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はい、今日も宮崎の時間をやっていきたいなというふうに思っております。 この番組は、宮崎で活躍されている方に来ていただいて、いろんな話をお伺いする番組となっています。
お届けしているのは、街中にありますシェアアウキスボリュームのポッドキャストルームより、基礎空間大沼がお届けしていますというところで、本日のゲストをご紹介させていただきたいと思います。
宮崎駅前商店街、新興組合代表理事、スタンです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
すげえました。
はい、ちょっと長いです。
駅前の商店街の組合ですね。
そうですね。もうシンプルに駅前の商店街の組合ということで。
ぼくのせさんがやってらっしゃるお店ですね。
ちょうど駅前商店街っていう工場ってあるんですかね。
はい、駅前商店街なんですけれども、通称アミーロードっていう名前で、結構アミーロードの方が馴染みがあるかなと思うんですけれども。
広島通りが和歌草からずっと来て、愛愛通りを渡り、広島通りになり、アミーロードになってますよね。
そうですね。広島通りを抜けて、その次がアミーロードですね。
東の方に和歌草通りから歩いていくと、一番駅寄りになりますね。
あの辺一体が駅前商店街になるんですか。
そうですね。広島通りが終わってからがアミーロード、駅前商店街になるんですけれども。
だいたい入り口の目印としては、最近ボートピアっていう場所があるんですけれども。
それがだいたい見えてきたらアミーロードという感じですね。
そこで八九居酒屋さんになるんですかね。日本料理屋さんですかね。
どちらかというと、日本料理ですね。和食のお店になりますね。
を経営されていて、僕は普通に役者の日高さんから紹介をされ、そこで。
それこそあれ多分3年、2年、3年前ぐらいですかね。
そうですね。最初はそうですね。
当時の商店街の皆さんと旅に行かせてもらったのが、僕と野津さんの最初なんですよ。
そうですね。覚えてます。
特にその後何があるというわけでもなくて、僕の認識は野津さんはお店のオーナーさんみたいな感じだったんですけど。
今回、街中のコンペを、もうこれ放送しているときは終わっていると思うんですけど、8月29日に開催しますと。
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大学生とか学生とか街の方とか、いろんな方が参加できるようなコンペになっていて。
今今日時点でいうと、総募数は結構あって、今9個最終プレゼンに進出して、それを決める審査員を我々の方で誰がええやろうな、誰に来てもらったらいいかな、みたいなのを話している中で
ポンポンと決まったのが、行政サイドからどなたか来てもらう、みたいな感じですよね。
次が、宮崎第一新勤さんが、今回まちづくりファンドとかいろいろお協力いただいているので、新勤さんから常務理事が来てくれると。
このまちづくり系で、大学の先生とか、いわゆるこの領域を本業でされていらっしゃる方に、どなたか来てもらいたいな、近代のリノベーション建築の第一人者、宮部先生に来てもらうと。
地元で誰がベストなんですかね、みたいな話をしたときに、野瀬さんの話になったんですよ。
で、え?八九郎野瀬さん?みたいな話になって、そうそう、知ってます?みたいな。
で、日高さんと担当が変わられたので、おいで、知ってます?から。
野瀬さんは、もともと商店街の理事とかされているから、で、あ、そうなんだ。だから、もともと八九があそこにできた理由とか、その辺の話をチラッと聞いたんですよ。
で、それが結構、いわゆるまちづくり文脈とか、エリアとかの話やったんで、それを聞きたいなと思って、今日は来ていただいていると。
ちょっと前置き長くなりましたけど、ざっくり言うとそういう感じなのかなと。
はい、ありがとうございます。
もともとは、あそこのお店ができたのが、12年前ぐらいですね。
その前は何をされていたんですか?
そうですね。八九をやる前は、宮崎で修行をしていたんですけれども、飲食店ですね。
宮崎市に桐島町ってあるんですけれども、そこの寿司鷹っていうお寿司屋さんですね。で、14年修行していました。
その寿司鷹の中で、本店お寿司屋さんもあれば、創作料理のまさきっていうお店もあって、もう一つ居酒屋のやすきっていう、3店舗あったんですけれども。
そのまさきっていう創作料理のお店で10年。で、やすきっていう居酒屋さんで2年。
それ結構地元の方だったら、はいはいはいっていうお店なんですか?
