料理に対する思い出
AKIKOさんの声日記で、「○○人は料理がうまい」みたいに言っちゃうのは乱暴かな?みたいな話があって、
そこから、そういえば昔、中国人は料理がうまいって思ったことがあったなぁということを思い出しました。
AKIKOさんのお話は、そういう物言いというか言説から
思うところがあって、あるテーマについて考察を始めたみたいなことだったんですけど、
その中国人が料理が上手だったというのは、ただの思い出話になります。
東京でバイトしていたときなんですけど、同僚に 北京から来た人たちがいて、みんな家庭のお父さんたちでした。
一時的に働きに来ていて、 勤め先の寮に入っていて、そこで毎日ちゃんと料理をしてたんですね。
私は自転車か東急世田谷線で通っていて、寮住まいというわけではなかったんですけど、仕事終わりに
よく誘ってくれて、一緒にご飯食べたり、 餃子の作り方を教えてもらったりしてました。
その人たちに接していて、 今はわかりませんけど、北京の人たちの常識では
たぶん、いい大人は料理ぐらいできて当たり前なんだろうなって 感じました。
いわゆる家庭料理というのが
頑張ってとか仕方なくとかでそろえたよっていう感じは全然なくて、
すごく力強く作っているというか、
どれだけいい味を出せるか、どれだけ手際よく無駄なく作るかみたいな、
どうだみたいな、 美味いものを食べた方が元気出るだろうっていうなんかすごい活発な生活感を感じるというか、
そういう感じでした。 こういうのが平均的な家庭人、
お父さんお母さんたちなんだとしたら、 北京の人は料理がうまいって言えるだろうと思いましたし、
当時の私にとって中国人といったら、交流があったのはその北京の人たちだけだったので、
イコール中国人は料理がうまいって思っていたと思います。 そう言ってもいたかもしれません。
外食文化の影響
もう一つ思うのは、朝から外食する人が多い国というか地域っていうか、
ありますよね、外食する人が多くて、 街に
気軽に食べられる食堂とか屋台がいっぱいあったりして、 おいしい店がいっぱいあるから、そのおかげで、
どっちが先かわかりませんけど、 家庭で料理する機会が少ない
だとすると、 その町は
◯◯町の人たちは料理がうまいというよりは、
◯◯町には腕のいい料理人とか、 おいしい店が多いって言いたくなるかなぁ
かな?