00:07
こんばんは、シンガーソングライターのマーライオンです。 本日のマーライオンのにやにやRadio、ゲストは、阿佐ヶ谷タバサの高原さんです。
こんにちは。 普段、夜会うんで、今これ収録がお昼なんですけど、新鮮ですね。
そうだね。もう、夜しかほとんど喋れないから、今緊張してる、ちょっと。
いや、ちょっと今、それを、そうなんですよね。 新鮮だなって思いながら、今、声聞いてました。ありがとうございます。本当に忙しい、
お盆の時期にもかかわらず。 ありがとうございます、本当に。
なんかもう、昼に話すときに、マー君と距離が近くなった感じを感じるよね。
本当ですか?僕、嬉しいですよ、そう言ってもらうの。 なかなかね、昼にこうやって、
何だろうな、いろいろ話したりとかして、なかなかできないよ。 そうですね。本当に嬉しい。嬉しいっすね、本当に。ただただ。
やっぱこういう機会がないとね。
いやそうなんですよ。高原さんとはもう、8年?9年ぐらいですか?
最初にお会いしたのっていつぐらいでしたっけ?
確かね、正確には覚えてないんだけど、8年前ぐらいだと思うね。
ぐらいですよね。
新大久保のカフェアギエってとこでね、
ライブをやってたんだよね、ファイナルでね。
ブタジさんも同じAって、スリーマンかな、やってて。
ブタジさん、遊覧船のイタルくん、僕っていうスリーマンがあって、豪華な。
そうだそうだそうだ。俺、それPAだったんだよ。
そうですよね、そうですよね。
僕も以前、自分のワンマンも開催したことある、新大久保のカフェアギエさんで、それを開催していて、
高原さんとお会いして、終演後、打ち上げに一緒に行きまして。
そうなんですよ、すごい楽しく喋って。
時が経ち、田笠の店長さんということで、また再開して、場所をお借りしてですね。
去年のクリスマスからハイイベントをやらせまってるんですけど、
すごい嬉しいです、いろんなタイミングとかがあって。
そうだね。
なかなかこうやって継続してね、お仕事一緒にできたりとかね、
03:06
ある人はあるんだろうけどね、僕とかほら、小っちゃいスペースだったりするから、結構さ。
結構、長い人は長いんだけど、
結構うつり革にも激しいっちゃ激しい。
嬉しい。
いやーもう本当に嬉しいです。毎回楽しいですし、
高原さんに会いたいがためにやっぱりイベントを開催してる部分もあるんで、
やっぱりその、いかにこう、田笠というお店が魅力的かって話もちょっとしたかったんですよね。
本来であれば、今今回で、次は8月26日の土曜日に次回のイベントが開催されますけど、
本当はもっと早くに高原さんをお呼びして、このニヤニヤレディオにお話ししたかったんですけど、
ようやく話せるということで。
ようやく僕も参戦できました、心。
今、過去、去年のクリスマスから、クリスマス2月、4月、6月ってあって、
今4回開催してるんですけど、どうですか?高原さんから見てて、このイベント。
あ、そうだね。イベント自体の雰囲気って、ほぼ全部2マンシリーズだもんね。
やっぱり毎回ちょっと緊張感もあるし、
プラスにやっぱり、マラオンくんのどんどんステップアップしていってるような、
いつも楽しいですよ。
嬉しいですね。そうおっしゃっていただけるのであれば。
お客席、いつもだいたい仕事してるからさ、P.A.とかね。
後ろから見えるじゃん。一番後ろから。
その時のお客さんの反応とか、毎回見てるからさ。
みんなやっぱり笑顔になって帰ってくるもんね。
嬉しいですね、そういう。
僕結構、本当に一生懸命演奏する気持ちだったりするんで、なかなか顔見れてない部分もあるんですけど、終演後の。
うんうん。そうだよね。
笑顔で帰っていってるんですね。よかったです、それは。
うんうん。みんな結構満足げで。
笑顔で帰っていくイベントっていうのもなかなかね、あんまりないんで。
あー、そうなんですね。
嬉しいですね。
嬉しい。嬉しいですね、ほんと。
嬉しいね。
僕は本当に、タバサでライブさせてもらってて、リハーサルの時にまず会場に到着して、タカラさんとお喋りして、リハーサルして、ライブして、