そうですね。寿司鷹はもう多分宮崎市内の方だったらだいたい知っている。もしくは名前は聞いたことない。
もう創業して50年以上経ってますので。
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で、やすきとまさき。まさきっていう創作料理屋さんも今ちょっとなくなってしまったんですけれども、そこで修行をしてましたね。
地元宮崎ですね。
地元宮崎ですね。
どこですか?
宮崎のですね、宮崎市内なんですけど、中学校でいうと大宮中学校というところ、分かりますか?
分かります分かります。
平和台とかの下にあるところなんですけれども。
地元で修行をされてて。
高校時代まで遡ると宮崎商業高校という高校に進学してたんですけれども、卒業して大阪の方に行ってたんですよね。
どこですか?
大阪の安倍能の辻町立専門学校というところに。
辻町や!
そうなんですよ。1年間。
そこが1年間だったんで、卒業して、そこから北新地の本通り和食店で3年間修行してたんです。
若彼氏の先生なんですよね。
そうですね。22歳ぐらいまでは大阪にいましたね。
ちなみにどこ住んでたんですか?
住んでたのは、専門学校通っているときは。
辻町って天王寺らへんですよね。
そうですね。天王寺駅が最寄りなんですけれども、行久野区というところに住んでましたね。
行久野区は今、区の中で多民族区になっていて、いろんな人種が入っている区ですね。
僕がいたときから、もうコリアンタウン。すぐ近くに。
もうめちゃくちゃ高いコリアンタウンがあって、面白い街ですよね。
そうですね。すごいディープな街でしたね。
そこに住んでたのが、僕今48歳なんで、20代前半なんで30年近く。
本なら僕49歳なので、多分一つ世代だと思うんですよ。
僕、本通りにあった。紙通りだったか本通りだかちょっとあれですけど、紙通りかな。
熊野寺っていう、鯨料理だったか。記憶がすごく曖昧ですけど。
その辺でバイトしてたんですよ。
そうなんですか。
僕、先輩がボーズっていう料理屋さんを、お父さんの先代からずっとされてて。
よく行くし、よく行ったし。
僕、23歳で結婚してるんですけど、
クラブカーマって、2号線沿いにクラブがあったんですけど、人事の中に。
そこで僕、結婚式があったんですよ。
そうなんですか。
だから野瀬さんが多分、行ってあがるときか。
もしかしたら、どっかですれ違う。
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そういうルーツなんですね。
そうですね。その時は、僕が北新地本通りの水戸筋側から入ってすぐのビルの地下のお店で、
二郎亭っていう。
今もあります。
今もなくなっちゃったんですけれども、お店で3年間修行してたんですけど。
隣が神田川俊郎さんの。
陽気ありましたよね。
あったんですよ。
ツッポン料理の専門店が隣にあって、神田川俊郎さんもよく通りで会えば挨拶する。
誰にでも優しい方でしたけれどもね。
そこで修行して、戻るは決めてらっしゃったんですか。
そうなんですよ。
専門学校1年行って、3年修行して、大学4年行ったつもりで宮崎に帰ってこようと。
大学4年行ったつもりで、4年間大阪で揉まれてこようと思って。
そこで宮崎に帰ってきて、帰ってきた時に寿坂さんで。
修行をする。
そうですね。
多分独立するの下りになるか、お店どこにしようとか。
それが商店街の活性とちょっと連動してるみたいな話をチラッと聞いたんですけど。
本当に先ほどおっしゃられた日高さんと出店する時にすごくお世話になったんですよね。
僕出店する場所を探してた時に、西立とかはちょっと嫌だったんですよね。
ちょっとそこよりも外れたところで、フラッと歩いてる人が来るというよりは、ちょっと予約してここに行こうというふうに来てもらいたい。
というので、中心地からちょっと外れたところ。
今となっては、今のところも中心市街地なんですけども。
当時は網とかができる前ですよね。
そうなんですよね。
本当に空き店舗ばっかりで、人通りも全然なくてですね。
人よりも猫の方が歩いてるんじゃないかというぐらいのところだったんですけれども。
