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こんにちは、おはなし屋なおとです。今日は、執着を理想の実現のために使うというテーマでお話をしていきます。
執着って言うと、きっとネガティブなイメージを想像する人が多いと思うんですよね。
何かに執着をして失敗してしまったとか、これに執着をしているからいつも上手くいかないとかね。
だいたいポジティブな文脈で執着という話が出てくることは少ないんじゃないかなと思いますし、
大概の問題を紐解いていけば、自分がここに執着しているんだなっていうところに落ち着くとは思うんですよ。
例えば、企業のコーチングをテーマにお話をしていると、企業について頑張ってほしいんだけど、頑張りたいんだけど、
いつもどこかで邪魔が入ると、いつもどこかでシャチャが入ると、そうなった時に、例えば家族の問題にしよう。
これは本当誰かのケースとかじゃなくて、こういう話はたくさんあります。
企業について頑張っているんだけど、いつも家族の問題で自分が悩んでしまっていて、
本来だったらどうやったら今のビジネスを発展させることができるかということが理想の実現に対しては必要なことなんだけど、
そうじゃない部分で悩んでしまって考えてしまって、
本来企業というものに使う脳のリソースをそっちに避けないみたいなことってあります。
家族だけじゃないな。今まで僕が経験してきた中で家族が一番多いんですけどね。
家族、パートナー、あと友人とか会社とか、企業をしてどうやって売り上げを出していこうかっていう話をしているのに、
売り上げを出して自分個人で経済を回していこうという話をしているのに、
いつも別のところに話が逸れてしまうというケースで、僕は執着という単語を使います。
例えば、企業について考えたいのに、いつも家族に関する問題に悩んでしまっているということは、
それはその人は企業ではなく家族に執着しているという状態なんですね。
家族が理解してくれない、パートナーが理解してくれない。
この歳になると親がっていうケースはないことはないんだけど、レアっちゃレアだよね。
でも親に理解してもらえないとかそういうところで悩んでいる。
これっていうのは、つまり自分の身近なパートナーに理解をしてもらうという状態に執着している。
自分の家族が自分の企業を応援してくれてるっていうところに執着している。
自分の親があなたは頑張ってるねっていうふうに認めてくれることに対して執着をしているっていうところになります。
執着がネガティブな文面で文脈で用いられるときの特徴って、
その執着する対象が自分ではなく誰か他人になっているんですね。
誰かに認めてほしいっていうところに執着しているケースっていうのは大概うまくいかないことが多いです。
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なぜかというと他人が自分に対してどう感じるかっていうのは自分でコントロール不可なことだからですね。
だからコントロール不可なところに執着をしてしまっているから何か問題が起きたときにどうしようもないんですね。
どうしようもないからどうしようもないところに執着すると本当は自分の行動は自分で決められるし
例えば自分がどこに住むとかどんな時間を過ごすとか何の仕事をするっていうのは自分で決められるわけですよ。
だからここに執着をすればじゃあここからどうしていければいいだろうっていうふうに考えるんだけど
そうじゃなくてじゃあパートナーがどう思うか家族がどう思うか親がどう思うか会社がどう思うかっていうね
こう思われたいこういうふうに理解してほしいっていうところに執着が発生すると物事がうまくいかなくなるっていう側面があります。
じゃあこれが家族とかの人間関係の話じゃなくて会社としましょうか。
よくそのブラックうちの会社はブラックで社員を大事にしてくれないって言いながらずっとブラック企業で働き続ける
ずっと理解してくれない会社で働き続けるケースってやっぱあるじゃないですか。
そういうこと言ってる人に限ってやめないじゃないですか。
なぜかっていうとこの執着で説明できるんですね。
その人は今の会社で理解をされるとか今の会社が働きやすい職場になるとか
今自分のやってることがその会社の同僚に認められるとかその会社に対する理想像に執着してるんですね。
言ってしまえば自分と会社の関係を良くするっていう相手が介入することに対して執着をしてしまってるから
だから周りから見たらそんな会社辞めりゃいいじゃん。
そんな家族離れりゃいいじゃん。
そんな職場変えたらいいじゃんってなるんだけど
その人の執着するポイントがその会社でうまくいきたい。
その家族と理解してほしい。
その他人に承認してほしいっていう対象が決まっちゃってるから
辞めるとか離れるっていう選択肢ってなかなか出てこないんですよね。
これ僕も起業した時にすごく悩んだところではあったんですけど