06:11
イベント終わった後にタカラさんとまたお喋りして、帰るっていうのがすごい楽しくて。
本当に。
一応ね、タイムテール通りにはね、やってるんだけど、そのタイムの中に含まれてるもんね、お喋りの時間たぶんね。
そうですね。笑
そうなんですよね。ちょうどその2ヶ月に1回っていう風に開催の日時を決めてるんで、ちょうどその2ヶ月分の話というか、生きるっていうのが。
いいスパンだよね。
そうなんですよね。そうなんですよ。すごいそれが心地よくて、僕はすごい好きですね。本当に。
もちろん1ヶ月に1回とかやったらまた違うだろうね。
そうですね。それはまた別の良さがありますよね。
もっとドライブかかりそうだよね。1ヶ月に1回。
いやー、確かにそうですね。
ギスギスしてるね。
それはそれでやりたいですけどね。興味はありますけど。
いいですね。
タカラさん、バーに、タバサって落語家さんとか、バンドも弾き語りもいろんな方出られるじゃないですか。ラジオ収録とかもあれば。
その中でバー営業もあって、いろんなスタッフさんもいて、タカラさんも長くいろいろバーに立たれたり、お店に立たれたりしてて。
タカラさん、めちゃくちゃ楽しいじゃないですか。喋ってて。本当に。
本当に。
タカラさんに僕は興味がものすごくあって。
元々バンドミュージシャンもされてて。
北九州はお店もやられてたんですもんね。
北九州の小倉ってどこにね。一番北九州の中では大きな街があるんですよ。
小倉っていう。
新幹線が止まる小倉。
そこに元々現代アーティストの人がね。
1997年に開いた大きめのギャラリーがあって、そこにバーカウンターを作って。
今は普通かもしれないけど、当時1997年だからオープンだね、そのお店が。
結構古いからやってるんですね。
もうすぐ30周年とかじゃない?近いよね、30年で。
そうですね、30年ですね。
09:01
そこの10年目ぐらいにそこに入ったよね、僕が。
20代前半。そこで退職してた。
あ、そうなんですね。20代の時にもう。
そうです、22からね。
すごいですね、それは。
そこが日曜日にライブができたんですね。
なるほど、なるほど。
日曜日だけね。
普段は展示をしてて、日曜日だけライブがってことですね。
どっちかというと歌詞ギャラリーとかじゃなくて、成長型っていうかオルタナティブギャラリー。
今はないかもしれないけど。
ほぼ自主企画で4人。
今オーナーがいてね、オーナーがアーティストなんだけど。
その人の企画と、日曜は俺のライブ。
当時は結構電子音楽とか。
そういうのがメインだったって感じ。
楽しそうな場所ですね。
でもそのときはすでにバンドやってるんですかね、自分ご自身の。
そうそう、全然やってるやってる。
やりながらブッキングとかもやっててってことですかね。
そうだね、そこはもともと田舎だからやる人がいなかったからね。
基本自主でね、いろんなことはやってたんだけど。
お店に立っちゃうとさ、県外とかいろんな人とかさ。
当時、今よりももうちょっとさ、ツアーで回ってくることが多かったと思うから。
そういうのをずっと企画して企画してとか。
で、バンドも自分でしててって感じ。
そこから東京に行こうって思ったきっかけあったんですか。
いつぐらいに東京行こうみたいになるんですか。
後半のときに、北九州なんだけど玄関口で、
玄関口っていうのは新幹線が止まるところ。
一番最初に九州入ってきたときに止まるのが小倉内のね。わかる?
はい、わかります。僕も行ったことあると思います。
玄関口でとんでもない。
それでも週1ぐらい埋めてたから。
他にもたくさんイベントとかトークショーとかね、もちろんあるんだけど。
まあ結構、傲慢かもしれないけど、やり尽くした感もあったんだよね。
12:04
ああ、そうだったんですね、その当時。
それでちょっといろんなきっかけがあって、
そこで一番最初にカフェアリエに行き着いたのは何かあったんですか。
カフェアリエの河野さんって、僕の音楽の活動の中でも恩人の人がいるんですけど、
河野さんがもともと九州の出身の方なんで、
そういうのとか関係あるんですか?
