、長岡藩が最終的に新政府軍と戦うことになってしまうんだけど、
その中でベストを尽くして戦ったというようなヒーローとしての長岡藩というか、河合嗣之介というか、そういう見え方が全てかというと、そうでもなくて、
ちょっと書かれていたのは、新政府軍が勝ったり、長岡藩が盛り返したりというのを繰り返す中で、この新組とかこの周辺の村々の人たちというのは、その都度徴用みたいなね。
労役だったり、いろいろなことに巻き込まれ、家を燃やされ、いろいろな損害を被ったというようなことがちらっと書いてあって、
長岡藩としての戦いみたいな意味と、そこに巻き込まれた農民の人たちというのが少しニュアンスが違う。我々農民たちは迷惑をこむったんだみたいなニュアンスも少し感じられた、そういう展示でした。
中ではいろいろ書いてあって、面白いのは、銃が当時使われていた銃がこの周辺から出てきて、エンフィールド銃、英国製と書いてあるような気がしますけど、
エンフィールド銃というのが、新政府軍も長岡藩も両方持っていたのかな。とにかくこれを使って、あと大砲も展示されているんですけど、大砲を使ったり銃を使ったりして戦いをしていたので、その出てきた銃も展示されているし、現在でもと書いてましたけど、
時々やっぱり田んぼの中で、田んぼからエンフィールド銃の弾が出てくるみたいな話で、相当な激戦地であったということが伺われるというような話が書いてありました。
戦いの経緯もずっと追われていて、この界隈は要するに平地なんだけど、山を越えて、長岡に行くと、長岡とか栃与の方に行くと分かるんですけど、今長岡市栃与ですけど、栃与っていうのは山を一つ越えたようなところに、山の向こう側に栃与っていう場所があるんですが、
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栃与とか鴨も出てきたかな。栃与とか鴨とかが山一つ越えた向こう側にあって、山を越えたところに長岡があり、それから今の三つ家の辺りがあるんですよね。三つ家が山に近いところにあるのかな。
戦いの経緯を見ると、やっぱり栃与とかあっち側の山を越えて攻め込んできた長岡藩が反撃してくるのかな。反撃してきた長岡藩と、長岡城を落として城を守っている新政府軍との戦いっていうのがあちこちで起きていたというようなストーリーが語られていて。
その戦績というのも、だから密かに各地に残っているという話なんですよね。
この新組という地域の人たちかな。長岡市の取り組みなのか、この界隈をいわゆる街歩き、村歩き、街歩きと言いますね。歩いてこの辺の戦績を回るみたいな取り組みもコロナ前の数年前に行われていたんだと思いますが、そういうのも展示されていました。
その様子も展示されていて、なかなかこじんまりと、平たいのでたぶん歩けるんですよ。平たいので歩けるんだけど、ここを歩くとその中で戊辰戦争の時に長岡の周辺、新組とかこの界隈でどういうことが起きたのかというのがよくわかるようになっているそうです。
そこまでは昨日ちょっと拝見することができませんでした。
この伝承館があるところの外側には供養塔かな。供養塔でしたっけ。これ記念碑ですよね。記念碑というのが建っていて、この画像で使っている記念碑が、戊辰戦跡記念碑って書いてますよね。
というのが建っていて、ぽちっと田んぼの真ん中に公園になっているんですけど、そこにぽちっと建っていました。その横に山本一六って書いてあって、この字は山本一六が書いた字を彫ったんだと思いますよね。いつ作ったものかまでちょっと確認しませんでした。
というので、ここを起点にですね、おそらく長岡と現在の三次県、あるいは栃葉なのかな、その界隈をいろいろ見て歩くと、おそらくこの地域で、戊辰戦争の、北越戊辰戦争と言われるんですが、
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それはどのように長岡城を巡る戦いが行われたのかっていうのが、よくわかるようになっている。昨日ちょっと私もあまりゆっくりは見られなかったので、よくわからないところもあるんですが、でもそのウォーキングコースなんかを見ると、長岡城奪還ルートみたいなのが書いてあったりして。
たぶん、柴梁太郎の峠のクライマックスなんですよね。長岡城奪還というのをたどれるようになっているということです。峠はいつでしたっけ、もうすぐやるんでしたっけ、映画になりますよね。
ちょっとコロナで公開が遠くなって、今調べました。7月1日ですね。今年の7月1日に峠最後の侍というのが公開されて、河合杉之介を役所工事さんが演ずると。
これを見た後で、たぶんこの辺で新組とか行かれると胸アツになる。わかりません。わかりませんけど、そういうエリアだと思います。
というわけで、今日は長岡市北越母親戦争伝承館と、その場所のある新組とかその周辺のエリアのところをお話ししました。ありがとうございました。
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