僕は大学時代から本当にお世話になった大島先生がいて
その先生の計らいで起業に入れてもらって
ここでずっとスポーツ選手と仕事を両立させながら生きていくんだって本当心の底から思ってたけど
でもやっぱりうまくいかなくなった時に
外の世界の人に相談されると別にその環境でればいいじゃんって言われるんですけど
僕はその先生がこいつが俺の一番弟子だよって言ってほしいっていう
その先生に対する執着。恩師ですよね。
先生に対する執着とか自分を拾ってくれたこの会社に恩返ししたいみたいな
この会社にっていう他人への執着があったんですね。
だから何とか辞めずに環境を変えずに今の現実を打破しようっていう風に考えてました。
1年ぐらいそれでずっと動きました。
ありとあらゆることを試して1年経った結果どうなったかっていうと
関係悪くなったんですよね。
余計なことせんけりゃよかったかなーってめっちゃ思った。
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でも今となって考えるとそれは自分がコントロール不可なものに執着をしてしまったから
つまり自分の執着した理想を実現しようと思うと
相手の協力が必要っていう状況になったんですね。
でもその相手が協力するかどうかっていうのは
自分がどうこうできる話じゃないじゃないですか。
やっぱね、僕はその会社にも所属していたし
その恩師の元でもやってたので
そこのチームにも所属していたので
僕の理想を叶えようと思うと
その会社もチームも
僕ももちろん変わる必要はあるけど
全てを変えなければいけなかったけど
別にそこは僕だけのチームじゃないし
僕だけの会社じゃないんですね。
会社だけだってもう上場している企業だったんで
無理じゃないですか。
僕の理想の姿に上場している会社がなってくださいっていうのは
もう無理だなって思ったし
1年経って少しずつ関係が良くなっていきましたっていう風な
未来に執着してたんですよ。
1年経ってどうなったかってもう取り返しつかないぐらい
のことになりました。
そこでなんか僕は初めて思いました。
ここで自分の理想を体現することはできないんだなって
そう思った時にやっぱ苦しくなったのが
ここを離れなきゃいけないっていう現実がすごく辛かったです。
だって離れたくないんだもん。
そこで上手くいきたいんだもん。
だけどそれが無理な話なんだなって思った時に
それが腑に落ちた時に
スッと離れようって思って
そこで離れる時っていうのは
1年間散々かき乱しにかき乱した後だったから
もうほんと大変だった。
1日負罪着信30件入るんだよ。
23歳のやつのスマートフォンに。
あの時はまだiPhoneも使ってなかったから
Androidのぶっつい携帯がずっと鳴ってんだよ。
一応マナーモードにしてるから
音は鳴らないんだけどずっとブーって言ってるの。
だからもうポケットに入れらんないのね。
ずっと震えてるから。
だから机の上に置くとスマホがブーって若干動くわけ。
そういうのをずっと冒頭見てたなと思います。
でも今となってはあれは僕が
他人に対して執着してた。
他者ですよね。
会社も人としては他人に対して執着してたから
どうしようもなかったんだなって。
でも今僕は自分が
自分自身がコントロールできるものに執着してる。
僕が幸せになることとか
僕が豊かな生活を送ることっていうことに
執着をしているから
どんな辛い出来事があったって
じゃあこれどういう風に捉え直せばいいだろうとか
こんな出来事があったから
こうなれたんだよっていうためには
じゃあ辛い出来事があった1秒後から
じゃあこれをどうやったら
あの出来事があったからって笑って言えるかな
っていう風に考えるわけです。
そこに他者は介在しないわけなんですね。
他人がどうなろうと
今僕は家族で仲良く暮らしてますけど
じゃあ自分が幸せになるっていうことに執着をして
ひょっとしたら家族と離れるっていう選択を
取らなきゃいけないことあるかもしれないじゃないですか。
今奥さんやて子供二人いるけどさ
別に奥さんとは他人だし
子供たち繋がってるわけだけども
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別に家族っていう関係を解消しなきゃいけないことだって
ひょっとしたらあるかもしれない。
そうならないのが一番いいんだけど
だけどそこに対して
理解し合えるような
家庭っていうものに執着しちゃうと
じゃあ奥さんを変えなきゃいけないし
今ね子供はまだ2歳とか0歳とかで
そんなに自分の信念があるわけじゃないんだけど
まあでもなんとなく信念っぽいものはもうあるなと思うけどね。
でもやっぱ自分の考えが固まってるわけじゃないし
父親っていうのは取り返しがつかないものだから
買いが聞かれるものだから
まだいいけど
だんだん考え方の違いっていうのが出てくるかもしれないよね。
じゃあどうする?