それはね、やっぱり関係あるよ。
昆虫キッズってバンドがいて、
ラストツアー、
氷が、
ああ、ありますね、アルバムですよね。
ブルーゴーストか、ブルーゴーストっていう。
最後のアルバムを出す時に、
福岡でほとんどやったことないから、ラストツアーを組んでくれっていうお願いがあった。
それで福岡で、
僕の当時やってたバンドと、
昆虫キッズと、
ドイサイエンスって熊本のバンドで、
その3人がスリーマンになったんだよ。
その時に、仲良くなるというかね、同い年ぐらい先輩なんですよ。
そしたら、そこにも実は河野さん見に来てて。
あの人すごいっすよ、ほんとに。
50日近いからね。
知性ついて暮らす、でもその時全然気づかなくて。
卒業した時に、高橋くんが、
昆虫キッズのバイト紹介してあるよ、みたいな感じで声かけてくれた。
それで働くことになって、
当時はまだ結構いろんな人、バイトのバンドマンたちがいっぱいいたけどね。
いいですね。
そういった経緯で河野さんと出会うんですね。
なるほど。
それが一番の太い感じなんだけど、
プラス、もともとホワイトハウス、
カフェアリエって、
磯崎新さんという建築家の、その建築だったりするわけよ。
そうですね。有名な建築家さんの。
そこはもともとミネオダダとか、そういう人たちの拠点になってたっていう、
15:00
結構知る人と知るような建物なんだけど、
どっちかというと僕が企画収集時代に働いてたギャラリーの、
結構ダダの景気とか。
それで結構河野さん、無駄にやっぱり、
神話性というか。
なるほどですね、なるほど。
話もできたって感じはあるかもしれないね。
そうですよ。
今教えていただいてすごく何か、
画点が行きました。なるほど、そういうことなんですね。
そうそうそうそう。
だから綺麗に繋がってる。
そうですね、すごい綺麗に繋がってますよね、それは。
そうですね。
すごいですね、カフェアリエも本当に素敵なお店だし、
いろんなイベントもやってましたからね、本当にいろんな。
そうだね。
高橋さんは今もイベントやってますもんね、タバソで。
そう、今はだけ夏目高橋のまんじがため。
はい、やってますもんね。
前はちょっとライブもやってたけど、今はちょっとやってる感じかな、うちではね。
夏目高橋のまんじがためは月に1回公開集の方でやってるよね。
なるほど、でもそう考えたら、僕にとっても昆虫キッズってバンドすごく特別なバンドなんですけど、
すごい、なんていうか、昆虫キッズがいろんな人間関係に及ぼした影響をすごい考えちゃいましたね、今すごい。
僕が、高橋さんって確か神奈川出身なんですけど、
僕が先ほど今話してるカフェアリエの店主をやってた河野さんって方がいて、今もタバソでも日曜日に間買いでやってますけど、
河野さんが以前、川崎ティーンズプロジェクトって10台の弾き語りミュージシャン集めて、
やるコンテストライブというか、審査員で先輩のミュージシャンとかプロのミュージシャン呼んで、
イベントを開催してて、星野源さんとか、E3ユースの吉野さんとか、曽我部さんとか、玉野ちくさんとか出られてて、
僕は昆虫キッズにハマって、曽我部さんとか聞くようになって、
昆虫キッズの人が今まで何やってたんだろうっていうのを調べて、川崎ティーンズプロジェクトに出会って、
募集機関に応募して、それで河野さんにお会いするっていう流れがあるんで、
今、昆虫キッズがいろんな人の人間関係というか関係性に影響を与えたんだなって勝手に思っちゃいました。
どちらのほうがメンバーの活動って多角的だったりとか、
18:01
いろんなコツがわーってそこのシーンは盛り上がってた感じはあったんじゃないのかなと思って。
高谷さんとはいろんな話を今までも、イベントを去年から開催してて、
お店行くたびにいろんな話を聞いて、めちゃくちゃ楽しくて本当。
普段だと聞けない話が聞けたんで、嬉しいですね。
そうだね、あんまり自分のことを話すことはないから、逆にこういう機会がないと話せないから。
すごいですね。バンドって中高ぐらいから早い時からやってたんですか?
そうだね、ライブハウスとか通り出したのは中学3年生ぐらいで。
地元のライブハウスとかに行っても、高校の時から友達とバンド組んだりして、
当時はデジタルMTRとかでさ、ネットとかないから、
身を見真似でCPR作ったりしてさ。
その時はボーカルギターとかですか?
最初はボーカルだった。
ボーカルのみというか、ボーカル単体で?
作曲してるとこがいて、
でも高校の友達集めてライブとかその程度でね。
あーそうなんですね。めちゃくちゃいいっすね。
でも本当にね、都内っていうか関東の方はわかんないけど、
人もいないからさ、遊び場所がなかった。だからすげー人来てたよ。
高校生は80人ぐらい。
めちゃくちゃすごいっすね。
でも一応何曲かオリジナルがあって、
高校生らしいバンドだよね。
めちゃくちゃいいっすね。
最初に好きになった音楽って、高田さんってどんなのですか?
