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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は、2024年5月10日の少し前の時間に収録をしています。
5月10日、もうあと数時間でその日がやってくるんですが、
この日は、私にとってとても大切な日です。
それは、私の愛犬みことさんが、昨年、肉体の殻を飛び出して、
その魂が元来た場所に帰っていった。
そう、命日でもあります。
あれから、もう1年経ったんだなぁという気持ちを、今の気持ちを収録しておこうかなと思いました。
5月10日、当日はですね、私はお仕事で、日中はね、バタバタとしてしまうので、
こう、みことくんのことに思いを馳せて収録をするという時間がゆっくりとれなそうなので、
一人になったこの夜の時間に話をしてみようかなと思いました。
あっという間に、彼がいなくなって、1年が過ぎました。
本当に月日というのは、流れるのが早くて、もう彼が近くにいない、側にいない、
それがもう1年も続いているんだということが、信じられないような気がしています。
昨年ね、旅立った、同じみことくんのお友達たち、何とかいらっしゃるんですけれども、
やはり飼い主さんたちもね、本当に1年があっという間ですとおっしゃっていました。
みことくんとの思い出、5月9日の夜、私はみことくんと数日間で一緒に夜寝ていました。
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と言っても彼はもう動けなかったので、私が夜、布団を引いてね、隣で寝ていました。
彼が全く食べるものを口にしなくなって、ほとんど動けなくなったのは、5月6日からでした。
正直、水分も取れなくなったら、もう長くはないだろうな、と私は思っていました。
そして、とても苦しそうにしているようであれば、その時は、これは私の考え方であり、
家族と話をした結果ですけれども、口から自分で何も取れなくなってしまったり、
本当に、処置をしても苦しそうな状態が続くようであれば、その時は安楽死も考えよう、というふうに話をしていました。
けれど、幸か不幸か、本当に本当に毎日、彼は穏やかな表情で眠っていて、
時々、自力で起き上がって、ヨロヨロとトイレに行く、という日が数日続いたんですね。
私は、夜、彼の隣で寝て、なるべくみごとくんのそばにいて、ごつごつ骨ばかりになってしまった体を触っていました。
その手の感触というのはね、今でも思い出すことができます。
夜中にふっと目を開けると、彼がもう行ってしまったんではないだろうかと思って、
慌ててお腹の上に手を当てると、はい、よかった、まだ呼吸しているって、何度もそうやって目が覚めたことを思い出しますね。
昨年の5月9日は火曜日でした。
火曜日は私は犬の保育園の日なんですけれども、この日、本当にわがままなことだったんですが、
私は飼い主さんたちにお願いをして、お話をして、お休みをさせていただきました。
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普通のお勤めの人だったら、きっと犬が帰宅状態なので、
一日つき添いたいのでお休みしますっていうような理由で、お休みなんて取れないと思います。
私は最後の一日を使って、みことくんをカートに乗せて、一緒に最後のお散歩に出ました。
もちろん彼は動くことはなかったんですけれども、
時々娘をあげてね、気持ちよさそうに風と光を浴びていたのを思い出します。
そして水曜日だったんですね、5月10日は。
今年は金曜日ですけど、水曜日またお仕事の日でした。
私はみことくんに話しかけたんですよね。
姉ちゃんは明日はお仕事に行くよ、そう話しかけました。
正直私は5月10日の朝はもう迎えられないだろうと思っていたんです。
夜中に何度も目が覚めて、その度に彼がまだ息をしているということに安堵したり驚いたり、
そして明け方、ふと目を開けると彼と目があったんですね。
みことくんがこっちを見ていました。
その時に私は、ああ、そうか、そうだったんだなって思ったんです。
みことくんは私をいつも通り見送りたいんだな、いつも通り、いつも通り送り出して、
そして旅立つつもりなのかもしれないと思ったんですよね。
なので朝の支度をして、子供たちに、
君たちが保育園や学校から帰ってきたらもうみことくんはいないかもしれないから、
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挨拶をちゃんとしようと言って、挨拶をして、
