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2024-03-05 24:03

008寺田寅彦「コーヒー哲学序説」

008寺田寅彦「コーヒー哲学序説」

コーヒーはお好きですか。よく考えたら多くの人を魅了してやまない不思議な飲み物ですよね。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちをお手伝いする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることがあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日はですね、寺田寅彦、「コーヒー哲学序説」というのを読んでいきたいと思います。
こちらの方、夏目漱石の文科生だそうで、
この本文中、初めてのコーヒー、それから銀座のコーヒー、
自宅のコーヒーなど様々語ってくれるそうです。
最終的には、芸術や哲学や宗教にまで悲しがを広がるということだそうなんですけど、
僕、今日ちょっと酔っぱれてるんでね、読み切れるかな。
頑張って読んでいきたいと思います。
あ、ちょっと長いな、大丈夫かな。
寺田寅彦、「コーヒー哲学序説」
89歳の頃、医者の命令で初めて牛乳というものを飲まされた。
当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、
主として病食の人間の薬用品であったように見える。
そして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くて飲めず、
飲めばきっと嘔吐したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったところであった。
もっともその頃でも、モダンなハイカラな人もあったりして、
例えば当時通学していた板橋小学校の同級生の中には、
昼の弁当としてパンとバターを常用していた小校子もあった。
そのバターというものの名前さえ知らず、
綺麗なキリコガラスの小さな壺に入った妙な黄色いローのようなものを、
造毛の耳かきのようなものでしゃくい出してパンになすりつけて食っているのを、
隣席から寂しい高貴の目を見張っていたくらいである。
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その一方ではまた、自分の田舎では人間の食えるものと思われていない田舎の佃煮をうまそうに食っている江戸っ子の児童もあって、
これにもまた違った意味での脅威の目を目張ったのであった。
初めて飲んだ牛乳はやはり飲みにくいお薬であったらしい。
それを飲みやすくするために、医者はこれに少量のコーヒーを配材することを忘れなかった。
粉にしたコーヒーをさらし、もめんの小袋にほんの一つもみ、ちょっぴり入れたのを熱い牛乳の中に浸して、
漢方の風邪薬のように振り出し、絞り出すのである。
とにかくこの生まれて初めて味わったコーヒーの香味は、すっかり田舎育ちの少年の私の心を浸水させてしまった。
すべてのエキゾチックなものに同情を持っていた子供ごころに、
この南洋的西洋的な香味は、未知の極楽行から遠洋を渡ってきた一脈の群風のように感じられたもののようである。
その後間もなく郷里の田舎へ移り住んでから、毎日四合の牛乳は欠かさず飲んでいたが、
東京で味わったようなコーヒーの香味はもう味わわれなかったらしい。
コーヒー糖と称して角砂糖のうちに一つまみの粉末を封入したものが一般に愛用された時代であったが、
おお、それは薬臭く、カビ臭い異様の物質に変質してしまっていた。
高等学校時代にも牛乳は普段飲んでいたが、コーヒーのような贅沢品はなかった。
そして牛乳に入れるための砂糖の壺から随時に歯磨きブラシの柄などで借り出しては、
生の砂糖をなべて菓子の代用にしたものである。
試験前などには別にして砂糖の消費が多かったようである。
月日がめぐって32歳、春。
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ドイツに留学するまでの間におけるコーヒーと自分との交渉については、ほとんどこれという事項は記憶に残っていないようである。
ベルリンの下宿はノーレンドルフの辻に近いガイスベルグ街にあって、
年老いた夫婦は陸軍将官の未亡人であった。
ひどく威張った婆さんであったが、コーヒーは良いコーヒーを飲ませてくれた。
ここの2階で毎朝寝巻きのままで窓前にそびゆるガシュアンスタルトの煙団を眺めながら、
火のヘルミーなどを持ってくる熱いコーヒーを飲み、香ばしいシュニッペルをかじった。
一般人、ベルリンのコーヒーとパンは中地のごとくうまいものである。
9時、10時、あるいは11時から始まる大学の講義を聞きに、
ウンテルデンリンデン近くまで電車で出かける。
昼前の講義が終わって、近所で食事をするのであるが、朝食が小食で、昼飯が遅く、
またドイツ人のように、昼前のおやつをしない我らにはかなり空腹であるところへ。
相当たれごな中食をした後は、必然の結果として重い眠気が襲来する。
4時から再び始まる講義までの2、3時間を下宿に帰ろうとすれば、