物件を不動産屋さんに紹介してもらって、今の物件ですね、今の場所を見て、中を見てすごく気に入った。
ただ知り合いとかにも相談するじゃないですか。
ここでやろうと思うんだけど、みたいなことをですね。
10人中10人反対されましたね。
あんなところに飲みに行かない。
とにかく遊びにも行かない。飲みにも行かない。
だからそんな場所でやっても行けないというようなことを言われたんですけれども。
ただ僕はその場所、中の物件自体も気に入ったし。
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もちろん家賃の価格とか、そういうことも全体的に見て気に入ったんですけれども。
ただ考えればですね、宮崎駅も近くにあるし、街中ちょっと外れではあるけど、街中は街中なんで。
そこにたどり着くまでには苦労はないと思ったんですよ。
それが山奥だったらそこまで1時間とかかかるとか。
そういった場所ではなく、本当に5分10分で来れるような場所なので。
魅力あるお店を作れば人が来てくれるんじゃないかなと。
そういう思いでそこの場所に決めました。
そこの独立するを決めてお店探しをする。
どこで日高さんと接点を持つんですかね。
そうですね。そこで出店をしようと思ったときに、いざ準備に取り掛かったときに、
ヤヌシさんに前を押さえというか契約をしたときに、
ヤヌシさんがこういう制度あるから使ってみなよっていう補助金を教えてくれたんですよ。
それまでは全然そこが補助金対象の物件だとかっていうのは全然知らなかったんですけれども、
僕がそこに入るまで2年くらいそこの物件が空き店舗だったらしくてですね。
宮崎市が中心市街地の空き店舗解消の補助金補助制度を始めるっていうのでたまたまそこが対象だったんです。
そこで僕の事業計画とかっていうのを策定して、今回のコンペみたいな感じですね。
その時に審査してくれたのは今僕がやっているような商店街の理事長さんたち。今思えばそうだったんですけれども。
そこでその補助金を申請するにあたってその窓口が平岡さんが所属している宮崎市の何かだったのかなその当時だと。
今で言うとまちづくりかとか。
今で言うまちづくりかの商店街担当かなんかその感じだったんですね当時。
だから僕が当時36とかだったんで平岡さんもたぶん僕の1個一緒ぐらいじゃないですかね。
平岡さんねたぶんもうちょっと下ですね。
下ですかね。ちょっと貫禄がありすぎて。
じゃあ僕よりも若かったですね。
いや下ですよ。
そうですか。
たぶんですけど家業さんと世代側の辺一緒のはずなんですよ。
そうなんですね。
2つ3つ下ちゃいますからね。
ちょっと勘違いしてますけど。
でも同世代ぐらいかなっていうのはあの方も当時は若手でっていう感じですね。
商店街街中のことを何とかしたいっていうような感じで。
であの時にお世話になって。
僕の事業計画なんか見てですね。
結構辛口でした。
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こういうした方がいいんじゃないですか。
でその当時の補助金の制度というかがですね。
事業計画を僕がプレゼンするんですよ。
その理事長さんたちの前で。
いついつ来てくださいって言って。
それがもしうまくいけば壺数かける5万円。
補助金で。
でもうまくいまいちだったら一律30万円。
もう一律30万円。
壺数とか関係なく。
でさらにダメだったらゼロ円だったんですけれども。
ひらかさんのアドバイスもあり。
あと商工会議所の担当者の方にも相談していろいろ手直ししてもらったんですけど。
おかげさまで満額いただけてですね。
その時何人か出店で応募されてたらしいんですけれども。
本当にわずかな形しか。
それってたぶん事業モデルとしたら日本料理屋さんを経営するシンプルな話じゃないですか。
そこにエリアのとか街のとか商店街のみたいなそういう発想みたいなのがあったってことですか。
当時は全くなかったです。
もちろんそうですけど後々に駅前商店街振興組合の代表理事になる。
なので順番で言うと8区作る。
オープンさせます。
駅前の商店街とかにだんだん活動が発揮していく。
