2022-08-12 17:29

108日間世界一周の船旅🚢🌎✈【メキシコ🇲🇽メキシコシティ編】

すっかり間が空いてしまい、申し訳ごさいません💦

この日は非常に長丁場なため、
前半と後半に別れてお届けいたします❣️

《メキシコ国立人類学博物館》
https://mna.inah.gob.mx/


サムネは中央広場にある
アステカ王国の首都…テノチティトランと月の湖の模型。

この広場の下にすっぽりと、
この模型が埋まっていると思うと不思議な感じがします🙄🙄

#なおちゃん先生世界一周の船旅🚢🌎✈
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前回は……こちら
【アカプルコ🇲🇽→メキシコシティ編】
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00:07
こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
今回も世界一周の船旅にお付き合いいただき、ありがとうございます。
前回からあっという間に1週間以上が経過してしまいました。申し訳ございません。
前回は、アカプルコからメキシコシティへの移動日のお話でした。
今回は、出港より83日目、7月23日、メキシコシティから始まるテオテワカン遺跡のツアー前半の様子をお伝えいたします。
実は、この日の日記は7ページにわたり、びっしり書かれていて、中にはイラストも描かれていましたが、かなり長いものとなりました。
カイトさんの言葉や展示案内をそのままの箇所もありますが、今回はこの日の前半、メキシコ国立人類学博物館の様子をお届けいたします。
まだ舌を噛みそうなカタカナの名前が出てくるので、噛み噛み廃止になること間違いありません。
気に謝っておきたいと思います。申し訳ありません。
さて、赤ぷる頃からメキシコシティへ移動し、ホテルにチェックインしたのは夕飯の時。
昨夜は1時、2時、5時と3回も腹痛に襲われ、熟睡できなかった。
4人部屋の整備室でなくてよかった。けれど、熱は下がっているし、憧れのテワテワ感にいけるんだから、お腹なんて多少壊れていたって何にも問題はない。問題あるのはトイレがあるかどうかだけだ。
友達と朝食レストランへ。昨夜と同じホテルのレストランだが、その様相は一変していた。
今朝はビュッフェ形式で、ずらりと並んだ豊富な種類のパン、ジュース、シリアル、チーズ、ヨーグルト、そしてシェフが焼いてくれるオムレツのブースが目に飛び込んできた。
メロンパンをまさかメキシコで見ることになろうとは。
ハムとチーズ、トマト、マッシュルームでオムレツを作ってもらい、友達と半分個にして分けた。
中身がとろとろ、熱々、絶妙な火加減でとても美味しい。
パンもどれも美味しくて、お腹を壊しているのも忘れて満腹になるまで食べてしまった。
今日は一日メキシコシティ観光。午前中に市内観光。そして午後からテオテワ館遺跡へ。
03:06
昨日もだが今日も肌寒い。ウィンドブレーカーが脱げない。
朝8時、観光バスに乗ってホテルを出発した。車窓からメキシコ一人が集まるというエンジェル広場を見学。
1910年に1810年のメキシコ独立100年を記念して独立宣言をしたミゲル神父の記念像がそびえ立っている。
次はアステカ最後の王、ククーテモクの像、コロンブス像、アラメダ公園のフレアス大統領の像の前を通り過ぎ、
メキシコ産の白い大理石で作られた壮麗な国立劇場、タイルの家の前を通って中央広場へ。
ここはかつてのアステカ王国の首都、テノチテトロンでも中心にあたる場所で、一帯はすべて世界遺産に指定されている。
メキシコには29の文化遺産、2つの自然遺産、合わせて31の世界遺産があるという。
2022年現在は35。
今はかつての国立宮殿、貴族の邸宅と1573年から250年かかって建てられた大聖堂が、大きな国旗がひるがえる中央広場を囲むように建っているが、
この地下にはアステカ王国時代の重要な遺跡がたくさん眠っているという。
アステカ王国は1325年からこの地にテノチテトロンを都として建てられた王国で、当時は月の湖と呼ばれる巨大な湖の中の島に作られていた。
今でも残るテンプルマジョールの一部は、王国中心の神殿で、毎日のように太陽神に生贄の心臓が捧げられていた。
スペイン人が1519年、エルナン・コルテスを先頭にしてやってきて以来、壮大なテノチテトロンの中心部といわず湖自体ほとんど埋め立てられた。
