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3、2、1、スタート!
うわー、こんにちは!
日本人の友達です。私は台湾人の友達です。
台湾人の凜凜です。私は台湾人の凜凜です。
うん、じゃあ今日も台湾と日本で中国語と日本語の言語交換、やっていきましょう!
じゃあ、今日は中国語と日本語の言語交換を始めましょう!
今日はですね、熊本でついに工場が稼働した台湾のNo.1半導体企業
世界No.1やな、世界No.1の台湾の半導体企業TSMCを作った人、創業者の方を紹介したいと思います。
イエーイ!
では、今日紹介したいのは日本で、みなさんもお知らせいただけると思いますが、
日本の台積電が熊本廠の設立を完了しました。
では、今日は熊本廠の話ではなく、台積電の教父を創立するという話をします。
つまり、張忠謀先生のお話です。
すごいね、この創業者さんの名前ですが、中国語でこの人の名前なんて言うの?
中文は張忠謀
張忠謀さん、この方は英語で言うとMaurice Changさん、この方を今日は紹介したいと思います。
英語ではMaurice Chang、日本語ではMaurice Changさんと呼ばれています。
では、張忠謀先生のお話を紹介します。
彼が一体どうやって世界No.1の半導体企業を作ったのでしょうか?
リンリン先生に聞いてみたいと思います。
ありがとう。では、リンリン先生お願いします。
この方は台湾半導体の創始者である、創設者であるMaurice Changさんは1931年に中国の、これは日本語で何て言うのかわからない。
残事っていうところで生まれました。
一段期間搬了很多次的家。
直到戰爭結束之後、18歳他就前往美國就讀哈佛大學。
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1945年まで続いて6歳の頃までずっと引越しを続けていたそうでございます。
その戦争が終わると彼は大きくなってアメリカのハーバード大学になんと留学しました。
めっちゃ頭いいやん。
はい、本当にとても聰明な人です。
そして、一年後、後の执押のために、
彼はどこかに移学しました。
麻省理工学院の機械系。
実はすごい大学です。
本当だ、すごい。
その後、1年間留学した後、将来のために、いい仕事を獲得するために、
機械工学の専攻であるマサチューセッツ工科大学に転学し、学術修士の学位を取得しました。
そうでございます。
これまたすごいところからすごいところに行ったね。
そうですね。
ハーフォーから麻省理工学院に行くのは本当にすごいことでした。
麻省理工学院で学士と卒業を受けました。
彼は原本は博士を受けたいと思ったのですが、
博士を受けた2回も失敗したので、
決めました。
まあ、仕事に行きましょう。
遅いね。
大学院に進みたかったのかな。
学士号の受験に、なんと彼は2回失敗してしまって、
その後、もうちょっと職場に入ろうと、会社に入ろうということを決意したそうです。
こんなにすごい人でも、受験に失敗することあるんだね。
そうです。
意外に。
私もそうです。
そんなに聰明な人が博士を受けたとは思っていませんが、失敗しました。
しかし、これも轉機になりました。
彼はその時、24歳で職場に入ることに決めました。
その時、最初の仕事を選択するには、
原本はとても有名な会社を選択したのですが、
福特汽車と呼ばれていました。
しかし、同時に他の半導体会社もありました。
彼にも仕事を与えました。
そして、福特汽車は彼の薪水は479ドルでした。
そして、他の半導体会社は彼に1ドル以上の薪水を与えました。
そのため、彼は最後に半導体会社を選択しました。
そして、その結果、彼は半導体会社との一生の運命を結びました。
すごいな、これめっちゃ面白い。
彼は面接を受けて、2つの会社から内定をもらったそうです。
1つ目の会社は、みんなご存知、ものすごく有名な
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フォードという当時世界10位の車の会社。
世界で一番すごい車の会社さん。
479ドルのお給料でどうですか?という内定をもらいました。
もう1つの企業が半導体会社。
半導体会社の条件が480ドルのお給料。
なんと1ドル。半導体会社のお給料が1ドルだけ高かったので
彼は半導体会社を選びました。
すごいな、この1ドルで彼が半導体の世界に入るって
運命を感じますね。
彼は当時、福特汽車のお客さんと話していました。
1ドル以上のお金を稼ぐことができるかどうか。
彼の答えは、あなたが来るかどうかは、あなたの気持ちで。
だから彼は怒った。
じゃあ、半導体会社に行こう。
そうなのか。
その時、彼はフォードの会社に
お給料1ドルだけ上げてくれませんかってお願いしたんだけど
そのフォードの会社は
