00:02
お疲れ様です。
ありがとう。
それが悪ふざけで作ったお部屋。
はい、やってまいりました。
omnibusにお越しの皆さん、こんにちは。
こんにちは。
お元気ですか?
元気だよ、というこう。
元気だね。
はい、ということで、やってまいりました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
この空気です。
いい空気やね。
はい。
お部屋もよく、皆さんお越しいただきましてありがとうございます。
ありがとうございます。
我々、ネオ五条楽園というポッドキャスト番組でして、
はい、京都からやってまいりました。
やってまいりました。
中畑興平と申します。よろしくお願いします。
くそ!
しつけられてる。
そして、同じくネオ五条楽園の陽石と申します。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
こちらはomnibusのミュージックステーションということで、
はい、通称オムステ。
こちらのDJブースになっているんですけれども、
2時から3時の1時間だけこの場をお借りして、我々がトークをさせていただくと。
いや、ありがたい。
ありがたい。
ありがたい話です。
で、何喋ろうかっていうところからやけどね。
はい。
今回その、omnibus、今回お越しの皆さんも既にご存知、周知の事実かとは思いますが、
今回このomnibusっていうのがね、本だったりとか、
はい。
あるいはなんか、僕らのブースの横だったりすると紙切ってもらうようなエリアがあったりとか、
いろんなブーパンがあったりとか、
はい。
そういうような、ちょっとマルシェ的な感じで、主に本を取り扱うようなイベントになっているかと思うんですけれども、
我々も今回その1時間の枠いただきまして、
まず今回その本にまつわるようなお話ができればというようなところで今回参加させていただいております。
はい。
どうした?
いや、大丈夫。
何が?
一個懸念があったけど。
あ、懸念。
大丈夫ね。
はい。ということで、早速、今回こうやってお呼びいただいたわけなんですけれども、
はい。
いちのみ屋ですからね、僕実は去年のオモリバスでもトークイベントの司会をやらせていただいておりまして、
今回その番組として2人でそろって参加するのは今回が初めてのことになるんですけれども、
そうですね。
ヤブタ君、だからそのいちのみ屋に関しては初めて。
初めて。
どうですか?
いやー、曇ってるね。
今日とからね。
地続きで曇ってたけどね。
いやー、でもこの郊外の大通りと神社がクロスしているところでイベントをやるっていうのがすごいローカルな感じがいいですね。
多分あのいちのみ屋の駅から真っ直ぐこれが山道という感じで多分なっているような配置になっていると思うんですけれども。
03:04
神の通り道ですね。
そうですね。そんなところでやらせていただくというようなことで。
じゃあ一旦ちょっと座りつつ。
そうですね。
あ、ありがとう。
はい、ちょっと喋りやすいようにお座りさせていただきまして。
お通りの皆さんも全然ここら辺は空いてますんで全然座って聞いていただいても構いません。
はい、ということでね。
ぶち上がってるね。
ヨギ坊たちが。
ヨギ坊に座るヨギ坊たちが。
可愛らしいね。
はい。
結構国家的なイベントですね。
そう、ご家族で来られてるからたくさんいてすごい良いですね。
我々今回京都から、今朝から来てるんですけれども。
ちょっと遅刻しつつ。
ちょっと準備手間取りまして。
今回こういう形で1時間ブースで喋らせ…
あ、1時間ここで喋らせていただくっていうのをプラス
通常そこの信号渡った辺りの
ちょうどその紙切ってらっしゃるようなところ
あと絵本の読み聞かせとかされているような
芝生のエリアの前ぐらいで本売ったりとか
あとはその番組のグッズ売ったりとかっていうようなことも
合わせてさせていただいております。
ぜひそちらの方もぜひともご覧ください。
青色のテントです。
青いテントが我々のブースになっております。
オムニバスのドレスコードが青色って聞いたので
青色のテント持ってきたらみんな白のテント持ってる。
そこまでは別に決めてなかったです、みんな。
ある意味はそういう意味では目立つところで
やらせていただけて何よりですが。
今回その本のイベントっていうことで
僕らも実はポッドキャスト番組のグッズを
僕らが選出した本を販売させていただいておりますので
全然僕らのことを知らなくても
またブースにお立ち寄りいただいて
復職していただければと思います。
お話しできればと思います。
我々もポッドキャストっていうような音声メディアで
基本は配信したりとか
喋ったりというようなことがベースにはあるんですけれども
喋るトピックとしては
割とお便りとしては
お便りいただいて
それにまつわるお話をさせていただいたり
ということが結構多いんですけれども
時々
映画だったり音楽だったりとか
のような流れで本の話をしたりとか
漫画の話をしたりとか
というようなところもあったりするので
そういうところもあわせて
ちょっとシーマセンを出していければね
よりいいかなというようなところだと思いますが
あと
もっと言うとそういう話をしているというのもあるし
グッズとかも
いろいろ作っているんですけれども