今これ別の名刺で出たやつは宮崎県商店街振興組合連合会の理事長もされてるんで。
この駅前商店街というところにどこかでグーッと入り込んでいるってことですよね。
それはそこにオープンするまでは日高さんがいて。
女性補助金取ってオープンして。
どんな流れでそうなっていくんですか。
それから普通に営業を開始して。
結構箱大きいですね。
個室があって厨房が奥にあってテーブル席があって。
当初は1階だけだったんですけれども1年半経った時にやっぱりこの辺りビジネス街だなということに気がついて。
ビジネスマンの方の宴会に個室ないですか、個室ないですかって需要がすごく多いことに気がついて。
2階も空いてたんで2階も借りて2階に個室宴会場を作ったというような感じなんですけれども。
あれ2階あるんですか。
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2階あるんですよ。
今も。
今もあります。
僕個室何階かは全部同じ部屋なんですよ。
そうですよね。1階の個室。
そこと隣の2席しかないくらいの部屋あるんですか。
1階には3つ個室があるんですけど2階に14名まで入る個室が2部屋。
そこをつなげて30人ぐらいまでの宴会ができるんですけれども。
1年半経った時にそこを借りてそれで結構順調にやってたんですけれども。
だいたい4年ぐらいした時ですかね。
理事に、理事長ではなく理事に入っていくでないかという。
その時は商店会の組合ですよね。
そうですね。組合員だったんですけれども。
僕もやっぱり自分のお店がまずは第一だったんでずっとずっと断ったんですけれども。
いよいよ理事長に一緒にやってほしいというふうに言われて、もう断れなくなってですね。
最初はいやいやと言っているような感じだったんですね。
時系列と役割等を整理するとオープンして当時は網はないですよね。
ないですね。
もちろん、あ、どうせしちゃった。
真っ黒の建物。もう全然昔の話ですけど。
どうせしちゃった。たまに僕忘れるんですけど。
そうですね。真っ黒の建物。
ギャゼット。
ギャゼット懐かしい。
もちろんないですよね。ギャゼットもない、網もない。
そうですね。ギャゼットがなくなった後ですもんね。
お店やってですね。
起点ビルはあったんですよ。
あとそのボートピアってさっき言ったものもあったんですよね。
そのボートピアができるかできないかっていうような時期だったんですけれども。
アミュはだから話にも聞いてもなかった?
全くですね。僕は今アミュプラザの山間がある場所が広い立体駐車場だったんですよ。
立体駐車場じゃない。コインパーキングだった。平面の。
それが目の前にあるからコインパーキング、お金払ってだったら車止めれるから駐車場がなくてもいいなと。
最初ヤヌシさんにはすみません、ここになんか今駐車場ですけどマンションとかできる計画とかないですよねって聞いたんですよ。
僕は駐車場だった方がいいって。
そういう計画はないからずっとここはコインパーキングだと思うよっていうことでそれも踏まえて決めたんですけれども。
何年後になるんですかね?
アミュプラザの計画が出てくるのが。
商店街の理事になるより前ですか?後ですか?
理事にはもうなってましたね。別の方が理事長されてたんですけれども。
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その時の理事とか商店街の組合員の人たちの活動ってどんな活動なんですか?
そうですね。お祭りをやったり、大待ち市というイベントがあるんですけれども。
それが10月の最終土曜日にあるんですけれども。
それの時に商店街でも一緒に合わせて、当時はハロウィンのイベントとかやったりとかしてましたし。
あとは10日恵比寿祭りという1月10日に餅つきをやったりとか。
そういった活動が中心です。
要は商店街で連携して何かしましょうみたいなやつを取りまとめるのが理事の人たちの役割。
とりあえず断れずに理事になるところになったのは5年、6年前ですか?
そうですね。もっと前ですね。多分オープンして3、4年経った頃に理事にはなりましたね。
どこでその理事長になるんですか?