私一瞬も、行ってくるね、行ってくるねだけかけました。
待っててねとは言いませんでした。
彼は私が家を出てから約2時間後ですね、
午前11時30分前後に息を引き取ったよと母から連絡がありました。
ああ、やっぱりそのお知らせを聞きたいような、聞きたくないような、
分かっていなかったような、分かっていたような、そんな気分で母からのお知らせを受けました。
不思議なことに、一緒に最後にいられなかったことというか、
最後の旅立ちを見送れなかったことに関して、私は後悔はしていないんですね。
きっとこれが彼の望む最後の姿だったんじゃないかなって、自己満足かもしれないですけど。
私が美加と君と話をした時に、彼ははっきりそうだとは言わなかったですが、
そういうことなんだなって、私には伝わりました。
あの日から1年が経とうとしています。
正直、美加と君がいないことに最初は戸惑い、寂しさを感じ、悲しくなり、そんな日々が続いていましたけれど、
幸か不幸か、私にはやることがたくさんあって、子どもたちも笑わせてくれて、
だんだんと悲しみというのは薄らいでいきました。
それでもやはり、ふとした時にふとしたものを見ると、彼を思い出したり、そして時々夢に出てきてくれます。
それでも、もしかしたら私の中にどこかしら後悔や何か、もっとこうしておけばよかった、
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と思うようなことがあったのかもしれません。
最近見た美加と君の夢は、私が美加と君を刑事に入れて、お留守番をさせている夢なんですけど、
いろんなことに阻まれて、お家に帰れないんですよね。
早く出してあげなきゃ、早く出してあげなきゃ、
早く出してあげなきゃ、早く出してあげたい、
っていうふうに私は思って焦るんですけれど、その度に人が話しかけてきたり、前の車とバイクが事故になっていたり、そんな夢でした。
何か不思議な夢だなと思っていました。
1年経って感じることは、やっぱり美加と君は私にとってとっても、とっても、とっても貴重な存在だったなということです。
私自身はドクトレーナーという立場ですから、仕事上に関してもパートナーとなるワンコさんがいた方がいいのかなって考えることも多々ありました。
けれど、どんな犬、ワンコさんを迎えたいかなって考えた時に、まだまだやっぱり美加とさん以上のワンコさんと出会える気がしないんですよね。
私の周りにもワンコさんを亡くしてすぐにお迎えされる方や、2頭目、3頭目を飼われる方がいらっしゃるんですけれども、それがその方にとって必要なタイミング、ベストタイミングだと私は思います。
昔はね、もうちょっと尖がった考え方をしてました。
なんでこんなお家が状況なのに、この人は新しいのを迎えるんだろうって、そういう尖がった見方をすることもあったんですけど、今はご縁があってやはりその子が選んでそのお家に呼ばれるんだなって。
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たとえその子が単名であろうと、たとえそのお家、飼い主さんから、なんでしょうね、とっても愛情を受けているとは言わないとしても、やはりある程度選んで選ばれてくるご縁というものがそこにはあるんだなという風に思います。
みくとくん以上のね、みくとくんもまあ欠点はたくさんありました。
でも、私にとっては、それもまた彼のかわいいところであり、彼の個性、そして同じ存在は二度と現れない。
これはみなさんもそうだと思います。
よく似た子がいたとしても、全く同じということはありえない。
たとえその子のクローンが作れるとしても、クローンとして生まれ変わった子は100%その子だとかと思うと、そうではない、私は思います。
ご縁があったらね、また誰かとどこかでつながることがあるでしょう。
それまでは、私のマイベストパートナードックと思い出を語り合う時々ね。
そして、ありがとう、楽しかったね、そう言いながら思い出と向き合う日々を過ごしていくのかなと思います。
最後になりましたけれど、みかとくんに一周期に際して歌を歌いたいと思います。
うまく歌えるかわからないですけれど、今の気持ちを歌にしてみたいと思います。
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ほほってつぶやいた いつもいつも胸の中
あげましてくれる人よ あれはたるいもあめの日も
うかむあの笑顔 おもいで遠くあせても
おもかげさがして よみがえる日はまだそろそろ
あいたくて あいたくて 君への想いならそろそろ