寒い中での挨拶
下れない非常階段
このポッドキャストは、オドリバのボイスログです。
日々起こったことを、蛇足満載でお話しいたします。
こんにちは、オドリバでございます。
本日は12月14日の日曜日、お昼前となっております。
私が住む岩手県大雪でございましてですね。
庭に置いておいた車が、雪まみれになっておりました。
寒いんです。
この部屋の室温は8度でございます。
指先がかじかんでおりますし、足の指も冷たいです。
ブランケット一つじゃね、もう頭が回らないかもしれません。
ちょっと路列が回らなくなったらですね。
決して当たったわけじゃないです。当たるってわかりますか?
脳卒中とかになったわけではないです。脳梗塞にもなっていません。
寒くてほっぺたがね、かじかんでるだけで。ほっぺたってかじかむんですか?
筋肉がね、だいぶ固まっておりますけども、皆さんはね、あったかい場所でぬるま湯に浸かってこの配信を聞いていただきたいと思います。
ポッドキャストを聞いていただきたいと思いますよ、というわけで。
本日はですね、地域系ポッドキャストの日というアドベントカレンダーに私、本日12月14日登録しておりまして。
青年会の活動
地域系ポッドキャストの日ね、主催が高見知英さんという方。
はい、主催で今日開催、12月開催されているわけなんでございますけども。
俺トップバッターじゃん。
マジかよ。
俺トップバッター、責任重いじゃん。
何喋ったらいいのさ。
いや、でもね、頑張ってお話しさせていただきたいと思いますけども。
ね、青年会。
youはどうして地域活動を?ということで。
私、タイトルにも書いてあったように、青年会やっておりまして。
皆さん、青年会ってどんなイメージをお持ちなんですかね。
まあ真っ先に思い、真っ先に考えるのはあれじゃないですか。
笑っていいとも!じゃないですか。
羽賀研二さんとか。
あ、名前言ってもいいですよね、羽賀研二さん。
名前言ってもセーフ、セーフ。
羽賀研二さんとかね。
野々村真さんとか。
野々村真さんとか。
あと久保田敦さんね。
パチプロでおなじみの。
いや、そのくらいの知識しかない。
もう初代いいとも青年隊。
あれ、青年隊だ。
青年隊だ。青年会じゃねえよ。
ごめんごめんごめん。間違った間違った。
あれは青年隊でしたね。
私がやったのはですね、青年会でございまして。
今もやっております。
私の住む地域はですね、青年会。
区の青年会ですね。
まず区の青年会がありまして。
それはうちの親父が若い時からあったらしいんですけど。
いつからその青年会が立ち上がったのか、
歴史を紐解かなければわからないので、ざっくりですけども。
この区の青年会というのはですね、15から。
15歳から。
昔の15歳ってほら、家庭の事情とか素行が悪くて、
高校に行けない方も結構いらっしゃるじゃないですか。
15って中学校を卒業する年ですよね。
だから中学校終わって働く方もいらっしゃったので、
その人たちが青年会に流れていくというか、
入られるという方が結構あったと思います。
うちの親父も実際ね、中卒でございますので、
その青年会活動に入ったという話を聞いております。
まあ今はほらね、娯楽が多いじゃないですか。
昔ってさ、娯楽なんてテレビとラジオぐらいしかないわけですよ。
ましてやね、昭和30年代、テレビのない家もまだあったのかね。
やっぱり地域の娯楽をね、何かやろうということで、
若い人たちが立ち上がったんじゃないんですか。
わからないですけどもね。
で、その青年会に私も25ですかね。
25で足を突っ込むことになりました。
だって、まあ結婚したタイミングですよね。
結婚25でしたとしまして、
地域にこれから刺さっていかなきゃいけないなと。
まあ田舎なんでね。
あるわけですよ、地域のコミュニティが。
とかコミュニティがあるかどうかちょっとわからないですけど。
地域はわりと強固なコミュニティがございます。
田舎は強固なコミュニティがありますので。
そしてあの方にね、実家にずっと住んでますんで。
実家に今現在住んでます。
実家出たことないですから。
親脛しゃぶりまくってます。
シャブリマクリスティーですから。
あ、すいません。
ラクリマクリスティーはキリストの涙でしょ。
シャブリマクリスティーって何の涙なんですかね。