そのため、この地の中世バロック様式の石造りの建物は地盤沈下を起こしていて、中には4メートル以上も沈んでしまったものもあるという。
テンプルマジョールも増改築の跡の高さなのに、そのてっぺんはずいぶん低いところにあった。
大聖堂に入ると中はバチカンのサンピエトロ寺院とよく似ていて、もちろんあんなに巨大なものではないけれど、
僧侶な絵画、繊細な教会彫刻、きらびやかな金の装飾は、この地の歴史を振り返ると少し居心地の悪い気がしてしまう。
06:11
美しく僧侶な空間を作り上げているこの教会も、多くの人々の血と涙、虐殺と虐奪の歴史の上に成り立っているものだと思うと、神への惨事よりも切示が高いような思いがしてくる。
宗教というのは地の歴史とは切っても切れないものだ。
カビで僧侶な装飾は逆にゴテゴテ、ごちゃごちゃしているようにも見えてしまう。
これは完成までに250年の月日がかかったため、さまざまな時代の様式が入り乱れてしまったためとも言う。
中央広場で写真を撮り、バスに乗り込んできたら一人戻ってこない。
10分後ぐらいになってやっと探していた方が戻ってきたので、ひと安心だった。
ツアー旅行、一大観光地とはいえ、あまり治安が良いと言えない地域なんだ。
その後はチャペルテックの森の中にある国立人類学博物館へ。
その途中にガイドの方がメキシコの現状について少し教えてくれた。
1609年にハセクラ・ツネナガが訪れてから、日本とメキシコの関係は古い。
人口は1億人以上だが、人口の70%が30歳以下、45%が15歳以下の若い国で、日本とは正反対だ。
だが、教育制度が追いついていないので、公立の学校は午前の部、午後の部と分かれている。
学校の授業時間が短いので、教育水準は低い。
私立は高いので、人口の7割が低所得者の人々は私立にはいけない。
後に聞いた話では、今は学校が休みのため、通学のための送迎ラッシュがないので道が空いているのだそうだ。
親は子供にくっつきっぱなし、それはどうしてかというと、恐ろしいことに臓器売買のために子供がさらわれるケースが多いのだという。
その商売先はもっぱらお隣の世界的大国だとのことでした。
国立人類学博物館。
中には、テオテワ館やアステカだけではなく、さまざまな遺跡の遺物などが展示されている。
迫力のある大きな建物で、収藏物もとても多い。
ロンドンの大英博物館並みの情報量で、古代メソアメリカ文明から古代メキシコだけに留まらず、
09:00
南米大陸に発生しては消えていったマヤ、アステカ、テオテワ館などの多くの文明の遺跡からスペイン人到来から植民地自体など、
近現代史まで余すところなく展示・開設されていて、じっくり見ていたら数日かかるには間違いない。
残念ながら、ツアー参加の私たちは数時間しか与えられていなかったため、ガイドさんに従って歩いていく。
まず、入口の巨大な柱が天井を支え、そこから水が噴き出している巨大なモニュメントに圧巻される。
これは素晴らしい作りで、先ほどのテンプル・マジョンよりも感動した。
古代メキシコ文化に宿っていた共通するコンセプト、二極性を実によく表している。
天と地、それを支える柱にも、雨と太陽、ワシとジャガー、生と死が描かれている。
古代メキシコ文化は死後世界に強い関心を持っていた文明で、魂は天井へ帰り、発生する、再生すると信じられていた。
テワテワカン遺跡は紀元前2世紀頃から始まった。
最盛期には20万キロの面積と20万人近い人々を要する大都市であったという。
神官たちは石造りの建物に住み、庶民は縦穴式住居に住んでいるという格差社会でもあったようだ。
アステカ王国は12世紀から16世紀に栄えた王国で、月の湖、中央に建てられたテノチチトランを都にした。
どちらの文化もトーテミズム、動物信仰の色は濃く、ジャガー、ヘビ、ワシは特に神として描かれている。
そして人の生活に欠かせない雨と太陽。
彼らは天文学を非常に発展させていて、緻密な計算によって自然の出来事を知ろうとしたのだった。
面白いと感じたのは火の神をかたどった台座で、この上では52年ごとに火が炊かれていたという。
52という数字は太陽暦と太陰暦がちょうど重なる。それが52年周期の1月1日だから。
アステカ王国は毎日生贄を捧げていた。
生贄選びのための球技に使用される球も残っていて、
これは穴の開いた大きな丸い石を吊るして、その穴の中に丸い球を投げ入れる者が勝つと生贄にされるということらしい。