電車で空飛する時間が大部分になるので、ほど近いいろいろな美術館を丹念に見見物したり、
旧ベルリンの古めかしい画屋のことさらに老舗を求めて放行したり、
ティアガルデンテンの子達を縫ってみたり、またフリードリ被害やガヤプチ被害のショーインドを覗き込んでは、
ベルリンの銀ぶらをするほかはなかった。
それでも潰しきれない時間をカフェやコンディトライの代理席のテーブルの前に過ごし、
新聞でも見ながらミットやアオーヌのコーヒーをちびしび舐めながら淡い教習を満着するのが常習になってしまった。
ベルリンの冬はそれほど寒いとは思わなかったが、
暗くて寒くて、それから物憂くて、そうして不思議な重苦しい眠気が暗い霧のように全首を封じ込めているように思われた。
それが無意識な警備の慢性的教習と混合して、一種特別な眠気となって額を抑えつけたのであった。
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この眠気を追い払うために、実際この一杯のコーヒーが自分にはむしろはなはな必要であったのである。
三時か四時頃のご飯屋にはまだ吸血鬼の粉体の甲もなく、心肝としてどうかとするネズミが出るくらいであった。
コンディトライには家庭的な不審の客が大多数で、ほがらかに賑やかなソプラノやアルトのさえずりが聞かれた。
国々を旅行する間にもこの習慣を持って歩いた。
スカンジナビアの田舎には恐ろしく頑丈で、分厚で、叩きつけても割れそうもないコーヒーチャワンにしばしば出会った。
そうして口の厚みでコーヒーの味覚に差異を感じるという興味ある事実を体験した。
ロシア人の発音するコンフィが日本流によく似ていることを知った。
昔のペテラブルグ流のカフェの菓子にはなかなか贅沢でうまいものであった。
この事からもこの国の社会層の深さが計られるような気がした。
自分のであったばかりのロンドンのコーヒーは多くはまずかった。
対外のばかりはABCやライオンの民衆的なる紅茶で我慢するほかはなかった。
英国人が常識的健全なのは紅茶ばかり飲んで、そして原始的なるビーフステーキを食うたせいだと論ずる人もいるが、
実際、プロイセンあたりのピリピリした神経のことによるとうまいコーヒーの産物かもしれない。
パリの朝食のコーヒーとアナコンボを輪切りにしたパンは周知の美味である。
ギャルソンのステファンがボアラームシューと言ってコタクに乗せてゆく朝食は一日中大寝る楽しみであったことを思い出す。
マドレイの近くの一流のカフェで飲んだコーヒーの雫が凝結して、
茶碗とサラダを吸い付けてしまって一瞬に持ち上げられたのに驚いた記憶もある。
西洋から帰っては日曜に銀座の風月へよくコーヒーを飲みに出かけた。
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当時他にコーヒーらしいコーヒーを飲ませてくれる家を知らなかったからである。
店によるとコーヒーだか紅茶だかほどよく考えてみないとわからない味のものを飲まされ、
また時にはシルコンの味のするものを飲まされることもあった。
風月ではドイツ人のピアニストS氏とセリストW氏との不可分な一退がよく同じ時刻に来合わせていた。
二人もやはりここの一杯のコーヒーの中にベルリンないし、
ラエプチーヒの夢を味わっているらしく思われた。
その頃の旧人は和服に格帯姿であったが、震災後、
向かい側に引っ越してからそれがタキシードか何かに帰ると同時に、
どういうものか自分にはここの敷居が高くなってしまった。
一方でまたSとかFとかKとか、
我々向きの喫茶店ができたので自然にそっちへ足が向いた。
自分はコーヒーに限らず、あらゆる食味に対してもいわゆる2というものには一つも持ち合わせがない。
しかしこれらのお店の各々のコーヒーの味にみな区別があることだけは自然にわかる。
クリームの香味にも店によって地形相違があって、
これがなかなか大切な味覚的要素であることもいくらかはわかるようである。
コーヒーの出し方は確かに一つの芸術である。
しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。
うちの台所で骨を折ってせいぜいうまく出したコーヒーを
引き散らかした今の所宅の上で味わうのでは、どうも何かは物足りなくて
コーヒーを飲んだ気になりかねる。
やはり人像でもマーブルか、
チェチーロガラスのテーブルの上に銀器がひらめいて、
一輪のカーネーションでも匂っていて、
そうしてブフェにも銀とガラスがホチザラのようにひらめき、
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夏なら電線が頭上にうなり、
冬ならストーブがほのかにほとっていなければ正常のコーヒーの味は出ないようなものらしい。
コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、
それを呼び出すためにはやはり相当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。
銀とクリスタルとの閃光のアルペジオは確かにそういう還元学の一部員の役目を務めるものであろう。
