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#31名前がつくってすごい!母娘関係と嘔吐恐怖症の話
2026-10-15 19:23

#31名前がつくってすごい!母娘関係と嘔吐恐怖症の話

(唐突に回数つけたくなり、今日から31回目ということにします)

自分がずっと抱えていた感情や苦しみに、名前がつく。
それだけで、救われることがあるんだなと思います。

20代の頃に読んで衝撃を受けた、信田さよ子さんの『母が重くてたまらない』。

当時、母娘関係の息苦しさを言葉にしてもらえたことで、「こんなふうに感じてもよかったんだ」と思えたことを、今でも鮮明に覚えています。

そして、長年抱えてきた「嘔吐恐怖症」についても、同じ悩みを持つ人たちがいると知ることの心強さを感じています。

名前がつくことで、自分を理解できたり、誰かと苦しみを分かち合えたりする。

一方で、名前や分類によって、人や関係性を決めつけてしまう危うさもあります。

今回は、母娘関係と嘔吐恐怖症という私自身の経験から、言葉が持つ力について考えてみました。

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サマリー

ななみつのあきなが、感情や苦しみに名前がつくことで自分を理解でき、同じ悩みを持つ人とつながれることについて話します。信田紗友子の『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』を読み、母親への愛情や感謝と、期待や役割に縛られる息苦しさが同時にあってよいと気づいた経験を振り返ります。また、嘔吐恐怖症という名前を知らず、自分だけがおかしいと思っていた過去と、同じ恐怖を抱える人々の言葉に救われた現在を語ります。一方で、「毒親」などの言葉やエニアグラムの分類が人を決めつける危うさにも触れ、名前は理解の手がかりであって人を一つの枠に閉じ込めるものではないと結びます。