我々人を作ったりとか
そう
やらせていただいたりとかはしてますからね
今日出そうと思ってたやつが
後でファミマのプリンターから出てきます
今回もね
ちょっと軽くシーンみたいなものを
作っておりますので
06:00
それもちょっと後ほど
配布できればと思っております
今回そのテーマ
昨日
前回僕らが収録してたときに
どういう話しようかみたいなことを
考えてたんですけれども
本にまつわる話って
無限に広がりはあると思うんだけど
どういう流れで決まったんだっけ
あれは
最初は大切りしようかって
言ってたんですけど
やめて正解言いました
ええわけがない
本にまつわる
エピソードトークとかであれば
もちろん僕らのことを知らない人でも
親近感を持っていただけるかなとか
自分に照らし合わせてみたら
私にとっては
あの本がこの話に当てはまるな
という風に考えていただけるかな
というので
今回のトークテーマが
最初と最後の本
というので考えてきまして
最初の本っていうのが
厳密に初めて読んだ本じゃなくてもいいんですけど
自分にとっての読書の原体験は
この一冊だなって思い入れの深い
本などがあれば
っていうので
お話をしつつ皆さんにも
もしマイク向けて
お話していただける方がいらっしゃれば
ご思い出の本一冊
語っていただければと思います
次に最後の本っていうのが
これ難しいな
人間おそらく人生最後に読む本は
選べない人の方が
多いんじゃないかっていう
もちろん自分の識が分かっている
人とかもいらっしゃると思うんですけれども
多分圧倒的に
予期せぬタイミングで
なりになる方の方が多いと思ったら
読書っていう時間的にも
ボリュームのいる
作業を人生最後
何の一冊を選ぶかっていうのって
本当に計画的に決めていても
それを読めるとは限らない
ある意味
この本やと思ったらもう二度と何も読まない
しかないもん
それを最後にするには
もちろん設定したから
それを読まないといけないというかいうんじゃなくて
人生の最後
本当に自分がこの世を去る最後に
これだけは読んでおきたい
これを読まずしていくことはできない
っていうような本
これに関してはもちろん読んだことある本
とかもう一度読みたい本でもいいですし
まだ読めてないけど
これだけは
みたいな一冊のお話とか
読んだことない本について語るみたいなのも
面白いかなっていう風に考えております
僕らも
自分たちの最初と最後の本を
やる上で本を持ってきまして
家に持ってきておりますので
そういうところも含めてお話できればと
思います
僕らのことを知らなくてもオールオッケーということ
それで本に興味を持ってもらえれば
万々歳でありますしね
ということで最初の本ね
そもそも普段から
本をたくさん読む男なんですけれども
彼の家すごい
本の積み方が
09:00
財の瓦のように積んでは
鬼に崩され積んでは
鬼に崩され
永遠に終わらん仕事やな
そうですね確かに本たくさん
積ん読もいっぱいあるんで
ある意味むしろ
死ぬ前に
読みたい本の方が多いかもしれないよね
そういう意味では
幼少期から読書が大好き
あるあるかもしれないんですけれども
読ませされてきたっていうのは
結構大きいところとしては
あるかもしれないですね
うちにそもそも実家とかに
絵本とか二三百冊ぐらいあるような
家ではあって
それを毎日どれがいい
どれがいいみたいなことを
お母さんが読んでくれる
みたいなものが多分最初の本との触れ合い
になるとは思うんですけれども
それとは別に
自分でやる読書というか
絵本って割と与えられるものやったりするから
自分で選ぶことの方が少ないかも
そういう意味ではやっぱり
学校行ってから
図書館っていうね
図書室があったりして
そこで家の雑誌とは
比べもにならん数の
本があって
結構ほぼ
その人からしたら無限とも思えるような
数やったり
どんな小さい図書館でも
有限でありながら無限の選択肢がある
そういう場所から
自分でやってっていうのの現体験としては
やっぱり小学校の時の
怪人二重面相シリーズかな
覚えてますかね
江戸川乱歩の
シリーズです
明智探偵と小林少年の
バディが活躍する
怪人二重面相と
毎回対決するみたいな感じのシリーズものになるんですけれども
自動推理小説
そうやね
完璧にそのど真ん中
あれってほんまに
僕ら
30そこそこの年齢にはなるんですけれども
その当時小学校やった時の
小学生やった時の
本棚に
図書室に積まれたようなやつって
めちゃくちゃ拍子が怖い
江戸川乱歩のシリーズって
めっちゃトラウマやなって思うのが
結構色々あるんですけれども
一寸防止っていう
シリーズの本があって
そのシリーズの中に
それの表紙がほんまに
小人が海辺に立ってて
裸の女の人を
抱き抱えてるみたいな
そんなシーンあった?
表紙やね
18禁の一寸防止
18禁防止
何が一寸やねっていう
そういうあれがあったんやけれども
その表紙が
他にも色んなシリーズのやつで
怖い面のやつが表紙になってたりとか
僕のイメージは子供の頃に
知らない本って表紙怖かったりする
驚々しい怪人が出てきたりとか
怪物が出てきたりとか
っていうような表紙ももちろんあったんやけど
12:00
その表紙が何を意味してるか
絶妙に分からない
分からなさが結構
恐怖の原体験の部分かなって思って
なんだこの表紙は?
