00:11
本日のマーライオンのにやにやRadio、ゲストは、THEラブ人間、金田康平さんです。こんばんは。
こんばんは、金田です。
金田さん、こんばんは。
元気?
元気です。お久しぶりです。
いつ以来だろうね。
いや、いつ以来でしょうね。もう6、7年ぶり。
あ、いや、一度あの下北沢にてで、入り口でご挨拶を5分ほどした以来だと思います。
金田さん、渋谷でお茶しなかった?
渋谷でお茶ですか?
渋谷でさ。
渋谷でお茶しました。
渋谷でお茶したよね。
しました。僕のラジオドキュメンタリー作品みたいのがあって、それで話を伺うということでお茶しました。
あれがいつだろうね。
あれが6年前ですね。
まじ?
大学卒業時ぐらいなんで、4年か5年前ぐらいだと思います。
やばいわ。
かなり前です。
いや、俺あれ2、3年前だと思ってた。
倍ぐらいの感じですね。
本当?すごいな。そんな前か。
そうなんですよ。
マーライオンと最後にゆっくり喋ったのはそこのイメージだな。
そうですね。そのときはゆっくり喋りましたね。
今の宮下パークがあるところら辺の喫茶店だった気がする。
そうですそうです。はい。
そっかそっか。あの日に一体何を喋ったか全く覚えてないけど、あの日に喋った記憶がすげえ。
その日はそうですね。
真面目な話だったよね。きっとね。
そうですね。はい。そうですね。
ライターかなんかの人と3人だったっけな。
僕の高校時代の同級生が卒業政策で、日芸の放送学科の子だったんですけど、
卒業政策でマーライオンのドキュメンタリー作品を作るみたいな話があって、
カネラさんものすごく重要な、僕の人生にすごい重要な関わりを持つ方なので、
カネラさんにお話を聞こうということで。
そっかそっか。それで呼んでもらったんだね。
そうです。渋谷でお話を伺いました。
なんかその記憶最後にすごい濃いのがあったから、それだねきっと。
はい。
いやーお久しぶりです。
お久しぶりです。本当にありがとうございます。
いえいえ。もうご立派になられて。
いやいやいや。そんなそんな。
ローズレコードの人でしょ。
そうですね。ローズから。
ローズから出すってすごいことだからね。
そうですね。お会いした頃と比べたら本当にそうですね。
あのメジャーデビューとかするよりも狭きもんですから。ローズレコードから出すっていうのは。
そうですね。
03:00
どうだと思うよ。そはべさんのメガネにかなって。
いやいや本当に。
レコードで聞きたいって思われてるわけだから。
いやありがたいですね。本当に。
本当に感無量でした。俺はそのパラハイツをローズから出すって聞いた時は感無量でした。
いやもう僕もですよ。本当に。
かねださんは本当に僕の人生で大恩人なんですよ。
いえいえいえ。よく言ってくれるけどね。
いやいやいや。それは本当に。これはずっとこれからも言い続けますけど。
僕2009年の3月からマーライオンっていう名義でライブし始めるんですけど。
その時にそのライブハウス。初めて出演したライブハウスで。
かねださんがスタッフをされてて、ブッキングを担当されてて。
僕の初ライブを目撃してくださってて。
いやーそうだね。
僕は僕で当時高校生で、本当にそれこそコピーバンドですね。
バックホーンのコピーバンドをやってて。
歌が下手でギターが下手で首になって。
最初で最後のつもりでソロでライブをやって。
音楽辞めるつもりでいたんですけど。
かねださんが終わるライブ終演後に続けたほうがいいよっておっしゃってくれなかったら僕は続けてないので。
うんうんうん。
あの本当に。はい。
なんかね。
マーライオンはその日のことを一生忘れないと思うじゃない。
やっぱね、不思議なもんでね。
俺も今まで音楽やり始めて20何年経って、ラブ人間やり始めて12、3年経つけど。
やっぱその音楽を続けさせるきっかけを今作ったかもって思うことも、その人自身の初めてのライブを見ることもやっぱ一度ぐらいしかないんだと思うんだよね。
はいはいはい。
自分の今までを振り返ったとき。だから俺もやっぱりすごく濃く覚えてんだよね。
あーそうなんですね。覚えていただけてるなんて嬉しいです。
まだKVBに受付がさ、なんか変な掘ったてのやつが。
はい。
角のとこにさ、無理やり机と椅子が置いてあるような受付があったんだよね。
置いてありましたね。
あそこで喋ったよね。
そうですね。
いやーそうだったわー。
でもね、俺はもう結構マーライオンが恩人って言ってくれるように、恩人っていうことは良かったってことじゃない?
ほんとそうですよ。
06:00
やっぱマーライオンを一発目見たときの感じって、もうそりゃお世辞にも上手じゃないし、何もかもが上手くいってない感じがあるんだけど、なんなんだろうね。
別にキラリと光るものもなかったんだよ。
はいはい。
センスもないし、顔も良くないし、もちろん曲も、歌詞も聞こえない、むしろ聞こえない、何歌ってるか分からない。
だけどそのやっぱ、なんか良くできてないってやっぱすごい良かったんだよね。
あー。
あれってなんて言うんだろうね。
あの、そのなんかマーライオンを最初に見たときの感想ってみんな色々あると思うの?
