「摂食障害」から「摂食症」へ。
名称変更によって、
偏見や誤解を減らし、
早い段階で相談につながることが期待されています。
でも実際には、
「そこまでじゃない」
「自分でなんとかするべき」
そう思って、
苦しさを軽く見てしまうケースも少なくありません。
今回のエピソードでは、
・名称変更の背景
・“相談する前の壁”について
・日本に残る「我慢」「自己責任」の空気
・名前だけでは変わらない部分
についてお話ししています。
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レアード可奈子
過食症・拒食症・過食嘔吐・運動依存・オルトレキシア…
20年以上の摂食障害を経て、現在は同じ苦しみを抱える方のサポートに従事。
米国認定統合栄養ヘルスコーチ
カナダ公認ホリスティック栄養士
米国エモーショナルイーティング心理学コース修了
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サマリー
この記事では、「摂食障害」から「摂食症」への名称変更について、その背景と期待される効果、そして当事者が感じる壁について掘り下げています。名称変更は偏見を減らし早期相談につなげることが期待されますが、「そこまでじゃない」「自分でなんとかすべき」といった自己判断や周囲の無理解が相談への大きな障壁となっている現状を指摘しています。名前の変更だけでなく、個々の苦しみに目を向け、相談できる環境を整えることの重要性を訴えています。
名称変更の背景と期待
Hello, beautiful soul. Thank you so much forlistening to this episode. こんにちは、Kannaです。このエピソードを聞こうと思ってくださり、ありがとうございます。
今回は、「摂食障害」という言葉ね。
摂食障害が出ているというお話について、少しお話ししたいなと思いました。この記事はですね、私のチームの方の一人が探してくださったもので、私はなかなか日本事情まで詳しく毎日見ていないので、
なかなか見ていないという使い方違うか、なかなか見ないので、こういうことありがたいなと思っているんですね。本当にね、本当に人生もビジネスも一人ではやっていけないなと思っているんだけれども、
もしあなたも私にこれ知っておいてほしいなかなはきっと知らないだろうけれど、これこんなのあるよっていう記事があったら、ぜひリンク今後送ってほしいなと思います。
ただね、日本の記事で海外では見れないものもあったりもするので、もしかしたらそのあたりはうまくいかないこともあるかもしれないけれども、ぜひお寄せください。
はい、そして本題なんですが、私がシェアしてもらった記事は、読売新聞オンラインというものの中にあった、2026年3月25日のものなんだけれどもね、
国も2027年1月から統計上の表記を改めるということで、接触症にするというお話が出ていて、この接触障害に対して目がもっと向いている、ありがたいなと思って素晴らしいなと思ったんですね。
ただ、この期待される変化っていうものと当事者が感じている壁っていうのはまだまだあるんじゃないかなと思ったので、お話ししたいなと思いました。
でね、記事では接触障害という言葉はね、回復が難しい印象があって、接触症へ名称を変更することで偏見であったり誤解をなくして早期の受診、すごい大事ですよね、や相談につながることを期待しているという内容が紹介されていたんですね。
で、誤解や偏見から受診や相談をためらうケースが多かったと見られているという背景があるし、そういうことも実際に当事者の方もしくはドクターの方からも聞いているんです。
当事者が感じる壁:自己軽視と周囲の影響
もう実際に関わっている中で痛感していたことだったと同時に、この障害という言葉だけでは説明できない部分もあるなと思っていて、自分の状態を軽視すること、周りの環境の影響もかなり大きいと感じているんですよね。
これは自分が接触障害を持っている時、自分は接触障害だなんて思いもしなかったということ、そして過去現在のクライアントさんたちからのシェアしていただいたことも含めて感じていることです。
どんなことかというと、例えばもう私は接触障害ではないと思っているので、接触障害という言葉を見ても、接触症ということを見ても、誰か苦しんでるんだな、大変だな、ぐらいで自分は関係ないと思っているね。
そこまでひどくないと思っていたというケースの方がほとんどなんですよね、私も含めて。もしくは考え方として、ただ食べ過ぎちゃってるだけだと思っていて、食べ過ぎが止まらないなと思っていたとか、ダイエットうまくいかないなと思っていたというような感じ。