そこから当時の理事長がもうちょっとこれ以上は続けられないので誰かに代わりたいということになって。
その時に重鎮の隣に、うちの隣に金丸電機という電気屋さんがあるんですけど。
そこの今で90歳ぐらいのおじいちゃんなので。
当時でも80代前半ぐらいだったと思うんですけど。
お前やれみたいな感じで言われて。いや僕できないですよって言ってたんですけど。
ちょっとお前しかいないからみたいな感じでやることになりましたね。
僕のイメージではそういう商店街とかの理事長っていう役職って飲食のオーナーさんやりにくいイメージだと思うんですよ。
物理的に夜の会合とかが多くなる。でも夜店立つわけじゃないですか。
だからそれもあれやしとかであんまり聞かないなぁと今思ったんですけど。
うちがまだちょっと従業員さんが何人かいる感じなんである程度任せたりできるので。
ランチタイムとかですね今結構もう従業員に任せてやってるんですけれども。
夜はやっぱりちょっと私がいないとなかなか回らないもので。
夜の集まりとかはよっぽど行かないといけないというのではない限りはもう断ってるっていう感じなんですけど。
でもそれでも何とかやってますね。
その文脈からアミュができてすごいあそこが結構いい感じになっていったみたいな。
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アミュプラザができる前からですね。
できるらしいぞっていう時からですね。
どんどん出店したり。
できるらしいぞでですか。
そうです。できるらしいぞ。
そこからじゃあできますっていう発表。
もうその時にわーっと商店街の空き店舗空いてないですかっていう出店希望者がどんどん集まって。
今まで本当に何も入ってなくて。
要するに貸し出しの店舗って空き店舗って貼ってあるじゃないですか。
それが貼ってないようなところもあったんです。
っていうのはオーナーさんがそこまで貸す気がない。
面倒くさいはありますよね。
でもそこにもお店が入って。
だから多分名も書いてないけどもし空いてるんだったら僕入りたいですみたいな。
多分そういう方が結構いらっしゃったんじゃないかなと思うんですけれども。
でもそれでほとんどの店舗が埋まったという。
本来だったら、いわゆる地方都市あるあるだと思うんですけど。
この駅の引っ張られ方と街が形成されていった文脈でちょっとズレがあったりすると思うんですよ。
本来だったら駅に一番中心地のものがあってやと思うんですけど。
ちゃんと調べたわけじゃないんですけど。
おそらく駅の中心はこっちにあって。
多分いろいろ理由があって駅がそっちに接続できなくて。
多分延伸してあそこになったので。
ざっくり1キロぐらいあるじゃないですか。
本来駅から中心地に行く一番入り口のところなのでめちゃくちゃ一等地ですよね。
本来あそこが一番家賃が高くてみたいな話になるんですよね。
ただやっぱり宮崎特色だと思うんですけど車社会なんですよね。
だから僕もあそこの場所に出店するのに駐車場があるかっていうのを気にしてたっていうぐらいなので。
やっぱり車で行動するんですよね宮崎の人っていうのは。
なってくるとやっぱり中心市街地っていうのが不利。
特に僕が出店した頃は郊外ブームみたいなのがあってですね。
飲食店も結構郊外に行くっていうのがブームというかそれが主流だったような感じですね。
車で行って代行で帰るもしくは誰かがハンドルキーパーで帰るっていうような。
だから飲食店はやるんだったら駐車場をセットみたいな考え方が結構多かったです。
駅の場所だったらいわゆる出張の方とか旅行者の方とかいわゆるのせつさんのお店という認識を持たずに来る。
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一元さんみたいなのも結構いらっしゃるんじゃないですか。
そうですね。でも僕が出店してすぐの頃はやっぱり近くの田中町通りの会社関係の方がやっぱり中心でしたね。
いわゆる首都圏にお店が店舗があって宮崎支店みたいな感じの方ですね。
そうですね。結構大手の方で結構多くて。
出張の方とかもホテルがあんまり当時今ほどは多分なかったんじゃないかなと思うんですね。駅の周辺にですね。
だからそういうこともあってどっちかというと西立の方に行かれる方が多かったのかな。
この10年くらいをいわゆる西立よりも駅に向かっての東側エリアをずっと見てこられて
商店街の振興組合なのでこういうふうになっていったらいいなとかそういう思いとか持ってらっしゃると思うんですよ。
その辺じゃあちょっと次回お話をお伺いさせていただくような感じで一旦今日はここで終わろうと思います。
ありがとうございました。