って思って
それがめちゃくちゃ印象に残ってて
それが読みたいになった
なんか結構その本の
想定から入ったような
魔力というか
みたいなところを感じたっていうのが
結構いまだにその本選ぶにあたって
好きな作家さん買ったりとか
あるいは誰かのレコメンドで買ったり
っていうことも全然もちろんあるんやけれども
ジャケで買うっていうのももちろん
例えばこういうイベントにしたら
本当に全く知らん状態で手に取った本で
何この本?って思って買うってこともね
もちろんあると思うんやけれども
そういう選び方の
原体験になったのは
江戸川アランポンの一寸坊主っていう
小説かな
一寸坊主やったら今ここに
ヨギ坊たちの
馴染みがあるんじゃないかな
一寸ヨギ坊主たちがいっぱいいるね
楽しそうに
聞いてみたいけど好きな本
本好きやろな
ダメっぷしてるぞこの子
逆にヤブタの原体験では
どうですかね
もちろん絵本とかは
親にいっぱい買ってもらったり
自動書もたぶん
いっぱい家にあったんやけど
そもそも読書あんまり好きじゃなかった
ヤブタの場合は
あんまり活字を読むことが
少ないみたいな
やっぱ苦手意識の方があって
実際小学校入学してからも
正直国語の授業とか
結構苦手やった
最初の方は
ただ
小学校時代はずっと本は
全然読まずにやってきて
中学に
入学した時に
授業始まる前の
朝の15分とかで
読書する時間みたいなのが
設けられて
強制的な読書タイプあるな
他の学校でもそういうのうちにもあったな
って方いらっしゃると思うんですけど
その朝
授業始まる前の15分
静かにして読書しましょうね
もちろん漫画なんか持っていけません
中学校なんで
家に全然本ないです
姉貴が僕5歳上にいるんですけど
姉貴に
何かいい本ない?って聞いたら
これ読みやすいよって
渡されたのが
湯本一美さんの
夏の庭っていう
本屋さんの夏休み前になると
平積みで
小学生でも読める
内容としては
小学生の男の子たちが
死というものに
初めて
おばあちゃんが亡くなったことで
そこから死に興味を持ち
近所のおじいさんが
もしかしたらもうすぐ死ぬかもしれない
家の外から観察を
始める
そのおじいさんにそれがバレて
ちょっとモラル的な部分で
時代的にもあれな部分も
あるものの
15:00
ただそのおじいさんと
最初こそはちょっと
賢悪な感じ
賢悪な感じだったんですけど
打ち解け友情が芽生え
実際におじいさんが亡くなって
本当の死を
知って成長するっていうような
少年たちを描いた
とてもいい本なんですけど
ある意味死の際にあるような人との
触れ合いというか交流があって
感動したんですよ
感動したと同時に
自分で選んでない
自分で選んでない
俺はこの本感動したけど
俺はこの本自分で選んで読んでない
っていうことに情けなさを
中学1年生の時に感じて
中1の時か
俺はこの本読まされて
仕方なく読んで
まんまと感動してるっていう自分
めっちゃカッコ悪いなって
読書ってめっちゃ面白いかも
そこで気づいたって言って
僕の読書
葛司の原体験としては
中1年生の時に読んだ
夏の庭 ザ・フレンズっていう本なんですよ
苦手意識があったところから
それを払拭して
かつ
自分でもっと知りたい
活望に変わっていったこと
それが
ポジティブな要因やったら
自分の中でも
語りがいのある思い出になってたかもしれないのは
自分が読書を嫌い
仕方なく姉貴に借りた本を読む
なんや読書面白いやん
自分が情けないって
この気持ちだけで
大人になっても劣等感がちょっとあったりして
ある意味それが
自分の原体験になってしまってるから
だからどうしても
ある意味忘れられない一冊買ってしまった
なるほど
出会ってしまったんや
僕は中学1年生の時に姉貴にもらった
この本を実家を出た今でも
ちゃんと家に持ってるっていう
すごいね
この一冊を家に置いとくことで
当時の気持ちとか思い出したりとか
学校の中でみんなが一斉に
本読み出して
自分だけは読書に興味がないのもちょっと恥ずかしいみたいな
あの時の空気とか
そういう生々しさ込みで
大人にもっと10年20年経っても
忘れへん一冊になりそうだなっていう
感じがしますね
でもほんまに電車の中とかにいてもさ
そんなめっちゃ本読んでる人って
多いわけでも全然ないやんか
特に今時の中高生とかに
おさらそうかもしれんしね
それこそもうほんまに
ヨカの過ごし方とか
アイキジカの過ごし方ってやっぱインスタントに
手軽に楽しめるようなアプリがあったりとか
ネットがつながりやすいとか
そういうのもあった中で
もともとそっち側の属性にいた
とも言えるやんか
そっからその一冊の出会いで
ガラッと変わったわけ
それはかなり
プライスレスな
現体験でもあるかもしれんね
本とか漫画では
僕個人にとっては
得られへんかった感じがあった
言ったらその矢蓋の場合
現体験が自分で選んでない
18:00
っていうところがあったと思うんやけれども
そっから自分で選ぶようになるわけやんか
その
自分の本の選び方って
あったりする?
こうやってマルシェイベントみたいなところに
行った時とか本屋に行って
本屋がなくならへん理由ってある意味
セレンディビティというかさ
偶然の出会いがあって検索して
ヒットするやつだけじゃなくて
パッと見たやつであれ何これおもろそう
みたいなあるからみたいなことは言われるけれども
自分にとっての
センサーがどこにあるみたいな
それこそ中高生の時とかは
映画見るの好き
になり始めて
要はそれの原作
深掘っていくっていうところから
原作ね
中学生の時に
イサカ・コウタロウとか
要は90年代ぐらいの
自分の世代よりも
上の映画とかに手を付け始めて
TSUTAYAとかに行って
岩井春二の映画
小説もあるんよ
気づいたりとか
映画と本の関連を探し始めて
そこから作家さんから
作家さんへみたいな
入り口として多分
こういう人多いかなと思うけど
そうだな確かにコミカライズとか
アニメライズって言うのかな
アニメ化か?