はい。
これまでもう、だってマーライオンとラブ人間はあれですかね、同期ですからね。
そうですね。
2009年なんで。
はい。
同期じゃないですか、我々。
そうですね、はい。
年が違うだけで。
はい。
みんなこの十何年間でさ、マーライオンを初めて見たときの感想って各々あると思うけど、
はい。
俺はやっぱ今でも言葉にはなんないんだよね。
あー。
説明つかなかったんだよね、あれ。
あ、そうだったんですね。
そう、なんなんだろうね。
いやさ、なんか、いやお前良い曲書くからやれよとかでもないし、
お前良い歌詞書くからやれよでもない。
はいはいはい。
なんか、まあとりあえず絶対やっといた方が良い人なんだろうなって感じ。
なるほどー。
だから未だに説明つかないし、説明できてる奴はみんななんもわかってないんじゃないか。
マーライオンのことって思う。
なるほど、言葉に。
今見たら違うからね。
はいはいはい、そうですね、はい。
今のマーライオン見たら、
はい。
あのー、いろんな感想を持てるぐらい、
はい。
音楽としてやっぱ素晴らしく成立してるけど、
あの時って何も成立してない。
そうですね、はい。
いやほんと見せたいもんな、みんなに。
その、あの、あの日のあのライブ、
はい。
をみんなに見せたい、見せて、
はい。
感想をとりあえず言い合いたい。
なんなんだ、なんだったんだろうな、マーライオンのあの感じ。
いやー。
誰も説明つかない。
曲を作らずに出てたので、
その場で作ってたんですよね。
うん。
それは覚えてるんですよ。
うん、そうなんだよね。
なんかやっぱ、なんかそのー、やっぱさ親がさ、
はい。
親に音楽やってんの隠してたかさ、
そうですね、はい。めちゃくちゃ厳しかったんで、はい。
だったよね。
はい。
俺親御さんに手紙かなんかとか書いてたでしょ?
あのはい、いただきました、はい。
あの持ってます、今も、はい。
マジ?
持ってます、実家で保管してます。
なんかお母さんに続けさせてあげた方がいいと思うっていうのを、
09:03
はい。
手紙書いたよね、俺。
あのはい、書いていただきました、はい。
本当に俺周りの奴らにやめろって言われたもん、書くの。
あ、そうだったんですね。
家庭に踏み込まない方が絶対いいよみたいな。
あーなるほど、いやーでも今僕が今、今の自分の年齢で、
もうそうですね、周りにいたら同じこと言うかもしれないですね、もしかしたら。
ね、そのー、
はい。
でもその、あのー、
はい。
エルゼさんにそのー、グッとこう押さえつけられた、
はい。
まあ生き方じゃないけどさ、生き方って言ったら失礼だけど、
いやいやそもそも。
その時の生活は、
うんうんうん。
マーライオンの心の中はやっぱ、グッと押さえつけられてたわけじゃないですかね。
そうですね、はいそうですよ。
で、
本当にそうです。
それを解放しようとする魂があったんだよね、きっとね。
はいはい。
それを解放する魂があって、
それはもうお前、音楽とかじゃなかったんだろうけど、あれは。
はい。
そのー、ただの鬱憤というかね。
そうですね、もうフラストレーションの塊と。
で、その鬱憤って、そのー、要は、
はい。
自殺の種みたいなもんじゃない?
ああ、本当にそうでした。
はい。
そうですね。
で、だから俺あの時に親御さんに手紙書いた理由はね、
それすごい強かったんだよな。
ああ、そうだったんですって。
なんつーんだろう、あのー。
死んじゃうんじゃないかぐらいってことですか?
そうそう、そのー。
人ってさ、どっかでガスを抜かないと死ぬのよ。
はいはいはい。
シンプルに、あのー。
はいはい。
人って死ぬわけよ、そうやって。
はい。
簡単に自分で選んじゃうから死ぬってこと。
そうですね。
だから、それ、この子にとってそれが今音楽であるんなら、
はい。
そのー、一番近い親御さんは、
はい。
が味方しなかったら、
はい。
俺が味方しててもしょうがないからと思ったんだよな。
はいはいはい。
なんか仲間増やすじゃないけど、
はいはいはい。
俺一人でさ、そんな下北のライブハウスの店員さんがさ、
この子続けたほうがいいって言っても何の悪にもなんないから、
一番近い人とマーライオンの周りに友達を作ることみたいな。
はいはいはい。
マーライオンの周りにマーライオン続けたほうがいいよって、
はい。
思ってくれる人を増やしたいなと思って、
はい。
あの開くドアとか、
はい。
田舎白地区音壇とか、
はい。
あそこら辺の人たちとバンバン会わせてた記憶がある。
なるほどー。
うん。
でもね、これ理由もあって、
はい。
俺がやっぱ高校生の時、
はい。
学校にやっぱ全然友達いなくて、
はい。
俺も、俺はライブハウスでもうバンドやってたから、
はいはい。
留学1年の時にオリジナルのバンド組んで、
12:01
はい。
ずっとこの学生の間って基本的にライブハウスで演奏しに行く放課後だったんだよね。
はいはいはい。
そうそう。
で、俺はそれがあったからほんとに、
すごいつまんない学校も行けたから、
あー。
だからやっぱそこはすごいあった。
俺もほんと死んじゃいたいなってばっか思ってたから、
はいはい。
学生生活って。
はい。
友達もいないし、で、友達っていうか周りの奴らみんなつまんないし、
はいはいはい。
うん。
話も合わねえし、
で、こいつらも俺らの、俺のこと面白いともつまんねえ、
うん。
面白いとも思ってないだろうし、
はい。
ほんとにこんなとこ来たくないなって、あと何年もあんのかって。
はいはい。
でもやっぱ音楽やり始めてバンドやって、
はい。
ほんと大したことないバンドだったけど、
うん。
なんかその、一生懸命このライブハウスの外、
ライブハウス、
はい。
学校の外でライブハウスにいる、いて、
はい。
演奏したり、友達とレコードの話したりする、
はいはいはい。
ことがやっぱ、その死を遠ざけるっていうかな、
うんうんうんうん。
感じすごいあったから、
はい。
ちょっと自分を見てる感もあったんだろうね。
そうだった、いやでもめちゃくちゃあの、ほんとにありがたいですね。
うん。
結構どうかなっちゃいそうなくらい、頭イカれてたんですよ、ほんとに。
いやほんとつらそうだったもん、マラヨンは。
あーほんとですか。
うん。
なんか今あの、当時の、
うん。
あの、写真を見返すことがこの間あって実家帰った時に、