こういう話をされる方は本当に多いんですよね。で、ご縁をいただいてもう少し色々聞いていくと、食べることとか体型のことで、1日の中でかなりの時間とエネルギーを使っていたりね、食べた後に強い罪悪感があったり、人と出会う予定や洋服選び、外食、旅行とかまでね、影響をしたりしている。
それでも本人はね、「いや、もっと大変な人がいるでしょう。」とか、「自分はまだ大丈夫。」とか、「これは自分の意思の問題だから。」と思って、支援や相談のね、選択肢を自分から遠ざけてしまうことがよくあります。
で、ここにはね、本当に大きな壁があるなぁと思うんですよね。うちの犬が、あの、さーい、ため息で、ふーんって言ってたのが、もしかしたらバックグラウンドで聞こえたかもしれない。で、この大きな壁というところで、当事者さんにとってもね、支援する側にとっても、この相談する前の壁はものすごく大きいんですね。
で、その壁っていうのは、本人の理解不足だけでできているわけではないわけなんですよ。本人っていうのは当事者さんの方ね。周りからの、「それくらい普通でしょう。」とか、「気にしすぎじゃない。」とか、「食べなきゃいいだけじゃないの。」とか、「どうしてそんなことで悩んでるの。」みたいな言葉や空気によってね、自分の苦しさをさらに軽くする。
本当は苦しいんだけれども、軽視しときゃいいんだな、しなきゃなというふうにしてしまうこともたくさんあります。
特に日本ではね、「病名がつくほどではないなら大丈夫。」とか、「自分でなんとかすべきでしょ、それくらい。」とか、「人に相談するほどじゃないよな。」とか、「私がこんなことであの人の時間取っちゃったら申し訳ない。」とかね、そういう感覚がまだ残っている場面も多いように感じるんですね。
だからこそ本人が、「これはね、相談していいことなんだ。」と思えるまでにすごく時間がかかることが多々あります。
相談への遅れと支援の重要性
そして支援につながらないまま時間が経つと、最初はね、本当はね、セルフワークとかマインドセットワークとか、自分と向き合う時間を取るっていうところね。
生活や環境の見直しで整えていけたかもしれないものがね、かなり苦しい状態になってから、初めて病院や施設につながるということも起きるわけなんですね。
で、もちろんね、医療につながること、すぐにつながることが必要な場合はあります。そこはとても大事です。特に虚職症であって、もう栄養が足りないというふうであれば、入院してね、いろんなケアをいろんな方から受けていただく、とっても大事です。
でも、本当はね、そのもっと前の段階で、何が起きているのかを自分で理解したり、自分を責める以外の方法を持ったり、安全に話せる場所があったら、苦しさがね、ここまで大きくなる前にできることがあったかもしれない。
で、私はここをとても大事に見ているんですね。名前がね、接触障害から接触症に変わることは大切なね、本当に大切な一歩だと思います。でも、名前が変わるだけですぐに相談しやすくなるわけではないんじゃないかなとは思っているんですね。
その奥には、自分の状態をね、軽く見てしまうこと、さっきもお伝えしているけれども、周りの何気ない言葉、これは自分で何とかするべきという思い込み、そういうものがね、いろいろいろんなところで重なっていると思います。
で、だから名前がつくかどうか、変わるかどうかだけではなくてね、食べることや体験のことで、名前がつくかどうかっていうのをもうちょっと言い直しちゃおうがいいか、診断名がつくかどうか、そしてその診断名が変わるかどうかだけではなくて、食べることや体験のことでどれくらい日常が影響を受けているのか、
頭のね、中がどれくらい食べ物や体系でいっぱいになっているのか、あなたはね、食べた後どれくらい自分を責めているのか、そういうところをね、見ていくこと、とっても大事だと思っています。
名称変更を超えて:個々の苦しみへの注目
それでね、私はそこまでじゃない、そう思っていても、もし毎日の中で食べることや体験のことで苦しさが続いているなら、それはちゃんと見ていいこと、pay attention、アテンションを向けていいことなんですよね。大げさにする必要はないです。でも、なかったことにしなくてもいい。
このね、名称変更が相談していいんだ、とか、自分の状態を見つめてもいいんだ、見てもいいんだ、そう思える人がね、少しでも増えるきっかけになったらいいなと思っています。
ということで、今日は接触障害から接触障へという名称変更に向けてという私の思いをシェアしておきました。
09:40
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