メディアミックスかな
そういうのになった元ネタを探る
原作の方がめっちゃ面白いやん
っていうのがやっぱり
映画から小説っていうパターンは
多かったな
エッセイとかよりかは小説の方が
中学生高校生ぐらいの時は結構
エッセイのおもろさに気付くのも結構
大人なってからとか
自分の人生経験と
照らし合わせることの面白さに気がするし
逆に自分数十年
生きてきたけどこういう体験を
してる人もいるんだって面白さが
子供の頃にはなかなか見つけられない
ものな気がする
日記ってほんまに今
流行ってるというか
日記が売り物として流行ってるというか
そういう意味では
そんな時代が来るんやって
俺は結構思ったかもしれへん
ここほんまに数年の話かもしれへん
というか
いわゆる日記文学って呼ばれるジャンルも
元々古くはあって
そういうものが
エッセイという形を
なしてる本って
元々古くからあった上で
例えば
1960年代とかになると
1970年代とかになると
富士日記と呼ばれる
武田由里子さん
めちゃめちゃ日記文学の金字塔みたいな
位置づけのやつがあったりとか
それもわりと早めに触れたわ
触れたんやけど
読んでても
読んでても
ほんまに人の日記でしかないから
特に最近の日記
売られてる日記って
わりとその
古前提で書いてる日記も多いから
結構こういう名詞とかを
ぼかし方が
自分のパートナーのことを
アルファベットで読んでみたりとか
意図的なぼかしがちゃんとあんねんけど
21:00
武田由里子の
富士日記に関しては
そもそも
大順っていう作家さんが
その由里子に
由里子お前も何か書いてみなさいみたいなことを言って
日記を書き始めて
それがたぶん4,5か
存命中か忘れたけど
別荘地での
過ごす何年間かみたいな
15年間ぐらいが常駐芸になってんだけど
書き溜めたもんが
そのまんま
小説として出版されてるから
めっちゃこういう名詞も出てくるし
食べたものの羅列だけとかもあるし
あとすごいこれ食べたけど
クソまずいみたいなことが書かれてないとか
もうセキララ中のセキララで
全く丸裸の
文章やねんか
それがたぶん
等身大の
最たる霊みたいな
ある意味日記の理想像でもあって
それを読む
それを読んでどう感じるかみたいなところの
心の動きっていうのが
めちゃくちゃ面白いっていうのは
大人になってから気づけたことかもしれへんね
書いてみなさいって言われて
実際その
執筆をするっていう創作活動においては
フィクションがいらんわけやから
入り口としては
記録でしかない
いい意味で
今日もおそらく日記を販売してる
グースなどもあると思います
僕も金沢に生活してた
3ヶ月間
1日も欠かさずに書いた日記を
1冊だけ販売してる
ありますね
書いてる人も多分増えてるとは思うんやけども
面白いよね本当に
実は僕らの
ポッドキャストのラジオ番組でも
お便りメールってね
大体人生相談みたいなのが多くなったりしがちなんですけれども
僕らのポッドキャストは
日記送ってくださいっていう
そのある特定の1日を
記述して
それを俺らが朗読して
やいどやいど喋るっていう
これ人気なんですよね
4ヶ月くらい続いてる
1冊だけこの夏あったエポックな
出来事があったら
日記にして送ってくださいねみたいなことを
言ってたのが割と続々と
それを聞いてて
ほんまになんか
その日記にその人の生活あり
っていう感じやよね
結構感動するよね
糸並みやからね日々の
人の住んでる地域のこととか
人の家族のこととか
全然あなたのことを
知らないけれども
家族のお話とても
感じるものがありますね
そういう時やっぱ自分の家族を思い浮かべたり
とかってこともやっぱあって
何かによって引っ張り出される
記憶やったりとか思い出やったりとか
っていうのはどっかにあって
それが気持ちいいみたいな
その日記に出会わんかったらもう二度と思い出さんかったことも
多分実はあってっていうのは
あるかもしれへんよな
今この瞬間のことを日記に書き記しておけば
忘れずにいられるかもみたいな
そういう心の動きも
あるのが日記かなと思います
自分の心をエディットすることでもあるからね
忘れたくないことを書くように
24:00
書きたくないことは
書かんかったりするわけで
そういうある意味
内省のツールとしてもやっぱ
優れたものではあるやろしね
さっきなんかトークテーマとして
自分にとっての読書の原体験は
みたいな話しましたけど
逆に言うと日記って
その人の創作の
原体験か
そうだね確かに
ある意味チラシの裏の落書きみたいな
レベル感の話やったりするもんね
文章を書く
っていうのの入り口ってやっぱそうなんちゃうかな
それはデカいやろな確かに
もちろん書いてる内容自体は
1日とか1週間とか1ヶ月の
出来事とかを書いたりはするものの
文章自体は
表現方法やんか
そうやね伝達方法やったり
表現方法やったり
ありのままの事実を書くにしても書き方一つで
その人の個性出たりするわけ
俺みたいに
小学校の時の絵日記だいたい
カギカッコ始まりやつ
あるな
セリフ始まりの時
そういうやつ
伊坂好きそうだよね
小学生のくせにつかみを考えてる
日記でつかみ考えてるやつめっちゃおもろいな
でも確かにある
花丸ほしさに
カギカッコ対応する子
カギカッコ対応する子に
あれね確かに癖は出るような
読書苦手だったけど日記書くのは好きだったかもしれない
あーなるほどな
友達のこと書くのとかめっちゃ楽しかった
あーなるほど
あいつが何したみたいな
何々しました楽しかったですの中に
どんだけ友達とのあれこれを
盛り込めるかみたいな
その1日の濃度というか密度が爆上がりする
割と覚えてるかも内容
日記の
今僕33歳ですけど
残してるし小学校の時の日記
すごいな実家に
つけてたんやなちゃんと
宿題で夏休み以外でも
俺が通った小学校は
毎週1回日記書くし
1回ピアノの下に
10円玉が入って頑張って取る
というだけの日記書いてた
めっちゃおもしろいやんと思って
すごいな小賀近子さんが書きそう
いいエッセイやな
日記とエッセイも絶妙に
違う感じがするよね
ちなみにエッセイで
最初に読んだのは
群れ陽子さんの
大人も子供も大嫌い
一番最初やった
エクニカオリの流しの下の骨かな
あれ確かエッセイやったと思う
結構エクニカオリ作品がボーラしてる
小中ぐらいでめっちゃ読んでて
もう全然最近は読んでないけど
なんか
女性作家めっちゃ好きやった
小中学校に
なんか結構ね
資座が違ったりするな
文章からもね
せっかくキッズいるし
聞いてみたいな
色字能力あるよ
読めるよ本好きだよって
本好き?