うんうん。
きつそうな目してるんですよ、なんかすごい性格がきつい顔してて。
目ずっと吊り上がってたよね。
あ、吊り上がってました。
うん。どんどんニューアンになってくるもんな顔は。
そうですね、ほんとにそうなんですよね。
うん。
よっぽどつらかったんだなって思いますね今。
やっぱこんだけ最新作と一番古い作品で、
はい。
あの、表情が違う人は少ないかもね。
ははははは。
マラヨンって基本的には今の、
はい。
今の楽曲を聴いててもやっぱマラヨンっぽいね。
あー。
一番最初のCDと聞き比べても、
マラヨンはやっぱマラヨンなの。
はいはいはい。
そこはやっぱ変わんないんだけど、
はい。
やっぱ歌、その、あれね、映像を見てるわけじゃなくて、
はい、面構えというか、はい。
その、声から感じる顔ってあるじゃん。
ありますあります、はいあります。
耳で聞いてる時に感じる顔がやっぱ全然違うんだよね。
はー。
ブルーハーツとさ、黒マニオンズなんて同じ顔してんじゃん。
してますね、はい。
ヒロとマシンも同じ顔してんじゃん。
同じですね、はい。
マラヨンはほんと人相が違うもんな。
そうですね、ほんとに、ほんとに結構ほんと怖かったですもん。
見返した時に。
怖いよ。
ははは。
怖い怖い。
いやだからもう、むしろだからその、歳とってきて、
うん。
あのー、もう今28になったんですけど、
うん。
あのー、お会いしたの27で、
15:00
そうだね。
あの時、あのー、ほんと優しくしていただいて、
ほんとに良かったというか、命拾いをしたなっていう気持ちではいるんですよ。
優しくしたというか、いじりまくってたって感じ。
ははは。
いやそれがありがたかったです、ほんとに。
うん。
いややっぱなんかあの時にさ、周りに友達もさ、そんないなくてさ、
はい、いなくてですね。
マラヨンがほんとに腹を割れる友達が少なくて、
はい。
あのー、だからあんぐらい年上の人たちと一緒に過ごせて良かったよね、高校時代にね。
そうですねー、ほんとにそう思います。
すごい上だったんじゃない、みんな。
そうですね、今思えば8個とか10個上とか多かったですね、やっぱり。
はい。
そうだよね、俺ですら、
6つとかじゃないですか、6つ。
6つ上とか、俺今年35だから、
はい。
そうだね、6つ。
6つ、7つ、そうですね、はい。
松尾さんとかは、
10個上ぐらいだと思います。
10個いかない、5個いかないぐらいですね、はい。
いのかしアーチコン団と平工堂のベースの寺中さんいるじゃん。
寺中さんは、そうですね。
寺中さんって俺の10個上とかだから。
そうですよね。
俺より10個上ぐらい。
はい。
今一緒にバンドやってるけどね、俺も。
そかべさんとやってるよね、今。
そかべさんのバンドで。
はい。
いやもう最高だなって思ってますよ、あの、経緯を知ってるんで僕は。
流れを知ってる上で、あの、お二人が一緒にやってるのいいですよね。
しかも俺ドラムだから。
いやそうなんですよ、ルーデー作曲以来ですもんね。
え、よく知ってるな、俺のラブ人間の前のバンドも。
いやもう僕は、ラブ人間の前身のその名前の頃から知ってるんだよ、ラブ人間。
そうだね、金田くん、アンドアンドブー。
いや俺子さん、子さんぶれますよ。
子さん。
子さんです。
子さん。
厄介太田ですね。
厄介太田です、ほんとに。
心わしづかみにされてますから。
いやいやいや。
いやほんと、出会いだけでもうこんだけ喋れるぐらいですよね。
いやほんとにそうですね、ほんとに。
いやーもう。
怖かった。
あるんですか。
狂気をはらんでたんじゃなくて、狂気だった。
なるほど。
その狂気をはらんでるやつはいくらでもいるけど、
あと狂気はらんでるぶってるやつもいっぱいいるけど、
やっぱもう音楽を超えたただの人間の狂気だから。
うわー。
なんか、まあよく言ってるけどね、これ。
いやいやもう犯罪を起こさなくてよかったですわ、ほんとに。
いや、ほんとなんか、ほんとそういう感じだったんだよな。
いやー。
なんかもうみんなに見せてんだよな、とにかくあの頃の。
みんな見たら、あーこいつヤバいやつだなって。
よく、よく街中で狂っちゃってるやついるじゃん。
いますね。
電車の中とかで狂っちゃってる。
もちろんあれだよ、身体の障害を送る人とかじゃなくて、
もうシンプルに狂ってるやつ。
狂ってしまいますね。
あれだったんだよ、まああれは。
あれが見たらマッチェステージに立ってたから、
これは、あのー、どうにかせにはいかんっていうことだよね。
いやー。
いやだから、そういうことほんとに、
18:01
お手紙書いていただきましたけど、
かねださんもラブ人間も活動が広がって、
メジャーに行くタイミングもあるじゃないですか。
そうだね。
やっぱその、親への説得がやっぱ増していくんすよ。
その、なんていうか、
この手紙を書いてくださった方は、
こんなにもすごいミュージシャンなんだよっていうのを、
実家の母に伝えられる部分もあって。
それはよかったかも。
ものすごく効果がありました。
じゃあよかった、じゃあよかった。
あのー、そういうことね。
ただのライブハウスのスタッフさんじゃないんだよっていうことだよね。
そうですそうです。
ミュージシャンとしてすごい人なんですっていうのを伝えてたので。
そう考えたらメジャーデビューしてよかったですね。
いやいやもう本当に、
それこそ最近なんですよ、
ここ2,3年でようやく親が頑張んないよみたいな感じになってきて。
まあ大人だからね。
まあそうですね。
でもそれでも本当に結構家が厳しかったんで。
本当に厳しかったよな。
本当に厳しかったですね本当に。
俺なんか漫画の中に出てくるタイプの厳しい親初めて見たもんな。
いやもう全く同じことをその当時おっしゃってました。
漫画タイプだな。
そうですね本当にそうでしたね。
いやもちろんお母さんのあれは否定してるわけじゃなくてね。
もちろん愛情があってこその。
本当育て方が正しいと思うよ。
素晴らしいことだと思うけど、
これはちょっとそのなんか外からすいませんが、
お母さんの理解できない世界っていうのがこの世にあるんですわっていう話をした気がする。
知らない、もう知ろうとしないと知れないようなアンダーグラウンドがあってですねみたいな。
本当そうだよね。
俺らのやってることなんて変じゃない?