シャブリマクリスティーって、
あ、造語です。
造語です。
ねえ、もうそうなんですよ。
だからシャブリマクリスティーって実家から出てないので。
別にニートとかじゃないですよ。
別に18から働きながら家に住んでます。
実家村人なんで。
どうしても地域とね、身に関わることが多くなりますので。
結婚するタイミングでお誘いもあったのでね。
ということでやらせていただきまして。
40まで。
この青年会40で勇退になりますので。
青年会の未来
青年会活動をやらせていただきました。
まあこの区の青年会というのは、
大体主に1年を通してですね、
イベントのことが8月のぼんおどりですか。
8月で地域の公民館でね、
櫓組んで盆踊りするんです。
みなさん盆踊りとかどんなイメージですかね。
老若男女が入り混じって輪になって踊るイメージでしょ。
まあその通りなんです。
その通りなんです。
で最後にね、青年会がお金を出して景品を揃えてですね、
大抽選会やって終わるという流れの盆踊りでございます。
秋はですね、地域の神社で10月の末に神社のお祭りがありまして、
そこでですね、地域の人たちが踊りを出し合って、
踊り、演芸会をやるということになって、
それの主催ですね、演芸会の主催を屋台出したり、
進行したり、そういう主催を区の青年会がやっていました。
40になったら終わりなんですけども、
OBとして2,3年はお祭りの受付ね。
お祭りの受付でお花、お花ってみなさんわかりますかね。
志というかお祝いということで、
各家庭から志を出していただく。
それをお花って言うんですけど、
それを集めてですね、
お名前を読み上げるんです。
ステージの放送担当の人がね、読み上げるんです。
一金は3,000円也、
右はホニャララ、高橋なんとかさんとかみんながね、
高橋なんとかさんよりって一人一人読み上げていくんです。
これね、読むの失敗すると、
読むの忘れたりするとですね、
後からこっぴどく、
俺名前呼ばれなかったってずっと言われますから、
これ大事なんです。
あと名前の間違いね、
これは絶対やってはいけないです。
お花の読み上げ。
結構大事な仕事でございます。
その青年会は40で勇退してです。
近くのね、うちの地域は七行政区があるんですけど、
その七行政区の若者が集まって、
平成何年だっけ、
平成20、何年だこれ、
平成23年、
平成23年にですね、
七地区合同の青年会が立ち上がりました。
これはですね、
過疎になってしまった地域なんですね。
小学校もどんどん人が少なくなってですね、
3つの小学校が統合になります。
統合するときにやっぱりね、
相手の子供の親っていうのは全然わかんないわけですよ。
違う地域から他の小学校に通っていた人たちがね、
1つの小学校になるとやっぱり、
子供はすぐなじむでしょうけど、
親って結構ね、
いきなりそんな距離とか縮められないでしょ。
ということで青年会を立ち上げて、
そこでまず親たちというか若者たちがね、
顔を合わせておけば小学校に行ったときにね、
スムーズにどうもどうもと挨拶できるようになるじゃないですか。
それが目的ではないですけども、
なんとか我が地区の活性化を目指すために、
若者たちの力を結集しようということで、
あまり詳細言うと身バレしちゃうんで言わないです。
大青年会とでもしておきますか。
大青年会、立ち上がっております。
青年会と言いましてもね、幅広くてですね、
下は20歳から、
上は60過ぎまでいますから、
青年じゃないんじゃねっていう人もね、
いらっしゃるんですけども、
辞めるタイミングがないんですよね。
楽しくてやってる方もいらっしゃいます。
辞めろとは一言も誰も言わないです。
本当は孫ができたら引退だっていう話だったんですけども、
孫がね、ご孫さんが生まれても、
まだまだやってらっしゃる方がいらっしゃいます。
まあ、エンドレスですな。
エンドレスですな。
エンドレスやっております。
でも青年会ってさ、
マジで田舎の場合ね、
人も少なくなるから、
家に行ってね、
入ってくださいってお願いしに行くんですけど、
その時本人が出てこないときあるんですよ。
親御さんが出てくるね。
息子さんを青年会にお誘いに来ましたって。
ああ、だめだめだめ、うちのままではね、