苦しみに名前がつくこと
こんにちは、ななみつのあきなです。エニアグラムという、人間の性格を9つに分類するところから始まる人間学の講師をしています。
今日はですね、突然なんですが、名前がつくってすごいよねっていうようなテーマでお話ししたいと思います。
何の話をするかっていうと、自分がずっと抱えていた感情とか苦しみっていうものに、ある日突然名前がつく、あるいは名前がついているっていうことに気づくことってないでしょうか。
そうすると、今までよくわからなかった自分のことが理解できたり、自分だけじゃなかったんだって救われたりすることがあると思うんですよね。
ただその一方、名前がつくことで生まれる危うさもあるんじゃないかなっていうようなお話になると思います。
『母が重くてたまらない』と母娘関係
最近ですね、信田紗友子さん、臨床心理師の先生ですね。もうお年80歳くらいになられるかと思うんですけれども、
信田紗友子さんが2008年に出版された本です。
母が重くてたまらない、墓守娘の嘆きっていう本を読み返しました。
なのでですね、私これを最初に読んだのは20代の時に読んでいるんですけれど、その時の衝撃ってものすごかったんです。
この本ね、結構話題になったのでご存知の方もいらっしゃるかと思うんですけれども、
母と娘の関係っていうものに、なんかこう鋭くメスを入れるような内容だったんですね。
今回40代になって久しぶりに読んでみても、あの当時の震えるような、なんか自分のことを言い当てられてるのかなみたいな感覚っていうのはね、全然色あせていませんでした。
当時、18年ほど前ですかね、友達を焼こうなんていう言葉も流行っていた時代かなって思うんです。
今も割とお母さんと娘さんが仲良くショッピングをするとかね、そういう光景ってよくあると思うんですけどね、大人になってからも。
まあ母と娘が仲良しであることとかね、母が娘を大切に思うことってもちろん基本的に素晴らしいこと、そういう文脈で友達を焼こうっていうのも語られていたんですよね。
それ自体ねすごくやっぱり良いことだって思うんですけれども、でも母と娘の関係ってなんかこう人には言えないような、周りから見えないようなもっとドロドロした部分とか、
他人には言えない感情っていうのも渦巻いている、まあそういう関係性もあるよなぁって思います。
そんなある意味、多分視されてきた部分に正面から切り込んだのが、この母が重くてたまらないっていう本だったんじゃないかなって思います。
今でこそ毒親とか毒母なんて言葉も普通に聞かれるようになりましたよね。
でも当時ってそういうことってまだそんな言葉もなかった時代ですし、
なんかね本当に信田さんも当時はその重いっていう表現が精一杯だったっていうような趣旨のことを書かれているのを見ました。
でね私この重いっていう言葉すごいと思うんですよね。
あの嫌いなわけでもないしもちろん憎んでいるわけでもなくて、でも重いんだよなっていうところですよね。
母親からの愛情とか期待とか、私自分がね娘である自分が家族の中で求められている役割、
なんかねそれがのしかかってくるあのなんかで独特な感じ、まあねそういう気持ちがある、
あったことのある方ならねわかるんじゃないかなと思うんですけれども、
でもそういう感情があってもいいんだっていうことを初めてその時知ったような気がしたんですよね。
家族への愛情と息苦しさ
でね私自身その本にこうなんか自分のことかもっていう衝撃的ななんかそういう気づきを得たんですけど、
ただね自分自身母のことを毒親だって思ったことはないんですよ。
ただねその今振り返れば、いわゆる信田さんのいう墓守娘的なところはあったんじゃないかなって思います。
まあ象徴的なことで言えば、なんか私が高校生の時に実家が二世帯住宅になったんですよね。
うちの父母とそして母の母、母方の祖父母と一緒に住む、その二世帯住宅を建てることになりました。
その時にねすごい強く思ったんです。
ああもう私ここから逃げられないんだなあっていうこと。
今考えると高校生がそういうふうに感じるっていうのは、なんかねやっぱりその母との関係性、母から自分が求められていることっていうのをすごく感じてたんだと思います。
ただ当時やはりなんかそういうことを思うのがおかしいんじゃないのかなとかっていう気持ちもあったと思います。
だってさ、家族が私を大切にしてくれているのはわかっていたし、もちろんそれで守られてたし、
なんかこう母が自分の道をこうなんていうのかなぁ、主導権を握るっていうのはあれかもしれないけど、
まあなんか母の言うことに従っていればね、自分で自分の人生の責任を負わなくてよかったわけですよ。
だから息苦しさはあったけど、まあ多分やっぱそれだけではなかったんですよね。
自分にとってもそれがなんかこう言い訳のようななんていうのかな、自分にとってもやっぱりねどこかプラスの要素っていうのはあったと思うんです。
まあしかしながら私の母っていうのはまだ私は若い頃に脳出血で倒れてしまって、その後は意思疎通ができなくなってしまったんです。
当時私が20歳になった時に母が倒れてしまって、結局はですね私が31歳の時に息を引き取りましたが、
まあその倒れてからの多戒する間っていうのは意思疎通っていうのはもうできなかったんですね。
だから母との関係ってその先がねどうなっていたかっていうのは結局わからないです。
だからまあむしろねその思いっていうのをすごく味わう前にというかね、なんかそれは悲しいことではあるんだけれども、
結局そのストーリーの続きっていうのはねわからなかったんです。
ただむしろ今になって考えるのは、まあ今になってっていうかまあ母が倒れてからかな、考えたのは母と祖母の関係でした。