そうですね。
お父様にさ、金払ってもらってさ、
こっちが勝手にさ、考えてることを謳ってさ。
いや本当そうですね。
それで生活させてもらってさ。
そうですね。
いや本当にありがたい話ですよ本当に。
ありがたいですよね。
いやそうなんですよ。だから本当にその、
最初に金谷さんとお会いして、
ですぐにその次のライブも呼んでいただいたりして。
そう、こう決めたの。
すぐ決めてくださいましたね。
もうやりまくれって言ったんだな。
で、なんかギター持って帰れないんだったら置いてっていいよとか言ってた。
あーそうですね。よく覚えてますね。
あのそうですね、はい。言ってくれてました、僕に。
ねえ。
そうなんですよ。
理由があるからね。
いやそうですね、ギターというかその家から持ち出しができない時期が
一時あったんで、そういうのもあって、
それも込みで金谷さんに相談したりとか、
それぞれあの井のちっくの松尾さんに貸してもらったりとか。
そうそうそう。
みんなのギター使ったことあるんじゃない?
21:00
ありますね。本当にありますね。
今思うと本当に、何やってんだろうって話なんですけど、
そういう人が次、自分の元に現れたら絶対に貸そうと思いますよ。本当に。
ねえ、本当本当そうだよね。
本当にそう思います。
なんか、なんなんだろうな。
だからみんなのとこに現れた、
全員で育てる子供みたいな感じだったんだろうな。
いやもう手取り足取り、すべて教えてもらいましたね。
ライブの仕方もそうですし、
ブッキングしてもらうのも勝手がわからなかったんで。
そうだね。
もう全部教えてもらいましたよ。本当に。
俺らもあの頃から全然さ、ペーペーのペーペーだけどさ。
いやいや、はい。
なんかそれなりの、もうさ、やっぱ20代入ってたし、
俺バンドもその頃で10年やってたから、
なんとなく自分なりのかっこいいがあってで、
それとマーライオンが思うかっこいいの、
その共通項を見出したかったよね、やっぱり。
自分がかっこいいと思ってるものってのはどういうことで、
マーライオンがかっこいいと思ってるものはこうで、
それのその共通項ってのが、
例えば、かっこつけてるっていうことはかっこ悪いよねみたいな。
ただのカラオケみたいな楽譜みたいなのはだせえよなとか。
いや、本当そうですね。
自分が見えない音楽ってしょうもないよねとか。
いや、本当にそうですね。その話しましたね。
そういう共通項、やっぱモテてたから、
今10年以上経ってもこうやって喋ってるわけだろうしね。
だって全然6年ぶりぐらいに会った感じしねえもんな、今。
そうですね。
完全に今、下北のKVBの匂い思い出してましたね。
ブーンとしたカビ臭いの。
そうですね、タバコの匂い。
本当だね。
懐かしいですね。
いや、本当に。
マーライオン全然変わってなさそうで。
いやいや、もうなんとかやってますけど。
でも本当に、
それこそカネラさんのやってる音楽もライブの姿も、
全部かっこよかったからめちゃくちゃ憧れて、
それこそ活動の仕方とか、
それこそその当時って自分たちで録音して作品作るってバンドも、
今じゃ当たり前なんですけど、そんなにいなくて。
どうだったね。
開く度はあって、解散してしまいましたけど、
僕は確信的な重要なバンドだったと今も思ってるんですけど。
そうですね、開く度は一定で、
いのかしらしコーナーも一定っていう状態で、
僕はその3つのバンドに最初に出会えたのが、
24:01
本当に大きかったなと思ってます。
やっぱすごいのはみんな未だに音楽やってることだね。
そうなんですよ、そこなんですよ。
基本やめるから。
そうですね。
俺は20代前半だったと、
20代前半のときに出会った、例えば100人がいたとして、
100人いたら95人はやめん、音楽って。
確実にやめる、こんぐらい大げさじゃないと思うね。
9割以上はやめる。
音楽を生業にするってことはやめるよね、少なくとも。
はいはいはい、そうっすね。
やっぱその高幸加藤を開くボーカルだった高幸加藤と、
平地くんのボーカルだった松尾さんと、
で、俺とって、
やっぱ彼らの形は変わったかもしれないけど、
やっぱり続けてるからね。
そうですね。
だからやっぱそれって俺はやっぱ、
あのときにマーライオンの一番そばにいた3バンドが、
やっぱり正しいかったんだなとは思う。
そうですね。
他にもふざけたバンドいっぱいいたかもしれないけど、
やっぱりね、その3つの三本柱みたいなのは、
みんなそれなりにしっかりと自分を持って今も音楽やってるわけだからしね。
はい。
面白いね、よかったね。
ついていく先輩を間違えなかったなと思ってますよ、僕は。
でもマーライオンもさ、見る目あるからさ。
つまんない奴とはさ、喋んなかったじゃん。
そうっすね、そうなんすかね。
結果的にはそうだね。
こいつムカつくなって奴にはさ、
マーライオンもムカつく顔してたと思うよ。
本当にムカつく人には喋んなかったっすね、僕は。
そうだと思うよ。
それってもう高校生の特権ですから。
つまんねえ奴と喋ってたまるかよみたいな。
でもみんな消えていったんで、別に相手しなくてよかったんだなって今思えば思いますけどね、本当に。
どうね、マーライオンに偉そうなこと言った奴はみんな消えていったかもね。
そうですね、本当にそうでしたね。
マーライオンに偉そうなこと言ってるってことは、
マーライオンにみんな勝ってると思ってたんだろうね、その当時。
あー、はいはいはい。
多分そういう感じで勘仕掛けられたことありますね。
マーライオンよりも俺の方が勝ってるって思ってた人たちは消えちゃったのかもね。
あー、なるほど。
なんかさ、その危機感を感じるわけよ、俺みたいなタイプは。
あー、そうなんですか。
この狂気に。
もう自分の中からとっくに気を失ってしまった狂気を持った17歳の男の子が目の前に現れて、恐ろしいわけ。
そもそも勝ち負けじゃないわけですよ。
はいはい、そうですね、はい。
ただなんかその、なんか自分のパーソナルスペースにすごい土足で足を踏み入れられてて。
27:08
はいはい。
自分の人生っていうさ、パーソナルスペースがあるじゃない。
はい、あります。
そこにさ、本当になんだこの人殺しみたいな目をしたっていうのはさ、
やっぱその不良とかヤンキーよりもさ、狂気をはらんだ優等生のほうが怖いわけで。
なるほど。
やっぱね、だから音楽的な勝ち負けとかじゃなくて、この子怖いなみたいな。
なんかその、だからその、負けてたまるかがさ、勝ち負けじゃないんだよなこれ。
なんて言うんすかね。言ってることはわかります?