だめだだめだってね。
多いんですよ、こういうの。
いや、あんたの意見聞いてねえのよ。
息子に話しに来たんだから、
あんたが断ってどうするのって言えないですけど、
たびたび思いますね。
大青年会のイベント活動
ああ、うちのはだめだなって。
親が言うんじゃないんだよ。
あんたに聞いてないんだよ。
そういうことをたたわってね、
中から入ってくれる人いないんですよ。
まあでも自由意思なんで、
面白いなと思う人たちは来るし、
なんか馴染めないなっていう人は
だんだん来なくなっております。
結構でもね、この大青年会、
人数いまして、
一つのイベントで、
イベントね、
9月には夏祭り、
2月には節分会という、
節分のお祭りをしてるんですけど、
そちらのほうはスタッフがね、
70名くらい集まりますので、
これ無償ですよ、青年会。
ボランティアでやってますからね。
そうやって2つのイベント、
やっております。
私もこの夏祭りと節分会のイベントでですね、
何年位でやってるのかな?。
だいぶもう、
この青年会が立ち上がったときから
携わってますけども、
会長からね、
オドリバじゃあ司会な、って振られまして。
俺やったことないんですよ。
本当に初めて、
この青年会に入ってから、
司会をね、
受け持つことになりまして。
最初はもうガッチガチですよ。
大人数の前で、
素人司会。
バリバリだったんですよ。
今ね、
15年以上やってます。
もうヘラヘラです。
もうこの節分会っていう、
2月のやつはですね、
知らない人たちが、
町中から集まってきて、
節分会だけにね、
豆巻きするんです。
豆巻きするんですけども、
この節分会はですね、
特殊でですね、
福はうち、
鬼もうちってね、
鬼もうちに入れちゃう節分なんです。
豆巻きって、
すごい人集まるんですよ。
マジですごい数、
集まる、
1000人集まるのかな。
そういう規模のお祭りを、
司会をやっておりますけども、
すごいですよ。
俺、ステージ上で、
1人じゃないですか、
下でね、
豆待ってる人たちが、
ワンサもいるんですよ。
何百人も。
俺、1対何百でしょ。
1対何百の圧って、
皆さん結構ね、
最初は恐れおののきますよ。
どうしたらいい、
でもね、慣れます。
ヘラヘラ喋ってればいいんです。
全然、
どうせ俺のことなんか見てないなと思えば、
全然緊張とかしないですよ。
どうせこの人たち俺に興味ないんだからいいやと思って。
全然緊張しないで。
司会もすることが、
来年の2月も、
この節分で私、
司会することになるでしょうか。
ぜひ興味のある方は、
オドリバ、
どんな司会してるか。
ねえな。
というわけで、
これが2大イベントになっております。
国体ボランティア参加
この大青年会ですね。
いろいろ表彰とかされておりました。
まずは、
平成23年に設立されましたからね。
26年。
全国青年実践大賞、
特別賞受賞ということでですね。
これはいつだったかな。
資料ですね。
これね、
平成26年3月。
全地域青年会実践大賞の方に。
これは日本青年館のある
ところでしたね。
日本青年館っていうのは、
国立競技場の
そばにありまして。
まだその当時は、
昔の国立競技場ね。
田舎者も初めて
国立競技場を見えて、
でっけえな。さすが国が
金出してるだけあんなと思ってね。
恐れてないですけど、
すげえなと思いながら、
歩きながら日本青年会館に
向かったところになります。
そこでですね、
石垣島の
青年会の人たちですかね。
石垣市、正式に石垣市青年団という、
石垣市の青年団の方たちと
受賞しましてですね。
そこら辺で
交流を深めることができました。
なかなかね、
東北の岩手県の人が
沖縄の人と交流すること
ないですから。
そのつながりで、
石垣市の青年団の方が、
私たちの地元の方に
いらっしゃってですね、
酒を組み交わした
ということがありましたね。
はい。
そして平成28年に
岩手県で
国体が開催されまして、
そちらの方に、我々
大ボランティア、大ボランティアじゃねえや
大青年会、ボランティアとして
参加しております。
主に入場の
入場の受付っていうんですか、
入場の人たちの誘導、
私しましたね。
で、入場する人たちに
パンフレットとかね、
一つ一枚一枚配るんですけども、