研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、
善気の意味でのコーヒーを飲む。
コーヒージャワンの淵がまさに唇と愛触れようとする瞬間に、
パッと頭の中に一道の光が流れ込むような道がすると同時に、
やすやすと解決の手掛かりを思い浮かぶことがしばしばあるようである。
こういう現象はもしやコーヒー中毒の症状ではないかと思ってみたことがある。
しかし中毒であれば、飲まない時の精神機能が著しく減細して、
飲んだ時だけようやく正常に復帰するのであろうが、現在の場合はそれほどのことではないので、
やはりこの興奮剤の正当な作用であり、効き目であるに相違ない。
コーヒーが興奮剤であると知ってはいたが、本当にその意味を体験したことはただ一度ある。
病気のために一年以上は全くコーヒーを口にしないで、
そうしてある秋の日の午後、久しぶりで銀座へ行ってそのただ一杯を味わった。
そうしてぶらぶら歩いて日比谷原辺まで来ると、なんだかその辺が平治とは違うような気がした。
公園の子達も行き交う電車もすべての女王的なものがひどく美しく明るく愉快なもののように思われ、
歩いている人間がみんな頼もしく見え、
要するにこの世の中全体がすべて祝福と希望に満ち輝いているように思われた。
気がついてみると両手の手のひらに油汗のようなものがいっぱいに滲んでいた。
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なるほどこれは恐ろしい毒薬であると感心もし、
また人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配される哀れな存在であるとも思ったことである。
スポーツ好きの人がスポーツを見ているとやはり同様な興奮状態に入るものらしい。
宗教に熱中した人がこれと似通った豪骨状態を経験することもあるのではないか。
これが何々術と称する心理的療法などに利用されるのではないかと思われる。
酒やコーヒーのようなものは、いわゆる禁欲主義者などの目から見れば真に有害免疫の長物かもしれない。
しかし、芸術でも哲学でも宗教でも、実はこれらの物質とよく似た効果を人間の肉体と精神に及ぼすもののように見える。
禁欲主義者自身の見せでさえ、その禁欲主義哲学の盗推の結果、
年の若いに自殺したローマの詩人哲学者もあるくらいである。
映画や小説の技術に用て盗賊や謳歌をする少年もあれば、
外来哲学思想に明定して世を騒がせ、生命を捨てる者も少なくない。
宗教類似の信仰に夢中になって、家族を泣かせる親父もあれば、あるいは感化を動かして悔いない王者もあったようである。
哲学でも芸術でも宗教でも、それが人間が人間の人間としての健在的実践的な活動の原動力として働くときに初めて現実的な意義があり、
価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば、自分にとってマーブルの卓上に置かれた一杯のコーヒーは、
自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない。
これによって自分の本念の仕事が幾分でも効率を上げることがあるのであれば、
少なくとも自身にとっては下手な芸術や半熟の哲学や生ぬるい宗教よりもプラグラマティックなものである。
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ただあまりに安価で外分の悪い意地の汚い原動力ではないかと言われればその通りである。
しかしこういうものもあってもいいかもしれないというまでなのである。
宗教は往々人を明定させ感能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。
そしてコーヒーの効果は感能をAVにし動作と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。
酒や宗教で人を殺すもの多いが、コーヒーや哲学によって犯罪をあえてするものは稀である。
前者は信仰的主観であるが後者は懐疑的客観的だからかもしれない。
芸術というよりの美味にも時に人を酔わす。
その酔わせる成分には善機の酒もあり、ニコチン、アトロピン、コカイン、モルフィン、色々なものがあるようである。
この成分によって芸術の分類ができるかもしれない。
コカイン芸術、モルフィン文学があまりに大きい悲しみを生む次第である。
コーヒー満筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。
これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの良い効果であるかもしれない。
岩波文庫岩波書店から1948年第1冊発行テラトラ飛行随筆中第4巻より読み終わりでございます。
最後なんかちょっと飛躍しすぎてよくわかりませんでしたね。
美味しいコーヒーが飲みたいだけじゃないのかな。わかりません。
僕はモカみたいな酸っぱいコーヒー以外のコーヒーが好きです。
それでは皆様本日のところはおやすみなさい。
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