ただなんか恐ろしいから危機感を感じるっていう感覚で。
ああ、いやー。
でさ、大体のやつがさ、マーラインはさ、頭のおかしい変なやつ。
終わらせちゃったわけ。
終わらせましたね、はい。
でそいつらはみんな綺麗にいなくなっちゃった。
そうですねー。
だってもともと勝てないんだから。
なるほどー。
もともとそいつらには、生まれたときにお母さんの子宮に狂気なんて置いてきちゃってるわけだよ。
はいはい。
マーラインはそれを17年間持続して過ごした。
そうだと思うよ、ほんと。
だから、そのことをなめてかかるやつはみんないなくなっちゃうんだろうね。
はい。
かもしれない。
なるほどー。
今だから自分が年下のミュージシャンたくさんいますけど、お会いするときやっぱり緊張感ありますもん、今はもう。
そうだよね。
はい。みんなすごいんで、今の人たちみんな。それは年齢問わず全員すごいので。
うんうんうん。もうみんな素晴らしいよね。
いや、ほんとにそうですね。
うん、ほんとに思う。
ほんとにそうですね。みんな作るのいいですからね。
うん。
ほんとそう思うんで。
今の人たちは、やりたいようにやってるよね。
そうですね、はい。
なんていうの、自分のやりたいように、もうほんとにやれてると思う。
はいはいはい。
変なさ、事務所に入ってレコード会社がつかないと音楽で、つくっていうことが音楽でくっていくことっていうコース。
うんうんうん。
ていうか、俺らとかはそれしかなかった最後の世代みたいな感じで。
はいはいはい。
マハライオンの年齢ですらその風潮はまだあって。
ありますあります。僕のちょっとしたで終わったくらいですかね、体感だと。
そう思うんだよ。
はい。
なんかそのやっぱり事務所の人に目つけてもらって、
30:01
はい。
レコード会社の人が見つけてくれて、
はい。
その人たちがお金を出してくれてやっとレコーディングできるみたいな。
いや、ほんとそうです。ほんとそうです。はい。
だからうちはもう漏れなくそのコースでデビューしたタイプだけど、
はい。
ほんと今考えたら、
はい。
あのー、あったんだよね。タカユッケ開くドアみたいに自分たちレコーディングして、
はい。
ていうコースもあってDIYでどんどんやっていくみたいな。
はい。
あったけど開くドアですらウルトラヴァイブから流通かかってやっとCD作れてたっていう。
そうですね。
お金のね、お金がかかってたけど今はさ、
はい。
レコーディングスタジオに借りなくてもさ、
はい。
あのー、リハスタでさ、
はい。
パソコン持ってって撮れるじゃない。
そうですね。
うんうん。だからほんとなんか、
うんうん。
そういう、でそれでも、どっかインターネットで話題になったら、
ちゃんと食っていけるようになったりもするからね。
そうですね。ほんとそうですね。
だからもう圧倒的に、あのー、違う生き物だと思って俺は見てる。
あー、なるほど。そうなんですね。
今のもう、今のもう20代前半ぐらいの、
はい。
音楽やってる人と自分はもう、違うもんだと思ってる。
へー、あかんやつそう思ってってるんすね今。
そうそうそう。
へー。
だって物作んのとかも興味なさそうだしねみんな。
そうなんですよねー。
だから、
そりゃそうですね。
だからそのー、なんていうの、あれだよ、そのー、
はい。
ミュージシャンとして相手にしてないとかは全く思わない。
はいはいはい。
むしろたくさん聴いてる。やっぱり若い子の音楽は。
はい。
たくさん聴いてるけど、もう、あのー、一緒に飲んでも話合わないと思うから、
しっかり老害になってるんで、こっちはこっちで。
なるほど、しっかり老害。
自覚した上でってことですね。
そうそうそう、もう、だから話しても話は合わないだろうし、
向こうも決まんないだろうから、
あー。
話したりしないけど、
はい。
あのー、そう、違う音楽のやり方をもうしてるから、
はい。
あのー、うん、そうだね、してるなーって思うから、
違う生き物だと思ってる。
そうですねー。
そっちのやり方、だからもう、なんかやりたいようにやってるなって思う。
俺らはさ、
はいはいはい。
やっぱり事務所があって、レコード会社があって、
はい。
で、その人たちがを食わせるために、
うんうんうん。
レコード会社の人もお金を稼げて、内村もお金稼げて、
はい。
やんないと次のCD作れない。
はい。
だから、そのなんか音楽を作る上でやっぱ不純物、
まあ不純物って周りは思うかもしれないけど、俺らからしたら、
はい。
なんつーの。
大事なもの、大事なものが。
すごい大切なキャラクター達ってやつだよね。
はい。
うん、そのー、ビートルズにもストーンズにも、
うんうん。
みんな名プロデューサーがいたように、
はい。
その、誰かと音楽を、バンドメンバー以外の誰かと、
一緒にこう物を作るっていう、
33:00
はい。
世代だったから、
はい。
うーん、だから今のことしてそれは基本的にないから、
うんうんうん。
本当にやりたいようにやってるなと思う。
そうですね。
そう、だからやっぱりすごい弾けてるし、
はいはい。
あのー、面白い。
うーん。
うん、だって別にバンドにもこだわんない人も多いしね。
はい、そうですね。打ち込みもありますし、
そうそう。
トラックメーカーもいますし。
うん、そうそうそう。
別に人をさ、集めなくても音楽ができるっていう。
はい。
そこも違うし。
でも僕、あのー、金田さんのやっぱすごいとこってやっぱライブ、
ライブだと思ってるんですよ。
はいはいはい。
曲もそうですし、ライブ、やっぱライブだなと思ってて。
うん。