いや、もうこの給料しか出せませんみたいな。
もう別に入るも断るもあなた次第だよって言って
彼は、じゃあもう半導体の会社に行くわって
半導体の会社を決めたんや。
もしここでフォードが、いいよ、じゃあ。
そうですね。
481ドルでもいいよとか、480ドルでいいよとかって言ってたら
世界にTSMCっていう会社はできてなかったかもしれないよね。
すごい、1ドルで決まったんや。
すごい、めっちゃ面白い。
その後どうなったのかな。
なるほどな。
彼がマサチュセッツ工科大学で専攻してたのが機械工学で
また半導体とは全然内容が異なっていたから
彼は半導体を一生懸命学んだと仕事の合間に
半導体の知識を学ぶ努力をしました。
そして3年後、テキサスインストルメンツっていう
半導体の業界にいる人なら絶対に知っている
すごいアメリカの大きい半導体の会社
テキサスインストルメンツに転職をしたってことやね。
すごいね。
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すごいね。
それは給料を全額支給したまま
学校に通って博士号を取得してもいいよって。
しかも学費はすべて会社が負担します。
彼はその後スタンフォード大学で
半導体分野のことをめちゃめちゃ勉強して
わずか3年で博士号を取得しましたと。
彼は博士学位を取得した後
彼は元々彼にとってとても良い会社で
徳洲一騎の仕事に戻ってきました。
そして41歳の時に
集団の副総裁になりました。
そして博士号を手に入れた後
彼はTITLでテキサスインストルメントで働き続けて
41歳の時にグループの副社長に就任しました。
54歳の時に台湾の政府に招待され
台湾工業技術研究院の院長を担任しました。
つまり工研院の院長です。
当時は台湾で非常に大きな新聞でした。
そして彼は院長の期間中
台積電の設立を推進し始めました。
すごいね。52歳の時だね。
25年働いた会社を離れて
台湾政府の招待を受けまして
台湾工業技術研究院の院長に就任しました。
当時の台湾にとってはすごく大きなニュースになったそうで
院長として人気中に
台湾半導体製造会社TSMCの設立をしました。
ここでTSMCを建てたんだね。
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56歳の時にTSMCに設立して入って
87歳で退職したっていうことだね。
すごい人生だね。
そこまで年を取ったら
働きたくなくなっちゃいそうだけど
そこからTSMCを建てて世界一になったんだね。
人生の後半でTSMCを建てて世界一になったんだね。
彼は今92歳になったんか。
彼が持っているTSMCの株が最近また上がりまして
彼の600億元かな。
600億元の資産がなんと900億元に上がったそうでございます。
900億元って日本円でいくらですか?
4500億か。
4500億円持ってるってことか。
そういうニュースに分けてくれないかな。
そういうニュースに分けてくれないかな。
もし彼が聞いたらいいかもしれない。
マジ?本当?
モリスちゃんさんがそういうニュースを聞いたらくれるかもって。
本当か?聞くかな?
リスナーさんが友達に教えてくれたら
もしかしたらモリスちゃんさんにその宣伝が届くかもしれないな。
そうなんや。面白いね。
熊本に台湾タウンが作られるっていう話があるね。
台湾でも結構ニュースになってるんかな。台湾タウン作るよみたいな。
台湾でも結構ニュースになってるんかな。台湾タウン作るよみたいな。
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最近、台湾人が結構日本に行きたいと思ってる。
これがチャンスだと思って。
たくさんの台湾人がそこに行って
就業機会があったみたい。
そうなんや。台湾でもニュースになってて
みんなそのチャンスを掴もうということで
いろんな人が今熊本に行ってるよね。台湾の人たちが。
そうなんや。面白そうやな。
熊本の台湾タウン行ってみたいよな。
そうやな。私も熊本の台湾タウン行きたいな。
トモさんも行きたいな。
リンリン先生も行きたいな。
いつか二人で台湾タウン行って公開録音みたいな。
外で録音するやつやってもいいかもしれないな。
そういうのいいな。
トモさんの提案は
いつか二人で一緒に行って
そこで言語交換をして
室内で言語交換?
そうかもね。
あとはTSMCがどんな会社かっていうのは
過去の放送でその話題を取り上げたことがあるので
みんなよかったらぜひ聞いてみてね。
ということで今日はこんな感じかな。
今日はこんな感じでした。
ありがとうトモさん。
よろしくお願いします。
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それではまた次回お会いしましょう。
バイバイ。