27:00
好きな本教えて
漫画の秘密シリーズ
漫画の秘密シリーズ
どんな漫画
お母さん
お母様
秘密シリーズが好きなお子様をお持ちのお母様
どんなお話
図書館でよく借りてくるんですけど
漫画で
子供が色々興味で
今日は
いなり寿司の秘密
いなり寿司の秘密
確かにくるまれてる
確かに
乳酸菌の秘密
なるほど
科学の不思議とかそういう系のシリーズですね
一応
漫画で学べるみたいな
教育じゃないけど
知識系の
賢なれる漫画
有望やん
それを楽しく読んでるんだね
いいじゃん
4冊書いた?
どれくらいで読んじゃう?
3日で4冊?
早い
読むって早いからな
集中力がえぐいから
俺はこうじゃなかった
漫画だろうが
嫌やった?
漫画は普通に
商業漫画ばっかりやった
ジャンプやったり
俺だったら
ベネッセやってると
俺やってたからな
一番読んだの
コラシュやもんな
漫画で一番読んだの
コラシュやろ
コラシュジェネレーションやから
島次郎コラシュジェネレーションやから
でも彼女の
言ったらそれが読書の現体験
になり得てるわけやね
ありがとうございます
ということで
エンディングの方かな
これ難しいなって
自分でトークテーマ設定しながら
この1週間ぐらいずっと考えて
てたんやけど
どう選んだ?
読まずには死ねへんなの方か
読み返したいなの方か
それどっちも考えつつも
読みたい本
まだ読んでない本
ってなると
それを今日
トークテーマに持ってこようと思ったら
あらすじとかをちょっと読んでしまう
っていう
これこのテーマに反するのではみたいな
気持ちもあったりとか
未解の状態でないといけないのでは
っていう意味で
本当に人生の最後に読みたいのか
やったら俺は
多分どっちかというと思い入れのある本を
振り返ってもう一回読む方が
俺には合ってる気がするって思っちゃって
色々ありますからね本と向き合い方も
そっからもちょっと僕のおろかしい部分なんですけど
今日こういうイベントに来るってなって
何か一冊持ってくるってなったら
やばいちょっとカッコつけてしまうかも
30:00
って思っちゃったんやけど
いやもうやめようと
正直になろうと
ちなみに持ってこようとしたやつは何やったの?
モモ
ミカエル園で
しゃべりやすくはあるし
面白いねけど
ただ別に自分の人生に
多大な影響を与えたかって
言われたら
めっちゃ親世代から
勧められがちやねんなモモって
それこそ俺の原体験の
読まされた本に入っちゃうみたいな部分もあって
俺あんま好きじゃないもんなモモ
で結局ちょっと
正直になろうと思って漫画かな
なるほどいいやん
もちろん僕は漫画は
小学校1年生
6、7歳ぐらいで
ワンピースとか読み始めたりとか
番組的には漫画担当ですからね
ヤブタ君は
小学校6年生の時に松本太陽に出会って
ヴィレッジヴァンガードで
オーバーのコミックを親に値段で買われたりとか
あとは
姉貴に借りた
スラムダンクとかそういうのあったんですけれども
ただまあ
スラムダンクに入ったっていう意味ではスラムダンク影響を
受けたりはしつつも
自分の考え方みたいなのが
変わったかって言われたらそうでもないな
人格形成に目指したような
死ぬ前に読みたいけれども
でもそうではないかも
自分のアイデンティティ形成したわけじゃないかも
って思って思い出した
一冊が
僕が高校3年生の時に
発売された
餅月英太郎っていう漫画家の
東京街道っていう漫画が
ご存知?東京街道
ありがとうございます
高段車のモーニングで連載されていた
全3巻の
青年コミック
基本読みやすいサイズ感だよな
ドラゴンヘッド以外
餅月英太郎そもそもイラストがめっちゃ好きで
元々デザイナー
やったんですけれども
商業デザイナー
アメコミのエイドリアントミネとかから
影響を受けた
バンドデシネ風の漫画を
描いてらっしゃる
平面ぽいもんね
序盤90年代初頭は
ギャグ寄りの漫画を
描いてらっしゃったりとか
2000年代前半とかで
ドラゴンヘッドって災害の漫画を描いたりとかしつつ
ちょっと絵柄が若干
オシャレに様変わりしてから
出たこの一冊が
いろいろ脳に障害のある
子供たちが
通っている病院が舞台
特別学級的な感じのコーラー
学校じゃなくて病院
が舞台なんですけれども
例えば主人公の男の子は
思ったことを全部口に出して
嘘がつけない
が故に社会の中で生きていくのが
どうしても難しい
面と向かって人を傷つけちゃったりもするし
衝突しちゃったりするし
とか猛原壁がある子供
とかあとは
自分にしか見えないもの
自分だけの世界がある女の子みたいな
妖精が見えるとかそういうような
実は病院の先生にも
いろいろ個性があったり
33:00
みたいな部分なんですけれども
これが要は
病気っていう症例ではあるものの
その人の個性ではあると
ただ
人たち本人はそれを個性じゃなくて
病気のせいにしたい
でもそれも自分のアイデンティティの一つ
っていう葛藤がまずあったりとか
深井やっぱり根底にある生きづらさを
何かに担保したいというか
何かのせいであと考えたいという
この男の子も男の子で
思ったこと全部言っちゃうから
周りに敵を作ってしまいがち
親ともうまくいってない
本人的にもそこは悩んでるし
高校生くらいの年齢層でやったかな
結構思春期
生意気になっちゃうし
女の子にもデリカシーないことを言っちゃう
っていう男の子が
その主人公が
自分が嘘がつけないっていうこの
脳を手術で直す
という決断をするんですけど
それが
手術の成功確率としては
もしかしたら死ぬかもしれない
危険男だろ手術やと
っていうところで手術中に
結構その病院の先生とも
それまでいろいろあるんですけれども
最後に結構
内容は控えますけど
割と泣けることを言うんですよ
ただ彼が
手術が成功していれば
嘘がつけていると
ただ手術が失敗していれば
そのままのことを言っている