でもライブって多分まあ今コロナで、まあいっときあれですけど、
またできるようになった時にまたライブが行われるようになっていくと思うんですけど、
うん。
そうなった時にやっぱりこう、トラックメーカーの人とか、やっぱライブとかやってないじゃないですか。
まあ基本的にやんない人多いよね。
そうなんですよね。
ライブやってない人が急にライブをやっても、じゃあいいのかっていうと、
まあすごい天才肌の人はいいんでしょうけど、またちょっとそれはまた別だと僕は思ってて。
そうだね。ライブと音楽作るとはちょっと違うから。
そうなんですよ。なんで、そういう意味でその時にこう、
まあ金田さんがすごいそのライブで、
うん。
いろんな人の心をわしづかみにしていくんだろうなって、
まあ一ファンとしても思ってますし、自分もそうなるように日々努力はしてるつもりなんですけど、
でもそれこそ僕、さっきのライブのスタッフがいてって話もありましたけど、
ラブ人間って、まあ下北谷いてとか最初やってた時もそうですけど、
自分のすごい関わってほしい人を自分で呼んで広げていったじゃないですか、活動を。
マネージャーさんとか、A&Rさんとかもそうですけど、
それがすごい僕、まあその旗からというか、やっぱりその後輩として一緒に見てて、
うん。
同じ時期を。
うん。
やっぱりこれだと思ったんですよ、もうほんとに。
で、
そうね。
今自分で活動してる時は、今そうしてるんですよ。
自分の、
好きな人をスタッフに呼んで関わってもらって作品作ったりもしてて、
一番健康的で、ここ1、2年が一番音楽やってて楽しいんですよ。
うんうん。
それはほんとにもう教えてもらったのはもう金田さんなんですね。
いや結局、
俺たちもメジャーデビューをした時に、
やっぱその一緒にマネージャーを、
36:01
メジャーに連れてけたのね。
はい。
インディーズの時にやってくれてたスタッフもろともみんなでメジャーに行けたってのがでかかった。
かっこよかったですもん、ほんとに。かっこいいなって今も思いますし。
いやほんとやっぱり、もともとがね、パンクロックを聴いて育ってきたたちだから、
やっぱりDIYなんだよね。結局かっこいいと思うのは。
自分の好きな。
やっぱその、CD1個作るだけでも、このエンジニアさんで撮りたいっていうのも、
このイラストレーターの人に絵描いてあげたいとかも、
それも全部自分たちで決めさせてもらえてたから、
ほんとにヴィクター、スピードスターさんにはオスターになりましたよ。
はい。
こんだけわがまま聴いてくれるメジャーのレコード会社なかなかないと思う。
うんうんうん。
やっぱくるりー、うーわ、こっこ。
はいはいはい。
ローミー。
はい、98年の。
はい。
そして今も星野源も羽原君もいますけど、
はい。
スピードスターはやっぱね、あそこだったから俺らは、
のびのびとお金かけてレコーディングさせてもらえたなと。
おー。
やっぱいいスタッフをこっちで選べたっていう。
なるほどー。
うん。
なるほどなー、そうだったんですか。
そう、マネージャーも、うちらはずっと渡辺文竹さんっていう人がね。
はい。
うん。
あのー。
はい、渡辺さん。
誰やねんってその、メジャーの人からしたらさ、
はい。
レーベルの人たちからしたらさ、なんか、
あー。
おじさんも一緒についてきたんだけどみたいな。
あー。
はいはいはい。
だって、ただのふりーのおじさんだったってこと。
あー。
その人も一緒に制作に関わりますってさ。
はい。
よく考えたら変だよね。
まあ、そうですね。
まあ、はい。
このおじさんがうちのバンドのこと一番よく理解してくれて、
サポートもしてくれてアドバイスもしてくれるおじさんなんで、
意識にレコーディングは関わりますみたいな。
向こうからしたらさ、こっちが用意したさ、
プロデューサーとかディレクターとか。
はい。
いるわけじゃん。
はい。
バンドがなんか連れてきちゃってみたいな。
感じだったよ。
なるほどー。
うん。
でも、それこそ渡辺さんの今名前出たんで渡辺さんの話ちょっとしますけど、
そのサニーでサービスの前案があるやつの渡辺さんで、
僕はその金田さんとお会いしたときに、
うん。
その曽我部さんの話とかをたくさんお互いしてて、
そうだね。
そういう経緯があったんで、それも僕にとっては流れを知ってるからこそ、
うん。
そのすごい、うわーめっちゃいいなーって本当に思ってますよ。
いや、そうね。
はい。
うん。
やっぱ今も味方してくれるったりもするじゃないですか、渡辺さんとか。
そうだね。
はい。
39:00
そうだよ。
もうサニーでサービスゆらゆら帝国のメジャーキーを支えたディレクターの人だったね。
そうですね。
はい。
それがね、自分たちについてくれて、長年一緒にやってくれて、
はい。
で、まあうちから離れた後にまた次、何、10年以上ぶりにサニーでのディレクターにまた今戻って、
そうですね、はい。
うん。
なんか、で、我々もそれで曽我部さんたちとこの10年ぐらいで仲良くさせてもらって、
はい。
今でも変わってるわけだからね。
はいはいはい。
曽我部さんは中心にいたよね、いつでも。
そうですね、本当にそうですね。
手の届かない大先輩だね。
そうですね。
それこそ本当にあの、ラブ人間の企画に、あれ曽我版でしたっけ?出た時。
うん。曽我版とは何回もやったね。
はい。で、見に行って、
うん。
僕まあずっと曲はCDで聴いてましたけど、
うん。
ライブは見たことがなくて、
そっかそっかそっか。
もう衝撃受けて、
やばいよね。
やばいっすね、本当に。はい。
KVBかな?