しかし毎日のように生贄を捧げるため、彼らはほぼ戦争堀の中から選ばれた。
12:04
この戦争そのものが生贄獲得のための模擬戦争だというから恐ろしい。
生贄は生きたまま黒曜石のナイフで心臓を取り出され、
まだ動いている心臓は太陽をかたどった巨大なティーリックの石やチャックモールの石像、
伏せたジャガーの形などのクワウシ狩りの石という石の台座の中央のくぼみ、
などに乗せられる。
この後、心臓を抜き取られた体がどうなったのかということを当時の記録に書かれていますが、
あまりにショッキングな内容のため、ここは自粛をさせていただきます。
気になる方はぜひ、アステカ文明を調べてみてくださいね。
どうして生贄が毎日捧げられる必要があったのか。
それはこの人類学、人類文化、人類文化の中で、
一際目立ち、印象的な太陽の石に象徴されるアステカの人々、特有の信仰のためだった。
伝説では今まで4つの太陽があったが、すべて滅んでしまい、
今の世界は第5番目の太陽の世界。
ですが、この太陽もいつかおほろび、その時世界は終わる、
ということが信じられていました。
太陽は沈み、昇るという、生と死の世界の行き来を毎日繰り返すが、
死の世界から戻ってきた太陽は、その活力が衰えている。
放っておくと、どんどん太陽の力は衰えて、滅びてしまうので、
太陽に活力を与えるため、毎日毎日、最低でも18人の生贄が捧げられた。
18というのは、アステカ王国の州の数、ということだ。
日食は特に太陽の力が多く奪われると考えられており、
その日を計算で割り出し、3000人の生贄が一度に捧げられたという。
太陽の石の太陽は、真ん中には血に飢え、舌を出した形で、
太陽の石の太陽は、真ん中には血に飢え、舌を出した形で、
近くで見ても恐ろしく異常な表情だった。
周りには今まで滅んだ4つの太陽が描かれ、人々の信仰の体制となっていた。
恐れと尊敬と信仰は非常に近いところにある。
そして、アステカの人々にとっては、同胞の命よりも日々昇り、
沈む太陽のほうが、最高の力だった。
そして、アステカの人々にとっては、同胞の命よりも日々昇り、
沈む太陽のほうが、何よりも大切であったのだ。
そして、その太陽と共にアステカの信仰を彩るアステカ神話の神々は、
血を求め、生贄を求める神々としても知られている。
同じ多神教でも、本当に世界にはいろんな宗教があり、それぞれの違いがある。
アステカ王国は、1521年8月3日をもって滅亡するが、
15:05
1519年、スペイン人エルナン・コルテスがやってきたとき、
アステカの王は、彼の信仰の対象であった雨の神ケツアルコトルの化身と思い込み、
彼を大歓迎したというのは有名な話だ。
その後の内部紛争とスペイン人による虐殺と、
彼らが持ち込んできた病原体により、アステカは壊滅状態で滅亡する。
アステカの文化が西洋人の欲しがるゴールドを持っていたから、
ということはその理由の大きな一部であるが、
到底理解のできない宗教・文化への嫌悪感もあったに違いない。
仮にスペイン人が上陸しなかったら、もしくは彼らを打ちまかしておらず、
キリスト教を持ち込まなければ、今もまだあの文明・文化は残っていたのだろうか。
私は残っていなかっただろうと思うが、歴史にもしもはない。
それを思うと、スペイン及び西洋文化の到来は歴史の必然であったのかもしれない。
これもまた誰にもわからないものだ。
今回はメキシコシティの国立人類学博物館とアステカ文明についてお話をしました。
日本の文化・信仰とあまりにかけ離れた信仰を持っていたアステカ文明についてご興味がございましたら、
国立人類学博物館のホームページを概要欄に記載しておきますのでご覧ください。
特にトップページの動画には、私がお話しした入り口に水が噴き出している円柱と太陽の石が写っておりますので、
それだけでもご覧いただけるといいなと思います。
また、このサイトには日本語・英語の翻訳もあり、コレクションのページではそれぞれのテーマに沿ってたくさんの収容物の写真を見ることができます。
心臓を乗せる台座も載っていると思うんですが、あまりに写真が多くて私は見つけられませんでした。
次回はやっとやっと手当は館遺跡のお話です。
次回まで楽しみにお待ちください。
今回も船旅にお付き合いいただきありがとうございました。
17:29

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