ただ手術が失敗するイコール死なんですよ
だから本心で
あれを言ったまま
死んだのか
それとも嘘がつけるようになって
ああいうことを言ったのかっていうのが
どっちなのかなっていうような
要は
僕個人が刺さったのは
そういった個性と
自分たちの病気の症例の一つだ
っていう境目みたいなものって
病気に限らずあるという
そう
こういう性格なのか
心持ち一つで変わるのか
そこと向き合うのか
そこから自分がどう変わっていくのか
直したいと思うのか
自分の性格との
向き合い方だけじゃなくて
他人との付き合い方とかも
割と考えさせられる
一冊だなっていう
すごく高校生ながらに感じた
一冊っていうので
これをもう一回自分の人生を
やって読んだら
またひと味違う気がする
どうしても当時18歳でまだ
成熟しきってないときに
読んで感動した内容を
人生ある程度の経験値を経て
もう一度この本を読んだときに
自分がどう感じるかっていうのが
楽しみではある
そのときに絶対にもう一回
感動するなっていう
確信があるので
僕はこれを
自分がそれこそ死ぬ直前
読むってなったときに
やっぱりA本やなと思って死にたい
とか身近な人に
置き換えられたりするかもしれない
人生長いことを過ごしてたら
っていうまだ見ぬ出会いがあるかもしれない
って思って僕は
餅月水太郎の東京街道を
36:00
選びました
抱いてた後悔からの回復やったりとか
っていうこともそれをあって
そういうトピックの本って
他者へとか
自分の外への
想像力を膨らませるというか
そういう意識になるよね
今ちびっこいるんで
伏せましたけどわりとセクシャリティーにも
関連してくる内容があったりもするので
本当にこれ青年漫画
ではあるんですけれども
全然四五十代の方が読んでも
すごく染みる漫画だと思います
というので
こちらの一冊で
いいじゃないですかいいチョイスですね
それこそビレバンとか言ったら買えますね
餅君はどうですか
今日持ってきてますが
持ってきてますね
それもやっぱりいくつか
考え方はある中で
もちろんいわゆる名著と呼ばれる
例えばプルーストの失われた時を
求めてやったりとか
アドレーヌの紅茶につけた匂いで
記憶が呼び覚まされる
なんでそこだけキャプチャーされてるかマジで分からん
長すぎて
ほんまに一番高い山かもしれん
ぐらいのプルーストがあったりとか
それこそ
分古化されて話題になった
百年の孤独があったりとか
登るべき山というものは
たくさんあるんですけれども
個人的にそういうのを挙げ出すとだいぶ
キリがないことになっちゃうんで
読んだことある中から
特にこれ最近読み切って
こんなおもろい本
俺は何をつんどくしとったんやと思った
一冊がありまして
サルバドールプラセンシアという人が書いた
神の民という本があります
これ今
見えづらい方もいらっしゃると思うんですけれども
めっちゃ想定員
表紙めっちゃかっこいい
これあの
天体の図みたいな感じですね
こういう
これあらすじを
どう説明したらいいんかなっていうぐらい
ちょっと奇抜な本なんですけれども
これ帯を書いているのが
柴田本幸で
このみんなの師匠
そうみんなの師匠
柴田本幸で帯の文章を読ませていただくんですけれども
これだけ奇妙を着て列で
これだけ悲しく
これだけ笑える小説が
他にあったら教えてほしい
そういう奇妙を着て列で悲しく笑える
だが訳すには
種々の困難が伴う
この小説をあっさり訳してしまう
役者が他にいたら教えてほしい
柴田本幸にそう言わしめた本
これ訳しているのが
藤井光先生
我らが同社の
文学部の先生なんですけれども
一応
英米文学にあたります
アメリカの小説の人
名前は多分メキシコとか
南米系の
移民かそっち出身の
中南米系の
アメリカ人の方だと思うんですけれども
ジャンルで言うと
マジックリアリズムに
分類されます
奇想小説というものに近いと思います
ざっくり言うと
39:01
この本に
書かれた人たちが
作者の存在に気付くという
メタ的な話なんです
俺ら見られてる気がする
みたいなことを言い出して
作者と戦争を起こす
すごい話なんですよ
俺たちに
自分たちのプライバシーが
乗っ取られてるみたいな感覚で
こいつに書かれたせいで
俺のこの悲劇はあるんや
だから自分たちの人生を
書かせないようにする
作者は作者で
この小説中にも登場する
すごい変な構図
の本なんですけれども
その設定だけでもだいぶ
おもろいんですけど
中がすごい面白くって
遠くて見にくいんですけれども
開くと3段組になってます
これが
縦書きが3段
1ページに
3段組の本になってまして
これが1個のシーンを
3人の視点で書かれてるんですよ
AさんBさんCさん
同じ時間の話を
Aさんはこうしている
Bさんはこうしている
Cさんはこうしている
わりと章とかで分かれがちなものが
1ページ内に3人分同時進行
同時進行
同読目はAやった最初って思った
面白そう
これがほんまに面白くって
出てくる
登場人物がほんまに
ページごとに入れ替わり立ち替わり
真っ黒のところがあって
これは赤ちゃんやから
何も考えてない
文章になってない
最初そうやって読んでいくんですけど
実はこれは赤ちゃんの特殊能力で
彼は自分の思考を隠せるんです
この登場人物の名前が
ベビーノストラダムス
激おもろい名前の赤ちゃんがいるんですけど
登場人物らがみんな面白くて
こういう三段組っていうところも
面白いし
どんどん読んでいくごとに
和をかけて変になっていくんです
最初そういう三段組が
だんだんそういうことねってなれてきたら
途中ほんまに
国の文書ぐらい黒塗りのやつが出てきたり
古文書みたいな
すごい全部
秘密みたいなところがあったり
あと突然
縦組やったのが
こう読まなあかん
本を90度回転させて読む
っていう
めちゃくちゃな
作り方をしてるんです