KVBだと思いますね。
KVBで曽我版と2枚やったんだよ、ラブ人間。
そうですね。僕の愛した女たちだったんじゃないですか。
そうそうそうそう。
あの、ラブ人間の実習企画タイトルなんですけど、それが。
うん。
キラキラ出した頃だからね、もうめちゃくちゃ油のってる。
あ、そうですね。
そうだ。その辺りですね。
よく2枚やって自信とか失わなかったよな、当時。
ははははは。
いやでも、ラブ人間も最高の版ですから。
はい。
いや、本当になんか、あの、大人になってから、
はい。
よく23、4歳で、
はい。
曽我版と2枚やって、
はい。
なんか、よく音楽辞めないですんだなって感じ。
ははははは。
あの、いや普通叩きのめされて、
はい。
無理無理無理、もう、あんな人がこの世にいるんだったら無理って言って、
なってもおかしくないようなライブしてる。
はい。
あの人。
そうっすかね。僕は客席で見てたんで、そんな風には。
ははは。
思わなかったですけど。
いや、俺は、俺も当時は思わなかった。
はい。
あのー、
あ、冷静に考えるとってことですよね。
そう、今振り返ると。
はい。
ははははは。
よく、あの時に辞めないで、なんか、燃えられたなって思って。
はいはいはい。
燃え、燃えるわーって。
うーん。
ははははは。
慣れたの。やっぱまあ喜びの方が強かったんだろうな、
曽我版と2枚っていう。
はいはいはい。
うん。
いややっぱ中学生の時からずーっと聴いてた人と2枚やるのかっていう喜びがある。
はい。
そっちが勝っちゃったよね。
そうですねー。
いや、嬉しい気持ちがやっぱこっちにも伝わってましたもん。
お客さんの僕らで。
あの、しかも曽我版とやったのがたぶん10月なのね。
はいはいはい。
で、8月に、その年の2ヶ月前か。
はい。
曽我版とやる2ヶ月前に、
42:00
はい。
あのー、遠藤健二さん、遠健さん。
あ、MARSですよね、MARSも。
はい。
あれもラブ人間の企画で。
はい。
俺がもう一番好きな遠健をね、遠藤健二。
はい。
もう俺の40公演ですよ。
はい。
遠健さんを呼んだ時も、
はい。
喜びがかったの。
遠健さんが、遠健さんとやんだってなったな。
はいはいはい。
俺言ったっけ?
あのー、遠健さんにライブオファーした時、
はい。
どうやってオファーしたか知ってる?
え、知らないです。聞いてないですね。
渋谷にBYGってライブディスクがあるんだよね。
ありますね、はい。
それこそ、70年代にハッピーエンドとか。
はい。
中田渉とかがホームにしてたライブ喫茶っていうか。
有名なとこですね、はい。
で、俺BYGに遠健見に行ったの。
はい。
で、これ打ち上げってどこでやるのかなって思ったのよ。
はいはいはい。
で、どうやらその時に、
ラブ人間のドラムだった戸賀氏がBYGで働いてたの。
あー、はいはいはい、戸賀さん。
で、戸賀氏に連絡して、遠健さん打ち上げどこでやりそうって聞いたら、
BYGでやるよって言ったから、ちょっと潜り込むわっつって。
はい。
CDだけ、自分たちのCDRだけ持って。
はい。
打ち上げにそのまま潜り込んで。
はい。
遠健さんの隣の席空いてたから座って、
そしたら君誰って言われて。
はいはいはい。
で、こういうもんで、ライブ出てくださいってCD渡したの。
めっちゃすごいっすね、それで出てくださるんですもんね。
そう、それで家帰ったらCD聞くから、とりあえずカレーでも食べるって言われて。
はいはい。
遠健さんがその日、まかないを自分で作ったカレーを持ってきて。
あのカレーライスじゃないですか。
そう、俺この人生で一番の自慢が遠健さんのカレーライス作ったことあるっていう。
めっちゃいいっすね。
そう、俺これ自慢なんだよね。
それは自慢ですもんね、それは。
めっちゃ最高っすね。
それでもうオファーして、で、ほんとそこから何ヶ月かして、
遠健さんから連絡が来て、マネージャーさんから連絡が来て、出るって言ってますみたいな。
ほー。
みたいな感じで出してもらったんですね。
はー。
出てもらったんですね。
そういう経緯だったんですね。
ほんとに怖いもんなんてないよね、その動画。
えー。
あの日の遠健さんのライブ、僕見てますけど、ほんとすごかったですね。
すごかった。まじやばかった。
ほんとにやばかったっすよ。全部覚えてますもん。何やったか。
もうなんか、人間のパワーっていうのを全部感じてる。
45:00
いやーそうですね。
人ってやべーみたいになった。
いやーほんとそうですね。
そう、やっぱ遠健坂部さんは、
はい。
もう、あのなんか、ここまで一生懸命やんないと音楽なんて意味ないんだってのをいつも教えてくれるよね。
そうですねー。
なんか頑張るとか、
はい。
両懸命とかって、ロックとかさ、あのーからしたらさ、
はい。
出せる言葉なのかもしんないけどさ、そんなのどうでもよくなるぐらいこうやっぱり一生懸命やって頑張るっていうことがさ、
はい。
いかにこの人様の前に立つときに必要かっていうのをいつも教えてくれる。
そうですねー。
遠健さんは、なんか僕、それこそ新宿のMARSのラブ人間の企画、遠健さんに僕も挨拶したくて、
うん。
さっき話に出た渡辺さんに頼んで、遠健さんに会わせてもらえませんかみたいな話をして、楽屋行ったんですよ。
あー、上ね。MARSの上ね。
楽屋に行ったら渡辺さんが扉を開けてくれて、そしたら腕組んだ遠健さんが座ってて、目つぶって、微動だにしてなかったんですよ。
最初寝てるのかなと思ったんですけど、寝てはなくて。
うん。
後から聞いたら、体力をライブに全部注ぐために1秒たりとも動かないみたいな、そういう時間だったらしくて。
これぐらいやらないといけないんだってものすごい突きつけられましたね、そのとき。
いや、ほんとね。なんなんだろうね。
あれはすごすぎますね、ほんとに。
でさ、これも想像でしかないんだけど、やっぱ古いレコードを今でもさ、聴いててさ、遠健さんとかってほんと60年末期から70年初頭デビューでしょ。