でもね、やっぱりユズだね。
あーそうなんですね。
ユズっつっても、今のユズじゃなくてさ。
最初のユズですね。
ユズエとかさ。
夏色のぐらいの頃だよ。
大ヒットっていうか、メジャー1,2発目ぐらい。
21:02
わーやっぱ当時みんな好きだったよね。
まあいいですもんね。今聴いても全然いいですもんね。
やっぱフォークギター、フォークの10人時か1か忘れたけど、
フズで、画像なんかね当時ね。
スペシャとかでさ。
流れてますね。
そういうのでアコースティックギター買ってくれって言って、
1万人くらいのアコースティックギター買ってもらってさ、
それで一生懸命練習したりとかして。
まあいいですね。
それがやっぱ一番ハマってたんじゃない?
なるほど。
普通に、うんうん。
いいっすね。
でもなんか最近マー君ともよく話すんだけどさ、
やっぱり当時のさ、好きだったとか、
まあドメジャーなんですけど、
今でも残ってるじゃん。
ユズとかってとんでもない規模で残ってるじゃん。
そうですね。
でね、改めて最近サブスクとかで聴けるじゃん。
そういう昔の音源とか。
聴きますね。
ハシとかすごいよねやっぱね。
やっぱいいですね。
秘密だよね。すごいなって思ってて。
最近お客さんでね、
高谷タバタの方のお客さんで、
失恋を、夜のバーだからさ、
失恋した。
そしたらまあ結構みんなの心情に合わせた曲とか
結構かけたりするわけ。
みんなね、DJするのに。
その失恋した時にちょっとさよならバスかけたんよ。
刺さりまくってたんですよ。
いやーもう刺さりまくりですよね。それは。
そうそうそう。
うーってなりますよね。
オエツ。
オエツレベルの刺さり方してた。
いやそうですよね。
こっち撮れば撮るほどなんか、
すごい歌詞深読みしちゃったりとかしてた。
まあみたいな感じだね。
いいですね。
まあいいですよね。初期のユーズいいっすもんね。
そうだね。
現体験はでもフォークの現体験がもしかして。
なるほど。
えー。
なるほどなー。
いやーと。
高谷さん本当にいろんな場所に、
今までご自身で居場所作られてきた方なんで、
すごいなーっていろんな話聞きながらいつも思ってるんですけど。
僕がすごいわけじゃないよ。
やっぱほら、スペースがね、ある程度力、
ちょっと変わったスペースに居たっていう、
24:00
商業趣味じゃないさ。
あーはい。
スペースでずっと働いてたりしたっていうのが、
あんまり孫徳なしで付き合えたんだよね。
なるほどなるほど。
多分それだけだと思うよ。
なんかほら、やっぱり商売とかいつになっちゃうと絶対孫徳が必要なわけじゃん。
そうですね、どうしても。
でもこうやってマークのとこ喋ったりとか、
マークのミュージシャンのとこ喋ったり、楽譜家とも喋ったり、
もちろん普通のサラリーマン、普通のサラリーマンとかいないと思うんだけど、
企業の人と喋ったりとか、
それを同時にフラットに話せるから、
そこが多分ちょっと特殊っちゃ特殊かもしれないね。
いやーでもやっぱり高田さんの人柄ってことなんと思うんで。
まあでも、いろいろ教えてもらったって感じで、
いかつ先輩初戦前夜辺りにすごく。
あーそうなんですね。
って感じ。
いやそれこそ、
僕のイベントって今まで、
口ロロの三浦浩二さんって方が出てくださってましたけど、
三浦さんも会場気に入って、
ご自身のイベントでもアバサで開催されてたりして。
そうなんですよ。
何だろう、使用していただいたというか、
まさか口ロロの三浦さんが朝からやるやつだけどね。
いやでもこんななんか、
最近の田場さんのスケジュールも僕見てますけど、
本当に幅広いいろんなイベントやってて、
本当に面白い場所だなってめちゃくちゃ思ってますよ、本当に。
もう切層ないよね。
切層ないですよね。
いやいいですよね。
遠方に住んでる方でちょっと気になってる方とかも、
きっといらっしゃるんだろうなって思います。
カレンダーのスケジュール見てても。
でもさ、ある種マジで切層なさすぎるからさ。
常に泡ついてるようになって。
僕もスケジュール見てて、
ああこの人出るんだとかやっぱりなりますね。
おおってなります。
そうだね。
でもやっぱり一番は自分の、
田場さんにおいては基本的にはほとんどイベントの管理は、
構築は自分で考えてたりするけど、
スタッフもすごいイベントガンガン入れてくれたりするし。
いいですね。
そういうのでみんなで頑張ってるって感じかな。