母方の祖母がまあ私その二世帯住宅になる前からすごく近くに住んでいたんですよ。
ほんとなんか家出て1分ぐらいのところで。
はい、で私の母はねだから私自身のこの面倒をかなり祖母に見てもらっていたと思います。
なんかね今思い返せばちょっと滑稽な感じなんですけど、
祖母がね夕ご飯のおかずを自分のその祖母の家で作って、そのおかずをね鍋に入れて、その鍋を持ってそのままうち、
あのその時私はマンションに住んでたんですけども、そのマンションまでね歩いて持ってくるなんてことも普通でしたね。
あと小学生の時まではお弁当は絶対おばあちゃんが作ってました。
母が作ったことなかったと思う。小学生まではね。
中学生からは母が作ってくれてましたけど、当時はねそれなんとも思わなかったんです。
今考えてみるとずいぶん密接な関係だったよなって思いますね。
はい、でまあ母はなんか私がまあ今している以上にパートなどでも働いていたんですけども、
それもやっぱり祖母の支えあったからこそですね、あのいざとなれば私のことは祖母が見てくれるので、
まあそういう形で助け合いっていう形なんでしょうけど、
まあ結婚してからも密接なその母と娘っていう関係が続いてたんですよね。
だからまあ言ってみればちょっと互いにお互い依存し合ってた部分はあったんじゃないかなって思います。
そして母が倒れてからですね、だから私が20歳の時からは、あの今度はね祖母の依存先が私に向いたように感じています。
祖母が認知症になって施設にお世話になったのがだいたい私が27歳ぐらいだったかなと思うんですけれども、
まあ27、8歳それまで私自身かなり縛られていたなぁとは思います。
でもね当時はそれがまあ当然だって思ってたんですよね。
家族だから私がやらなきゃいけないんだろうなっていうふうに思ってました。
まあそれが今になってみるとね、共依存っていう言葉も当たり前のように言われますし、
あの関係性は少し違った視点から眺められるようになったような気がします。
ただね、なんかだから母や祖母が悪かったっていう話でもないんです。
愛情もあったし、本当に助けてもらったことがたくさんあります。
ただね、やっぱその中でもなんかこう息苦しさ、苦しかったよなぁっていう感情も確かにあります。
なんかその両方があっていいんだっていうことを、その言葉ですよね。
言葉であったり、婚に出会うことで、
まあなんかその感情ってあっていいし、他にも思っている人、同じような感情を持っている人がいるんだっていうことがわかったんですよね。
嘔吐恐怖症を知るまで
もう一つ、名前が付くことの大きさを感じたのが、私自身の嘔吐恐怖症のことです。
この話もしようかとか悩んだんですけれども、私ね、若い時から吐くってことに対して非常に強い恐怖があるんですよ。
でもう本当に吐きたくない、その人が吐いてるのも怖い、なんか何ならもう逃げたい、動機がするみたいな。
吐くっていうことが好きな人なんていないと思うんですけれども、その恐怖症っていうふうに名乗ってる方は、
やはりなんかもうパニック発作が出るだとか、もうなんか異常な恐怖なんですよね。
で、ただそのことについて、なんか高校生の時からも自分では自覚していたんですけれども、
でも、嘔吐恐怖症なんて名前知らなかったんですね。で、自分が変わってるんだって思ってたし、
人に言うのが恥ずかしかったんです。それで、なんか高校生の時は吐くのが嫌だから、吐くのが怖いからって言って、なんか食べなくなって、
一時すごい痩せたんですよね。で、その時に診療内科に通って、カウンセリング受けてたことがあるんですけれども、
それでもね、その吐くことが怖いんだってことをなかなか言えなかったんです。で、それでそのなんかカウンセラーさんとのセッションがある程度進んでから、
ようやく勇気を出して、実は私吐くのがすごい怖いみたいなことをね、打ち明けたんですよ。
そしたらね、カウンセラーの方に、なんかもう、え、なにそれ、それならさっさと言ってよね、みたいなふうに言われて、
なんかすごい、もうそんなの言ってなかったから、なんかそれやり直しになるから、みたいな感じで怒られちゃったんですよ。
あの、だからね、その時もそのカウンセラーさんの中では多分もう、嘔吐恐怖症っていうものはちゃんと認識されているものだったと思うんですよね。
だから、それならやっぱ治療方針が違うというところであったと思うんですけれども、
まあそんな感じでね、怒られちゃったんです。
いや、言えなかったんですって話なんですけども、まあそこからですね、なんかちょっとカウンセラーさんっていうか、なんかそういう診療内科のカウンセリングちょっと怖いなっていうのもなんか芽生えちゃったり、
まあそれは別の話なんですけど。
言葉がつなぐ共感と危うさ
で、まあもちろんね、嘔吐に対する恐怖自体って、あの昔からあるものなんですね。
ただね、やっぱ今では、嘔吐恐怖症っていう名前を目にする機会すごく増えました。
私、スレッズ見ていると同じように、嘔吐恐怖症ですって悩んでる女性たちの投稿をすごく見かけるんです。
あの本当なんか、つわりが怖くて妊娠に踏み切れないっていう方、よく相談されているのを見かけますね。
そういう人たちが自分の悩みをこう言葉にして、嘔吐恐怖症であるっていうことをちゃんと言葉にすることができる。
で、同じ苦しみを抱える人が、その言葉を頼りに、その悩んでる方を見つけて、気持ちを共有したりアドバイスをすることができる。
それを見ると、やっぱすごい良い時代になったなって思うんですよね。
かつての私は、やっぱ自分だけがおかしいのかもしれないと思って、
なんか人に打ち明けることができなかった。