文字組とかも
なんなんこの本っていう
斬新さというか新鮮さもあって
かつこれでこんだけとっちらかった
作りをしてんのに
通ってる筋の話が
確かに泣けるというか
ほろっとくる部分もあって
父と子の話やったりとか
言ったら主人公の人は
42:03
嫁さんにさられちゃう
奥さんが出ていっちゃう
家を出ていっちゃう
その理由は自分が寝ているときに
寝しょんべんしちゃうから
っていうことを思ってたら
実はそうじゃなくてみたいなことがあったり
結構家族の物語
親子の物語としても面白いし
かつそういう
重なり合った
メタ的な部分も面白くって
まだこんな
おもろい本あったんや世の中に
っていう
ほんまにこれむさぼるように
久々に読んだというか
やっぱ本読む時間って
大人になると取りにくいというか
仕事働いてるとなぜ
本を読めなくなるんだろうみたいな
最近本出して話題になったりも
してましたけれども
ほんまにそういうのを
寝食を忘れて読むっていう行為を
久々にさせてくれた本というか
なるほど
読書ネクストステージ俺入れた
みたいなところが感じられた
すごくいい本なんで
これちなみに僕が売ってはないんですけれども
ブース内でちょっと
触っていただけるように
しておこうと思ってますので
ぜひこのトークイベント後
ぜひ遊びに来てください
ありがとうございます
最後の本って言いはしましたけれども
もちろんそれが
更新されていく人生の方が
幸福だなと
なんかよかったら
おすすめの最後の本とか聞きたいよな
そらくんは
主催の
ビズル堂のそらくん
おすすめの最後の本
そらくんの最初本最後本
最後本かなやっぱ知りたいのは
すいません
ビズル堂の山本そらと言います
今日はありがとう
最後の本で
自分が浮かぶのは
自分趣味で写真をやってまして
現像したりしてるもん
現像とか自分でしたり
してるんですけど
写真ちょっとかじったことある人なら
わかるんですけどアラーキー
っていう
問題児ね
写真が好きな
方だったら多分
名前わかるような
エロいおじさんみたいな
そう
っていう方がいらっしゃって
アラーキーが奥さんを
亡くした時に
取りためた写真集があるんです
それが
陽子っていう名前で
うちのお母ちゃんと同じ
名前になって
微妙な気持ちになってる
陽子のルートだもんね
みたいな
そういうのもあったりはするんですけど
アラーキーの奥さんの
死に際の
お葬式とかで
官王家に
入ってるような写真とか
最後に収監されて
送られていく
霊気者で送られている
写真とか
死体になってから煙で上がっていく
45:01
写真とかそういう
死を捉えた写真集になってるんですけど
その中で
僕
岡崎京子っていう漫画家
90年代でちょっと流行った漫画家
リバースエッジとか
ちわわわちゃんとかで
最近またリバイバルしてるような
漫画家なんですけど
その方がアラーキーの陽子に寄せて
写真って
どういうものっていうのを
書いてる文章があって
それがめちゃめちゃ写真を
言い表してるなっていう
適格に
ちょっと今読み上げていいですか
これはなんかの
対談とかで話されたこと
陽子の中に
寄稿されてる
岡崎京子っていう漫画家が
寄稿してる文章なんですけど
それがすごい残ってて
ちょっと長いんですけど今から言うと
いいえ写真が悲しい
わけではなく写真機という
世にも薄情な機械が
かけがえのない人の姿を
写し取ってしまうことができ
しかもまたそのかけがえのなさを
その人にまで差し出してしまうことが
悲しいのかもしれない
それとも人は誰でも死んでしまうという
当たり前のことをこの上なく
淡い感傷と共に思い出させてくれるから
写真が悲しいのか
いいえそれは遠さときっと
関係があるだって写真に写されて
しまうと今目の前にあるものでさえ
とても遠くなるから
でも本当は始めから遠いのだ
何もかもがあらかじめ遠い
私たちはそのことに気づかないか
気づかないフリをしてるだけ
時々写真はそれを表せ
そんな時だ
写真を愛おしくも悲しくも思えるのは
でも悲しい写真はとても少ない
街の中や雑誌の中で
見かけるたくさんの写真はむしろ
バカバカしい
そのバカバカしいところが余計に悲しいと思うほど
私は老成していない
バカバカしいものはただひたすらに
バカバカしいっていう文章なんですけど
それがなんかもう本当に
写真
僕たちが写真みたいなものを見て
眠いって感じたりするような
ちょっとなんかセンチメンタルな感傷を
起こしてくるのは
本当は全てのものは
最初は遠いなっていう感覚
距離感
出発してるっていうことを
岡崎京子っていうのが
ちょっと言い表してるんですけど
めっちゃ岡崎京子らしいセリフ回しやな
京子みんな強すぎる
エッジーな
死っていうものを迎えた時に
すごいその遠さみたいなのを
感じるんじゃないかなって思って
ちょっと死ぬ間際にちょっと読み返したら
どんな気持ちになるかなっていうので
ちょっと
これかなっていう気持ちで
めちゃくちゃいい選手ですねありがとうございます
読んでみたくなったね
写真集とかもね確かに一個の本ではあるし
持ってかれたわ
さすがやったな
さすがやったな
引用込みでさすがやったわ
いますかもし
自分の人生最後の
48:01
これ紹介したいっていう人
今日ゲットしたまだ読んでない本の
紹介したいよっていう方とか
まだ読んでない本の紹介してほしいな確かに
どういう言葉が出てくるか
今日これを買いました
っていう語り言うとか
確かにねもしあれば
ぜひぜひ
みんなそんな秘密にしときたいわな
おのおののインマイハートやからな
死ぬ前に身近な人にだけ言わないと
こんなとこで
どん天の下で言わんわよ
神社ですよ
神さんの通り道ですからね
まあ確かにな
そういう意味では俺らも暫定的なものでしかないからな
そういう意味では
この最後の本やったりするのは
特に