そういう仕事をやりました。
だってほら、
その時やっぱり国体の中でね、
皇族の方、
あの時誰来たんだったんだろうなあ。
当時の
当時の皇太子様、
はい、いらっしゃいまして。
ああ、おお、はじ、まあ初めてじゃ
なかったですけどね。やっぱり
皇族様が来るとね、
警備も現状で厳重で、
遠くから
車で入られるのをお姿、
拝見しましたけども、
そういうことをやりました。
表彰された青年会
で、平成30年はですね、
私たち
夏祭り
やっておるんですけども、それをですね、
今度は東京に乗り込むぞということで、
えー、
東京の浅草、
平成30年11月17日にですね、
東京の浅草、
まるごとにっぽんという施設が
ありましてですね、
浅草の交番の脇っちょにあるんです。
目の前には交番がありました。
目の前には浅草ロック座が
ありました。
知ってるロック座。
ロック座。
知らない人は検索してください。
女性の
ダンサーさんがいるところですね。
その前にですね、
まるごとにっぽんという
施設がございまして、いろんな日本中の
お土産物とか、
お土産物とか、
お祭りを展示しているところだったんです。
そこの前に広場がありまして、
そこでですね、
お祭りを、
田舎のさ、
ちっちゃな青年会のさ、
祭りをやったんですよ。
びっくりしますよね。
そこでもね、
8000人ぐらい。
8000人です。
ほら、8000人って言うけどさ、
浅草の
そのなんていうんですか、
ロック座の通りってすげえ人が集まってるんですよ。
すげえ人の通りなんですよ。
そこでね、田舎の奴らが
踊ったり、
郷土芸能を披露したり、
やったりしたら、
ものすごい人が集まっちゃって、
最後には
ヤグラ組んで、
田舎からヤグラの
道具を持って行ってさ、
高いヤグラ組んだんだよ。
移動式の。
そのヤグラに登ってね、
盛大に最後は
餅まきをするという。
餅ってみんな
わかりますかね。
餅のやつね。
クールポコがつくやつよ。
クールポコでおなじみの
餅ついて
現地ではつかなかったですけど。
浅草の町に
投げましたね。
わらわらと
人が蟻のように見えましたけど。
ヤグラの上から。
そんなに高くねえか。
ヤグラの上だったら。
人が蟻のようには見えないな。
わりとでかいです。
こがね虫ぐらいに見えましたけど。
そこから町をね。
そういうイベントを
浅草のまるごとにっぽんで
開催させていただきましたが、
がよ、
しばらくぶりに
2年前ぐらいに
さ、まるごとにっぽん
しばらくぶりに行ってみようかなと思って
一人で行ってみたんですけども。
ユニクロになってました。
ユニクロになってました。
時の流れは残酷だよね。
ユニクロになってましたよ。
でもその前には
やっぱりまだ広場があってね。
大道芸の方が
大道芸を
繰り広げておりました。
あーもうまるごとにっぽん
なくなっちゃったなーと思ってね。
ちょっとおせんちな気持ちになりましたけど。
夢のあとでございました。
そしてですね、
今年の11月、
先日ですね、11月の
30日、29日
一般社団法人
日本善行会という会が
あるんですけども
まあ
詳細しゃべると長くなるので
言いませんけど、まあ
調べたい人が気に向いたら調べてみてください。
そちらのほうでですね、
令和7年度
秋季善行表彰というものが
ございまして、そちらに
私たちの大青年会
選ばれましたんですね。
そちらのほうに
明治神宮の
大鳥居の前に
そういう
会館があるんですけど
そちらのほうに
行って表彰されて
参りました。
明治神宮、まあ
行くことはあるでしょうけど
明治神宮の
大鳥居の前の建物って
絶対入ることないじゃないですか。
入れないよ、普通。
青年会の活動とは
普通入れないのよ。
で、そこの建物でね
表彰式されました。
えーと
なんていうんでしょうか。
まあ、ね、
本当はその日、俺、嫁さんと
函館に旅行に行く予定だったんですけども
こっち選ばれちゃったんで
おいおい
明治神宮で表彰式なんて
生きてるうちに
まずないぜ。函館は逃げないけども
函館は逃げないけども
この表彰式
逃したらそんなとこに行けないぜ
っていうことで
キャンセルしましたね。
えー
行ってまいりました。
この日本善行会村
というのはですね
本当にマジで