でも今は、この同じ恐怖を抱えている人が他にもいるっていうことを知ることができる。
それはやっぱり名前あってこそだと思うんです。
そしてその名前が知られているってことが条件。
自分の苦しみに名前がつくと、本当にその苦しみを誰かと分かち合えるようになるんだなっていうふうに思います。
それものすごくやっぱりありがたいことだと思うんですよね。
ただなんですけど、ここがちょっともう一個考えたいところなんですけれども、
名前がつくことが必ずしも良いことばかりなのかなっていうのもまた1点思うところで。
例えば、さっきの言葉で言うと、毒親っていう言葉なんですよね。
この言葉によって、それまで自分を責めてきた人が救われるっていうことをきっとたくさんあると思います。
でもその名前が広まるっていうことで、
今度は何でもそこに当てはめてしまうってこともちょっとあり得る。
起こり得るかなって思います。
親と意見が合わない、親に嫌なことを言われたとかね。
それだけのことで、簡単に毒親っていう言葉を使ってしまうことがあるかもしれない。
逆にね、今度私はもう親の立場ですけど、
今度は親の側がね、自分は子供から毒親だって思われるんじゃないか。
こんなことをしたら毒親に入るのかなとか、必要以上にビクビクすることもあると思うんです。
自分が母親なので、そういう気持ちは結構あるんです。
もちろんね、実際に子供を傷つけるような行為があるなら、
それは受け取り方の問題だけだって思っちゃいけない。
それで片付けちゃいけないんですけども、
人間関係ってそんなに簡単に白黒つけられるものじゃないですよね。
エニアグラムを理解の手がかりにする
エニアグラムには対照関係っていう親子関係の理論っていうのもあるんですけれども、
それに関しては、今何かちゃんとお話しするわけではないですが、
ただその自分にとって大切な相手との関係をどう捉えるか、
どんなものに目を向ける傾向があるかっていうのは、
タイプによって違うんじゃないかっていう風な見方をする理論です。
だから同じような親子関係であっても、
人によって受け止め方が違うってことはあると思うんですね。
ある人にとっては非常に気苦しい関係で、
もう逃げ出したい関係っていうふうに思っていても、
別の人としてはそこに肯定的に結びついていることがあるかもしれない。
それが良いか悪いかっていうことはまた別ですよ。
ただ、だからでも言葉や分類っていうことは、
自分や他人を理解するための手がかりにはなるけど、
それだけでその人のすべてを説明できるわけではない。
そこはね、しっかり抑えておかなきゃいけないなっていうふうに思っています。
はい、では私がエニアグラムをお伝えするときに大切に思っていることなんですけども、
エニアグラムでも人の性格を9つのタイプに分類するっていうところから始めます。
でもタイプがわかったからって言って、もちろんその人のすべてがわかるわけではありません。
タイプ1だからこういう人です。タイプ4だからこういう考えをする。
そんなふうに決めつけるためのものではないんです。
むしろそれまで理解できなかった自分の反応、他人との違いを考えるための新しい視点、
そのヒントを手に入れるっていうことをエニアグラムでしていただきたいというふうに思っています。
名前で人を閉じ込めない
私は20代の時、母が重くてたまらないっていう方に出会って、
それまで言葉にできなかった自分の息苦しさを初めて理解できたような感覚があったし、
そしてオート恐怖症っていう名前を知ったこと、そしてその名前がちょっと時代を経てですね、
すごくよく語られる言葉となったこと、
自分と同じ苦しみを抱える人たちがいるっていうことがよく知れる環境になったっていうことですね。
だから名前がつくっていうのは本当にすごいことだと思うんですよ。
だけど名前は理解するためのものであって、
その人を一つの枠に閉じ込めるためのものではないっていうことはしっかりわかっておきたいなって思っています。
言葉に救われてきたからこそ、言葉の使い方には慎重でありたいなともまた思うんですよね。
ということで、ちょっとわかりにくい話だったかもしれないんですけれども、
でも今日はね、その名前がつくってすごいよねっていうテーマでお話ししてみました。
皆さんにも何かの言葉を知って、なんかそういうことだったのかなって救われた経験ってありますか?
もしよかったら教えていただきたいです。コメントお待ちしてます。
今日もね、最後までお聞きいただきありがとうございました。
エニアグラム基礎セミナーのお知らせ
はい、すいません。最後にですね、ちょっとお知らせです。
今私が、私って言っちゃった。私が主催しているエニアグラム基礎セミナー、
3ステップがなるセミナーなんですけれども、そちらステップ1の募集をしております。
10月開催の募集がですね、10月22日木曜日の午前9時30分からと、
10月26日の午前9時30分からだいたい2時間を予定しておりますが、適宜休憩は入れるつもりです。
こちらモニター価格1000円で募集をしておりますので、そちらのリンクも概要欄の方、
そちらの申し込みの方ですね、詳細ご確認いただけるページを概要欄の方に貼っておきますので、
ご興味のある方は是非、ちょっと見ていただいて、こちらのステップ1は本当にどなたでもご参加いただけるので、
聞きたいこととか、なんか不明な点とかありましたら、そちらは公式LINEやこちらのレターでも何でも大丈夫ですので、
是非お気軽にお声掛けください。ということでそれでは失礼致します。
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