これから出会いたいという
そういう出会いの場でも
多分このオムニバスはあるわけですからね
確かに
全然その回ったりはできてないけれども
ほんまに
ここにあるだけでもそれこそ
みんなが出展している本だけでも
集めれば一生かかっても
読み切られへん数になるやろうしね
確かに
そういうところがやっぱり
その本そのものに対しても
やっぱり遠さっていうのは
きっとあって
読んでるうちはやっぱりそこに没入できるけれども
やっぱり一回その本を
閉じてしまえば
やっぱり自分の世界というか
生きてる現実に
一気に引き戻されるわけで
なんか遠さみたいな言い方をすると
ネガな感じもしますけれども
写真もその活字本も
媒体だと思ったら
遠さを感じると同時に
遠くに届けられるっていう意味では
すごくポジティブだなって
感じていて
もちろんね
僕らが京都からここまで
わざわざ足を運んで
この本が集まってる
それこそこのイベントのテーマにもなっている
物語が集まるマーケットという風な形で
僕らが何か今日一冊
何かに出会えたら
その遠さっていうものを
自分にとってこれからの人生プラスに
変えられるかなという風に
すごく今ソラ君の話を
聞いて感じましたね
こういう場で選ぶと
ここで買ったっていう思い出ごとが
多分そこの
またここにその本を見る度に
またこの空間に帰ってこれるっていう
きっとあるやろしね
今日僕ら出展者側なので
もちろん初めましての方
たくさんいるんですけれども
今日あと夕方まで残り数時間で
もしかしたら誰かと出会うかもしれない
その出会った人が好きな本を
教えてくれるとか
それを手に取って買えることができるかもしれない
本当にこのイベント
年一回がもったいないぐらい
本当にすごい出会いの場
このイベント
それぐらいでやってほしいもんな
それこそ僕らは京都に住んでるんですけれども
京都で
こういう街を使った本のイベントって
そんなにない
古本屋さんとかは
いっぱいあって
51:01
下鎌神社でお盆に
下鎌古本祭っていうのがね
夜は短し歩け乙女とかで
出てくるあれやってたりはするんですけれども
なんか
このコーヒー売ってたりとか
絵本読み聞かせたりとか
お客さんがいたりみたいなそういうバラエティー
っていうのはやっぱり独自だな
ある意味京都の方
ストイックとも言えるような
それは特に
組合がやってるっていうのもあると思うよね
古本の
そういう意味でいうとやっぱり
オムニバスっていうこのイベント自体は
ビズルドっていう3人が主体となって
自分たちが好きなものやったりとか
自分たちの好きな人やったりとか
そういう自分たちが興味があるとか
そういうようなものを
ある意味彼らの部屋を
延ばせてもらっているような
感じのイベントの作りになっているとも
言えるんですけど
それこそ下鎌の古本市は
組合がやってるっていう意味では
伝統なんで
ほぼ毎年開催されます
コロナの時はあれやったりしたんですけど
このイベントに関しては
個人が集まってやってるという意味では
当たり前じゃないので
極めてDIYなイベントですからね
変な言い方したら
いつかは終わるだろうと
このイベントも
ついてくれたらすごいことなんですけど
っていう意味で
後ろ盾があるわけじゃないからね
奇跡的な出会いが
皆さんに訪れることを願うばかりでございます
というので
いい時間かな
あと5分くらいか
ほぼエンディングみたいな感じになると思いますが
本日ギリギリね
やっぱり天気的にも
持ってくれたしね
僕たちのおかげです
イベントで雨降らないがち
っていうのはありますが
皆さんの
このイベントを楽しみにしてきた
っていう思いが
完全に天気を通じたところは
あるんじゃないでしょうか
このイベント自体は
もうすぐ今3時前とかですけれども
引き続きイベントは続きます
この後
このブースでは
DJの音楽も流れたり
あといろんなお店でやってる
催しやったりとか
この後もまだまだありますので
引き続きこのオムニバスと
イベントを楽しんで帰っていただければ
いいんじゃないかなという風に思います
我々もね
ブースに手突っ張りというわけではなく
いろんなブース回ってね
出会いを求めていきたいと思ってますしね
僕らは普段は
最初にも言ったんですけど
ポッドキャストっていう音声配信活動をしておりまして
今日みたいなためになる話は
普段全くしてないです
でも
メールがたくさん届くんですよ
本当に毎週
10通単位とかで届いて
4年半で1000通くらいメール読んでるような
ポッドキャストになるんですけれども
いろんな人の人間模様が見えますし
そこから派生して
それこそ本の話したりとしてはいるので
もし興味を持っていただけましたら
僕らの
あそこの青いテントのブースで
54:01
見えてるところですね
読めるカードを配って
ショップカード的なのがありますので
めちゃくちゃ可愛いキーホルダー売ってたりもするので
あともちろん本も売ってます
本も売ってるので
フラッと遊びに来ていただければと思います
これもやっぱり
オムニバスという会場で
皆さんのある意味
読書の時間の代わりに
こういう番組を聞く時間を
あってもいいかなっていうようなことを
思っていただける人がいれば是非とも聞いていただければと思います
本読み疲れたな
お話聞きたいなって思ったときに
スポティファイとかから聞けるので
車社会やからね
通勤通学のタイミングで
お車の中で
是非とも聞いていただければと思います
ということで本日は
お呼び立ていただきまして誠にありがとうございました
聞いていただいた皆さんありがとうございました
お買い物中の皆さんは
是非とも引き続きお願いいたします
スタイのウィズルドの3人も
読んでくれてありがとうございました
引き続き
オムニバス楽しんでいって帰っていただければと思います
ありがとうございました