皆さん多分知らない方が多いと思うんですけど
あれどこだったかな
資料資料
資料に
読ませていただきますね。
日本善行会
今回は昭和12年5月7日に発足し
以来今日まで
政治や宗教思想を超えて
明るい澄みよい社会を作るために
善行運動の
推進に努め
善行をなさっている方々に
感謝し表彰を行ってまいりました。
この秋季善行表彰は
第75回を迎えました。
表彰に当たっては
全国の本海78支部を
いわゆる関係団体などから
多数の該当候補者が推薦され
善行委員会に掛けられました。
こうして慎重に審査された結果
秋季192
57団体が
令和7年度善行表彰者として
決定いたしました。
えー
そういうことでございます。
これね
昨日も祝賀会がありまして
えー
祝賀会に出席してきたんですけども
この岩手県の団体も
まあいるんですよ
思いながらね
えー
この善行っていうのは無償だと
無償なんだと
心が大事なんだけど
あのー
紫綬褒章とかあるでしょ
紫綬褒章とか
あのー
あの人たちは
仕事でやっててもらってんだ
それよりもな
無償でやってる
この
報奨とか紫綬褒章のほうがね
すごいこっちのほうが
いいと思う
いいと思うみたいな感じでね
確かにそうだな
仕事でやってて
勲章もらうのは当たり前じゃないですか
頑張ってお仕事してされてね
もらったんだと思うんですけど
じゃあ収入発生するでしょ
この善行というのは
善行は
言うにやすく
言うはまたし
どんな立派な審議主張でも
実際に行なわけなければ
何もならない
本当にそうだと思うんです
無償で
愛しかないですから
それで表彰されたんだから
俺たちすげーことやったんだなと思いました
地域活動の意義
そういうね
青年会
まあねめんどくせーなと思って
入んない人のほうが多いんですよ
でもね
青年会やってるおかげで
いろんな
いろんなところに行かせてもらっております
はい
youは
どうして地域活動を
これねあとね
これ俺の考えなんですけど
仕事は
会社でやるでしょ
会社のサークルね
会社
あとは家
会社と家
そうすると会社と家ばかりの
往復になってしまうじゃないですか
ここに
青年会活動
ここはもう
会社と違ってね
何のしがらみもないですから
会社なんていろいろね
上だ下だ
いろいろしがらみがあるでしょ
青年会活動は
全然ないですからね
なんか逃げ道と言っては
あれですけど
違った会社とは違った
自分を出せるというんですか
はい
サードプレイス
よく言ったけど
そう
青年会は私の
サードプレイス
ですね
やらせていただいております
というわけで
地域系ポッドキャストの日
トップバッターが
オドリバでございました
次の
あれ次の日だ
調べるの忘れちゃった
ちょっと待って
調べるの忘れてた
ちょっと確認します
はいというわけでですね
地域系ポッドキャストの日
今日は
担当は
オドリバでございましたけども
12月17日は
ワタンドさんによります
ご当地ソングが好きすぎる
地元FM局と
スペース運営についてでございます
いや地元FM局
コミュニティFMですね
私もちょっとあの
コミュニティFM
地元のコミュニティFMに
携わったことがありましてですね
リスナーなんですけど
話を大きく盛ってしまいましたね
リスナーなんですけど
そうですねコミュニティFM
割とヘビーリスナーでございます
というわけで
明日も地域系
ポッドキャストの日
お楽しみいただきたいと思います
私はオドリバでございました
また
お会いしましょう
See you next time
なんで小声かっていうと
隣で嫁さんが寝ております
嫁さんあの
昨日
慣れないポジョレヌーボーを
飲んだら二日酔いになってしまいまして
頭痛いと言ってねております
ちょっとしんどいんだもんね
これ飲みましたよ
しばらくぶりに飲みましたねポジョレ
まぁこんなもんかと
ワインの味
全然わかんないよね
何が美味しくて何が美味しくないのか
誰か教えてください
全然マジでわかんないっす
ビールが一番体に馴染みますね
ありがとうございました
ボーナストラック終わります
まぁボーナスでもねえけど
アフタートーク?
よくアフタートークやるって言うじゃん
もったいぶるよな
なーにが普通にしちゃったけど
アンコールみたいなもんですかね
はいあざしたー