起業してこういう生活を
僕があと10年送ってた時に娘が
パパもう私パパがそういう仕事してるの
嫌だ耐えられないってなった時に
どうする?っていう話
仕事辞める?って僕は辞めないと思います。
そうか?って
お前がそう思うんだったら
そうかもしれないけど
パパは自分のためにこの仕事をやってるから
ごめんなって言うと思うし
どうしてもそれが嫌なんだったら
そういう父親と暮らせないんだったら
一緒に暮らさないっていう方法もあるよって
俺真顔で言っちゃうと思うな12歳の娘に
別に受け入れてほしいとは思わないよって
ただパパはこれをパパのためにやってるからねって言うね
それがどうしてもって言うんだったら
パパと離れるしかないよっていう話をしちゃうんじゃないかなと思う
それがいいんじゃないかなと思うんだよね
だから今日何が言いたいかっていうと
執着っていう感情を完全になくすっていうことはできないです
ただ執着が良い風に動く時と悪い風に動く時があって
良い風に動く時っていうのは
自分がコントロールできるものに執着する
自分がどういう感情になるか
自分がどうやったら幸せになれるか
自分がどうやったら豊かになれるか
自分が死ぬ時に生きててよかったって思えるか
これ自分でコントロール可能なものなんです
だからそこにフォーカスを置くと
もう八方塞がりってないんですよ
手が打てるんです何かしら
ただじゃあ家族に理解してほしい
パートナーに理解してほしいとか
親に理解してほしいとか
今のこの会社に理解してほしいとか
特定の誰かに理解してほしいってなると
それはもう相手が絡んでくることなので
執着すれば執着するほどこんがらがあるんですね
あなた変わってよって言われたら
嫌じゃん俺たちだってさ
私はこう思うからあなた変わりなさいって言われたら
すごい嫌じゃない
それはみんな一緒なんですよ
変わりたくない生き物だから
だから自分のことは変えられるけど
他人のことは変えられないんですね
ってなるとやっぱその執着ってのは
どの道人間である以上絶対にするんだから
その執着をするんだったら
他人に執着をする
それこそいつも家族と揉めてる人がいます
その人が何に執着してるかっていうと
理解し合える家族っていうね
幸せなみんなで暮らす家族っていうことに
執着してるんですよ
ただ別にその理解し合いたいっていう気持ちを
家族に求める必要ないじゃないですか
理解してくれる人たちと
集まってその人たちと一緒に
お互い認め合うっていう関係でもいいわけです
ただその人は家族と理解し合いたい
幸せな家族っていうのがあるんですね
多分イメージの中で
そこに執着しちゃってるから
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相手に理解を求めるし
理解を求めれば求めるほど
理解してもらえなくなる
それは当然です
それは僕もそう
だから僕は
他人に理解を求めるんじゃなくて
自分が納得できるかどうか
これに時間を使うとかね
そういうのは自分で選べるわけで
だから僕は起業して豊かになるっていうことに
めちゃくちゃ執着してます
だからどんなことがあっても起業につなげるし
発信者として生きるっていうことにも
すごく執着してる
どんだけ辛い出来事があっても
ここまで晒さなくていいじゃんって
SNS戦略的にはそんなに
なんか出したら逆にお客さん引いちゃうよ
みたいなことも僕SNSで言うと思うんですよ
それはなぜかっていうと
僕が発信者としての生き方で執着してるから
どんな出来事があったって
それを糧にするっていうね
それを糧にすることが
僕の生き方だと思ってるから
自分で執着してるんです
そこに他人を介在しないっていうことね
他人を変える努力をするくらいだったら
自分を変える努力した方がいいじゃないですか
辛い辛いって泣いてる自分を
いや私も辛い辛いって泣いてたんだけどね
まぁでもあの時がなかったら
今の自分泣いしないって笑えてる自分に
執着した方がいいじゃんっていう感じかな
だから執着という感情を
手放すことはできないんだけど
何に執着するかっていうのは
自分の意思で選べると僕は思ってます
だから僕は豊かな生活を送るっていうこと
自分が発信者として生きるっていうこと
僕が幸せにできる人を
幸せにするっていうことに執着してます
特定の誰かを幸せにしようとは思ってない
それがたとえ家族であっても
親であっても子供であっても
思ってない
自分が幸せにできる時期もあればさ
そうじゃない時期もあるわけじゃん
だから親がさ
加護後の親がさ
なんか子供に対して介入して介入して
じゃあ実験勉強させてさせて