はい。
で、ほんとビートルズの解散ぐらいの時期に日本でやってるわけだけど。
そうですね。
フォーク、いわゆるフォークに分類されてるじゃない。
はい。
遠健、カレーライスの人ねみたいな。
そうですね。
でさ、周りにトモベマサトさんとか、高田パルさんとかいたり、いろんな人がURCってね、フォークの。
レベルの闘争。
あったけど、あの人最初っからロックなんだよね。
そうですね。
あの人だけセクシーなんだよ。
そうですね。確かにそうですね。
あの人セクシーなんだよ最初っから。
色気すごいですもんね。
色気がすごい。やっぱその貧乏人っぽい格好をして、髪の毛挑発でみたいなタクローみたいなのがあるんじゃないのよ。
48:05
あの人だけちゃんとパンタロンにかっこいいシャツにかっこいい帽子被ってステージ立ってんだよ。
四条フォークとかみんながファッションみたいになってたのかもしれないけどさ。
あの人だけはね、やっぱその着飾って。
品がすごいありましたよね。
あれがかっこいいんだよな。
そうですね。
なんか未だに、俺も本当に衣装なんて大した衣装はないよ。大した衣装じゃないけど。
やっぱその楽屋に入った時の服装で俺ライブやんないのよ。
はいはいはい。
その日ライブハウスにおやざ回して入った服では決してステージに上がんないようにしない。
なんかそのライブ前に着替えて、髭剃って。
で、髭だってさ別に生えててもいいわけよ俺ら。
別にキャラがさ顔で売ってるようなバンドでもないから。
もう短くなんて本来しなくてもいいわけよ。
髪の毛もボサボサで別にTシャツにジーパンで出てもいいんだけど。
Tシャツにジーパンで出たとしても楽屋に入った時と違うTシャツとジーパン履いてライブやってるわけよ。
はい。
なんかこう衣装を着るみたいな。
いやめっちゃおかしくて。
髪を…
僕もです。
ね。
なんかそのスイッチを入れるじゃないけど。
そうですね。
なんかそのステージってやっぱちょっと新鮮なんだよね。
いやもうそういうの分かります。
なんかその遊びで、遊びでステージにはやっぱ。
俺は遊びで音楽やってるんだけど。
はい。
そもそもは。
はい。
今も。
はい。
音楽は遊びだし。
はい。
楽しいじゃなくなったらもうそれは。
はい、そうですね。
ボツかやめるか。
はいはいはいはい。
楽しいおふざけ、遊び。ではあるけど。
はい。
ステージは新鮮で遊びじゃないんだよね。
うん。
これ不思議だけどやっぱお客さんが目の前にいるってやっぱそういうことかなって思うんだよね。
はいはいはい。
だってレコーディングしてレコード出すことなんてのはこっちの勝手だけど。
はい。
あれでやると巻き込むからね。
そうですね。
お客さんが金払ってくるっていうかさ。
そうですね。
やっぱステージに上がるときは緊張するよね。
緊張しますねやっぱり。
うん。
一生何かのタイミングで思い出してもらえたらとかなんかわかんないですけど。
もう。
何かに引っかかってほしいみたいなのは。
ね。
やっぱ思いますしね。
マジでさぼーっとしてたらさ、ライブって。
はい。
ぼーっとして上がってぼーっとやったらさ。
はい。
なんも残んないよね。
いやそうですね、ほんとにそうですね。
そうそう。
あれの一生懸命やったつもりが。
51:01
はい。
全然そういうのできてなくて。
はい。
俺すげーぼーっとしたまま30分歌ったなって。
はい。
いうときって、まあ何度かあんだけど。
はい。
ほんとにがっかりする。
そうですね、僕2、3回やったことあるんですけど。
うん。
ほんとに落ち込みましたね帰り道。
落ち込むよね、俺2、3回じゃないよほんとに。
いやほんとそうですね、ほとんど今はもうあんまやんないですけど。
うん。
いやーそうですね、それはほんとそうですね。
うん。
いやー俺ほんと今でもあるよ。
今でもありますね。
もう落ち込んで帰ることの方が多いな。
あー。
やっぱりライブは。
難しいよね。
そうですね、かねライブはほんとそうですね。
ライブって難しい。
その分ほんとレコーディングとかさ。
はい。
曲作りってのはなんか何のプレッシャーもないからほんとに楽しいもんだけど。
そうですね。楽しいですねほんとに。
ライブはほんとに辛いよ。
しんどい。
そう全部開始とかそうですね、もう考えること多いですからね。
いろいろメンバーとかも。
ほんとほんと。
はい。
この人たちに見や、この人たちに求められてるもの以上のものを完成られることなんてこれからあんのかなとは思うよなほんとに。
はいはいはい。
その人が例えば7年ぶりにラブ人間見たとして。
はい。
7年前のラブ人間を更新できるかとかさ。
はいはい。
それぞれその日の体調も違くて来た場所も違くて。
はい。
その人たちがさみんなこう、あー良かった良いライブだったなって思ってもらえるのがさ理想じゃない。
理想ですね。
やっぱね、なんか分かってくれるやつにだけ分かってもらえばいいんだよとやっぱり断じて思えないから。
いやーほんとそうですね、それはほんとに僕も同感です。
ね。
はい。
ほんとに思えないから、だからね、最終的にはそれをできるようになれたら嬉しいよね。
そうですねー。
ライブってほんと難しい。
稽古もたくさんやんないと意味がない。
はい。
うん。
ぼーっと、ふらーっと、アコギ持ってふらーっとステージ上がってふらーっとライブやって何の意味もないからね。
はい。
そうっすね、いやほんとそうですわ。
そういう風に見せてる人はいっぱいで。
いっぱいいますね、ほんとに。
そういう風に見せてるけどかっこいい人はいっぱいいる。
いっぱいいますねー、かっこいい人ほんとにかっこいいですねー。
そうそう、あの人たちはほんと一生懸命真剣。
はい。
だけどそれを見せてないといけない。
すごいね。
そうっすねー。
後編いってもいいですか?
はい。
いきましょう。
はい。
ちょっと一度、はい。
続きまーす。