子供がうずになったみたいな話ってあるじゃん
あれって結局
子供が自分の意思で勉強しなきゃいけないところを
親が介入しちゃうから
なんかこんがらがっちゃうんですよ
親と子っていうのは基本的に
親のパワーバランスが強いから
親からなんか言われたら
子供は受け入れるしかないんですね
ずるいんだよ
俺は親ずるいなと思う本当に
パワーバランスがね
全然違うから
でね一番言っちゃいけない
お前は誰が育ててやってると思ってんだ
今までいくら金かけてると思ってんだ
いやこっち頼んでねえしっていう話なんですね
何も言われなかったら
いや本当に今まで育ててくれてありがとう
こっから私の人生歩むねって言えるのに
親がそれ言っちゃうから
ぐちゃぐちゃになっちゃうの
だからなんか
そういう風にはしないようにしたいなと思います
僕が
僕の親はたまたまそういうタイプじゃなかったから
あれだけど
もし僕の親がそういうタイプなんだったら
僕は1秒でも早く距離を取るとは思いますね
だって嫌じゃん
親の期待通りの自分になるの嫌じゃん
理想通りの自分になるの嫌じゃん
自分がこうなりたいっていう姿に対して
親が私もそうなってほしいわっていうのは
どうぞどうぞなんですけど
でもじゃあね
自分の方向性が親とか家族とかパートナーとか
子供とずれた時に
じゃあその子供とか親とか家族とかパートナーとか
のために自分の生き方変えますかって
俺は変えないと思うし
それは執着してるポイントが
その家族ではなくて
自分の理想の未来だからですね
だからそういう自分の理想の未来に対して
執着をするっていうのがすごく大事だと思うし
僕はそのコーチングでね
やっぱりクライアントさんが何か悩んでた時に
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この人はここに執着してるんだなっていうポイントをやっぱ見ます
やっぱり人間が引き起こす問題ってのは
基本的に執着とセットなんで
いつもこういう問題が起きるなっていうことは
多分そこに執着があるんですよ
だからそこで何に執着してたかっていうことが分からないと
同じような問題ってのは
たとえその場解決してもまた出てくるんですね
だからねその執着というのは
やっぱ切っても切り離せない
理想の人生を生きることとは切り離せない話だと思うんで
まあねちょっと今苦しいよ
何かうまくいかないよってことがあるんだとしたらね
何に執着してるんだろうっていうことを考えてみてほしいです
でしたとき多分
多分ですけど
自分以外のものに執着してるっていうケースがほとんどだと思います
じゃあそういうときどうしたらいいかっていうと
他人がコントロールできないものに執着するっていうことですね
つまり自分がどう生きるかっていうところに
執着のポイントをすると
どんだけ辛いことがあっても
これが笑って言えるようになったらそれでいいじゃんっていう風に
やっぱ思えると思うし
そうすると自分がね
やるべきことっていうのは
決まってくるんじゃないかなと思います
なので今日はちょっと執着についてお話しましたけど
人間なんでね
執着はします
執着をなくすことはできない
手放すことはできない
ただ執着するポイントを
他人が介在しないものにするか
それとも他人に対して執着するか
理想の家族に対して
理想の会社に対して
執着するかっていうのは選べると
僕は思いますので
そこのね
執着のポイントを変えていきましょう
というので
今日の提案でございました
以上です
じゃあ余談パートです
えっとね
まあちょっと
昨日対談とか取ったんだけど
最近ね
なんかね
障害の出来事が続いててですね
今日もね
寝起き3分で電話をしてまして
それはおばあちゃんからでですね
おばあちゃんがなんかこう
頼んだ雨漏り修理の会社が信用できないから
なんとかかんとかかんとかっていう話をね
寝起き3分後から1時間やってまして
本当に頼れる人がいないんだなーっていうね
助けになってやりたいなと思うんですが
まあね
まあ難しいなと
僕ももちろんそのね
たまたま朝の時間空いてたんで
対応してましたけど
別にその対応できないときはね
きっぱり
あーごめんちょっとばあちゃん
そこは対応できないわって
ちゃんとね
線を引いてあげないと
いけないなーという風にね
まあ思いました
はい
たとえ家族であろうとも
あのー
自分がね
提供できるものを提供するのはいいんだけど
自分が提供しちゃいけないものまで
提供したら
やっぱりこんがらがあるというか
ね
みぜに切ってやってんだからさ
リターン欲しくなるのが人間じゃんっていうね
みぜに切らない程度に
あのー
家族には
そういうことです
以上です